目次
序章  「日曜日の朝」
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第一章「アル晴レタ、昼下ガリ」
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第二章「精霊と青年」
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第三章「決戦、妖怪都市」
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第四章「夏の想い出」
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第五章「堕天使の囁き」
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第六章「世界ノ終ワリ……」
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最終章「永久に醒めぬ夢」
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第一章「アル晴レタ、昼下ガリ」

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第一章「アル晴レタ、昼下ガリ」

 

 

「ふう、やっと着いたな」

 

 無人駅のホームに降り立った俺は、大きく伸びと深呼吸をした。

 住んでいるときは意識したことなどなかったが、都会の汚い空気と違いやはり澄んで綺麗だ。大阪から高速バスに乗ること三時間半、さらにそこから一両編成の電車で三十分移動してようやく到着だ。

「ちょっと休もうぜ……」

 相方がしんどそうに漏らす。もともと細い目をさらに細くし、両手に抱えたパンパンに膨らんだボストンバッグを地面に置いて座り込んでしまった。お気に入りのインディアン姿のスマイリーがプリントされたTシャツには汗が滲んでいる。

 山岸赤夏(やまぎしせっか)、俺の親友……というより悪友といった方が適切な表現か。俺、鵲迅(かささぎしん)と同様の変わった名前をしている。おかげでパンフレットやクレジットで二人の名前が並んでるときなどは芸名か何かと勘違いされることが多いが、れっきとした本名である。

 しかしこの程度でばてるとは体力ないな……まあ、ほとんど人もいないし、ちょっとくらいホームに座り込んでても邪魔にはならないが。

 無人駅とはいえ、大阪の駅と比べてここは本当に何もない。あるのはほっ立て小屋みたいな駅舎と、何故かそれに不釣合いな綺麗で大きな公衆トイレ。そして特徴的な駅の看板だけだ。

 この看板、何が特徴的かというと、なんと一面におどろおどろしい妖怪の絵が描いてあるのだ。他所から来た人間はけっこう衝撃的らしいが、地元民からすると何のことはない、ただの客寄せである。

 俺たちの地元は全国的にも有名な、ある妖怪漫画を書いた作家の出身地だ。T県S市は人口が少なく、喧騒的な都会とは対照的な静かな所だった。

 かといって自然や田舎の情緒があるかといえばそうでもなく、畑が広がっていたかと思うと、その先にパチンコ屋が立っていたり、よくわからん商店が並んでいたりする。

 そんな街にも田舎にもなり切れない、中途半端な地域の唯一のアイディンティティが、この妖怪漫画の大先生というわけだ。市を挙げてプッシュするのもわかる。

 目にかかる前髪をかきあげ、久しぶりのS市を見渡した。線路より向こう側は一面の畑が広がっており、反対側には住宅街が密集している。

 大阪は東京人から見たら全然大したことない田舎と言われているが、S市の様なところから出てきた人間にとってはカルチャーショックを受けるには十分な都市だった。人の流れ、電車のラッシュ、立ち並ぶビル、どこにいても何だかわからない騒音が耳に入ってくる。とにかく忙しい……それに対し、今、聞こえてくるのは、アブラゼミの泣き声と、遙か遠くを走る車の音くらいのもの。心が落ち着く。

 俺と赤夏が大阪の専門学校に進学してから早一年半、都会にも慣れたとはいえやはり地元が一番だ。普段は意識しなくとも、ふとした瞬間に良いなと思える、それが本当の郷土愛というものなのかもしれない。

 情緒的な気分に浸っていた俺の周囲の気温がわずかに上がった……いや、正確には周囲ではなく背後。いつのまにか、近寄っている気配、背中に立つ何か、その体温が俺に伝わってきたのだ。

「うわぁぁっ」

 突然背中にのしかかる重量感、二本腕が首に巻き付き、肩越しに人の顔が。突然のことに心臓が止まるかと思った。

「おかえりぃ、迅君!」

 びびった、マジでびびった。いきなり不意打ちは反則だ。

飛びついてきた少女は悪びれることなく、プニプニした頬を顔に擦り付けてくる。俺が振り返ると、ピョンッと肩から飛びのいた。ポニーテールに結んだ髪が風にひるがえり、夏の日差しで薄茶色に輝く。

 彼女は鈴木瑠璃(すずきるり)、俺たちより二つ下の十九歳。大きな目がチャームポイント、顔は可愛いが性格的にちょっと抜けているところがある。俺は高校時代は演劇部に入っており、彼女はその後輩だ。学校は違ったが、各校合同の高校演劇祭で知り合い今に至るまで交流が続いている。


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「な、何でいるんだよ!」

「えー、今日帰ってくるって言うから迎えにきたんだよ」

 当たり前のように答える瑠璃。本人には悪気はないらしい。いや、たしかに迎えに来てくれること自体は嬉しいのだが……。

「来るなら来るって連絡くらいしろよ」

「へへ、いきなり行って驚かせようと思ってさ」

 悪戯っぽい猫のように微笑む瑠璃。ああ、驚いたよ、この上なくな……。

しかし元気そうで何よりだ。春休みに帰ってきたときは、俺と赤夏が大阪戻るとき泣いてたからな。

「赤夏君も久しぶりー」

「はいな、お迎えお疲れ様です」

「いえいえ、わたくし、もう少し早く来ようと思ったところ、遅れてしまいまして、ほんとにご迷惑を……」

 立ち上がって挨拶する赤夏……どういうやりとりだよ、お前等。

「さて、ここで立ち話もなんだからうちに行くか。お互い積もる話はそれからってことで」

「うん♪」

 俺の家はここから徒歩三分、駅から近い中々よい立地の場所にある。早くクーラーの効いた部屋と冷たいジュースで旅の疲れを癒したい。

ちなみに赤夏の家は、こいつが出て行ってから部屋を妹にとられて、プライベートな居場所がないらしい。

「おい、あれ」

 雨ざらしでひび割れたホームの階段を下りる際に赤夏が何かを見つけた。指差している先は自転車置き場、そして何やら自転車をいじっている大きな人影。

離れた場所からでもそれは一目で外国人だとわかった。肩まで伸ばしたブロンドの髪、身長は目測百八十センチ以上、百六十センチ代というチビの俺や赤夏よりも頭一つは確実にでかい。この暑いのに革ジャンで、サングラスをかけているかなり胡散臭い風貌。自転車の鍵の部分を必死にいじっている。

「馬鹿、指差すな」

「外人さんだー」

「大きな声を出すな!」

 おいおい、勘弁してくれよ……あんまり変なのには関わりたくない。ここら辺は多いのだ、ああいうのが。

そそくさと駅から立ち去り実家を目指す。赤夏と瑠璃はまだあちらを見たままだ。

さっさと来い! 俺が手招きをしてようやく足を動かした。

「あれ絶対チャリ盗んでるよな」

「ああ、ついでに不法滞在でたぶんロシア人だ」

「それ偏見だよ、迅君……」

 S市は港町だから外国からの船が沢山やってくる、その関係で不法滞在外国人が他の地域に比べ異常に多い。

ロシア人、中国人が主でそこ等辺で盗んだ自転車を乗り回してる姿をよく目撃する。それだけなら可愛いもんだが、最近は麻薬だなんだ物騒なモノも持ちこんでるみたいだから油断ならない。極力、近寄らないようにするのが賢明だ。

 駅からまっすぐ家へと続く道路、焼けたアスファルトの上にポツポツと平たくなったネギが落ちていた。この道路にはいつもネギが点在している。

何故道路にネギが落ちているのだろうか? こちらに住んでいるときは当たり前のことで気がつかなかったが、大阪に行って戻ってくるとそういう部分が変に目につく。まったく田舎はわけがわからない。

 ネギの道の先に、大きな白い建物から突き出した「伊藤内科」という看板が見えた。これがうちの目印。この病院のすぐ隣に鵲家はある。


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「よっこらせ。ほら、とりあえず上がれ」

 数ヶ月振りに帰ってきた我が家のドアを開き、赤夏と瑠璃を招き入れる。

「どっこいしょ……」

「おじゃましまーす♪」

この家は二階建てで庭付き、見た目はそれなりではあるのだが、実際は安普請で室内でジャンプしただけでミシミシ軋むという恐ろしい建物だ。数年前に大きな地震があったとき、母親は家が潰れるんじゃないかと本気で死を覚悟したらしい。

 二人には先に二階の部屋に上がってもらった。俺は和室に荷物を放り込んで居間へと向かう。ドアを開けてまず目に入るのが、壁際に置かれたソファーベッド。フローリングの床には白いカーペットが敷いてあり、中央に座卓、その周りに座布団が並べてある。見た目高級そうな外観のものばかり集めているが、実際はすべてが安物だ。そういうところに、見栄と面子を重視する鵲家の人間の気質が現れている。

「おかえり」

座卓で書き物をしている少女が俺に気付いてこっちを向く。いや、正確には玄関からはいった時点で気付いていたはずだが……彼女は面倒くさがり屋なのだ、いちいち出てきたりはしない。

起きてすぐらしく、パジャマ姿のままだ。書きものに邪魔になるらしく、髪だけは落ちてこないように左右の上部を結んでいる。

「あ、友希英(ゆきえ)たん、ただいまー」

彼女は俺の妹、鵲友希英。兄妹でありながらどういうわけか、人相の悪い俺とは対照的に可愛げな顔をしている。日に当たっていない肌は雪のように白く、切長の目が無表情にこちらを見つめている。顔は兄貴に全然似てないのに、無愛想なとこだけそっくりだ。

昔は仲が良かったのに、いつの間にかほとんど口を利いてくれなくなった。なんでだろうか、難しい年頃だからだろうか? 考えると溜息が洩れる……。

「……誰か来てる?」

「え? ああ、赤夏がね。あと瑠璃も」

「お父さんとお母さんは五時頃帰ってくるから」

「それまでには帰すよ」

 まあ、五時まで出かけてるのは電話で聞いてたから、それに合わせて連れてきたんだけどね。うちの両親、特に母親は家に他人を呼ぶの妙に嫌がる。人嫌いな性格のせいか、この安普請の家のせいかは知らないが。

昔から俺が友達を家に呼ぶと嫌な顔をしたし、親父が部下を連れて家で飲み会なんてした日には、ぶつくさ文句ばかり聞かされていた。

 用件だけ告げると友希英は座卓の方に顔を戻す。

何だよ、何だよ、久しぶりなのにさ。もっとお話したかったのにさ。いつもそうなんだが、この作業モードに入った友希英は他人とのコミュニケーションを完全に拒否するオーラを放っている。

 友希英は漫画家志望でいつもこうやって漫画を描いている。前に一度、描き上げたやつを見せてもらったことがあるけど、なかなか面白い。今度の新人賞に送るらしいが、受賞してくれたらいいなと思う。

 部屋で赤夏と瑠璃を待たせてることを思い出す。あんまりゆっくりはしてられないな。居間の奥にあるカウンター付きのキッチンからジュースとコップを調達し盆に載せる。あとは何か軽く食えるものが欲しい。

 キッチンに積み上げられた大量のネコ缶の横に置いてある白いカゴ。だいたい母親は買ったものはここに放り込んである。適当にあさるとポテトチップを発見したので、一緒に盆に載せて赤夏たちの待つ二階へ向かう。

「じゃあ友希英たん、俺は上行くから」


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4

 返事はない……シカトですか、そうですか。いや、もしかしたら作業に集中してて聞こえなかっただけかもしれない。うんそうだ、きっとそうだ、そういうことにしておこう。

 階段を上ってすぐ、納戸の隣に俺の部屋はある。内装はそのままだが、今は母親が使っているらしい。俺がいた頃は親父と同じ寝室だったんだが……夫婦が別室で生活し、距離を置いているのは子供の人格形成上あまりよくないという話を聞いたことがある。友希英のあの性格はその影響だろうか? ……いや、関係ないか。

「迅君おかえりー」

「おいおい、遅えよ」

 久しぶりに足を踏み入れる懐かしい部屋。本棚に入りきらず積み重ねたマイナーな書籍や机に飾った怪獣やエイリアンのフィギュア等、全て俺が出て行ったときのままだ。良くも悪くもまったくのノータッチな俺のゾーンは薄っすらと埃を被っている。このマニアックな部屋は、長年住んでいただけあって、離れた後でもここに戻るとやはり気持ちが落ち着く。

 赤夏は部屋の中央に陣取り我が家の飼い猫、ポン太と戯れていた。白い身体で顔の上部に黒頭巾を被ったような柄、どことなくタヌキを思わせる愛嬌のある顔がポン太という名前の由来だ。

 瑠璃はベッドの上に寝転がって、上体を起こしてこちらを見ている。

「どうでもいいけど、くつろぎすぎだお前ら……」

「いいじゃんべつにさー」

「瑠璃、ミニスカでその体勢はかなりきわどいぞ」

スカートを押さえて真っ赤になる瑠璃。一々に反応がオーバーで面白いやつ。

「馬鹿、変態!」

 瑠璃みたいに感情のわかりやすいタイプはいじってると退屈しない。

 盆を置き、赤夏の隣に座ってポン太の頭を撫でてやる。

「何してた?」

「いやぁ、友希英たんとお話しててな」

 まあ、実際にはほとんど会話はしてないんだけどね……。

「ケッ、このシスコンが」

「シスコンとは失礼な。妹と仲が良いのは普通ではないか」

「ほー、仲が良いのか? 俺にはいつも一方的にお前がひっついてるだけにしか見えんが」

 グサッ……貴様は今、言ってはならないことを言った! 赤夏は長い付き合いだけど、昔から口数少ないくせにさりげなく心に刺さること言うから嫌だ……。

「まあ、妹さんって可愛いもんねー」

 何だこいつら……瑠璃の言い方も何だかどす黒い悪意を感じる……。

 瑠璃の言葉をスルーして、目の前で毛づくろいしているポン太を抱き上げる。

「ポン太ぁ、よちよちー、可愛いなぁ♪」

ポン太の腹に顔をうずめ、すりすりと擦り付ける。この猫の腹は曲者だ。猫の毛というのは非常に触り心地がよく、とくに下に位置して外気に晒されにくい腹部の毛を触る快楽はまさに極上である。毛以外の部分もあなどれない。まずはやはり肉球だ。プニプニとしたこの部位はいつまでも触り飽きることがない。さらに知る人ぞ知るスポット、それは耳だ。親指と人指し指で耳を摘みクリクリと擦り会わすと、何とも言えない気分になる。まさに至福。

しかし、恐ろしいのはその中毒性だ。大阪に出てきてしばらくすると猫肌が恋しくなってきたのだ。次第に耐えられなくなり、ホームセンターのペットコーナーに、猫を触りに通うようになった。ゲージの隅で死んだように丸くなっているリスや、ミイラみたいなニンジンをかじるウサギたちと一緒に並んでるのから救出してやりたかったが……悲しきかな、アパートはペット禁止なのだ。それ以前に買ってやるだけの金が無いし。とにかく俺は猫ジャンキーになってしまっている。


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5

……何だ。赤夏、瑠璃、その目は? その狂った者を見るような目は?

「迅君がおかしいぃ……」

「いかん、これは末期症状だ。精神病院に入れなければ……彼は、猫にすがることでしか自己を保つすべを知らずに育ってしまったのです」

「まあ、大変。でも大丈夫、これからはあたしがあなたを癒してあげるから」

 誰が末期症状だ、勝手に精神病患者にするな。こいつらに治療を任せると、癒すと言いつつ不味い飯を無理やり食わせたり、縛って風呂に沈めたり、あげくロボトミー手術で脳味噌削り取られそうだ……。

「ところで、二人とも大阪ではどう? 楽しくやってる?」

「うーん、まあぼちぼちかな」

 どうと言われても、もう二年目だしさほど変わったこともないが。

「映画監督なれそう?」

 その質問に対し、俺は目を伏せる。

「うーん、まあ監督目指してるわけじゃないんだけどね」

「そうなの? わざわざ大阪の学校まで行って」

結構きついこと言うな。いや、普通の質問か……。

そう、俺たちが通っているのは映画の専門学校だ。といっても将来のこととか深く考えて進学したのではない。俺と赤夏は小学校の頃からの付き合いで、いわゆる幼馴染だ。高校は別々だったが、それ以外は現在を含めて同期。だから二人の趣味もだいたい似通っていて、昔から一緒に絵を描いたりごっこ遊びしたりが好きだった。その延長であるとき、親父のビデオカメラでお遊び的なムービーを作るようになり、そこからなんとなく映画の道へ進学。つまり単に面白そうだからというだけの理由での進路決定だ。十年以上の付き合いだが俺たちの行動理念は変わらない、常にその場のノリが全てなのだ。

監督をめざしてるわけではないというより、はっきり言ってしまうと撮影現場は嫌いだったりする。正直しんどい。楽しむ為にやってた頃と殺伐としたプロ志望の連中との現場ではギャップがありすぎる。その辺は赤夏も嫌というほど感じたようだ。

「とりあえず俺は編集マン、赤夏はカメラマンになろうかって考えてるけどね」

「へー、ちゃんと目処立ってんじゃん。やっぱ凄いね」

嘘だ……。現在、就活の段階になって二人して焦っている。俺が編集、赤夏がカメラが得意というのは事実だが、就職のあてはまったく見つかっていない……。

とりあえず今は楽しい夏休み。嫌なことは忘れよう。うん。

 ふと、ポケットの中に震動を感じる。引っぱり出した携帯のディスプレイには小山隆一の文字が。

「もしもし?」

「あ、鵲くん、おはよ」

 小山隆一というのは学校のクラスメイトだ。夏休み前の課題で数人のグループに分かれて二十分程度の映画を撮らされたんだが、その際にうちのグループで監督をしていた。その関係で連絡網として電話番号交換はしていたのだが、一体何の用だろうか?

「こないだ撮ったやつだけどさ、あれもう一度撮り直そうと思って」

 何だ、そんな用事か。面倒臭い。

「ああ、ごめんけど。俺、今実家帰ってるから」

「いつ帰ってくる?」

「うーん、わかんないなぁ。卒業課題の撮影もこっちでやるから」 


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6

「そっか、まいったなぁ。こっちも人手不足でさ」

 しつこいな。どうも俺はこいつが苦手だ。そもそも映画に対する姿勢や撮る物の好みが俺と違いすぎる、一度、意見違いで険悪なムードになったことがあったし。

「とりあえず、いつ頃こっち戻るかわかったら連絡頂戴」

「うん。じゃあ」

 電話を切る。

まったく、あちらとしてもやる気のない人間に来られても邪魔なだけだろうに。

「学校の友達?」

 瑠璃が尋ねる。赤夏は電話から洩れる声ですぐに誰か気付いたようだった。

「いや、他人以上知り合い未満だ」

「何、その微妙なの」

 そう言って瑠璃は笑う。

「課題の手伝いしてくれっていう催促の電話だ。まったく鬱陶しい」

「ふーん、頼りにされてんじゃん」

「良いように使われてるだけだよ。俺は学校じゃ嫌われもんだ」

クラスメイト共は俺にはろくに近寄りもしないのだから。ある程度、好感を抱いてる人間に対してなら仲良くなりたいと思ってコンタクトをとってくるだろう。それがないということは、皆俺のことをよく思ってはいないということだ。さっきみたいに人を利用しようとするときは例外的だが。ならば俺の方からも彼等に対して払う敬意などない。

「迅君たちの学校って授業で映画とか観れるんでしょ? いいなぁ」

 いいなぁ……か。まあ瑠璃のような内情を知らない人間がそう思うのも無理はないか。俺たちだって入学前はそう思ってたわけだし。

「それがあんま楽しくもないんだなぁ、これが」

「何で?」

「えっと、こないだ観たやつは何だったっけ?」

「『DOG・STAR・MAN』だよ……」

 赤夏が憂鬱そうな顔で答える。そう、そんな名前のタイトルだった。正直、ほとんど覚えていないし、二度と観たいとは思わないが……。

「聞いたことないなぁ、どんな映画?」

「『MAN』つまり人間を視点の中心に据え、自らより小さいものとしての対象に『DOG』つまりは犬、大きいものの対象として『STAR』、星を設定し、明滅やイメージの連鎖、及び見るものの思考と視覚、むしろ五感の分裂を拡大・縮小させながら、その3つの次元を軽々と越境する。マクロもミクロも過去も未来も現在も全て等価であるように扱われ、だからこそ強者-弱者の理論や進歩史観、搾取、暴力、貧困、専制や民主、あるいはエコ、などなど、あらゆる問題を越えて、ある。だがそれは神の視点ではない。ブラッケージは『MAN』であり、愛犬と愛する自然との関わりの中で、己の足元を見つめた傑作……らしい」

 というのはテスト対策のために配られた解説プリントの一説を暗記したものだが。

「あ、あの……もうちょっとわかりやすく言ってくれると嬉しいかな……かな」

「ようは意味不明な映画ってこと」

 身も蓋もない言い方で赤夏がスッパリと言い切る。

「その前に観たのは『アンダルシアの犬』だったよな、あれは多少マシだったけど」

「俺、あれ全然ダメ。冒頭からグロいし。鵲、やっぱおかしいぞお前」


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7

 『アンダルシアの犬』は椅子に座った女性の目玉が剃刀で切られるシーンから始まるショッキングな作品。ちなみに有名な「記憶の固執」の(あの時計がチーズみたいに溶けてる絵)の作者である、サルバドール・ダリが脚本をしている。似たタイトルのアニメがあるので間違えないように注意すべし……といっても普通のレンタルビデオ屋には置いていないが。

「『アンダルシアの夏』ならあたし観たよ? グロかったっけ?」

「いや、それ違う映画だから」

 さっそく勘違いしている人間が一人……。

「まあ要するにイメージ映像とかアート映画ばっかり見せられるわけよ」

「よくわかんないや」

 イメージ映像というのは、直接的描写やストーリーではなく、なんの脈絡もないように見える風景や物などの映像を繋げ、意味を持たせて何かを表現するもの。大体の場合、一般人にはその何かがわからず、意味不明にしか見えない場合がほとんど。

アート映画というのは、エンターテイメント性よりも芸術性を追求した映画。難解で理解し難い内容か、あるいは映像は前衛的で美しいが内容はほとんどないものかが多い。

「あとは身体障害者のドキュメンタリーとか、差別問題云々とか……何ていうの? 辛気臭いっていうか、真面目ぶったっていうか……とにかく、瑠璃が思ってるみたいな今時のハリウッド映画とか観るわけじゃないんだよ」

 学校の授業で見せられたのは、おおよそ一般の人間が『映画』と聞いて思い浮かべるようなものとは違う代物ばかりだった。

 特にB級の特撮やらSF、アクション等が大好きな俺たちとっては正直耐え難く、赤夏にいたっては映画鑑賞の授業中はほとんど寝てしまっていた。

「はぁ……映画の学校っていうと他に何の授業するの? 映画撮ったりとか?」

「ああ、毎回課題を出されてそれに沿って作品を撮らされるんだがな。さっきの電話もまあそれ関連なんだが……これがまた面倒くさいんだよな」

 俺の言葉に瑠璃は不思議そうな顔をする。

「ん? 映画作りたくて学校行ったんでしょ? それに自分の好きな映画撮れるなんて楽しそうじゃん」

「映画作るのは楽しい、そんな風に考えていた時期が俺たちにもありました」

 某漫画キャラを真似た俺の台詞に、赤夏もうんうんと頷く。瑠璃だけはわけがわからないという風に首を傾げている。

「ほんとに好き勝手に映画撮っていいなら楽しいんだけどね」

「駄目なの?」

「結局、さっき言ったみたいな芸術映画がもてはやされる校風だから、嫌でもそういうの撮らないといけないんだよ」

 撮りたくもないイメージ映像を撮る為にカメラを覗いていると、一体自分は何をやってるんだろうというひどく空しい気分になる……。

課題発表のときはクラスメイトが撮った映画を鑑賞して意見し合うのだが、意味のわからない断片映像の作品を何本も、数時間に渡って観せられ「ここのカメラワークが斬新な映像表現で……」といった批評をさせられるのは地獄以外の何物でもない、地獄の黙示録だ。

「そりゃ、ああいう映画って何て言うの、普通とは違う表現とかあるし技術力も高いし単純に凄いとは思うよ。撮ってる人は頭良いんだろうなとも思うけど、映画ってもっと違うと思うんだよなぁ……もっと単純にドンパチしたり、笑えたり、そういうもんじゃないんかなって。少なくとも俺が小さい頃から好きだった映画はそんなんばっかだったよ。学校入ってから、何かつまんないんだよなぁ。最後に卒業制作しなきゃいけないけど、どうしたものか……考えるだけで憂鬱だよ」

 卒業制作、試験のなどろくにない専門学校において卒業前に唯一クリアしなければならない関門。

各自で企画を考え、それに合わせてチームを組み、卒業までに映画を一本取り上げて提出する。そして、生徒全員の作品をホールで上映し、教員と一般の客を交えて審査し、優秀作を選ぶのだ。


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8

 学校で何を学んだか、それによりどれくらいのものを作ることができるのか、二年間の集大成を発表するのだ。

俺の卒業制作におけるチームは赤夏のみ。やる気のない落ちこぼれ二人だ。

この時期まできて、どういう作品を作るかなどはっきり言ってまったく何も考えていない。これは非常にまずい、夏休みから卒業までというと、けっこう時間があるように思えるが映画制作は短くても半年はかかるし、残りの授業や就職活動等を考えるとかなりギリギリだ。

「何かさ、つまんないよね」

「ああ、つまんないよ」

「違う、迅君たちの考え方がさ」

 俺たちの考え方? それは一体どういう意味だ?

