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2-2

 
「すごいわぁ……俺すごいお店に入ったんやなぁ」
まだ場慣れのウェイター業務をしていた羽月は、驚きを見せる。
同じく翼も、その圧倒するような雰囲気にゴクリと息を呑む。

「翼っ!ちょっとすぐ来い」
佐伯が翼を呼んだ。
「何ですか?」
「今同伴で来たお客さんとこヘルプついてくれ」
「同……伴?」
「ホストが指名客と一緒に店入ることだ。今うちのナンバー1が来たから、そこな席についてくれ。A-1……あそこの角の席だ!」
「はいっ」
「元気よくな!」
「はいっ!」
佐伯に半ば喝を入れられるように、翼はA-1の席につくことになった。
「おぉ、ついに接客デビューやな翼くん!頑張ってぇや!」
羽月はこれからテーブルに向かう翼にエールを送るように言った。



翼は緊張する面持ちで、指定のテーブルに向かう。
今まで接客業をしたことのない彼にとって、そこに向かう一歩一歩がまるで険しい峠のように思える瞬間だった。
テーブルに着くと、そこには黒いワンピースに身を包んだ30代前半くらいの女性が脚を組んで座っていた。
その隣には一際整ったルックスにウルフヘアの一人のホストが。
二人も翼の存在に気付いたようだった。

「失礼します、翼です。こちらご一緒してよろしいですか?」
「どうぞ」
客である彼女は翼をヘルプ席へと促す。
「失礼します」
翼は一礼してから席へと腰をおろした。

「翼ってんだ?新人?」
女性の隣に座っているホストが翼に問い掛ける。

「はい、今日から入りました」
「俺は翔悟(ショウゴ)。ヨロシクな!」
翔悟は爽やかな笑顔で翼に言った。

「よろしくお願いします」
翼も相槌を打つように頭を下げる。



『翔悟さん……この人がここのナンバー1か』



翼はあらためて翔悟の姿を見てみる。
天馬にも劣らぬくらいの高級ブランドスーツやアクセサリーを身につけ、明らかに他のホストとは違うものを漂わせる彼は、自分がナンバー1と言わんばかりの雰囲気を持っていた。

「翼くんだっけ、あなたお酒は飲めるの?」
翔悟の客である女性が翼に話し掛ける。

「はい。あの、お名前聞いてもよろしいですか?」
「いつ私が質問していいって言った?」
「えっ……?」
彼女の言葉に、翼はピタリと止まる。

「ちょっと、ボーッとしてないで早く自分のお酒作りなさいよ」
「あ、すみません……」
翼は焦りながら自分のグラスに氷を入れる。
そして、テーブルに並ぶブランデーのボトルの蓋を開け、そこに少量注いでいきミネラルウォーターで割っていく。

「じゃあ、いただきます」
翼は手で添えたグラスを彼女と翔悟に向ける。
しかし二人は楽しそうに話し、翼の方を見向きもしようとしない状態だった。
「あのっ…」
翼がそう言うと、彼女は不機嫌そうに翼を横目で見た。

「何よ」
「いただきます」
「何勝手に飲もうとしてるのよ」
「えっ?」
「何勝手に飲もうとしてるかって言ったの」
「いや、だってさっき……」
翼がそう言いかけると、彼女は眉間にシワをよせながら顔を強張らせた。

「ちょっとあんた、新人のくせに客に何意見してんのよ!」
「えっ」
「えっじゃないわよ!」
「早紀(サキ)ちゃんまぁまぁ☆」
怒り散らす彼女…早紀を、横にいる翔悟がなだめるように笑って声をかける。

「そんなに新人いじめないでってぇ!」
「だってこうゆうトロいホストって見てるとイライラするのよね」
翔悟が笑って諭す中、早紀は横目で翼を見る。
翼は彼女からの視線から目をそらすようにお酒の入ったグラスを黙って見つめる。

「まぁまぁ☆翼は今歳いくつなんだ?」
翔悟が翼に話を振る。

「……24です」
「24……てことは俺の2コ上かぁ。前は何やってたんだ?」
「会社員です。営業やってました」
「会社員?会社員やってたのあなた?」
早紀が興味津々に話に割って入る。

「はい」
「月どんくらい稼いでたの?」
「……手取りで17万です」
「なーるほど……そりゃそんなにダサいわけだ」
「!?」
「だってそんな安物のスーツにネクタイピッチリしめてちゃ、ホストってより貧乏リーマンて感じよっ!」
早紀がそう言い捨てると、翼の表情は少しずつ屈辱感に歪んでいった。
その変化を早紀は気付いていなかったが、翔悟はそれに気付き始めていた。

「こ、これから勉強して少しずつ直していきます」
翼はそう言ったものの、その表情には元気さと笑顔は僅かも出ていなかった。
そこに追い撃ちするように早紀の言葉は続く。

「勉強したって無理よ。あなた暗いし……それに-」
早紀は言葉を止めると自分の口に煙草を差し火をつける。

「今私が煙草をくわえたのに火をつけないってどうゆうこと?ヘルプの役割じゃないの?」
「あっ……」
翼がハッとする中、早紀はゆっくりと煙を彼に向かって吹き込んだ。
煙が嫌味なほど翼の顔に充満していく。

「ゴホッ」
翼が軽く咳込むと、早紀はフーッと大きいため息をついて煙草を灰皿に置く。

「翔悟、私この子ダメ。ヘルプ変えてくれない?気分悪い」
「もぉ~しょうがないなぁ」
すると翔悟はスッと手を上げる。
それに気付いた佐伯は、A-1テーブルにやってくる。

「何でしょうか?」
佐伯の問いに、翔悟は指であるサインを送る。
それを理解した佐伯は、直ぐさま翼の肩を触り席を外すように指示をした。

「失礼します……」
翼は今すぐ出そうな憤りを何とか隠すように、その場を後にした。
「はい翼くんでしたぁ~☆」
そんな彼を送るように…そして場の空気を崩さないために、翔悟は明るく振る舞っていった。



