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ー 8 ー 生きた水

能力の話になって、自室で遊んでいたフオンが呼ばれ、目の前に座った。
先ほどのファミレスの時の再現のように。

「フオンは、とても小さいときから、水を増やすことが出来ました」

そう話しはじめたのは、母親だ。こちらも日本語が上手い。

「でも、言葉を憶えると、出来なくなった。でも、シュギョウでまた出来るようになった」

母親に愛情を込めて背中を撫でられ、娘は嬉しげに母親を見上げた。


なるほど。言葉を覚えたら「水をちょうだい」と言いさえすればいいのだから、力など必要なかっただろう。
しかし成長と共に、力の重要性や素晴らしさを理解しはじめ、修行によって再び力を取り戻した、と。


「‥‥‥」

「で?それから?」

「え?何が?」水沢がキョトンとする。


「何が、って‥‥それだけ?水がちょっと増えるって、それだけ?!」

「…それだけ、ってどういう意味?スゴいことじゃないですか!これは魔法よ?!アナタに同じ事が出来るの?」

まるで自分が侮辱されたかの様に、水沢が語気を荒らげる。


「い、イヤ…出来ないけど……その…なんつーか……地味じゃね?」

うぅ、ヤバい…!!失言に焦りすぎて、更に最悪な言葉を選んでしまった。
フォローしなければ!

「あの…さ、別にバカにしてるわけじゃないんです。でも、なんだ…えーと、何の役に立つのかな、ってさ…」

マズい…焦れば焦るほど、事態が悪化していく…


怒りのためだろうか。水沢は目を見開いて言葉を失っている。

隆太は引き攣った笑顔のまま肩をすくめ、目だけを動かして彼らの様子を窺うことしか出来なかった。



「・・・・プフッ!」

堪えきれず、水沢が吹き出した。そしてついに、腹を抱えて笑いはじめた。

「あはははは!!そう、たしかにそうなのよね。実は、実はね、私もちょっと思ってたのよ。ちょっとだけね」

目尻の涙を拭きながら、水沢は白状した。


グエンファミリーはオロオロしている。
無理もない。目の前の2人が突然言い合いを始めたと思ったら、一転して笑い転げているのだから。

水沢が笑い混じりで通訳した。

(うわ、バカ。訳すなよ!!)

と内心焦ったが、彼ら3人も大笑いしている。

なんだよ、思ってたなら初めから言えよ。ビビったじゃねーか…そう思いつつ、隆太も安心してヘラヘラと笑ってしまった。


「たしかに、役には立たないね。でも、スゴいこと」

「うん。そうですね。スゴいことだ」

隆太は素直に父親に同意した。本心だった。


「それに、水が美味しくなりますよ」

そう言って、父親は2つのグラスに水道から水を汲んで持って来た。


「同じ水です。飲んでみてください」

隆太は言われるまま、一口ずつ飲み比べた。同じ水だ。

「どちらかを美味しくしますよ。選んで下さい」

隆太は片方のグラスを指差した。「ん〜、じゃあ、こっち」

父親が目配せすると、娘は頷いてグラスを見つめた。


取り立てて何かしたようには見えなかった。

さっきまでと同じく、リラックスして座っていただけのようだったが、両手でそっとそのグラスを押して、隆太に近づけた。

「飲んでみて」


隆太は驚いた。さっきとは、まるで味が違っている。
口当たりがまろやかになり、ほのかな甘みさえ感じるようだ。

もう片方のグラスの水を飲んでみた。

不味い。さっきは平気だったのに、一度美味しい水を飲んでしまった後では、こちらは飲み下すことさえ困難なほどだ。


「なるほど」

隆太は、口直しにもう一度、美味しい水を飲んだ。
こんなに美味い水を使って育てた野菜が、美味くないはずが無いだろう。

「自家製野菜の評判が良くなるわけですね。レストランも繁盛しそうだ」

両親はニッコリと頷いた。


「ずいぶん、飲み込みが早いのねぇ」
水沢が感心したように呟く。

「話の飲み込み」という意味だとはわかっていたが、つい嬉しくなって調子に乗った。


「水だけに?」


…見事に流された。水だけに。



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ー 9 ー 翼とモリビト


さて。

渾身のジョークをスルーされた痛手から 見事に立ち直ってみせた隆太は、
自分にとって最大の質問を投げかけた。

モリビトの役割についてだ。


「モリビトは、サレンダーを守ります」

父親の簡潔すぎる説明に、水沢が補足した。

この受け継がれて来た能力とその能力者は、サレンダーと呼ばれている。
だが、先ほども言ったように、名前は重要ではない。
次のサレンダーがどの国に産まれるのかは、その時になるまで わからないのだから。

