目次
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CONTENTS
テーマ「First Step 旅に出よう!」
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一歩踏み出す勇気
未知なる道
リアルRPGの冒険
今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?
旅先の変な日本語
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私がフィリピン英語留学をする理由
私がフィリピン英語留学をする理由  ~世界一周で感じた後悔を次に生かす~
Brali Biz 「旅」×「ビジネス」 たびえもん
Brali Biz 「旅」×「ビジネス」 
旅で使えるスマホアプリ
旅で使えるスマホアプリ
Chibirockの旅はくせもの
Chibirockの旅はくせもの
HANGOVER in the WORLD 
HANGOVER in the WORLD
旅人からの伝言 「特集 インド」
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インド旅行到着初日*
体験をもって理解すること
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旅ときどき・・・
旅トキドキ・・・
トホホな話
トホホな話
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
一本の糸で世界をつなぐチャリの旅
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自炊派の手料理
自炊派の手料理
エッセイたびたべ
たびたべ(食のエッセイ)
アジア漂流日記
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
アジア漂流日記(創刊号の特集アジアからのスピンアウト企画)
Brali Photo(誌上写真展)
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作者・情報提供者一覧
作者・情報提供者一覧
編集後記
編集後記
次号予告
次号予告(2012年8月25日発行予定)
記事募集
記事と情報および写真の募集要項
奥付
奥付

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Chibirockの旅はくせもの

Chibirockの旅はくせもの
■ゲーマーよ、旅に出よ■

■Writer&Photographer
Chibirock
■Age
33歳
■Profile
Sigur RosとBeirut贔屓のメタル好きバックパッカー。チベット越えてインドで太って台湾の農家で大豆を選り分けたり。最近結婚したが放浪やめる気毛頭無し。

 ちびろっくはファミコンで育ちました。
 新しいことがどうも頭に入らないのは、ドラクエとFFの呪文名と効能とか、いきなりレベル26からスタートできるふっかつのじゅもんとか、全く役に立たない名残ものがメモリを圧迫しているからである。ということにしている。

 ねだった覚えもないのに、ファミコンという夢のマシンがいつの間にかテレビにつながれており、ロードランナーで金塊を回収しまくった幼稚園時代。学校を休んでドラクエ3の発売日に高島屋に並んだものの、目の前で売り切れてショックと風邪で寝込んだ小学生時代。カート・コバーンの悲報を行きつけのゲーセンの店長から聞いた高校時代、あ、ここはもうスーファミ。
 しかし大好きであるはあるけど、それほど華麗なテクを持ち合わせてるわけでもないので、当時のシンプル極まりない8ビットゲームたちを攻略するのは至難の業。
 数センチの段差から落ちて死ぬ主人公、延々と続く迷路の中の、何の目印もない壁の中の隠し部屋、コンティニュー無しにも関わらずこちらに反撃の隙も与えない、血も涙もないボス達。
 懇切丁寧な最近のゲームとは全くの別物で、インターネットという神ツールもなかったあの頃、よくもまあ、こんなもん攻略できるか!!!!とキレずに毎日やったもんだと褒めてやりたい、自分を。
 今となってはそんな日々は遠い空の向こうだが、旅の途中、ふと思う。行く手をはばむ牛のウンコを巧みによけ、時にはその主の巨大な牛と対峙し、不毛な乾燥地帯に突如現れる小さな街に喜び、リキシャワーラーや商売人との戦闘で消耗したHP・MPを宿で回復、街なかでは「コリア? ジャパン?」と毎日同じ奴に同じ質問を投げかけられ、親切な案内板とか無いから街の人から情報を得る……。これリアルファミコンじゃん!
 時には、博物館や街なかで武器や防具を見つける。「このくさりかたびらは約500G、このドラゴンキラーは15000Gくらい、おや、この柱回したら奥の壁が開くんじゃ? ……」と一人ぶつくさやるのも本当に楽しい。インドはジョードプルにある丘の上の城の武器・防具コレクションは、ロープレ好きにはたまらない。
 かつて夢中になったゲームの世界を、まさか自分が大人になってから実体験するとは夢にも思いやしなかったが、ある意味ゲーマーの夢叶ってる。このままいくと最期は階段2、3段踏み外して死ぬか、転がってきた米俵に轢かれて死ぬか、そこら辺であろう。