「おい翼、お前あのお客さんに何を言ったんだ!?あんなに怒らせやがって!」
佐伯は厳しい口調で翼に詰め寄った。
「いえ、僕は何も……」
「言い訳はいい!あの人はナンバー1翔悟の最も太いお客さんなんだ……売上に影響するようなことするんじゃないっ!」
「……すいません」
翼を叱咤する佐伯の様子に、近くにいる羽月と数名のホストが横目で覗いていた。

「あ~あ……あの翼ってやつ何やらかしたんだ?」
「翔悟さんの客怒らせたらしいぜ」
「マジ?歳いってるのにそりゃありえね~べ」
ホスト達がそんな風に話している中、羽月は心配そうにそんな翼を見ていた。

「羽月っ!」
「へっ!?」
佐伯が羽月を呼んだ。

「お前次A-1の翔悟のヘルプに行ってこい」
「は…ハイッ!」
羽月は嬉しそうに返事すると、直ぐさま指定されたテーブルに向かっていった。

「どうも失礼します、羽月ですぅ!ご一緒さしてもらってもいいですかっ☆」
羽月は翔悟と早紀に明るく話し掛けるように席へと入った。

「あらっ、今度は明るい子ねぇ。とゆーか身長いくつあなた??」
「188ッス!お飲みものをいただいていいですかぁ?」
早紀からの反応もまぁまぁである。

「羽月だっけ。君も今日から?」
翔悟が羽月に問い掛ける。

「ハイッ!ナンバー1翔悟さんのヘルプにつけてめっちゃうれしいですわぁ」
「なまってるけど、関西の方出身なの?」
「東京生まれの京都育ちです☆あ、お酒作りますねぇ!」
羽月は内心緊張しながらも、つねに元気だけはなくさまいと笑顔の接客に努めた。
話も少しずつ盛り上がり、翼のヘルプで下がった雰囲気は少しではあるが盛り返していた。
そんな光景を、翼は雑用をしながら口惜しそうに見ていた。



『くそっ、こんなんじゃ……』



初日に関わらず、羽月が接客で上手くいっていることで翼の中に新人特有の小さな焦燥感が生まれ始めていた。
会社員とは違い、ホストになればだれでも簡単に稼げる……心のどこかでそう思い込んでいたのもあり、悔しさや憤りは膨らんでいくばかりだった。

「どうしたんだ」
「あっ……」
考え込んでた翼の横から、天馬が声をかけてきた。

「どうだホストとしての接客デビューは?」
「いえ……」
「その様子だとあの翔悟の客にこっぴどく言われたらしいな」
「はぁ……」
「まぁ新人ならよくある話だ。次からは気をつけろ、ヘルプも大事な仕事だからな。それと顔に出てるから店の中……特に客の前では絶対に出すな」
「はい」
天馬の言葉に、翼はコクッとうなずく。
天馬もそれに対して軽く笑顔になる。

「あぁそうそう」
天馬は何かを思いだしたかのように言った。

「もうすぐあるフリーの客がくるんだ。佐伯にも話通しとくから、翼お前後でそこに羽月とつけ」
「あ、はい」
「元気足りねぇぞ?」
「はいっ!」
「よしっ、お前基は全然悪くねぇんだからしっかりやれ」
天馬は翼の肩をポンと軽く叩き、フロアの各テーブルへの挨拶へと向かっていった。



『社長……』



天馬の思いがけない励ましに、翼の気持ちはどことなく軽くなっていた。
さすがカリスマホストだと納得せざるを得ない…そう考えさせられていた。



『俺もいつか、あんな風に……』



翼の中に新たな何かが目覚めようとしていた。



「いらっしゃいませっ!!」
店内のホスト達の声が、一人の客を【Pegasus】へと招き入れる。

「いらっしゃいませ愛菜様、今日もご来店ありがとうございます」
佐伯が愛菜を迎え入れる。

「こんばんはっ。いいの、今日は天馬の頼みだから特別よ」
「今日もまた素敵な御召し物で」
「やだぁ佐伯さんたらっ!」
淡いパープルのドレスに身を包んだ愛菜の雰囲気は、店内に入るとやはり一際目立っていた。
その姿はもちろん翼の目にも留まっていた。

「綺麗な人だな……」
翼は思わずそう漏らした。

「翼っ!今来たC-1のお客さんのとこにつけ!」
佐伯の突然なまでの指示に、翼は驚く。

「えっ!?」
「羽月と二人でつける。すごく大事なお客さんだ、さっきみたいなヘマはするんじゃないぞ?」
佐伯はそう言うと、直ぐさまA-1のヘルプについている羽月を呼びに行った。



『俺が、あのお客さんに……?』



翼の胸中は妙なほどなまでに高まった。
そんな気持ちのまま、彼は愛菜の待つC-1テーブルへと歩いていった。
ざわめく店内の喧噪も先程の翔悟のヘルプの失敗も全く気にならないほど、翼の気持ちはとても高ぶっていた。
気がつくと、いつの間にか翼はテーブルの前に立っていた。
ソファーに座っている愛菜も彼の存在に気がつくと、ニコッと微笑む。

「どうもこんばんは、翼です!こちらご一緒してよろしいですか?」
「どうぞっ」
愛菜は快く翼を自分のもとへと迎え入れた。





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3-1

 
「失礼しますっ!」

翼はそう言って愛菜の向かいのヘルプ席に腰をおろした。
「翼くんていうんだ?」
「はい!」
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ」
「あ、はい」
翼の初々しい仕草に、愛菜はフフッと笑う。

「失礼しますっ!」
翼の後ろから一人のホストが元気に挨拶をした。
羽月だ。

「羽月です、ご一緒さしてもらっていいですかぁ!」
「どうぞっ」
愛菜は弱冠妙な緊張をしている羽月のことも快く受け入れる。
羽月もニコッとしながら、翼のとなりに座った。

