閉じる


藤姫偃息図衆

    

 

                           -不治の病に冒されし若き娘よ-

                     -今ただこのひととき、男を愛するがいい。-

                -この世の誰にも負けぬほどの愛を今、貫くがいい-


藤姫偃息図衆 第一夜 夜美の彼方 其之一幕

 

 

 私は暗闇の中で考えていた。 ただ一人、ずっと考えていた。

 夜の闇よりも暗い、いや、暗いとも認識できない、どれだけ時が流れたのかさえ分からない闇の中で

ただ一人、遠い昔の記憶の映像を眺めていた。

そんな私にも、時折、一筋の光が私の目の前を照らしてくれるのだ。

人が祈りを通じて私に語りかけてきた最中だけ、私は祈りに切実な思いを秘めて拝む人間の眼(まなこ)を通じて 天から地上を照らす暖かいアマテラスの光を見る事が出来る…。

 九十九(つくも)…。いつの頃からか私のお墓に一緒に住み着くようになった蛙の妖怪だ。 彼が一人ぼっちだった私の心にいつも問いかけ、私の瞳となってくれる。 おかげで私は、このお墓に縛られながらも闇の中でただ眠るだけではなくて、 時には生きた人間と触れ合う事が出来る。

 

 私がこのお墓に入ったのは19の時だった。 それからもう、幾年の月日が流れたのだろう。

 九十九の話によると、120年の月日があれから流れたみたい。 私が生きていた戦乱に満ちた世の中は、今は徳川様の天下となり、百姓一揆こそ所々で起こるものの、 大きな戦争はもう今の世には起こらないようだった。

そんな時代の男女なら、恋もきっと自由なんでしょうね。 私はそれを時々うらやましく思う。

 私は時々こう考える時がある。

人が何をもって幸せを感じるのか…。 それはたとえ、他人がどう言おうとも、周りの人間に私の気持ちを分かる人がいなくても、 もし、私の中にある気持ちが間違っていると感じないなら、本人が幸せと思えるならば、 それでいいのではないかと今になって思うのです。

 私は出来る事なら、もう一度、この世に生を受けたい。 この私を縛る忌まわしい恋愛塚から、私の魂をもう一度、この世に解き放ちたい。

 それが出来るかどうか分からない。 古来より、死してなお、この世に蘇りたい想いは、西洋の伴天連(バテレン)達がはるか海を渡って この土地にやってきた時にも外国のお話の中で説いていたようだし、 この国にも、男神(おがみ)イザナギが、死んだ妻のイザナミをこの世に蘇らせたい思いから、 黄泉の国を訪れた伝承が古くから残っている。

 それは単なる物語の上での空想だったのか、それとも、 古代には本当に黄泉の国から蘇ってきた人間がいたのか、どちらにしても、 人間は古くから永遠の命に深い魅力を感じていたようだ。

私もその一人なのかもしれない。


藤姫偃息図衆 第一夜 夜美の彼方 其之二幕

 

