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8-2

 
「社長」
「なんだ翼?」
「今日から一からやり直すつもりで頑張らせていただきます。よろしくお願いします」
翼は改めるように、天馬に深々と頭を下げた。

「あぁ。……それと味方なんていないと言ったが、それは違うぞ」
「?」
「お前を心配している奴も一人はいると思うがな」
「えっ?」
「後でちゃんと佐伯にも謝るんだぞ」
天馬はそう言うと、何も言わずにそこからキャッシャーの方へと歩いていった。



『社長……?』



翼はそう思いながら後ろを振り向いた。
すると、それを見ていた羽月が心配そうに立っていた。

「翼くん!」
羽月はトコトコ翼のもとに歩み寄った。
「おはよう、翼くん!」
「あ、あぁ。おはよう」
「ちゃんと今日来てくれたんやな。こないだ飲んだのとか大丈夫かいな??」
「あぁ」
翼は心配げな羽月にどこか詰まりながら言葉を返した。

「えっと……」
「ん、何や翼くん?」
「あの後聞いたんだけど、あの時俺をかばってくれたんだって?」
「えっ?あ、あぁ~あん時のことやね?翼くんそんな気にせんで-」
「……がとう」
「へっ?」
翼は羽月と最後にそう言葉を交わすと、彼から離れるように後ろを振り向いて歩いていった。

「えっ、翼くん何やー?最後何て言ったかわからへんてぇ~!」
羽月の訛った声が店中に響き渡る。
そのせいで、翼は顔を赤らめながら、無言でそこから歩き去った。
目つきや口元に、ちょっとした緩やかな変化を帯びながら-。



「今日も一日やるぞ!!」
天馬のその言葉を狼煙に、今日も【Club Pegasus】は営業を開始した。
「今日翔悟さんはまた同伴?」
「また早紀さんって太客とだってよ。やっぱりさすが、No.1はずば抜けてるよな」
ホスト達がそう話してるうちに、エントランスのドアが開いた。

「いらっしゃいませぇ!」
元気の良い声が、一組の同伴客を迎える。
No.1翔悟とその客の一人早紀である。
威風堂々とした翔悟の横には、彼の常連客である紅いワンピースを纏った早紀が腕を組んでいた。

「いらっしゃいませぇ!」
「いらっしゃいませ、早紀様」
エントランスに並んだホスト達と内勤の佐伯が、翔悟に連れられた早紀を迎える。
「いつもご丁寧にありがと、佐伯さん」
「恐れ入ります」
早紀は頭を下げる佐伯ににこやかな表情を見せる。
「おい、早紀さんを卓にご案内してくれ」
翔悟はヘルプのホストに早紀を案内させるように促す。
「ちょっと先に行ってて、すぐに行く」
翔悟がそう言うと、早紀はうんと頷いて指定のテーブルの方へヘルプのホストに案内されていった。

「……」
翔悟は、店に入ってからとある一人のホストの変化に気付いていた。
無論それは翼のことだった。
一方の翼も、彼からの視線に気付いていた。
翔悟はスッと翼のもとに歩み寄った。

「よう」
「おはようございます、翔悟さん」
「もう一昨日のあれから、店に出ないと思ってたが。意外と神経が図太いんだな」
「そうみたいですね」
翼の予想以上の冷静な反応に、翔悟は表情をピクッと鋭くさせた。

「あのリーマン上がりみたいなダサいスーツの印象が強かったからな。まだ客もいないどころか、ろくな接客もできないお前が、どうしてこんないきなり変わったのかな?」
翔悟は口をニヤリとさせながら、翼に言っ放った。
しかし翼は動じずに、冷静に言葉を返す。

「俺にもお客様ができました」
すると翔悟は吹き出しながら笑いを上げた。
「ハッハッハ!そうかお前……光星のとこであんな騒ぎを起こしたから、店へのお詫びがてらにどこぞのマダムでも引っ掛けてきたか!?そのスーツとかもその人に貢がせたものか……。翼、お前も中々やるじゃないか」
うすら笑いを浮かべながら嫌味な言葉を並べる翔悟だったが、翼は一切表情を変えていなかった。
しかしその時だった。
 

「いらっしゃいませぇ!」
ホスト達の元気な声が、エントランスからの一人の来客を告げた。
「おぉ……」
ホスト達は驚きの声を漏らした。
盛り上げられ巻かれた髪の毛、ハート形のピアス、際だった麗しい瞳、そして胸元の切れた淡いピンクのドレスに包まれた80センチを軽く超える股下。
佐伯は中世の貴族のように圧巻なその彼女を改まるように迎えた。

「いらっしゃいませ、愛菜様」
「こんばんは佐伯さん。天馬から話は聞いてるでしょ?」
「ハイ、本指名の件ですね?お伺いしております」

愛菜からの『本指名』……
それを聞いた翔悟を含む周りのホスト達は、一瞬で言葉を失った。

「愛菜さんからの本指名って……」
「誰だよ一体?翔悟さんか?」
ホスト達は声が漏れないように、こっそりと話していた。
しかし、驚きによる表情の変化までは隠せていなかった。
それに気付いた愛菜は、クスッと微笑む。

「では愛菜様、担当スタッフに案内させていただきます」
佐伯が愛菜にそう告げると、その場にいる全員が息を呑んだ。
そして、佐伯がその口を開いた。



「翼、お客様からの御指名だ。案内してさしあげなさい」
 


佐伯のその言葉に全員が一瞬絶句した。
「な、何だって……!?」
「あの翼が、初指名!」
「しかもそのお客が……」
その場にいたホスト達が全員驚いていた。
特にNo.1である翔悟は、珍しくも一際驚いた表情を示していた。
その口は、あんぐりと開きっぱなしになっている。

「なっ……。歌舞伎町で、あの【Club Mirror】でカリスマ嬢と言われたあの女を……ホスト歴たった半月程度の下っ端が……??」
翔悟は言葉を詰まらせながらそう呟いた。
そんな翔悟を見て、愛菜は再びクスッと笑った。
「愛菜さん!」
翔悟が愛菜に声をかけた。
「なに、翔悟?」
愛菜は何気ない口調で答える。
「どうして、どうして翼なんかを……!?」
「私が選んだ担当に『なんか』ってどうゆうこと?」
愛菜は鋭い口調で翔悟にそう言い返すと、プイッと彼から顔をそらした。
そうしてるうにち、翼はテーブルに案内するために愛菜の手を取っていた。
「今日からよろしくね、翼」
「こちらこそ、御指名ありがとうございます」
翼と愛菜はそう言い交わすと、佐伯に指定されたテーブルの方へと歩いていった。

