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9-2

 
「マクラとかどうとか、翔悟さん何を言いたかったんだ?」
一人つぶやく翼に、羽月は何も言わなかった。
いや、言えなかった。
半ば好意を抱いていた愛菜と翼がそうなっていたなど、若い彼自身想像もしたくないことだった。
しかし、そんな雰囲気を無理矢理にでも消し去ろうと彼は思うことにした。

「きっと翔悟さん、翼くんがラッソンやってちょっと驚いただけやって!さっ、翼くんメシ行こう!」
「あ、あぁ」
羽月は、そう言って翼を強引に連れていくように声を張り上げた。
翼と羽月の二人は、ネオンが輝く歌舞伎町の中を共に歩いていった。


「こうやって翼くんと仕事後とか二人で歩くの初めてやな!」
「そうだな」
「翼くん、何か好きとか食べたいのあるん?」
「いや、特に好き嫌いないから」
「そっかぁ!好き嫌い無いのは俺と一緒やな。じゃあどこがえぇかなぁ?」
そう言いながら二人で歩いていると、翼はふと立ち止まった。

「ん、どうした翼くん?」
翼は羽月に答えるわけでもなく、すぐ目の前の街の一角で座りながら子犬の柴犬の世話をしている一人の黒髪の少女を見ていた。
「あれは……」
「ん?翼くんどうしたんや?犬好きなん?」
その時、翼と羽月のことに気付いたのか、その子犬が「キャン」と鳴いた。
それと同時に、そのすぐ隣にいた少女は二人のことに気が付いた。

「あっ、やっぱり……」
翼はその少女の顔を見ると、何かに気付いたようにつぶやいた。
彼女も、翼のことを見るとハッと気付いたようだった。
「何や翼くん、あの女の子知り合いなんか?」
「あぁ、ちょっと」
そう言うと、翼はその少女のところに近づいた。
彼女もそれに合わせて立ち上がる。

「キミ、確かあの時の?俺の手にハンカチを巻いてくれた……」
翼はその少女にそう話しかけた。
彼女は「ウン」と言うように首を縦に振った。

「翼くん、いつこんな可愛い女の子ナンパしたんや?」
いつの間にか隣にいた羽月が、翼に問い掛ける。
「あのな……。違うんだ。彼女は-」
翼は、ことのいきさつを簡単に羽月に説明した。
以前、仕事後のストレスと酔った勢いで電柱に拳を打ち付けて血まみれになっていた右手の怪我を、ある黒髪の女の子が応急処置をしてくれたこと。
その人物が、今目の前にいる彼女だと言うこと-。
羽月は薄目で翼を見ながらも、「ほ~」と言いつつ納得したようだった。


「あの時はありがとう。あの時キミが治してくれたおかげで、もう怪我は大丈夫だよ」
翼はそう言いながら、少女に軽く頭を下げた。
すると彼女は笑顔で首を横に振った。

「それにしても、めっちゃ可愛いなぁ。キミ何てお名前なん?」
「……」
羽月が問い掛けると、彼女は無言で黙ったまま俯いた。
「おい、仕事じゃないとはいえ、いきなり女の子にそんな感じで名前聞くなんて失礼だろ」
翼が羽月をたしなめた。
「あっ、そうやな……ごめんなさい。気を悪くせんといてぇ」
羽月が謝ると、少女は再び笑顔で頷いた。

「キミ、ずっとここでこの子犬の世話をしてるの?」
翼が問い掛けると、彼女は何も言わずただ頷くだけだった。
そして、再び腰をおろし尻尾を振る子犬の頭を撫で始める。

「なぁ翼くん」
羽月が突然翼に耳打ちした。
「さっきから思ってんけど、何でこの子ずっと一言もしゃべらへんのかな?」
「さぁ」
その時の羽月の言葉はもっともだった。
以前怪我を翼の治した時といい、彼女は翼達の前で一切言葉を発している様子がなかった。
何かを言っても、ただ仕草や表情で表しているだけの彼女に対して、翼と羽月はただ不思議に思うしかなかった。


その時、そのすぐ後ろにある小料理屋らしき店の戸がガラガラと開き、そこから30代後半くらいの一人の着物姿の容姿端麗な女性が姿を現した。

「美空(ミソラ)、そこにいたのね」
女性がそう言うと、美空と呼ばれた少女が女性のもとに近づいた。
すると、美空は何か不思議な手ぶりを彼女にやってみせる。
女性はそれを見て、何かを理解したようだった。
それを見て、翼はあることに気付いていた。

「……そう、そう。わかった、後で買っておくわね」
女性はそう言うと、美空の数メートル後ろにいる翼達に気が付いた。

「あなたたちは……ホストさん?」
女性がそう尋ねると、羽月はあたふたしながら答えた。
「え、あ、まぁ~何なんやろ~……。えっと今彼女とたまたま会ってそこで-」
「すいません、以前僕が彼女に道ばたで怪我をみてもらったことがありまして。それで今さっきたまたまここで会いまして、お礼を言わせていただいてたところだったんです」
言葉に詰まる羽月の代わりに、翼が代弁するように言った。

「そうですか、何かうちの子がしたことにわざわざそう言っていただいて、ありがとうございます」
女性は、とても腰が低い口調で翼に言った。

「あのぅ、すんまへん」
羽月が女性に対して突然話を切り出した。
「はい?」
「こちらは、お店をされてるんですか?」
「えぇ、一応小料理のお店を」
女性が後ろにちらっと目をやると、そこには
【小料理 "楓"】という看板を掲げた、小さな店がたたずんていた。
それを見てか、羽月はニッコリと微笑んだ。

「そりゃえぇわ!なぁ翼くん、せっかくやしここでメシ食ってかへん?」
羽月はもう我慢が出来ないとばかりに声を上げる。
そう言うと、女性も笑顔で二人を見て口を開いた。
「えぇ、お二人がよかったらぜひそうなさってください。今日はお客様もあまり来なくて早めに閉めようかと思ってたんです」
それを聞いてか、翼はその流れに納得したようだった。