「せっかく好きで映画の学校に入ったのにさ、全然楽しそうじゃない……学校の方針がどうとかは知らないけど、迅君だってこういうのがやりたいってのがあって映画学校行ったんじゃないの?」

 俺は髪をかき上げる。

「そうなぁ、撮りたいのはあるよ、うん。例えば銃をバンバン撃ったり、あと宇宙人とか怪獣出てくるやつとかさ。そういう感じの。正直、芸術映画とは対極にあるようなものなんだよ」

「じゃあ、いいじゃんさ。そういうのやれば」

 瑠璃は無垢な顔でそう言う。

「あたし、芸術映画がどうこうとか、迅君たちの行ってる学校がどんなとことかは知らないけどさ、映画ってもっと楽しいものじゃないのかな? 迅君自身がさっき言ってたじゃん。

周りと同じようなの撮って、適当に評価貰って……何か大事なもの忘れてるんじゃないかな? 迅君たちが何をやりたいか、何を表現したいか、それだよ。君たちはクリエーターでしょ?」

 そう言ってビシッと人差し指を立てる。

 何と答えたらいいかわからず、俺と赤夏はお互い目を合わせる。

 瑠璃の言ってること、それは至極もっともだ。俺たちは映画を撮るのが好きで学校に進学したはずだった、だがいつの間にか映画作りを楽しむということを忘れてしまっていた。

「そうだな。どうせ最後だし、思い切り好きなものやって見てもいいかもしれないな……どう思う?」

 俺の言葉に、赤夏はニヒリスティックに目を細めてチラリとこちらを見た。

「やりたい放題やって、めちゃくちゃなもん出して発表会で酷評の嵐、何て言うのははっきり言って最悪だな」

 冷めた口調で言い放つ赤夏。

 ……そうだよな、そう思うのが普通だ。勢いと理想で動く俺と対照的に、こいつはいつも現実主義だ。だからこそこの十年以上の付き合いはバランスがとれていたのかもしれないが……そしてどちらが賢いかというとたぶん、赤夏の方が賢い。

赤夏の協力が得られないとなると、俺は一人で作品を完成させなければならないわけだが……これは不可能に近い。結局、振り出しに戻るという形か。

 溜息をつく俺を横目に、赤夏はコップに注いであったジュースを一口飲む。その後、赤夏の口から出た言葉は少し意外なものだった。

「だから、失敗は許さんぞ。エンターテイメントだろうが、アンチ芸術映画だろうが、やると言ったからにはコンテスト一位狙うからな」

 それに何にしても作品提出しないと卒業できないからな、と少し間を空けて付け足す。

 俺は何か心の中で湧き上がるものを感じた。


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9

 進学してから久しく忘れていた気持ち。向上心とチャレンジ精神だ。少年時代、遊びでビデオを撮っていたときはこの気持ちに溢れていた。出来たものは下手くそな素人作品だが、大好きな映画のワンシーンを再現しようとしたり、どうしたら格好よく撮れるかなど創意工夫して、いつも心は輝いていた。

 やる気の出てきた俺たちを見て瑠璃は嬉しそうに微笑んだ。

「そうそう、そうでなくっちゃ。高校の頃の情熱を取り戻したね♪ さっきまではこの世の終わりみたいな感じだったよ」

 瑠璃の言葉に俺は苦笑いを浮かべる。自覚はなかったが学校の話をする俺たちはそんなにも沈んだ感じだったのか。

 高校の頃と言われ、ふと心の奥底に沈められていた感情が動き始める。そう、何の為に映画の学校へ行き、何がしたかったのか。ここにきてもう一つの目的を思い出した。

「ああ、やってやろう。いやが応にも学校の連中が認めざるえないような作品作って、ギャフンと言わせてやろうぜ」

「うん、あたしも協力するね♪」

 熱く拳を握る俺、相変わらず少し冷めた赤夏、そんな俺たちを見て笑う瑠璃。

 この日から、俺たちの青春の一歩が始まった。

 

 

次の日、赤夏と瑠璃は再び俺の部屋に集合した。本来、我が家を映画制作に会議室変わりにするのは気が進まないが、瑠璃のところは色々厳しいらしく家に上げてもらったことないし、自室すらない赤夏の家は論外。ファミレスとか喫茶店だと金がかかる上にあまり長時間いられない。

平日は両親共に夕方まで仕事に出ているので、それまでの間はなら特に問題はないだろう。それに俺の家だと他にもメリットがある。

「見て見て『双頭の殺人鬼』だって。こんな映画あるんだぁ」

 『怪獣(秘)大百科』を片手にはしゃぐ瑠璃。指差しているページには、頭が二つある怪人の写真が載っている。

他にも巻頭カラーで『原子怪獣ドラゴドン』『死のオオカマキリ』『それは地獄からやってきた』『百万の眼を持つ刺客』etc…映画ファンでも見たことも聞いたこともないような映画のポスター写真が大量に紹介されていた。タイトルを見ればわかる通り、あからさまにB級、下手したらZ級の可能性もある映画ばかりだ。

 最初は奇異なものを見る目で見ていたが、読みふけるうちにマニアック映画の虜になってしまったらしい。

B級映画好きにとってはタイトルとポスターを眺めているだけでワクワクしてくる。いや、こういうのはむしろ本編を見て失望するパターンが多いかもしれない……いずれにしても普通のレンタル屋にはまず置いてないようなタイトルなので、観る機会はなかなかないだろうが。

 普通の女の子は触れることがないだろう未知の世界に興奮する瑠璃とは対照的に、赤夏は黙々と『SF映画大全』を読み耽っている。こちらはメジャーからマイナーまで古今東西のSF映画を紹介する濃い内容の本だ。隣には数冊の本を積んであり、タイトルはそれぞれ『スーパーヒロイン大全』『ガメラ大全』『アニメヒロイン大全』……そう、俺の家にはこの手のマニアックな映画の本が大量にあるので、映画制作に必要な資料に事欠かないのだ。

「さてさて、そろそろ皆の意見を聞かせてもらいたいのだが」

 本を読んでいた二人が顔を上げる。

「意見っつってもな」

「いや、だからとりあえずどういう方向性でいくかだ。漠然と好きなことやるっても話が進まんから、まず何をやりたいかだな。俺は見ての通り、こういう趣味だからSFや特撮、怪奇映画を作ってみたいのだが」

「いいんじゃない、面白そうだし。これに載ってるようなやつ作ろうよ!」

 いや、その本に載ってるようなのってのは駄目だろ、ヒットしなかった一般では誰も知らないであろうマイナーな映画集めた本だし……。


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10

「あたしヒロインやってあげる♪ 憧れの銀幕デビューだぁ」

 演劇部出身の可愛い娘がヒロインをやってくれるというなら、それだけで作品の質はグンと上がる。これは非常にありがたい申し出だ。

 だが、先日は見落としていた大事なことがこの役者の問題だ。映画には当然役者が必要だ、大作を撮るならそれなりの人数が必要になってくる。

俺も演劇部だったので出演もできるが、赤夏も出すとしてもキャストたったの三人……これは大きな問題だ。

 この人数でできるシナリオとなると、かなり限られてくる。

「でね、でね♪ あたし恋愛ものやってみたいなー」

 恋愛モノか……正直、苦手なジャンルなんだが。恋愛を描いた物語が嫌いなわけではないのだが、俺はこの年でろくすっぽ恋愛をしたことがない。だから“恋”というものを描くというのができるかどうか……いや、未知のジャンルに挑戦するというのも悪くないかもしれない。

 商業映画では恋愛を描いたものが売れるから、たとえ不自然だったりストーリー上必要なくても恋愛を入れさせられるってシナリオの講師も言ってたな、そういえば。客受けの面でも恋愛要素を入れるのはプラスだろう。

「赤夏は?」

「そうだなぁ、俺はファンタジー好きだからモンスターとか出したいな。あとアクションも入れたら良いんじゃね?」

ふむ。特撮怪奇モノ、恋愛、モンスター、アクション……一応、一つの作品に全部盛り込むのは可能な範囲だな。

「じゃあモンスターと戦う特撮怪奇モノで、登場人物たちの恋模様も描く、ということでいいかな?」

「異議無し」

二人が声を揃えて返事をする。

「じゃ具体的ストーリーを考えていこう。ファンタジーとかモンスターっても、そんな大層な特殊メイクとかできないから、けっこう限られてくるんだよな」

「とりあえず舞台は現代、そこにモンスターが現れて、そいつと戦う」

「その過程で、ヒロインと主人公が熱い恋に落ちる♪」

「ベタベタだな……」

 まあベタってのは=王道ということでもある。王道っていうのは優れているから王道としての地位を確立しているわけだから問題ないか。シナリオ講師も「物語のパターンはいくつかの通りしかない。ストーリーのある作品は全て、そのいずれかに収まっている。そこに時代背景や、作者の個性、客のニーズなどを加えることで違う物語になっている」って講義で言ってたし。

「問題はそのベタなのを、どうベタに見えないよう俺たちの個性を盛り込むかだよな」

「うーん、よくわかんないけど、とりあえず難しいこと考えずに思ったネタを出し合って、そこからいいやつ選んで繋げたらいいんじゃないかな?」

「よし、そうしよう」

 A4用紙一枚と、使い込んでボロボロの鉄性シャープペンシルを手に取り、三人の中央に置く。その上にペンをスッと走らせ一本の縦線を引いた。この線の一番上が物語の冒頭、下がラストだ。物語がどう進んでいくかをここに順番に書き込んでいく。

「じゃあ、どういう展開にするか、何でもいいから言っていってくれ」

「はい!」

 瑠璃が手を挙げる。

「やっぱり最後はハッピーエンドがいいな」

 それに対して赤夏が反論した。

「いや、怪奇系だとそれはどうかな。怪物は倒して一段落、でも実は生きていて主人公たちに襲い掛かるっていうどんでん返しの方が良いんじゃないか」

B級映画の定番だな。

「でもあんまり後味悪いのにはしたくないなぁ」


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11

「二人の意見は両方とも一理ある。なら、主人公陣はハッピーエンド。だが怪物は生きていて、違うところで復活してまた新たな犠牲者がって形でどうだね?」

「あ、それなら良いよ」

 主人公だけハッピーなら良いってのも何か自己中な気もするが、まあ所詮物語の中の話だからな。

先ほど引いた線の一番下に「主人公たちハッピーエンド。だが怪物は生きていた」と書き込み、ペンを口に咥える。さて、ラストが決まったところで、ここに向かってどういう風に物語を進めていくかだ。それを埋めていかなければならない。

「やっぱりどんなモンスターが出てくるか最初に決めた方が良いんじゃない?」

「そうだな、それによって物語の展開も変わってくるし」

「モンスターといえばドラゴンだ!」

 赤夏が割って入ってくる。て、ドラゴンっておい。

「できるか!」

「何だ、できないのか? じゃあ恐竜」

「俺たちの予算と技術を考えてからものを言え!」

 モンスター……そう、特殊メイクもCGも使わずにこれを表現するとなると、かなり至難だな。赤夏の言うような怪獣のような物はまず不可能だ。となると人の姿そのままの幽霊みたいなのでいくか、ドラキュラとかオペラ座の怪人みたいに人型のモンスターでいくか。

「そうだ、レクターとかジェイソンとかみたいな殺人鬼はどうだ?」

 俺は本棚から『シリアル・キラー』という異常犯罪者の事件概要とプロファイリングをまとめた本を手に取る。

「実際の事件でもあまりに異常な事件を起こす人間はモンスターみたいに言われるじゃん? ミルウォーキーの怪物とか、現代の吸血鬼とか、有名どころだと切り裂きジャックとか。そういう異常犯罪者系で。人間って設定にすれば衣装だけでそんな特殊メイクとかいらないし。そこら辺の家襲って、住民皆殺しに……」

「却下」

 俺の言葉は赤夏の一言に打ち消された。そう、反論というより打ち消すという方がはまる強い言い方で。

「あ、あたしもそういうのはちょっといまいちかな……」

 瑠璃も乗り気でない、というより完璧に嫌なようだ。二人の視線がなんか痛い……少しネタがチープだったか。

「そうだな……となると、なんかこう、難しいな」

 何か場の空気が重いぞ……まさかこんな段階で躓くとは誰も思ってなかったからな。モンスターが出来ないことにはストーリーが作れない。だができるモンスターがない、うむむ……。

「撮るなら、大阪じゃなくてS市だろ? 鵲の家は色々都合が良いし、瑠璃ちゃん出るわけだから。田舎を舞台にして、そこに現れる精霊とかにしたらどうだろ。トトロみたいな」

「トトロって……」

 そりゃ赤夏はファンタジーが好きと言っていたが、さすがにそれは……ほのぼのして全然怪奇でも恐怖でもないじゃないか。

 何気なしに天井を見上げ、それから視線を動かし部屋にぐるっと見渡す。何か、いいネタはないものかと……。

ふと、俺の視線があるところで止まった。本棚に立ててある大量の資料本の一冊に。

「いや……案外いけるかもな」

 俺はおもむろに立ち上がり、その本を引っ張り出す。二人はそんな俺を何事かという目で見上げた。


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12

 手に取った本は『妖怪画廊』。このS市出身の有名漫画家が描いた妖怪画集である。

「田舎に潜む妖怪たちが、現代に蘇って人々を襲う……なんてどうよ?」

 そう、何故気付かなかったんだ。S市を舞台にした話ならこれほどうってつけの題材はないはずだ。S市は妖怪の街として徹底的に観光客にアピールしている。駅の妖怪看板だけでなく、妖怪のバス、妖怪の駅、妖怪のジュース、妖怪のトイレ……最近は巨大な妖怪の石像を作ったとか。もう狂っている。この市は成分構成、妖怪百パーセントでできているらしい。

 ページをパラパラとめくると、そこにはおどろおどろしい、それでいてどこか魅力的な妖怪たちの絵が解説付きで沢山掲載されている。キャラクターとして申し分ない、デザインや習性といった必要な資料もここにある。

「でも、できるの? 妖怪なんて……」

「三年くらい前だったかな、高校生だった頃、妖怪コンテストってあっただろ?」

 妖怪コンテストとはS市主催で行われたイベントで妖怪のコスプレをしたり、オブジェを作ったりしてその出来を競い合うというものだ。俺たちは参加しなかったが、優勝賞金が出るってことで参加者はけっこういたらしい。

「あれ、新聞で写真だけ見たんだけど、上位作品はなかなかの出来だったぜ」

 俺は妖怪画廊の一ページを開き、瑠璃に見せる。

「これは『一反木綿』、布が宙を舞い、首に巻き付いて絞め殺すって妖怪だ」

「怖っ……」

「怖いだろ? でもこいつはただの布なんだよ。布が飛んで巻き付いてくる。妖怪ってのは、こういう日常品が化け物になって襲ってくるとかいうのも、けっこういるんだ。九十九神ってやつ。そういうのをチョイスして登場させれば、特殊メイクとか着ぐるみのことは考える必要がなくなるわけだ」

 閉ざされた小さな田舎町に夜な夜な現れる九十九神たち。主人公は勇敢にもそいつらに戦いを挑み、途中少女と恋に落ちる。最後には妖怪たちを倒してハッピーエンド、だが惨劇は終わらない……。

思いついたことを紙の上に書き殴っていく。

「どうよ?」

「いいじゃん、和製妖怪ホラー映画ってうちの学校じゃあんまりないし」

 よし、基本プロットはできた。あとは細かいところを作りこんでいかないとな。妖怪モノっていったらコミカルなのが多いから、俺たちは観てる人間が失禁するぐらい怖い怪奇映画を撮ってやるぜ。

「そういえば……」

 赤夏がおもむろに口を開く。

「何だ?」

「トトロの後半でメイがいなくなるシーンあったよな?」

「ああ、それがどうした」

「で、池で靴が見つかって、サツキが確認したらそれはメイの靴じゃないって一安心したわけだ」

「あ!?」

 瑠璃が何かに気付いたらしく、驚きの声を上げる。

「何だ? 靴がどうしたってんだ?」

 若干の含み笑いをした後に、赤夏は嬉しそうに告げる。

「メイのじゃないなら、あの靴、誰のだったんだろうな?」

 俺は背筋に冷たいものを感じた……そうか、なるほど。メイではない誰かの靴が池に浮かんでいる、つまり他の誰かがあの池には沈んでいる……そしてその可能性には目もくれず、ただひたすらにメイを探し続ける村人たち。 


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13

 何故、そこまで盲目になって余所者であるメイに気をとられているのか? 他の子供のことが見えなくなるほどに。

いや、他の子供どころではない、村人にとっていなくなられては困る何かがメイにはあるのか? 思えばここの村人たちは越して来た当初から異常なほどに余所者に寛大だった。田舎の集落というのはかなり余所者に対して排他的だ。とくに一昔前ならなおさら。

 だが、あそこの村人は違った、ともすれば馴れ馴れしいとさえ思える態度。何も知らないメイたちは、何かしらの意図があってこの村に送り込まれてきたのではないのだろうか? そして彼女たちに歩み寄る、トトロの足音……。

 そういえば、こんな都市伝説がある。

 『となりのトトロ』の後半、夕方のシーン。大人たちには影があるのに、よく見るとサツキとメイは影が無い。

実はトトロは死神で、サツキとメイは猫バスにあの世へと連れて行かれてしまったのだ。

 影がないのは、二人はもうこの世にいないということを暗示している。『となりのトトロ』は死への物語。

 少し勘ぐって考えると、作中では語られることのない田舎の暗部やオカルトめいたものが見え隠れする。訝る暗鬼、真昼の狂気、トトロ様の祟りじゃぁ! の世界だ。

 もちろんこれは単なる妄想だ。ジブリが聞いたら烈火のごとく怒り出すだろう。だが、古い田舎の町というのはそういう闇と紙一重のところに存在しているのだ。今の世にそんな怪しい風潮や祟りなんてものは存在しないだろうが、重大なのはそういうことがあってもおかしくないという雰囲気だ。

 そして、S市というところは田舎の妙な閉鎖感を多分に含んでいる。妖怪を売りにした怪奇な雰囲気も……ここで撮影ができるというのは、大阪のクラスメイトたちに対する大きなアドバンテージとなるかもしれない。

「いいじゃないか、『となりのトトロ」路線」

 俺は無意識に顔が綻んでいた。作品の方向性はこれで決まりだ。

 

 

 翌日、俺たちは市立図書館にやってきた。

 理由は二つ。一つは資料集め。映画や妖怪のもっと詳しい資料が欲しいというのもあったが、一番の目的は図画工作の本だ。妖怪を作ると決めたからにはやはりそれなりのものを作りたい。図工の本は子供向けだが侮るなかれ。低予算、低技術、短時間で工作を作り上げるためのバイブルだ。

 二つ目の理由は図書館の雰囲気。これが俺は好きなのだ。静かで、所せましと並んだ本棚、大量の書物……本好きにはたまらない。

 中学の夏休みなどはべつに調べ物はなくても毎日通いつめたものだ。暑い外界と遮断された空間、窓から差し込んでくる白い光、そんな中で机に本を積み一冊ずつ読んでいく。そうやって一日を過ごすのだ、まさに至福。本と無縁な人間にはまったく理解されないのが悲しいが……。

「迅君、見てこれ。可愛いー♪」

 瑠璃が動物図鑑を持ってやってくる。開いているのはパンダのページだ、赤ちゃんパンダが何匹も積み重なり団子になって遊んでる。

 て、君は一体、何しにここ来たんだ!  たしかに可愛いけど……。

 赤夏は隣で我関せずと黙々と本を読んでいる。手にしているのは『全国妖怪伝承』。机には『日本映画の歴史』『特殊撮影技法』『小説の書き方』『怪奇大百科』『学校の怪談大事典』と児童書から専門書まで幅広く。俺はというと『楽しい工作1』から、怪獣の作り方という項目をノートに書き写し中だ。

 他人から見たらこのグループは何の調べものをしているかまったくわからないだろうな。


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 まあ映画作りとは一般人からみたら意味不明な行動の積み重ねだが。クリエーターとは常に孤独なものである。

「さてと……」

 必要事項は記入完了。持ち出した図工本三冊を抱え児童書コーナーに向かう。先程の本を棚に戻し奥の掛け時計に目をやる。午後三時、図書館に来てから一時間ほどか。閉館は六時だからまだまだ時間的余裕はあるな。

 工作コーナーの裏側、怪談コーナーを覗いてみる。『悪魔百科』『怪獣百科』『世界の妖怪』『幽霊・怪談全集』……懐かしいな、子供の頃はこういったタイトルを見るだけでわくわくしたものだ。

 下の方には古い怪談の原文や、妖怪や伝承を民族学的に検証した大人向けの怪談本が並んでいる。そこから目についたタイトルを適当に二冊とって、次の棚へ進む。

 アニメ・漫画コーナー。といっても図書館なので、漫画本がそのまま置いてあるわけではなく、漫画の描き方とか歴代アニメの全集やビジュアルファンブック等がある棚だ。そこから一冊手にとり、すでに持っている本に重ねる。漫画やアニメの描き方は絵コンテ(絵コンテというのは、映画の画面をカットごとに絵であらわした漫画のようなもの。これを元に、絵と同じになるように撮影していく)を描くのに役立つのだ。あとは……。

「おっ」

 見つけた、このコーナーに来たもう一つの目的の物を。それは棚の端の方にまとめて並べられていた。

 『コスプレヒロインの描き方』『戦闘少女解析』『萌え萌え美少女図鑑』……そう、男は美少女が大好きだ。作品を作る以上はユーザーのニーズに応えなければヒットは望めない。

 瑠璃は素材としては申し分ない美少女だ、あとはその魅力を引き出せるかは俺たちの描くキャラクター性次第。どういう性格が受けるか、やはり今流行りはツンデレか?  それとも妹キャラか?  ご主人様ぁとか言うメイドキャラか?

 衣装はどうすべきか、セーラー服、メイド服、チャイナドレス、着物……どういうものが萌えを誘い、劣情を掻き立てるのか?  そういうことを研究するための資料である。一応、断っておくと、決して俺の趣味ではない……ほんとだって。

しかし、これを児童書コーナーの一角に置いとくのはどうかと思うが。他に適切な場所なかったんだろうけど、明らかに大きなお友達向けだろう、これは。さすがに十八禁になるようなものはないけど、水着とかパンチラとか下着姿とか普通に載ってるし。

「ふーん、迅君、そんなの読むんだ……」

「うおぉっ、瑠璃!」

 いつの間にか背後に立っていた瑠璃につい大きな声を出してしまう。静粛な利用者たちの非難の目線がこちらに集中した。

「な、何だよ」

「暇だったからついて来たんだけど」

 ついてきたってことは最初からいたのか?  全然気配を感じなかった……この娘は尾行とか、暗殺とかの才能がありそうだ。とにかく無言で人の後ろに立つ癖をなんとかして欲しい。

「まさかそんな人に言えないような本、探してるとは思わなかったから、ごめん」

「い、いやこれは資料だ! ヒロインを描く為の……」

「ヒロインって、あたしにそんな格好させる気なの?」

 ああ、なんかどんどん墓穴掘ってややこしい方向に……。

「……いいけどさ、べつに」

「いいんかい!」

 普通にオーケーする瑠璃に、ついまた大きな声で突っ込んでしまう。


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 わからん、こいつの考えてることは俺にはまったくわからん……まあとりあえずコスプレキャラはオーケーということは、こちらにとってはありがたいことだが。とりあえず目当ての本を手にした俺は赤夏のいる机にと戻る。

 赤夏は『小説の書き方』を読んでいる最中だった。

「何かいいネタあったか?」

 俺の問いに、本から目を離すことなく答える。

「ああ、これけっこう話作る参考になるぞ」

「そうか、後で内容教えてくれ」

 映画を作るにおいて、漫画や小説の書き方を基にして研究していく。学校でアート映画を作ってる人間からは失笑しかされないだろう。

 だがそれで良い、俺たちは俺たちのやり方でぶちかます! 人と同じことやってたってトップはとれない、観客のニーズに応えつつ、いかに俺たちにしかできないことをするか。情熱無き作品に名作無し、この形式縛られない情熱が俺たちの武器だ。

 真面目になんてクソ食らえ、芸術なんてクソ食らえ! 娯楽上等、B級上等、萌え上等だ! 

 再び調べ物に励む俺の隣で一人することのない瑠璃はつまらなそうにしている。俺の持ってきた本を適当に手に取りパラパラとめくり始めた。

「この辺って、けっこう色んな風習あるんだね」

「ん? そうかな」

「何か色々書いてあるよ」

 瑠璃が手にしているのはS市の祭りや行事ごとに関する文献だ。

「ああ、昔はどうか知らないけど、最近はあんまないと思うよ。俺の知る限りでは、とんどさんくらいのもんかな」

「とんどさん?」

 聞きなれない単語に首を傾げる瑠璃。無理もない俺も初めて聞いたとき、この奇妙な名称はかなりひっかかった。とんどって何だ? 何でさんづけなんだ? と。真相はいまだにわからない。

「あれだ、何か正月に習字とかお札とか持ち寄って燃やす行事」

「はぁ……?」

 瑠璃はいまいち、ピンと来ていないようだ。まあ、俺自身も詳しくは知らないのだから、そんな奴の説明で理解できる方がおかしいか。

「それって、行事なの?」

「燃やすもの集めるときに、行列組んで笛吹いたり太鼓叩いたりして、一応儀式みたいなことするらしい。そこで餅やいて、食べると一年健康にすごせるとか、どうとか。俺は参加したことないからよくわからんけど。とりあえず厄除けの儀式なんだと」

「ふーん……」

 おそらく全くビジョンが浮かんでないであろう瑠璃は、パタンと本を閉じアニメの解説ブックを読み始めた。

俺も読みかけの『日本の妖怪』に目を落とし、研究を続ける。


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『「鬼」

 

 鬼は多くの民話などに登場し、邪悪な者、恐ろしい者の象徴とされている。日本の妖怪の中でも最も有名な物の一つだろう。

 一般的に伝わる姿形は、頭部に角を生やし、鋭い爪と牙を持つ大男である。肌の色は赤や青で、虎の毛皮の褌をしていたり、棘のある金棒を持った者もいる。』

 

 解説文の隣には江戸時代に描かれたという、人を食らう鬼の絵が掲載されていた。絵本などに載っているコミカルなものではなく、恐ろしい形相の人食い鬼だ。

 桃太郎といった有名どころを中心に、日本にある鬼の伝説がいくつか紹介されている。

 

『これらの中で最も恐れられていた最強の鬼が酒吞童子だ。酒呑童子については室町から江戸時代にかけて書かれた中世小説、御伽草子に詳しく描かれている。

 その姿は、真っ赤な顔に乱れた赤髪、見上げるほどの巨大な体躯に五本の角と十五個の目玉を持つ。大江山にて多数の鬼を従え、龍宮のような御殿に棲んでおり、たびたび若い貴族の娘をさらいに京の都へ降りてきたといわれる。

 誘拐した姫は側に遣えさせ、ときに生のまま喰らい、生き血を啜ったこともあったという。あまりの凶悪さ強大さから、後述する白面金毛九尾の狐と崇徳天皇の大天狗と並び、日本三大悪妖怪と謳われている』

 

 こんな具合に有名な者、強大な者、愛嬌のある者、全国の様々な妖怪について、参考画付きで詳しく説明されている。恐ろしく分厚い本なのでここで全てを読み切ることは不可能だ。五分の一程度読み終えた辺りで閉館時間に。

 この一日で書き写したのはノート三冊分。さらに読みきれなかった家で深く読み込みたい本(先程の『日本の妖怪』、そして『S市の怪談・伝承』『小説の書き方』『萌え萌え美少女図鑑』)を貸し出し手続きする。

 夏は日が長いので、この時間でもまだ外は明るい。ほんのり夕日色に照らされながら、赤夏の車に揺られ、三人で本日の収穫を語り合う(ちなみに俺は車の運転はできない、免許は一応高校卒業時に取得したのだが、それ以降まったく乗っていないペーパードライバーだ)。

 前日の話し合いで既にある程度のあらすじは固まっていたが、今日のでかなり細かいところまで物語は完成した。後は家に帰り、参考資料を見ながらパソコンでシナリオを作る。今夜は眠れそうにないな。

「ほらよ」

 いつの間にか車は俺の自宅に到着していた。S市は小さな市で、車なら三十分もあれば一周できる程度の広さしかない。

 俺は助手席から降り、後部座席のドアを開けてやる。瑠璃は軽くお礼を言って、ヒョッコリと出てくる。

「じゃあ、シナリオできたら連絡するわ」

「おお、こっちもいい案あったらメールする」

 そう言って、車を出す赤夏。赤い太陽に照らされた車は、ネギの道の彼方へ消えていった。

ふと玄関の方を見ると、家の前に学ラン姿の一人の少年が。中学生くらいだろうか。俺たちを見て、あからさまに挙動不審になる。

「あ、あの……鵲さんとこの方ですか?」

「そうだけど。君は?」

「はい……友希英さんの同級生の、松井茂って言います。あの、これ……」


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17

 そう言って、プリントの束を差し出す。夏休みの心得、新学期の予定、その他諸々。なるほど教師に頼まれて、休みの友希英に配布物を持ってきたわけか。専門学校は既に休みだが、中学は今日が終業式だったか。

 家まで行って知らない家族と会うというのは非常に緊張する。先程の挙動不審具合も、納得した。俺も人見知りだから気持ちはよくわかる。女の子の家だったら尚更だろう。

「ありがと」

「は、はい……じゃあ」

 茂は軽く会釈すると自転車に乗って走り去って行った。彼も大変だねえ。

「何もあんなに逃げるように去っていかなくてもいいのにな」

「迅君が怖いんだよ、目付き、きついもん」

 そう言ってクスクス笑う。てか、気にしてるんだからそういうこと言うなよ……。

 さて、時刻は一八時半、もう親も戻ってるだろう。俺も家に戻って、今日得たインスピレーションをキーボードにぶちまけるとするか。

「じゃあな、瑠璃」

「ちょっと待ってよ!」

 目の前にある自宅に足を進める俺の腕を、瑠璃が思い切り引っ張った。

「何だ?」

「駅まで着いてきてよ」

 瑠璃の家はS市ではなく、隣のY市にある。だから毎日、電車でこっちまで来ているのだ。こちらとしても気を使うので、べつに役者として出るときだけで良いよって言ってるのだが、作る段階から参加したいと言って聞かない。まあ瑠璃はS市の専門学校行ってるから定期券持ってるみたいだし、こちらとしては人数は多い方が嬉しいのでべつに構わないが。

「ん、駅まで歩いて三分もかからんぞ」

「電車の時間が何分かわかんないからさ」

 ああ、なるほどね。これが田舎の嫌なところなのだ。大阪では電車を乗り過ごしても五分~十分後には次のが来るが、ここではタイミングが悪いと一時間待ちとかざらにある。その間、一人で待っている暇さは筆舌に尽くしがたい。無論、近くに時間が潰せるような店などは存在しない。

「ったく、何か本でも借りてくりゃ良かったのに」

「あたしはS市民じゃないから貸し出しカード持ってないの」

「べつにY市の人でも作れるはずだぞ」

「ああ、もう。うだうだ言わない、とっとと来る」

 さっさとシナリオを書きたい俺の気持ちを他所に勝手に駅の方に歩いていく瑠璃。放っておいてもよかったかもしれないが、それはそれで気が引けるので渋々ついていった。まったく、しょうがないやつだ……。

「ねえ」

「ん?」

 周りを見回しながら瑠璃が呼びかけてくる。今度は何だ? ていうかこの辺の何をそんなに見て面白いんだろうか。

「ここってお墓多いよね」

 ……墓? 瑠璃の目線の先にはたしかに墓場があった。その向かい側、俺たちのいる道路をはさんで反対側にある石垣、その上にも墓地が広がっている。少し後には、どういうわけか民家の隣に三つだけぽつんと墓石が立っている。

 今まで、当たり前のように住んでいたから特に考えなかったが、言われて見ると多いな。周囲を墓に囲まれた道路……夕暮れ時の薄暗さと相まって、なんとも不気味に感じられる。


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18

「ああ、この辺は土着の信仰が強いみたいだから。だから死んだ後も民家に近いとこで埋葬してるんだよ、たぶん」

なんとなく口にしたが、自分でもよくわからん意味不明の理屈だ……あまりにめちゃくちゃなんで、言った後、突っ込みを入れられるかと思ったが、瑠璃はにっこり笑っただけだった。

「そっか……てことは沢山埋まってるんだね、死体」

 なんとなく背中にゾクッとするものを感じた。死体が埋まっているということに恐怖したのではない、何というか瑠璃の口からそういう言葉が出てきたことに。

俺の知る限り、瑠璃は死体とかそういうエグいものの話をする人間ではなかったから。先日、映画のディスカッションで殺人鬼の話を出したときも妙に拒絶していたし……。

 そんな俺の疑問とは裏腹に、瑠璃は一人言葉を続ける。

「ここには、死んだ人の怨念が渦巻いてるってわけだねぇ」

「……いや、べつに死んだからって恨み持ってるとは限らないと思うぞ。寿命で死ぬ人もいるわけだし」

「ええー、そんなことないよ。あたしなら死ぬの絶対怖いもん、たとえお婆ちゃんになってても。きっと、死にたくない、死にたくないって恐怖に怯えながら死んでいったんだよ……可哀想にね」

 夕日に赤く照らされる瑠璃の顔、言葉では可哀想と言いながらも、その顔は笑っていた。それもいつもの屈託のない笑みではなく、なんかこうニターッとした不気味な笑顔。

 朱色の空を流れる雲、遠くから鴉の鳴き声が聞こえる……周囲には俺たち以外に誰もいない。正直、俺は家に帰りたかった。というより、こいつと一緒にいたくない。

いつの間にか駅まで到着していた。遠くから遮断機の警報と規則的な車輪音が聞こえる。

「ごめんごめん♪ あたしね、オカルト系ってけっこう好きなんだ」

「え……ああ……」

 オカルト系が好き……?