「くっ…」
翔悟はその二人の後ろ姿を見ながら、苦渋の表情を浮かべた。

「愛菜さんが、翼くんを……」
当然その光景は、複雑にそれを見つめる羽月の瞳にも焼き付いていた。



「よっこいしょっと」
愛菜はそう言いながら、ソファーにその華奢な腰をおろす。
「ありがとう、愛菜」
翼は彼女のとなりに座りそう囁いた。
「いいのよ。私は自分が楽しむためにしてるんだからさ。みんな、驚いてたわね?笑っちゃったわよ」
「あぁ。何か飲もうか?」
「まずピンク入れて。今日は初めての記念だもの。飲むわよ~」
翼と愛菜がそんな会話を交わしている中、客を含めた店内全員が二人のいるテーブルを見つめていた。
あのダメホストと言われた翼と、カリスマキャバ嬢の愛菜との間に一体何があったのか?
そこにいる皆がその謎に大きな疑問と関心を抱いていた。


 

二日前のあの夜-

「決まりね」
愛菜は煙草を一本火をつけるとフーッと煙を吹いた。
「現役を退いた天馬の次のホストよ。翼くん……いえ翼、あなたを指名するわ」
「!?」
愛菜の突然の発言に、冷静だった翼もさすがに驚きを隠せなかった。

「俺を??」
「あら、ダメかしら?」
「いや、ダメとかじゃなくて……何でいきなり俺を?」
「そんなこと言ってる場合?あなたホストとして成り上がりたいんでしょ?客の要望は素直に聞き入れなさい」
愛菜はそう言いながら煙草をクシュッと消すと、再び口を開いた。

「私が、自分のすべてを叩きこんであなたを一流にしてあげるわ」
「愛菜さん」
「もう私はあなたの本指名客よ。さんづけと敬語はやめてね」
翼は愛菜をまっすぐに見つめながらうなずいた。
「よろしく、愛菜」
翼は気持ちを改まるように、愛菜にそう言った。

「愛菜、一つ聞いてもいい?」
「なに?」
「言いたくないならいいんだけど、俺の……何がよかったの?」
「……」
愛菜は言葉を詰まらせた。しかし、すぐに言葉を返した。

「今は話せない……。時期が来たら教えてあげる」
愛菜はそれっきり、それに関して何も話そうとはしなかった。
 
 
 


翼は愛菜の指名理由が気にはなってはいたものの、必要以上に詮索せず、接客に専念することにした。

きっといつかそのうちわかる日が来るだろう、そう考えていた。

しかし、今はせっかく掴んだこのチャンスを生かそう……
彼の中ではその意思が大きく広がっていた。



『馬鹿にしてきた奴ら、俺のすべてを壊した奴ら、すべてねじふせてやる!』
この思いだけが、今の翼の唯一の真実だった。


この闇に包まれた世界で成り上がるため、羽ばたくため、そしてすべてを見返すため、



翼のホストとして、そして一人の人間として紡いでいく結末への狼煙が、今本当の意味で上がっていった。




                                                    第9章へ

9-1


「A卓、愛菜さんよりピンクもう一本いただきましたっ!!!」
店内に元気なマイクコールが響き渡る。
翼と愛菜のテーブルに入るドン・ペリニョンは、もうすでに3本目を迎えていた。
それ以上に、生まれ変わったように変貌した翼と彼の隣に座る愛菜姿は、他の女性客やホストからも注目の的だった。


「翼、愛菜さんの御指名をもらって見違えるように変わりましたね。一体あいつに何があったんでしょう?」
「さぁな」
目を丸くしながら尋ねる佐伯に、天馬は軽く笑いながら答える。
しかし、その光景を見つめる彼の瞳は真剣そのものだった。



『翼……ついにやりやがったな。愛菜の本指名を生かすも殺すもお前次第だ』



天馬は自分の見る目が間違ってなかったことを確信するかのように、心の中で呟いた。


一方の翼は-

「愛菜、大丈夫?ちょっと飲むペースが早過ぎるんじゃ」
「ちょっと翼何言ってるのよ。今日はあなたと私の記念日よ?私は大丈夫だから心配なんかしないの」
翼はかなりの勢いで飲むほろ酔いの愛菜をなだめようとしたが、彼女はそれを振り払った。

「お祝いごとなんだから、こんなときくらいシャンパンで騒ぎましょう?」
「あぁ、わかった。ゴメンよ、ちょっといつもより飛ばし気味だからさ」
「フフッ、大丈夫よ」
翼と愛菜は、互いに見つめ合って笑うと再びシャンパンを口の中に注いでいく。
『今日ヘルプは一切いらない』と言った愛菜の言葉通り、二人のテーブルには彼らを除いて誰一人としていなかった。
その光景を、翔悟をはじめとした他のホスト達が快く思わないのは言うまでもない。

「チッ」
翔悟は眉間に深いシワを寄せながら口を鳴らした。
「どうしたのよ翔悟?」
彼の指名客である早紀が尋ねる。
「何でもない」
「そうなの?何か機嫌悪いわよ、あなた」
「何でもないんだ」
「あの翼って子のことでしょ?」
「……!」
翔悟が不意を突かれた表情を示すと、早紀はフッと笑う。

「あの時席についた時と比べるとえらい変わり様ね。隣にいるあの女の子のせいかしら」
「さあね」
「翔悟、あのお客の子知ってるんでしょ?だれ?」
「……さあ。見ての通り、ただのキャバ嬢だろう」
翔悟はそう言うと、シャンパンを勢いよく飲み干した。
「ただのキャバ嬢、ね」
早紀はグラスに口をつけながら、離れたところにいる翼と愛菜を見つめた。



一方-

光星も、その光景に鋭い視線を送っていた。
「あの野郎……!」
指名客が隣にいるに関わらず、光星の眼は常に翼を捉えていた。
「調子にのりやがってよぉ!」
彼はそう言いながら突然席を立った。

