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ー 1 ー 不思議な夢


その朝は、いつもと同じように始まった。

コールセンターでの深夜勤務を終え、自転車で夜明けの街をゆっくりと走る。

自転車の前カゴには、会社近くのコンビニで買ったサンドイッチとジュース。


(今日もいい天気だ。暑くなりそうだな…)

隆太は、夏が嫌いだ。暑いのが苦手なのだ。
今はもう残暑とはいえ、熱気にまとわりつかれる様で 身体を動かすのが億劫になる。

だが、この時間帯だけは好きだった。
空は明るく晴れているのにまだ涼しいし、何より空気が新鮮だ。
太陽の光も真新しい気がする。

だから、夜の涼しい間に働いて(オフィス内は日中もエアコンが効いているので、あまり関係無いのだが)、
早朝のこの時間を堪能しながら帰路に着き、日が高くなり暑くなる前に眠ってしまう。

冬は冬で、もっとも寒い時間帯をオフィスで過ごせるのだから、光熱費が少なくて済むというものだ。
通勤は寒いが、隆太は寒さには強かった。
冷たい空気に触れると、身体の輪郭が際立ち覚醒するような気がする。

こうした昼夜逆転の生活スタイルは、自分の体質に合っているようだ。

そんなことを漠然と思いながら、隆太はペダルを漕いだ。


一人暮らしのアパートに帰り着くと、すぐに洗濯機へ直行した。

汗で湿った服を脱ぎ、溜まった洗濯物と一緒に洗濯機へ放り込む。
洗濯機が働いてくれている間に、手早くシャワーを浴びる。

サッパリとしたところで、部屋着に着替え、途中で買ってきたサンドイッチの包みを開いた。

ジュースの蓋を開けようとして、思い直す。今日は久々にビールを飲もう。

ペットボトルを冷蔵庫にしまい、かわりにビールを取り出した。


サンドウィッチは、一瞬で胃袋へと納まった。

ビールを飲みながら、横目で郵便物をチェックする。
いつものとおり、チラシやDMばかりだ…



洗濯終了のアラーム音で目が覚めた。

どうやら、パソコンでメールチェックをしながら、少しうとうとしてしまったようだ。



(変な夢を見たな…)

たしか、テーブルの向かいに見知らぬ少女が座っていて、グラスに入った水を見つめている…
窓の外をネコの顔をした龍のような生き物が飛んでいて…そして……


そこまで想い返して、隆太はニヤッとしながら緩く首を振った。

(ホント、変な夢だ…)

ぬるくなりかけたビールの残りを飲み干し、隆太は洗濯物を干すべく洗面所に向かった。

(早く干してしまって、さっさと寝るか…)



隆太には知る由もなかった。
この数時間後、自分の人生が激変することになろうとは。




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ー 2 ー 運命の訪れは、フツーに 玄関から

目覚めたのは、玄関のチャイムが鳴ったからだった。

(ちっ。なんだよ、こんな時間に…)

そう思って、思わず苦笑した。
朝の10時だ。世間一般では、人を訪ねるのに非常識な時間帯、というわけではない。

普段なら、居留守を使ってそのまま寝てしまっただろう。
訪ねてくるのは、どうせ新聞の勧誘ぐらいだから。
そもそも一度眠りについたら、途中で目が覚めることなど滅多に無いのだ。

しかし、今日は思わず起きてしまった。

まず、チャイムが1回。
数秒の後に、もう一度。

そして、ノックと共に若い女性の声がしたからだ。

「ごめんください。大原さん、いらっしゃいませんか?」


…表札は出していなかった。なのに、こちらの名前を知っている。


当然、警戒心が働いた。

が、チャイムの鳴らし方やノックの仕方が心なしか上品なカンジだったし、
声に無駄な力みが無く澄んでおり、知的な響きがあった。

コールセンターのチーフオペレーターという仕事柄、声の聞き分けには若干の自信があるのだ。


隆太は少し迷ったものの、ベッドから起き上がりとりあえず返事をする。

「ふぁい…」
思ったより寝ぼけ声になってしまった。

目を擦り、くせ毛の髪を整えながら鍵を開ける。
当然、チェーンはかけたままだ。

ドアを開けた瞬間、しまった、と思った。

目の前に立っていたのは、派手さは無いものの聡明そうな、なかなかの美人だったからだ。

(くそぅ、こんなヨレヨレのTシャツ…着替えてから出るんだった…)