 しかしこの生活に役立たない知識ぶんのメモリーを開放しないことには、若年性痴呆症の疑いがあるほどの物忘れが解消されないと思うのだけど、一体どうしたら忘れられるのか? シラフで自分が言ったこと覚えてないとか、いよいよ本気で悩んでますので、情報お待ちしております。て、もう旅関係ねえし!

byからくり道中好きがこうじて一時期「ゴエモンさん」と呼ばれたこともある、ちびろっく


HANGOVER in the WORLD

HANGOVER in the WORLD
 
ウズベキスタンの酒

 ウズベキスタンは国民の大半がイスラム教スンニ派のイスラム教国である。朗々と鳴り響くアザーンを求めてラマザン中に訪れた。
 イスラム圏なのに酒?と訝る人もいるであろう。そう、ウズベキスタンはイランのような公には酒類を販売しない国々とは異なり、トルコのようにお酒に寛容なイスラム国なのだ。
 ウズベキスタンはかつてソビエト連邦に属していたことから分かるように、ウォッカが非常にメジャーな酒のようである。私はウズベキスタン滞在中ウォッカを飲む機会に残念ながら(?) 恵まれなかったが、友人曰くあのアルコール度数の高いウォッカをグラスに並々と注ぎ、それをガブガブと水のように飲むそうである。何とも恐ろしい話である。
 私の興味はもっぱらビールなので今回もビールついて記したい。ウズベキスタンはその土地毎のローカルビールが多数存在し、その銘柄毎に様々なバリエーションが揃えられている。私のようなビール好きにはたまらない国である(もっとも私の舌はそこまで敏感ではないので、どんな銘柄を飲んでも「うむ、美味い」と思って終わりである。非常に残念でならない)。
 まず全国的に飲まれているのがSARBAST(サルバスト)である。私がウズベキスタンで初めて飲んだビールもこのSARBASTであった。鷹のマークがなかなかクール。ウズベキスタン中で飲むことが出来るので困ったらSARBASTという安心感がある。一番メジャーなのが赤いラベルのSARBAST originalで、これには何と生ビールも存在する。アルコール度数は4.2%。飲みやすいが、東南アジアのビールのように軽い感じではなく、なかなか飲み応えがある。SARBASTには青いラベルのSARBAST extra、緑のラベルのSARBAST special、そして黒いラベルのSARBAST strongなどがあり、それぞれアルコール度数などが異なり、飲み人の趣向・酒の強さにあわせて選べるので有難い。(因みにextraが5.6%、specialが5.0%、strongが7.0%)
 次にサマルカンドの地ビール、Pulsar(パルサー)。これもまた実に多くのバリエーションを抱え、ついぞ私は飲むことがなかったが、黒ビールまでそのラインナップに揃えているというのであるからなんとも驚きなのである。ベーシックな青いラベルでアルコール度数5.5%、ゴールドラベルで4.5%。SARBASTより安いので、サマルカンドではPulsarばかり飲んでいた。改めて瓶をよく観察するとラベルの上”In the best traditions of the Czech beer”と書いてあるのでチェコビールなのだろうか。どおりでうまいわけである。
 
 他にもブハラの地ビールにAZIA(アジア)という何とも旅人心をくすぐる銘柄が存在するようであるが、私は見つけることができなかった。一度ブハラでAZIAのロゴを掲げたお店を見つけ、ラマザン中にも関わらず思わずお店のドアを叩いたことがあったが、そこで供されていたビールはなんてことないSARBASTであった。いつか出会いたいものである。

 今回はウズベキスタン固有の有名銘柄のみの紹介となってしまったが、ウズベキスタンのビールのラインナップは特出すべきものがあるので、舌に自信のあるビーラーはぜひウズベキスタンまで足を運んで飲み比べをして頂きたい。きっとその品揃えの豊富さに驚かされること請け合いである。
 