 私の名は「藤」。 生きていた頃は藤姫様と呼ばれていた。

陸奥の地方のとある小国の戦国大名の長女としてこの世に生を受けた私は、

生活面では不自由する事は何一つ無く、私は大好きな琴の腕もみるみる上達し、

自分で言うのもなんだけど、見る目麗しい美しい女へと成長したと思う。

しかし…。

私は幼い頃より心の臓の病を患っていたのです。 少しでもお日様の下を歩こうものなら、

すぐに息が切れてしまう…。 明日をも知れぬこの命…。

皆の前では、平静を装っていたが、私の心はいつ、私は死ぬのだろう…。

そんな事を考えては、布団の中に潜り込んで、むせび泣いた夜も一度や二度じゃない。

そんな不安で押し潰されそうになる夜は、なかなか寝つけないものだった…。

昼と夜が交互にやって来るだけの毎日。

私の世話をしてくれる女中は私の世話を焼いてくれた。

でも、私にはなんとなくだけど、分かったの。

女中たちは私のいない所では私の事を不憫だと言ったり、 ひどいのになると、私の事を笑ってさえいる女中もいるだろうな、という事を…。

特にそれが顕著だと思ったのは、色恋話の時だった。

女中達は、この手のお話になると、お城の台所などで、それこそ蜂の巣を突いたような大きな声で、

おしゃべりを楽しんでる風景を私も、 厠へ用を足しに行く時や、

お庭を軽くお部屋から眺めている時なんかによく聞くのでした。

私もその時は17歳。そんなお話を聞いて、ドキドキしないはずがない。

だから私も、部屋へやってきた女中に、それとなく、色恋話をしたくて、

そっと、好きな男子の話なんかを振ってみたりしたのです。

しかし、私が話題を色恋話に向けると、皆、口を噤む(つぐむ)のです…。

何気ない話題なら、なんでもしてくれるのです。

例えば、昔は尾張のうつけと呼ばれた織田信長公が、ついに武田勢を打ち破り、

このままの勢いなら、 織田信長公が、天下を統一してしまうだろうといった、

今の天下の情勢の話とか、 女中の家族やお友達のお話なんかは、普通に話をしてくれるのです。

それが何故、私が私も皆と同じように興味を持ってやまない色恋話だけは、

まるで皆で取り決めた禁句のように、私の前では楽しくお話をしてくれないのだろう…。

私はいつ死ぬか分からないから、私を不憫に思い、だからきっと、そんな私の前では 誰も色恋話を持ち出す女中はいないのだろう…。

皆は私にめいいっぱいの気を遣ってくれているつもりでいるのかもしれない。

しかし、私も皆の前ではそんな皆の思いを汲んで笑い返してはいるものの、

私はそれを、 本当の思いやりとはどうしても思えなかった…。

 

普段、家族の前や、友達の前でしている普通のお話を、普通に話してほしかったのだ。


藤姫偃息図衆 第二夜 花の命

 

 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき


なんとなく、これからずっと先の未来、誰かが歌って色んな人が知る事になるこの言葉がふと、
藤姫の心の中を過ぎった(よぎった)。

 
死の眠りの中にいる時間は私ももう、死んだ時から120年もの月日が流れたわけだけど、
その間ずっと、生きていた時より疲れもだるさも感じない。

まるで、ずっと夢の中にいるような…。
私はその暗闇の中で、たまに私を照らすアマテラスの光が射した時だけ、目を覚ましたような心持だけが、 延々と、ふわふわと流れていく。

 
それは、私がこの土地にずっと縛られているからだろうか?

そのせいか、時々、遠い過去のものとも未来のものとも分からない不思議な映像が広がる
夢の中を彷徨う事がある。

 
カラクリが空を飛び交い、お城なんかよりもっと大きい縦長の、窓が数え切れないぐらいある建物や
見た事も無いお化粧や服を着た人たちが、狭い場所を数え切れないぐらい歩いている町や、
牙の生えた大きなゾウを石の斧を持って追いかけるひげもじゃの男達、
映像だけじゃなくて、時々、喜んでいるような声や、

時には耳を塞ぎたくなるような大きな悲鳴まで、

そんなものが 見えたり聞こえたりする時があるのです。

 
 花の命は短くて苦しきことのみ多かりき

 

私と同じような境遇の人が語った言葉 なのかな?と思った。
私の命も短くて、そして生きている間、苦しかった事が多かったと思う。
そして、死んでからも、私はこんなお墓に何故、ずっと、留まり続けないといけないのだろう??
あの時代、私の世話を焼いてくれたり、一緒におしゃべりを楽しんだ女中たち、
私をあんな人のもとに無理矢理嫁がせた父上、夜叉丸、

そして双一郎様…、皆はどこへ行ってしまったの?? 

