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手に取った本は『妖怪画廊』。このS市出身の有名漫画家が描いた妖怪画集である。
「田舎に潜む妖怪たちが、現代に蘇って人々を襲う……なんてどうよ?」
そう、何故気付かなかったんだ。S市を舞台にした話ならこれほどうってつけの題材はないはずだ。S市は妖怪の街として徹底的に観光客にアピールしている。駅の妖怪看板だけでなく、妖怪のバス、妖怪の駅、妖怪のジュース、妖怪のトイレ……最近は巨大な妖怪の石像を作ったとか。もう狂っている。この市は成分構成、妖怪百パーセントでできているらしい。
ページをパラパラとめくると、そこにはおどろおどろしい、それでいてどこか魅力的な妖怪たちの絵が解説付きで沢山掲載されている。キャラクターとして申し分ない、デザインや習性といった必要な資料もここにある。
「でも、できるの? 妖怪なんて……」
「三年くらい前だったかな、高校生だった頃、妖怪コンテストってあっただろ?」
妖怪コンテストとはS市主催で行われたイベントで妖怪のコスプレをしたり、オブジェを作ったりしてその出来を競い合うというものだ。俺たちは参加しなかったが、優勝賞金が出るってことで参加者はけっこういたらしい。
「あれ、新聞で写真だけ見たんだけど、上位作品はなかなかの出来だったぜ」
俺は妖怪画廊の一ページを開き、瑠璃に見せる。
「これは『一反木綿』、布が宙を舞い、首に巻き付いて絞め殺すって妖怪だ」
「怖っ……」
「怖いだろ? でもこいつはただの布なんだよ。布が飛んで巻き付いてくる。妖怪ってのは、こういう日常品が化け物になって襲ってくるとかいうのも、けっこういるんだ。九十九神ってやつ。そういうのをチョイスして登場させれば、特殊メイクとか着ぐるみのことは考える必要がなくなるわけだ」
閉ざされた小さな田舎町に夜な夜な現れる九十九神たち。主人公は勇敢にもそいつらに戦いを挑み、途中少女と恋に落ちる。最後には妖怪たちを倒してハッピーエンド、だが惨劇は終わらない……。
思いついたことを紙の上に書き殴っていく。
「どうよ?」
「いいじゃん、和製妖怪ホラー映画ってうちの学校じゃあんまりないし」
よし、基本プロットはできた。あとは細かいところを作りこんでいかないとな。妖怪モノっていったらコミカルなのが多いから、俺たちは観てる人間が失禁するぐらい怖い怪奇映画を撮ってやるぜ。
「そういえば……」
赤夏がおもむろに口を開く。
「何だ?」
「トトロの後半でメイがいなくなるシーンあったよな?」
「ああ、それがどうした」
「で、池で靴が見つかって、サツキが確認したらそれはメイの靴じゃないって一安心したわけだ」
「あ!?」
瑠璃が何かに気付いたらしく、驚きの声を上げる。
「何だ? 靴がどうしたってんだ?」
若干の含み笑いをした後に、赤夏は嬉しそうに告げる。
「メイのじゃないなら、あの靴、誰のだったんだろうな?」
俺は背筋に冷たいものを感じた……そうか、なるほど。メイではない誰かの靴が池に浮かんでいる、つまり他の誰かがあの池には沈んでいる……そしてその可能性には目もくれず、ただひたすらにメイを探し続ける村人たち。
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何故、そこまで盲目になって余所者であるメイに気をとられているのか? 他の子供のことが見えなくなるほどに。
いや、他の子供どころではない、村人にとっていなくなられては困る何かがメイにはあるのか? 思えばここの村人たちは越して来た当初から異常なほどに余所者に寛大だった。田舎の集落というのはかなり余所者に対して排他的だ。とくに一昔前ならなおさら。
だが、あそこの村人は違った、ともすれば馴れ馴れしいとさえ思える態度。何も知らないメイたちは、何かしらの意図があってこの村に送り込まれてきたのではないのだろうか? そして彼女たちに歩み寄る、トトロの足音……。
そういえば、こんな都市伝説がある。
『となりのトトロ』の後半、夕方のシーン。大人たちには影があるのに、よく見るとサツキとメイは影が無い。
実はトトロは死神で、サツキとメイは猫バスにあの世へと連れて行かれてしまったのだ。
影がないのは、二人はもうこの世にいないということを暗示している。『となりのトトロ』は死への物語。