※ ウズベキスタンはイスラム圏ではあるがラマザンはそこまで真面目にはやっていない。お祈りの時間を告げるアザーンも私が聞いたのはタシケントで一回だけであった。ビールに目がない私にもそれくらいの分別は持ち合わせていることを最後に弁明させて頂きたい。
■Writer&Photographer
三矢英人
■Profile
大好きだった世界史の授業に出てくる数多の遺跡・建造物を自分の目で見るため海外へ旅立ち、その魅力にはまる。世界中の遺跡・建造物・自然・酒・飯を堪能するべくいつかは世界一周、と思いながら日々次の旅への思いを馳せるリーマンパッカー。Twitter:hideto328
http://twitter.com/hideto328


インド旅行到着初日*

インド旅行到着初日*
■Writer&Photographer
嶋津亮太
■Age
26
■Profile
Cafe Bar Donnaという店を経営。
劇団PRIMALの主催。
ブログ DONNA THE PRIMAL

3月5日PM11:00

 サービス精神という概念が彼女達にはないのだろう。インドの航空会社の格安チケットのおかげで、乗り込んだ機内にいるキャビンアテンダントの接客の悪さに耐え抜き、僕はこのような結論を導き出すと同時に、デリーの空港に着いた。
「ここがインドか」
 空港内にある両替所で何のレートの知識もないまま薄っぺらの福沢諭吉を何百倍にもパンパンに厚みが出るほどのインドルピーに変え、そのガンジーの顔が描かれた玩具みたいな札束を握り締め、僕は外に出た。クラクションの音、音、音。そして見渡す限りインド人、インド人、インド人。香辛料の匂い。ここがインドだ。

 空港からデリーの市内までかなり距離があり、バスかタクシーかオートリクシャーと呼ばれる乗り物を使わなければならない。しかしどれだけリクシャーに話かけても全然相手にしてくれない。理由は簡単だった。モンゴリアン系の顔丸出しでバックパックを背負い、すでに何人ものタクシーの運ちゃんに群がられている奴の相手なんて、いくらインド式数学を自由自在に扱えるインド人だろうと、面倒なのだ。僕はリクシャーを諦めタクシーに託すことにした。彼らは市内まで350ルピーで行ってやる、と口を揃えて言った。むこうの物価はだいたい100ルピーあたり300円と考えてくれていい。1000円ちょっとなのだけども、かなりふっかけられてることは間違いない。僕は、
「エクスペンシブ(高い)」
 と連呼し続け
「100ルピーしか払わない」
 と言ったが、それを聞いた運ちゃん連中は、ヘイへイジャパニーズ冗談はよしてくれよ、みたいな感じで小馬鹿にされただけだった。15分くらい値段交渉をして100ルピーでOKだと言った兄ちゃんの車に乗り込んだ。運転手は観光客慣れしていると見え、フレンドリーにインドスマイルを駆使し英語で話しかけてくる。
「インドは何回目だい?」「どのくらい滞在するんだい?」「どこを訪れるつもりだい?」「日本ではどんな仕事をしてるんだい?」
 少々運転が荒いのと、その運転手がワキガであることを除けば、かなり居心地のいいタクシーだった。彼らインド人はサービス精神には欠けるが、フレンドリーであることには間違いない。彼との会話は楽しかった。
「1ヶ月だったらあそこは訪れるべきだよ」「あそこは物価が安いから楽しめると思うよ」「オイラもあの町には行きたいんだ」
 なんてことを運ちゃんが教えてくれて、お互いに話が盛り上がっていた時に車は止まった。
「ここが目的地かい?」
 とお金を払おうとしたら、
「いや違うんだ。場所が分からないからあそこの店で住所を聞いてくれ」
 と運転手。目的地が分からんて、大阪で言うとヘップ前みたいな場所を頼んだわけだぜ、何のジョーダンだ? すると体の大きなインド人男性二人が店から出てきてタクシーに近づいてくる。やばい。これはあかんですよ! これは店連れて行かれたら終わりですよ! と心の中で誰かが騒ぐ。
「目的地までちゃんと行ってくれ」
「だから、道が分かんないんだって」
 そう言っている間に、イカツイ二人はタクシーのドアに手をかけた。僕は必死にドアが開かないように内側から引っ張り
「とりあえず車を出せ」
 と言うが、
「ノー、降りろ」
 の一点張り。するとマッチョが外から
「店の中に電話があるからそれでホテルを探せ」
 と言う。完全にハメられた! いや、ハメられようとしている! 遂に僕は
「ええからはよ車出せや! ここでは絶対降りひんぞ!」
 と声を荒げた。外から降りろと言ってるマッチョにもずっとノーと言い続けた。すると急に怒り出しヒンディー語で運転手になにか言っている。何を言ってるか完全に理解できない。もの凄い形相なので、おそらくはキレているのだろう。すると運転手は頷き、車を走らせた。
「おい、さっきの奴は何をしゃべっていたんだ?」
 と聞くと
「場所を教えてくれた」
 と誰が聞いても分かる嘘を透き通った瞳で言われた。
「よし、オーケーオーケー。俺はここで降りる」
 と言ったが、
「何言ってんだ。こんな危険な場所に降ろせる訳ないだろ。」
 と言われて車を止めようとはしない。
「ほら、あそこホテルだろ? あそこに泊まるから降ろしてくれ」
 と言ったが、
「俺は場所が分かったんだ」
 と適当なことを言われ、心配しつつも降りようとするのをやめた。