父親は感謝を込めて水沢に頷き、続けた。

「サレンダーは、力の使い方を間違わないために、心を強く美しく保ちます。
 でもそれは、簡単ではない。特に、小さな子供には」

「いろんな悪い力が邪魔をします。だから、親だけでは守れない。モリビトに助けてもらいます」


「ちょ、ちょ、(ちょっと待ってくださいよーーーー!!)」

隆太は思わず空中に両手を突き出し、交互に話す両親を押しとどめた。

「俺、何も出来ませんけど!!!特別な力なんか無いし、ケンカなんかしたことないし、お手本になれるような優等生でもないですから!!マジ、無理!!」


「大丈夫。聞いて」

水沢がいつの間にかタメグチになっている。が、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

「誰もアナタが魔法を使えるなんて思ってない。モリビトは、ただ一緒に修行をして一緒に成長して行けばいいだけなの。
 別に悪魔と戦ったりするわけじゃないのよ。…たぶん」


「修行って、何だよ。滝に打たれたりすんの?俺、そんなのヤダよ?
 それに第一…たぶん、って何だよ!たぶんって!悪魔とか悪霊とか出てくる可能性があるってこと?」

「ちょっと!ちょっと待って。わかった。ごめん、私の言い方が悪かった。」


今度は水沢が手のひらを隆太に向けて、押しとどめる番だった。

「悪魔云々を持ち出したのは、ただ、そんなおどろおどろしいことじゃ無いってことを言いたかっただけなの。持ち出してしまってから、そういう可能性については一度も聞いたことが無かったのを思い出したのよ。
 だから、咄嗟に『たぶん』なんて言っちゃったの」

隆太の反応を窺い、言葉を継ぐ。

「それからね、修行についてだけど、静かに瞑想をするだけ。道具もお経も、もちろん滝もナシ。
 私も一緒にやらせてもらったけど、なかなか素敵だったわよ。清々しい気分になれた。」


隆太はひとまず落ち着いたが、まだ納得はしていなかった。

そんな様子を察してか、水沢は父親に質問している。

娘は、母親と両手を合わせあって遊んでいる。
おそらく、隆太と水沢が先ほど両手で押しとどめようとした仕草の、真似のつもりなのだろう。


「悪魔のことは聞いたことが無いんですって。ただ、え~と…邪念?
 他の人間の悪心が魂を汚そうとすることがあって、そういうときにモリビトの存在が助けになるの」

「だから俺は、何も出来ないって…」

水沢が遮って言った。

「きっと、こういうことなんじゃないかな?同じ目的を持って一緒に成長していく、家族以外の、しかも信頼出来る誰か。
 その存在自体が、サレンダーの力というか…助けになるんじゃないのかな」

「でも…でも、そんなの俺じゃなくたって……イヤむしろ、俺よりマシなヤツが」


「あなたなのよ」

水沢は押し込むように言い切った。

「なれるものなら、私がモリビトになりたいわよ。でも、彼女は覚醒した時、ハッキリと言ったそうよ。

  『天空橋に住む、小さな翼を持った おとこのひと』


 …翼、あるんでしょ?」



シャツの下の翼の羽根が、逆立った気がした。



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ー 10 ー 天空橋の人気者

「翼を持ってるのなんて、この辺では俺だけじゃ…」

俺だけじゃない、と言おうして またもや遮られる。

「『おとこのひと』と呼ばれる年齢で翼が小さいのは、天空人に憧れて越して来て、ついこの間 翼を獲得したばかりの、アナタだけ。」

「どうして、それを…」

「不動産やの大おじいちゃんに聞いたの」



・・・・あの、クソジジィ。

心の中でだけとはいえ、隆太は長老のことを初めてクソジジィ呼ばわりした。


「少し、苦労したわよ。初め、私はこの辺の人たちにあなたのことを聞いて回ったの。
それがマズかったのね。警戒されちゃった。無理もないわよね。

 でもそのうちに、不動産やの大おじいちゃんに紹介してもらって、彼にだけはサレンダーのことを話したの。
 彼は、フオンちゃんのパフォーマンスも見ずに信じてくれた。顔を見れば悪い人間じゃないことはわかる、って。さすがよね」