「羽月くんかぁ……君すごく元気いいね。昨日そこの通りで一人ではしゃいでたでしょ」
「あ、いやー……恥ずかしいとこ見られちゃって……」
羽月は愛菜に対して照れ笑いをしながら頭をかく。

「対照的に翼くんはクールだね?」
愛菜はパッと話の先を翼に変える。

「いえ、そんな。まだ全然慣れてなくて緊張しているだけです」
「緊張してる……か。あんまりダメよ、お客を楽しませるホストが内面必要以上に見せちゃ」
「はいっ」
「翼くん、愛菜さんがすごく綺麗だからすごく緊張してんですよぉ!あ、僕もですけど☆」
翼をたしなめる愛菜に、羽月が軽くフォローするように話に入る。

「あら、そうなのぉ?」
「いや~彼の言う通りかもしれません!愛菜さんみたいな人初めて逢ったから」
翼は恐らく今までの人生で言ったことはないであろう歯の浮くような言葉で切り返した。

「ふーん、そうなんだぁ」
「愛菜さんは今日はお休みなんですか?」
今度は翼の方から話を切り出した。
その際に、ブランデーの水割りが入ったグラスを差し出す。
「うぅん、ホントは今夜仕事なんだけどちょっとわけあって今日は特別にお店抜け出してきてるの」
「お店?」
「うんっ」
「もしかしてぇ!」
羽月の声が浮き立つ。

「愛菜さんてキャバ嬢さんか何かですかぁ?」
「おいっ」
羽月の言葉を翼が遮る。

「へっ?何翼くん」
「女の人にいきなりそうゆう聞き方はないだろ」
「あっ……」
羽月はハッとした。
ついつい『してはいけないこと』をしてしまった。
 

「す、すんません愛菜さん!」
「いいわよ、そんな気にしないで。ただね、私じゃなかったらすごく怒られちゃうかもだから気をつけなさい」
「はい……」
愛菜の注意で羽月も珍しいばかりに軽く意気消沈する。その話をすぐ改めるように、彼女は続けた。

「まぁそう。私は近くのお店でキャバをしてるの。自分で言うのもなんだけど、これでもお水の世界ではちょっとした有名人なのよ。二人とも歌舞伎町は初めてっぽいから知らないかもしんないけど」
「はぁ」
翼は愛菜に対してどこか気の抜けたような返事をする。

「すごい人だったんですね、愛菜さんは!」
一方の羽月は、はしゃぐように愛菜に言った。

「フフッ」
愛菜がクスッと笑う。

「羽月くん、あなたってホントにストレートって言うかわかりやすいのね。おもしろいわ」
「いやぁ~!」
羽月は照れながらも笑っていた。
ホスト一日目にしてこれだけの美人で気品溢れるステキなトップキャバ嬢と話している……彼にはそれで胸いっぱいになるくらい、非常にうれしいことだった。

「翼くんはあまり私に興味なさそうね?」
「えっ?」
愛菜が翼に尋ね出した。

「普通ホストならここで羽月くんみたいに明るく盛り上がるんだろうけど」
「いや、興味ないなんてそんな……」
「別に怒ってるわけじゃないわよ。ただ-」
愛菜は翼に何かを言いかけると、ハッとしたように言葉を止めた。

「愛菜さん?」
「あ、うぅん……なんでもないわ。ただね、女の子は少なからず夢心地を味わいにここに来るんだから、あんまり暗い顔しちゃダメよ。天馬のやつからも言われるでしょう?」
「はい……え?愛菜さんは社長とお知り合いで?」
「へっ?」
愛菜のサラっとした発言に、翼と羽月はキョトンとしながら彼女を見る。
すると愛菜は軽くニコッとすると二人に対して口を開いた。
 

「そうよ。私はここの天馬社長が独立前に現役でプレイヤーやってたときの客なの」
「!」
翼と羽月は目を丸くしながら絶句した。

「フフッ、そんなに驚かなくてもいいでしょ」
「いや~」
羽月は驚きを少しでも自分から取り除くように、グラスの中をクイッと飲み干す。
そんな中、翼は愛菜に問い掛け始めた。

「あの、愛菜さん一つ聞いてもいいですか?」
「うん、いいわよ」
「えっと……天馬社長みたいなすごい人を指名してた女の人が、何で僕らみたいな新人を?」
「翼くん、ええやんそんなん。せっかく愛菜さんが俺ら呼んでくれたのに-」
羽月が翼を咎めようとしたとき、愛菜が割って入るように口を開いた。

「理由は簡単よ。天馬に頼まれたの。ってより、私が前から天馬に頼んでたって言った方がいいかもね」
「社長に?」
「えぇ。私、彼が現役を退いて独立して経営側になってからも、彼を応援したかったからしばらくずっとこのお店でフリー客として通ってたの。でも、ナンバー1の翔悟も含めても中々いなくてね……。天馬と同じくらい魅力のあるホストが」
「それで社長さっき僕らを」
「そう。それで久しぶりに入った新人であるあなたたち二人を今付けさせてもらったの」
愛菜は淡々と二人にいきさつを話していった。

「でも新人の俺らが天馬社長みたいなカリスマと同じくらいになんて恐れ多いですわ。ましてや今日入ったばっかりですしぃ」
羽月がそう言うと、愛菜は再びサラっと言葉を返した。

「あら、誰だって最初はそんなもんよ。あの天馬だってそうだったんだし」
「社長がっ!?」
羽月は思わず声を上げた。愛菜はプッと笑いながらも続けた。

「そりゃそうよ。天馬も今でこそはあんな冷静だしカリスマとも言われてるけど、昔……っても2年くらい前私が指名し始めた頃は、すっごいがむしゃらで不器用だったのよ。まぁ、私や他のお客が磨いたからってのもあるんだろうけど、彼は今のホストにはあまりないような凄まじいまでの努力家なの」
「そうなんだぁ」
羽月が静かに驚く。愛菜はさらに続けた。