 そう、それが最後だった。一度騙し掛けたインド人を少しでも信用した僕が馬鹿だった。車内は30分前の明るい雰囲気が大昔に思えるような重い空気だった。車を走らせること20分、ここだと降ろされた。僕は初めての知らない土地なのでそれを信用し、100ルピーを払い、仲直りの意を込めてセンキューと握手をして降りた。
 辺りは殺伐としていた。僕は確かデリーの中心であるコンノートプレースに連れて行けと言ったはずだ。ホテルというか、店一つない。そして歩行者は東洋人の顔をした僕一人だ。
 あとで分かったのだが、コンノートからかなり離れた場所に放置されたのだった。その時の僕にそんなこと分かるはずもなく、ここがコンノートか、結構暗いな。と、自分を勇気付けるように一人言を呟きながら歩道に沿って歩き出した。
 すると暗闇に光る無数の点。何やあれ? もの凄い勢いで点が近づき吠え出した。犬!!
「ギャン! ギャン! ギャン! ギャン!」
 その瞬間脳裏に浮かんだ言葉は「狂犬病」。しかもその数は徐々に増え7、8匹の狂ったワンちゃん達にあっという間に囲まれた。
 こぉぉぉぉぉぉれぇぇはアカンですよぉぉぉぉ!!!!
「なんじゃコラぁ! なんじゃコラぁ!」
 と言いながら戦意を見せつけるのだが、お構いなしに噛み付こうとしてくるワンちゃん達。ジャレとるんではないことだけは確か。日本より数倍ワイルドなインドの野犬。かなりのピンチ。そして先頭で吠え続けていた一匹が僕に飛びつこうとした瞬間、一台のリクシャーが目の前に止まり、インド人が飛び出した。そのオヤジは10秒もかからず犬達を追っ払い僕の方に近づいて
「何してるんだ!?」
 と言った。