慌てて髪を直そうとしたが、ナルシストだと思われるかもしれないと思い直し、
再び目を擦った。
目ヤニなど付いていたら、即アウトだ。


「あ…スミマセン。おやすみ中でした?」
申し訳なさそうに、美人が言う。


「ええ…夜勤明けで…」

ここは、仕事をしていることをきちんとアピールしておかねば。
朝からゴロゴロしている輩、などと思われたら、これまた即アウトだ。
(心の片隅には「アウト、ってなんだよ…」という声もあったが。)

自他ともに認める、いわゆる草食系男子でも、やはり美人には好印象を与えたいものなのだ。


「でも、構いませんよ。どうせ、もう起きる時間だったし。」

精一杯爽やか感を醸し出しながら言った(つもりだ)が、もちろんそれは嘘だ。
目覚ましのタイマーは、3時間後にセットしてあった。

「で、なんでしょう?」


なんでしたら、もう一度出直しますが…イヤイヤ、本当に大丈夫ですから…

などと、礼儀正しいやりとりがおこなわれた後で、彼女は切り出した。

「突然お邪魔して申し訳ありません。わたくし、水沢と申します。
 こちらのご家族に頼まれまして、通訳のようなことをしております」

そう言って一歩脇によけ、「グエンさんです」と右腕を開いた。


彼女の後ろには、3人の家族連れが立っていた…




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ー 3 ー 困惑のモリビト

隆太は面食らったまま一旦断ってから(「失礼、」)玄関のドアを一旦閉じ、
チェーンを外すと
怪訝な表情のまま、またドアを開けた。

(通訳?グエン?なんでまた、外国人が、俺に?)

外国に知り合いなど居ない。
自慢じゃないが、パスポートすら持っていないのだ。


「彼らは、ベトナムから来ました。あなたに会う為に。」



* * *



15分後、一同は近所のファミレスに居た。
玄関先に彼らを待たせたまま、大急ぎで着替えて出てきたのだ。

わざわざベトナムから何の話か知らないが、初対面の人間を部屋に上げるわけにはいかない。
(目覚まし時計のタイマーも、ちゃんと解除してきた)


ボックス席のテーブルの向かい、壁側に母親(華奢で、柔和な印象だ)、
小学校まえぐらいの娘(クリクリした目でこちらを見つめている)、
通路側に父親(小柄で、温厚そうな男だ)。

そして、隆太の隣には、例の水沢とかいう美人。

なんだかよくわからない展開に戸惑い、気付けば隆太は壁側に座っていた。


(…しまった。容易には出て行けないじゃないか…)


席にひとまず落ち着くや否や、ウエイトレスが水とメニューを運んできた。

珍しいのだろう。店内をキョロキョロと見回していた子供は、今度は子供らしい遠慮のなさで、ウエイトレスを凝視している。

メニューを渡されると、今度はメニューに釘付けだ。

母と娘のちょっとした攻防の末、娘は大きなチョコレートパフェは逃したものの、100%果汁のオレンジジュースの他に、小さなアイスクリームとプリンのデザートを勝ち獲ったようだ。

ウエイトレスが立ち去ると、父親が口を開いた。

「ハジメマシテ、大原さん。私はグエン・バン・カイです。
 こちらは妻のホア。娘のフオンです」

カタコトの日本語で、それぞれを紹介する。

娘は真っすぐにこちらを見つめ、ぺこりとお辞儀をした。
母親は少し緊張気味の笑顔を浮かべ、会釈する。


「どうも。大原です」
言わずもがなだとわかってはいたが、相手が自己紹介しているのに何も言わないというわけにはいくまい。
それぐらいの礼儀はわきまえているのだ。


「ワタシタチは、この娘の身を守る為に、ここへ来ました。モリビトの側に。」




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ー 4 ー 睡眠の重要性


「‥‥モリビト?」


(なんなんだ、一体。身を守る?物騒な話なのか?それが俺と何の関係が…?)

