閉じる


8.羽ばたく黒い翼

8-1


「……こんな感じです」
翼は大まかに話し終えたのを示すかのように、涙で濡れた自分の頬をバスローブの袖で拭った。

「そんなことがあったのね」
「えぇ。あれほど何もかもが嫌になったことはなかった」
「その後……紗恵さんやご両親はどうなったの?」
愛菜の冷静なまでの質問に翼は一瞬躊躇したものの、ここまで話したんだとばかりに再び口を開いた。


「紗恵に関しては全くわかりません……。あれから会社にも全くコンタクトせずでしたし。親はもう……連絡は来るけど拒絶してますよ。俺のふがいなさもあるけど、あいつらの異常な束縛や詮索にはもう耐え切れなかった!」
翼はそれ以上は口にしたくなかったのか、口を閉じてしまった。


「家系……というものなのかしらね」
愛菜はポツリと言った。
翼もそれを理解していたのか、否定しなかった。

「とにかく、ホントに辛かった。俺を心配する振りをして結局は俺のことなんて何も考えてなかったんですよ、あいつらは。あんな人の皮かぶったみたいなやつらから作り出されたかと思うと、自分を呪いたくなります」

作り出された……愛菜はその言葉に、翼の中の激しいまでの負の感情の根源を見たような気がしていた。
そして彼女は再び口を開く。

「翼くんがそれまでに自分自身を評価してもらいたかったのも、そんな家庭環境や会社での扱いがあったからなのね。それで、ホストを?」
「はい」
翼は首を縦に振りながら答えた。
「俺は認めさせるために……ホストを始めました。俺を馬鹿にした奴ら全員に、大金たたき付けて見返してやるんだ……金がこの世のすべてなんだから!」
翼は床をじっと睨みつけながら憎しみを込めるように言った。
そんな彼を、愛菜はじっと見つめた。



『やっぱり、彼も同じなんだ。金や力に理不尽にねじふせられた今の世の中の犠牲者……』



愛菜は心の中でそうつぶやいた。
彼女の中で約3年前のある出来事が走馬灯のようによみがえる。
それは、翼のように心に痛い程の血を流し全てを憎みながらも、最後は愛すべき命のために自らの心を砕いた一人の少女の後ろ姿だった。
愛菜は、その少女と翼をずっと重ね合わせていた。
そして、意を決したように彼に問い掛けた。


「翼くん」
「何ですか?」
「あなたに決心はある?」
「決心?」
「そう。何があっても余計な感情はもたない、人を信じることなく全て蹴落とすくらいの決心はある?どんなに人に憎まれても、すべてを敵にまわしてもいいくらいの覚悟はある??」
愛菜は、今までにないくらい鋭い目つきで翼を見つめた。
いや、翼の瞳を見つめた。
すると、彼の瞳は彼女の視線をそらすことなくそれを真正面から受け止めていた。
翼の瞳には愛菜の瞳が、愛菜の瞳には翼の瞳が、お互いが瞳の中に宿す闇を映し出していた。

「決心も何も……」
翼が口を開いた。
「俺は既に一度死んだような人間だから、もう失うものなんてないから。だから-」
「だから?」
「俺はやります。ホストの世界で、一からてっぺんまで駆け上がってみたい。すべてを蹴落としても、他の何を犠牲にしてでも。どんな風に思われてもいい、どれだけ悪く言われようがかまわない。自分を……証明したい!」

『浅川一也』は死んだ……
それを意味するかのように、彼は過去の素直で優しい自分を一切捨て去り、ホスト『翼』としての新しい自分の道を歩んでいく決意を新たに固めた。
それを隣で見ていた愛菜の中にも、一つの決意が実っていた。


「これで決まりね」
愛菜は煙草に一本火をつけながら言った。
「決まり?」
翼が愛菜に聞き返すと、彼女はフーッと煙をふきながらその問いに答えた。
 
 


1時間後-

翼はスーツに着替え、部屋を出ようとしていた。
「じゃあ」
「えぇ、また明日昼に」
翼と愛菜はごく自然のごとくそう言葉を交わす。

「翼っ!」
ドアから出ようとする翼を、愛菜が呼び止めた。
「どうしたの?」
「あなたに一つ言い忘れたことがあるの」
「?」
「羽月くんのことよ。覚えてないだろうけど、今日酔い潰れて怒った光星からあなたをかばったのは彼なの」
「羽月……あいつが?」
翼は目を丸くした。

「そうよ。私も彼から聞いただけだし、あなたは彼をどう思ってるか知らないけどね」
「……」
「後で、一言お礼だけでもいいなさい」
「えぇ」
「かしこまらなくていいって」
「わかった」
翼は複雑な表情で愛菜に返事をした。

「酔いの方は大丈夫なの?」
「あぁ、もう大丈夫。ありがとう」
「じゃあ」
翼と愛菜は最後にそう言い交わした。


ホテルのエレベーターで降りる中、翼は一人今日起きた出来事を振り返りながらも、羽月のことを考えていた。
「あいつが俺を。何で……」
翼は小さな声でそうつぶやいた。
彼の中で特に好意的な存在ではなかった羽月からのその行動が、翼本人にとってはあまりにも意外だった。
ホテルを出てタクシーの中、翼はずっとそのことだけが頭に残っていた。