…さすがじゃなくて、悪かったな。

口には出さなかったが、ふてくされ気味に隆太は思った。


「大原さんの部屋は、フオンちゃんがすぐにわかったから…」

「え?それは、どういう…」

「彼女は、あなたの居場所は行けばわかる、って言ってたの。
 そして実際、すぐにわかった。初めての場所なのに、なんの迷いも無く…」

そう言って、水沢は両手を二丁のピストルのようにして隆太を指した。


隆太は、気味悪くなって思わず身を引いた。

どこまで知られているんだろう…心の奥までも見透かされているのだろうか。


「彼女がわかるのは、あなたの部屋だけ。顔も名前もわからなかった。だからご近所に、あなたの事を聞いて回ったのよ」

隆太の様子を見て、安心させるように、だが少し残念そうな口調でそう言った。


「それにしてもあなた、ずいぶんご近所さんから愛されてるのね。みんなあなたを守ろうとしているように感じたけど」

「ハイ。あなた、ニンキモノですね」

水沢と父親にそう言われ、隆太は顔がほころんでしまうのを止められなかった。

そりゃそうさ。俺の地域活動をナメんなよ?…しかし、そうか…守ってくれたのかぁ…やっぱり みんないい人達だなぁ…俺、天空人になれて、ほんとに良かったなぁ…

ニヤニヤを誤摩化そうと、顔を擦りながら「いやぁ、そんな…」などとゴニョゴニョ呟く。


さっき感じた不気味な戦慄の名残は、どこかへ消えてしまったようだ。
ちょっと褒められただけで、我ながら単純だと思う…


「この街に住む、嬉しいです。みなさんと仲良くなりたい」

いつのまにか絵本を持ってきて読んでいる我が娘に、父親は優しい目を向けた。

「フオンも、学校でトモダチが出来ると思います」


「え?!学校?…そういうの、あるんですか?」


「ええ…学校、あります」
キョトンとして、父親が答える。


「知らなかった…この近くに、そんな、魔法学校みたいな…」


隆太がそう言った途端、水沢が吹き出した。
そして爆笑しながら通訳している。ハリー・ポッターとかなんとか…

「な、なんだよ…アンタがさっき魔法とか言うから…つい…」

自分の勘違いに気付いた隆太は、しどろもどろになりながら言い訳する。
顔がえらく熱い。


「フオンも、ハリー・ポッターのお話は大好きです。でも、彼女が通うのは普通の小学校」

隆太を除く全員がひとしきり笑った後、母親が言った。

「ついでに言うと、魔法の杖も呪文もナシ。残念ながら」
柏木はそう言って、まだニヤニヤしている。


…くそう……

開き直った隆太は、おどけて指をクルクル回しながら、ハリー・ポッターに出てくる有名な呪文を娘に向けて重々しく放った。

娘はキャッキャと笑いながら、呪文を避けるフリをした。



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ー 11 ー 迷い

自分の部屋に戻った隆太は、床に寝転がり、放心して天井を眺めていた。

(なんだかな~…)

先ほどまでのことが次々に思い出される。


つい3時間ほど前まで、俺はここで平和に眠ってたんだ…なのに…

(なんだか結局、妙に和んじゃったよな…あれかな。サレンダーの力を地味呼ばわりして、みんなで笑っちゃったあたりからかな…)


隆太は、自分が既に「サレンダー」という言葉を自然に使っていることに、気付いていない。

(イヤ、まてよ。その前に、ファミレスで夢の話をしちゃったのがマズかったんだよな…)

あの後から、水沢の口調が変わってきたような気がする。仲間になることを確信したかのように、徐々に口調が砕けてきたように思う。

床に放り出した足を折り曲げ、片方の足首を膝に乗せた。
靴下のゴムの跡をポリポリと掻きながら、隆太は思案している。

(どうすっかな~)


呪文ごっこで少し遊んだ後(水沢も遊びに加わった)、街の様子や近所の情報など少し話し、部屋を辞する前に隆太はある提案をされていた。

自分たちのビルの2階のひと部屋を賃貸に出すつもりなのだが、もし良かったら隆太にそこに越して来てもらえないか、というのだ。

もちろん、モリビトになるかどうかは関係無く。


水沢にとっても、その話は初耳のようだった。

「この立地ならばもっと高い家賃で貸し出せる」との彼女のアドバイスに対し、彼らは、全く知らない人が越してくるより、割安にしてでも隆太が住んでくれた方が安心だ、というのだ。