「光星どこ行くのよ?」
「トイレだよ、トイレ。ちっと頼んだぞ」
指名の客に顔を合わせることもなく、光星はヘルプのホストに後を頼むと一人トイレへと歩いていった。

「あの野郎、急にどうして」
光星はトイレの鏡に映る自分自身に語りかけるようにつぶやいた。
「気になってるんだ?」
光星の斜め後ろからそう言ったのはNo.3の由宇だった。
相変わらず冷静ながらも明るい短髪が彼の特徴を物語っている。

「由宇」
「さすがに僕も気になったよ。翼くんがあの愛菜さんをねぇ。すごいじゃない」
由宇がそう言うと、光星は眉をクンと上に吊り上げた。
「おい由宇、これはただ事じゃねぇぞ。今まで社長以外……翔悟さんや俺らを含め誰も指名しようとしなかったあの女が、あのへぼいのを指名したんだぞ!しかもあんな騒ぎまで起こした奴がよぉ!」
光星は声を荒立てた。
しかし、由宇は至って冷静だった。

「光星さんしょうがないでしょ。どんな事情があるかは知らないけど、あの翼が彼女の指名をとったのは、もう変えようのない事実なんだから」
「由宇お前、あいつがこの店でのさばってもいいってのか!?」
「そんなんどーだっていいし。それを社長が認めていることならしょうがないんじゃ?」
「お前どっちの味方なんだ、由宇?」
「別に。僕は誰の味方とかどーでもいい。あくまで自分自身のペースで楽しく仕事できさえすればいいんでね。さて、翼の卓の様子でも見物に行こうかなっと」
そう言うと、由宇は光星のいるその場から歩き去った。

「……チッ、クソが!あの野郎!」
光星は、言いようのない苛立ちをぶつけるように鏡の中の自分自身を再び睨みつけた。



それから数時間が経過-。
【Club Pegasus】は間もなく閉店の時を迎えていた。
内勤の佐伯がマイクを通して店内に声を響かせた。

「さぁ~ラストソングを歌う今日一番輝いてた子は……」
BGMが流れる賑やかな中ですら、そこにいる全員が息を呑む。
佐伯は、一瞬言葉を止めたかと思うと、ラストソングを歌うそのホストの名前を高々に叫んだ。

「はい!新人ながら今日初めての本指名をいただきました、翼くんですっ!!おめでとう!!」
『翼』という誰も一度も聞いたことのないようなその名前が、店内にいるすべての人間の耳をを支配した。
 

「翼?誰それ??」

「ラッソン、トップの三人じゃないの?」

「新人でラッソン歌ったの?すごくない!?」

「ねぇ誰、翼って。どの子なの?」

指名フリー問わず、大多数の女性客が、彗星のごとく現れた『翼』という謎の存在に興味関心を示し始めていた。

「さぁ翼、歌え。今日の主役はお前だ」
翼の前に現れた天馬が、彼に一本のマイクを渡す。
彼のその行動が、翼の未知の正体を明るみにするまでにそう時間はかからなかった。
翼が希望したバラード曲のインストが流れ、そのメロディに沿って彼は歌い始めた。
その姿を、近くにいる愛菜と天馬は、笑って見つめた。

「翼、おめでとっ!」
手拍子に彩られたラストソングが終わる頃、隣にいる愛菜が、翼の左腕を掴みながら言った。
「そんな、愛菜のおかげだよ」
翼は謙遜をしながら言った。
「ううん、最初は記念とか言ってたけど、私も気がついたらあなたと二人でいることに何か浸っていたわ」
「そっか、それならよかった」
「それより翼って意外に歌が上手いのねっ」
「そうかい?」
「うん、歌だけなら天馬よりも上手かったわよ!」
「褒めすぎだって」
翼は冷静さを装いながらも、俄かに照れ笑いを浮かべた。

『自分自身への評価』
ホストとして男として、翼自身が欲しかったものをついに実感し始めていた。



閉店後-

【Club Pegasus】の面々は営業終了後のミーティングに入っていた。
もちろん愛菜を含むすべての女性客はいなくなっている。

「お疲れいっ!!」
「お疲れ様っす!!」
天馬の声に、店内のホスト全員が声を合わせる。
「おーし、今日も一日お疲れ!今日はみんな一人一人がよく頑張ったな。客入りや売上も上々だ」
天馬は誇らしげに言った。

「まぁみんなもすでに知ってるだろうが……翼がついに初の指名をとった。そしてラストソングに行くまで売上を出したんだ」
天馬の話す声以外は静まり返っている中、どことなくざわめきが漂う。
翼をチラ見する者もいれば、彼に目を合わせない者もいるなどそれぞれだったが、やはり急激に存在感を増した彼のことを意識しない者は一人もいなかった。
それは、彼のすぐ後ろにいる羽月も例外ではなかった。

天馬は続けた。
「今まで翔悟・光星・由宇以外がラッソンしたことがなかった以上、これから翼はもちろんみんなのがんばりに期待しているぞ!」
「ハイッ!!」
「よし今日はもう以上、じゃあ解散!!」
「お疲れ様したぁ!!」
その最後の挨拶を機に、今日の【Club Pegasus】の営業及び仕事は終了した。


「んん~。疲れたなぁ」
翼はぐぐっと身体を伸ばした。



『でもこんな疲れ方、ホスト始めてからは初めてか』
翼は、やっとやり甲斐と充実感を手に入れた自分自身に少し驚いていた。


「翼くん」
「えっ?」
その時、羽月が翼のもとにやってきた。
「初指名と初ラスト、ホンマおめでとう!」
羽月は満面の……とは言い難い笑みで翼に祝いの言葉を言った。
「あ、あぁ。サンキュー」
「まさか、翼くんが愛菜さんの指名もらうとは思わんかったわぁ……」
「……」
「ホンマ、うらやましいなぁ」
翼はどこと無く切なそうな羽月の表情に気付いた。



『まさか』



翼は何となくそう思ったが、口にすることはしまいと思った。
「まぁ、そっちもがんばれよ」
翼は最後にそう言ってそこから立ち去ろうとした……その時だった。

「翼くん待って!」
羽月が翼を呼び止めた。
「何だ?」
「よかったらでえぇんやけど」
「?」
「もし腹減っとったら……これから一緒にメシ行かへん?」
羽月の突然の言葉に、翼はキョトンとした。
何とも言えない沈黙が、二人を数秒の間覆う。

