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01

「僕はどんな推理小説でも、読んですぐに犯人が分かってしまうのだよ」
「さすが、読書探偵スグルさんですね」助手のワットソンが言う。
「まあな。どれ今日もやってみるか。ワットソン君、何か本はあるかい?」
 はい、と助手が一冊の本をスグルに渡した。歴史的名著と誉れの高い推理小説だった。ハードカバーである。
「なるほど、『犯人は意外な人物だ』か。なかなか面白そうではないか」
「スグルさんでも読んでいない推理小説があるとは意外です」助手のワットソンは、昨日アルバイトでこの事務所に来たばかりだった。働き始めて二日目になるが、まだだれもここを訪れていない。知らない間に、事件など起こらない平和な世界が訪れたのかもしれない、と助手は思う。
「たまたまな。まあ、こういう分厚い本はどちらかといえば苦手なのだ」
「どうしてですか」
「重いから」
「なるほど。さすがですね」
「では、さっそく始めよう」
 スグルはいったん本を両膝の上に置いた。そして、口からふうっと息を吐き出したあと、おもむろに本の最後のページを開いた。
「あ、そ、それは?」
「逆リーディング法という、私があみ出した推理方法だ」
「逆リーディング法」
「そうだ、こういった本は大抵最後のほうに犯人が誰か書いてあるものなのだよ。それを律儀に最初から読んでいる者たちは、こんな簡単なことに意外に気づかないものなのだ。盲点といっても良い」
「さ、さすが、読書探偵……」助手は、感嘆の声を上げた。
「分かった。犯人は、轟オドロキという男だ」
「す、すごい。もう分かったなんて。あ、でも、意外なのかどうかは分かりませんね」
「そうだな、意外でもなんでもない。タイトル倒れだな、これは。でも、分かってしまえばそんなものなんだよ」
「そうですね」
 一瞬、空気さえ固まってしまうような間があった。
 助手は窓から通りを見た。行きかう人が大勢見えるが、だれもここに入ってくる気配はない。
 逆リーディング法、と助手はその言葉を覚えるために小さな声でつぶやいた。

03

 助手のワットソンは、今日も窓から見える通りをぼんやり眺めていた。
 アルバイト三日目である。
「スグルさん、今日もだれも来ませんね」ワットソンは不安をそのまま口にした。通りは、祭りの日の神社へ続く道のように、人が多く、にぎやかだった。
「そうだな、まあ良いじゃないか、世間が平和な証かもしれないよ」
 やっぱり、と助手は胸をなでおろす。ここで働けたことを素直に喜んだ。
「ワットソン君、あそこの棚にある本をとってくれないか」
「あ、また推理ですね」
「いやまあ、こんな心地よい日はな」
 助手は、立ち上がり棚から本を取り出す。
「これで良いですか、『レトリックは脳でどんな音頭を踊るのか』」
「そうだな、それとその隣のやつ」
「はい、『今日の朝ご飯はもうすでに昼ご飯』ですね」助手は二冊の本を探偵に渡す。どちらもかなりの厚みがある。内容も難しそうだ。
「うん、これぐらいがちょうどいい」
「二冊とも難しそうですね」
「内容なんかどうでもいいのだよ。大事なのは高さだ。あと、タオルを一枚持ってきてくれ」
 はい、と助手はクローゼットから青と白のボーダーのタオルを取りだし、探偵に渡した。
「ありがとう。じゃあ、おやす……」
 タオルを本にかけ、その上に頭をおき、一瞬にして眠りについた探偵の姿を見て、助手は声をかけるのをやめる。
 これは、きっと推理法のひとつだ。本を枕に夢の中で推理する。
「ドリーミング推理法」。きっとそうに違いない、と助手は思う。

 時は早送りした映像のようにあっという間に流れた。
 助手もじっと待つうちに眠ってしまったようだ。
「うーん」助手が眼を覚ますと、探偵もちょうど起きたところだった。
「スグルさん、おはようございます」
「ああ。ワットソン君、君も寝たようだね。でも、ダメじゃないか、ほらテーブルによだれがたれているよ」
「すいません。そうか、それでタオルなんですね」
「そうだ。それに、こうやって本で高さを調整すれば、首も痛くならないんだよ」
「なるほど。あっ、推理は?」
「推理って?」
 推理じゃないんだ、助手は落胆した。しかし、テーブルで寝るときは本とタオルを使うと良いということを知り、助手は気を持ち直す。窓のむこうからさす光が二人の身体を淡いオレンジ色に変えている。
 ドリーミング推理法、と助手は幻となったその言葉を小さな声でつぶやいた。


05

 助手がアルバイトを始めて、五日目になった。相変わらず、探偵事務所の前の道を行き交う人の足が事務所の方へ向かってくることはない。道に落ちたペットボトルのふたを拾いながら、助手はこの世界の平和をかみしめた。
 事務所の入り口のドアの横にある木の看板を見ながら、助手は初めてここを訪れたことを思い出す。

「君、名前は?」
「渡です」
「ワタリさんね、ワタリさん、ワッタリさん……。うん、ちょうどよい。君は今日からワットソン君だ」
 
 新しい呼び名に喜んだその時の自分を思い出しながら、助手は看板の『読書探偵事務所』の文字を見つめた。
 そういえば、と助手は読書に関連した推理法を一つしか教えてもらっていないことに気づく。数々の難事件を、彼はその独特な推理法を駆使して解決してきたはずだ、と肩をはずませ事務所の中に戻り探偵に尋ねた。

「スグルさん、他の推理法を教えてください。逆リーディング法以外の」
「どうしたんだ急に。悪いが、ワットソン君。推理法はあれしかないのだよ」
「えっ、でも読書探偵って言うからには、本にまつわる技があるんですよね?」
「まあ、あった方がいいかなって思って考えたんだけどね。君の言った、ドリーミング推理法はいいかもしれないね」
「じゃあ、どうして読書なんて名前つけたんですか」助手の言葉は速くなる。
「つけたわけじゃないんだよ」
「え?」
「苗字なんだよ、私の苗字。読書スグルは本名だ。ヨミカキスグル」

 一瞬、地球の自転さえ止まってしまったかのような静寂が訪れた。
 苗字なんだ、助手は自分の早とちりに気づかされ、顔が赤くなる。しかし、窓の外で雲の切れ目から夕日が顔を出し、真っ赤な光で助手の恥ずかしさを消してくれた。
 
 がっかりした自分を隠そうともせず、助手は両肩を落とし、探偵に背を向け入り口へ向かう。
 ヨミカキスグルって、なんじゃそれ、と助手は探偵の名前を憎々しげにつぶやいた。
 ドアの向こうに、美しいがどこか影のある未亡人が立っていることにも気づかずに。

 

   ひょっとしたら続く



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