それなら、と「早く決めちゃいなさいよ」と言わんばかりに目で急かす水沢を諌めるように、父親は笑顔で首を振った。

「ゆっくり考えて決めて下さい。まだ、リフォームにも時間が必要ですから」




(今の部屋より駅に近いうえに、家賃が1万円近くも安くなるんだよな~。)

隆太のバイトの時給は1600円。深夜勤務だし、リーダー職だから、割はいい。
だが、所詮はアルバイトだ。毎月1万の差は大きい。

(モリビトの件は関係なしに と言ってくれてはいるけど、自分の性格上、そういうワケにいかないよな…)

隆太は、ゴロンと寝返りを打った。

(でも、間取りはなかなか良かったよな。それに、美味しいベトナム料理をご馳走になれるかも…そしたら食費も少し助かるな…)

母親がお茶請けに出してくれた総菜の味を思い出していた。

昼食に誘われたのだが、隆太は断った。
じゃあ、そのかわりに…と料理をタッパーに入れて持たせてくれたのだ。
(「今朝作った、残りものですが…」「いえいえ、これ以上戴くわけには…」)

2階にある あと2部屋は、店の倉庫と家族の物置として使うらしいので、隆太はそのフロアにひとりで住むことになり、その点でも気楽だろう。


正直、かなり気持ちは動いていた。

彼らは良い人達なようだし、あの力についても今は疑いを持っていない。
おまけに好条件の部屋に引っ越しまで出来るのだ。

だが…


隆太は両腕を重ねて目を覆った。

いくつになるまでかは知らないが、この先の何年か…イヤ、何十年かを「モリビト」として生きていくことに、怖れのようなものを感じていた。

辛い修行をするわけでもなく、厳しい戒律も無い。仕事や生活習慣を変える義務も無い。

それでも、モリビトを引き受けるのには相当の覚悟が必要だった。

隆太は、もともと責任感の強い男なのだ。


(そうだ、長老に相談してみようか。むこうだって、俺のことをペラペラ喋ったんだ。相談に乗る義務ぐらいはあるだろう)

ちょっと意地悪に、隆太はそう思った。

(翼が生えた時に報告に行って以来、顔だしてないしな…)

意地悪になりきれず、生来の優しさが顔を出してしまうのだった。



長老に相談することに決めて少し安心したのか、隆太の思考は徐々に本筋を外れていった。

家族と別れ、商店街を通って水沢を駅まで送って行ったときの会話を思い出す。

「さっきも思ったけど、大原さんって話の理解が早いですよね。
 彼ら、まだ日本語ペラペラってわけじゃないでしょう?
 なのに、拙い日本語の中から、うまく真意を取り出してた。最後の方なんて、ほとんど通訳が要らないカンジだったもの。
 ただでさえ、信じ難いような内容の話なのに」

隆太は、まんざらでもなかったが、ちょっと謙遜して言った。日本人の美徳だ。

「え、そうかな?…だとしたら、職業柄かもしれません。
 コールセンターの電話オペレーターって、色んな人から話をうまく聞き出して問題を整理して、対処法をわかりやすく教えなきゃいけないから」

隆太がコールセンターでアルバイトをしていること、顧客のクレームや質問などを受ける仕事であることなどは 先ほど話してあった。

中には、混乱しきって電話してきて 話の要領を得ないような客も、少なからずいるのだ。

「きっと、有能なんでしょうね」

「慣れですよ。それに、ホラ…不思議な力に関しては、俺も同類」

「なるほどねえ。うん、そうよね。
 私じつは、天空人って、おとぎ話みたいなことかと思ってたの」

水沢は、少し恥ずかしそうに笑った。そしていきなり、得意気に言った。

「あ!ねえねえ、「モリビト」ってコトバ、私が考えたのよ。「守人」って書くの。カッコイイと思いません?」

一転、自分の言葉のセンスを自慢しているのだ。

隆太は、「そう…ですね。なんだか、特別な存在ってカンジが高まる」と、苦笑混じりに褒めた。
あまりに得意気なので、「その言葉、ハリー・ポッターに出てきましたよ」とは言いづらかったのだ。