「あぁ、嫌やったらえぇで。もうプライベートは仕事の相手とは会いとうないかも-」
「いいよ」
「へっ?」
「メシ、行くんだろ?」
翼は笑うことはなかったものの、羽月の目をまっすぐ見つめながら言った。
「ホンマ?えぇの??」
「簡単にだったらな」
「いや、簡単でもえぇよぉ!おおきに、ありがとう翼くん!」
本人にとっても意外だったのか、羽月はとても嬉しそうにはしゃいだ。

「そんなにはしゃぐなよ」
「あぁ!ゴメンゴメン!」
羽月はよっぽど嬉しいのか、テンションがどんどん高くなっていった。

「お疲れ、ちょっと取り込み中か?」
そこに天馬が話しかけてきた。
「社長、お疲れ様です」
「お疲れ様ですぅ!」
翼と羽月は、天馬に挨拶を返す。

「お疲れ。翼、今日はよくやったな!」
「えっ」
「だがお前にはまだ客は愛菜一人だ。これからもっと指名客増やしていけよな」
天馬はそう言いながら翼の肩をポンと叩いた。
「ハイッ!」
「それとな」
周りに聞かれたくないからか、天馬はいきなり翼に耳打ちをする。

「社長?」
「いつもは平静かもしれんが……愛菜は今とある事情で苦しんでいるんだ」
「えっ?」
翼は目を丸くした。

「いいか翼。詳しくは言えんが、きっといつか本人から話される時が来る。もし愛菜に何かあったら、その時はお前がホストとしてあいつを支えてやってくれ」
「……はい」
意味もわからずじまいだったが、真剣に話す天馬に対し翼は返事一つをすることしかなかった。
それを聞いて、天馬もどこか安心したようだった。

「もちろん羽月、お前もだ!翼に負けんなよ!?」
天馬は羽月の肩をパンッと叩きながら彼を激励した。
「は、ハイッ!がんばります!!」
羽月も元気よく天馬に言葉を返した。
天馬はフッと笑みを零す。
「じゃあお疲れさん!」
「お疲れ様でした!」
翼と羽月は最後に天馬と挨拶を交わすと、エレベーターでビルの1Fへとおりていった。

「さって何食べよ-」
羽月がそう言いかけた時だった。
「おい翼!」
横から誰かが翼に声をかけてきた。
「翔悟さん」
声をかけてきたのは翔悟だった。

「お前……どうやってあの女を」
鋭い眼差しの翔悟に対し、翼は冷静に答える。
「さぁ。僕もよくは知りませんが」
「そんなはずはないだろ。お前彼女に何をした?」
「何もしてません」
詰め寄る翔悟に、翼は冷静に返す。
だが、翔悟の詮索はそれだけでは終わらなかった。
「何もしてない?さてはお前、あの女と枕でもしたか?」
「マク……ラ……?何のことです??」
「くっ……ハハハ!こりゃウケるな、枕の意味も知らないでそうなるとは」
「……??」
『枕』という意味がわからなかったのか、翼は首を傾げたままだった。
しかし、横にいた羽月は、その意味を知った上で聞いてか表情を俄かに強張らせていた。
翔悟は続けた。

「まぁいい……お前みたいなドシロウトが、そうする以外にあの女を落とせるわけがないんだ。よっぽど相性がよかったのか、とんだ今日のヒーローだ……なぁ、羽月?」
「えっ??いや、どうなんやろ……」
話をふってきた翔悟に、羽月はたじろぐ。

「まぁいい。お前がどうゆうスタイルでこようが、あの女一人を客にした程度で上がれるほどこの世界は甘くないんだ。それを覚えておけ!」
そう言うと、翔悟は背中を向け翼達の前から去っていった。

9-2

 
「マクラとかどうとか、翔悟さん何を言いたかったんだ?」
一人つぶやく翼に、羽月は何も言わなかった。
いや、言えなかった。
半ば好意を抱いていた愛菜と翼がそうなっていたなど、若い彼自身想像もしたくないことだった。
しかし、そんな雰囲気を無理矢理にでも消し去ろうと彼は思うことにした。

「きっと翔悟さん、翼くんがラッソンやってちょっと驚いただけやって!さっ、翼くんメシ行こう!」
「あ、あぁ」
羽月は、そう言って翼を強引に連れていくように声を張り上げた。
翼と羽月の二人は、ネオンが輝く歌舞伎町の中を共に歩いていった。


「こうやって翼くんと仕事後とか二人で歩くの初めてやな!」
「そうだな」
「翼くん、何か好きとか食べたいのあるん?」
「いや、特に好き嫌いないから」
「そっかぁ!好き嫌い無いのは俺と一緒やな。じゃあどこがえぇかなぁ?」
そう言いながら二人で歩いていると、翼はふと立ち止まった。

「ん、どうした翼くん?」
翼は羽月に答えるわけでもなく、すぐ目の前の街の一角で座りながら子犬の柴犬の世話をしている一人の黒髪の少女を見ていた。
「あれは……」
「ん?翼くんどうしたんや?犬好きなん?」
その時、翼と羽月のことに気付いたのか、その子犬が「キャン」と鳴いた。
それと同時に、そのすぐ隣にいた少女は二人のことに気が付いた。

「あっ、やっぱり……」
翼はその少女の顔を見ると、何かに気付いたようにつぶやいた。
彼女も、翼のことを見るとハッと気付いたようだった。
「何や翼くん、あの女の子知り合いなんか?」
「あぁ、ちょっと」
そう言うと、翼はその少女のところに近づいた。
彼女もそれに合わせて立ち上がる。

「キミ、確かあの時の?俺の手にハンカチを巻いてくれた……」
翼はその少女にそう話しかけた。
彼女は「ウン」と言うように首を縦に振った。

「翼くん、いつこんな可愛い女の子ナンパしたんや?」
いつの間にか隣にいた羽月が、翼に問い掛ける。
「あのな……。違うんだ。彼女は-」
翼は、ことのいきさつを簡単に羽月に説明した。
以前、仕事後のストレスと酔った勢いで電柱に拳を打ち付けて血まみれになっていた右手の怪我を、ある黒髪の女の子が応急処置をしてくれたこと。
その人物が、今目の前にいる彼女だと言うこと-。
羽月は薄目で翼を見ながらも、「ほ~」と言いつつ納得したようだった。