「だから幽霊出そうなとこって、ワクワクしちゃってさ」

 そういう瑠璃はいつもの可愛い笑顔だった。

 ……なんだよ、それ。ごめんごめんって言う辺り、意図的に怖く演じていたようだ。たく趣味の悪い。いや、むしろ自分が情けない……瑠璃としては俺がこれほどビビッているとは考えてもいないだろう。さすが演劇部一の演技派は伊達じゃないな。

「迅君はさ、幽霊とかって信じる?」

「ん? どうだろうな。ほんとにいたら面白いかもっていう程度だな」

 というのは過去の話で正直、今ので幽霊嫌いになった。って信じる信じないとは別問題だな、それは。

「そうなんだ。あたしは信じてるよ」

「ああ、そう」

「でも、信じてるってより、願望かもね。死んだ人に会えるかもっていう」

「は?」

 耳障りな警報機の音が鳴り始めた。真っ赤な光の点灯と共に遮断機が下り始め、線路の奥に目をやると電車がこちらに向かって近づいてくる。

「電車来たから、じゃあね♪ シナリオできたら連絡頂戴」

「あ、ああ……うん、じゃあ」

 ホームに入ってきた妖怪電車(車体一面に妖怪の絵が描いてあるS市独特の電車)に乗り込み、窓からこちらに手を振る瑠璃。しばらくすると汽笛と共に電車は発進し、夕闇の彼方へ走り去っていった。

「ハァ……」

 軽く溜息をつく。さて、帰ってシナリオを書かなければ。

 しかし瑠璃がオカルト好きというのには驚かされた。彼女との付き合いは数年だが知らないことがまだまだあるようだ。

 今までそんな素振りは見せていなかったのに……いや、そうでもないか。俺の部屋で怪奇映画の本見て喜んでたし。これだけ映画制作に首突っ込んでくるのも、出演するからってだけじゃなく、妖怪を題材にした怪奇ホラーだからというのが大きいのかもしれない。そう考えると納得だ。

 しかし、最後に言っていた言葉は何だったんだろう? 死んだ人に会いたい……彼女は何か脛に傷でもあるのだろうか。まあ人の過去をあまり詮索するもんじゃないか。大した意味はないのかもしれないし。

 辺りはもう暗くなり始めている。俺は墓に囲まれた道を、街灯に照らされながらとぼとぼと歩いていった。


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19

『人間は生活を営む中で、奇妙なこと、不気味なこと、不思議な現象に遭遇することがある。それは、音だったり、臭いだったり、ときとしてあるはずのない者の姿形だったり……。

 自然現象、病気、天災……人々はそれらを魑魅魍魎や妖怪変化、呪い、崇りとし恐れた。古き時代においてそうしたものは至極、身近な存在だったのである。

 しかし、時は流れ人間も生活も変わる。それに伴い、怪奇な存在は少しずつ忘れ去られていった。目に見えない存在よりもより大きな現実が常に人々に圧し掛かっているから。江戸、幕末、明治、大正、戦中戦後、高度経済成長……科学全盛のこの時代、最早、怪異は人々の心から消え去り、現代においてその存在を意識する者はほとんどいない。

 だが、いくら時代が変わっても、人間が変わっても、変わらずそこにあるものはある。昔と同じように、風は吹き、雨は降り、木々は生い茂る。病は蔓延し、生と死は繰り返される。そしてまた、そこに宿る複雑怪奇な者たちも、形を変えながらも昔と変わらず根付いているのである』

 

T県S市『妖怪碑』より引用


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20

 鬱蒼と重った森の中、ギラギラと照らす太陽。蝉の鳴き声に混じり、かすかな土を踏みしめる音と、荒い息遣いが聞こえる。

 それは一人の少女だった。時折、背後を振り返りながら森を走り抜けていく。

 真夏の気温と直射日光が容赦なく彼女の体力を削ぎ落とす。何度となく朦朧とする意識。風にゆれるポニーテール、その下のうなじが汗に光る。ベタベタと張り付く衣服が足をもつれさせ余計に力を消耗させる。

 だが休むことは許されない、少しでも足を止めるとその先には絶望がぽっかり口を開けて待っている。

 少女を追う者、それが何なのか? なぜ追いかけてくるのか? 

 理由はまったくわからない。だがそれは確実にそこに存在し、どこまでも自分を追いかけてくる。ただそれだけが彼女にとって事実だ。そしてその者に遭遇した瞬間に平穏な日常は崩れ去ったことも……。

 人のそれを凌駕した速さで飛ぶように迫る追跡者。憐れな仔兎を少しずつ、しかし確実に追い詰めていく。

「……あっ!」

 草に覆われた地面から、ひょっこり飛び出している木の根っこ。何の変哲もないそれを、疲労しきった彼女の足は避けることができなかった。

 勢いよく転倒した少女、その顔に苦  痛の色が広がる。だがそれはすぐに恐怖へ変わった。それは彼女の一瞬の隙を逃さなかった。木々の間を抜け、疾風のごとく一気に距離をつめる。

 起き上がらなければ、逃げなければ……頭では自覚していても体は動かない。それは疲労による限界か、それとも肉体が本能的に最期を悟り抵抗を放棄したのか……。

 目の前には迫る異形の追跡者。中空を舞う白い存在……人間ではない、確実に……そう、それはまさに妖怪だった。

 森の中に、その場の終わりを告げる声が響き渡る……。

「カット! オーケー」

 

 場に張り詰めていた緊張の糸が切れた。周囲の空気は緩み、その場の全員が笑顔に変わる。

「良いねぇさっきの。よっ、名女優」

「ありがとうー♪」

 さすが、瑠璃の演技力はすでに確認済みだったが、カメラが回るとさらに一回りも二回りも良い演技をしてくれる。これは嬉しい誤算だ。こちらの要望もよく聞いてくれるし、彼女がメインヒロインをしてくれるというのは予想以上に大きな収穫だった。

 この森は『市民の森』とよばれ、市内の一部を区切った自然公園のようなところ。とはいっても遊具などは何も無いが。それでも子供たちが遊ぶには充分だし、俺たちのロケにももってこいのスポット。ちなみに赤夏の家から徒歩五分の場所にある。

 そう、あれから一週間。シナリオと絵コンテが完成し俺たちはついに撮影に入ったのだ。

 

 居間を俺の根城として占拠し、座卓に置いたノートパソコンは二十四時間起動。山のように詰まれた本、床に散らばった紙束。そして新たな印刷物を吐き出すプリンター。そんな中で寝ずに作業し続け、わずか五日でシナリオを決定稿まで書き上げた。そして残りの二日間で絵コンテも完成させるという奇跡の作業をやってのけたのだ、この俺は。

 だがこの奇跡は俺一人で成し得たわけではない。アイディアを出してくれ、行き詰ったときはいつでも相談にのってくれた赤夏と瑠璃、そして最大の協力者は妹の友希英だ。


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21

 最初、俺は作業するに当たって同じく居間を作業スペースにしていた友希英に猛反発を食らってしまった。

「もう、お兄ちゃん邪魔、いい加減にして!」

「そこをなんとか頼むよ……」

「私が漫画描けないでしょ!」

 たしかに俺がほぼ一面に資料だ機材だを広げてた座卓は、友希英が漫画を描くようなスペースは残されていない。

「お兄ちゃんは友希英たんのことも大事だけど、監督としての責任があるんだ。わかってくれ!」

「私だって次の新人賞に出すやつ描かなきゃいけないんだって!」

 友希英、兄ではなく映画制作者としての自分を選んだ俺を許してくれ……だが信じてもらいたい、俺の君に対する愛情は本物だと。

 だが、この一週間の作業は熾烈を極めた。アドレナリン全開で寝るのも惜しみ作業を続ける。何せ、この一ヶ月程度の夏休みの間に全て撮影を終わらせなければならないのだ。ゆっくりはしていられない。

 キーボードを叩く手が震える、画面がぼやけてくる、頭は冴えてるのに身体がついてこない……五日間、睡眠も食事もすべて不規則でついに限界が来たのだろう。最後の台詞を打ち終えると同時に、俺の意識は途絶えた。

 目が覚めたとき、俺はソファーベッドの上だった。昨日寝込んだあと、無意識にここまで歩いてきたのだろうか? ふと、座卓の方に目をやると友希英が漫画を描いている。俺の作業スペースは撤去して!

「おいおい……」

 俺が起きたことに気付いた友希英は軽くこちらに視線を向けると、無言でソファーの下を指差した。

 そこには二冊の紙束が。一冊は俺が昨日書き上げたシナリオ。綺麗に印刷されて、端がクリップで留めてある。もう一冊は……。

「これって……」

 俺は衝撃を受けた。もう一冊は絵コンテ用紙だったのだ。昨日の段階では絵コンテはまったく手付かずだったのに、これにはびっしりと記入してある。パラパラと数枚めくると、俺の書いたシナリオを元にかなり高いレベルの画力・構図で、しかもラストまですべて描きあげてあるのだ。

「気に入らないところあったら適当に直しといて」

 友希英がこれを……? 時計を見ると午後四時、今日の朝方から十二時間も寝ていたのか、俺は。その間に友希英が映画一本分の絵コンテを描き上げてくれた、俺の為に……。

 何か胸の奥からこみ上げて来るものを感じる。思えばこの娘が俺に対して何かをしてくれたのは、何年ぶりだろうか。昔は仲が良かったのにいつからだろうか、友希英は俺のことを邪険に扱うようになってしまった……でも、心の奥から嫌っていたわけではなかったのだ。

「友希英たん、ありがとう!」

 俺はソファーから飛び出し、後ろから友希英を抱き締める。

「離れろ!」

「みぎゃっ!」

 瞬間的に俺の手を掴んだ友希英が一気に手首を捻あげる。彼女は小学校の頃から六年間、少林寺拳法の道場に通い黒帯まで取得している。文化系に見えて、案外に武闘派なのだ。

「痛い、痛い……折れる!」

 俺の必死の叫びで、ようやく手を離してくれた。痛かった、ほんとに痛かった……。関節技は一度完璧に極まると抜け出るのが容易ではない。その上、梃子の原理を使っているので女性の力でも激痛を与えることが可能である。だからこそ護身術としてなりたっているわけだが。


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22

「べつにお兄ちゃんの為にやったんじゃないから。いつまでもそこにいられても邪魔だし」

 はいはい、そうですね……ま、いずれにしても友希英が手を貸してくれたことに違いはないし良しとするか。兄妹なので感性が似ているのか、クリエーター同士シナリオでもっとも良い場面をチョイスすると形が限られてくるのかわからないが、友希英の描いたコンテは俺のイメージにかなり近いものだった。後は実際の撮影条件に合わせて弱冠の修正を加えるのみ。

 そんなこんなで、今回の作品は物凄く自信がある。友希英たんに報いるためにも負けられない。いや、負けるはずがない。練りに練ったシナリオ、描き込んだコンテ、優秀な人材、恵まれた撮影場所、今度こそいける。敗因など存在しない。

「フフフ、これならアカデミー賞確実だな」

「ほんと!?」

「当然。俺はアカデミー賞大賞、瑠璃は主演女優賞。二人で日本映画界のトップに立つんだよ」

「やったー、あたしも映画史に名を刻むのね♪」

 瑠璃の場合、このアホみたいなノリがどこまで本気かよくわからんな。ま、楽しくて良いけど。

「どうでもいいがこれは下ろしていいのか?」

 馬鹿話をしてる後ろから、呆れと文句半々の声が。

 しまった、外原茂樹(そとはらしげき)のことをすっかり忘れてた。

 彼は演劇関係の先輩で、さすがにスタッフが二人じゃ人数が足りないから助っ人としてきてもらった。ちょっと苛立ち気味に釣竿をプラプラさせ、頭のバンダナをいじっている。

 どうでもいいことだが外原はいつもバンダナ、もしくは帽子を着用して頭部を晒さない。俺の予想ではハゲてるんじゃないかと思う、実際ハゲって言うと怒るし……って誰でも怒るか。ま、こんなハゲでも大事なスタッフだけど。

「ああ、ごめんごめん。その辺に降ろしといていいよ」

 俺が許可すると竿の先に釣られた、白い布を地面に下ろす。よほどしんどかったのか、竿から手を離すなり、ペットボトルを取り上げて水を一気に飲み干した。

 ボロクソに言って、偉そうにあごで使ってるけど一応、先輩だから高校での学年は二つ上だったりする。まあ、高校卒業すれば学校での先輩後輩なんて関係ないし、俺たちの間柄はこのように年齢上下といった枠を越えた関係になっている。俺が頼めば助っ人としてくれるありがたい存在だ。顔が広いから、人間が必要になったらさっと集めてきてくれるし。

「よし、今日の予定分は思ったより早く終わったな」

「……てか、ほんとにあれでオーケーだったのか?」

 赤夏が不服そうに言った。駄目出しされたと思った瑠璃は顔を曇らせる。

「あたし、なんか駄目だった!?」

「いや、妖怪の方が」

「何! 俺の特撮アクション妖怪バトル映画にケチをつけるのか!」

「んなこと言ってねぇよ、これだこれ」

 外原が置いた釣竿と白い布を指差す赤夏。

「俺が夜鍋して作った一反木綿にケチをつけるのか!」

「何が一反木綿だ! ただの布じゃねぇか、もっとマシなもん作ってこいよ」

 そう、これは昨日の晩いらないシーツを引っ張り出してきて、工作本片手に寝ずに作った俺の努力の結晶だ。それをただの布だと……!?

「ただの布じゃねぇよ、目が付いてるじゃねぇか」


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23

 ほら、よく見ろ。ちゃんとおどろおどろしい青い眼球が……。

「マジックで描いただけだろ、無い方がマシだこんなの」

「これ、一反木綿だったんだ……」

 瑠璃、あなた今、さり気に呟いたね。俺は聞き逃さないぞ。まったく……。

「どいつもこいつも、俺の力作を」

「とにかくこれを見ろ、見てからものを言え」

 カメラを差し出す赤夏。上等だよ、俺の力作の一反木綿の勇姿を見てやろうじゃないか。さあ皆も見てくれ、そして判断してくれ、正しいのは俺の一反木綿か、それとも赤夏か。再生ボタン、オン!

 ……………………。

 液晶ディスプレイに一反木綿が映し出された瞬間、その場の全員が言葉をなくした……。鉛色の沈黙の中、蝉の鳴き声だけが遠くに聞こえる。

「ただの布だな……」

「ただの布だろ」

 ……これは酷い、どう見ても糸で吊った布です。本当にありがとうございました。

「で、でも一反木綿に見えないことも……」

 瑠璃がフォローを入れてくれるが、すぐに外原がそれを打ち消す。

「いや、どう見てもシーツの切れ端にしか見えんぞ、これ……」

 何だよ、何なんだよ。俺か、俺が悪いのか? シーツで一反木綿作ったら誰が作ったって同じようなできだろ。そもそも一反木綿ってのは布が宙を舞ってる妖怪なんだ。これでいいんだ! だいたい思ってることあれば撮る前に言えよ、お前ら。

「ま、まあ……編集でなんとかなる。きっと、たぶん」

「いや、編集でなんとかなるのかこれ」

 赤夏の突っ込みはとりあえず無視しておく。

「とりあえずまあ、うん。フォトショップとプレミアでなんとかいじってみる。色合いとか、特殊効果とかでなんとかなる……と思う」

 編集のことは何も知らない瑠璃が話しについていけず、怪訝な顔をした。

「そのフォトなんたらとかプレミアムって何?」

「フォトショップってのは写真をいじるソフト。色合いを変えたり、合成したり」

「あれだ、アイコラ作るソフトだよな」

 外原の馬鹿が俺の解説を遮る。また誤解されそうなことを……いや、実際そういう使い方をする人間も多いが……。

「そこ、間違った情報を与えない。でだ、プレミアは動画編集が専門でカメラで撮ったやつの必要な部分だけ切り取って、繋げて一つの作品に……」

「AVの抜きどころだけまとめるのに便利なソフトだよな」

 再び外原の下品な割り込みが。瑠璃が顔を赤らめて「そうなんだ」と呟いてる……この馬鹿が。

「いい加減にしないとぶち殺すぞ、このハゲめが!」

「誰がハゲだ!」

「ハゲにハゲっつって何が悪い? 上段回し蹴りでバンダナ飛ばすぞハゲチャビンのハゲ人間!」

「もうやめてっ!」


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24

 ……たしかに、くだらないことで少し熱くなりすぎたな、俺ともあろう者が。いちいちハゲ相手にマジになっていてはいけない。

「とりあえず、午後からの予定があるから、一反木綿は置いといて休憩な」

「何だ、午後からもやるのか? 聞いてないから昼から予定入ってるぞ」

 文句を垂れる外原。

「いや、撮影は午前で終わりだから帰っていいぞ。午後からは殺陣の練習だから。教えてもらう先輩が昼からじゃないと来れないっていうからさ」

「なんだよ、面白そうじゃん。言ってくれたら参加したのに」

「ねえねえ、殺陣って何?」

 瑠璃が訊ねる。

「殺陣ってのはあれだ、時代劇とかのチャンバラシーンあるじゃん。ああいう剣を使ったアクションのことだよ。今回の台本もアクションあるから」

「へえ。でもそんなの教えられる人いるんだ」

 厳密には今日、講師として呼ぶ人はアクションとしての殺陣に関しては素人だ。まあ剣が使える人間には違いがないので問題ない。

「とにかく俺は帰るわ」

「ああ、じゃあな。またよろしく」

 外原は軽く手を振り去っていった。こいつも瑠璃と同じくY市在住でわざわざ車でここまで来てくれている。なんだかんだで良い奴だ。お下品なハゲだけど。

「さて、まだ予定時間まで三十分くらいあるし、あそこで休憩しようぜ」

 俺の指差した先、森の中心の小高い丘になっている部分に、屋根とベンチつきの休憩スペースがある。とりあえず三人で荷物を持って、そこに移動した。

木々が影になっているとはいえ、やはり夏の暑さは撮影にはこたえる。到着するなり、ベンチの上にぐだっと寝転がった。

「ああ、ひんやりして気持ちいいな、この椅子……」

「もう、迅君、お行儀悪いよ」

 瑠璃が呆れ顔をしているがそんなことは気にしない。だって暑いんだもの。

「ほら、お弁当作ってきたんだ。皆で食べよ♪」

「お、いつもごちそうになります」

 ベンチの上に弁当箱を広げる瑠璃。さっそく手を伸ばし、おにぎりを頬張る赤夏。

「あれ、迅君、食べないの? 三人分作ってきたんだよー」

「ああ、疲れたから後で良いや……」

こうも暑いと動くのも面倒だ、息をするのも面倒だ……もう少しこうやってごろついていたい。昼飯はその後でもいい。

「もう、早くしないとなくなっちゃうぞぅ。あ、そうだ!  あーん、してあげよっか?」

 また馬鹿なことを、この女は……。

「ああ、いいから。自分で食べるから」

「何でぇ? ほら、あーん」

 箸で唐揚げを俺の顔先まで持ってくる瑠璃。香ばしい肉の香りが鼻をつく。それに、可愛い娘にあーんで食べさせてもらうのって、良いかも……って、何みっともないこと考えてんだ俺は!


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25

 眼前まで迫った肉を指先で素早く掴み取り、口の中に放り込む。うむむ、外はカリカリ、中はジューシー、まさに美味。

「あー。何? あたしに食べさせてもらうのそんなに嫌だったわけぇ?」

「当たり前だ。うっかり気を許すと喉に箸を刺されそうだぜ」

「ひどーい、そんなことしないよー」

「そのまま刺していいよ」

 赤夏、お前ちょっと調子に乗りすぎだぞ。

 まあ何だかんだで瑠璃は料理は上手い。料理が大好きで高校のときも家政科専攻していたし、今は調理の専門学校に通っている。つまりセミプロの腕前だ。それだけあって今日の弁当もゴージャスそのもの。暑くて動きたくなかったが一度食いだすと、ものの十分で完食してしまった。

「はあ、食った食った」

 一瞬で食ってしまったとはいえ、重箱に三段重ねでかなりの量だ。充分な満足感。さらに野外で食べるというのがまた格別だ。安いコンビニ弁当でさえ、ピクニックで食べるとおいしく感じられる。瑠璃のスペシャルな弁当なら言わずもがな。

「おいしかった?」

「ああ、めちゃくちゃ美味かったよ」

「良かったー、また作ってくるね♪」

 料理もプロ級、演技も上手い。俺は良い友達に巡り合えたものだ。

ん? 赤夏がなんか目を細めた変な顔でこちらを見てるが……なんだこいつ、わけがわからん。

「そういえばさ、殺陣の指導に来る人ってどんな人?」

「ん? ああ。剣道部の先輩だよ。映画の話したら興味持ったみたいでさ。古流剣術とかも齧ってるみたいだから、お願いしたわけ」

「ふーん……迅君って剣道部だったんだ」

 そういえば瑠璃には言ってなかったっけ。俺と赤夏は中学で三年間剣道部に所属していた。入部理由は当時、剣術を題材にした漫画にはまっていたという不純そのものだったが。そんな理由で三年間も続けたんだから立派なものだと思う。

 だから今回も剣のアクション入れようと思ったわけだ。今日持ってきた練習用の木刀の他に、家には模造刀もある。

「ついでに俺は高校三年間、空手の道場にも通ってた」

「い、意外と体育会系なんだ……」

 ちなみに空手道場に通ったのも、アクション映画の影響だったりする。ま、それで色々身についてるんだから結果オーライってことで。ほんと、俺たちの行動はその場のノリが基本だ。

「で、今日呼ぶ先輩がすげえ厳しかったんだよな」

「ああ、あの人が来た日は地獄だった……」

 そう、先輩といっても卒業生なので毎日来るわけではなかったが、たまに来た日の稽古は熾烈を極めた……。

「そ、そんなに怖い人だったんだ……」

「いや、怖い人ってわけじゃないんだけどな」

「うちのキャプテンでも最後まで相手つとまらなかったし」

 俺と赤夏の脳裏に中学時代の日々が蘇る。暑い夏の武道場、汗臭い防具、竹刀の音……あまり真面目な部員でなかった俺たちは部活をサボることも多々あったが、それでもその先輩の来る日だけはちゃんと顔を出していた。

「何もそんな厳しい先輩呼ばなくても……あたし何か怖いよぉ」


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26

「たしかに厳しい人だったけどな。でも、あの人……」

 突如、ズボンのポケットの中に振動が走る。バイブモードの携帯を引っ張り出すと、外側ディスプレイにはメールの着信を示すマークが。

「あ、先輩、今着いたって。駐車場にいるらしいから迎えに行くぞ」

「う、うん……」

 気の無い返事をする瑠璃。やれやれ、ちょっと誤解を与えてしまったようだ。まあ、実際会えば解消されるだろう、たぶん。

 森を抜け、駐車場までいくと、先輩の車は一発で分かった。この子供か家族連れしか来ないようなところには明らかに不釣り合いなスポーツカー。あちらもフロントガラス越しに俺たちの存在に気付いたらしく純白の車体を開き、颯爽と地に降り立つ。

「女の人……?」

 瑠璃は少し驚いたようだ。俺たちの言葉から、ごつい体育会系の男を想像していたのだろう。しかし、目の前に立っているのはどちらかというとインテリ系。黒フレームの眼鏡の奥に、知的な眼差しを光らせ、不適な笑みを浮かべている。

 その冷笑は美しく、剣道部では剣(つるぎ)の女王様の異名を持っていた。その名に恥じることなく、猫のようにしなやかな肉体から繰り出される攻撃は鋭く、竹刀での打撃ではなくスパッと刃で斬られたような感覚に陥る。俺たちの知る先輩はいつも剣道着に身を包んでいたが、今日はスーツ姿だ。タイトなスカートからすらりと伸びる美脚が目に眩しい。

「迅君、何か顔が緩んでるよ……」

 いかん、いかん。久しぶりに会う女王様についつい見入ってしまった。何か知らんが、瑠璃が不機嫌だ。

「フフ、久しぶりね」

「え、ええ。久しぶ……りっ!」

 うおっ、何だ!? いきなり背後から襟首をつかまれ、目の前の空間が回転する。

「お久しぶりです、いやぁ、相変わらず綺麗ですね!」

「ありがと、赤夏君」

 せぇーっーかぁー、貴様という男は……この俺を地に這わせるとはいい度胸してるじゃねえか、コラ。

「ごめんなさいね、さっきまで仕事だったからこんな格好で」

「いえいえ、スーツ姿も素敵です……ふごっ!」

 俺の足の甲が後頭部に突き刺さり、さっきと逆にアスファルトに沈む赤夏。お返しだ。

「まったく、この馬鹿はデレデレして。すいません、忙しいのにわざわざ来てもらって」

「良いのよ、私もあなたたちに会いたかったし。相変わらず仲良いのね、フフ……こちらの方は?」

 瑠璃の方に視線をやり、訪ねる先輩。

「ああ、こいつは……」

「鈴木瑠璃です、よろしくお願いします」

 ずんと前にでて自己紹介する瑠璃。言葉は丁寧だけど、なんか口調に険があるように聞こえるのは気のせいか……?

「はじめまして、鈴木さん。私は御手洗真尋(みたらいまひろ)、迅君と赤夏君の剣道部のOGよ」

「こいつ、こんなんだけど、うちの主演女優で……」

「鵲の恋人なんすよー」

 起き上がりながら悪意いっぱいの顔で言う赤夏。

「違う! 全然、違う! そんなのありえませんから!」


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 おいコラ、赤夏、何てこと言うんだ! 変な誤解を招くことを言うな。どこをどう解釈したら俺と瑠璃が恋人ってことになるんだ! わかったぞ、これは陰謀だな。お前、先輩に気があるんだな、だから俺を彼女持ちってことにしてこっちになびかないようにしたんだな、姑息な男めっ!

 幸い真尋さんは、俺たちのノリがわかってるので本気にはしていないようだ。まったく、どうしようもない奴だ、こいつは……。

「大丈夫、冗談なのはわかってるから。でもね、迅君」

「は、はい?」

「君はもうちょっと女心がわかるようになった方がいいかな」

 そう言って瑠璃の方に視線を向ける真尋さん。瑠璃は赤夏の隣で不機嫌そうにこちらを睨んでいる。

 何か気に入らないのは見て取れるがそれが何なのかわからない。睨んでいるのは俺か、真尋さんか、いやたぶん両方だ。さっきから変だな、こいつ……たしかに女の考えることは俺にはわからん。

「さて、殺陣を教えて欲しいって言ってたけど、私、殺陣はわからないわ」

「いえ、普通に剣術の形を教えてくれたらいいですよ。それに剣道の方も、ここしばらく竹刀握ってないんでかなり腕落ちてると思うんで」

「そう、それは鍛え甲斐がありそうね。さ、行きましょ」

 出た、真尋さん必殺の氷の微笑。正直、この人に見られるとかなりドキドキする……ええ、でもそれは嫌な感じのドキドキじゃなく、なんかこう、心地良いゾクゾク感。ちょっと危ない? でもね、俺だけじゃなくて赤夏だって、他の部員だって、それは同じだったんだよ。真尋さんが来たときは皆、いつにも増して一生懸命やってたわけ。そう、倒れるくらいに。

 そういう不思議な魅力が彼女にはある。その何だかわからないオーラのようなものが、女王様と呼ばれる所以だ。

「ねえ迅君」

「何だ、瑠璃?」

 悪いが俺は今、準備運動の途中なのだ。木刀を振っているのがわからんかね? 用事ならあっちで暇そうにしている赤夏の方に……って赤夏、何、真尋さんと話してるんだよ、二人で、しかも離れたところで! おのれ、抜け駆けは許さん!