「じゃあ、一杯寄らせて下さい」
翼がそう言うと、羽月ははしゃがんとばかりに喜んだ。
「俺もう腹減って死にそうやったんや~」
羽月の様子を見て、女性と美空はクスクス微笑んだ。



翼と羽月の二人は、その夜【小料理 "楓"】にて世話になることにした。





                                              第10章へ

10-1

 
「ささっ、どうぞそちらへ」

翼と羽月は、今いる小料理店を営む広崎楓(ヒロサキ カエデ)の言われた通りに端のカウンター席へと腰をおろした。
【小料理"楓"】は、カウンター10席とテーブル2ヶ所の小さな店だが、まだできて日が浅いのか桧をベースにした和風の落ち着く内装だった。
所々からほのかに漂う桧の香りが、翼と羽月の鼻をくすぐる。

「今お通しをお出ししますね。美空、手伝って」
楓がそう言うと、美空は無言のまま頷く。
羽月は、それを何も言うことなく、ただどこか不思議そうに見つめていた。
しかし翼は、美空が一切しゃべらない理由を何となく理解していた。


「はい、お待ちどうさまです」
楓がカウンターごしに小鉢に入ったお通しを差し出した。
中にはほんわかと匂いのする肉じゃがが入っている。

「お二人ともお飲みものはいかがいたしますか?」
「あ~、じゃあビールで」
「あ、俺もや」
楓の注文に対する質問に、翼達は淡々と答える。
「ハイ!美空、ビールお出しして」
美空はすぐにビールサーバーのところにトコトコと歩いていった。

「お客さん、こんな狭いところですみませんねぇ」
「あ、いえ」
「あ、私この店やってます広崎といいます」
楓は翼と羽月にそう言いながら頭をペコリと下げた。二人もそれにならう。
「ママさん、あの子は?」
羽月が返すように問い掛けた。

「あぁ、あの子は娘の美空って言います」
「美空ちゃんかぁ、えぇお名前ですねぇ☆」
「フフッ、ありがとうございます」
そうこう話してるうちに、美空がジョッキに注がれたビールを持って二人のもとにやってきた。
「あ、おおきにぃ!」
「どうもありがとう」
羽月と翼がそう言うと、美空はペコリと頭を下げ無言で店の奥に歩いていった。

「……」
翼と羽月はやはり気になってはいるものの、気を取り直して食事に専念することにした。
「じゃあ翼くん、お疲れ様ァ!」
「お疲れ様」
二人はジョッキを交わし、クイッと一口目を口の中に注いだ。

「あー!仕事後に飲む一杯はまた格別やな!」
羽月はため息に近い声を漏らした。

「フフッ、いい飲みっぷり。さすがホストさんね」
楓が笑いながらたしなめると、羽月は照れながら笑顔を見せる。
「お料理、何がよろしいですか?」
「あ、ママさんのオススメで!翼くんは?」
「えっ?……じゃあ僕もオススメでお願いします」
翼と羽月の注文に、楓は「わかりました」とばかりに笑顔を見せた。


「翼くん、ホンマに今日はおめでとう!めっちゃ驚いたわ」
「いいよ、そんな」
羽月の改めての祝いの言葉に、翼は僅かな照れを見せる。
しかし、羽月の心中は実のところ複雑だった。
本心は、翼に愛菜とのことを尋ねたかったが、食事に誘ったのもあり、何より男として惨めになりそうな気持ちがあってか、そのことについては触れないことにしていた。

「それと……一緒にメシつき合うてくれておおきに」
「え?何だよ改まって」
「いやぁ」
羽月は少し照れながらビールを一口飲むと、再び翼に対して口を開いた。

「実は……俺今日でハタチやねん」
「えっ??」
羽月の口調が妙に大人しいせいか、二人の間に3秒ほどの沈黙が流れた。
その間、カウンターごしにグツグツと言う煮物を温める音が際立つ。

「ハタチ?今日?」
「うん。こんなこと翼くんに言うのもなんやけど、俺祝ってほしかったんや」
「祝ってほしかったって……。でも、それが何で俺なんだ?俺がこんなこと言うのもなんだが、君には店に仲よさ気なキャストが他にも何人かいるだろう」
翼がそう言うと、羽月はやや俯きながら答えた。
「確かに店にはおるよ、普通に話して普通に仕事する子なら。でも、違うねん。正直言ってまうけど、俺……店の人達とはプライベートまでは合わへん」
「……」
「翼くんも何となくわかるやん?こんなこと言いたくないんやけど……うちの店、翔悟さんや光星さんにべったりな金魚のフンばっかやん」
羽月は溜めていたものを吐き出すように言った。

「俺な、東京出てきたばっかりやし職歴があるわけでもないから、何を偉そうなこと言ってんねんて感じやけど……俺、ああゆう風に群れるの嫌いなんや」
「……」
「だからやで、翼くん人と群れたりこびたりせんし、何より俺の同期やから……だから今日……」
「そうか」
「ごめん、こんなことばかり言うて。ハタチの誕生日まで一人でいたくなかったんやな、きっと」
羽月はそう言うと、クイッとビールを飲み続けた。

「ごめん翼くん、変なことばっかり言うて」
「あ、いや」
いつも元気な羽月と違ってか、翼は彼に対して複雑な思いを浮かべていた。
何より、誕生日"まで"という表現に彼の心の内が見えてならないような気がしていた。

「さ、鯖の味噌煮と揚げ出し豆腐が上がりましたよ。温かいうちに召し上がって下さい」
楓が暗めの雰囲気に割って入るように、カウンターごしに料理を差し出した。
「そやな、せっかくのごはんやし楽しく食べなアカンな!ごめん翼くん、食べよう!」
「あぁ」
「いただきまっす!」
翼と羽月は気を取り直すように、まだ食べてなかったお通しの肉じゃがに箸をつけた。