「あの時はありがとう。あの時キミが治してくれたおかげで、もう怪我は大丈夫だよ」
翼はそう言いながら、少女に軽く頭を下げた。
すると彼女は笑顔で首を横に振った。

「それにしても、めっちゃ可愛いなぁ。キミ何てお名前なん?」
「……」
羽月が問い掛けると、彼女は無言で黙ったまま俯いた。
「おい、仕事じゃないとはいえ、いきなり女の子にそんな感じで名前聞くなんて失礼だろ」
翼が羽月をたしなめた。
「あっ、そうやな……ごめんなさい。気を悪くせんといてぇ」
羽月が謝ると、少女は再び笑顔で頷いた。

「キミ、ずっとここでこの子犬の世話をしてるの?」
翼が問い掛けると、彼女は何も言わずただ頷くだけだった。
そして、再び腰をおろし尻尾を振る子犬の頭を撫で始める。

「なぁ翼くん」
羽月が突然翼に耳打ちした。
「さっきから思ってんけど、何でこの子ずっと一言もしゃべらへんのかな?」
「さぁ」
その時の羽月の言葉はもっともだった。
以前怪我を翼の治した時といい、彼女は翼達の前で一切言葉を発している様子がなかった。
何かを言っても、ただ仕草や表情で表しているだけの彼女に対して、翼と羽月はただ不思議に思うしかなかった。


その時、そのすぐ後ろにある小料理屋らしき店の戸がガラガラと開き、そこから30代後半くらいの一人の着物姿の容姿端麗な女性が姿を現した。

「美空(ミソラ)、そこにいたのね」
女性がそう言うと、美空と呼ばれた少女が女性のもとに近づいた。
すると、美空は何か不思議な手ぶりを彼女にやってみせる。
女性はそれを見て、何かを理解したようだった。
それを見て、翼はあることに気付いていた。

「……そう、そう。わかった、後で買っておくわね」
女性はそう言うと、美空の数メートル後ろにいる翼達に気が付いた。

「あなたたちは……ホストさん?」
女性がそう尋ねると、羽月はあたふたしながら答えた。
「え、あ、まぁ~何なんやろ~……。えっと今彼女とたまたま会ってそこで-」
「すいません、以前僕が彼女に道ばたで怪我をみてもらったことがありまして。それで今さっきたまたまここで会いまして、お礼を言わせていただいてたところだったんです」
言葉に詰まる羽月の代わりに、翼が代弁するように言った。

「そうですか、何かうちの子がしたことにわざわざそう言っていただいて、ありがとうございます」
女性は、とても腰が低い口調で翼に言った。

「あのぅ、すんまへん」
羽月が女性に対して突然話を切り出した。
「はい?」
「こちらは、お店をされてるんですか?」
「えぇ、一応小料理のお店を」
女性が後ろにちらっと目をやると、そこには
【小料理 "楓"】という看板を掲げた、小さな店がたたずんていた。
それを見てか、羽月はニッコリと微笑んだ。

「そりゃえぇわ!なぁ翼くん、せっかくやしここでメシ食ってかへん?」
羽月はもう我慢が出来ないとばかりに声を上げる。
そう言うと、女性も笑顔で二人を見て口を開いた。
「えぇ、お二人がよかったらぜひそうなさってください。今日はお客様もあまり来なくて早めに閉めようかと思ってたんです」
それを聞いてか、翼はその流れに納得したようだった。

「じゃあ、一杯寄らせて下さい」
翼がそう言うと、羽月ははしゃがんとばかりに喜んだ。
「俺もう腹減って死にそうやったんや~」
羽月の様子を見て、女性と美空はクスクス微笑んだ。



翼と羽月の二人は、その夜【小料理 "楓"】にて世話になることにした。





                                              第10章へ

10-1

 
「ささっ、どうぞそちらへ」

翼と羽月は、今いる小料理店を営む広崎楓(ヒロサキ カエデ)の言われた通りに端のカウンター席へと腰をおろした。
【小料理"楓"】は、カウンター10席とテーブル2ヶ所の小さな店だが、まだできて日が浅いのか桧をベースにした和風の落ち着く内装だった。
所々からほのかに漂う桧の香りが、翼と羽月の鼻をくすぐる。

「今お通しをお出ししますね。美空、手伝って」
楓がそう言うと、美空は無言のまま頷く。
羽月は、それを何も言うことなく、ただどこか不思議そうに見つめていた。
しかし翼は、美空が一切しゃべらない理由を何となく理解していた。


「はい、お待ちどうさまです」
楓がカウンターごしに小鉢に入ったお通しを差し出した。
中にはほんわかと匂いのする肉じゃがが入っている。

「お二人ともお飲みものはいかがいたしますか?」
「あ~、じゃあビールで」
「あ、俺もや」
楓の注文に対する質問に、翼達は淡々と答える。
「ハイ!美空、ビールお出しして」
美空はすぐにビールサーバーのところにトコトコと歩いていった。

「お客さん、こんな狭いところですみませんねぇ」
「あ、いえ」
「あ、私この店やってます広崎といいます」
楓は翼と羽月にそう言いながら頭をペコリと下げた。二人もそれにならう。
「ママさん、あの子は?」
羽月が返すように問い掛けた。

「あぁ、あの子は娘の美空って言います」
「美空ちゃんかぁ、えぇお名前ですねぇ☆」
「フフッ、ありがとうございます」
そうこう話してるうちに、美空がジョッキに注がれたビールを持って二人のもとにやってきた。
「あ、おおきにぃ!」
「どうもありがとう」
羽月と翼がそう言うと、美空はペコリと頭を下げ無言で店の奥に歩いていった。

「……」
翼と羽月はやはり気になってはいるものの、気を取り直して食事に専念することにした。
「じゃあ翼くん、お疲れ様ァ!」
「お疲れ様」
二人はジョッキを交わし、クイッと一口目を口の中に注いだ。

