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発見

3月某日

 

美しさとは滅びの中にある! と、なぜか突然に思いついてしまった。 

 

生命力がみなぎっている美しさよりも、かつての美しさを失いつつある状態・儚い美しさのほうが、何となく感じるものが多いような気がする。 比べるようなことではないのだが、朝日よりも夕日、源氏より平家、ヒマワリより桜なのだ。 桜などは「花は桜木、人は武士」という言葉があるくらいで、散り際を称賛されている。

 

こんな風に書くと「滅びの中の美」は日本人的な感覚だから、と言われてしまいそうだが世界にも「滅びの中の美」は存在するのだ。

 

世界でもっとも有名な彫刻である「ミロのビーナス」はまさにそれであろう。 ミロのビーナスとはあの腕のない女神の彫刻である。 自信たっぷりに世界でもっとも有名とか言ったのだが、単に私が知っている彫刻の数が少ないだけかもしれない。 それでも、ミロのビーナスは私の中での暫定一位の美しさと言える。

 

あと、私が知っている彫刻の中に「ニケ像」と呼ばれるものがあるが「ニケ像」はミロのビーナス以上に損傷が激しいく、腕もなければ首もないという彫刻である。

 

芸術学部に通う学生でもなければ、クリエーターでもない私が知っている彫刻がことごとく破損されている事実を考えれば、やはり「滅びの中の美」は世界に通用する価値観なのだろう。 仁王像もかなり有名どころだが、力強さは感じることができても美しさという点では少し弱い。

 

大昔と現代では「美」の価値基準が違うだろうと思われるが、今なお芸術として評価されているのは「滅びの中の美」が人間の本質的な価値基準に合致しているのだろう。

 

と、ここまで考えてもしかしたらこれはすごい発見なのではないかと自惚れた。 滅びというのは何もネガティブな意味合いではなくて、再生や創造の出発点なのだ。 滅びや破壊から感じるものがあるというのは、その先に無限に広がる創造を見据えているからに違いない。「滅びの中の美」は私たちの無限の想像力をもって自在に変化し時代や人に対応しているのだ。

 

うん。 我ながら含蓄が深いのではないか。 これは他人に言ったら見直されるのではないか。

 

そう思って、同僚の女性に電話することにした。 この同僚の女性は「手料理について」に登場してきた女性である。 私はこの女性のマフィンをうまいと言って嘘をついたばかりに、信頼を失ってしまったという痛恨の経緯があった。

今回は名誉挽回である。

 

電話をかけると彼女は驚いたような声を出した。 「どうしたんですか?」 「滅びの中にこそ美しさはある!」 私はやおらそう叫ぶと、できるだけわかりやすいようにそのロジックを伝えた。

 

彼女はひとしきり聞き終えると「暇だからそんなこと考え付くんですよ。早く彼女でも作ってください」と不機嫌である。 いや、暇だから考えたわけではなくて、思いついたんだからしょうがないのだが、彼女にしてみたら別に聞きたくない情報だったのだろう。

 

自分のひらめきは疑いようもない確信があって、素晴らしい思いつきのように思えるのだが実はたいしたことがない。

 

 そうわかったのだが、一応ブログにアップしてみる。

 


この本の内容は以上です。


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