水沢は、「でしょ?」と嬉しそうに笑うと、弾むような足取りになって持っていたバッグをブンブン振った。

感情と行動が直結しているような様子の水沢に、隆太は思わず苦笑いしてしまう。

「なんか、水沢さんの印象が最初とだいぶ変わったような気がするんですが…」

「ふふ。当たり前じゃない。初めっからこんなカンジだったら、話なんて聞いてくれないでしょ?」

水沢は かけてもいないメガネをあげるフリをしながら、気取った声で言ったものだ。

「その気になれば、まともなフリも出来ますの♪」



トロトロと眠りに落ちる寸前、隆太が考えたこと。

容姿が美しいだけじゃ、美人とは呼べないんだな…
美人っつーのは、こう…言動までも美しい人のことを言うんだな…

水沢さんは…まあ、ビミョーかな…



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ー 12 ー 天空橋

うたた寝から目覚めたのは、17時近かった。

夕暮れにはまだ間があるとはいえ、お昼にお茶請けの総菜しか食べていなかった隆太は、猛烈な空腹を覚えていた。

冷凍庫から小分けにしたご飯を取り出しレンジで温めている間に、先ほどもらった料理を冷たいまま味見してみた。

初めて見る野菜と3色のピーマンの炒め物だった。
ガーリックが効いていて、とても美味しい。

もう一つのタッパーは、蒸し鶏のサラダだった。
紫の玉ねぎやシソ、人参などが細く刻まれ、和えてある。
丁寧にも、ドレッシングが小さな容器に入れられ、添えてあった。

それら全てを4分ほどで食べ終え、隆太は長老のもとへ向かった。



数カ月ぶりに会う長老は、相変わらずだった。

鳩尾近くまで伸ばした白いヒゲを撫でながら、何をするでもなく縁側で胡座をかいている。

長老、という呼び名は、おそらくその風貌と喋り方からつけられたのだろうと、隆太は推測していた。

年齢は知らない。本当に”長老”なのかどうか、誰も確かめていないようだが、そんなことはどうでもいいらしい。
要するに、そんな風に呼びたくなってしまう、愛すべきじいさんなのだ。


「ご無沙汰してます。大原です」

「おぅ、隆太か。よく来たなぁ。翼のほうは、どうじゃね?順調かい?」

「おかげさまで、少しずつですが育ってるみたいです」

そうかそうか、ん…ちょっと座って待っとれ・・・・そう言って、長老は立ち上がり部屋の奥へ消えていった。

縁側に腰掛け、庭を眺めながら待つ。

数分後、隆太の予想どおり、冷たい麦茶と熱いほうじ茶、おせんべいの載ったお盆を持って戻ってきた。いつも通りだ。

隆太に麦茶を勧め、長老はほうじ茶をひとくち飲む。


「あれじゃろ、あの家族に会ったのかい?」

やはりお見通しだ。
むこうから切り出してくれたので、少しホッとしつつ、ハイ、と頷く。

うんうんと頷きながら、長老は庭を眺めたまま話す。

「良い人達じゃった。真っ直ぐな心を持っておる。不思議な力を、守ろうとしておる」

そして、隆太を見てニカッと笑った。

「わしらと、同じじゃのう」


…そうか。そうかもしれない。
だから、初めは身構えていたにも拘らず、あれだけの短時間で警戒心が薄くなっていったのだろうか。…仲間意識?




 * * *


隆太が、この天空橋の特殊性を知ったのは、高校2年の頃だった。

友達とくだらない話をしている時に、なにかの流れで話題に上ったのだ。

「天空橋じゃねーんだから」

そう言って笑った友人に、隆太は何の気なしに訊ねたのだった。

「はぁ?何だよ、いまさら」

そう言って、彼らはまた笑った。

隆太が本当に知らないのだとわかると、「お前、まじか」と言って、互いに顔を見合わせた。


友人達が、かわるがわる説明してくれたところによると、

「天空橋」という駅があって、その界隈の住人達には翼があり空を飛べるらしい。
だが、あまりにも実用性に欠ける為、その能力を使うものは今ではほとんどいない。
飛べるのはある区域に限られていて、そこを出ると翼は消えてしまう。区域内に戻ると、翼はまた現れる。
そしてそのことは、たとえば「東京ディズニーランドは、実は東京ではなく千葉に存在している」といった程度に、常識である。