「さっきの先輩のこと好きだったでしょ?」

「フゲッ!」

 素振りに失敗し、振り上げた木刀の柄が額にぶち当たる。

 な、何を言うんだこの娘は……いや、そりゃ、真尋さんのことは綺麗だと思うぞ、美しいと思うぞ。素敵な方だとは思うぞ、だがそれは単なる憧れであってですね……。

「そ、そりゃ嫌いならわざわざ呼んだりしないさ」

「ふーん、じゃあ好きなんだ?」

「す、好きっていっても色々あるだろう。それなら、お前のことだって好きだよ、友達なんだからな」

「……あっそ」

 あのだね、恋愛というのはそもそも釣り合いの取れたもの同士においてのみ発生するもので、高嶺の花を眺めて綺麗だっていうのを好きとは言わないだろう。それに、高嶺の花は遠巻きに見るからこそ美しい、近くで見ると思わぬ棘があることもあるというし。特に真尋さんみたいなタイプはかなり棘が強そうだ……。

「さて、じゃあ基本からいこうか。木刀持って並んで」

 木刀を構える俺と赤夏。瑠璃も渋々従う。

 刀の柄を左手が一番下、右手が上で鍔に手が触れない程度の位置で握る。力の配分は左手がメインで、右手は添えるだけという程度。背筋を伸ばし、足を肩幅に開き、右足が前、左足が後。軽く膝を曲げて、後のかかとを上げる。これが剣道の基本構え。


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28

 初心者である瑠璃に丁寧に教えつつ、俺たちの構えもチェックする真尋さん。

「ほら赤夏君、背中が曲がってる。迅君は剣の切っ先が左にずれてるわよ、ちゃんと正中線を維持して」

 久しぶりだとやっぱり基本を忘れてるな。注意されて修正しつつ、体の記憶を思い出す。部活で毎日のようにやっていたのだから一度要領を思い出すと後は簡単なはずだ。

 真尋さんは瑠璃のところで何か話している。素人の瑠璃に手取足とりで教えているようだが、それとは別に何か囁きかけているようにも。残念ながら、内容まではよく聞き取れないが……。

「基本構えは大体できたわね。じゃあ次は別の構え。剣道の場合、構えは五種類だったけど、剣術には十三種あるから。それをまず教えてあげる」

 十三種類……この数を聞いただけでちょっと頭がフラついてきた。剣道の構え五種というのは、さきほどの中段。

振り上げた形の上段。剣先を下げた下段。顔の横に刀を立てる八層。剣先を後ろに向ける脇構え。これですら試合で使うのはせいぜい中段と上段程度で、他はまったく馴染みがないというのに、さらに八種類もプラスされるとは……。

「じゃあ一つずつ順番に教えていくわね。まず、上段から……」

 それから三時間ほどみっちり稽古をつけられた。夏の日差しは何もしていなくても、体力を消耗する。一見、剣の構えというのはただ立ってるように見えるが、全身の筋肉をバランスよく配分しいつでも動けるような体勢にいなければならず、著しく体力を消耗する。

 さらに基本構え十三手が終わると、十五種の基本攻撃型の指導に入る。

 上段から足元まで斬りつける斬り下ろし、手首辺りまでを狙う斬り下し止め、斜めに斬りつける袈裟斬、横に払う凪、腰溜めから突く突き、肩から突く突き、斜め下から切り上げる逆袈裟、それらの左右逆バージョン、八層からの袈裟斬り……この辺りになるとはじめてやる動きばかりなので、もうチンプンカンプンだ。

 構えと攻撃が完璧にできるまで何十、何百回も木刀を振らされる。剣道部時代のことがフラッシュバックした。素振り用の太く重い木刀を一日何千本も振った日々、よくやっていたと自分でも感心する。あれに比べたら今の稽古は随分、楽なものだ。

 結局、終わる頃には皆、立つことも出来なくなっていた……。

「ハァ……情けないわね、二人とも」

 地面に座り込む、俺と赤夏を見て呆れ顔で言う真尋さん。

 いや、真夏の太陽の下で三時間木刀振ってたら誰でもこうなりますよ。むしろ汗一つかいてない真尋さんが変だ……この人、人間じゃないな絶対。サイボーグかなんかかも。

「鈴木さんの方がまだ元気じゃない」

 たしかに、瑠璃も汗だくではあるがまだ自分の脚で立っている。まあ、この娘は元気だけが取り柄みたいな娘ですから……。俺以上に体力不足の赤夏など喋ることもままならず、最早、見た目生きているか死んでいるかもわからない有様である。

「調理は体力勝負ですから」

「へえ、今度是非ご馳走になりたいわ」

「はい、そのうちお弁当持ってきます」

 何か知らんがす多少は打ち解けてるなこの二人。まだ間に壁のようなものは感じるが……会ったときは険悪そのものだったからな。というより瑠璃が一方的に機嫌悪くしてただけだけど。

「どう? 殺陣指導ってよりは剣術指南になっちゃったけど、何か参考になった?」

「ええ、アクションの幅が広がりましたよ。剣道の動きって正直、あんまかっこ良いとはいえないし」


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29

 良くも悪くもスポーツ化した剣道は、ポイントをとることに重点が置いてあるので刀を持ったアクションでやるとどうしても不自然になる。それに古流剣術の下から切り上げたり、腰を深く落として突いたりとかって見た目が何かかっこ良いし。実戦性に関してはよくわからんけど、映画なんだから見た目よければ問題無し。

「なら良かった。私はこれからちょっと予定あるから、また何かあったら連絡頂戴」

「ほんと、すいません。忙しいのに……」

「いいのよ。じゃあね」

 そう言うと、真尋さんは例のごとく素敵な笑顔を投げかけ去っていった。

「さよーならぁ、真尋さぁんー」

 赤夏のアホな言葉が森にこだます。

久しぶりにあったけど、やっぱカッコいい人だなぁ。彼氏とかいるのかな? いや、俺たちより四歳年上だから、彼氏どころか結婚しててもおかしくないか……ま、どっちにしても俺には関係ないことだけど。

「何、ぽーっとしてんのよ」

 瑠璃が木刀の柄で脇腹を小突いてきた。

「べつにぽーっと何かしてねぇよ」

「ふーん。ま、いいけどさ」

 まったく、ほんと、こいつの考えることはわからない……。

 森には、相変わらず耳障りなアブラゼミの鳴き声が響き渡っていた。


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30

 卒業制作企画書

 

 タイトル、「妖鬼海産都市(仮)」

 

・企画意図

 今まで自分たちは、学校の受けの良いもの、そこそこ成績がとれるものを狙って作品作りをしてきた。しかし、そのほとんどがことごとく失敗し、校内で大きな評価につながることはなかった。よく考えれば当然のことである。そもそも俺たちはアート映画やイメージ映像のようなクソ面白くもない映画は嫌いであり、本人たちがつまらないと思って作っているものが名作になるはずなどあるまい。

 そこで今回はもう、学校の校風とか講師に受けるとか一切考えず、自分たちの好きなものではっちゃけようという結論にたどり着いた。幸い、卒業制作発表は一般客も含んだ批評。学校の校風に惑わされることなく、客観的な評価が下されるだろう。学校のクソったれ共に目にものみせてやるんじゃ、ゴルァ!

 まずどういうものがやりたいか? まず特撮だ。そしてモンスターとアクション。この個人の趣味丸出しのジャンルを、いかに自己満足に終わらせず、一般のお客さんに楽しんでいただくかが問題だ。

 役者、スタッフの調達を考えると撮影は主にT県で行う。となると、せっかくなのでT県を舞台に、そこでしかできない物語を作らない手はない。地元であるT県S市の名産といえば妖怪だ。これは大阪でも観光ポスターを見るくらい他県でも有名だ。妖怪ものであれば特撮もできるし、モンスターも出せる。ラストに戦いをいれればアクションも可能。  

 Oh、理想的素材! というわけで、卒業制作は妖怪アクションの映画を撮ると決定します。

 

・物語、舞台設定、登場人物

 舞台は畑に囲まれた小さな田舎町。主人公はそこに引っ越してきた一人の少女(←ツンデレ、萌え系美少女)。都会育ちの彼女には見るもの全てが珍しく、また近所の人々ともすぐに打ち解け、楽しい日々を過ごす。

そんなある日、近所の探険をしていた彼女はある神社を見つける。そこは九十九神(古い物に魂が宿って妖怪化したもの)を祭る神社で、うっかりそこの祠を壊してしまう。それにより本殿に祭られていた古い物たちが妖怪化、襲いかかってくる。

 神社横の森に逃げ込むも、追い詰められる少女。そこに村の青年(少女のことが好き、クールだが一途)が助けに。

 何とか妖怪の手を逃れるも、祠を壊したことを知った村人たちは激怒。襲いくる妖怪と、村人たちを相手に戦いながら(素手、日本刀、ナイフ、ガンアクション(猟銃とかで)等の派手なアクションシーン)村を脱出、二人は隣町に逃避行しハッピーエンド。

 だがしかし、妖怪と狂った人々により、村では新たな惨劇が幕を上げようとしていた……。

 

追記:ベタベタな話だけど、そこはキャラクターと演出でカバー。目指せ、萌えて燃える妖怪ファンタジーアクションホラー!  アヒャ!(゜∀゜)


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31

「はあ? 同窓会!? しかも今日かよ?」

 昼頃かかってきた電話に俺はすっとんきょうな声を上げる。携帯の向こうで赤夏のとぼけたような口調の言葉が。

「あれ、言ってなかったっけ? てかメールで連絡来なかった?」

「全然、知らん……」

「二中の卒業生には知り合い同士で連絡回せってメール来たんだけど、お前来なかったの?」

 ……なんてこった、俺だけ連絡が無かったのかよ。たしかに昔から外交的な性格ではなかった、それゆえに友達も少なくクラスで浮いた存在だったかもしれない。でも、多少なりとも仲良くしていたやつ等はいた。それなのに、そいつらは赤夏には同窓会の連絡をして、俺にはしなかったのだ。

 たしかに中学卒業後、皆それぞれ別々の高校になってからは、赤夏以外とは一緒に遊ぶことは少なくなったが……ん、ちょっと待てよ……?

「おい赤夏、お前、携帯買ったのっていつだ?」

「は? 携帯? 俺は高二くらいだったけど」

「俺も、同じ時期だ」

「あ、そうそう。そういや一緒にドコモショップ行って買ったよな」

 当たり前のように言う赤夏に、俺は苛立ってきた。

「俺は高校違う学校行ったから、中学の知り合いは俺のメアド知らないんだよ、お前以外!」

「あ、そうだっけ?」

「そうだっけじゃねえ! お前が連絡回してこなきゃいけないはずだろうが!」

「ああー、ごめんごめん。まあ、いいじゃん。今こうやって連絡したんだから」

 まったく、この男は……。

「で、時間は?」

「えっと、何時からだったかな、ちょっと待てよ……」

「ああ、もういい。お前、今からこっちこい。どうせ暇だろ?」

「いやさすがにまだ早いぞ。確か夜だったし」

「んなことはわかってる。必要な情報を回さなかった罰だ、これからベース模型に小道具買いに行くの付き合え」

 今日は撮影小道具を買いに市内の模型店に行く予定だった。べつに昼間行っても同窓会には間に合うが、自転車だと片道三十分以上かかるんで赤夏の車を使った方が早い。

 俺の考えを見抜いたのか、赤夏はあからさまに不服そうな声を出す。

「はー、嫌だよ、面倒くせえ」

「何ぃ、面倒くせえだとぉ? 俺がそんな理由で見逃すのは友希英たんとポン太だけだ!」

 猫のポン太は喋らねえだろと、受話器の向こうから小声が聞こえたのは無視しておく。

「しゃあねえな、じゃあ二十分くらいしたらそっち行くから待ってろ」

「わかった、なら早くしてくれよな」

 そう言って、通話終了ボタンを押す。何だかんだ文句言いながらも来てくれるから、良いやつだ。

 しかし中学の同窓会か……懐かしいな。皆どうしているのだろうか? 思えば中学時代といえば受験とか、思春期の微妙な時期の人間関係やらで一番面倒だった時期だが、反面、一番楽しかった時期でもあると思う。何だかんだで楽しみだ。

 カップラーメンで昼食を済ませ、着替えているうちに赤夏が迎えにやってきた。

「ったく、遅ぇっての」


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32

「はぁ? 二十分くらいかかるっつったろ?」

「そうじゃなくて連絡がだ」

「はいはい、悪うございましたね」

 互いに文句を垂れながら車に乗車し、商店街の方を目指す。

「で、結局同窓会って何処で何時から?」

「ああ、ほらよ」

 運転席からこちらに携帯のディスプレイを向ける赤夏。どうでも良いが、運転中に携帯をいじるのはやめて欲しいんだが……。

 

『件名:同窓会のお知らせ

 

 お久しぶりです、皆元気にしてますか? 実は七月二十九日にS市二中卒業生で同窓会を行いたいと思ってます。開場は居酒屋『へぷし』十八時半集合で参加費は二千円です。

 参加可能な方は幹事の松田竜太(taputapu-boya@docono.nk.jp)まで連絡を。二中卒業生に知り合いがいたら、このメールを転送してください。

 皆に久しぶりに会えるの楽しみだな(●´-`●)

 

 だってよ。俺は参加するけどどうする?』

 

「なるほど、で二中卒業生の知り合いがいるにも関わらず、お前はメールを回さなかったわけだな」

「いやぁ、まさかお前がそこまで友達少ないとは思ってなかったからさ」

「そうだな。俺、友達いないから、フフフ」

「気にするな、俺も友達いないから、ハハハ」

 窓の外に畑と廃倉庫が流れてゆく……ほんと、友達ってなんだろうな。一般的に友達っていうのはどういう人間を指すんだろうか? ある程度親しい人? 話してて楽しい人? プライベートで遊べる人? 難しいな。たとえその場は仲良くしていても相手がいなくなったとたんに、悪口を言い出すのが人間という生き物だし。大阪の学校でも友達と呼べるのは赤夏くらいのものだ。

 ハンドルを裁く赤夏の横顔に目をやる。こいつや瑠璃とも今は友達だけど、明日もそうとは限らないんだよな。その時、仲良くしていても今はまったく交流の無い中学の友人たちのように、こいつらともいずれ離れるときがくるのだろう……。

「どうした?」

「いや、何でもない」

 ……それはないか。これだけ馬鹿言って、お互いやりたい放題やってても十年以上付き合い続いてるわけだし。いや、むしろやりたい放題やってるから変に裏表ができない分長続きしたのかもしれない。まあ、俺の知らないだけで赤夏には心に孕むものがあるのかもしれんけど。

 急に黙って物思いにふける俺を赤夏が不審な目で見てくる。いかんな、何かしら話題を振らねば。

「そういや、同窓会六時半からだろ? ベース模型寄ったとしてもだいぶ時間あるとけど、どうするよ?」

「あー、そうだなぁ。妖怪ロードの辺りでもうろうろするか」

 妖怪ロードか。妖怪漫画を売りにしているS市の中でも最大の観光スポットだ。駅から商店街にかけての道路に、漫画の作中に出てくる妖怪のブロンズ像が立ち並んでいるのだ。ここを造るにあたって、S市駅周辺は大幅に改革され、それまでただの寂れた商店街だったところが一変することに。


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33

  道路には妖怪の絵が描かれ、マンホールの蓋も妖怪が彫ってある。中でも異彩を放っているのは等間隔で立てられた街灯で、電灯部分がなんと巨大な目玉を模してあるのだ。

最早、狂っているとしか思えない有様だが、その百鬼夜行さながらに生まれ変わった街のおかげで観光客は激増。S市は一気に潤うことに。おかげで観光客目当てにY市から吸収合併の話が何度も持ちかけられたが、そのすべてをつっぱねている。他の市と比べ人口、面積共に数分の一しかないS市が独立して存在していられるのは、この妖怪産業のおかげなのだ。まさに妖怪様々である。

 まあ、そのように他所から見たらとても珍しい妖怪ロードなのだが、地元民としてはいつでも行けるしただでさえそこらじゅうに妖怪を模したものは溢れていたので、案外に足を運ぶことは少ない。

 俺も出来た当初は物珍しくて喜んでいたが、それ以降は数えるほどしか行った記憶がないし。

「久しぶりに行ってみるか、妖怪ロード」

「あそこの煎餅、案外美味いぞ」

「ほう、それは楽しみだ」

 妖怪煎餅といっても他の煎餅と何が違うのだろう? という突っ込みは野暮というものか。ああいう場所は雰囲気を楽しむものだ。

「あ、そうそう、聞きたいことあったんだけどよ」

「ん、何だ?」

 赤夏が聞きたいこと……一体何だろうか?

「こないだの市民の森だけどよ」

「うん」

「剣術の練習したとき」

「何だよ?」

 ああもう、じれったいな。言いたいことがあればさっさと言え。

「何でお前、真尋さんの連絡先知ってんだよ!」

「ハァ?」

 それかよ、聞きたいことって!

「だってよ、俺、電話番号もメアドも知らないし。なのに何でお前が知ってんだよ、同窓会の連絡も来ないようなお前が!」

「ああ、そんなことか……あれだ、hexiで見つけたんだよ」

「hexiって、今流行りのあれか?」

 hexi、ソーシャルネットワークの一つ。インターネット上にあるコミュニティで、そこに参加しているもの同士、互いのプロフィールや日記を公開し、似た趣味の者で語り合ったり、名簿検索で特定の人物にコンタクトをとることができる。無論、インターネットで名前を晒すのは危険と考える人もおり、偽名やニックネームでの登録も多いが、たまたま真尋さんは本名で登録していたので見つけることができたのである。

「名簿検索してみたら真尋さんいたからさ。メッセージ送って色々やりとりしてたわけだよ」

「ほーう、何で君は真尋さんの名前をわざわざ名簿検索したんだね?」

「べ、べつに俺の勝手だろうが。知り合いがいないか調べてみるのは普通だ」

 赤夏は例のごとく目を細める。意図的にやってるのか、自然に表情に出るのか知らんがこのときの顔はありえないくらいに嫌味だ。

「あっそ、まあいいや。今度、真尋さんのアドレス教えてくれ」


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「は? ぜってぇ教えねえ」

「何でだよ、ネットストーカーが」

「誰がネットストーカーだ……ってうおっ!」

 突然、身体が宙に浮き、前に吹っ飛ばされる。なんて乱暴な急停車だ、シートベルトをしていなければダッシュボードに頭をぶつけていた。

「危ねえな、何だよ」

「ほれ、到着だ」

 悪びれもせずにキーを抜く赤夏。たしかに、窓の外には久しぶりに見る妖怪ロードの風景が広がっている。

「ったくよ……」

 不満はあったが、こいつにこれ以上言ってもしょうがない。それは十年来の付き合いで重々承知だ。そもそも模型店までの足として呼び出したのは俺だったしな。

 S市駅前の駐車場に降り立つと、少し驚かされた。最後にきたときは小学生くらいだったので記憶がさだかでないが、それにしても俺の知る駅前通りよりもはるかに綺麗に、豪華になっている。

「ここって、こんなんだったか?」

「ああ、何か観光客増えるにつれて色々やってるらしいよ。ここのおかげで市はかなり潤ってるから観光事業にはいくらでも金出すんだと」

 そうなのか……潤ってるという割にはどうも俺たち庶民としては生活レベルの変化は感じられなかったが。観光事業も良いが、少しは地域住民の方にも還元して欲しい。

 S市の繁栄は妖怪ロードの一極に集中し、他の地域は畑と墓場に囲まれているのが現状だ。おかげで模型店に来るのにも自転車を小一時間こぐか車を使わなければならない。

「さてと、じゃあベース模型まで観光しながらぶらぶらと行きますか」

 俺たちの目当ての店、ベース模型は残念ながら妖怪ロードには入れていない。ロードを抜け、その先の商店街のさらに端っこにある。おかげで妖怪ロードの恩恵には預かれず、いつ潰れてもおかしくない。てかまだ潰れていないかも疑わしい。

 それほどまでにこのS市の商業格差は激しいのだ。

 妖怪に取り入ったものと、そうでないもの……ここで生き抜くには妖怪に魂を売り渡すしかないらしい。この市は妖怪に取り憑かれている。まあ、妖怪の映画を撮っている俺たちも似たようなものか。

「久しぶりに来たけど、やっぱこの辺は人多いな」

「そうか?  俺はけっこう来てるからよくわからんけど」

 人が多い、と言ってもS市の中ではということだが。大阪の梅田や難波とは比べる余地もない。これで大きな観光名所となってるんだから、T県そのものが存続がかなり危ういのかもしれない。そういえば大阪で見るT県の観光案内といったら砂丘とこの妖怪ロードくらいしか見ないし……。

 そうは言ってもこの妖怪ロード、何だかんだで見ている分には楽しいところだ。小綺麗に開かれた道路の脇に立ち並ぶ妖怪のブロンズ像、久しぶりに見たがなかなか凝った作りをしている。妖怪ファンにはたまらないものがあるだろう。

「お、雷獣だ。案外顔は可愛いな」

 なにやら熊のような動物の像に目が行く。

 その先にあるでっかい頭だけのはおおかむろ。姿見れば名前までわかるのは、俺もS市で育っただけはあるな。ここで幼少期を過ごした者は、知らず知らずのうちに記憶の中に妖怪を刷りこまれているらしい。


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  目に付いた菓子屋で妖怪煎餅と目玉キャンディー(目玉を模した棒つきキャンディーで、舐めてるうちに白目がどんどん赤くなってくるという恐ろしい食べ物)を買い、頬張りながら歩く。

 妖怪菓子、妖怪グッズ、妖怪神社……それらの間を通り抜け(何でも妖怪ってつけりゃいいってもんでもない、と少し思う)、駅から徐々に外れるにつれ人影は少なくなり、妖怪ロードから一般の商店街に移った頃にはまったく人間の姿は見えなくなった。

「相変わらず寂れてるな、この辺りは」

 赤夏が呟く。たしかに店は並んでいるが、どれも古臭く、開いているのか閉まっているかすらわからない。どこからともなく吹き付ける風が古新聞を飛ばすさまがまたもの悲しさを助長し、まるでゴーストタウンのような有り様だ。これが妖怪から見放された人々の末路だとするならば、あまりにも悲しすぎる。

 ふと、この屍の街の一角に目が止まる。テンションの下がっていた俺の心は一気に踊り狂った。そこにいたのはこの荒廃した世界に咲く一輪の花、まるで疲れた現代人の心を癒すために生を受けたかのような愛くるしい生き物。

 猫だ!  小柄な黒猫が小汚い店先にちょこんと座りこちらを見ている。俺は滑るような足取りでニャンコのところに飛込んでいく。そう、刺激してはいけない、素早く、それでいて静かに猫の前に立ちはだかる。突然と目の前に表れた人間に、猫を身を縮ませ警戒心を露にした。

「にゃーにゃー、ねこたん、可愛いでつねー」

 俺が僅かに間合いを詰めると、ニャンコも一歩後ろに下がる。一人と一匹の間に緊迫した糸が張りつめた……焦ってはいけない、ここで彼女(彼?)の信用をとりつけ仲良くならなければ。はぁい、スウィート・ハニー、私と一緒に恋のアヴァンチュールを……。

「お前、またアホみたいなことを」

 赤夏の一言で、俺とニャンコの見えない赤い糸はプっつんと切れた。猫は縮めていた体の溜めを一気に解放し路地裏へと飛んでいった。

「赤夏ぁっ、貴様のせいでニャンコが!」

「何で俺のせいなんだよ!」

「お前が声を発して刺激を与えるからっ!」

「アホか、お前の奇行ですでに警戒心マックスだったろうが。自分の姿を考えてみろ、いい歳した男が猫とにらめっこして、人間だって逃げ出すわ」

 くっ、それを言われると辛い。俺だって、俺だって客観的に見て自分の行動がおかしいことくらいわかってる、でも、でも……ねこたんは可愛いんだもの!

 ……まあいい、これ以上騒いでいても店に迷惑だ。一見、潰れているようにも見えるが埃まみれのガラス戸越しにに人の姿が見えるから一応、営業はしているらしい。  

 こう言っては何だが、店と同じで今にも死にそうな爺さんだ。恐らく妖怪に見放された商店街共々、長くはないだろう。格差社会と高齢化社会の影、ここに有りか。

「あ、これ良くね?」

 赤夏が何やらショーウィンドウを指差している。見てみるとそこにはブロンズでできたドラゴンの置物が。目には真紅のガラスがはめ込まれており、大きな翼を広げている。

「やべ、ちょっと欲しいかも」

「ああ、たしかにかっこ良いっちゃかっこ良いけど……」

 かなり悪趣味にも見えるが、そこは口に出さないでおく。俺はどちらかというとその隣にある短剣に心引かれた。長さは三十センチ程度、洋風のこしらえで海賊が使っているようなタイプ。よく見ると店内にはそういったアンティークな装飾品が他にも沢山置いてある。


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「ちょっと寄ってみるか」

「ああ」

 ガラス戸の干からびた木枠に手をかけて横に引くと、ギシギシと軋む何とも言えない嫌な音が……本当に大丈夫なんだろうか、この店は。

 小汚い外観とは裏腹に、店内は狭いが案外に綺麗だった。薄暗い店を天井の裸電球と、棚に並んだステンドグラスのスタンドが照らし、幻想的な雰囲気を醸し出している。もしかしたら、これはこのファンタジーに出てきそうな小物、雑貨を売るための売り場演出なのかもしれない。たぶん違うだろうけど。

「おお、これ良いな。千二百円だって、買おうかな」

 首が沢山ある蛇が巻きついたデザインの小物入れを手に、赤夏がはしゃいでいる。ほんと、この男はファンタジー系が好きだな。

 髑髏の装飾が施された懐中時計、鉤十字の刻印がしてある指輪、鷹のペンダント……実用品というよりは装飾品としての物を扱う店らしい。凝ったデザインの割りに、値段は千円~三千円と手頃だ。友希英に買っていってやろうか、あの娘もこういうの好きだったし。

 アクセサリーの棚を見ていると色々と目移りしてしまう。友希英の趣味で考えるとどういうのが喜ぶだろうか? あまりゴテゴテしたやつよりもスッとした感じのやつの方がいいかもしれない。シンプルで、それでいてさりげなく目に付くもの……。

「すません、これいくらですか?」

 棚の奥、一つだけ置いてあったブレスレットを手に取り、店の老人に尋ねる。綺麗な青いガラス玉に銀の蛇が巻きついた物が連なったデザイン、細かいところまで作りこまれた装飾は美しく、それでいてシンプルで嫌味な感じはしない。洋風の小物が多い中、一つだけ和風テイストなデザインだったのも目を引いた。

何より惹かれたのはその輝きだ。何だかわからないが、吸い込まれるような魅力がある。もしかしたら、ガラス玉でなくて本物の宝石ではないかと思ったほどだ。だが値札に書いてある数字はわずか千五百円。これは買うしかない。

「すいません、これ下さい」

「ああ……はいな」

 黄色く濁った白目がこちらを見上げる。気持ちの悪い爺さんだ……ほんとに生気がなく、なんというか死体が動いてるような感じがする。口は常に半開きだし、焦点の合わさらない視線はどこを見ているのかわからない。骸骨のような指が、蟲の足みたいにカサカサと小刻みに動きレジを打つ。

もしかしたら半分、ボケてしまっているのかもしれない。禿げ上がった頭に出来た染みは悪魔の笑みのような形に見える。

この不気味さは赤夏も感じたらしく、買おうとしていた蛇の小物入れを棚に戻して、戸口のところで待機している。一刻も早くここを立ち去りたいらしい。それには俺も同感だ。店を後にしようと、戸口に手を掛けたとき、背後から蚊の鳴くような老人の声が聞こえた。

「……気をつけろや」

 一体何に気をつけろというのだ、この商店街で。振り返って軽く会釈すると、俺たちは足早に店を立ち去った。

「何だよあのジジイ……」

 店を出てからの赤夏の第一声がこの暴言だった。俺は、聞こえているはずないとわかっていながらも老人の店の方を振り返りびくびくする。

「あれはヤバイな。俺、金払うとき怖かったもん」


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 まあ良い物が買えたし、よしとしよう。あの爺さんさえいなけりゃまた行きたい店なんだが。

「どうでもいいけどお前、そのブレスどうすんだ?」

「ん?  プレゼントだよ」

「誰にだ?  瑠璃ちゃんか?  真尋さんか?」

「アホか、友希英たんにだ」

何でここでその二人の名前が出てくるんだよ。

「何だ、いつものシスコンかよ」

「シスコン言うな」

「妹をたん付けで呼んでる時点で充分にシスコンだ」

……まあそれはあれよ、呼び方なんて人それぞれじゃないですか、ね?