「……うんまいっ!」
羽月が一口肉じゃがを口にすると、感動の声を大きく発した。

「ママさん、めっちゃうまいでぇ!」
「フフ、ありがとうございます」
翼もそれにならうように肉じゃがを一口食べてみると、すぐに口の動きが止まった。

「おいしい……」
「なっ、そやろ翼くん!」
「あぁ」
翼と羽月は続いて出された料理に手をつけるも、驚きと感嘆を次々と漏らした。

「すごいおいしいです」
「なぁ!あ、ママさんビール二つおかわりお願いしますぅ!」
「はいっ!美空~、生二つおかわりお願い~」

羽月が残りのビールを口にしようとしたとき、翼は手にとったジョッキを彼に向けた。
「えっ、翼くん?どうしたんや?」
「誕生日なんだろ?今日は」
「翼くん……」
「こないだ、俺が酔い潰れたときには君には助けられたしな。まぁ……ハタチおめでとう」
翼がそう言うと、羽月はとても嬉しそうに満面の笑みを見せた。

「ありがとう翼くん!」
その時、美空はすぐにジョッキに注がれた生ビールを持ってやってきた。
そして彼女は、すぐに店の奥にトコトコと歩いていった。

「よしっ、二杯目やな!カンパーイ!」
翼と羽月はもう一度ジョッキを『ゴン』と交わした。


「お二人とも仲がいいんですね?」
楓が微笑みながらカウンターごしの二人に話しかけた。
「あ、いや~」
「翼くんそんな照れんでもえぇやん」
「いや、照れてるわけじゃ」
翼はわざとらしく咳き込むと、改めるように楓に話しかけた。
 

「あの」
「はい?」
「よかったんですか?その……僕たちみたいな感じのがお店入れてもらっちゃって」
翼がかしこまりながらそう言うと、楓は何も気にしてないかのように答えた。

「別にいいじゃないですか。仕事はホストさんでも今は一人の男の方でしょう?」
「水商売……ホストに対して抵抗は無いんですか?女の人だからやっぱりちょっと気になっちゃって」
楓はグラスの中の水を一口飲むと、すぐに答えた。

「ないです、ホストだからって皆がみんな不真面目で悪い人って言うのは違うと思いますよ。翼さんと羽月さん……でしたよね?少なからずお二人は、いい人だと思います」
「ママさん……」
笑顔を揺るがせない楓の言葉に、翼はただただ相槌を打った。

「それに……」
「?」
「私の主人も昔歌舞伎町でホストをしてたんですよ」
「えぇっ!?」
楓の発言に、羽月は驚きの声を上げる。
「声がデカイって」
「あ……ゴメン」
翼が人差し指で耳栓しながら羽月をたしなめる。

「フフ、まぁ私も昔はホステスをやっていてね」
「そうか~ママさん、めっちゃキレイやもん」
「羽月さんはお上手ね。それで、その人と私との間に生まれたのが、この子……美空なんです」
楓は、自分の横で野菜を包丁で切っている美空を見つめながら言った。

「美空ちゃんもかわいいもんなぁ。親御さんが両方ともお水やってたんやし、美男美女の血筋を見事に受け継いだんやな!一度その旦那さんにも会うてみたいわぁ」
羽月がそう言うと、楓はふと表情の明るさを俄かに沈める。

「あれっ?どないしたんやろ?」
「バカ」
脳天気に首を傾げる羽月に、翼が頭を押さえながら言った。
「えっ?俺何かアカンこと言うたかな……?」
すると、楓は今までと変わらないそのままの口調で話し始めた。

「主人は……美空の父親は、あの子がまだ小学校4年生だった頃に亡くなったんですよ。もう10年前くらいのことでしょうか」
楓のその言葉に、羽月は顔を少しずつ真っ青にしていった。

「あ……す、すんまへん!俺そうとは知らへんかったとはいえ」
羽月は頭をペコペコと下げながら謝った。すると楓はクスッと笑ってみせる。
「いいんですよ羽月さん。もう昔のことですし」
「せやけど……」
「いえ。私には今、この子がいますから」
そう言うと、楓は横にいる美空を見つめた。
するとその美空が、楓に向かってある手ぶりをしてみせる。

「……」
楓は美空のその手ぶりを見て、何かを理解したようだった。
「……うん、わかったわ。じゃあそれもお願い」
楓にそう言われると、美空は作っている料理に次々と手を加えていた。
そして、彼女は食材を取りに店の奥へと消えていった。
その光景を、翼と羽月も興味深く見ていた。
その視線を感じたのか、楓は二人に対して口を開いた。


「お二人とも、もう気付いてらっしゃっいますよね?あの子……美空は見ての通り声を出して言葉が話せないんです」
「声が?」
翼がそう言うと、楓はコクッと頷いた。
「美空ちゃん、声が出えへんのって、生れつきなんですか?」
羽月が尋ねると、楓は先を続けるように話し始めた。

「いいえ。元々は話せないどころか、人一倍ハキハキ声を出すくらい元気だったんですよ。でも、先程も話したことですが、主人が亡くなった10年前を境に、声を失ってしまったんです」
「10年前……もしかして?」
翼がそう言うと、楓はただ頷き先を続けた。


「当時肝臓を病んでいた主人が、当時10歳の美空を連れて歩道を歩いていた時のことでした」
楓の瞳に僅かに涙が浮かぶ。

10-2

 
「歩いていた二人のところに、居眠り運転をしていた乗用車が突然猛スピードで近づいて……」
「……」
「そばにいた美空は、まだ比較的軽い怪我で済んだんですが……。娘を庇った主人は……」
その後は言葉にならなかった。
楓は忌ま忌ましい記憶に苛まれるように、着物の裾をギュッと握った。
翼と羽月は、言葉もなく、ただ聞くことしかできなかった。
しかし、沈黙が流れることなく楓は再び口を開いた。

「主人が亡くなり、私はとにかく美空を育てることに専念しました。しかし、事故から間もなく……あの子は声を失いました」
「もしかして彼女……事故の後遺症で?」
翼が尋ねると、楓はただ俯いた。