…ということだった。


隆太には信じられなかった。

そんな場所が、この世にあること。
それが、どうやら常識であり、自分だけが知らなかったこと。
そして何より、そんな重大なことを、誰ひとりとして気にかけていない様子であること。

珍しく興奮して聞き出そうとする隆太に、「喰い付くね~!」などとふざけてはぐらかす友人達。しかしそのうち気の毒に思ったのか、フォローしはじめた。

「俺らも、きちんと知ってるわけじゃないんだよ。な。」
「そうそう。なんか、聞いたことある~ってぐらい。誰から聞いたかも憶えてねーし」
「俺んちのド田舎の従兄弟なんて、マジで都市伝説だと思ってたしな」


「…ド田舎の従兄弟も知ってたのか。」

関東の郊外で生まれ育った隆太が落ち込みながらそう呟くと、小学校からの付き合いの友人が話を変えた。

「そういや隆太、昔からスカイダイビングとか…えー、アレなんだっけ?
 …あ、パラグライダー!!そういうの、やりたがってたよな」

えー、マジかあ。お前、どんだけ空飛びたいんだよ~、などと一通りからかった後、
友人達は偶然にも声を揃えて言ったのだった。

「俺、マジ無理」


 * * *


隆太はこのやりとりで、自分以外の人は ”空を飛ぶこと”にさほど興味がないことを知り、驚愕したのだった。

そして、この短い会話が隆太の人生に大きな影響を与えた。

隆太はその日から、天空橋について調べはじめた…

自宅にはパソコンがなかったので、図書館やインターネットカフェに通い情報を集めたが、友人達から聞いた内容とほぼ変わらなかった。

「天空人」と呼ばれる彼らの存在は、ネット上ではほぼ都市伝説化しており、みんな好き勝手に誇張しているようだ。
天空橋を舞台にした、ファンタジー小説まであった。

不思議なことに、当の天空橋の住人たちは、自分たちのことをあまり発信していないようだった。

週末には、電車に乗って現地へ行ってみた。
羽田空港にほど近い天空橋駅。家から2時間前後で着いてしまったし、駅周辺も海に近いその街並も普通で、隆太はなんだか拍子抜けしたものだ。

空を飛んでいる人など、ひとりもいない。

それでも諦められずに、隆太は何度も天空橋に通い、商店街の人達と顔見知りになり、少しずつ少しずつ、情報を集めた。

実は、天空橋というのは駅とその近くにある橋の名前であり、天空橋という住所は存在しない。
だが、翼を持つ者達は昔から敬意を持って天空人と呼ばれてきた。

代々そこに住む者たちは、生まれつき翼を持っている。
だが外部から移り住んだ者でも、身も心もそこの住人となれば翼が現われるというのだ。

しかし代々の天空人以外で実際に翼を得た者は、ごく少数らしい。

そして3年ほど前、ついに隆太は天空橋へ越してきたのだった。
翼が生えてきたのは、つい数ヶ月前の事……



そんなことを思い返しながら、隆太は長老に聞いた。

「あの力を、どう思います?」

「どう思うか?…そうじゃなぁ」

長老は、ゆっくりとほうじ茶をすする。
台所のほうから、いい匂いが漂ってくる。夕食の準備だろう。

「まあ、いいんじゃないか?」


え…それだけ?

「悪用しようとしてるわけじゃないようだし…わしらの力より使いではありそうじゃの」

シワシワの顔でそう言うと、ほっほっほ、と笑った。



「最近じゃ、誰も飛ばんよ。おかげで飛行できる範囲も段々と狭くなってきとる。寂しいもんじゃ…」


帰り際、長老が最後に呟いた言葉に、迷いが少し晴れた気がした。

行動しなければ、消えてしまうものもある。
尻込みしてるのも なんだか馬鹿みたいだ。

(とりあえず…明日晴れたら、彼らの修行とやらを覗いてみるか…)



隆太はおもむろにTシャツを脱ぐと、小さな翼を広げた。
まだ、やっと肩甲骨を覆うほどのサイズの翼。

駆け足で勢いをつけ、前へジャンプする。タイミングを合わせて羽ばたく。

飛べたのは距離にしてほんの4メートルほど、高さは最高で1メートルほどだったが、やはり素晴らしい気分だ。

あちこちから夕食の匂いが漂ってくる ひと気の無い裏通りを、隆太は助走と飛翔を繰り返しながら帰った。




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