救世主現る

 空港で時間を合わせた時計を見ると既に1時半を過ぎていた。
「この辺りでホテルを探そうと思って」
「歩いてか?」
「そうです。この辺りにたくさんあるはずだから」
「おい、この辺りにホテルなんてないぜ」
「は?」
 オヤジは続けた。
「お前みたいなバックパックを背負ったジャパニーズが、こんな時間にガイドブックを持ちながら歩いていたら殺されるぜ」
「は?」
「いいから乗れ」
「いや、歩いていきます。バイマイセルフです」
「行くって? どこ行くんだ?」
「コンノート・プレイスです」
「ヘイジャパニー、コンノートはこっからだいぶかけ離れてるぜ」
 僕はそう言われたけども、その前に一発騙されてるのもあってすぐにインド人を信用できる心境じゃなかった。僕はそのオヤジに
「俺は大丈夫だ」
 と言い歩き続けたが、オヤジはずっと付いて来て
「いいから乗れ」
 と五月蝿く言った。数十メートル歩いて無視し続けてるのにまだ付いて来るオヤジに、俺に構うな! と言いかけた時、前方から4、5匹の野犬がやってきて吠え出した。オヤジはリクシャーから降り、またもや狂ったワンちゃんたちを一掃し、こちらを振り返り素敵過ぎるインドスマイルでウィンクした。
「コンノートまで」
「50ルピーだ」
「5ルピーだ」
「30ルピー」
「5ルピーだ」
「10ルピー」
「言っとくけど、5ルピーじゃないと乗らない」
「オーケー。もう何も言うな。いいから乗れ」