「今のホストもすごい魅力的ではあるんだけど、当時の天馬みたいなあの『必ず成り上がってやる!』みたいな気合いと独特の魅力がないのよね」
「そうだったんですか」
「言うとね、今夢である経営者になって忙しい天馬に代わるホスト……つまりいずれ天馬のように大きくなる後継者みたいなホストを指名したいのよ」
愛菜はそう言うと、煙草を一本取り出した。
すかさず翼と羽月がそれに火を点そうと同時にライターの火をつける。

「フフッ、二人とも今の話でちょっとは私に燃えたのかしら?」
愛菜はとりあえずな感じで羽月が点した火にくわえた煙草を近づけた。

「フー……。まぁ、私は今日今すぐあなたたちを指名するわけじゃないから安心してね?もしかするとあなたたちじゃないかもしれないんだしね」
愛菜は意地悪そうに二人にそう言った。
その際に、彼女は気付かれないようにうまく翼を特に観察していた。



『この子……やっぱり……』



愛菜は心の中でそうつぶやくと、たまたま通り掛かった佐伯に話し掛ける。


「佐伯さん!」
「何でしょう?」
「ここにピンク入れて!」
「かしこまりました」
佐伯はそう言うと、すぐにその場からスタスタと歩き去っていった。

「あのぉ愛菜さん、ピンクってもしかして……?」
翼が愛菜に問い掛けると、彼女は無言でうなずいた。

「それくらいはテレビとかで知ってるでしょ?シャンパンの王様、通称ドンペリ。これからホストでてっぺん目指そうと思ってるなら、まずこの味を知っておきなさい」
すると、佐伯の手によりすぐにドンペリ・ピンクが到着した。
三つのフルートグラスになみなみと注がれる淡い輝きに、翼と羽月は一つの驚きを覚える。

「じゃっ、いただきましょう」
「ハイッ」
「カンパーイ!」
愛菜・翼・羽月の三人は、クイッとフルートグラスの中を口に注いでいく。
飲み終えると、愛菜はクスッと一笑いをした。
まるでそれが、何かを決定付ける彼女の意志のように……





数十分後-

「じゃあ私はそろそろ帰るわね」
翼と羽月に導かれ、愛菜はエントランスへと歩いていく。
「今日はどうもね」
愛菜は二人に軽いウインクをする。

「いえっ、こちらこそ」
「愛菜さん、また近々遊びに来て下さいねぇ!」
翼と羽月もそれぞれ彼女に言葉を返した。

「あぁそうそう!」
愛菜が何かを思い立ったように言った。

「二人とも……ホストらしく頑張るのもいいけど、自分の芯だけはしっかり持たなきゃダメよ。……短い時間だったけど楽しかったわ。それじゃあね!」
「ありがとうございましたぁ!!」
エレベーターの中に消える愛菜を、翼と羽月は大きな声で送り出した。

3-2

 
PM 11:30-

「お疲れ様でしたぁっ!!」
その挨拶とともに、【Club Pegasus】のこの日の営業は終了した。

「はぁぁっ……」
羽月が糸が一本切れたように深いため息をつく。彼の脇にいる翼も、初日のせいもあり疲れた表情を見せていた。

「よぉっ、お疲れさん」
「えっ?」
二人に声をかけてきたのはナンバー2の光星だった。

「お、お疲れ様です」
「どうよ、ホスト初日は?」
「いやぁ~思ってたより大変とゆーか」
羽月は疲れながらも明るい声で光星に言った。

「どうだ……これから店の奴らで飲みに行くんだが来いよ?」
「あ、ハイっ!」
光星の誘いに、羽月は快く返事をする。

「……お前は?」
光星はついでと言わんばかりに翼に声をかけた。

「いえ……せっかくのお誘いですが、俺は今日は帰らせていただきます」
翼は光星の誘いを断った。
すると、光星は一瞬表情をムッとさせると、「行くぞ」と羽月に声をかけその場を後にした。

「あっ……じゃあ翼くん、お疲れ様ぁ…!」
羽月は翼にそう言うと、光星の後を追うようにそこから走り去っていった。



『苦手なんだよな……職場の大人数での飲み会は
翼はそう思いながら、帰るためにとエントランスに向かった。
 

「翼」
「えっ?」
翼の後ろから誰かが声をかけてきた。
ナンバー1の翔悟だ。

「お疲れ」
「お疲れ様で-」
すると突然翔悟は翼の服を強く掴みにかかった。

「!?」
気がつくと、彼の右膝は翼の腹部に勢いよく槍のように突き上がり、僅かな鈍い音をたてていた。


「ぐっ……!」
突然の自らの体への衝撃に、翼は濁った声を漏らしながら膝から崩れ落ちた。

「がはっ……けほっ……」
翼は腹を抱えながら自分の目の前に立っている翔悟の顔を見上げた。
彼は営業時とはまるで別人のような恐ろしく鋭い眼光で、翼を見下ろしていた。

「なっ……」
「なっ……じゃねぇよ、翼」
翔悟のドスの効いた低い声が響き渡る。
それにより、ホスト数人かが何事かとその光景をやじ馬のように見始めていた。

「お前……今日みたいな接客で早紀が店こなくなったらどうするつもりだ?」
「げほっ……。いや、俺は何も……」
その時、翔悟は翼の襟首を両手で掴み、しゃがんでいる彼を無理矢理立たせるようにグイッと持ち上げた。

「何も、じゃねぇんだよ。お前がどうとかじゃなくて結果客の気分を害させたことを聞いてんだよ?」
翔悟はさらに両手に力を入れる。

「す、すいませんでした……」
翼は痛みで苦渋の顔をしながらそう言った。

「今度あんなありえないヘマしたら、こんなもんじゃすまないからな」
翔悟は翼を睨みながらそう言うと、彼の襟首をドンと突き放し無言でその場を後にした。
翼はヨロッとしながら、ひとつ大きなため息をつく。