少し勘ぐって考えると、作中では語られることのない田舎の暗部やオカルトめいたものが見え隠れする。訝る暗鬼、真昼の狂気、トトロ様の祟りじゃぁ! の世界だ。
もちろんこれは単なる妄想だ。ジブリが聞いたら烈火のごとく怒り出すだろう。だが、古い田舎の町というのはそういう闇と紙一重のところに存在しているのだ。今の世にそんな怪しい風潮や祟りなんてものは存在しないだろうが、重大なのはそういうことがあってもおかしくないという雰囲気だ。
そして、S市というところは田舎の妙な閉鎖感を多分に含んでいる。妖怪を売りにした怪奇な雰囲気も……ここで撮影ができるというのは、大阪のクラスメイトたちに対する大きなアドバンテージとなるかもしれない。
「いいじゃないか、『となりのトトロ」路線」
俺は無意識に顔が綻んでいた。作品の方向性はこれで決まりだ。
翌日、俺たちは市立図書館にやってきた。
理由は二つ。一つは資料集め。映画や妖怪のもっと詳しい資料が欲しいというのもあったが、一番の目的は図画工作の本だ。妖怪を作ると決めたからにはやはりそれなりのものを作りたい。図工の本は子供向けだが侮るなかれ。低予算、低技術、短時間で工作を作り上げるためのバイブルだ。
二つ目の理由は図書館の雰囲気。これが俺は好きなのだ。静かで、所せましと並んだ本棚、大量の書物……本好きにはたまらない。
中学の夏休みなどはべつに調べ物はなくても毎日通いつめたものだ。暑い外界と遮断された空間、窓から差し込んでくる白い光、そんな中で机に本を積み一冊ずつ読んでいく。そうやって一日を過ごすのだ、まさに至福。本と無縁な人間にはまったく理解されないのが悲しいが……。
「迅君、見てこれ。可愛いー♪」
瑠璃が動物図鑑を持ってやってくる。開いているのはパンダのページだ、赤ちゃんパンダが何匹も積み重なり団子になって遊んでる。
て、君は一体、何しにここ来たんだ! たしかに可愛いけど……。
赤夏は隣で我関せずと黙々と本を読んでいる。手にしているのは『全国妖怪伝承』。机には『日本映画の歴史』『特殊撮影技法』『小説の書き方』『怪奇大百科』『学校の怪談大事典』と児童書から専門書まで幅広く。俺はというと『楽しい工作1』から、怪獣の作り方という項目をノートに書き写し中だ。
他人から見たらこのグループは何の調べものをしているかまったくわからないだろうな。
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まあ映画作りとは一般人からみたら意味不明な行動の積み重ねだが。クリエーターとは常に孤独なものである。
「さてと……」
必要事項は記入完了。持ち出した図工本三冊を抱え児童書コーナーに向かう。先程の本を棚に戻し奥の掛け時計に目をやる。午後三時、図書館に来てから一時間ほどか。閉館は六時だからまだまだ時間的余裕はあるな。
工作コーナーの裏側、怪談コーナーを覗いてみる。『悪魔百科』『怪獣百科』『世界の妖怪』『幽霊・怪談全集』……懐かしいな、子供の頃はこういったタイトルを見るだけでわくわくしたものだ。
下の方には古い怪談の原文や、妖怪や伝承を民族学的に検証した大人向けの怪談本が並んでいる。そこから目についたタイトルを適当に二冊とって、次の棚へ進む。
アニメ・漫画コーナー。といっても図書館なので、漫画本がそのまま置いてあるわけではなく、漫画の描き方とか歴代アニメの全集やビジュアルファンブック等がある棚だ。そこから一冊手にとり、すでに持っている本に重ねる。漫画やアニメの描き方は絵コンテ(絵コンテというのは、映画の画面をカットごとに絵であらわした漫画のようなもの。これを元に、絵と同じになるように撮影していく)を描くのに役立つのだ。あとは……。
「おっ」
見つけた、このコーナーに来たもう一つの目的の物を。それは棚の端の方にまとめて並べられていた。
『コスプレヒロインの描き方』『戦闘少女解析』『萌え萌え美少女図鑑』……そう、男は美少女が大好きだ。作品を作る以上はユーザーのニーズに応えなければヒットは望めない。
瑠璃は素材としては申し分ない美少女だ、あとはその魅力を引き出せるかは俺たちの描くキャラクター性次第。どういう性格が受けるか、やはり今流行りはツンデレか? それとも妹キャラか? ご主人様ぁとか言うメイドキャラか?