 とまあ、そんなくだらない話をしているうちに商店街アーケードの出入口までたどりついた。そう、思わぬところで寄り道をしてしまったが、当初の目的はここに来ることだった(まあ、暇つぶしも目的の一つだったが)。

 アーケード横にある小さな店舗がベース模型だ。外観はさっきの爺さんの店と似たり寄ったりだが一応潰れてはいないらしい。弱小の店なのに何故か消費税はサービスで、小中学生くらいの頃はよく来たものだ。

 引き戸を開けて、店内に入ると所狭しと並んだプラモデルやエアーガンが目に入る。奥のカウンターに座っている店主がこちらに視線をやる。このおっさん、商品探しの間ずっと見つめてくるのでどうも落ち着かない。中学生くらいの頃はそれが少し怖かったが、さすがに今となってはそこまでの気持ちはない。さっきの爺さんに比べたら、ここの店主なんてチワワみたいなものだ。

 それに何だか俺の知るよりも、やつれて小さくなったような気がする。いや、俺が大きくなったのか。記憶に残る中年の店主はもっと力強い男だったが、今は初老に差し掛かり髪も白くなってしまった。一極集中の興行政策、高齢化、金銭こそが絶対の資本主義社会、そんな時代の波の中で緩慢に消え行く運命なのだろう。しかしそれも社会を維持するための尊い犠牲。

「おお、ザクだ、ザク!」

 俺の思考などよそに、ガンダムのプラモにガキのようにはしゃぐ赤夏。ま、これが正しい姿勢か、自分に関係ない問題をあれこれ考えることほど無駄なことはない。

「そういやお前、何買うん?」

「えっとな、シナリオの後半でナイフで戦う場面あるだろ。さすがに本物は使えんからさ」

 戦車や戦闘機のプラモデルの棚、かなり下の方に押し込むような形でそれはあった。

 等寸台のプラスチックナイフ。各国の軍が使用してるコンバットナイフを模したもので、主にコスプレ用。本物は値段が張るし、公式イベント等では刃物持ち込み禁止のところも多いので、気分を味わいたいサバイバルゲーマーや軍装コスプレイヤーが腰に吊るしたりしている。基本的に子供が欲しがる類のものじゃないので置いてあるか不安だったが、小さな店の割りにちゃんと大人向けおもちゃのラインナップも揃えている。

「これの刃にアルミホイルとか貼ればそれなりに見えるだろ」

 作中には、田舎猟師相手のガンアクションもあるので、猟銃のモデルガンもないかと探してみたが、さすがにこれはなかった。ま、ガンマニアが欲しがるのはカッコいいアサルトライフルやマシンガン、ショットガン等だからダサい猟銃なんてそもそもメーカーが発売してないだろう。家に昔買ったショットガンがあるのでそれで我慢しよう。

 ナイフのプラモ二箱を引っ張り出したとき、金属性サッシの擦れる音が。がたのきた引き戸の奏でる不協和音と共に、サングラスをかけた外国人が入ってくる。肩まで髪を伸ばし黒いジャケットを羽織った、見るからに怪しいその男は、狭い店内で大柄な身体を窮屈そうに丸めて俺のいる棚の反対側に歩いていく。俺よりかなり高い棚の上部から、頭の先が見えている辺り、相当の長身だ。


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 赤夏が俺の方に足早に駆け寄ってくる。そういえばガンダムのコーナーはここの裏だったな……てことは、あの外人はガンプラを買いにきたのか? まあ、日本のアニメは海外でも評価は高いし、趣味は人それぞれ、国籍も関係ないが。

 俺も赤夏も背が低く、小柄な部類に入る。だからどうもでかい人間が近くにいると落ち着かない、妙に圧迫感があるし上から見下ろされているというのは潜在的な嫌悪を煽る。この狭い空間にでかい外人と押し込まれているというのは、あまり居心地が良いものではないので、さっさと会計を済ませエース模型を後にした。

「オー、ザクー、ザクー!」

店を出る瞬間、背後から聞こえた声に思わず振り返ってしまう。あの外人がザクのプラモを片手に何やら興奮しているところだった。

「お前と同じ趣味だな。声かけてこいよ」

「ぜってー、やだ……」

 ま、そうだろうな。

 同窓会場、居酒屋「へぷし」の前にはすでに数人の参加者が集まっていた。どれも見たことのある顔、S市二中の同級生たちである。

 あの後、駐車場に戻りY市まで直行。同窓会開始時刻にはまだ三十分ほど早い時間に到着したはずなのだが、皆、気の早いものである。

「おー、久しぶりー」

 車から降りる俺たちの姿を見つけ、幹事の松田竜太がやってくる。

「今どうしてるん?」

「鉄工所に就職してな。毎日、赤い鉄と戦って火傷してるよ」

 そう言って竜太はバンソーコーを巻いた指を見せる。五年振りに会ったはずなのに、顔はおろか髪形さえ変わっていない。ただ体型だけは、中学時代はやばいくらいに太っていたのに、今はぽっちゃり系という程度になっていた。ダイエットに成功したのか鉄工所で肉体労働をしている賜物かはわからないが。

 竜太の他にも懐かしい連中が何人も。中学時代から全然変わってない奴、少し見ない間に大人っぽくなってる奴、変わりすぎて誰かわからなかった奴、色々だ。一番ショックだったのは、あの頃は俺や赤夏より十センチは背が低かった人が、俺たち十センチ以上高くなり上から見下ろされたことだが……。

 ある程度参加人数が集まり、十八時半になったところで店の中へ。店員さんに案内され、奥の宴会室にぞろぞろと列をなして進む。

 二十畳程度の部屋を襖を取り払って、二つ繋げた場所へ案内された。ほほう、中々いい場所を借りてるじゃん。人付き合いの少ない俺は飲み会といっても、せいぜい数人で小さな居酒屋でというのしかしたことないから、けっこう驚きだ。

「まことに申し訳ございませんが、こちらのお部屋もご利用ください」

 店員が廊下を挟んだ、小さな六畳間の襖を開ける。

 俺たちの学年は確か全部で百二十~三十人、広い会場とはいえ全員収容するにはわずかにスペースが足りなかったらしい。

「どっち行くよ?」

 問いかける赤夏。他の皆はぞろぞろと大広間の方に入っていく。瞬く間に席がうまってギュウギュウ詰めに。

「小さい方、行こう。あっち狭いし」

「そうだな」

 フッ、馬鹿共め。狭いスペースを避けるため広い部屋に行き、余計に窮屈な目に遭うとは。それに俺は大人数でわいわいより、少人数で内輪の盛り上がりの方が好きだし。


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 案の定、六畳間に行きたがる人は少なく、部屋には十人ほどしかいない。してやったりぃっ!

 席が埋まるなりさっと襖を閉める。これで人数過多になった向こうから人間がなだれこんでくることを防げる。

 若干、背筋に震えが走った。狭い部屋なので、エアコンが効きすぎているのかもしれない。外は暑かったのに……こういうのは体に悪そうだ。

「鵲君、お久ぁ」

「おお、高橋君、久しぶりやね」

 向かに座っている高橋亀雄(たかはしかめお)は俺や赤夏と同じ剣道部員だ。といっても、興味半分で始めた俺たちと違って真面目な部員だったけど。

凹凸に乏しい顔で、無表情に口元だけで笑う高橋。ベッタリとした髪と相まって、能面のようだ。

「卒業してから全然会ってなかったもんな」

「俺はけっこう会ってたけどな」

 そう言う赤夏。高校は俺だけY市の学校で、赤夏はS市の工業高校に進学したから、こいつの方が卒業後もS市内の同級生との付き合いが多い。まあ、性格的なものもあるだろうが。

「今は二人とも大阪いるんだよね?」

「うむ、一応映画の学校行ってる」

 周囲から、「おおー」とか「凄ぇ」といった声が上がる。ま、特殊な業界ですからね。

「そういやさ」

「ん?」

「シルバームーンってまだ撮ってるの?」

 予期せぬ言葉に、飲みかけていたお茶を吹き出してしまった。赤夏の方を見ると、こいつも苦笑いと驚きの混じったような顔でこちらを見ている。

 月光戦士シルバームーン、それは俺たち二人が初めて撮影し、世間に公開した自主制作映画だ。いや、おそらく真面目にやってる人からしたら映画と言える代物ではないだろう。デジタルビデオで撮影した一話、三分程度の動画で、百円ショップのパーティーグッズや、エアーガン、木刀等を使った変身ヒーローもの。タイトルは主人公が銀色の月の仮面をかぶっているのが由来。

ひきこもりでオタクの主人公が、シルバームーンに変身して奇人変人共と死闘を繰り広げ、ときに間違えて善良な市民をやっつけてしまうというドタバタコメディ。インターネットを通じて公開したのだが……。

「な、何でシルバームーンを知ってるの?」

「だって俺、ダウンロードして見たもん」

 ……うかつだった。いや、インターネットで公開する以上、不特定多数に晒すのは覚悟の上だったが、まさかリアルの知り合いに見られるとは思っていなかった。身近な人間に視聴されると猛烈な恥ずかしさが……かなり狂った演技・ストーリー展開だったし。ある意味、一番自分たちの好き勝手をやった作品だったけど。考えてみると、あの頃が最も楽しんで映画を作っていた時期かもしれない……それでも恥ずかしいことに変わりはないが。

「どうでもいいけど、食い物っていつくるんだ?」

 違う話題を振って話を逸らそうとする赤夏。ナイスだ。

「そういやもうだいぶたってるよな。七時半だし」

「何か、向こうの方で参加費の徴収とかで揉めてるらしいよ」

 まったく、何やってんだか……まあ、向こうは百人以上の大所帯だからな。小部屋グループは人数少ないから皆すぐ出して幹事の竜太に渡したんだが、あっちは金集めるだけでも一苦労だろう。そこから計算だなんだしてたら、そりゃ時間もかかるというものか。


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40

「ま、適当に待っときましょうや」

 時間はたっぷりある、皆久しぶりに会ったのだから楽しくやっておこう。

 ……それからさらに一時間あまりが経過した。時刻はすでに八時半を回っている。最初は懐かしさや、卒業後の身の上話で盛り上がっていたのだが、さすがにネタも尽きてきて話すこともなくなってきた。そもそもにして、わざわざ小部屋にくるようなメンバーなので、俺を始めとして皆、話下手で盛り上げ役というものが存在しない。

「腹減った……」

誰となく呟く声がする。この言葉は一時間のうちに十回は聞いた。そう、まだ料理がきていないのだ。鉛色の沈黙と気まずさに加え、飢えが俺たちを襲う。

 遅い、あまりにも遅すぎる。まさかまだ参加費でごたついてるってことはあるまい。いったい何をしているんだ、この店は?

「お、あっちは来たみたいだぞ!」

 赤夏の言葉に、一斉に顔を上げる部屋のメンバー。誰一人言葉を発することなく、じっと耳をすます。

 聞こえる、たしかに聞こえる。襖越しに、喜びの声を上げる人々のざわめきが。向こうには料理が運ばれてきたんだ。ということは……。

「すいません、大変長らくお待たせいたしました」

 キターッ、長らくお待たせどころじゃないぜ。会場到着、第一号は豚カツの盛り合わせだ。皿が卓上に置かれた瞬間、飢えた獣と化した十人が一気に飛びかかった。

死肉に群がる烏のように無数の箸が肉を啄む。ものの十秒足らずでで、皿の上は空となった。

まだだ、まだ足りない……! 飢えた俺たちの欲求を満たすべく、次々と運ばれてくる料理の数々。刺身、キムチ鍋、フライドチキン……互いに奪い合い、汁を啜り、肉を喰らう。その姿は人に非ず、餓鬼道に落ちた畜生そのもの。全ては一瞬にして無残に消え去った。

 最後に運ばれてきた若鳥のカツを食い散らかしたところで、メンバーの箸はようやく止まる。さすがに大きな皿数個と鍋を一気食いしたら多少腹もはり、落ち着きを取り戻した。まったく、とんだ同窓会だ……。

「ハロハローッ、元気してるー!?」

 いきなり襖が開け放たれ、甲高い金切り声が耳をつんざく。その場の全員が、凍りついた。俺たちの視線の先には、身長目測百五十センチ程度、そして体重はどんなに少なくみつもっても八十キロはあるであろう、酷くバランスの悪い女が立っていた。

 俺はこいつを強く覚えている。山淵磯良(やまぶちいそら)、同じクラスだった。何せこの強烈なビジュアルは忘れようがない。糸のように細く、その上窪んだ目。鼻はさながら大魔神のような恐ろしい作りで、唇は普通の人の三倍は厚さがある。山淵はその上に毒々しい紫のルージュを引いていた。ニキビの痕に埋め尽くされた土色の肌はまるでひび割れた土偶のよう。

 黒いパンク風の服を身にまとっているが、似合うとか似合わないというレベルではない。腕にはめたトゲが付いたブレスは、本来ならお洒落なのだろうが彼女がはめてると北斗の拳のモヒカンか何かのようだ。中学時代から変わらないお下げの三つ網はぶっとい登山用ロープを頭から吊るしているみたいだ。このビジュアルと年齢にして、このファッション、美醜とかそういう問題を一億光年は通り過ぎている。最早、救い難い。

「あーっ、懐かしい。皆、元気にしてたぁ?」

 やたらハイテンションで、一オクターブ高い声を発する山淵。よくある声優さんの営業ボイスみたいなやつ? 本人はそのつもりなんだろうが、俺には奇声にしか聞こえなかった。高橋だけは例の無表情な笑顔を投げかけているが、他の連中は明らかに引いている。 


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41

 そんなことはおかまいなしか、そもそも気付いてすらいないのか、ずかずかと部屋に上がり込んできて高橋の隣に座り込む(その際、高橋の隣りに座っていたやつは山淵の巨体に輪から押し出されてしまった)。

 薄ら寒いものを感じ、両手に鳥肌が立つ。

「おいおい、ちょっと酔ってるよ、磯良」

「ごめんなさぁい。亀雄くぅん」

 何が、ごめんなさぁいだ、何が亀雄くぅんだ、気色悪い。ていうか何でこいつ、こんなに高橋と親しげなんだ? 俺の知る限り二人が特別仲が良かったというのはなかったはずだが……。

「ほらダーリンも一杯やってさ、グーって」

「ハハハ、まいったなぁ」

 ダーリン? 今、ダーリンって言いませんでした? ダーリンという言葉を使う事態が、まずかなり恥ずかしいんだが、この際それはさして重要ではない。問題は……。

「も、もしかしてお二人さん……」

「うん、俺たち今付き合ってるんだ」

 山淵のボンレスハムのような腕が高橋の体に巻きつく。

「もう、ラヴラヴなのよぉん♪」

 へぇ、付き合ってるのか、そりゃ良かったね、祝福してあげなきゃ……。

 皆、どん引きを通り越して、苦笑いを浮かべてる。もちろん、俺も。こんなとき、どういう顔したらいいのかわからない……笑えばいいんだよな、ハハハ……。

「いやぁ、これはめでたいですな。二人ともお幸せに、なあ鵲?」

 俺に振るなよ、赤夏! しかもその褒め殺し(?)は明らかに空回りしてるし……いや、お前のことは責めまい。付き合っていると言われて何もいわず無視するのは躊躇われる。かといって本心など口が裂けても言えない。結局のところ、心にもない祝福を口にするしかないのだ。赤夏、皆が躊躇い、沈黙をよぎなくされていたところを打破したお前は勇者だ。まあ、当のバカップル二人だけは、周囲の空気も読めずにイチャイチャブスブスしてるが……。

「そ、そうだな赤夏。なあ、二人はどういう経緯で付き合ったんだ?」

「どういう経緯ってもね、卒業後も同じ学校だったから」

「ああ、そうだっけ……なんていうか、その、付き合った決め手というか……どこに惚れて付き合ったわけ?」

 高橋の目がこちらを見据える。やばい、怒らせたか? 無表情で真意が読めないが、今のは言葉がまずかったか。「山淵のどこがいいわけ?」と受け取られた恐れがある(いや、実際そう思ってるわけだが)。

 俺の心配とは裏腹に、高橋は口元をニッと引き上げて笑う。

「そんなの、全部に決まってんじゃん」

 な、なんだってぇっ! いや、台詞はかっこ良いよ、自分の彼女に対してそういうこと言えるのは。でも、でも、相手はこれですよ。どう考えても外見はアウトでしょ、もちろん性格がよくて惚れることはあるかもしれないけど、それなら全部とは言わないはずだし……いや、そういえば彼は中学の頃から、こうだったかも。他の剣道部員はほとんど真尋さんファンだったのに、一人だけ冴えない太ったニキビ顔の女子部員を美人だって言ってた。好きだというのならわかる、人を好きになる上で容姿は一要因でしかない。でも美人だって……そういうののマニアなんだろう、きっと彼は。だとしたら山淵はこの上ない、好素材。惚れこんでも不思議はないな……って納得しちまったよ、俺。人の好みというのはほんと様々だな。

 そもそも山淵磯良という名前もきつい。いや、イソラっていう響きは奇麗だと思うよ。でもこれって雨月物語に出てきた生き霊の名前じゃないか。醜い女の嫉妬の化け物の。


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 ご丁寧に漢字まで一緒で。聞くところによると「磯良」という名は醜いものの象徴らしい。なんというか、名は体を表すというか、親も娘の将来を見越して名前をつけたんだろうかとか、そんな気さえしてくる……。

 いや、わかってますよ。人の恋路にとやかく言うもんじゃないってことくらい。たとえ俺から見てどんなに醜くても、本人たちが好きあってるならいいじゃないか。そもそも人間を外見で判断するなんて最低だ。

わかってるってそんなことは。でもね、でもですよ……。

「今日の君はいつにも増して綺麗だよ、磯良」

「やだもぉ。ちょっとあんたたち、あたしに惚れちゃだめだからねん。あ・た・し・は、ダーリンのものなんだからぁん」

 俺のこの世で一番嫌いなものはバカップルと勘違い人間なんです、ああ、神よ、この憤怒の心をお許しください……そして教えてください、はたしてこれは罪なんでしょうか?  この気持ちは罪悪ですか?

「どうしたの、皆、口数少ないわよぉ?」

「磯良、皆は俺たちに嫉妬してるんだよ」

「あ、なるほどねぇ。もう皆ったら、男のジェラシーは見苦しいわよん。ま、あたしたちの熱々振り見せちゃったらしょうがないか。ごめんね」

 おお、神様、やっぱりこのバカップルを許すことができません、ごめんなさい。でも、これだけは誓います、彼女たちに対する業火の原因は断じて嫉妬などではありませぬと……。

 六畳一間では、山淵の甲高い笑い声が、いつまでも鳴り響いていた。


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43

 明け方、灰色の空を見上げる。遠く東に行くに連れて薄青色に変化しているグラデーション、やっぱ夏は日が昇るのも早い。

アスファルトに降り立ったはいいが、足取りがおぼつかない。まいったな、家まで十メートルもないから問題はないが、少し調子に乗りすぎたらしい。

「じゃあ、また明日。事故んなよ、赤夏」

「うう、たぶん大丈夫」

 開いてるのか、閉じてるのかわからない目を擦りながら返事をする赤夏。本当に大丈夫なのだろうか? まあここまで帰ってこれたのだから心配ないとは思うが、居眠り運転というのは飲酒運転と並んで事故率が高いからな。

 同窓会は二十二時にはとりあえず終了して解散した。あとは各自、好きなメンバーと連れだってカラオケ行ったり、別の飲み屋で二次会したりという形に。俺たちは松田竜太、高橋亀雄と共にカラオケに行って歌いまくり(そのとき山淵が高橋について来ようとして焦ったが、他の女子グループの所にいくことになった。あんなのでも友達はいるらしい……)。最初は普通に流行りの歌とかだったのだが、途中からアニソンやら特撮ソングが増え始めて、後半は最早、カオスな有様だった。

 まあ、とにかく色んな意味で調子に乗りすぎたわけだ。さすがにこの時間だと、玄関は閉まってるので、牛乳配達の受取りボックスにある合鍵でドアを開ける。鍵についてる豚のキーホルダーを見て山淵の顔を思い出した。まったく、あいつが部屋に入ってきてから俺はずっと、寒気を感じてるのに全身汗が噴き出すという異常な状態おかれていた。まだ服がベタベタして気持が悪い。あの生き物は人間の体内のメカニズムまで狂わせてしまうらしい……眠たいがとりあえず風呂だけは入っておこう。短い廊下の奥、脱衣所の引き戸を開ける。

「あ……」

 そこには友希英がいた。いや、同じ家に住んでるんだからそりゃ顔合わせることもある。だが、タイミングが悪かった、むしろ最悪だった。

 友希英は風呂上がりだったんだろう、濡れた体で手にタオル一枚持っただけの姿……予想外のことに俺の時間は一瞬止まる。そして現実逃避的に、どうでも良いことが脳をグルグルと回りだす。ああ、髪ほどいた姿って珍しいな。いっつも寝るとき以外結んでるし。濡れ髪って何でこんなに色っぽいんだろ。俺と同じでかなり痩せ型だけど、こうしてみると案外にスタイルいいなぁ、太ももとか肉感的だし、胸もけっこう……。

 直後、顎に拳が叩き込まれた衝撃で現実に引き戻された。顎は急所なので軽い打撃でも脳が揺れる、平衡感覚をなくして腰をついた俺を見下ろす友希英。目元にうっすらと雫を光らせ、怒りの形相だ。

「いや、これはそのね、ハハ……わざとではなく、まさかこんな時間に風呂に入ってるとは」

「いいからさっさと閉めて!」

 再び顎に衝撃が。今度は踵で叩き潰される。突き飛ばされた俺の後頭部が廊下に打ち当たると同時に、脱衣所のドアがピシャッと乱暴に閉められた。何だよ、何だよ、何も泣いたり怒ったりすることないだろ。そりゃ、俺の不注意もあったかもしれんけど、そもそもいくら明るくなってきてるからって、電気もつけずにいたらわかるわけないじゃないか……。

 顎がジンジンする。本気で蹴ったな、あの娘……。いや、体よりも心の方が痛かった。これはヤバい、絶対嫌われた……いや、もう少し楽観的に考えてみよう。

 俺にとってこの事態は予想外だった、だから慌てた。ということはだ、彼女にとっても同じだったのではないだろうか?  そうだ、そうに違いない。きっと友希英は気が動転していたんだ、だからついあんなことを。あの娘も今、後悔してるよ。後でこっそり俺の部屋に来て一言「お兄ちゃん、ごめん」って……。

 そんな淡い希望は、次の瞬間目の前に現れた友希英の顔に一瞬で打ち砕かれた。廊下で蹴り倒されたままの俺を見下ろす顔は、軽蔑や怒りしか内包されていない。


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「は、早かったな、着替えるの」

「どいて、邪魔」

「いや、ほんとに悪気はなかったんだって。だから機嫌直してよ、ね?」

「じゃ、まっ!」

 怒鳴るように言う友希英の気迫に圧され、廊下の角に体を小さく折り畳む。彼女はこちらを見ようともせず、二階に上っていった。まいったな、ハハハ……俺は前髪をかき揚げ、今の自分がなんとも馬鹿らしくなって、ただ笑った。しかしまあ、いつまでもうなだれていても仕方がない。とりあえず当初の目的通り風呂に入ることにしよう。湯船のお湯はさっきまで友希英が入っていただけあって、熱すぎずぬるすぎず丁度良い温度。

 風呂は良い。徹夜、脳への衝撃、そして精神的ショック……ボロボロの俺を包み込んでくれる湯船は、まるで揺り篭のようだ。

 入浴剤を含んだ暖かい溶液は、全ての疲労を癒してくれる。昔から風呂が好きで、一時間くらい入ってて母親に怒られたものだ。大阪に行ってからは家賃の都合でシャワーのみのアパートに住んでるが、やっぱり浸かると気持が良い。

「迅君、帰ったの?」

 風呂場のすりガラス越しに母親の声がした。腕時計(防水のGショック)を見ると時刻は六時半。もうこんな時間か。時が流れるのは早いものだ……。さっきのことも時間が解決してくれるといいのだが。でも友希英は根に持つタイプだからな……。

「うん、さっき帰ったとこ」

「遅かったね、ご飯は?」

「ああ、用意しといて」

 俺の返事を受け、母親が出ていく音が聞こえる。とはいったものの、やはり眠い。このまま寝てしまわないように気を付けなければ。入浴中に居眠りをしてそのまま溺死したという事故は実際多いらしい。一歩間違えば都市伝説の「人間シチュー」みたいなことになってしまう。そうならないうちに、俺は湯船から上がった。

 ざっと体と髪を洗い、脱衣所に出る。タオルでさっと体を拭き、部屋着にしているトレーニングウェアを身にまとった。

 濡れ髪に適当にドライアーをかけ、居間へ向かう。完全に乾ききっていないが、まあ問題ない。湿った前髪を搔き揚げ、乱れたオールバックのようなヘアスタイルにする。ここ二ヶ月ほど散髪にいってないので、かなり髪が鬱陶しいことになってきている。とはいっても、散髪代もただじゃないんだよな、貧乏学生は辛い。

 居間では、母親が座卓の前に座り、テレビを見ながらコーヒーを啜っていた。片手で『日本タブー史』という文庫本を広げている。

「迅君、はい」

 指差した先には、ランチマット上に並べられた食事が。ご飯に焼き魚、味噌汁という純和食。俺は昔からずっと細身だが、おそらくこの食生活のせいだろう。

「いただきます」

 味噌汁に口をつける。美味い。食事のときはまず一口、味噌汁を啜ると食欲が刺激されると聞く。だからというわけではないが味噌汁は俺の好きな汁物メニューである。

「続いてのニュースです。T県S市の松尾内団地付近で、男性が死亡しているのが発見されました。男性は柴田晃さん、三十九歳。死因は窒息死……」

 ブラウン管の中のアナウンサーは、朝から辛気臭い報道をしている。警察では事件と自殺両面から捜査しているとのこと。


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「そういや、親父も自殺の死体見つけたことあるよね」

「うん、ランニングしてるときね」

「どの辺だっけ?」

「あそこよ、農道沿いの」

 思い出した。駅の向こうは畑で、線路沿いに農道が走っている。その先にある交差点のところで、車にホースで排気ガスを流しているのを発見したと言っていた。親父が見つけたときにはもう手遅れみたいだったが。

「でもよくわかったな。車の中で自殺してるとかわからんよ、俺なら」

「様子が変だったらしいからね。ま、あたしだったら変だと思っても絶対近づかんけどさ」

 しれっと言ってコーヒーカップに口をつける母。愛飲はマンデリンのストレート。前に一口飲ましてもらったことがあるが、恐ろしく苦い。ブラックが飲めないうちはまだまだお子様よとバカにされたが、ブラックとかそういう問題ではなくマンデリンは俺には苦すぎる。

「まあたしかに自殺死体とか見つけると気分悪そうだからなぁ」

「お父さんもあの晩は眠れなかったらしいよ。あとあの人、子供のころ海で水死体も見つけたことあるって」

 うちの親父は死体に縁があるらしい……今回の窒息死体も親父が見つけててもおかしくなかったな。

日本では年間三万人自殺者が出ているらしい。最近、数値の上では景気が回復しているらしいが、それは企業が働き盛りの人間をリストラした結果だそうだ。そのせいで自殺した人間は二十万人以上。二十万といえば小さな都市と同じくらいの人口だ。つまり日本は都市一つを大量虐殺(ジェノサイド)で消して、それによって景気を建て直しているのと同じだ……と、うちの講師が言っていた。

 何にしても、そういうのの余波が田舎のS市にもやってきたらしい。いやはや、うちの親父は公務員でほんとに良かった。

「続いてのニュースです。T県S市在住の高校二年生、鈴木次郎君が三日ほど前から行方不明になっております。同市内での行方不明者は今年になって百二十八人、今月だけで十四人も出ており、警察では何かしらの組織犯罪や、大規模な拉致が行われているのではないかという疑いを持ち、全力で捜査に臨んでいます……」

 死体の次は行方不明か……なんというか、色々と気が滅入るようなニュースばっかりだな。しかし百二十八人っていうと、えらい数だ。北朝鮮か新興宗教が拉致でもしてるんじゃないだろうか。

「あんたも気をつけなさいよ」

 母親がこちらを見て言う。そう、これはまぎれもなくS市で起きている事件なのだ。しかし、テレビ画面の向こうで語られる事柄はどうも実感がなく、まるで違う世界の出来事のように聞こえる。

「大丈夫だろ、たぶん」

「あんた変なことして目立つからさ。刀持ってブラブラしたりさ」

 ……そりゃ、撮影の為に刀や銃をそこらで振り回したり、妖怪の着ぐるみで駆けずり回ってる俺たちはたしかに目立つだろうけど。何も連中もそんな変な奴さらいたくないだろうに。

「あのな、毎回刀持ち歩いてるわけじゃないんだけど……それに刀持ってるときはかえって安心だって。ズバッと一発ね」

「どっちかっていうと、拉致より殺人事件の方が怖いわ。あんたが犯人になりそうで」

 母上、あなた今さらりと酷いこといいましたね……。

「それに変な工作員とかが相手だったら、あんたの剣道なんか何の役にも立たんわ」

「そりゃそうだ」

 母親も高校の頃は剣道部で剣道二段。俺と違ってかなり本気でやっていたらしい。年齢的にはいいおばさんだが、棒持って戦ったら俺より強いんじゃないだろうか?  ちなみに父親は航空自衛隊だ。剣道家の母に自衛官の父。俺たち兄妹が武道に興味があったり、血の気が多いのは明らかに親の影響だろう。