「君、翔悟さんとか光星さんをあまり怒らせない方がいいぞ」
そう言って後ろから翼の肩をポンと叩いたのは、ナンバー3の由宇だった。

「じゃあお疲れ」
「お、お疲れ様です……」
由宇は軽くニコッと挨拶すると、すぐにエントランスから消えていった。



『くそっ……』



何も言わなかったものの、翼の心は苦渋の感情に充ちていた。
そんな気分で彼が帰ろうとしていたその時だった。

「翼!」
エントランスを出ようとした彼を天馬が呼び止めた。
 
「社長…お疲れ様です」
「お疲れ。どうだった今日は?」
「何とか…」
「元気ないな。そんなんじゃ、ホストは務まらないぞ?」
「はい、すみません……」
「よしっ、じゃあまた明日な!」
「お疲れ様でした……!」


翼は天馬に挨拶をすると、そのままエントランスを出てホスト一日目に終わりを告げるようにビルを下りていった。

ビルから下りた翼は、一本の煙草に火をつける。

「くそっ……あんな年下のやつらに……!」
翼は煙草の煙を口からはきながら、道ばたに落ちている空き缶を八つ当たりするように蹴り飛ばした。
「カンカーン」と軽い音がネオンの中を虚しく響かせる。

「はぁ……はぁ……」
よほど疲れたのか腹立たしいのか、それだけの一瞬の動作でも翼は激しく呼吸を乱す。

「翔悟……あいつ……!」
翼は恐ろしいまでの目付きでそうつぶやく。
すると、目の前の電柱に勢いよく右手の拳をたたき付けた。

「ぎっ……!」
電柱からの『ゴッ』という鈍い音が、さらに翼の表情を険しくさせる。

「あの客の女も気に入らないが……あの野郎……」
翼は再び拳を電柱へとぶつけた。
もう一度、さらにもう一度…彼は自らの右の拳をその電柱へと何度も何度も打ち込んだ。
その度に鈍い音がさらに鈍さを増して虚しくこだまする。
打ち込み続けた電柱には、赤い痕跡が生々しく残っていた。
それの出所は、痛々しいまでに赤く染まった翼の右手からなのは、どう見ても明らかだった。


「くっ……!」
翼は右手の動きをピタリと止めると、苦渋の表情を著しく示した。
「あいつ……翔悟……。翔悟ォ……ナンバー1だか知らないが俺が絶対に……!」
血で滲んだ右手をぶらりとふらつかせながら、翼は息を切らせるように翔悟への憎しみを口から漏らしていった。
するとふっと、その表情をニヤリとさせる。


「そうだった、暗くなってる場合じゃない。ホストは実力の世界……偉そうにしてるあの野郎を引きずり下ろしてやる……!それであいつをひざまづかせてやる!」
翼はその瞳に恐ろしいまでの何かを宿したように、再び電柱に目をやり右の拳をこれでもかと言う勢いで激突させた。

「今に見てろ……!!」
その真っ赤に染まった右手を握りしめ、翼はその場を離れるようにネオンの中を歩いていこうとした……その時だった。


誰かが翼の肩をトントンと叩いた。
「んん?」
翼が後ろを振り向くと、買い物袋を持った一人の黒いセミロングヘアの大人しそうな少女が立っていた。
年齢は二十歳前後くらいだろうか、彼女は大袈裟なまでに驚いた表情で彼の右手を見ていた。
彼女は翼のその怪我した右手をゆっくり指さしていく。

「あぁ、これね。いいんだ……て言うより、君は?」
翼がそう言うと、彼女は無言で肩にかけていたバッグからオレンジ色のハンカチとポケットティッシュを取り出した。

「……」
「へっ?」
彼女は翼の右手を自分によこすように、左手を差し出した。
翼もわけのわからないままにと、その血まみれの右手を差し出す。
すると彼女は、数枚のティッシュでこびりついた血を拭きだした。

「お……おい、そんないいよ君……!」
彼女の突然の行動に、翼は驚きながらそう言った。
しかし、彼女は彼の目をまっすぐ見つめ首を横に2往復振る。
「……」
翼はそんな彼女の行動を不思議と思いつつも、黙って見ていることにした。
彼女はティッシュで血を拭き終えると、そこに絆創膏を貼り、さらにその上からオレンジのハンカチを包み込むように結んだ。

彼女は『これでよし』と言わんばかりに、笑顔で縦に首を振った。

「あ、ありがとう」
翼は応急処置されたその右手を見ながら言った。
彼女もニコッとしながら彼の顔を見つめる。
「ホントにありがとう。これ-」
翼がそう言いかけると、彼女はペコッと頭を下げその場をスタスタと歩いて去っていった。
 
「あっ……」
翼はしばしそこに立ち尽くした。



『何だったんだろう、あの女の子』
翼はそう思いながら、右手に縛られたハンカチと消えゆく彼女の背後を交互に見続けていた。
「……」
翼はふと何度も殴り続けた電柱を見た。
自分の右手と違い未だ赤く染まったそれは、数分前の憎しみの感情に燃えていた自分の象徴のようにも見えた。



『また明日から仕事だ。俺は必ずあの店で成り上がってやる……!』

翼はそう誓い、ネオンに輝く歌舞伎町からの帰路へとつこうとしていた。
その瞳に、さらなる闇を宿しながら-。





                                                   第4章へ

4-1

 
翼と羽月が【Club Pegasus】に入店して一週間、二人は少しずつではあるがホストの世界に慣れはじめようとしていた。
しかし、肝心の女性客からの指名と言う点では、如実差が開き始めていた。


「羽月やったな!この一週間でもう二人の指名客をつかんだな」
「いや~社長や皆さんのご指導のおかげですぅ」
嬉しそうに自分をほめる佐伯に、羽月は照れながらも嬉しそうに答える。

「その調子で、どんどんいけよ!」
「ハイッ、ありがとうございますぅ!」
まだ京都訛りの抜けない元気な声は、店中に大きく響き渡った。

「羽月すげぇな。入店二日目で一人指名とって、一昨日で二人目だもんな」
「あぁ、あいつ若いし身長高いし女ウケもいいもんな」
周りのホスト達も、少しずつホストとしての芽が出てきた羽月を評価し始めていた。
だが一方の翼はと言うと、この一週間でまだ一人の指名をも取れずにいた。