 こうして僕はこのオヤジのリクシャーに乗った訳である。夜のデリーは似たような道ばかりでどこを通っているのか分からない。同じ道を何回も通られても距離感が全くつかめない。
「ヘイ、ジャパニー。何でこんなとこに一人でいるんだ?」
「あそこがコンノートだと思ったのさ」
「あのな、この辺はマフィアが山ほどいるんだ。お前みたいな旅行者すぐに身ぐるみはがされるぜ」
「……」
「ホント、俺がいてよかったな」
「……。コンノートまで早く」
「わかった。わかった」
 バリバリバリバリバリ!! エンジンというものの原始的音というものはきっとこれに近いんだろう。安っぽい音とエンジンの臭いと、インド人のスパイシーな匂い。僕は今インドにいる。日本ではない別の国にいる。早くインド美人を見たい。くっきりとした目鼻立ち。透き通っていながらまどろんだ瞳。鼻ピアス。へそピアス。僕の脳みそがサリーに身を包んだインドの神秘的美貌を得た女性の姿に侵される。元来僕はインド系の顔立ちの女性に惹かれるようだ。だから友達と話してても、一般的美人とは少々ずれた女の子が自分の好みであることに気付いていたし、少なからずそのことに対して自負していた。未来の嫁はこの国にいる。その想いと言葉にならない決意を胸に、僕は関西国際空港を飛び立った。
「ヘイ、ジャパニー」
「……?」
「ヘイ、ジャパニー!」
「……ん?」
「着いたぜ」
 人から見れば邪念のような僕の信念に集中力を働かせすぎていたらしく、到着したことに気付かなかった。
「ここがコンノートだ」
 大きな建物が並ぶ。先ほどの場所とは全く違う、日本と比べれば全然ではあるが都会的な雰囲気。なるほどここがコンノート・プレイスか。
「ホテルは取ってあるのかい?」
「いや、今から自分で探すつもりさ」
「なんてこったい! ジャパニーよく聞け、今日は3月5日。明日はシヴァラートゥリだ。ホテルなんて空いてないぜ!」
「え? なんて? しヴぁらーとり?」
「フェスティバルさ!」
 確かに3月6日はシヴァのお祭り。それでどこのホテルも満室だって?
「ヘイ、ジャパニー。もう夜中の2時だ。しょうがねぇ俺がホテルを探してやるよ」
 いい人。このオヤジいい人だ。僕は感動した。その前に一発ボディブローを喰らっていたので余計に感動が増した。このオヤジはちゃんと僕をコンノートまで送ってくれた。それに野犬も追っ払ってくれた。
「オヤジ、センキュー!」
 僕は再びリクシャーに乗り込んだ。インド人もいい奴いるんだぁ。感動も絶望も何が原因で、そしていつ、どこからやってくるのか分からない。それが旅なんだと初日の到着3時間後に知った。「オヤジ、お金があまりないから安いとこ探してくれよ」
「おう。だけどフェスティバルだから難しいぜ」
 オヤジは屈託のない笑顔でリクシャーのハンドルをきる。結構なスピード。風が直接車内に入るのでそのスピードを肌で感じる。今頃日本は寒いんだろうなぁ。そんなことを考えながら春先の夕暮れのような生暖かいインドの空気と遊んでいた時に体に衝撃が伝わった。
 ドォォォン!! 何だ!? リクシャーに何かがぶつかった。そして僕はその何かをこの目で見ていた。人だった。うん、インド人だった。結構なスピードでインド人を撥ねた。そしてリクシャーは止まることを知らず走り続ける。オヤジが笑顔で振り返り
「アーユーオーケー?」
 と聞いた。僕は
「えぇぇぇぇぇぇ!!!!」
 と、驚いてオヤジに
「あれヤバイやろ? 大丈夫なん?」
 と咄嗟に日本語で聞いたら、爆笑しながら
「ヤァ(YES)ヤァ(YES)」
 とオヤジは答えた。僕は日本語で
「ほんまオッサン適当やなぁ!」
 と言うと、オヤジはまたもや
「ヤァ! ヤァ!」
 と爆笑しながら答えた。かなり楽しかったようである。僕は苦笑いもいいとこだったけど、オヤジの笑顔を見ていると気持ちが癒された。
 オヤジはかなりホテルを探してくれた。7、8件回ってくれたがどこも満室だと言われた。オヤジは親身になりながら
「明日がフェスティバルだからなぁ」
 と自分のことのように残念がってくれた。そして気付いたら旅行会社の前にリクシャーを停めていた。
「ヘイ、ジャパニー。ここでホテルを探してもらうんだ。」
 僕の精神は日本からのエコノミー席での8時間の旅に続く、タクシー事件、野犬対決、ホテル巡りに疲れきり、どうにかなるだろうと中に入ったものの、案の定高額ツアーを組ませる悪徳旅行会社のトークを冷静な耳で客観的に聞いていた。
 アホかと。亮太お前はアホかと。インドに何しに来とるんやと。僕の中のもう一人の僕が耳打ちし続ける。明日はフェスティバルだからホテルはファイブスター(5つ星)しかないと簡単に片付けられ、どういうコースでインドを回るかと懸命に聞いてくる男の声が遠ざかっていく。
 僕の頭の中に一つの疑問が浮かぶ。考えたくないことだ。とても嫌な気持ちになることだ。それは、なんであのオヤジは僕をここに連れてきたんだ? というクエスチョンだった。時計を見ると4時過ぎ。あと少し。あと少しだ。電車が動く時間になれば早いとこ、こんな町出よう。その想いだけが毎分毎秒膨らんで行く。そして目の前の明らかに高額な料金でタージマハルへ連れて行こうとしている男の声と目つきに腹が立ち
「聞け。俺はツアーに入らない。絶対に、何があっても、ツアーは組まない」
 と言った。すると男は
「お前みたいなやつは出て行け! 二度とくるな!」
 と逆キレしだした。僕は平然とした態度で店を出て通りを歩く。ここがどこだか分からないが、あんなとこにいるよりはマシだ。
 犬が吠えている。少し怖い。真っ暗闇を一人歩く。何か柔らかいものを踏んだ。臭う。よく分からない。2、3歩歩く。靴の裏に着いた柔らかいものが潰れる。臭いが爆発する。くさい。これは、うんこだ。何のうんこだ? 僕はインドで騙されて、騙されて、犬に怯えて、うんこを踏んだ。
 旅は、あと30日ある。僕は一体あと何回騙され、犬に怯え、何から出てきたのか分からないうんこを踏むのだろう? まだカレーも食べてないのに、口の中が辛くなった。すると後ろから聞き覚えのあるバリバリバリバリバリという音。
「ヘイ、ジャパンニー」
 さっきのオヤジだった。こいつも結局は僕を騙していたんだ。僕は
「向こうへ行け」
 と、言った。するとオヤジが
「俺の友達のホテルが一部屋空いてるんだ。今取ってもらってるんだけど行かないか?」
 と誘った。そして僕はもう1度騙される。