「はっきりとはわからないんですが、恐らく父親を無くしたショックかと思います。怪我の後遺症にしては喉に損傷は無いし、何よりあの子は父親にとても懐いていましたから……。何にしても、あの10年前の事故があの子から声を奪ってしまったんです」
「そんなことがあったんや……」
話し終えて涙を一粒零す楓に、羽月が相槌を打った。

「大変だったんですね」
翼もまた相槌を打った。
すると楓はハッとしたように、瞳に浮かべた涙を拭った。


「す、すみません。初めて会う……しかも食事されてるお客様にこんな話をしてしまいまして」
楓は焦りながら、翼と羽月に対して頭を下げた。
「いやそんな、気にしないで下さい」
「そうやてママさん、誰かて一つや二つ悲しい経験とかあるんやしぃ」
二人がそう言うと、楓はニッコリしながら「ありがとうございます」と返した。

「まぁ、それに一応俺らホストやし!お話聞くくらい何でもないでぇ」
「あら、そうしたらお金払わなきゃいけないのかしらっ」
羽月の言葉に、楓は意地悪口調ながらも笑いながら返した。
「んもう、そんなんどーでもえぇからぁ!」
羽月もニカッと笑いながら言った。
そばにいる翼も、僅かにフッと笑みを零す。

「まぁ、さっきもやってたんですけど、それ以来私達は手話……さっきやっていた手ぶりを覚えて、普段それで会話をしてるんです」
「シュワ?シュワって何や??」
何のことかさっぱりわからないのか、羽月は楓に質問を投げかけた。

「手話は、手で話すと書いて"シュワ"って言うんです。耳が聞こえなかったり、美空のように声が出せなかったりする人には不可欠なものなんですよ」
「ほぇ~」
楓の説明を聞いた羽月が気の抜けたような声を漏らした。
しかしその時だった。

「美空さんは、それで奥の方に調味料を取りに行ったんですよね」
翼が唐突にそう言うと、楓はポカンとしながら彼のことを見た。
「翼さん、何で美空が向こうに行ったことの理由を……??」
自分しかわからないことのはず…そう思った楓は不思議そうに翼に問い掛けた。
しかし、彼が答える前に彼女はそれを察したように、ハッと目を見開いた。

「まさか翼さん、手話がわかるんですか?」
「え、えぇまぁ」
翼がそう答えると、楓と彼のとなりにいる羽月がとても意外そうに驚いた。

「翼くん、どうして手話がわかるんや!?」
羽月が鼻息を荒げながら翼に尋ねる。
「いや……昔大学にいるときに、サークルでちょっと福祉系のボランティアをやってたことがあって、そこでたまたまちょっと覚えたんだ。そんなにわかるってわけじゃないけど」
「福祉のボランティアを」
「えぇ。そんなに変でしたか……?」
「いいえ、性格の良いホストさんだとは思ってたんですけど、まさか手話を理解されてるなんてホントに意外だったもので」
楓は感心そうに翼に言った。

「ホンマや。翼くんすごいんやなぁ!」
翼の隣にいる羽月も、感心の言葉を彼にかけた。
「いや……そんな」
翼は、ほのかに顔を赤らめた。
「あれ、翼くん顔赤いで」
「仕事でもだけどちょっと飲んだからかな」
そう言いながらも、翼は照れを隠すかのようにジョッキのビールを口に移していった。

「フフッ、でもうれしいわ」
「えっ?」
「翼さんが手話をわかるって聞いてちょっと意外と言うかうれしくてね」
「ママさん」
「翼さんがもしよかったらでいいんですけど、もしまたお店にいらしたときには美空の話し相手だけでもなってあげて下さいますか?あの子、今までそのことで辛かったと思うんです……」
楓がそう頼むように言うと、翼は「えぇ」と返しながら首を縦に振った。
「ありがとうございます」
楓は改まるように翼に頭を下げる。

「何か今日は翼くんばっかしカッコえぇな」
羽月が少し膨れたように横で呟いた。

「あのなぁ……」
「あぁ、わかっとるよ。美空ちゃんのことに関しては別やけど……何や、ホストとしても差をつけられたような気持ちになってな」
「何だよそれ、それでも君の方がお客さんの数はいるだろう。俺はやっと一人掴んだだけだ」
「せやけど、愛菜さんみたいなすごいお客さんてわけじゃない」
羽月はどこか寂しそうにそう呟いた。
翼は、話しているうちに彼のそんな表情が垣間見れることに対し、珍しいとさえ思い始めた。

「わざわざ俺が言うことでもないが、今日は君の誕生日じゃなかったのか?そんな日くらい仕事のことは忘れたらどうだ」
「うん……そうやな。ゴメン翼くん、お料理温かいうちに食べよっ。うん、ママさんのサバミソめっちゃおいしいわぁ!」
羽月はその場に生まれた雰囲気を半ば無理矢理ごまかすように言った。
しかし、翼は不意に彼が見せたその寂しそうな表情が、どこか気になっていた。

 
 

約2時間後-。

「そろそろ行こうか」
翼がそう言うと、羽月もうんと頷いた。
「そうやな、ママさんお会計ぃ!」
「ハイ、ありがとうございます」
会計を済ませると、翼と羽月はコートを羽織り始める。

「今夜も寒そうやな」
「今日はどうもありがとうございました。お気をつけて帰ってくださいね!」
「すいません、遅くまで」
翼と羽月が外に出て行こうとすると、そこに美空がスタスタとやってきた。
すると、翼に向かい手話をしてみせた。

『ドウモ、アリガトウゴザイマシタ』

翼はそれを理解したのか、軽くニコリとして美空に話し掛ける。
「こちらこそごちそうさま。あのお通しの肉じゃが、美空ちゃんが作ったんだってね?とても美味しかったよ」
『マタ、食事ニ来テクレマスカ?』
美空がそう言うと、翼は無言で頷いた。
彼女はそれを見て、嬉しそうに笑顔を見せた。