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「あ……」

 武道云々で友希英のことを思い出す。顎に少林寺の蹴りの感触が蘇ってきた。俺は剣道や空手で、ごつい男の有段者に殴り倒されたことは何度もあるが、そのどれよりもあの蹴りは痛かった気がする。色んな意味で……。

「どうしたん? 何か急に沈んで。同窓会で何かあったの?」

「いや、同窓会では何もなかったけど……」

 その後にね……さすがに、妹の裸を見て蹴られたというのを母親に言うのは憚られた。

「どうだった?  竜太君とか来てた?」

「うん、来てたよ。全然変わってなかった」

「ああそう。懐かしいなぁ、あんたと赤夏君はちっちゃかったのに竜太君だけおっきくてさ。倍くらいあったよ、ほんと」

 いつの話だよ、それ……たぶん、小学校入学前から小一にかけてくらいかな。赤夏や竜太と知り合ったのはそれぐらいの時期だったから。

「あんたは特にちっちゃくて、ぽーっとしてたからさ。女の子に着替えさせて貰ったりしてたんだよ」

「はぁ、そうだっけ?」

「うん。何かもう、ままごととか着せかえ人形みたいにさぁ」

 話が同窓会から変な方向にずれている……しかも全然思い出せない。でも、考えてみるとさもありなんだが。今でも瑠璃に何かと世話して貰ってるし。母性本能をくすぐるタイプらしい。

 かといってモテるわけではなく、女の子からするとかまうのは楽しいけど本命は、もっと別のイケメンとかスポーツマンとかみたいな……ちょっと悲しい。

 そういえば幼稚園の頃、しょっちゅう遊んだ女の子がいた気がするが、誰だっただろう?  同じ幼稚園じゃなかったのは覚えている。いつも近所の広場に彼女に会いに行った。二人でブランコに乗ったり、地面に絵を描いたり、「ずいずいずっころばし」や「あぶくたった」をして遊んだ。二人でやるような遊びじゃないはずだが、二人しかいなかったんだからしょうがない。あぶくたった煮え立った、煮えたかどうだか食べてみよう、むしゃむしゃむしゃ……そんな断片的な記憶はあるのだが、顔や名前がまったく思い出せない。

何故か知らないが、そんなふと記憶の底から浮かび上がってきた小さな事柄が、無性にひっかかった。

「そういや、幼稚園のときよく遊んだ女の子いたじゃん。あの娘、誰だっけ?」

 突然の問いに、母親も首をかしげる。

「えー、そんな娘いたっけ?」

「ああ、わかんないならいいや」

 考えてみれば、俺が一人で外に行ったときの遊び相手なんて母親が把握してるはずないか。その後、同じ学校に通ったとかならともかく、小学校に上がってからその娘に会った記憶はない。違う学校区域に住んでる娘だったか、進学前に引っ越してしまったか、まあそんなとこだろう。

「しかしまあ、この辺りも物騒になったもんだな。俺はこんな片田舎は事件と無縁だと思ってたのに」

「何言ってんの、この辺はけっこう色々あったよぉ」

「そうなん?」

「けっこう前にさ、ヤクザと漁師が斬り合ったりさ」

「マジ?」

「うん。去年くらいだったかな。あのマグロ捌く刀みたいな包丁でヤクザ斬り殺したってやつ」

 初耳だ……去年というと俺はもう大阪にいたから情報が入ってこなかったのだろう。まあ、たしかに漁師とか田舎の人間は血の気が多いからそういう事件があってもおかしくはない。


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「そうそう、中学生がおばさんをナイフで刺したってのがあったでしょ。二中で」

「ああ、あったな。俺が中学入る前だったからあんま実感なかったけど、先生が色々話して気がする」

「あたしは、あんたも友希英ちゃんも小学生だったら気にしてなかったけど、中学の親とか大変だったらしいよ」

「まあ、そうだろなぁ」

「あとさ、あんたが四歳くらいのときかな。兄屋町の方で夫婦が殺されたってのもあったし」

「そうなん? 全然、知らんかった」

「あんたまだ、ちっちゃかったからね。正直、あたしもあんまり知らないし。でも何か首切ったりしてかなり、悲惨な事件だったらしいよ」

 ……俺が思っているほど、この田舎町は平和ではなかったらしい。

 大阪は犯罪率が高いと聞いていたが、実際住んでみるとまったくそんな感じはしない。それでもテレビでは大阪の殺人や、強盗事件を毎日のように報道している。結局のところ自分が遭遇しないと実感というのはわかないのかもしれない。たぶん、東京の人間も、ニューヨークの人間もそうだろう。犯罪率が高いといっても、大半の人は気にせず普通に生活している。

 だが、とても運が悪い人だったりすると、ある日突然そういう犯罪に巻き込まれて死んだりもする。

それはこの小さなS市も例外ではなかったようだ。今までは運良く関わらなかっただけで。できればこれからも平和に生きて行きたいものだが。

「そういえば友希英ちゃんのことなんだけどさ」

「ああ、さっき風呂場にいたよ。朝早いな、あの娘」

 深い溜め息をつく母。

「そうじゃないの。寝てないのよ、友希英ちゃん。朝までずっとここで絵を描いててさ」

 ああ、なるほど。だからあんな時間に風呂入ってたわけね。

「でもまあ、徹夜くらい珍しくないんじゃね?  若いんだし」

「うん、そりゃあたしだって学生の頃はラジオの深夜番組聞きながら勉強したりしてたよ。でもあの娘の場合、朝まで漫画描いて昼過ぎか、酷いときは夕方に起きてくるのよ。完全に昼夜逆転。一年くらい前からずっとそう」

 ……もう一年もか。

 俺が高校三年の頃、もう授業も終わり後は卒業を待つだけになった時期のことだった。友希英は体調が悪いと言って学校を休んだ。それだけなら、べつにどうということもないことだ。だが、次の日もまた友希英は休んだ。その次の日も、また次の日も……さすがに痺を切らし、いい加減にしろと怒鳴った母親と何やら言い返してる友希英の口論は記憶に残っている。結局、いくら周りに言われても本人に行く気がなければ、どうにもならず、彼女はそのまま登校拒否になった。

 はっきりとした理由はわからない。だがなんとなくの察しはつく。元来、口数が少なく、社交性に乏しい友希英にとって、学校というのはひどく辛い場所だったのだろう。特に中学生くらいの女子だとグループから外れてると露骨にハブられたりするし。友希英は可愛いからやっかみもあったかもしれない。人間というのは酷く醜い生き物だから……。

「あの娘、将来どうするかとか考えてるのかな……」

「一応、漫画家目指してるみたいだけど」

「そう簡単になれたら良いんだけどね……」

 母の言うことは常に現実的だ。そう、漫画家とかいうのはただでさえ狭い門、友希英は絵の才能はあると思うけどそれでもどこまで通用するか……仮にデビューできたとしても、そこから二作目三作目とコンスタントに連載しないととてもじゃないが、職業としてはやっていけない。そして、そこまでいけるのは、デビューした人間の中でもほんの一握りだ。


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「どっかにお嫁に行けたら一番将来も安泰なんだけど、あの性格じゃ他人と暮らすなんてね……」

「まあまあ、大丈夫、友希英たんは俺が一生養ってやるから」

「兄貴が養うってもねぇ……ま、あんたがそうしてくれたら一番良いんだけど」

 とは言ったものの、俺自身も未だ就職の目処は立ってないんだけどね……。だがしかし、友希英の為に俺は頑張らなければ。

 彼女に生活力がないのなら、俺が全てをかけてそれを補う。友希英は、俺が守る。

 居間のソファーに寝そべり、ただ漠然と天井を見上げる。さすがに今日は撮影はしない。俺も赤夏も徹夜明けでこの様では話にならないから。すでに日は落ち始め、夕方になっている。朝から何をするでもなく、ここで寝たり起きたりを繰り返すのみ。泥のように眠ってしまえば楽なのだが、どういうわけか意識は浮かんだり沈んだり、中途半端でしんどい状態が続く……。

 玄関から、ドアを開ける音がした。

「ただいま」

 ほどなくして入ってくる父親。空自の紺色の制服に身を包んだ姿は、俺からすると見慣れたものだが他人にはけっこう威圧感を与えるらしい。制帽をとった下から表れた顔には、額から目元にかけて斜めに疵が走っている。薄茶色のレンズをした色眼鏡(実は老眼鏡だが……)のせいもあって、外見はヤクザそのものだ。

「お母さんは?」

「まだ。たぶん、もうすぐ帰ってくるんじゃない?」

 制服からジャージに着替える父。こうなるとよけいにヤクザっぽい。ちなみに額についた疵だが、本人は昔、刀で斬られた痕だと言っているが、実際は酔っぱらってドブに落ちたときのものらしい。あのときは大変だったと、母親が語っていた……。

 まったく、かっこ悪いったらありゃしない。こんなんでも、部下の女性隊員にはそこそこ人気があるらしいから不思議だ。そういえば若い頃の写真を見たことがあるが、作家の三島由紀夫にそっくりだった。

「友希英は?」

 冷蔵庫から缶ビールを出しながら親父が訊く。

「さあ……朝一回見たけど、それからずっと部屋」

「そうか」

 母の言うとおり、本当に友希英は夕方まで寝ている。今日の場合は生活リズムの崩れなのか、俺のせいなのかは定かでないが……。いつも友希英が半分以上占領している座卓には、親父が広々と酒と肴を広げている。端に置いてあるスルメに手を伸ばすポン太の尻尾を父は引っ張る。

「おい、一杯注いでくれや」

 そう言って俺を呼びつける親父。まったく、面倒だな……。親父の差し出すおちょこに缶ビールを注いでやる。俺の知る限り、ビールをこんな飲み方をするのはこの親父だけだ。

「それって何か意味あるの?」

「ん?  気分が違うわい」

 やはり、わけがわからない……。このおちょこは何やら高級品だと前に言っていたが、おちょこに良し悪しなんてあるんだろうか?  そもそも中身は所詮、缶ビールだし。

「迅、今度、猪狩りに行かんか?」

「行かないよ……」


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49

「なんじゃ。銃撃てるぞ? パァンって」

 あのなぁ……猟銃免許ない俺が撃ったらまずいだろ。

「昔はけっこう行っとったけどなぁ。わしの友達が、一人、山で死んでのぉ。あの馬鹿は……まあ、なんとなく久しぶりに行ってみようかな思ってな。お前も来いや。こっそりやったらばれんばれん。わしが撃ったことにすればいいから」

 なんて人だ……この親父はどうも自由人すぎて困る。こち亀の両津勘吉やじゃりん子チエのテツとかが好きらしいが、普通の人なら漫画で読んで笑って終わるところを、両津みたいな生き様を現実にやってきているのだ。他人から見れば面白いし、人気もあるだろうが、身内からしたらたまったもんじゃない。

「ただいまー……お父さん、またこんな時間からお酒飲んで!」

 親父より少し遅れて帰ってきた母親が口をとがらせる。

「なんや、固いこというなや」

「ああもう、体壊してもしらんからね!」

 ぶつくさ言いながら、買い物袋を台所に運ぶ母。まったく、母の言う通りだ。帰ってくるなり、酒を煽るとはアル中直前なんじゃないだろうか?

 音もなく居間のドアが開いた。友希英が無言で入ってくる。

「おう、今まで寝とったんか?」

「起きてたから。部屋にいただけで」

 そっけなく親父に答える友希英。顔つきを見る限りたしかに寝起きではなさそうだ。となると、下に降りてこなかったのは俺のせいか……さっきから俺と目を合わせようとしないし。

「なあ、友希英たん」

「……何?」

 チラリとこちらを一瞥し、明らかに不機嫌そうに言う友希英。

「今日は一日どうしてたの?」

「部屋で絵描いてた」

「珍しいな、いつもはここで描いてんのに」

「あたしの勝手でしょ」

 そう言って、俺のことを睨みつける。もうかまうなというオーラ全開で、それ以上話しかけることはできなかった……。


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50

「どうしたの?  元気ないよ」

しゃがんでる俺の背中にどかっと乗り掛かってくる瑠璃。

「暑い……」

「ああ、迅君酷いー」

 だが、暑いものは暑い……海風がそよいでいるとはいえ、気温は三十度越えの夏まっただ中なのだから。後ろの方で赤夏と外原が渋い顔でこっちを見ている。

 俺たちが今いるのはY市の湊山公園。勿論撮影の為である。海に面した公園の沿道が、ヒロインと恋人が語り合うシーンにぴったりだったのだが……。

「悪いな、ちょっと寝不足でさ」

 そう、昨日は友希英のことを気にして眠つけなかった。結局、二日連続でろくに寝てないことになる。

「何だぁ?  どっかの誰かと夜の仕事に励みすぎたか?」

 笑いながら俺の頭をはたく外原。この男には品性というものがないのだろうか?

「アホか……妹とちょっとな」

「何っ? 相手は妹だと?  それはさすがにまずいぞ」

「殺すぞ、ハゲ」

「ハッハッハ、怒るな、怒るな」

 手にしたペットボトルの水をラッパ飲みする外原。この男には反省がないらしい。赤夏は相変わらず、細めた目で傍観者的に見守っている。

「どうでもいいけど、よく水飲むなお前」

 外原の手にしているペットボトルは二リットルサイズ。しかも凍らせた予備を他に二本持ってきている。

「ああ、俺水飲んでないと駄目なんだよ。干からびちまうから」

「干からびるってな、おい……」

 そういや、こないだの撮影のときもずっと水飲んでたな、こいつ。

「あんま水分とり過ぎても体に悪いぞ」

「大丈夫、大丈夫。俺、そういう体質だから」

「あっそ……」

 本人が大丈夫って言ってるんだからまあ大丈夫だろう。しかしこうも暑いと撮影も進まん。前回は森だったから日が遮られてたが今は直射日光がモロに降り注いでくる。本日の撮影予定は十二カットだが、今現在で撮り終わったのは三カットのみ。

「さて……続きいきますか」

 いつまでも座り込んでてもらちがあかんし。よっこらせと立ち上がり、上半身をブンブン振って気合いを入れる。

「よしっ! 次のカットは……これだ、瑠璃があそこに座って待ち合わせしてるとこ」

 絵コンテを指して、座る位置やポーズを指示する。

 ふと、瑠璃の足元に一匹の黒猫が擦り寄ってきた。俺は触りに行きたい衝動に駆られるが、ここはぐっと我慢する。今は撮影中だ、公私を混同してはいけない。

 瑠璃の方のスタンバイができたら次はカメラだ。

「どうだ?」

「こんなもんかな」


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 一応、チェックの為にカメラを覗いてみる。うん、ちゃんと絵コンテに描いた通りに仕上がって……。

「ん?  ちょっとピントずれてない?」

「そうか?」

「瑠璃の辺りがピンボケっぽいんだけど……」

 右足から擦り寄ってる猫にかけてがかなりぼやけて見える。ピントをいじってみるが、どうも上手くいかない。顔は綺麗にくっきり写っているのに、その部分だけはどうやってもぼやけたままだ。猫はどうでもいいのだが、瑠璃がぼやけているのはいただけない。

「どれどれ、見せてみ」

 俺からカメラを取り上げ、ファインダーを覗く赤夏。

「んー、べつにピンボケしてないじゃん」

「は?  肩のあたりだぞ?」

「うん、大丈夫だぞ?  ほれ」

 いや、そんなはずはない。たしかに目に見えて画面がボヤけてたはずだが……。

「あれ?」

 ほんとだ……特にピンボケというわけでもなく、瑠璃の全身はちゃんとはっきりと写っている。

「どうしたのー?」

 待たされている瑠璃が、心配そうに言う。

「いや、問題なかった」

 さっきはどうあれ、今ちゃんとしてるなら良いか。俺の見間違いかもしれないし、微妙に動かしたときに合ったのかもしれない。いつの間にか猫も離れていた。わざわざ追い払うのも気がひけたからちょうど良い。さっさと撮影を終わらせてしまおう。

「はーい、じゃあ本番行きまーす!  三、二、一、スタート!」

 しかしまあ、世の中思う通りには中々いかないもので……早く終わらせたい俺たちの思いとは裏腹にスケジュールは圧して結局、予定カット終了したのは夕方六時頃だった。まあ、無駄に時間がかかったのは、暑いからとだらけながらやってたせいなので自業自得なわけだけど……。

 撮影終了後、Y市在住の瑠璃と外原はそのまま帰宅。俺と赤夏は、帰りに晩飯を食っていくことにした。

「さーて、どれにするかな」

 テーブルに着くなり、さっとメニューを広げる赤夏。

ビーフカレー、ポークカレー、チーズカレー、ハンバーグカレー……そう、ここはカレー専門店。赤夏は無類のカレー好きなのだ。三日くらいまでなら三食カレーでもいけると、以前言っていた。

「お前はどうする?」

「ん?  そうなぁ……」

 いつもなら俺はチーズカレーと決まっている。だが今回は、通常メニューとは別に挟んである、期間限定特別メニューとやらに目が留まった。

「この黒いイカ墨カレーってどうだろ?」

「うお、何か凄い色だな」

 メニューに着いてる写真、真っ黒なカレーはかなり異彩を放っている。イカ墨と数種類のソースをブレンドした特別仕様のルーだとか。見た目だけで言えばまるでヘドロのようだ。


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「よし、俺はこれにする」

「チャレンジャーだな、おい」

「昔、小一くらいの頃、イカ墨ポテトチップスってのがあったよな」

「あったっけ?」

「ほんと、真っ黒なポテチで食べた後は口も手も黒くなってな。めちゃくちゃ美味かった記憶があるんだが、期間限定だったから今じゃどこにも売ってない」

「ふーん」

「だから期間限定のイカ墨と聞いちゃあ放っておけん」

「まあ、よくわからんがイカ墨カレーな」

 うむ、自分でもよくわからん理屈だ。

「じゃあ俺はこっちの、あさりカレーにしよ」

 あさりカレー、これも期間限定だ。やるな赤夏。

 呼び出しスイッチを押すと、十秒ほどで中年の店員がやってきた。こちらの注文を聞き、丁寧に復唱する。

ここの店員は基本アルバイトだったはず。この年でカレー屋でバイトとはリストラでもされたのだろうか? 結婚しているなら、妻子を養うにはかなり厳しかろう。独身であれば、この歳でアルバイト生活となると結婚は難しい。この、まったくの他人であるおっさんの人生を考えると少し哀れになった。だが、それは未だ就職の目処のついていない自分自身の将来にもなりえること……うん、マイナスなことを考えるのはやめよう。

 しばらくすると、トレイに乗せられて二つのカレーが運ばれてきた。香辛料の匂いが鼻につき、食欲を刺激する。

 イカ墨カレーはその外観に似合わずコクがあって美味い。期間限定などにせず、レギュラーメニューにすればいいのに。まあ、美味いものが今しか食べられないというのが客の購買意欲をそそるという店側の戦略なのだろうけども。

「そういや、赤夏……」

「ん?」

「うちの親父が子供の頃、水死体を見つけてな。その日の晩飯がカレーだったらしいが、グチャグチャの死体を思い出して食えんかったらしい」

「お前、わざわざ今そんな話をするか? する必要があるのか?」

「いや、カレーで思い出してな」

「まったく、悪趣味な男だ」

「『悪趣味の本』の愛読者ですから」

 鞄から本を取り出してテーブルに置く。古本屋の百円コーナーにあったのを衝動買いしてしまった。その名の通り、世の中の悪趣味をルポしてまとめた本だ。

「ガラスとか釘を食べる連中の対談とか、小人プロレスとか、アダルトビデオ撮影現場ルポとか、寄生虫博物館が出来るまでとか……」

「あー、聞いてるだけで食欲を削がれる」

「そうか。こういう無意味に変な話、好きだけどな。こないだ読んだのは、降霊術師が三島由紀夫の霊を呼び出して……」

「三島由紀夫なんてただのホモじゃねぇか」

「ただのホモではない!  偉大なホモだ」

 べつに三島由紀夫信者ってわけじゃないけどね。

「三島由紀夫は自衛隊員に必死で訴えかけた。それなのに、それが昼飯時だったから飯が食えないと自衛官たちから猛反発を受けて、誰からの賛同も得られず、最後には割腹自殺したんだ。まさに悲劇の人じゃないか」


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「むしろ喜劇の人だろ」

 ちなみに上記の話はネットで仕入れたものなので、どこまで事実かわからん。でもうちの親父とか見てると、さもありなんって感じだが。

「『殺人鬼カード』ってのも載ってたけど、これちょっと欲しいなぁ。世界の有名な殺人犯をトレーディングカードにしたやつ」

「いらねえよ……」

「そうか、俺はそういうの大好きだけどな」

 うちの納戸には猟奇殺人のプロファイリングや、犯罪者の手記、拷問の本等が多数ある。こういう、人間の負の部分や暗黒面に強い興味を持つ者を“GOTH”というらしい。俺やうちの母親などは完全にこのGOTHに分類される人間だろう。

「そういや、S市でも何か事件あったらしいな、昔」

 赤夏のスプーンが止まる。

「あれな……うちの近所だった」

「……マジ?」

 S市は数時間あれば自転車で一周できるくらいの広さしかない。その中で事件が起きたとなると、近所である確率は決して低くはないが……。

「俺、全然知らんかった」

「お前、一回引っ越してるだろ?  小学校のとき。あんとき離れてたじゃん」

 たしかにうちは一度、引っ越しをしている。今でこそ赤夏と俺の家は徒歩でも行き来できる程度の距離だが、あの頃はかなり離れていた。また、悲惨な事件のことは子供にわざわざ教えないだろうし、ニュースなんて見ない幼稚園児の頃では事件を知らなくても無理はない。

「よく覚えてないんだけどな。何か警察の聞き込みとか、テレビの取材とかしょっちゅう来て、親父がキレてたのは記憶に残ってる」

「そりゃ大変だな……」

「保育園だったからな、あの頃。もう怖くて怖くて、夜も寝れんかったわ。だから未だに殺人事件とか苦手なんだよな」

「ああ……それは、すまんかったな……。でもそんなに怖かったのか?」

「だってあれ、事件がエグいからな。旦那は心臓一刺しで、奥さんは首切り落とされてたんだぜ?  寝てる間に犯人が部屋入ってきて、刺されたらどうしようって。布団に潜り込んで、怖くて足も出せんかった」

 まあ、五、六歳の子供なら無理もないだろうな。首切り、心臓を刺す、惨殺……言葉だけでもショッキングなのに、それが近所で起きた現実なのだから。

「今でも、実家で夜寝てると無性に怖くなることあるしな」

「おいおい、そりゃもうある種のトラウマだな。何年前の事件だよ」

 ほぼ空になった皿の残りを、スプーンでかき集める赤夏。最後の一口を食した後に、コップの水を飲み干す。そしてこちらを真っすぐ見据えてこう言った。

「犯人、まだ捕まってないからさ」

 コップに残った氷がカラリと鳴った。


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「ただいま」

 自宅に着いたのは午後八時頃。親には晩飯は外で食べるから遅くなると電話しておいたから問題ない。

「おじゃまします」

 俺の後から着いてくる赤夏。今日は、赤夏はうちに泊まりだ。二人で今まで撮った素材をチェックして、編集の算段を立てる。卒業まで半年以上あるといっても、本来映画っていうのは年単位で作るものだし、就職活動のこと等を考えるとあまり時間的余裕はない。人数面でもグループ制作のチームは分担作業ができるが、俺たちは二人だけ。一刻も無駄にはできない。

「いらっしゃい、まあ狭い所だけどゆっくりしていってね」

 居間から出てきた母親が笑顔で言う。外観は優しい母親を気取っているが、かなりご機嫌斜めなはずだ。うちで泊まりの作業をすることに関して、絶対駄目だと言われ前日に喧嘩になった。最終的に親父がまあいいじゃないかと味方してくれたのと、作品を完成させないと学校を卒業できない、そうなるとニート確定だという半ば脅しに近い俺の言葉で渋々首を縦に振った。使っていいのは一階の和室、そこから必要以外では出ないという条件付きだが。この母親は自分の生活空間に他人が入るのがよっぽど嫌らしい。

「さて、やりますか」

 必要な機材や資料は昨日のうちに和室に運びこんである。畳に置いたノートパソコンを起動し、ビデオカメラを繋いだ。まずは撮った素材のチェックをする。そこから使えるもの、そうでないものを選出し編集していくのだ。

「お、結構いい感じに撮れてんじゃん」

 液晶画面に映し出される海沿いの風景。生で見ると、はっきり言って汚いだけの海なのだが、ビデオに映されたそれは夏の情緒を含んだ美しい光景だ。さすが赤夏。俺はカメラはからきしなので、この技術は素直に尊敬に価する。

「あー、これちょっといまいちだな」

「だな。テイク・ツーの瑠璃ちゃんは可愛げに撮れてるけどどうだ?」

「うん、二回目の使おう」

 撮るのも査定も、風景より難しいのは人間だ。わずかな角度で、カメラ写りが全然違ってくる。影とか皺の一つで普通の人が美人になったり、逆に見るに耐えなくもなるのだ。女の子ならできるだけ可愛く、男なら男前に写ったカットを選び出すことで被写体とキャラクターの魅力を引き出せる。その点では瑠璃は見た目は良いから、こちらとしてもやりやすい。

 問題は……俺の方だ。今回、俺も出演しているのだが、自分の姿や芝居というのは、客観的に見るのが非常に難しい。何か物凄く気恥ずかしいし。とりあえず自分の写ってる部分は、赤夏にチェックしてもらう。

「とりあえずこれかな」

「えー、これ目付悪いやん、俺」

 瑠璃と二人並んでるシーン。無表情でなんかちょっとヤバそうな顔してるぞ、俺。

「他も似たようなもんだ。てかこれが一番マシだ」

「チッ、もっとうまく撮れよな」

「お前はもともとこういう顔なんだよ。だいたいこいつはキャラ設定として、こういうちょっと何考えてるか、わかんねーやつだから良いんだよ」

 そう言われると辛い……そういうえば俺は表情に乏しいし、目付きが悪いからシナリオ段階でそういうキャラクターにしたんだっけ……。

 ざっと見ていったがその他は特に問題あるシーンは見つからなかった。今日撮ったのは全部で十分程度。撮影は一日仕事なのに、撮れる量は驚くほど少ない。リハーサルや準備にかかる時間に比べ、カメラが回ってる時間というのはせいぜいワンカット数秒~数十秒でしかない。このペースで夏休み中に二時間映画を撮り終えられるか、かなり不安だ……。


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55

 赤夏が大きく伸びをした。小さなノートパソコンの前で、男二人縮こまって画面を凝視していたらけっこう疲れる。

「ああ、しんどい。テレビでも見るか」

「このパソコンってチューナー内蔵?」

「いや、でも一応こっちに受信用アンテナが着いてるから……」

 ビデオキャプチャボックスに付属しているアンテナを伸ばす。これで電波を受信してどこででもテレビが見れる。もっとも、かなり画質が悪いのでほとんど使わないが。

案の定、チャンネルを回しても砂嵐ばかり。一番ノイズの少ない番組にチャンネルを合わせる。

 T県のローカルニュース番組だ。やはりトップニュースは、この間やっていた大量行方不明事件。依然、何の手がかりもないとのこと。他はまあ田舎の平和なニュースだ。爺さん婆さんの畑仕事のインタビューとか、小学生がボランティアしてるとか、河童が目撃されたとか……。

「河童だってよ。こんなんテレビでやるか?」

「でも、うちの婆さんの知り合いも見たって言ってたぞ」

「マジで?」

「何か夜の畑でキュウリ盗って行ったって」

 マンガみたいな話だな、おい……。大方、畑泥棒を見間違えたんだろうけど。

 何にしても『衝撃! 河童の出る街、S市!』なんて、どぎつい真っ赤なテロップ出して特集組むような事件でもないだろうに。いや、S市は妖怪を売りにしてるからこれも商業戦略ということもありうる……て、それは考えすぎか。

 テレビの映像が、スタジオからS市に移った。美人のレポーターが、登下校中の子供や畑仕事をしている爺さん婆さんにインタビューをしている。

 まあ、もし本当にいるんだったらお目にかかってみたいものだが。ビデオに撮って学校に提出すれば、成績トップ間違いなしだな。て、考えることのレベルが俺と同じじゃないか、大丈夫かよディレクター……。

 まあ、そもそもT県ローカル番組にあまり大層なものを求めても酷なことかもしれない。毒にも薬にもならない番組を流し見しながら、映画制作ノートを広げる。今回、撮影しなければならないのは全部で九八二カット。

「今まで撮れたのが一一二カットだから……」

「結構撮れてんじゃん」

「ってもこれは風景とか、インサートショットも含めた数だからな」

 インサートショットというのは、シーンとシーンの間に繋ぎとして入れる、カットのこと。主に空や建物の外観といった静物画が多いので撮るのは比較的楽だ。

「まだ妖怪は一反木綿しか撮ってないしな」

「ああ、あのシーツな」

「シーツ言うな、シーツ」

 恐らく、撮るのが大変なシーンは準備もかかるので、どんどん後に回っていくだろう。そう考えると、決して順調な撮影ペースとは言えない。まあ、だからこうしてわざわざ夜通しの作業をするわけだが。