「あー!仕事後に飲む一杯はまた格別やな!」
羽月はため息に近い声を漏らした。

「フフッ、いい飲みっぷり。さすがホストさんね」
楓が笑いながらたしなめると、羽月は照れながら笑顔を見せる。
「お料理、何がよろしいですか?」
「あ、ママさんのオススメで!翼くんは?」
「えっ?……じゃあ僕もオススメでお願いします」
翼と羽月の注文に、楓は「わかりました」とばかりに笑顔を見せた。


「翼くん、ホンマに今日はおめでとう!めっちゃ驚いたわ」
「いいよ、そんな」
羽月の改めての祝いの言葉に、翼は僅かな照れを見せる。
しかし、羽月の心中は実のところ複雑だった。
本心は、翼に愛菜とのことを尋ねたかったが、食事に誘ったのもあり、何より男として惨めになりそうな気持ちがあってか、そのことについては触れないことにしていた。

「それと……一緒にメシつき合うてくれておおきに」
「え?何だよ改まって」
「いやぁ」
羽月は少し照れながらビールを一口飲むと、再び翼に対して口を開いた。

「実は……俺今日でハタチやねん」
「えっ??」
羽月の口調が妙に大人しいせいか、二人の間に3秒ほどの沈黙が流れた。
その間、カウンターごしにグツグツと言う煮物を温める音が際立つ。

「ハタチ?今日?」
「うん。こんなこと翼くんに言うのもなんやけど、俺祝ってほしかったんや」
「祝ってほしかったって……。でも、それが何で俺なんだ?俺がこんなこと言うのもなんだが、君には店に仲よさ気なキャストが他にも何人かいるだろう」
翼がそう言うと、羽月はやや俯きながら答えた。
「確かに店にはおるよ、普通に話して普通に仕事する子なら。でも、違うねん。正直言ってまうけど、俺……店の人達とはプライベートまでは合わへん」
「……」
「翼くんも何となくわかるやん?こんなこと言いたくないんやけど……うちの店、翔悟さんや光星さんにべったりな金魚のフンばっかやん」
羽月は溜めていたものを吐き出すように言った。

「俺な、東京出てきたばっかりやし職歴があるわけでもないから、何を偉そうなこと言ってんねんて感じやけど……俺、ああゆう風に群れるの嫌いなんや」
「……」
「だからやで、翼くん人と群れたりこびたりせんし、何より俺の同期やから……だから今日……」
「そうか」
「ごめん、こんなことばかり言うて。ハタチの誕生日まで一人でいたくなかったんやな、きっと」
羽月はそう言うと、クイッとビールを飲み続けた。

「ごめん翼くん、変なことばっかり言うて」
「あ、いや」
いつも元気な羽月と違ってか、翼は彼に対して複雑な思いを浮かべていた。
何より、誕生日"まで"という表現に彼の心の内が見えてならないような気がしていた。

「さ、鯖の味噌煮と揚げ出し豆腐が上がりましたよ。温かいうちに召し上がって下さい」
楓が暗めの雰囲気に割って入るように、カウンターごしに料理を差し出した。
「そやな、せっかくのごはんやし楽しく食べなアカンな!ごめん翼くん、食べよう!」
「あぁ」
「いただきまっす!」
翼と羽月は気を取り直すように、まだ食べてなかったお通しの肉じゃがに箸をつけた。

「……うんまいっ!」
羽月が一口肉じゃがを口にすると、感動の声を大きく発した。

「ママさん、めっちゃうまいでぇ!」
「フフ、ありがとうございます」
翼もそれにならうように肉じゃがを一口食べてみると、すぐに口の動きが止まった。

「おいしい……」
「なっ、そやろ翼くん!」
「あぁ」
翼と羽月は続いて出された料理に手をつけるも、驚きと感嘆を次々と漏らした。

「すごいおいしいです」
「なぁ!あ、ママさんビール二つおかわりお願いしますぅ!」
「はいっ!美空~、生二つおかわりお願い~」

羽月が残りのビールを口にしようとしたとき、翼は手にとったジョッキを彼に向けた。
「えっ、翼くん?どうしたんや?」
「誕生日なんだろ?今日は」
「翼くん……」
「こないだ、俺が酔い潰れたときには君には助けられたしな。まぁ……ハタチおめでとう」
翼がそう言うと、羽月はとても嬉しそうに満面の笑みを見せた。

「ありがとう翼くん!」
その時、美空はすぐにジョッキに注がれた生ビールを持ってやってきた。
そして彼女は、すぐに店の奥にトコトコと歩いていった。

「よしっ、二杯目やな!カンパーイ!」
翼と羽月はもう一度ジョッキを『ゴン』と交わした。


「お二人とも仲がいいんですね?」
楓が微笑みながらカウンターごしの二人に話しかけた。
「あ、いや~」
「翼くんそんな照れんでもえぇやん」
「いや、照れてるわけじゃ」
翼はわざとらしく咳き込むと、改めるように楓に話しかけた。
 

「あの」
「はい?」
「よかったんですか?その……僕たちみたいな感じのがお店入れてもらっちゃって」
翼がかしこまりながらそう言うと、楓は何も気にしてないかのように答えた。

「別にいいじゃないですか。仕事はホストさんでも今は一人の男の方でしょう?」
「水商売……ホストに対して抵抗は無いんですか?女の人だからやっぱりちょっと気になっちゃって」
楓はグラスの中の水を一口飲むと、すぐに答えた。

「ないです、ホストだからって皆がみんな不真面目で悪い人って言うのは違うと思いますよ。翼さんと羽月さん……でしたよね?少なからずお二人は、いい人だと思います」
「ママさん……」
笑顔を揺るがせない楓の言葉に、翼はただただ相槌を打った。

「それに……」
「?」
「私の主人も昔歌舞伎町でホストをしてたんですよ」
「えぇっ!?」
楓の発言に、羽月は驚きの声を上げる。
「声がデカイって」
「あ……ゴメン」
翼が人差し指で耳栓しながら羽月をたしなめる。

「フフ、まぁ私も昔はホステスをやっていてね」
「そうか~ママさん、めっちゃキレイやもん」
「羽月さんはお上手ね。それで、その人と私との間に生まれたのが、この子……美空なんです」
楓は、自分の横で野菜を包丁で切っている美空を見つめながら言った。