「じゃあ、また来ます」
「ごちそうさまでしたぁ、ママさん美空ちゃんまた来ますぅ!」
そう言って、翼と羽月の二人は"楓"後にした。

「いい方が来てくれたわね」
楓がそう言うと、美空は笑顔でコクッと頷く。
翼達の背中が見えなくなるまで、美空は寒い中ただずっとそこから彼らを見送っていた。





「美味しかったなぁ」
「あぁ」
翼と羽月は、そう言いながら帰りの道を歩いていた。
「翼くん、ホンマに今日はおおきに」
「何だよ改まって。もういいってそれは」
「俺……こんな風に誕生日誰かと一緒に過ごしたの、久しぶりやったから…」
羽月は、ふと寂しそうにそう呟いた。

「久しぶりって……他に友達だっているだろう?」
「友達はおってもな、さっきも言うたけど今までそうゆう境遇やなかったから」
「……」
羽月にそう言われ、翼はただ黙るしかなかった。



『こいつ……』
翼は心の中でそう呟いた。









それは約1時間前-

まだ二人が"楓"にいるときのことだった。

「翼くんは何でホストになったんや?」
羽月は唐突に翼に尋ねた。
「どうしたんだよ、いきなり…」
「いや、みんなホストってそれぞれ野望持ってなるもんやろうなってな。今日愛菜さんの指名とった翼くん見て、死に物狂いって言うんかな……。翼くんには何かしらあるって思うたわ」
「……」
「あっ、別に答えたくなければえぇで」
「俺は……」
翼は少し俯きながら黙ると、口を開いた。


「俺は自分を認めてもらうため、かな」
「自分を認めてもらうため?」
「あぁ。君もあの時の俺の失態でもう何となくわかってるかもしれないが、俺はすごい不器用だからな。あの時に限らず今まで数多くの失敗をしてきた……。いや失敗ばかりだった」
「翼くんにもそんなことがあったんや?」
「まぁあんまり詳しいことは言えないけど、ホストって世界は自分の本当の力を証明してくれるし、何より自分を変えてくれるような気がしてね」
翼はどこかはにかむように言った。
そして、話を返すように羽月に尋ねる。

「君はどうしてホストになったんだ?」
「あっ、俺?」
「あぁ、君はわざわざ京都の方から来たんだろ?だから-」
その時、翼の言葉は止まった。
そう言いかけながら彼が見たその時の羽月の表情が、それまでの明るいイメージからは想像もできないほど恐ろしく強張っていたからだった。
それを見た翼は、身体の奥からゾクッとするような感覚を覚えた。

「……どうした?もし言いたくなかったら-」
「翼くん」
「えっ?」
「翼くんは家族おる?」
「何だよ急に」
「俺はおらんねん」
「……一体何がどうしたんだ?」
酔いもあるのか、突然態度が一変したような羽月に翼は戸惑った。
しかし、羽月は続けた。

「俺……元々は東京に住んでたんや。10年前、家族がバラバラになるまでは……!」
「……!?」
「いや違うな、バラバラにされたんや……」
羽月の瞳に僅かに涙が浮かんだ。

「家族が、バラバラって……」
翼がそう言うと、羽月は食いしばった歯を見せながら怒りを込めながら言った。


「すべてあいつに、あの男に狂わされたんや……。アサカワカンパニーって会社の浅川って男に……!」
「!?」
羽月の突然の言葉に、翼は驚かずにはいられなかった。





                                                    第11章へ

11-1


"楓"からの帰り道、翼と羽月はそれ以降互いにあまり口をきかなかった。
特に羽月の口からとっさに出てきた"アサカワカンパニー"の一言に、翼は驚きながらも動揺を出すまいと必死に努めた。

「……」

「……」

寒い夜空の下を無言で歩く二人の間には、体を襲う寒さなど気になってすらいなかった。
しかし、その長いようで短い沈黙を破ったのは羽月の方だった。


「あ……翼くんゴメン」
「えっ?」
「さっきあの店で飲んでるときに、俺が変なこと言ってもうて」
「あ、いや……」
すると羽月はプッと笑い出した。

「どうしたんだよ、急に笑って?」
「だって翼くん、"あ、いや……"が口癖なんやもん」
「うるさいな……」
沈黙が破れてからは、会話を切らすことなく二人は帰路を歩いた。

「じゃあ、ここで」
「うん、翼くん今日はおおきに、ありがとう!」
「お疲れ」
翼は一足先にタクシーに乗り込み、羽月に別れを告げる。

「じゃあ、また明日」
「うん!また明日っ!」
ドアがバタン閉まり、翼を乗せたタクシーは次の乗車を待つ羽月のもとから走り去っていった。
「翼くん……ホンマに今日はありがとう」
羽月は翼が乗ったタクシーを見つめながら、優しい声でポツリと呟いていた。



タクシーで帰路を辿る最中、翼は先程"楓"にて羽月が言い放ったことを、ずっと考え続けていた。
「アサカワ……カンパニー……」
翼はふとそう呟いた。



『親父の会社が……あいつの家族と一体何があったんだ?』
翼は今日の仕事でのことをすっかり忘れたかのように、それをずっと頭の中に抱えながら、夜の帰路に消えていった。


 

数十分後-

一方、自宅アパートに着いた羽月は、スーツ姿のままベッドに横倒れになっていた。
しばらくそのまま動かない羽月。
しかし、気が付くと彼は一枚の写真を手にしていた。
写真に写るのは、あどけない笑顔を見せる二人の幼い少女と少年の姿。
羽月はその二人の姿をただじっと見つめる。


「……」
写真を見つめ続ける羽月の瞳には、いつしか一粒の涙が零れていた。
「お姉ちゃん、どこやねん……どこにおんねん……」
羽月はいつも元気なその顔を次々と流れ出る涙でぐしゃぐしゃにしながら泣きじゃくっていた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
羽月はそう漏らしながら、力無くしがみついた枕を濡らしていった。
そんな彼がふと眠りについたのは、3時間も経過してのことだった。