救世主の正体は詐欺師

 僕は疲れもあり、野犬の怯えもあり、うんこもあり、オヤジのリクシャーに乗るには充分過ぎる要因を持っていた。オヤジは今までとは比べものにならないくらい真っ暗闇に包まれた道を、インド人を撥ねたリクシャーで走り抜ける。僕の反撃は、そのオヤジのリクシャーに靴の裏のうんこを擦りつけるくらいだった。正直このオヤジが向かってる先が怖かった。本当に人気のない、そして明かりのない、狭い道を行くのだ。僕はインド美人を拝む前に命を断つかもしれない。その不安はいくら拭っても拭いきれず、確実に増える一方だった。真っ暗闇の中リクシャーを停める。
「降りろ。ホテルだ」
「降りない」
 僕は怖さのあまり駄々をこねた。それが10分続いた後、僕は降りて本当にホテルがあって胸を撫で下ろした。そして高額なホテルの一室にサインをし、オヤジに100ルピー払い、明日絶対にデリーを出るという決意を胸に眠りに落ちた。

 あとで旅をしている日本人に聞いて分かったことなのだが、3月5日のこの夜、どこのホテルも普通に空いていたらしい。リクシャーのオヤジとホテルマンの口裏あわせで満室にされていたのだった。そういう詐欺が主流であることを、日本で全く予習していなかった地球の歩き方を読んで知った。僕は次の日から、受験生並にこの本を読みつくすことになる。そしてデリーへのリベンジを決意する。


体験をもって理解すること

体験をもって理解すること
■Writer&Photographer
田中美咲
■Age
23歳
■Profile
少しでも多くの人が心からの幸せであれる世界を創りたい。
渋谷で働くバックパッカー、です!
▽Keyword:
バックパック旅(221日6大陸12旅26カ国63都市)/瞑想修行(Vipassana)/全米NLP認定コーチ/LABプロファイル資格取得/前世はインドの姫/三軒茶屋シェアハウス
▽blog:
▽三軒茶屋シェアハウスBLUEHOUSE:

■インドとの出会い
 これまで、どんな地域に行こうと病気にならない自信があった。それが仇となったインドでの出来事と、それから大好きになったインドのことを話そうと思います。
 まず私は初めてのインドで、雨期に無理やりガンジス川を横断しようとして(というか騙されて)溺れかけて、本気で死ぬかもしれないと思った経験をしました。そこでいろんな人に助けてもらって心を癒してもらい、インドが好きになりました。
 そこから、前世が見える人からは「インドのお姫様だったわよ」と言われたり、ご縁があって瞑想やヨガを始めたり、どんどんインドに呼ばれていくのがわかりました。
■初めての感染症
 初めてインドに行った時にお世話になった人たちに会うため、2回目のインドではガンジス川のあるバラナシに2、3週間ほどいました。火葬場やガンガーの近くでぼーっとしたり、自分の思うがままに行動していて、虫よけとか日焼け止めとか、女子ならやるべきだろうことは一切せず、欲望のままに暮らしていました。
 ある日、なんだか体全身がだるくて、「あー水がいけなかったかなー」と思ったものの、お腹が痛くなるのにも慣れていたので放っておきました。そして、どんどん体が動かなくなってきて、熱を測ってみると41度も!
 立ち上がると気持ち悪くって、めまいと吐き気があるので何も食べれず。バファリンをとりあえず口にほおりこんでいました。それでも全く治る気配がないので“現地の病は現地の薬で”とどこかで読んだ覚えがあったので、仲良くさせてもらっているインド人の友人に病院まで連れて行ってもらいました。
■デング熱の症状
 40度以上の熱が2週間続き、一度37度くらいまで落ちるがまた40度を超える。全身が乾燥しだして、乾燥した肌の切れ目から血が出てくる。座っているだけでも気持ち悪くて、左脳の情報処理する力はほぼなくなる。※実体験