 俺たちはこれから、ボス妖怪の着ぐるみを作らなければならない。古い物が妖怪化した九十九神というのがコンセプト。だからガラクタが寄せ集まった怪物というイメージ画を描いたのだが、実際に作るとなると中々うまくいかない。途中まで出来たものを赤夏に見せると、案の情顔をしかめた。

「鵲、こりゃどう見てもゴミだろ」

「ううむ……」


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 たしかに……大きな布を袋状に縫い会わせ、いらなくなったものをひっつけていく。それを人間が被れば、デザイン通りになるはずだったのだが……。これではガラクタ妖怪ではなく、ほんとにガラクタだ。

「これをこれから本物っぽくする為に、わざわざお前を呼んだんじゃないか」

「いっそ、作り物って設定にすっか。何かであったろ、森に現れる怪物は実は着ぐるみ着た人間だったって」

「シナリオが変わるから却下。それにそのネタは禁じ手だ」

 実は全部作り物の偽物でした、というのは夢オチと同じくらいしらける、やってはならないラストらしい。まあ、にも関わらず、最近でもそれをやった監督はいたけど。

「いいか、赤夏。『エイリアン2』にでっかい女王エイリアン出てきただろ?」

「ん?  ああ出てきたな」

「あのエイリアンの外観はゴミ袋でできてんだよ」

「え、マジで?」

「黒いゴミ袋を骨組みに巻き付けたり、千切って垂らしたりして作ったってテレビでやってた。照明暗くしたりすると本物っぽく見えるんだな、これが」

 暗い照明、怪物の全体像が見えない、急に飛び出してきて脅かし、すぐに隠れるというのは、低予算のホラー映画等では常套手段だ。モンスターがちゃちいのを見抜かれない為の。

「だからやりようによっては何とかなるはずだ」

「じゃあ、まずはこれを怖く見せるにはってことだよな、うーん……」

 ゴミの塊にしか見えない物体を前にして、思考を色々とめぐらせる。

「しかし、こうやってると昔を思い出すなぁ」

 工作をするなんて小学校以来だ。二十歳越えて部屋で二人してガラクタで怪物を作ることになるとは思いもしなかった。

「うん、そういや学校の図工でよくこんなんやったな。鵲はプラモとかゴジラ持ってって怒られてたよな」

「いや、あれはおかしいだろ。何でも自由に作っていいって言ってたのによ。俺はゴジラのジオラマ作るつもりだったのに」

「俺も墓場とゾンビとバラバラ死体作ってたら怒られたし。わけわからん」

「まったく、洒落のわからんクズ共が」

 命を何だと思ってるのかとか、不謹慎だとか、ホラー映画や怪獣映画を真っ向から否定する暴論だ。まあ、怪獣のジオラマで、兵士の人形の首もいで血しぶき飛ばしたり、市民が踏まれたりとか作ったのは少しやりすぎだったかもしれんが。それにしても所詮作りものだ。ガメラ3ではガメラが吹いた火炎で人間黒焦げで吹っ飛んだり、踏みつぶされたり普通にしてたし。

 まあ、未だに妖怪ホラーとか作ってるわけだから、俺も赤夏もあの頃から精神年齢はさして変わってないらしい。

 まさに三つ子の魂百までというやつだな。


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 私は、あの人の声を聞くたび、あの人の楽しそうな話を聞くたびに憂鬱になる。

 決してあの人が嫌いなわけじゃない。ただ、あの人みたいに楽しいことって、私にはないから。自分の好きなことに打ち込み、仲間たちに囲まれて……そんなあの人が羨ましい。あの人と仲良くしている皆が羨ましい。

 私もその和の中に入りたいのに、入れない……。あの人は私を受け入れてくれると思う。でも、やっぱり怖い……私が近付いたら、あの人は掌を返したように拒否するのではないかと。

 私は、こんなに駄目な人間なんだから……。


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58

 朝、八時にセットしておいた携帯のアラーム音が鳴り響く。目が覚めるなり、異臭が鼻を突き刺してきた。まだ眠かったが、耐え難い臭いで、一度意識してしまったら気になって二度寝はできない……て、まあこの時間に起きる予定だったのだから、もともと二度寝なんてしていられないが。

 サッシの端を軽く開けて換気をする。清々しい朝の空気が入り込み、鼻孔を洗浄してくれる。臭いの原因はわかっていた。和室の隅に置いてあるグロテスクなゴミの固まり、九十九神の親玉である。

 ただのガラクタを妖怪に見せ為に、俺たちはまず塗料を使った。ゴミそのままではなく、汚しをかける、気持悪い色に塗る。さらに、プラスチックをライターで焙って溶かす、接着剤をかけてテカりとドロドロにする、と色々試行錯誤しながら作業していたのだが……まあ、当然のごとく、溶けたプラスチックやらシンナーが、猛烈な異臭を発するわけだ。

 寝る前に一応、換気はしたのだが、あまりに臭い中で作業していたので、鼻が麻痺していたのだろう。あのときはだいぶマシだと思ったのに、改めて嗅ぐと耐えがたい空気だ。寝てる間に脳が溶けたんじゃないかと本気で心配になる……。

「おい、赤夏。起きろ、朝だ」

「ああ……って、臭っ!」

 起きて第一声はやっぱりそれか。

「今、換気してるから問題ない。ほれ、さっさとしろ」

 九時に瑠璃が来る予定だ。それまでに準備をしなければならない。洗面所にいって、さっと洗顔を済ませる。朝食は台所にインスタント食品があったはずだ。

「ビビンバとドリアどっちがいい?」

「じゃあドリアね」

「了解」

 台所のカゴからインスタントドリアを出してレンジにかける。さて、俺は必然的に残ったビビンバになるわけだ。べつにビビンバは嫌いではない、寧ろ好きな方だが朝からインスタントというのはエネルギー源として少し弱いな。かといって自分で料理は作れんし、母親はもう出た後だし……。

 ふと、台所の向こうにある、居間の座卓に目をやる。そこには布に包まれた長方形の物体が置かれていた。弁当箱だ。母親が出る前に作っておいてくれたらしい。なかなか気が利くではないか。

 ドリアと弁当を持って、和室に戻る。

「ほらよ」

「おお、サンキュ」

 弁当のおかずはカボチャの野菜炒めとスパゲッティ、あと冷凍のハンバーグ。カボチャオンリーの野菜炒めは初めて出るメニューだ。不慣れなせいか弱冠焦げているが、なかなか旨い。今度、晩飯にも作ってくれるように頼んでおこう。

「今日の撮影はどこだっけ?」

「ん? あれだ、墓場で村人が殺されてるシーンだ」

 ちなみに村人の死体役は赤夏である。

「あ、そうだ。忘れてた、ちょっと待ってろ」

 このシーンの撮影に必要なものをちゃんと作って置いたのに、忘れるところだった。危ない、危ない。

俺は“それ”をとりに、冷蔵庫に向かった。

「おじゃましまーす♪」

 玄関先のインターホンが鳴ってすぐに、瑠璃の元気な声が聞こえてきた。

出迎えるなり、いきなり飛びついてくる瑠璃。


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59

「おはよー、迅くーん」

「こ、こら……」

 危うくバランスを崩しそうになる。ていうか、こいつには女としての恥じらいとかそういうのはないんだろうか?

「いちいちに抱きついてくるな」

「だって、迅君って細くて適度な体してるから、抱き心地いいんだもん」

「セクハラだ、セクハラ!」

「何それ、女が男に触ってもセクハラにはならないよ」

「アホか、男が女にやってセクハラなことは、女が男にやってもセクハラだ」

 暑苦しい瑠璃を振りほどいて、和室に向かう。襖を空けた瞬間に、瑠璃が悲鳴を上げた。

「キャーッ!」

 再び飛びついてくる瑠璃、今度は悪意はないだろう。まあ暑苦しいことに変わりはないが。和室には顔面流血で真っ赤になった赤夏が座っていた。

「おはよ」

「お、おはよって、どうしたの赤夏君っ!?」

 声を上ずらせ、ビクビク震える瑠璃。密着した胸から、心臓の鼓動が伝わってくる。

「いや、べつにどうも」

「どうもじゃないでしょ、病院行かなきゃっ」

 慌てふためく瑠璃の姿に、俺は堪えきれず吹き出してしまった。

「ハハハ、心配するな。これは血糊だ」

「へ? 血糊……?」

「ほら。今日、死体のシーンがあるだろ? あれ用に作ったんだよ」

 簡易血糊の作り方は、以前に自主映画の本で読んだ。ガムシロップに食紅を混ぜるだけという非常にお手軽なものだが、これがなかなかにリアル。少しからかってやるだけのつもりだったのだが、予想以上に面白い反応をしてくれた。

「もうー、脅かさないでよ!」

 抱きついてたのから一変、思い切り突き飛ばしてくる瑠璃。

「まあ、気にするな。悪気はない」

「俺としても勘弁してもらいたいんだけど……」

 ガムシロ血糊でベトベトになった赤夏が恨めしそうにこちらを見てくる。この姿で、いつもの細い目で見つめられると、冗談抜きに怖いんですが……。

「ったく、こんな悪戯のために血糊かけるなよな」

「ああ、もったいないからそのまま墓地までいけば良いじゃん」

「ふざけるな、それは勘弁だ」

 そう言って濡れタオルで顔を拭く赤夏。やっぱ駄目ですか。

「じゃあ瑠璃、さっそく着替えてきて。風呂場の脱衣所、空いてるから」

「はーい」

 差し出した紙袋を受け取り、脱衣所に向かう瑠璃。袋には衣装のセーラー服が入っている。

「なあ、一つ聞いていいか?」

「ん、何だ?」


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「ヒロインの衣裳、何でセーラー服なんだ?」

「そりゃ、女子高生だからに決まってるだろ。シナリオ読んでないのか、お前は」

「いや、そもそも女子高生である意味がない気がすんだよ、このシナリオ。瑠璃ちゃんはもう高校も卒業してるわけだし」

 何を言い出すかと思えばこの男は。そんなことも理解できないだなんて。

「女子高生でセーラー服って言ったら、萌えの定番だろうが!」

 そう、日本男児は基本的に女子高生が好きだ。インターネットで『女子高生』と検索するとアダルトサイトや萌えアニメが大半を占めるのがその証拠。ましてや瑠璃は一般的に見るとかなり可愛い。これで客の心を掴んで人気をとるのだ。

「そんなもんかねぇ。俺としてはヒロインはお姉さまキャラを推したのに」

「お姉さまも捨てがたいが、瑠璃は童顔だし、そもそも実年齢的にもお姉さまは無理だ」

「それなら真尋さんあたりに頼めば良かったのに。それに女子高生にてしても、やっぱセーラー服よりブレザーの方が……」

 萌えの形は人それぞれ、百人いればそこには百通りの萌えがある。人と人が理解し合うのは難しい。だからギャルゲーとかは女の子たくさん出てきて、どんなタイプの萌えにも対応できるように作ってあるのだろう。

「真尋さんには出てもらいたかったけどあの人も仕事してるからなぁ、なかなか出演までは頼めんよ。しかし、ブレザー好きといいながら、セーラー服はちゃんと持ってるじゃないか」

「必要な衣装だから用意しただけだよ。俺のネットワークを使えばどんなコスプレでもすぐに調達できるけどね」

 衣装は赤夏の担当だ。どんなネットワークかはあまり想像したくはないが、買うと出費が馬鹿にならないので毎回、撮影の度に世話になっている。赤夏の部屋に遊びに行ったとき、絶対に見せてくれない物入れがあったから、たぶん、あそこに色々コレクションが詰まっているのだろう。コレクター同士は横の繋がりがある。俺は友達がほとんどいないので、顔の広い赤夏を友人に持ったのは救いだ。

「おまたせー」

 セーラー服姿の瑠璃がひょっこり顔を出す。イイッ、眩しい! この前のシーンは私服だったが、やはりこちらの方が断然良い。しかし、制服というものは何故、こうも美しく見えるのだろうか? 特別、デザインがお洒落とか奇麗というわけでもないのに。人類、七不思議の一つに数えてもいいかもしれない。

「あたしの学校ブレザーだったから、セーラーとか初めてなんだけど……どうかな?」

「うん、良いよ、似合ってるよ。ただ……」

「ただ?」

「スカートの丈をあと三センチほど短くしてくれた方が」

 痛っ! 赤夏と瑠璃のダブルパンチが頭部を打ちすえる。

「何だ、何だ! その方が受けが良いに決まってるだろ!?」

「客の受けじゃなくて、お前の劣情だろうがっ!」

 うう、あえて否定はしまい……だがしかし、客の立場に立って考えるのが良い作品を作る鍵だ。自分自身すら満足させられない作品で、他人を満足させることなどできるはずがない。

「ま、まあ、とりあえず撮影行こ、撮影。赤夏、カメラと三脚よろしく」

「あいよ」

 撮影場所はうちからすぐ近く。駅との間にあるあの墓場だ。しかし、外に出てみるとやはり暑い。いつにも増して陽射しが強い気がする。羽織っていた上着を脱いでTシャツ一枚になり、脱いだ方のシャツは墓石に掛ける。

「ちょっと、何やってんのよ!」


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「へ?」

「お墓に掛けちゃ駄目でしょ。祟られるよ」

 ああ、そのことか。変なことを気にするやつだな。まあ、オカルトマニアって言ってたから祟りや呪いの類には敏感なんだろう。

「だって地面置いたら汚れるし、神様だってこんなんで祟りゃしねえよ」

「もう!  そもそもこういうホラー映画撮るときは、撮影前にちゃんと御払いしなきゃいけないんだから」

 四ッ谷怪談などの劇を上演すると事故が起きるとかいう話は江戸時代からある。カメラや電波を発する機器は霊を呼びやすいともいうし。有名なのは心霊写真。ビデオに何か写っているというのもよくある。なんて話は聞いてても、わざわざ実際御払いまでするほど信じてはいないが。

「てかさ」

 赤夏が口を挟む。

「これただの死人だから。神様みたいに徳の高いもんじゃないから。祟るよ、きっと」

 妙なとこだけ冷静に分析して突っ込むな、赤夏……。

 

 ――じゃあたくさん埋まってるんだね。死体。

 

 心霊現象などは基本的に信じてはいない。だが、さすがに少し不気味に思えてきた。墓石から上着を外して肩にかける。

「じゃあいくぞ。まずこれ、死体発見シーン。ほれ死体、スタンバイ」

「はいはい……あの血糊ベタベタしてきしょいんだよな」

「後でうちのシャワー貸してやるから」

 渋々、寝っ転がる赤夏。地面に顔が着いた瞬間、悲鳴を上げる。

「熱っ!  この砂やばい!  太陽熱で焼けてる」

「耐えろ、耐えろ。ほーれ」

 無情に血糊を浴びせる。「後で殺す」と赤夏が呟いたのが聞こえたが気にしない。カメラ越しに覗くと本当に死体のようだ。白眼むいたり、呆けた顔したりと、こういう微妙な顔芸は得意だからな、赤夏は。血まみれの死体、それを発見する瑠璃、そして絶叫……今回の撮影は、珍しく順調に進んだ。

「じゃあ次のカット、シーン三六、カット八。死体を揺する瑠璃。よー……い……」

 ……あれ?  声が……出ない?  いや、厳密には違う。声が出せないというより、息が出せない。吸うこともできない。何かこう、空気がドロドロした膜になって顔に経張りついているような……。頭がぼうっとしてきて、目の前が白くなる。

 脳に酸素が通わなくなり、意識が飛ぶ……絞め技などで落とされたときの感覚によく似ている……。

 

 

「……ん君!  迅君っ!」

 体を揺すられて気が付く。目の前には俺を見下ろす瑠璃の顔が。いつの間にか俺は地面に倒れてしまったらしい。

「どうしたの? 急に……」

 どうしたの、と言われても……俺が知りたいくらいだ。何だったんだ、今のは……?

「いや、何か頭ぽーっとして意識飛んじまってさ」

「それたぶん、熱中症だよ。熱いからさ」


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62

 なるほど、そうかもしれない。このギラギラした太陽の中、帽子も被らず作業してたら熱中症になってもおかしくないか。ましてや連日、一日中撮影したり徹夜したりとかなり無理もしたし。

「ああ、悪いな撮影中断して……ちょっと休んだら治ると思うから」

「今日はもうやめた方が良いよ」

「そういうわけにはいかんだろ、ただでさえ遅れてるのに監督である俺がこんなことでへこたれるわけには……」

「めっ!  ちゃんとお家帰って休みなさい。撮影ならあたし、朝一で来て終わらせてあげるから」

「俺もちゃんと行くから、お前さっさと戻って寝てろ。監督倒れたら話にならん」

 瑠璃……赤夏……改めて思った。こいつら、良いやつ等だな。起き上がろうとしてふらつく俺を、横から支える瑠璃。しかし、この二人は平気だったのに、この俺が真っ先にダウンとは情けない話だ……ランニングでもして体力を着けんとな。

 墓場から続く道路をトボトボと歩く俺たち。途中ですれちがった婆さんが、目を見開いて足早に去っていったのを見て、自分たちの姿を思い出す。血まみれ男とセーラー服少女、カメラと三脚持った奴の三人組は怪しすぎるだろう。苦笑いが漏れた。

「あそうだ、あれ。祠と鳥居どうする? 明日の朝一緒に撮るか?」

 そういえば、今日の予定では墓場のシーンだけでなく、祠と鳥居のインサートも撮る予定だったな。まあ、役者のいない場面だし、撮るのはすぐだろう。

「すぐそこだし今度撮ってくるよ」

「祠なんてあるの?」

「ああ、瑠璃は知らないか。うちの向こうに神社あるじゃん? そのさらに向こうに鎮守の森があって、そこに祠みたいなんがあるんだよ」

 鎮守の森、本来は神社を囲むようにして存在する森林。昔はどこの神社にも必ずあったらしい。まあ、現在は小さな神社には森と呼べるような物はないところが多く、うちの近所のだって、神社の近くに広がる畑の中に一部木々が茂っているだけだ。面積にしてうちの庭のせいぜい三、四倍といったところ。森と呼べるかと言えば微妙なところだが、それでも何やら古い鳥居と奥の方に小さな祠があって怪しい雰囲気は満点だ。おそらく、昔は神社近辺一帯を森が囲っていたんだと思う。人が住むにつれて伐採が進み、申し訳程度に、祠と鳥居の周りだけ木々を残したといったところだろう。

「そういや、とんどさんってあそこでやるんだよな」

 赤夏がぽつりとつぶやく。

「ああ、そういやそうだな」

「とんどさんって、こないだ図書館で言ってた?」

「うん。正月の神様を祀る行事」

「神様っても、ここのやつはけっこう怪しい神様だけどな」

 赤夏の発言に、俺と瑠璃は顔を見合わせる。ニヤリと笑う赤夏。

「考えてみろ。神社が目の前にあるのに、わざわざあの祠のとこで燃やすってのも変な話だろ? それもここだけじゃないんだな、これが。賽之木町のとんどさんは線路沿いの竹林でやるんだけど、あそこは”間引き”で死んだ子供埋めてたとこらしいぜ」

 一瞬、背筋に冷たいものが走った。間引きとは、畑の農作物を育てる際に少数の苗を残して残りを抜いてしまう作業を言う。転じて、生まれた子供をすぐに殺してしまうこと刺す言葉としても使われた。貧しい家で食い縁を減らすための間引き、その埋葬場で行われるとんどさん……。


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「あと牟岐垣の方では海岸でやるんだけど、そこの前に松林あるじゃん。あそこもそうらしいって聞いたんだよな」

「……ずいぶん、詳しいな」

「お前んとこと違って、うちは代々地元民だからな」

 たしかに自衛官で転勤してきたうちの両親はS市の歴史なんてまったく知らない。とんどさんもろくに参加してないし。

「でも、間引きで子供捨てた場所なんがそこら中にあるなんてな。ちょっと信じられないな」

「この辺りの農村は昔は搾取されまくりで悲惨だったらしいぞ」

「でもとんどさんとかって、他の県とかでも普通にやるって聞いたし、変な神様ってことはないだろう」

「とんどさんってのはあくまで儀式だしな。やってることは同じでも、祀ってる神様はそれぞれの地域独自の土着神だって。うちのはどうも胡散臭い神様じゃないかって気がするんだよな。なんか怖ぇし、この辺のって」

 食いぶちを減らすために、子供を殺した間引き。そしてその場所で行われる、厄落とし……悪いものをとんどさんに被ってもらう儀式。

 こんなどうでもいいことを気にするのはやめよう。正月のとんどさんなんかよりも、明日の撮影が大事だ。

「明日、朝何時ごろなら大丈夫?」

 二人に都合のいい時間帯を訊ねる。

「あたしは何時でもオーケーだよ。迅君のお好きなように」

「俺もべつに。そっちで指定してくれた方が楽だし」

 そうだな……明日は明日で予定が入っているから、それにかからないようにしないと結局どんどんずれてくる。となると結構、早くに来てもらうことになるが……。

「七時半頃って大丈夫か?」

「俺は大丈夫だけど……」

 瑠璃の方に視線をやる赤夏。

 ああ、そうか……瑠璃は電車で来るわけだから、時間的に厳しいな。ただでさえここは電車の本数が少ない上、瑠璃の家はうちと違って駅からかなり離れている。時刻表がないのでわからないが、電車のタイミング次第では朝五時代に起きて準備しなければならない。さすがにそこまでは頼めない。

 瑠璃は人指し指を口に当てて考えるような仕草をする。そしてニッコリ笑って言った。

「じゃあ、あたし今日、迅君の家に泊まるよ」

「なっ……」

 何を考えてるんだ、この娘は!?

「無理無理、そりゃ駄目だ!」

「えー、何でぇ?  赤夏君は良かったのに?」

「男同士とはまた違うだろ。だいたい、親が……」

「お前んち、今日、親いないんだろ?」

 赤夏に言われて思い出す。そうだ、高知の実家の方の都合で親父と母親は、明日の夕方頃まで帰ってこない。俺と友希英も行かないかと言われたが、俺は撮影があるし友希英は親戚連中に会いたくないからということで残ることに。つまりまあ、誰を泊めても文句を言う人間はいないということだが……。

「いいんじゃねぇの、泊めてやればー」

「わーい、じゃあお泊まり決定ねー♪」

 ニヤニヤとこちらを見る赤夏。こいつ……。


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「そうだな、よし。赤夏も一緒に泊まろう。そしたら朝も多少余裕ができるし」

「いやぁ、俺は遠慮しとくよ。うちもあんまり外泊すると親がうるさいし、二人の邪魔したら悪いしねぇ」

「悪くない、全然悪くない!」

 邪魔って何の邪魔だよ、まったく……。

「迅君、そんなにあたしと一緒が嫌なんだ……エーン、シクシク」

 うわぁ、何このわざとらしい泣き真似。もうどうしようもない奴らだな、おい。

「わかった、わかったもう。好きにしろ……」

「わーい」

「ああもう、いちいちに飛び付くな!」

 ったく、こいつは……いつまでもガキじゃないってわかってるんだろうか?  まあ、これくらいの性格の方がいちいち気を使わんで済むからいいのかもしれんけど……。

 家まで戻ったところで赤夏とは別れた。そのまま車に乗って帰っていく。考えてみれば泊まりだから昨日からずっと山岸家の車はうちにあったわけだ。親がうるさいと言うのは、あながち嘘でもないかもしれない。

 うちに上がると、とりあえず瑠璃を和室に案内する。襖を空けるなり、瑠璃は顔をしかめた。

「何これ、汚いなぁもう」

 たしかに汚い。昨日の作業途中でそのまま放ってあったから。さすがにもう臭いはとれたが、散らかりきった部屋は目を覆いたくなる有り様だ。

「仕方ないだろ、嫌なら帰れ」

「こんなん見たらよけい帰れないよ。片付けしてあげる」

 そう言うなり、瑠璃は部屋の隅にあったゴミ箱を手にし、ポンポンと物を投げ込み始める。

「ああもう、ゴミもろくに捨ててないんだから!  これはいるの?」

「いや、いらない」

「あたし、片付けしとくから迅君、お風呂洗っといて。ぼさっと立ってても暇でしょ?」

「あ、ああ……」

 何なんだよ、こいつ……部屋を片付けてもらうのは助かるっちゃ助かるんだが、もの言いがまるで母親みたいだ。

風呂を洗って戻ってくると、和室は見違えるように綺麗になっていた。

「ほら、ちょっと手間を惜しまなきゃすぐ綺麗になるんだから」

「お見逸れしました……」

 ふと、腹の虫が鳴る。まいったな、そういえば昼飯抜いて撮影してたし。その音を聞いて瑠璃はクスりと笑った。

「ご飯にしよっか」

「ああ。台所にカップ麺が確か……」

「もう!  そんなんばっか食べてるから倒れるの。台所あっちだよね? あたしが作ったげる」

 ずかずかと居間の方に歩いていく瑠璃。おいおい、ちょっと待ってくれよ……。

「あ、こんにちはー」

 なんと間の悪い……居間ではちょうど友希英が作業しているところ。まずい、これはまずい。

「友希英ちゃんだよね?  あたし、迅君の友達の鈴木瑠璃っていいます。今日はこちらで一夜を過ごさせていただきますので、よろしくね♪」

 ああ、わざわざそんなことまで……これじゃ家に女の子泊めたのが親にバレるじゃないか!  しかもなんか意味深な言い方を……。こっちの気など知らない瑠璃は、奥の台所に行って料理の準備を始める。


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「えっと、冷蔵庫の中見て良い?  この辺のは適当に使って良いのかな?」

「ああ、もう好きにしてくれ……」

 うん、プラス思考で考えよう。今日はカップ麺だったところを、瑠璃のゴージャスな料理を食べられる。これは素晴らしいことだ。ハハハ……。

「お兄ちゃん」

 背後から友希英の呼ぶ声が。あからさまに呆れと非難色が感じられる。

「な、何?  友希英たん……」

「私、お兄ちゃんが親がいないからって、家に女の子を連れ込むような人とは思ってなかった」

「い、いや……べつに、そういうわけじゃ……」

 だが友希英はすでに、座卓に向き合い、俺の言い訳など聞く耳持たぬという姿勢だ。ハァ、美味い飯にありつく代償は、かなり高くついたようだ……。

 三十分ほどたって夕食が完成した。瑠璃は友希英にも勧めていたが、友希英はけっこうですと断り自室に戻ってしまった。どうもこの二人は相性最悪みたいだ。瑠璃は人懐っこくて誰にでも慣れ慣れしいのに対し、友希英は人見知りでかまわれるのが好きでないのだから仕方ないかもしれないが……。

 瑠璃が深い溜め息をつく。

「あたし、妹さんに嫌われるようなことしちゃったかな……?」

「気にするな、あの娘は俺に対してもあんなんだ」

 難しい年頃なんだろう。ましてや人一倍、悩みが多そうな娘だし……もう少し大人になれば落ち着くだろう、たぶん。そう思いたい……。

 十センチほど開いた襖の隙間から、ひょっこりポン太が顔を出す。猫特有の柔らかい体で、起用に滑るように和室に入り込んできた。

「お、ポン太ー。どした?  腹減ったか?」

 鼻先に味付け海苔を差し出してやると、パリパリと食べ始める。前足で海苔を押さえる仕草が、なんとも言えず可愛らしい。

「迅君ってほんと猫好きだよねぇ」

 瑠璃が飽きれ半分、笑い半分に言う。

「だって猫は可愛いじゃないか」

「あたしはそういう風に猫と遊んでる迅君の方が可愛いなぁ」

 俺が可愛いって……ほんとに大丈夫か、この娘は? まず男に対して可愛いという感情を抱くのが変だ。そりゃ例外的に可愛い男もいるかもしれんが、そういうのはジャニーズ系とかヴィジュアル系とかみたいなごく限られた存在だろうし。

 そもそも、俺としては可愛いなんて言われても良い気分ではない。

「だって迅君って普段、ぶすっとしてるのに猫の前だと、すっごいユルユルでさぁ」

「何だよ、ユルユルって……」

 こいつの言うことは、やっぱりよくわからん……。海苔を平らげたポン太は舌をペロペロさせてさらなる食物を催促するが残念ながらもうやるような物は残っていない。背中を軽く撫でてやると、ポン太は二、三回頭を擦り付けて去っていった。

 俺たちの方も飯を食い終わり、することがなくなったので、そこら辺に転がってる本を読む。先日、図書館で借りた内、何冊かはまだ読み終わっていない。


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  『S市の怪談・伝承』、タイトルそのまんまでS市に伝わる怪談や伝承について色々書いてある。といっても、半分くらいまで読んでわかったがよくある民俗学とかに基づいて真面目に検証しているのではなく、どちらかというとオカルトと突拍子もない説で面白おかしく煽っているタイプの本だった。まあ、そっちの方が読んでて面白いし、映画の参考にもなるので問題はないのだが。

「えいっ」

 うげっ!  突然、両肩にのしかかってくる重量感。例の如く背後から飛び付いてきた瑠璃に、俺は前につんのめって開いた本に頭突きをかますはめに。

「何だよ、何なんだよお前は!」

「暇ぁー」

 暇だからって不意打ちを仕掛けるな!  せっかく読みかけてた部分が全部頭から飛んでしまった、まったく。

「だって、迅君本ばっか読んでてつまんないんだもん……」

 拗ねたように言う瑠璃。そういえば昔、部活の先輩が言ってたな。女と居るときは相手のことをかまってやれ、放っておいていい女はB型の女だけだって。

「ああ、瑠璃って幽霊とかそういうの好きだったよな?  だったらこれ、けっこう面白いと思うぞ」

 本の目次を開いて見せてやる。案の定、瑠璃は目の色を変えて、ページに引き込まれていった。

「わあ♪  ねえ、この本貸して」

「アホ、それは図書館のだ」

「ぷぅ」

 べつに今読んどけばいいじゃないか。暇だからって言うからわざわざ見せてやったのに……なんだかなぁ。

「あ、これにも“とんどさん”って載ってるね」

「ん?  そうだっけ」

 目次の最後の方を指差す瑠璃。たしかに『とんどさんについて』という項目が存在する。夕方、赤夏が言っていたことを思い出す……。

 この本に載っているということは、やはり怪談めいた逸話があるのだろうか?  それともこの地域に伝わる儀式として、その由来やルーツを分析しているのだろうか?