翌日-

夕刻が近づき、【Club Pegasus】のホスト達は出勤の時間が近づいていた。
もちろんコート姿の翼も、今日一日の仕事に入るために店舗のあるビルへと向かっていた。

「あっ」
翼は、反対方向からやってくる背が一際高い羽月の存在に気がついた。
羽月も翼の存在に気が付いたのか、小走りで彼のもとに近づいていった。
「おはよう翼くん!」
「おはよう」
「昨日は、遅くまでおおきに!翼くん付き合ってくれたおかげでいいハタチの誕生日迎えられたわぁ!」
「そっか」
「今日も一日、がんばろな!」
そう言って、翼と羽月はエレベーターに乗って店のあるフロアへと上がっていった。



1時間後-

いつもながらの掃除やミーティングを経て、【Club Pegasus】の 営業は通常どおり開始された。

「いらっしゃいませ!!」
17時の開店から間もなく、一人……また一人と女性客が来店の為に足を運んでくる。
学生・会社員・サービス系など、職業や年齢も様々な女性が次々と来店した。

「今日もすごそうやな」
羽月は気を引き締めるように言った。
そんないつもと変わらない彼を、翼は不思議そうに見ていた。
昨夜、"アサカワカンパニー"の名をあれほど憎しみを込めて口にした彼は、今はもういなかった。



『酔ってたのかな……あいつ』



考えてもキリがないと思った翼は、どこか気になりながらも無理に考えないことにした。
しかし、目の前にいる羽月が父親の会社と以前関係していると考えると、気になって仕方がなかった。


「おい、翼ァ!」
考え込んでいる翼に、光星が突っ掛かるように話しかけた。

「光星さん。何です?」
「何ですじゃねぇよ、今日はママは来ねぇのか?」
「ママ?」
翼が首を傾げると、光星は口元をニヤリとさせながら再びその口を開いた。

「お前が引っ掛けたあの女のことに決まってんだろうがよ。今日は来ねぇのか、オイ?」
「さぁ、どうなんでしょうね」
「……まぁ、どんだけ太かろうがお前にとっちゃたった一人の客だもんな。いくら昨日ラッソンしようが、あの女が来ない限りお前は今日一日ヘルプや雑用だ!」
光星はまるで汚物を吐き捨てるかのように、翼に言い放った。
周りにいる何人かのホスト達は、迷惑そうながらも見てみぬ振りをするようにしている。
しかし、当の翼はそれを全く気にかけることがないかのように彼に何も返さなかった。

「フン、何も言えないからシカトかよ。いっちょ前に着飾りやがって。ペーペーはペーペーらしく、調子に乗らずに-」


その時だった。

「いらっしゃいませぇ!」
店内のホスト達からの元気な声が、エントランスからやってきた一人の女性を迎えた。
「あの……」
一人で入ってきたその彼女は、ピンクのカットソーにファーのコート、白いブーツにデニムのミニスカートと言った、派手な恰好をしながらも、どこかおとなしげな20歳過ぎくらいの女性だった。
顔を見られたくないのか、レンズの大きいサングラスをしている。
すかさず、内勤の佐伯が彼女に話し掛ける。

「いらっしゃいませお客様、当店は初めてでいらっしゃいますか?」
「あ、いえ……この間一度初回で来たんですけど」
「以前にご来店いただいてるんですね、ありがとうございます。本日、ホストの御指名などはありますでしょうか?特に希望のホストがいませんでしたら、フリーで何人かのホストをつけさせていただきますが」
佐伯が質問すると、彼女は数秒ほど考え込むように黙ってから口を開いた。

「あの……翼さんて方をお願いします。今日お店にいますか?」
「!」
佐伯は面食らったように僅かな驚きを見せる。
「あ、翼でございますね?今参りますので」
すると、ざわめきに感づいてか、翼はすぐにその場にやってきた。

「翼、新規の御指名だ。卓まで案内しなさい」
佐伯にそう言われると翼はすぐに頷き、サングラスをかけたその女性客に目をやった。

「いらっしゃいませ!御指名ありがとうございます、翼です。ご案内しますので、こちらにどうぞ」
翼に言われるまま、女性客は彼の後を無言でついていった。
「暗いので、足元気をつけて下さいね」
翼はそう声をかけながら、彼女を店内の一つのテーブルへと誘導していった。

「な……」
光星を初めとする店内にいる従業員達が、再び翼に対して驚きの視線を向けていた。
「あの翼ってやつ、昨日愛菜さんの指名とって、今日はあんなギャルっぽいのを……!」
「こないだまで全然指名無しで仕事もあんまりできなかったのによ…」
「二日連続で新規指名なんて、あいつに何があったんだ!?」
ホスト達は、またもやさらなる変化を見せる翼に対して、感嘆を漏らす。
無論、そのことは先程まで翼に突っ掛かっていた光星の目にも留まっていた。
「あのヤロウ……何で……!」
光星は右手に持っていた缶コーヒーを握り潰しながら不思議なまでの不満をつぶやいた。
その後ろから、天馬がふと声をかける。

「おい、光星」
「社長?」
「今翼を指名したあの子、お前覚えていないのか?」
「え??」
「よく見てみろ、お前も前に一度会っているお客だ」
天馬は光星にそれだけ言い残すと、奥の事務所へと去っていった。
「……?あの女、どこかで会ったか?」
光星は天馬の言葉に首を傾げながらも、テーブルへとついた翼達を陰から覗くことにした。


「どうぞ」
ソファーに腰をおろした少女に、翼はおしぼりを差し出す。
「どうも」
「となり、失礼します」
翼はスッと彼女のとなりに腰をおろした。

「改めて初めまして、翼です。ご指名ありがとうございます」
「いえ……」
翼が話し掛けると、彼女は大人しげに返事をする。

「あの、翼さん」
「はい?」
「私のこと、わかりませんか?」
「えっ?」
突然の彼女の言葉に、翼は目をパチクリさせる。
彼女は続けた。
「私達、一度このお店で会ってるんです」
「一度会ってる?」
「はい。あ……すいません、サングラスしてるしわかりませんよね」
そう言って、"彼女"はその小さな顔には大きすぎるようなサングラスをスッとはずした。