警戒心とクエスチョンマークが頭の中でぐるぐる回っている。
簡単に興味を示したりしないよう、隆太は表情を引き締めた。


そこからは、水沢が話を引き取った。

「実は、彼女は(と、手で娘を指した)ある特殊な力を受け継いでいるんです。」


…ホラ、おいでなすった。やっぱりか。霊感商法みたいなものだろうか。

隆太はぐっと身を引いて、背もたれに背中を付け、腕組みをした。騙されるもんか。

「はぁ…」

わざと、関心が無いことがあからさまな声で相づちを打つ。
こちらから話を振ったりしない。


水沢はその態度に気付いたようだが、そのまま話し続けた。

「その力は、家系や血筋にまったく関係無く現われます。
 ひとりの力が潰えると、別の能力者が産まれます。
 そうやって、世界にいつも1人だけ、しかし延々と続いてきた力なのだそうです。」


「はぁ…」

向かいの席の夫婦はこちらの様子を見ながらも、たまに娘と小声で話したりしている。

「フオンちゃんが産まれて数日後、先代の能力者が訪ねてきたのだそうです。
 そして、フオンちゃんが次の能力者であることを告げられた。
 能力者は、次世代の能力者が産まれると、それがわかるそうなのです。
 そしてその時を境に、本人の能力は徐々に衰退してゆく。」

彼女は言葉を切ると、静かに俯き 水をひとくち飲んだ。
そして、隆太に向き直って続けた。

「この力は、そうやって代々続いてきました。
 そして‥‥あなたが彼女のモリビトなんです。」


「…へ?」

急な展開にあっけにとられた。話が見えない。
脳みそがグラリと嫌な揺れ方をして、自分の周りの世界が僅かに歪んだ気がした。

思わず、意味も無くキョロキョロしてしまう。

いきなりなんなんだよ。俺を巻き込むなよ!イヤ、ここまでノコノコついて来ておいて、巻き込むな、というのもおかしな言い草だけど!
(隆太には、パニック状態になっているときでも心のどこかに冷静な部分があって、自分にツッコミを入れてしまうという癖があった)


そこに、ウエイトレスが飲み物を運んできた。

うん、ここは現実だ。…そうだ。気をつけろ!おかしな話に引きずり込まれるな!


飲み物が配られている間、隆太はなんとか落ち着こうと努力した。
さり気なく、相手を観察する。

自分の前に飲み物が置かれると、母親はウエイトレスに笑顔で会釈した。

娘は目をキラキラさせて、プリンの皿に見入っている。

父親がウエイトレスに「アリガトウ」と言うと、娘も急いで「アリガトー」と言った。小さな声で。

ウエイトレスが行ってしまうと、娘が母親を見上げ、何か言う。

母親が優しくうなずくと、娘は小さなスプーンにアイスを山盛りにすくい取り、頬張った。
うんうんと頷きながら、口の端にアイスを付けたまま満面の笑みを浮かべる。
テーブルの下では、足をブンブン振っているのだろう。小さな身体が揺れている。

微笑ましい光景だ…


そんな家族の様子を見て、隣の水沢が何か声をかけた。
娘は水沢に向かって、満足げに何度も頷く。
水沢はクスクス笑っている。両親も微笑んで我が子を見守っている。

微笑ましい光景だ…



「さ、続けましょうか。」
突然、水沢が話を戻す。
思わず微睡んでしまいそうな和やかな空気が、一気に取り払われた。

「これまでの所は、理解していただけました?」
疑問系で話す時は、こころもち小首を傾げるのが彼女の癖のようだ。


「ハ、ハァ…なんとなく…でも…」

「理解はしたけど、信じてはいない?」

「…そういうことです」

「でしょうね。私も初めは同じでしたもの」
彼女は、ふふ…と笑いながらそう言った。


そんなこと言ったって、騙されないぞ。
一旦相手に共感してみせるのは、奴らの常套手段に違いない‥‥

「とりあえず、最後まで話させて下さい。信じるかどうか、受け入れて下さるかは、完全に大原さんにお任せします。
 彼らは、何も無理強いはしません。それは、彼らが私に通訳を依頼する際、特に念を押されています。」