 指先を滑らせ、記されたページまで一気に捲る。上から覗き込んでくる瑠璃。そこに載っていたのは、赤夏から聞いたものより、さらに衝撃的な事柄だった。

 

 

『……この“とんどさん”というのは平安時代に宮中で行われていた祭事であり、日本各地で同様の儀式は見られる。だがしかし、この儀式が宮中の貴族から、一般の平民、農民に広がった際に、少し違う意味合いになっていったことはあまり知られていない。

 正式な手順を踏んで宮中で行われる神聖なる儀式とは違う、簡略化されそれぞれの地域の特色を盛り込んだ平民たちの間で行われた独自の“とんどさん”が多数生まれたのだ。

 特に、T県S市の“とんどさん”について興味深い伝聞が残っているので紹介したい。

 “とんど”を漢字で書くと“豚土”、すなわち豚を土に埋めるとなる。農民たちは不作が続いた際に、豚を生贄として畑に埋め、そこで火を焚いて神に祈りを捧げる儀式を行ったというのだ。

 だが、この話には不自然な点がある。古い風習において儀式的に生贄を捧げるというのは珍しいことではない、だがしかし何故、豚なのだろうか? 一般の農民たちが豚を飼育していたという記録は存在しない。山間部に面した地域であれば、野生の猪が出没することもあるがS市の場合それも当てはまらない。そもそも、豚の食用は古くは弥生時代より行われており、徳川最後の将軍である徳川慶喜が好んで食べたとも言われる食材。そんな高級なものを不作の供物として捧げるということは考えられない。


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 だが、しかし、この“豚土”の儀式に秘められた真実を別の視点から考える説もある。豚というのは、本当の豚を表す言葉ではなく、何か別のものを指した隠語ではないかというものだ。不作や飢饉の際、農民たちの有様は凄惨を極めるものがある。「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」という記録が残っているほどだ。

 飢えに狂った人間が、人肉を食らうという例はさして珍しくない。おそらく、不作に見舞われた農民たちは村人の中から一人、生贄としての“豚”を選び出し、“豚土”の儀式として豚の肉を食らい、残った頭部や骨を畑に埋めたのだ。

日本では古来より、大きな火を焚くことは魔除けや、洗浄のための大事な儀式とされている。“豚”を埋めた地で火を焚くことにより死者の怨念を浄化したのではないだろうか?

 宮中で行われている祭事である“とんどさん”。それとは対照的に、厳しい農民たちの間で行われた身も凍るような恐ろしい儀式“豚土さん”。ほのぼのとした正月行事には、実は表と裏の二種類があるのではないだろうか。

この説を裏付ける学術的な証拠は何もない。

 しかしS市のかつて農村だった地域から複数の人骨が発見された例がある。年代を推測するに、いずれも大飢饉に見舞われた時期であるらしい。これが何を意味しているか? 無論、ただの餓死者を埋葬しただけという可能性もある。いずれにしても真相は歴史の闇の中である。』

 

 

 二人の間に、しばしの沈黙が流れる。話の内容的にはいい加減な都市伝説よりも、さらに胡散臭い代物だ。だがしかし、今は有り得ない話として笑い飛ばせる気分ではない……。

 瑠璃の方を見てみると、いつになく無表情にページを凝視している。とりあえず、なんとなく雰囲気が気まずいので、違う方向に話を持っていく。

「さて、風呂にするか。先入る?」

「ううん、迅君先で良いよ」

「じゃあそうする」

 後もつかえてるので、入浴はさっと済ませる。寝巻きに着替えたとき、ふと思い出した。そうだ、瑠璃って着替持ってきてないはずだ。普段着というのも寝にくいだろう。納戸に寄ってから和室に戻り、瑠璃に着替を差し出す。

「ほれ、風呂入ったらこれに着替えろ」

「どしたの、それ?」

「ああ、友希英たんの。最近使ってないやつだし。洗って返せば問題ないだろ」

「うん、ありがと。妹さんによろしくね」

 衣服を受けとると、瑠璃は風呂の方に歩いて行った。よろしくか……友希英に言ったらたぶん、怒るだろうな。さっきの態度、瑠璃に対する敵対心はかなりのものだったから。同じ外来客でも、赤夏のときはべつに普通だったんだが……まあそれでも機嫌は悪かったけど。 母親と一緒で、彼女も家に他人がいるのを良しとしない性格だから。

 一人、することがなくなった俺は再び『S市の怪談・伝承』を手にとる。さっきは瑠璃に邪魔されてまともに読めなかったし。冒頭からの続きを読もうと思ったのが、手はいつの間にか最後近く、とんどさんのページを開いていた。

この不気味な話は本当なのだろうか?  それともただの作り話なのだろうか……。赤夏の話と合わせて考えるに、この辺がかつて貧しい農村で飢えの為に人を殺したということは事実なようだ。だが、同じ村人をわざわざ殺して、その肉を食らうなんてことが本当にあったなんて。間引きが行われていた場所、いたるところに墓場が広がっている町内、豚土さんの儀式……幽霊や妖怪の話であれば、そんな非科学的なことは有り得ないと一笑にふすこともできる。だが、人間の物語の場合、充分に有り得る範囲なのが、とても気味が悪い……。


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 ふと、背後で襖の擦れる音がする。突然の物音に一瞬、心臓が止まるかと思ったがすぐに瑠璃が風呂から上がったんだと理解する。まったく、一々脅かして……って、俺が勝手にびびってただけか。

「うほっ……」

 振り返ってみると、そこにはなんとも言えない光景が広がっていた。いや、瑠璃がいたというのに間違いはなかった。なかったのだが……。

「迅君、これちょっとちっちゃいよ」

 そう、俺は重大なことを忘れていた。瑠璃は決して大柄だとか、太っているとかいうわけではない。だがしかし、友希英は女の子の中でも特別に痩せてて小柄な娘だったのだ。

 その友希英サイズのパジャマは、瑠璃の体にはあまりにも小さすぎた。ボタンはとまりきらず、胸元はおろか下着まで半分以上見えてしまっている。丈も短くて、ヘソ出しになってるし、ズボンもなんとか入ってはいるものの、体に密着して腰から脚にかけての体のラインがくっきりと際立って……風呂上りで濡れた髪と火照った肌も相まって、瑠璃が今まで見せたことないような色っぽい姿を晒してる。

「どしたの?」

「い、いや、何でもない……」

 どうやらこの娘は、今の自分の姿が如何様なものかまったく自覚がないらしい。こちらとしては眼のやり場に困って、変にそわそわするしかできないのだが……。

「も、もう寝るか。明日早いし」

「はーい」

 電気を消し、昨日の晩から敷きっぱなしになっている布団に潜り込む。これで変に意識せずに済む……。

「って、おい!」

 何と、瑠璃はさも当然のように俺の布団に潜り込んできたのだ! 隣に昨日、赤夏が使ってた布団があるにもかかわらず。

「何だよ、お前はあっちだろ!」

「さっきの本見て何か怖くなっちゃってさ……だから一緒に寝よ♪」

「お、お前というやつは……駄目だ駄目だ!」

「えー、他の人ならともかく、迅君ならべつに何もしないでしょ。それとも、一緒に寝たら変なことしちゃうのかな……?」

 こいつ、答えに困ることを……こう言われると変に拒否し続けると、一緒にいると手を出すって言ってるのと同じことになってしまう。

「だいたいお前、幽霊とか怪談とか好きなんだろ?  だったら何で怖いんだよ!?」

「好きなのと、怖い怖くないは全然違う問題なの」

 そう言うと瑠璃は俺の隣に横になり、寝る体勢を作ってしまった。仕方ない、こいつが寝ついた後に俺が隣の布団に移動しよう……。俺は観念し、瑠璃に背を向けて横になった。しばしのときが経過した。枕元の目覚まし時計の、夜光塗料で緑色に光る針は〇時前を差している。あれから一時間ほど経過した。背後から聞こえてくるのはスースーという静かな寝息。もう寝たか……呑気なもんだ。こっちはそれどころじゃないってのに。背中向いてはいるものの、どうしても体は触れ合うし、体温が感じられる。とても寝るどころじゃない……。くるりと後ろを向いて、一応確認をする。呼吸に合わせてゆっくりと上下する瑠璃の背中。よし、ちゃんと寝てるな……。

「!?」

 俺が布団から出ようとした瞬間、タイミングを見計らったかのように瑠璃がこちらを振り返った。やばい、起きてたのか? 


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 だが、よく見ると目は閉じたまま、相変わらず寝息を立てるのみ。どうやらただの寝返りだったようだ。それはいいのだが、しかし……これはこれでかなりまずい状況だ。半回転してこっち向きになったせいで、瑠璃との距離はさらに縮まり、無防備な寝顔が目の前に……ふっくらした頬、柔らかそうな唇、それらは俺から目測五センチ以内の超至近距離にある! たまらず視線を反らすと、下には脱げかけパジャマから覗く胸の谷間が……。

 俺は、今まで瑠璃を女の子として意識したことはない。可愛いとは思うし、良い娘だとも思う。だが、いわゆる異性として、男と女として考えたことはなかった。

しかし……今、俺の心臓はこの上なく高鳴っている。すぐ側の瑠璃に心音が伝わって起きてしまうんじゃないかというくらいに。

 落ち着け、落ち着くんだ鵲迅。俺は基本的に女っ気がない。だから慣れない事態に戸惑っているだけだ。目を閉じろ、そしてゆっくり大きく深呼吸するんだ。吸って……吐いて……吸って……よーし、段々落ち着いてきた。

「うおっ!」

 俺の首の辺りと、足に何かが巻き付いてきた。体が引き寄せられ、柔らかい物が顔を受け止める。

「うーん……」

 な、なんという寝相……いや、寝相事態は普通だ。よくあるだろう?  朝起きたら布団を抱き枕のようにぎゅーっとしてたとかって。

 だが、瑠璃が捕えたのは布団ではない、俺だ!  首に巻き付いているのは瑠璃の腕、足に絡み付いているのは瑠璃の足、そして顔に当たっているのは……胸だ!  しかもパジャマがはだけてるから生だ、肌と肌が直接触れ合っている!

 何だこれは、何なんだ?  この状況で理性を保ってられる男はたぶん、ほとんどいないぞ。まさかこれは誘っているのか?  俺は二十歳、瑠璃は十九歳、もう子供じゃない。瑠璃はまだ成人していないが、世間的に充分に大人の男と女だ……いや、待て早まるな、冷静になれ。相手は瑠璃だ、ただの友達だ。誘ってるなんてあるはずない、俺を信頼しているからこそ、こういうことができるんだ。その信用を裏切るなんて……うわっ、手足がきつく……やばい、これはやばい、抱き締めるな!  体が完全に密着して……!

 その瞬間、状況が俺の理性の処理速度を超えて脳は強制的にシャットダウンされた。

おやすみなさい。


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 どこか遠くから規則的な電子音が聞こえる。それに続いて何やら話声が。昨晩は、頭が真っ白になって結局そのままに……放心状態で、寝ることも動くことも出来ないまま、いつの間にか朝になっていた。話声が段々大きくなってくる。

「ごめんね、朝早くに」

「いえ、お兄ちゃんこそ、約束があるのに寝たままなんて……はい、昨日の和室にいるはずです」

 赤夏と友希英……?  ハッとして、枕元の時計に視線を移す。まずい、もう七時半だ!  昨日は慌てて就寝したからアラームをかけ忘れてた。とっさに布団を跳ねのけ、飛び起きる。

 それと襖が開くのは、ほぼ同時だった。しばし、和室に沈黙が流れた。友希英と赤夏の視線を見て、俺はとても、とても重大なことを思い出した……そう、俺の隣にはパジャマ半脱ぎのあられもない姿の瑠璃が寝ていたのだ!  しかも同じ布団で、俺に絡み付くようにして。

 赤夏が猛烈な悪意に満ちた、ニターッとした笑いを浮かべる。

「ほほう、そうかそうか。まさかとは思ったけど、鵲君もついにやりましたか」

「やってない、俺は何もしてないっ!」

 俺の抗議の声も気にすることなく、赤夏は糸のように細めた目でニタニタと笑う。友希英の方に目をやると、ただ黙ってこちらを見ている。まるで汚い物を見るかのように、侮蔑を込めて。

「不潔……私、お兄ちゃんのこと信じてたのに」

「待ってくれ、誤解だ。完全なる誤解だっ!」

「寄るなっ、汚らわしい!」

 瑠璃がうーんと伸びをする。友希英の声に目を覚ましたようだ。そうだ!  ナイスタイミング、瑠璃に説明してもらえば俺の潔白は証明される。

「瑠璃、瑠璃!」

「みゅ……どしたの、迅君?」

「昨日の夜のことをこいつらに話してくれ!  俺は何もしてないよな? そうだよな!?」

 肩を掴んで揺すると、瑠璃は何がなんだかわからないといった様子で、困惑気味だ。うむ、たしかに寝起きでいきなりこんなこと言われたらこうなるよな。でも俺の方も今、大変なんだ、平常でいられないんだ、察してくれ! 

 瑠璃は俺から視線をそらし、軽くうつ向いて言った。

「昨日は……迅君の体、凄く温かかった」

 ノオオオオッ!  何でそう余計誤解されるような言い方を!  しかも頬を赤らめるな!  あ、友希英、違うんだ……行かないで、行かないでくれ友希英ぇぇっ! うう、この間に続いて、二度目だよ、友希英…………。

 うなだれ、地に這う俺の肩をポンと叩く赤夏。

「まあそう落ち込むな、妹に捨てられても俺はお前を見捨てないよ」

「そうだよ。それに何があったか知らないけど、いつかきっと妹さんもわかってくれるよ」

 ……お・ま・え・ら・なぁ。

「てめぇ等のせいだろがぁっ!」


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 まあ、朝からハプニングで、かなり落ち込みながらもやることはやらねばならんのでさっさと撮影に出た。瑠璃の出るシーンは昨日の取り残しだけなので、十時には撮影終了。出演シーンが終わったので、今日の残り撮影部分は俺と赤夏で撮り、瑠璃は先に帰ることに。

「ごめんねぇ、ほんとは最後まで付き合いたいんだけど、今日バイトでさ」

 申し訳なさそうに手を合わせる瑠璃。

「いやいや。こっちこそ、いつも来てもらってさ」

 ほんと、感謝こそすれ謝られるようなことは何もないのに。

……むしろ、俺としてはそれより、朝のことを謝ってほしいのだが、こっちの方は自分が何をしでかしたかすらも自覚していないらしい。まったく、この天然娘は……。

 電車から手を振る瑠璃を見送り、撮影に向かう俺たち。今日も日差しが強い。今度は倒れたりしないように、飲み物を持参している。しかし、昨日の日射病には本当にまいった、何の前兆もなくいきなりバッタリだったからな。

……あのとき一瞬、祟りという言葉が脳裏を過った。無論、それは直前まで祟りの話をしていたのと、墓場という立地条件だったからというだけで、俺が倒れたのはただの日射病に他ならないが。何にしても、気持ちの悪い話だ。

 まあ、前日の教訓が生かされたのか午後からも撮影は順調に進み、誰も倒れることなく終了した。俺の不安は杞憂に終わったわけだ。それは良いことだ。

「えっと、これで今日の撮影予定は終わりか……あ、そうだ。昨日撮れなかった祠、撮りに行こう。鎮守の森に」

 そう、日射病騒動で放置になってたインサート撮影。短いカットだから、思い立ったときに行っておかないとまた忘れてしまう。

 鎮守の森に近い孤篠津神社は、地区内で一番大きな神社だ。鳥居の前には、天にそびえるような二本の巨大な木が立っている。まるで何か異世界への門みたいだ。この神社の石畳を進むと道の両サイドに、小屋に入った笑い顔と怒り顔の人形が座っている。子供の頃はこれがえらく怖かった。今見るとそうでもないが、やはりあまり気持ちの良いものではない。

 神社を通り抜けた裏には線路が走っており小さな踏切がある。踏み切りと言っても遮断機もなく、あの黄色と黒の×印が小さく立ててあるだけのへんぴなところ。一時期、年寄りがよくここで電車で轢かれたと聞く。今では通る人はほとんどおらず、錆びた標識だけがもの悲しげに佇んでいる。

ここを超えると一面に畑が広がっているのだが、その中で一か所だけ木々が茂った場所がある。それが鎮守の森だ。

「おー、いい感じに薄気味悪いじゃないですか」

 赤夏が言う。狭い範囲とはいえ木々が生い茂り、さらに身の丈ほどある草が鬱蒼とした中にある古い鳥居というのはなんとも禍々しい雰囲気を醸し出している。外観からして、普通は中に入るのを躊躇われるが、かつて好奇心旺盛だった鵲少年は鳥居をくぐって奥まで入ったことがある。そこには、草と木に埋もれるようにして小さな石の祠が立ててあった。何を祀っているかはわからない、赤夏の言うことが本当ならここも間引きで殺された子供の可能性が高いが……いや、変なことを考えるのはやめよう。

 鳥居を中心にこの不気味な外観を撮影し、森の中に足を踏み入れる。一歩進んだだけで、藪蚊が一斉に飛びかかってきた。赤夏が、うおっと、すっとんきょうな声を上げる。

 外部の倒れるような熱さが嘘のように、森の中はひんやりとしていた。ギラギラした日の光も遮られ、枝の間からわずかな木漏れ日が射し込むのみ。薄暗くて、冷たい天然の冷蔵庫……立地やいわくのことを考えると、超自然的な何かが働いているのではないかと妄想してしまう。無論、そんなことあるはずないが。社だから神秘的なのではなく、それっぽい場所があったからそこに神を祀ったと考えるのが自然だろう。

 さて、肝心の祠だが……どこにあったかな? 記憶では入って数メートルしたらもうあった気がするのだが。そもそも、森そのものがそう大きな物ではないし。しかし、ざっと見渡しても祠は見当たらない。


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「祠ってどれだ?」

「いや、ここにあったはずなんだが……」

「ほんとか? 俺はこんなとこ入ったことないから、お前の記憶だけが頼りだぞ」

「そう言われても……あっ」

 見つけた。背の低い俺たちからすると、身の丈ほどもある草が密生しているせいで見落としていた。祠は俺の記憶通り、たしかにここにあった。あったのだが……。

 祠の形は、俺がかつて見たものとは違っていた。いや、最早、形を成していなかった。かつてそこにあった石の祠は、無残に砕けてただの石屑に。わずかに残った台座部分と、破片の形状だけが祠が存在したという事実を物語っている。

「これは酷いな」

「ああ……」

 俺も赤夏も言葉を失った。いくら神仏を拝まぬ俺とて、これはあまりにも……それこそ祟りや呪いがありそうだ。一体どこの誰がこんなことをしたのだろうか? 悪戯にしては手が込んでいる。石で出来た祠を破壊するのだ、並大抵の労力ではない。それに……。

 破片の一つを手に取る。かつて神聖なものを形成していた物の断面は、まるで刃物で切ったように真っ平だ。こんなことをするには、工事現場で使うコンクリートを切断するような器具でも持ってこないと無理だろう。それだけの手間暇と労力を使ってまでの行為……つまりこれを破壊した何者かは、そうとう強い意志に基づいてそれを実行したということだ。

「どうするよ、これ……撮る?」

「いや、辞めとこう。鳥居撮ったからいいだろ……」

 それ以上言葉を交すことなく俺たちは鎮守の森を後にした。正直、一刻も早くここから離れたかった。壊された祠はあまりにも不吉で、そこにいるだけで俺たちまで呪われそうな気がする。

鳥居を抜けると、真っ白な真夏の太陽が輝いていた。目の前に広がる青い空、一面の畑、代わり映えしない平常な空間……その全てが愛おしかった。背後を振り返りる。神の宿るはずの森は、先ほどまでと違って邪気を放つ忌まわしい場所に見えた。


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「祠ってどれだ?」

「いや、ここにあったはずなんだが……」

「ほんとか? 俺はこんなとこ入ったことないから、お前の記憶だけが頼りだぞ」

「そう言われても……あっ」

 見つけた。背の低い俺たちからすると、身の丈ほどもある草が密生しているせいで見落としていた。祠は俺の記憶通り、たしかにここにあった。あったのだが……。

 祠の形は、俺がかつて見たものとは違っていた。いや、最早、形を成していなかった。かつてそこにあった石の祠は、無残に砕けてただの石屑に。わずかに残った台座部分と、破片の形状だけが祠が存在したという事実を物語っている。

「これは酷いな」

「ああ……」

 俺も赤夏も言葉を失った。いくら神仏を拝まぬ俺とて、これはあまりにも……それこそ祟りや呪いがありそうだ。一体どこの誰がこんなことをしたのだろうか? 悪戯にしては手が込んでいる。石で出来た祠を破壊するのだ、並大抵の労力ではない。それに……。

 破片の一つを手に取る。かつて神聖なものを形成していた物の断面は、まるで刃物で切ったように真っ平だ。こんなことをするには、工事現場で使うコンクリートを切断するような器具でも持ってこないと無理だろう。それだけの手間暇と労力を使ってまでの行為……つまりこれを破壊した何者かは、そうとう強い意志に基づいてそれを実行したということだ。

「どうするよ、これ……撮る?」

「いや、辞めとこう。鳥居撮ったからいいだろ……」

 それ以上言葉を交すことなく俺たちは鎮守の森を後にした。正直、一刻も早くここから離れたかった。壊された祠はあまりにも不吉で、そこにいるだけで俺たちまで呪われそうな気がする。

 鳥居を抜けると、真っ白な真夏の太陽が輝いていた。目の前に広がる青い空、一面の畑、代わり映えしない平常な空間……その全てが愛おしかった。背後を振り返りる。神の宿るはずの森は、先ほどまでと違って邪気を放つ忌まわしい場所に見えた。


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 家に帰ると、両親が実家の方からすでに戻っていた。赤夏の姿を見て、母親は笑顔で会釈する。だが俺は見逃さなかった、赤夏が和室に入った後、物凄い目付きで母親が俺を睨んだのを……まあ、実家から帰って疲れてるのに、外来客がいるんじゃ無理もないか。でも大丈夫です、母上殿。今日は赤夏は泊まらずに、素材チェックと軽く編集したら帰りますから。だから怒らないでくださいな……。

「しかし今日は驚いたなぁ」

 ビデオテープの映像を、パソコンに取り込みながら赤夏が言う。

「ああ、あれはちょっとビビったな。どこの馬鹿があんな罰当たりなことしたんだか」

「違う違う。それも驚いたけど、さっき言ったのは朝のことだよ」

 朝……瑠璃との一件か。嫌なことを思い出した。友希英はあのことを親に話したのだろうか?  もしそうなら、何かしらの言い訳を考えておかなければ……。

「思い出すだけで鬱になる……」

「気にすんなよ。妹だってすぐに忘れるって」

「いや、友希英たんのこともそうだけど……」

 昨晩の瑠璃とのこと自体がそうだ。俺はあのとき、はっきりと瑠璃を女の子として意識していた。もし、一歩間違っていたらあのまま襲っていたかもしれない。それほどまでに俺の気持ちは高ぶっていたのだ。最低だ、俺は……。

そのことを赤夏に言うと、こいつは声を出して笑い出した。

「そんなにおかしいか?  ……まあ、おかしいよな」

「ハハハッ……おかしい。うん、おかしい……ハハ。てかそんなこと気にしてるお前がおかしい」

 そんなこと?  この馬鹿が、いくら古い付き合いでも言って良いことと悪いことがあるぞ。

「あのな、それが普通だっての。女の子とあんな状況なったら。ましてや瑠璃ちゃんって可愛いし、何やら随分と刺激的な格好してましたからねえ。いやぁ、僕はてっきり鵲君が脱がしたのかと思ってたんですが……」

 赤夏の後頭部に肘打ちをぶち込む。アホか、誰が脱がすか!

「痛っ……。しかしまあ、鵲君も正常な男の子だったわけですな。お兄さん、安心したよぉ。お前、昔から色恋沙汰の話は全然聞かんかったからなぁ。もう現実の女の子には興味ないか、もしくはウホッな人なんじゃないかって心配だったんだよ、ハハハ」

 そんな目で人のことを見てたのかこいつは!  (ちなみにウホッというのは、ホモを表す隠語である)

 俺だって世間一般の健全な男子と同じくらいに女性に興味は……いや、あんま自信なくなってきた。そういえば、男は一日の半分はエロいことか女こと考えてるのが普通だと、大真面目に言われたことがある。そうはなりたくないな……。

「てか色恋沙汰と無縁ってんなら、お前だって彼女いない暦=年齢じゃねえか」

 赤夏の表情が曇る。

「相手が……いないから」

「すまん、悪かったよ……」

 彼の目の奥には、涙が光っていた。

「しかし、てことは赤夏。お前は瑠璃のことを、そういう対象として見てたのか?」

「馬鹿言うな、俺は年上のお姉様にしか興味ナッシングでつよ」

 そういやそうだったな……こいつはこいつで、昔から好みがはっきりしてる。俺の方はどうだろうか?  この歳まで恋をしたことがないと言ったら嘘になる。気になる女の子くらいいたし、漠然とだがこんな娘がいいなっていう好みもある……ちなみに俺は赤夏同様、年上が好きだ。同時に年下も好きだ。四、五歳程度上か下かがストライクゾーン。矛盾してるように見られるかもしれないが、要するに同年代が恋愛対象でないのだ。だから瑠璃に対してどうこう思うことはなかった……今までは。


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75

 まあ、そんなこんなで俺も恋の一度や二度はしたことあるってことですよ。好きになったからってどうこうするとかは全くなかったんで、周囲からは恋愛に興味のない鵲君と捉えられていたみたいだが。

 だってそんな変にアプローチかけたり、告白したりしても何になるわけでもないし。そういうこと出来る奴って、自分が相手に好かれて当然って思ってるナルシストか、本当にモテる奴かのどちらかだろう。ある意味羨ましい性格だ。俺も赤夏もそういうのとは無縁な人間だし。

「ほい、チェック完了。撮影ノートにメモっとけ」

「どうも」

 部屋の隅に放り投げてある鞄を引っ張る。俺の愛用のビジネスバッグで、かなりの収納力があるのだが、それ故にごちゃごちゃして中身が分かり難くなる。ノートはいつも適当に突っ込んであるんだが、どこだったかな……。

 指先に何か冷たいものが触れた。何だろう? 手当たり次第に詰め込まれた日用品の中からそれを摘み、引っぱり出す。

 それは金属の装飾品だった。銀色の蛇に青いガラス玉が嵌った美しいブレスレット。そう、あの同窓会の日に買ったものだ。

「あ、それって友希英ちゃんに買ったやつだっけ? あのきしょい爺のとこで」

 俺の手からブレスレットをひったくり、珍しそうに見る赤夏。あのときは店と店主の薄気味悪さでそれどころではなかったようだが、やはりこの一風変わったアクセサリーは赤夏から見ても中々の物らしい。室内の電気を反射するブルーの珠を見て、俺の脳裏には骸骨みたいな爺さんの顔が甦る。

「いいなあ、俺も何か買っときゃ良かったし」

 ブレスレットを嵌める赤夏。正直、似合ってない……てかそのスマイリー柄のTシャツに、こういう中世幻想世界っぽいアクセサリーは相性悪すぎだ。本人もそれに気付いたのか、ブレスレットを外してこっちにポンッと投げる。

「ハァ……せっかく友希英たんに買ってきたのに、完全に無駄だな……」

「そう落ち込むな。自分で使えば良いじゃないか」

 落ち込むなって、それは無理な注文ですぜ……。自分で使えと言われてもな……ブレスレットを着けてみるが似合ってるかそうでないかは自分ではよくわからん。

 複雑に絡み合う蛇の中心、青い硝子の中にぐにゃりと歪んだ俺の顔が映り込む。ミッドブルーの宝玉は、美しくもどこか背筋が震えるような妖しい光を放っていた。