衣装はどうすべきか、セーラー服、メイド服、チャイナドレス、着物……どういうものが萌えを誘い、劣情を掻き立てるのか? そういうことを研究するための資料である。一応、断っておくと、決して俺の趣味ではない……ほんとだって。
しかし、これを児童書コーナーの一角に置いとくのはどうかと思うが。他に適切な場所なかったんだろうけど、明らかに大きなお友達向けだろう、これは。さすがに十八禁になるようなものはないけど、水着とかパンチラとか下着姿とか普通に載ってるし。
「ふーん、迅君、そんなの読むんだ……」
「うおぉっ、瑠璃!」
いつの間にか背後に立っていた瑠璃につい大きな声を出してしまう。静粛な利用者たちの非難の目線がこちらに集中した。
「な、何だよ」
「暇だったからついて来たんだけど」
ついてきたってことは最初からいたのか? 全然気配を感じなかった……この娘は尾行とか、暗殺とかの才能がありそうだ。とにかく無言で人の後ろに立つ癖をなんとかして欲しい。
「まさかそんな人に言えないような本、探してるとは思わなかったから、ごめん」
「い、いやこれは資料だ! ヒロインを描く為の……」
「ヒロインって、あたしにそんな格好させる気なの?」
ああ、なんかどんどん墓穴掘ってややこしい方向に……。
「……いいけどさ、べつに」
「いいんかい!」
普通にオーケーする瑠璃に、ついまた大きな声で突っ込んでしまう。
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わからん、こいつの考えてることは俺にはまったくわからん……まあとりあえずコスプレキャラはオーケーということは、こちらにとってはありがたいことだが。とりあえず目当ての本を手にした俺は赤夏のいる机にと戻る。
赤夏は『小説の書き方』を読んでいる最中だった。
「何かいいネタあったか?」
俺の問いに、本から目を離すことなく答える。
「ああ、これけっこう話作る参考になるぞ」
「そうか、後で内容教えてくれ」
映画を作るにおいて、漫画や小説の書き方を基にして研究していく。学校でアート映画を作ってる人間からは失笑しかされないだろう。
だがそれで良い、俺たちは俺たちのやり方でぶちかます! 人と同じことやってたってトップはとれない、観客のニーズに応えつつ、いかに俺たちにしかできないことをするか。情熱無き作品に名作無し、この形式縛られない情熱が俺たちの武器だ。
真面目になんてクソ食らえ、芸術なんてクソ食らえ! 娯楽上等、B級上等、萌え上等だ!