 

 九十九一人がずっと私のそばにいてくれる。 彼が何故、私のそばにいつまでも

たった一人でついていてくれるのか私も分からない…。

あの日から120年間、訪ねる機会はいくらでもあっただろうに、

私は不思議にそれを一度も彼に訪ねた事がない。

彼も自分からそれを私に語りかけてきた事は一度もない。

 なぜだろう?? しかし何故か、お互いそれを聞かずとも、

まるでずっと昔から顔なじみのような不思議な印象を、 私も彼も持っていたからかもしれない。

 

 「そうだわ、九十九。また久しぶりにお話しましょう。 誰かがお墓を訪ねてくるまでずっと寝てるのも、なんだか辛いものがあるの。」

 

 「よろしゅうございますよ姫様。どんなお話がよろしゅうございますかな?」

 

 「そうね。九十九がいつも話してくれる、百鬼夜行とか、

仲間の妖怪のまぬけ話も面白いんだけど、今日は 私がしゃべってもいいかな?」

 

 「どんなお話か、楽しみでございますな。」

 

 「うふっ。昔、まだ心の臓の病を患ってた頃、

いつも私に楽しく話をしてくれた男の子がいたの。

 あんまり親しげにいつもお話をしていたから、

その時はまだ私もそれが私の初恋だなんて思わなかったわ。

でもね、今から思うと、それって初恋だったのかな?って思うの。」

 

 藤姫は、久方ぶりにアマテラスの光を浴びながら、少し俯き加減で目にはいっぱいの笑みを浮かべながら、 九十九に楽しそうに話をし始めました。

 


藤姫偃息図衆 第三夜 花営偃息図衆 其之一幕

 今を遡る事120年もの昔、私は病弱の一人の女だった。

 
 藤姫は久方ぶりにアマテラスの光を浴びながら、九十九に楽しげにお話を始めました。
藤姫がある晩、床に就いたものの、なかなか暑くて寝つけない夜があった。
布団の中で、必死に眠ろうと目を瞑って(つむって)

目の前に広がる暗闇を必死に見えなくなるまで 見つめていた時、
ふと、庭から呻き声とも歓喜の声ともしれない声が聞こえてきたのです。

 

 

 「あ…、あう…、あっ、あっ…、ああああ…。」
さっきからなんだろう…???
まさか幽霊??物の怪の類がお城に住み着いたのかしら??


 藤姫は正体の知れない声が段々怖くなり、布団の中で、ますます心をドキドキしながら暗闇を見つめ続けた。
四刻半(30分)ほど過ぎただろうか?
庭から聞こえる正体の知れない声はまだ、藤姫の部屋にも聞こえてきます。
こんな時にどうしよう…。
おしし(おしっこ)がしたくなってきた…。
厠へ行くには、どうしても庭前の廊下を歩いていくより他は無く、藤姫は意を決して、庭の幽霊に
気配を悟られないように、そっと、部屋の障子を開いて、庭の様子を窺う事にしました。

 
 「姫様に聞こえちゃう…。でも…。だめよ…。もうダメ…。

あっ……。ああああああああああああ!!!!」
それは藤姫も予期もしなかった光景だった。

 

 

 暗がりの中で叫び声を上げていたのは、若い小姓と、

私の部屋へも出入りしている女中が夜の闇に紛れ、
なんといつの日か、枕絵が描かれた書物で見た事がある行為に励んでいたのだ!!

 
 男にあって女にない物。

 
その二つを互いを補い合う形でまぐわうこの行為、

私はずっと前に一度、今はもう女中を辞めてしまったけど、
とても仲良くしていた私の数少ない女友達の「加代」が、

私にこんな本を見せてくれた事があった。

 
花営偃息図衆(かえいおそくずしゅう)

 

 

 

 「これははるか遠く、明の国から海を渡ってきた書物だと、

私、姫君の乳母様より聞いた事がございます。
他国では、姫君が殿方と婚礼の儀を結ばれた時に困らぬよう、

夜の作法の所作を学ぶため、こういった書物を
夜、ご就寝される前に読むのが慣わしになっているのでございます。

 しかし、姫様は…。
だから乳母に見つからぬよう、こっそりお持ちいたしました。」

 
偃息図と書いて、「えんそくず」、または「おそくず」と呼びます。
平安時代の初めぐらいの時期から描かれ続けてきた性的題材を主題とした絵画で、後に江戸時代には 「春画」と呼ばれる事になっていくのです。



読者登録

ひろべえさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について