「美空ちゃんもかわいいもんなぁ。親御さんが両方ともお水やってたんやし、美男美女の血筋を見事に受け継いだんやな!一度その旦那さんにも会うてみたいわぁ」
羽月がそう言うと、楓はふと表情の明るさを俄かに沈める。

「あれっ?どないしたんやろ?」
「バカ」
脳天気に首を傾げる羽月に、翼が頭を押さえながら言った。
「えっ?俺何かアカンこと言うたかな……?」
すると、楓は今までと変わらないそのままの口調で話し始めた。

「主人は……美空の父親は、あの子がまだ小学校4年生だった頃に亡くなったんですよ。もう10年前くらいのことでしょうか」
楓のその言葉に、羽月は顔を少しずつ真っ青にしていった。

「あ……す、すんまへん!俺そうとは知らへんかったとはいえ」
羽月は頭をペコペコと下げながら謝った。すると楓はクスッと笑ってみせる。
「いいんですよ羽月さん。もう昔のことですし」
「せやけど……」
「いえ。私には今、この子がいますから」
そう言うと、楓は横にいる美空を見つめた。
するとその美空が、楓に向かってある手ぶりをしてみせる。

「……」
楓は美空のその手ぶりを見て、何かを理解したようだった。
「……うん、わかったわ。じゃあそれもお願い」
楓にそう言われると、美空は作っている料理に次々と手を加えていた。
そして、彼女は食材を取りに店の奥へと消えていった。
その光景を、翼と羽月も興味深く見ていた。
その視線を感じたのか、楓は二人に対して口を開いた。


「お二人とも、もう気付いてらっしゃっいますよね?あの子……美空は見ての通り声を出して言葉が話せないんです」
「声が?」
翼がそう言うと、楓はコクッと頷いた。
「美空ちゃん、声が出えへんのって、生れつきなんですか?」
羽月が尋ねると、楓は先を続けるように話し始めた。

「いいえ。元々は話せないどころか、人一倍ハキハキ声を出すくらい元気だったんですよ。でも、先程も話したことですが、主人が亡くなった10年前を境に、声を失ってしまったんです」
「10年前……もしかして?」
翼がそう言うと、楓はただ頷き先を続けた。


「当時肝臓を病んでいた主人が、当時10歳の美空を連れて歩道を歩いていた時のことでした」
楓の瞳に僅かに涙が浮かぶ。

10-2

 
「歩いていた二人のところに、居眠り運転をしていた乗用車が突然猛スピードで近づいて……」
「……」
「そばにいた美空は、まだ比較的軽い怪我で済んだんですが……。娘を庇った主人は……」
その後は言葉にならなかった。
楓は忌ま忌ましい記憶に苛まれるように、着物の裾をギュッと握った。
翼と羽月は、言葉もなく、ただ聞くことしかできなかった。
しかし、沈黙が流れることなく楓は再び口を開いた。

「主人が亡くなり、私はとにかく美空を育てることに専念しました。しかし、事故から間もなく……あの子は声を失いました」
「もしかして彼女……事故の後遺症で?」
翼が尋ねると、楓はただ俯いた。

「はっきりとはわからないんですが、恐らく父親を無くしたショックかと思います。怪我の後遺症にしては喉に損傷は無いし、何よりあの子は父親にとても懐いていましたから……。何にしても、あの10年前の事故があの子から声を奪ってしまったんです」
「そんなことがあったんや……」
話し終えて涙を一粒零す楓に、羽月が相槌を打った。

「大変だったんですね」
翼もまた相槌を打った。
すると楓はハッとしたように、瞳に浮かべた涙を拭った。


「す、すみません。初めて会う……しかも食事されてるお客様にこんな話をしてしまいまして」
楓は焦りながら、翼と羽月に対して頭を下げた。
「いやそんな、気にしないで下さい」
「そうやてママさん、誰かて一つや二つ悲しい経験とかあるんやしぃ」
二人がそう言うと、楓はニッコリしながら「ありがとうございます」と返した。

「まぁ、それに一応俺らホストやし!お話聞くくらい何でもないでぇ」
「あら、そうしたらお金払わなきゃいけないのかしらっ」
羽月の言葉に、楓は意地悪口調ながらも笑いながら返した。
「んもう、そんなんどーでもえぇからぁ!」
羽月もニカッと笑いながら言った。
そばにいる翼も、僅かにフッと笑みを零す。

「まぁ、さっきもやってたんですけど、それ以来私達は手話……さっきやっていた手ぶりを覚えて、普段それで会話をしてるんです」
「シュワ?シュワって何や??」
何のことかさっぱりわからないのか、羽月は楓に質問を投げかけた。

「手話は、手で話すと書いて"シュワ"って言うんです。耳が聞こえなかったり、美空のように声が出せなかったりする人には不可欠なものなんですよ」
「ほぇ~」
楓の説明を聞いた羽月が気の抜けたような声を漏らした。
しかしその時だった。

「美空さんは、それで奥の方に調味料を取りに行ったんですよね」
翼が唐突にそう言うと、楓はポカンとしながら彼のことを見た。
「翼さん、何で美空が向こうに行ったことの理由を……??」
自分しかわからないことのはず…そう思った楓は不思議そうに翼に問い掛けた。
しかし、彼が答える前に彼女はそれを察したように、ハッと目を見開いた。

「まさか翼さん、手話がわかるんですか?」
「え、えぇまぁ」
翼がそう答えると、楓と彼のとなりにいる羽月がとても意外そうに驚いた。

「翼くん、どうして手話がわかるんや!?」
羽月が鼻息を荒げながら翼に尋ねる。
「いや……昔大学にいるときに、サークルでちょっと福祉系のボランティアをやってたことがあって、そこでたまたまちょっと覚えたんだ。そんなにわかるってわけじゃないけど」
「福祉のボランティアを」
「えぇ。そんなに変でしたか……?」
「いいえ、性格の良いホストさんだとは思ってたんですけど、まさか手話を理解されてるなんてホントに意外だったもので」
楓は感心そうに翼に言った。