『くっ…』


羽月の元気な声が、複雑に彼の心に突き刺さる。
入店わすが一週間などまだ新人だが、同期の羽月が順調に指名をもらっていくことに彼自身その差に焦らずにいれるわけがなかった。
もちろんそれにより、店内での自分への評価も羽月と比較された上でのものになっていく。
それらのことが、彼の心を大きな焦燥感として煽っていた。
そんな彼を周囲がどう思っていたかと言うと……。


「まぁ羽月はいいとしてもよ、あの同期に入ったって奴どうよ?」
「あぁ……翼だっけ?」
「あぁ~。あいつは……なぁ?」
「顔はいいんだけど、無愛想だし付き合い良くねーし、なんか固いってか絡みづらいんだよな~」
「翔悟さんたちからのいい風に思われてないしな。仕事もそんなできてるってわけじゃなさそうだし」

周囲からの翼への反応は、羽月へのそれとは全く逆のものだった。
翼本人も、歯を食いしばるようにそれを耳にしては耐えるように店での仕事に勤もうとしていた。


「いらっしゃいませぇ!!」
【Club Pegasus】は今日も開店と同時に、多数の女性客が店内へと入っていく。
学生・OL・サービス業など、様々なタイプの女性の姿がそこにはいた。
ナンバー1の翔悟をはじめ、ここのホストに何かを求め彼女達はやってくるのだ。
雑用を主にしている自分と、ソファーで高級酒片手に女性と楽しげに話している……翼は今の現状に天国と地獄とさえ言っていいくらいの落差を痛いほど感じていた。



『くそっ……これじゃ会社のときと何ら変わらない……!』



翼の中の不安や焦りは、時間と比例しながら少しずつ膨らんでいった。



「翼!A-3ヘルプだ!」
佐伯の声が翼を呼ぶ。

「はいっ」
翼は雑用で汚れた手をサッと洗うと、直ぐさま指定のA-3テーブルへと向かった。

「おい!こっちだ!」
翼を誰かが招いた。
ナンバー2の光星である。
そこには、彼のお客らしき20代前半くらいのギャル風の女性と、同じ歳くらいのもう一人おとなしめな女性の姿があった。

「失礼します、翼です!」
「おう、座れ」
光星は翼をヘルプ席へと招き入れる。

「えっと翼だっけか?」
「はい」
翼と光星の会話は最初そんな平淡なものだった。


「翼くんて言うんだ?新人さん?」
光星の指名客らしきギャル風の女性が、翼に話し掛ける。

「はい。えっと、お名前伺ってもよろしいですか?」
「あたしは果穂(カホ)、よろしくね。んで、こっちのおとなしい子は友達の梨麻(リア)ね」
「どうも…」
光星を挟んで彼の反対隣に座る梨麻という名前の女性は、ミニスカートなどの露出の多い服装の割には妙なほどおとなしい反応を示した。

「よろしくお願いします!」
翼は彼女達の挨拶に習うように、頭をペコリと下げた。

「まぁ飲めや」
光星は、ブランデーの入ったボトルを手に取りその口を翼に差し向けた。
「いただきます」
翼はアイスを入れた自らのグラスをそこに差し出す。
トクトクと注がれる茶色い輝きを放つブランデーは、勢いを止める事なく翼の手にあるグラスを充たしていった。

「えっ……」
翼は一瞬声を漏らした。てっきり半分くらいいれて後はミネラルウォーターでそれを割るものと思っていたからである。

「まぁ飲めや」
光星は先程と同じ言葉を淡々と言うだけだった。
そう話す彼の前で、翼はあらためて自分の手にあるグラスに視線をやった。
明らかに40度はあるだろう高アルコールの臭いとが濃いまでのブランデーの色が、彼の嗅覚と視覚を著しく襲っていた。

「光星さん、ロックこんなに……ですか?」
翼は息を詰まらせるように光星に尋ねた。
一方の光星は当然とでも言うように首を縦に振る。
その際に彼の口元がニヤリと形を変えたのが、翼にさらなる緊張感を与えた。

「早くぅ、飲んでよぉ~」
向かって光星の左隣にいる果穂が、とどまっている翼をさらに煽った。

「お前新人だろ?新人ヘルプは少しでも多く飲んでくのが仕事なんだよ!」
光星は見下すような目付きで翼に詰め寄る。
 

「……」
翼は黙ってゴクリと息を呑む。
そして意を決したように、満たんのグラスをそのまま口に持って行った。

「おぉ~」
光星と果穂は、特に驚くわけもないように同時に声を出す。

「んぐ……んぐ……」
微かに声を漏らしながら、翼はグラスの中身をやっとの思いで消化していった。
 
「ぷはっ」
翼は思わず勢いよく息を吐いた。
「翼くんカッコイィ~♪」
果穂の黄色い声がその場に響き渡る。
「どうも……いただきましたっ!」
翼は急なアルコールに酔いを感じながらも、何とか振り絞った笑顔で言った。
その光景を、もう一人の客・梨麻が神妙な表情で黙って見ているなど知らずに。


「よしっ」
光星は当然のようにボトルを持ち出し、その口元を翼に再び差し向けた。
「えっ……?」
翼は目を疑った。

「えっ、じゃねぇよ。ホラ」
「いや……さっき……」
「俺がさっき言ったことをもう忘れたか?」
光星はドスの効いた声を翼に突き刺す。

「ヘルプは飲むのが仕事……だよな?」
そう言うと、光星の手にあるボトルの中身は強引の如く翼の右手にあるグラスに注がれていった。
やっとの思いで飲み干したものが、再びグラスを茶色い輝きに染めていく様を、翼は信じられないとでも言うような表情で見ていた。
 