 デング熱(デングねつ、dengue fever)は、デングウイルスによる感染症。一過性の熱性疾患で、東南アジア・インド・中米・南太平洋などに広く分布する。近年の熱帯・亜熱帯地域の都市部におけるアウトブレイクには、急激な都市化が関連している。現在のところワクチンはない。※参考:wikipedia

■インドの病院でデブ熱と言われて
 インド人の友人に、お医者さんから伝えられるヒンドゥー語を訳してもらっていたらこう言われました。 ・インド人:「オマエ、ソレ、デブ熱ダゾ」
 ・私   :(ああ、デブがなる熱ね。ってなんだそれ!)
 ・インド人:「デブ熱、dengue feverダヨ」
 いろいろ日本語で伝えようとしてくれたけれど、英語で言われた方がわかった。めまいがして思考停止してる状態でもイラっとしたので、あー私まだ生きてるなと感じました。
 ・医者  :「注射2本打つのと、薬あげるね」
 そんな重症か? と思いながら、それがなんの注射なのか、薬ってなんのためになるのか全くわからなかったけれど、それを聞く体力も余裕もなかったので全てうなずき、ベットに横になりました。そして、注射は腕に打つものだと思っていた私の価値観は覆され、インド人が数十人見ている病院で半ケツにされ、幾度となくケツを揉まれ、右ケツと左ケツに1本ずつかなり大きい注射を打たれました。
 自分が理解していないものを体の中に入れられる恐怖と、数十人のインド人にケツを見られている理解不能な状況と、めまいと吐き気に苛まれながら、治療が終わりました。

 実はその後、その注射がインド人用だったためか、私には強すぎて貧血を起こして病院内で倒れました。なんだこれ。
 ・医者  :「チャイ飲んだらなおるから大丈夫だ」
 ・私   :(えええええええええチャイ頼みかい!)
 もうここまで来ると、何を信じていいのか何が何だかわかりませんでしたが、ただ白衣を着てる人は信用していいかという無謀な考えに身を託しました。
■迫るダージリン行きの深夜特急
 おしりに注射を打ってもらい、お薬ももらって、ゲストハウスでゆっくりしていたのも束の間。その1日後に出発するダージリン行きの深夜特急のチケットを取ってしまってました。この気持ち悪さのまま、チケットを無駄にしたくない想いを優先させ、飛び乗ることにしました。
 深夜特急の揺れがまたデング熱を絶好調に発症させました。スリーパークラスを取っていましたが、結局ほとんどトイレにいました。そしてダージリンに到着し、6人乗りの車に15人くらい乗ってダージリンの街に何時間もかけていきます。
 この時点でわかると思いますが、インドの汗臭さと砂と密集した空間を何時間もキープし、さらに整頓されていないでこぼこ道を走り続けることは今の私には殺人的状況ともいえました。
 ゲストハウスにようやく到着すると、めまいがきつくなり、せっかくのダージリンの滞在をほとんどベットの上ですごしました。それでも、周りの旅人やゲストハウスの人たちが食事を管理してくれたり、お見舞いにきてくれたり、マッサージしてくれたのでなんとか少しずつ体調は戻り、日本に帰れるくらいまでの回復ができました。その時一緒にいた方々、ありがとうございます。体重は10kgも落ちてしまいました。笑
■人のありがたみと生きていることへの感謝
 こうして、清潔感のない場でも、親が近くにいなくても、医療への信頼が築けていなくても、人をすごく大切にするインド人の性質と、旅人達の旅を通して培った生き抜く力と支え合う意識は、私の心を癒してくれました。
 自分は自分、他人は他人という考えで共通するインド人と旅人は、何かあれば自分の事をおいてでも駆けつける、その相手をとても重要な人だと考えることができるすばらしい信念と価値観をもっていると体験をもって実感しました。
 どんなに表面的に大切にしたとしても、重要なときにそれが出来なければ意味がない。それを知っていて、行動にできている人たちの中で旅をすることで、自分を見つめ直し、今の世の中に足りないものを見つけ出すことが出来たと思います。



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