「…わかりました。聞きましょう」

隆太は半ば開き直って、そう言った。
どうせ、壁際に座っていて抜け出せないんだ。


彼女は再び話し出した。

隆太は話を聞きながら、思った。


こんなことなら、もっとちゃんと眠っておくべきだった…



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ー 5 ー サレンダー

フオンが産まれてから数日後の日曜日、カナダから来たという初老の男性が、グエン夫妻の元を訪ねてきた。
彼は自分が能力者であること、そして、産まれたばかりの彼女がその力を受け継いでいることを告げたのだった。

そして、彼女が真に覚醒したそのときに、「守護者」の居場所がわかるということ。
それは力を受け継ぐものの守護者であり、精神的なパートナーであること。

彼らが自分達の能力をどのように使うか、また、能力を受け入れ伸ばして行くかどうかは、まったくの自由であるということ。


さらに、男性は言った。

この力は、歴史上 表立って使われてはいない。
それは、その力を吹聴した能力者が少なかったせいだろう。

書物などが残っているわけでもなく、力の継承が行われる度に口伝えで聞かされてきたことしか、わからない。
これはおそらく、次の継承者がどの国に現われるのかが分らないことが関係しているためだと思われる。

そして何より、この力の使い道さえよくわからない。

だが、連綿と続いてきたこの力を途絶えさせるのは忍びない。
私には大したことは出来ないが、修行によって、また、
この娘の資質によっては、その能力を大きく伸ばすことが出来るかもしれない。


両親は、当然信じなかった。

だが、その初老の男性は、彼らの目の前で能力を使って見せたのだった。

宙で組み合わせた空の両手に、なみなみと水が溜まってゆく様を。


両親は目を疑った。
だが、トリックなどは何処にも無いようだった。

男性は、手のひらに溜めた水を静かに地面に流してから、言った。

「ごらんのとおり。この能力とは、水を操る力です。」




「ちょっと待ってください」

隆太は思わず遮った。
大きなハンマーで頭を殴られ、冷たい手で心臓を掴まれたような気がした。頭がグラグラする。
隆太は思わずテーブルに肘をつき、目を閉じて俯いた。


「大丈夫ですか?」

水沢が心配そうに言った。こちらを覗き込んでいるようだ。
向かいの家族もこちらを心配そうに見ている気配がする。

だが、隆太は顔を上げることが出来なかった。
恐ろしい予感がしていた。イヤ、それは予感ではなかった。

俺は、このあとどうなるのか、知っている…



大きく息をついて頷くのが精一杯だった。

こちらを気遣い、彼女は声を落として言った。

「フオンちゃんの力を見ていただきたいんです」


駄目だ。やめてくれ‥
こんなわけのわからないこと、俺は関わりたくないんだ。帰してくれ…

そう言いたかったが、声が出て来なかった。話し方を忘れてしまったかのようだ…

かわりに、ノロノロと視線をあげた。


水沢に促され、娘は隣の父親を見上げた。
父親が励ますように頷くと、娘は目の前のグラスをじっと見つめた…



じわじわと、徐々にグラスの中の水が増えていった。


しばらくして、水が溢れそうになった時、父親が止めさせた。



隆太は虚ろな目でグラスを眺め続けていた。


4人が自分の反応を待っているのは承知していたが、何も返せなかった。

誰とも目を合わせないまま、テーブルに両肘を置き、手で顔を覆った。


痺れを切らしたのか、水沢が口を開いた。

「…名前はそれほど重要ではありませんが、この力は」


「サレンダー」

ため息と共にボソリと呟いた言葉に、4人が息を飲んだのがわかった。


「…どうして、その名前を?!」
水沢が、動揺した声を上げる。


「…夢でみたんです。つい、さっき」

隆太は諦めたように顔を上げ、背もたれにドサッと寄りかかった。
だが、目線は伏せたまま、溢れかえりそうなグラスの周辺を漂っている。

「夢の中で、小さな女の子がグラスを見つめていて…その……フオンちゃんだったかどうかは憶えてないけど」

水沢が通訳する。

「それで、頭の中に言葉が響いたんだ。『サレンダー』って。」


両親は興奮した様子で何か囁きあっている。

ベトナムの言葉など全く知らない隆太だったが、娘が満足気に言った言葉はなんとなくわかった。


「ほらね♪」




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