「ホンマや。翼くんすごいんやなぁ!」
翼の隣にいる羽月も、感心の言葉を彼にかけた。
「いや……そんな」
翼は、ほのかに顔を赤らめた。
「あれ、翼くん顔赤いで」
「仕事でもだけどちょっと飲んだからかな」
そう言いながらも、翼は照れを隠すかのようにジョッキのビールを口に移していった。

「フフッ、でもうれしいわ」
「えっ?」
「翼さんが手話をわかるって聞いてちょっと意外と言うかうれしくてね」
「ママさん」
「翼さんがもしよかったらでいいんですけど、もしまたお店にいらしたときには美空の話し相手だけでもなってあげて下さいますか?あの子、今までそのことで辛かったと思うんです……」
楓がそう頼むように言うと、翼は「えぇ」と返しながら首を縦に振った。
「ありがとうございます」
楓は改まるように翼に頭を下げる。

「何か今日は翼くんばっかしカッコえぇな」
羽月が少し膨れたように横で呟いた。

「あのなぁ……」
「あぁ、わかっとるよ。美空ちゃんのことに関しては別やけど……何や、ホストとしても差をつけられたような気持ちになってな」
「何だよそれ、それでも君の方がお客さんの数はいるだろう。俺はやっと一人掴んだだけだ」
「せやけど、愛菜さんみたいなすごいお客さんてわけじゃない」
羽月はどこか寂しそうにそう呟いた。
翼は、話しているうちに彼のそんな表情が垣間見れることに対し、珍しいとさえ思い始めた。

「わざわざ俺が言うことでもないが、今日は君の誕生日じゃなかったのか?そんな日くらい仕事のことは忘れたらどうだ」
「うん……そうやな。ゴメン翼くん、お料理温かいうちに食べよっ。うん、ママさんのサバミソめっちゃおいしいわぁ!」
羽月はその場に生まれた雰囲気を半ば無理矢理ごまかすように言った。
しかし、翼は不意に彼が見せたその寂しそうな表情が、どこか気になっていた。

 
 

約2時間後-。

「そろそろ行こうか」
翼がそう言うと、羽月もうんと頷いた。
「そうやな、ママさんお会計ぃ!」
「ハイ、ありがとうございます」
会計を済ませると、翼と羽月はコートを羽織り始める。

「今夜も寒そうやな」
「今日はどうもありがとうございました。お気をつけて帰ってくださいね!」
「すいません、遅くまで」
翼と羽月が外に出て行こうとすると、そこに美空がスタスタとやってきた。
すると、翼に向かい手話をしてみせた。

『ドウモ、アリガトウゴザイマシタ』

翼はそれを理解したのか、軽くニコリとして美空に話し掛ける。
「こちらこそごちそうさま。あのお通しの肉じゃが、美空ちゃんが作ったんだってね?とても美味しかったよ」
『マタ、食事ニ来テクレマスカ?』
美空がそう言うと、翼は無言で頷いた。
彼女はそれを見て、嬉しそうに笑顔を見せた。

「じゃあ、また来ます」
「ごちそうさまでしたぁ、ママさん美空ちゃんまた来ますぅ!」
そう言って、翼と羽月の二人は"楓"後にした。

「いい方が来てくれたわね」
楓がそう言うと、美空は笑顔でコクッと頷く。
翼達の背中が見えなくなるまで、美空は寒い中ただずっとそこから彼らを見送っていた。





「美味しかったなぁ」
「あぁ」
翼と羽月は、そう言いながら帰りの道を歩いていた。
「翼くん、ホンマに今日はおおきに」
「何だよ改まって。もういいってそれは」
「俺……こんな風に誕生日誰かと一緒に過ごしたの、久しぶりやったから…」
羽月は、ふと寂しそうにそう呟いた。

「久しぶりって……他に友達だっているだろう?」
「友達はおってもな、さっきも言うたけど今までそうゆう境遇やなかったから」
「……」
羽月にそう言われ、翼はただ黙るしかなかった。



『こいつ……』
翼は心の中でそう呟いた。









それは約1時間前-

まだ二人が"楓"にいるときのことだった。

「翼くんは何でホストになったんや?」
羽月は唐突に翼に尋ねた。
「どうしたんだよ、いきなり…」
「いや、みんなホストってそれぞれ野望持ってなるもんやろうなってな。今日愛菜さんの指名とった翼くん見て、死に物狂いって言うんかな……。翼くんには何かしらあるって思うたわ」
「……」
「あっ、別に答えたくなければえぇで」
「俺は……」
翼は少し俯きながら黙ると、口を開いた。


「俺は自分を認めてもらうため、かな」
「自分を認めてもらうため?」
「あぁ。君もあの時の俺の失態でもう何となくわかってるかもしれないが、俺はすごい不器用だからな。あの時に限らず今まで数多くの失敗をしてきた……。いや失敗ばかりだった」
「翼くんにもそんなことがあったんや?」
「まぁあんまり詳しいことは言えないけど、ホストって世界は自分の本当の力を証明してくれるし、何より自分を変えてくれるような気がしてね」
翼はどこかはにかむように言った。
そして、話を返すように羽月に尋ねる。

「君はどうしてホストになったんだ?」
「あっ、俺?」
「あぁ、君はわざわざ京都の方から来たんだろ?だから-」
その時、翼の言葉は止まった。
そう言いかけながら彼が見たその時の羽月の表情が、それまでの明るいイメージからは想像もできないほど恐ろしく強張っていたからだった。
それを見た翼は、身体の奥からゾクッとするような感覚を覚えた。

「……どうした?もし言いたくなかったら-」
「翼くん」
「えっ?」
「翼くんは家族おる?」
「何だよ急に」
「俺はおらんねん」
「……一体何がどうしたんだ?」
酔いもあるのか、突然態度が一変したような羽月に翼は戸惑った。
しかし、羽月は続けた。

「俺……元々は東京に住んでたんや。10年前、家族がバラバラになるまでは……!」
「……!?」
「いや違うな、バラバラにされたんや……」
羽月の瞳に僅かに涙が浮かんだ。

「家族が、バラバラって……」
翼がそう言うと、羽月は食いしばった歯を見せながら怒りを込めながら言った。


「すべてあいつに、あの男に狂わされたんや……。アサカワカンパニーって会社の浅川って男に……!」
「!?」
羽月の突然の言葉に、翼は驚かずにはいられなかった。





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