「あっ……!君はたしか」
翼は思わず声を上げた。
「はい、こないだ光星さんとの席で一緒になった……」

サングラスをかけヘアスタイルが変わっていたものの、ミニスカートなどがベースの体を露出したギャルファッションに身を包んだ細い声の少女は、梨麻だった。
バッチリ決めた妖艶なメイクが、彼女の瞳を大きく際だたせている。
翼は意外そうな目で彼女を見つめる。

「梨麻さん、ですよね」
「ハイ、覚えてくれてたんですね」
梨麻は少しだが笑顔を見せる。
「えぇ。髪の毛もストレートだったこの間と違って巻いてるし……色も少し明るくなりましたよね?」
「うん」
「サングラスだったのもあるけど、最初わかりませんでしたよ」
「えへっ」
梨麻は少しずつだが、最初持っていた緊張感がほぐれてきたようだった。
 

「梨麻さん何飲みますか?」
「あ、じゃあビールを下さい。乾杯しましょっ!」
「ビールですね?わかりました」
翼はホールで通り掛かったホストにビール二本のオーダーを伝えた。

「でもびっくりしましたよ、まさかあの時一緒になった梨麻さんが今日指名で来てくれるなんて」
「驚きました?」
「うん」
翼に見られたからか、梨麻はどこか照れ隠しをするように、彼から顔をそらした。
するとすぐに、表情を曇らせながら俯く。

「梨麻さん?」
「翼さん、この間はごめんなさい」
「えっ?」
翼はキョトンとした。
「梨麻さん、ごめんって?」
「あの時、光星さんと果穂ちゃんの行動を止められなくて……。翼さん、あれから大変だったんでしょ?」
「いや、そんな」
二人がそう話しているうちに、テーブルにビール二本とビアグラス二つが届いていた。

「梨麻さん、とにかく乾杯しましょう」
翼は、二つのビアグラスにビールをトクトクと注いでいく。
満たんにビールが注がれたグラスを持った二人は、手に持ったそれを交わす。
「カンパイっ!」
グラスの華奢な音が、二人の間に独特の雰囲気を醸し出す。

「はぁ~おいっしい!」
梨麻はビールを口にすると、何かから解放されたように声を漏らした。
「梨麻さん、今日は美味しそうに飲んでますね?」
「あはっ☆」
翼と梨麻は、一旦グラスをテーブル上にあるコースターに置いた。
すると梨麻は、どこか改まったように自らの体の正面を翼の方に向けた。

11-2

 
「梨麻さん?」
「翼さん、あらためてこないだはホントにごめんなさいっ」
梨麻は、翼にそう言いながら突然頭を下げる。

「梨麻さん、そんな」
翼は一瞬戸惑ったが、すぐに彼女の口が開くのを察してか、そのまま黙って続きに耳を傾けることにした。

「こないだ、果穂ちゃんと光星さんのこと止められたはずなのに……私、あの時ホストクラブ初めてってのもあって、果穂ちゃんに頼んで、しかもおごりで連れて来てもらってたから何も言えなくて……」
「梨麻さん……」
「うぅん。……まぁ、結局私最後にキレちゃってお金置いて出てったんだけど……。自業自得だけど、あれから果穂ちゃんとも気まずくなっちゃってさ」
「そうだったんですか……。何かすいません、俺のせいで二人が気まずくなっちゃって」
翼がそう言うと、梨麻は首を横に振って続けた。

「いいの、元々お店の中だけでの上っ面の付き合いだったんだし。ホストクラブ連れて来てくれたのは感謝してるけど、ウマが合ってたわけじゃなかったし」
「お店?」
「うん、言ってなかったっけ?私と果穂ちゃん同じヘルス店で働いてるの」



『ヘルス……確か風俗か』



翼は梨麻の素性の一旦を聞いて、彼女の派手で露出の多い外見に自然と納得した。

「まぁこないだのお詫びってのもあるんだけどさ」
梨麻はグラスの中のビールを勢いよく飲み干すと、すぐに続けた。
「初めてこないだ会ったときから気にはなっていたんだよ、翼さんのこと」
そう言うと、梨麻は顔を少し赤らめながら視線を翼からそらした。
「梨麻さん」
「だから……あぁもうはずかしいなぁ!」
「ありがとうございます、来てくれて」
翼とはずかしそうな梨麻は、一旦視線を合わせると噴き出すように笑った。

「梨麻さん、飲みましょう!」
「うん飲もう!」
翼は梨麻が飲み干した空のグラスに、ビールを満たんになるまで注いだ。
それに返すように梨麻も翼のグラスにビールを注ぐ。
二人は、何かを祝い合うように笑顔で再びグラスを交わした。


「って言うか、びっくりしたぁ!翼さん、こないだ会った時とは別人みたいに変わってるからさぁ」
「あぁ、これね」
「何かあったの?太いお客さんでもついた?」
「あ、いや……。・あのナリはさすがにないだろうって思ってね、ちょっと社長からアドバイスもらって」
「ふーん、そうなんだ~。でも翼さん、似合ってるよ!」
「ありがとう」
翼と梨麻は、友達同士のような…時にはまるで恋人同士のような楽しそうな雰囲気をその場に醸し出していた。
そこには、あの時大失態をした記憶など消し飛んでしまうほど微塵も感じられない。
しかし、その光景を遠くから見ていた光星をはじめとする何名かのホストにとっては決して面白いものではなかった。

「翼のヤロウ……!」
光星は楽しげに梨麻に接客をしている翼を凄まじく恐ろしい目付きで見ていた。
「あのヤロウ、俺の客になるはずだった女を横取りしやがってよぉ!」
「光星」
一人翼を睨む彼に、翔悟が話し掛けた。