再び調べ物に励む俺の隣で一人することのない瑠璃はつまらなそうにしている。俺の持ってきた本を適当に手に取りパラパラとめくり始めた。
「この辺って、けっこう色んな風習あるんだね」
「ん? そうかな」
「何か色々書いてあるよ」
瑠璃が手にしているのはS市の祭りや行事ごとに関する文献だ。
「ああ、昔はどうか知らないけど、最近はあんまないと思うよ。俺の知る限りでは、とんどさんくらいのもんかな」
「とんどさん?」
聞きなれない単語に首を傾げる瑠璃。無理もない俺も初めて聞いたとき、この奇妙な名称はかなりひっかかった。とんどって何だ? 何でさんづけなんだ? と。真相はいまだにわからない。
「あれだ、何か正月に習字とかお札とか持ち寄って燃やす行事」
「はぁ……?」
瑠璃はいまいち、ピンと来ていないようだ。まあ、俺自身も詳しくは知らないのだから、そんな奴の説明で理解できる方がおかしいか。
「それって、行事なの?」
「燃やすもの集めるときに、行列組んで笛吹いたり太鼓叩いたりして、一応儀式みたいなことするらしい。そこで餅やいて、食べると一年健康にすごせるとか、どうとか。俺は参加したことないからよくわからんけど。とりあえず厄除けの儀式なんだと」
「ふーん……」
おそらく全くビジョンが浮かんでないであろう瑠璃は、パタンと本を閉じアニメの解説ブックを読み始めた。
俺も読みかけの『日本の妖怪』に目を落とし、研究を続ける。
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『「鬼」
鬼は多くの民話などに登場し、邪悪な者、恐ろしい者の象徴とされている。日本の妖怪の中でも最も有名な物の一つだろう。
一般的に伝わる姿形は、頭部に角を生やし、鋭い爪と牙を持つ大男である。肌の色は赤や青で、虎の毛皮の褌をしていたり、棘のある金棒を持った者もいる。』
解説文の隣には江戸時代に描かれたという、人を食らう鬼の絵が掲載されていた。絵本などに載っているコミカルなものではなく、恐ろしい形相の人食い鬼だ。
桃太郎といった有名どころを中心に、日本にある鬼の伝説がいくつか紹介されている。
『これらの中で最も恐れられていた最強の鬼が酒吞童子だ。酒呑童子については室町から江戸時代にかけて書かれた中世小説、御伽草子に詳しく描かれている。
その姿は、真っ赤な顔に乱れた赤髪、見上げるほどの巨大な体躯に五本の角と十五個の目玉を持つ。大江山にて多数の鬼を従え、龍宮のような御殿に棲んでおり、たびたび若い貴族の娘をさらいに京の都へ降りてきたといわれる。
誘拐した姫は側に遣えさせ、ときに生のまま喰らい、生き血を啜ったこともあったという。あまりの凶悪さ強大さから、後述する白面金毛九尾の狐と崇徳天皇の大天狗と並び、日本三大悪妖怪と謳われている』
こんな具合に有名な者、強大な者、愛嬌のある者、全国の様々な妖怪について、参考画付きで詳しく説明されている。恐ろしく分厚い本なのでここで全てを読み切ることは不可能だ。五分の一程度読み終えた辺りで閉館時間に。
この一日で書き写したのはノート三冊分。さらに読みきれなかった家で深く読み込みたい本(先程の『日本の妖怪』、そして『S市の怪談・伝承』『小説の書き方』『萌え萌え美少女図鑑』)を貸し出し手続きする。
夏は日が長いので、この時間でもまだ外は明るい。ほんのり夕日色に照らされながら、赤夏の車に揺られ、三人で本日の収穫を語り合う(ちなみに俺は車の運転はできない、免許は一応高校卒業時に取得したのだが、それ以降まったく乗っていないペーパードライバーだ)。
前日の話し合いで既にある程度のあらすじは固まっていたが、今日のでかなり細かいところまで物語は完成した。後は家に帰り、参考資料を見ながらパソコンでシナリオを作る。今夜は眠れそうにないな。
「ほらよ」
いつの間にか車は俺の自宅に到着していた。S市は小さな市で、車なら三十分もあれば一周できる程度の広さしかない。
俺は助手席から降り、後部座席のドアを開けてやる。瑠璃は軽くお礼を言って、ヒョッコリと出てくる。
「じゃあ、シナリオできたら連絡するわ」
「おお、こっちもいい案あったらメールする」
そう言って、車を出す赤夏。赤い太陽に照らされた車は、ネギの道の彼方へ消えていった。
ふと玄関の方を見ると、家の前に学ラン姿の一人の少年が。中学生くらいだろうか。俺たちを見て、あからさまに挙動不審になる。
「あ、あの……鵲さんとこの方ですか?」
「そうだけど。君は?」
「はい……友希英さんの同級生の、松井茂って言います。あの、これ……」