それから30分後-。

「ほれほれ!翼~早く飲めよ!」
「翼くーん!まだまだ飲めるよねぇ~☆」
光星と果穂の煽りは全く留まることなく、さらにエスカレートしていった。
その間すでに6杯、翼はグラスに次々と充たされていくブランデーを飲み干していった。

「くはぁ……はぁ……」
翼はその顔を通常とは比べものにならないほど赤らめ、を苦悶の表情を浮かべながら呼吸を乱していた。

「はぁ……う……」
「おい翼ぁ!まだまだだぁコノヤロォ!」
「翼くーん!もう終わりなのぉ!?だっらしなぁ~い」
ほろ酔いもあるのか、光星と果穂は罵倒するように翼に言葉を発した。

「ねぇ果穂ちゃん……」
それまで、横で静かに黙って見ていた梨麻が口を開いた。
「梨麻~どうしたのぉ?」
「もぉそのへんにしてあげようよ…翼さん、辛そうだし」
梨麻はおとなしげな口調ながらも、果穂に制止を促した。

「ちょっと~梨麻どうしたのよぉ?一度ホストクラブ行きたいってからせっかく【Pegasus】に連れてきたのにぃ……楽しくないのぉ!?」
「楽しいよ。楽しいけど……これじゃ翼さんが……」
梨麻は横目で翼を見ながら言った。
しかしこの一言が笑っていた果穂の表情を恐ろしいまでに一変させた。

「ちょっと梨麻アンタ!誰の金で今日飲めてると思ってんのよ!」
「まぁまぁ、落ち着けよ果穂」
「光星は黙ってて!ちょっと梨麻、だったらあんた帰りなさいよ!誰の金でこーゆーところで高いお酒飲めると思ってんのよ」
果穂は間に入る光星をさえぎりつつ、さらに梨麻につめよった。

「だって……」
一方の梨麻も、果穂の勢いに押されたのか半分俯いたまま黙ってしまった。

「おいおいやめろって二人ともぉ」
「光星!あんたどっちの味方なのよっ!」
「果穂ぉ~」
酔った勢いもあり大声で怒鳴り付ける果穂に、光星も少したじろぐ。
しかし、彼は一瞬にして目を鋭く変化させ、その視線の標的をへばりかけている翼へと向けた。

「おい翼っ!もとはと言えば、お前がそんなだらしねぇ感じになってるからだろうが!!お前が空気読まねぇせいで果穂と梨麻ちゃんがケンカしてんだよ!!」
光星はまるで八つ当たりでもするかのように翼に大声を浴びせた。

「ケホッ…ケホッ…」
「ケホケホじゃねぇんだよ!!オラ飲めよ!!」
「光星さん!もうやめてあげて下さい!翼さんもう辛そうなのに、何でそこまでさせるんですか……!」
「梨麻ちゃん、悪いけどこれがホストなんだよ」
光星は梨麻に視線を合わせずそう言って立ち上がると、自分の向かい側にいる翼の襟元を左手でグイッと掴みだした。

「ちょ……光星……さん」
翼は酔いながらも驚きの表情を見せる。
しかし、光星は止まらない。
「お前の仕事は何だ?えぇ?」
翼の襟首を掴む彼の反対の手には、いつの間にか飲み続けていたブランデーのボトルがあった。
「ちょっと……光星さん?!」
梨麻の表情が緊張で強張る。

「これがお前の仕事だろうがっ!!」

4-2

 
その時、「ガッ」という鈍い音がした。
気付くと、光星はボトルの注ぎ口を無理矢理翼の口に突っ込んでいた。
「うぐぇ……!」
「ほら、飲めよ!!」
「飲め飲めぇ~!」
果穂の煽りも手伝い、光星はボトルの中身を全て翼の体内に注ぎ込むかのように、右手のそれをグリグリと押し込んだ。


「うっわ、あれはきついぞ」
「さっすが光星さん、新人キラーだよなぁ。あの翼ってやつ、もうもたねぇかもな……」
他のホスト達が遠くからそう囁く中、光星の『新人潰し』は止まることなく続いた。
その光景は、周囲のテーブルにいる客やホスト達からの視線すらも集め、その中には光星を応援する人間さえもいた。

「光星!光星!光星~!!」
「ほーら新人君だらしないぞ~!!」
終いには、翼に対するヤジまで現れる始末になっていった。
「オラっ、飲め翼ァ!!」
光星の右手の力がさらに込められ、ボトルは翼の口の上で垂直にまでなるほど強引に押し込められた。
「いけいけ~☆」
「つ、翼さんっ!」
煽る果穂・心配する梨麻に見つめられる中、翼は赤い顔をさらに赤く染めその表情を苦しくしていった。



『うっ……』



その時だった。
翼は突然自分の中の何かがフッと失った感覚を覚えた。
気付いたときには、口に押し付けられたボトルを振り払うように顔を左右にグラグラと動かした翼が、ぐらりぐらりと不規則に揺れながら足元をもたつかせていた。
まるでスローモーションでも見ているかのように、翼はそのままの立っている体勢で横に体を倒していた。


「キャアアア!!」



「ちょっと何よこれぇ!!」


気付いたときにはすでに遅かった。
翼が口から振り払ったブランデーのボトルは、光星の手から離れ隣のテーブルへと真っすぐに飛んでいっていた。
それが着地した瞬間、「バリン」という弾けた音と同時にボトルはオシャレなデザインの面影が全く消え失せるほど、木っ端みじんに砕け散っていた。


しかし、騒ぎの出所はそれだけではなかった。
極度の酒酔いでフラフラになった翼は、ボトルが飛んでいった方の反対側のテーブルに、その体ごと放り投げ込むかのように沈んでいった。
翼の衝突が原因となり、そのテーブル上にあったアイスペールやグラス・灰皿などが見るも無惨に様々な音をたてながら散乱していった。


「ちょっと何よもう!!」

「服にかかったぁ~!!」

「やだ……ガラスで手ぇ切っちゃった……」

騒ぎのあったところで、女性客からの様々な痛々しい声が聞こえ始める。

「お客様、大丈夫でしょうか!?大変申し訳ございません!」
駆け付けた佐伯が、ざわめく中頭を下げに下げる。
そして、彼の視線の先には散乱したテーブルの上にまるで惨殺死体のように横たわる翼の姿があった。