「翔悟さん」
「何をそんなに翼ごときを意識してるんだ。たかが風俗嬢一人が客としてついたくらいだろう」
「でも、あの女は……!」
「お前の客の連れだったんだろう?そのまま自分の新しい指名客にしようとしたのが、あいつに妨害された……ってとこか」
「そうっすよ。爆弾まがいのことまでをして指名をつかんだなんて、俺は認めねぇ!」
光星は、翼への視線をそらすことがないまま翔悟に言葉を返した。
すると、翔悟は再び諭すように彼に口を開いた。

「なら放っとけ。愛菜のこともそうだが、たまたまラッキーが重なっただけだ。あれ以上翼に客は増えない。俺達がわざわざ気にすることでもないだろう」
「……そうですかね」
「そうだ、客はお前の方が数多くいるんだ。お前、少し翼を意識しすぎだ」
翔悟に諭され、光星は少しずつだが冷静さを取り戻していったようだった。

「そうっすよね翔悟さん、あんな奴にそこまで-」


しかしその時だった。

「いらっしゃいませぇ!!」
また新たな女性客を迎える掛け声が店内に響く。それが気になったのか、翔悟と光星もそれに目を向ける。

「見たことないな、新規かフリーの客か?」
「いや、曖昧な記憶っすけど、昨日も店に来てたような気が……」
翔悟と光星の視線の先には、二十代半ばほどのOL風の二人組の女性客がエントランスにて待ち遠しそうに立っていた。
すかさず彼女らに佐伯が話し掛けると、二人はそのまま彼にテーブルへと案内されていった。

「佐伯さんがあの卓に連れてった二人、誰か指名っぽいっすね、翔悟さん」
「そうだな」
翔悟と光星は、その二人の女性客のことが気になりながらも、自分の指名客のいるテーブルへと戻ることにした。



一方-
梨麻の相手をしている翼のところに、佐伯が歩み寄ってきた。
そして、翼の肩をポンと叩く。
「?」
「翼、別の御指名だ」
佐伯は何かを理解しかねている翼に耳打ちする。
「!?」
翼はパチクリと大きく目を開ける。
「お客様すみません。翼の方少しお借りしてもよろしいでしょうか?」
佐伯は、翼の隣でほんのり頬を赤らめている梨麻に申し訳なさげに言った。

「あっ、翼くん別のお客さん?」
「うん。ゴメン、すぐに戻ってくるね」
「いいよぉ、ヘルプの子も来るだろうし気にしないで!でも、なるべく早く帰ってきてね」
翼はすまなそうに梨麻にウインクすると、テーブルを離れ佐伯の後についていった。

「翼、あの二名のところな」
「わかりました」
翼は佐伯に指示された通りのテーブルへとすぐに向かった。


「いらっしゃいませ!御指名ありがとうございます、翼です」
翼はそう言いながら、二人のOL風の女性客へとペコリと頭を下げる。
「あ~翼くんだぁ!座って座って!」
女性客の一人が、翼を自分達の間へと誘う。
「失礼します」
翼はスッと二人の間へと入った。
すると、女性客は二人ともニコニコしながら互いの間にいる翼を見つめる。

「あの、どうかしましたか?」
翼は妙なまでにニコニコと笑う二人に対し、不思議な感覚を覚える。
すると、もう一人の女性客が答えた。

「あなたでしょ、彗星のごとく現れて昨日のラスト歌った新人って!」
「す、彗星のごとく?」
「実は私達昨日もお店に来てたんだけど、いつも歌う人って決まってるから、もうビックリしちゃった!翼って誰!?みたいな」
「そう!それでその謎の人物翼くんに一目会いたくて、私達二人でまた来ちゃったの!」
二人は半ば興奮したように言った。

「そうだったんですか。でも、ありがとうございます」
翼は改まるように、二人に頭を下げた。

「へぇ、けっこう礼儀正しいんだね!それにけっこうカッコイイし」
「ねー!何か気に入ったよ!翼くん、三人で何か飲もう!」
「はいっ!じゃあ、今夜は楽しみましょうね!」
翼は出したこともないようなテンション高い声を上げた。


「……」
遠くからそれを見ていた他のスタッフは皆驚いていた。
羽月も、光星も、由宇も、そして翔悟も……昨日の愛菜の指名を含め二日間で突然四人の指名を手に入れた翼の躍進は、誰もが受け入れざるを得ない現実として彼らの脳裏に焼き付いていた。

あの時まで仕事もできず失態ばかりだった翼が、ここまでの新規指名を取るなど誰も予想できずにいたことだった。
唯一、天馬を除いては。

「社長、翼のやつ徐々に売れ初めてますね……」
佐伯は脱帽したように呟いた。
「だろう?あいつは目立たない原石から磨かれつつある宝石になりつつあるんだ」
天馬はニヤリとしながら佐伯に返した。

「ホント、ビックリですね」
「由宇」
天馬の後ろから由宇が話しかけた。
「社長はわかっていたんでしょ?彼に……翼くんに他のホストには無い何かがあるのを」
「由宇、お前はどう思ってる?あいつのこと」
「今のところは何とも。でも、彼ならやり方次第で化けちゃうかもしれないですね」
「そうか」
笑いながら接客をする翼を、それぞれが様々な思いを抱きながら見つめた。
そして羽月も。



『翼くんがんばっとるなぁ…俺もがんばらんと!姉ちゃんに会うためにも…!』



様々な思いが交錯する中、その日は噂を聞き付けた女性客がさらに一名、翼の指名客となった。



"彗星のごとく現れたホスト・翼"の名前は、口コミ効果で少しずつ自然と一人歩きを始め、【Club Pegasus】はさらなる盛況を見せ始めていた。



そして、二ヶ月の時が流れた。





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lost wing~傷ついた愛の羽根~(Ⅱ)

つづき⇒⇒http://p.booklog.jp/book/51983

 



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