「おい翼!お前…何をやらかしたんだ!お客様のご迷惑だ、さっさとここからどけ!!」
「ぅ……」
佐伯が大きな声で怒鳴るも、深い酔いのせいで翼の反応は微々たるものだった。
「翼!起きないか!!」
佐伯は、翼の頬を2、3回強く叩く。
「ぅぐ……」
翼の赤い顔は、体温を引いたように徐々に蒼くなっていった。

「光星、お前またどれだけ飲ませたんだ!?」
佐伯は今度は光星へと視線を変えた。
「別に…いつも通りですよ」
光星はフンと鼻を鳴らしながら言った。

「だからって、翼のこの酔いは普通じゃないぞ!」
「こいつが酒弱いくせに飲みたい飲みたい言うんですよ」
光星が佐伯にそう言い返したとき、となりにいた梨麻が信じられないとでもいいたげな驚いた表情を示す。
「信じらんない……こんなのがホストクラブだなんて……!」
そう言うと、梨麻はバッグを持って突然立ち上がった。

「ちょっとぉ梨麻ぁ、どこ行くのよぉ!」
果穂が、立ち上がった梨麻を止めるように気の強い声をかけた。
「もぉ……帰る」
「ハァ!?ちょっと待ってよ、だれのおかげで今夜飲めると-」
「じゃあいくら払えばいい!?こんなのじゃおごられても全然楽しくないっ!」
自分を制止しようとする果穂に対し、何かが切れたかのように梨麻が言い返す。
そんな彼女の一言に、果穂もビクッとしては黙ってしまった。

「……じゃあね」
梨麻はそう静かに言うと、テーブルに5万円置きバッグを持ってその場からスッと立ち去っていった。

「な……何よあれぇ!!超ムカつく!!」
すると、果穂はバッグから財布を取り出し、翼を抱えている佐伯に話しかけた。
「ちょっと、もうチェックして!」
「あっ!?」
果穂の言葉に、光星は顔をしかめた。

「ちょっと待てよ果穂、お前はまだいればいいじゃんよ」
「光星、今日はもうなんかいいや。またにして」
果穂は光星にそう言うと、財布から次々と札を出していった。
その際に佐伯は、他のテーブル客に謝りながらも、一人のホストに酔い潰れた翼を預け急いでチェックへと回った。


「じゃあね、光星」
果穂はチェックを済ませると、スッと何かが冷めたように【Pegasus】の店内を後にしていった。
「くっ……あの野郎……!」
光星は目をつりあげながらそうつぶやいた。





一方酔い潰れた翼は-


「おい、大丈夫かよ!?」
「うぅ……」
他のホスト二人に連れられ、店の外に出されていた。
客のいるテーブルに倒れたため、アイスや酒などでスーツは所々湿り気を帯びていた。

「しかしお前も光星さんに飲まされたな~」
「……」
翼は彼のその言葉に反応しなかった。
いや、できなかった。
「おい!!」
その時、怒りのこもった声が翼達の背後から聞こえてきた。

「こ、光星さん……」
翼を抱えていたホスト二人がそう言うと、光星はずんずんと歩いてきては突然翼の髪の毛を右手でわしづかみにした。
「ちょっとこいや!」
「うぅ…」
すると、光星は酔った翼を強引に引っ張るようにエレベーターの中に引き込んだ。

「あれ……やべぇよな」
「あぁ……」
二人がそうつぶやく中、そこに店から出てきた羽月がやってきた。
「すんません、翼くんは!?酔い潰れたって……!」
「あいつ……今さっき光星さんがエレベーターで連れてったよ」
羽月がふとエレベーターのランプを見ると、それは1Fへ下りていったことを表示していた。

「ちょっと行ってきます!」
「お、おいっ!」
羽月はもう一つのエレベーターに入ると、すぐさま1Fへと下りていった。


「おい翼!!お前のせいで果穂が帰っちまったじゃねぇかよ、えっ?!」
光星はビル脇の壁に翼をたたき付けるように詰め寄っていた。

「うぅ…」
「うぅじゃねぇんだよ!!翔悟さんに続いて、今度は俺の客にまで妨害する気かよ、あぁ!?」
「そんな……俺は言われた通りに……」
「言い訳するんじゃねぇよ、他の奴ならもうちょっと要領よくやってんだよっ!!」
その際に、光星の右の拳が翼の左頬を一発撃ち抜いていた。

「ぐぶっ」
「覚悟できてんだろうなぁ……てめぇ」
もはやグラグラの翼には、抵抗する力すらも残っていなかった。
光星は再び、その右の拳を振り上げた……その時だった。


「やめて下さい!」
光星の右手を誰かが抑えた。それは羽月だった。

「羽月、お前……」
光星も意外そうな表情でそんな彼を見ている。
「光星さん、今翼くん弱ってるわけやし、今は穏便に見とって下さい。お願いしますぅ!その分僕がんばりますからぁ!」
羽月は懇願するように光星に頭を下げた。光星もその右手をスッと下げる。

「何でそこまでこいつに気を使うのかは知らねぇが……。まぁいいや、今回はお前に免じてやるよ」
「おおきに……ありがとうございます、光星さん!」
「ケッ!」
光星はそう捨て台詞を残すと、エレベーターの方に向かっていった。
恐らく店に戻るのだろう。


「うぅ……」
「翼くん、大丈夫!?」
羽月は今だ青ざめてる地面で仰向けの翼に声をかけた。
彼の顔には、光星に殴られた痕跡がくっきりと残っている。
「どないしよう……こんなんじゃ店に翼くんを戻せへんな……」
羽月がそうつぶやいていたその時だった。


「あらっ、羽月くんじゃない。どうしたの?」
彼の後ろから声をかけてきたのは愛菜だった。





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