一方その頃、愛菜はホテルの部屋でケータイで電話をしていた。
「えぇ、そうするわ。……うぅん、心配しないで天馬、もう大丈夫よ。ちゃんと一人で帰ったわ。……うん、じゃあ明後日ね」
愛菜は天馬との通話を終えると、シャンパンの入ったフルートグラスを持ちながら部屋の窓際へと歩いた。
窓のハーフミラーには、彼女の美しすぎるまでの姿がぼんやりと映し出されている。
その向こうに広がる新宿の夜景を見つめながら、彼女は心の中で囁き始めた。



『見守ってみるよ私……あんたと同じ傷と瞳をもった人間が、この先どんな風になっていくのか……』



愛菜の瞳の中には、その少女の3年前の姿が再び蘇っていた。
それが、彼女の中で止まった何かを動かしているとは、彼女自身まだ気付いていなかった。










二日後-

休日である日曜日の明けた月曜日、【Club Pegasus】は再びその日の営業を始めようとしていた。
二日前の騒ぎが嘘かのように、開店準備に勤しんでいた。


「翼、もうこねーかな」
「来れねぇだろ、光星さんの前であんな粗相しちまったんだし」
ホスト達の間では、やはり二日前の翼の失態は記憶に新しかった。
一足先早く店に来ていた羽月は、それを近くで聞いていて心配でならなかった。



『翼くん、あれから大丈夫やろか。それに……』



羽月の中では翼の心配もあったが、あの時酔った彼を強引に連れていった愛菜とのことが気掛かりだった。
「はぁぁ……」
羽月は深いため息をついた。

「おい羽月」
羽月に声をかけたのは天馬だった。
「へっ?あ、社長っ。おはようございますっ!」
「おう、おはよう。ため息なんてらしくないぞ」
天馬は羽月をたしなめるように言った。
「あ、ハイ。すんません」
「翼のことだろ?」
「えっ、社長なんで」
「お前の顔にそう書いてある」
「えっ?」
羽月は慌てながら自分の顔を手でおさえた。
天馬はそんな彼を見ながら軽くフッと笑う。

「お前は本当にわかりやすいな羽月。まぁ、翼がああゆうことになったからだってのもわかるが、あんまりぼんやりして仕事に差し支えるなよ?」
「ハイっ、ホンマすんませんでした!」
羽月は天馬にペコリと頭を下げた。

「それと翼のことだが、あれから愛菜から電話が来て、数時間後に帰ったそうだ。心配するな」
「そうですか……」
「だからちゃんと仕事に励め、お前にはもうお前の客がいるんだ。わかったな」
天馬はそう言うと、羽月のもとから去っていった。

「そうか……翼くんちゃんと帰ったんやな。よかったわぁ」
羽月がそうつぶやいていたその時だった。


「おはようございます!」
エントランスの方から一人のホストの声が聞こえてきた。
店中にすでにいたホスト全員がそこを見つめると、一同が口を開けっ放しにしながらハッとしていた。
「おい……」
「マジかよ……」
「アレって……!」
皆が驚きながら、エントランスから一歩一歩歩いてくるその人物を見ていた。

「あ、アレは!」
その場にいた羽月も、驚きながらその『彼』を見ていた。
明るめの茶色に染められセットされた髪の毛、左耳のシルバーのピアス、その身に纏った高級ブランドのスーツと靴、そしてキリッとしつつも落ち着いた表情でその場に現れたのは、以前とは見違えるような変身を遂げた翼だった。

店内のざわつきに気付いてか、天馬が翼のもとに歩み寄る。
さすがの天馬も、彼の急激なまでの変化に驚きを隠せなかった。
 
「翼……」
「社長、ご迷惑おかけして、すみませんでした」
翼は天馬に対して頭を深く下げた。
「お前わかってるんだな?今のお前はこの店で限りなく悪い立場にあるんだ。それに耐えられるか?」
天馬のその言葉の後、翼は頭を上げ彼の瞳を真っすぐに見ながら口を開いた。

「耐えるも何もありません」
「なにっ?」
「俺は成り上がります。この店のホスト全員ねじ伏せてでも、俺はいずれ成り上がります。もうここにも味方なんていないんですし、だから耐える必要なんてありません」
翼はその暗闇に包まれた瞳で冷静に天馬に向かって言い放った。



『こいつ、何て目をしてやがんだ』
天馬も翼の瞳にある暗黒の輝きと変化に気付いたようだった。

「おい、てめぇ!!」
翼の背後から声が聞こえてきた。
声の主は光星だ。
怒りに満ちた表情で、翼を睨み付ける。

「翼、てめぇノコノコ出てきただけじゃなく、今何て言いやがった!?」
「光星さん、おはようございます」
「おはようじゃねぇ!今何て言ったか聞いてんだよ!!」
光星は、怒り任せに怒鳴り散らす。
しかし翼は冷静に彼に言葉を返した。

「言った通りですよ。俺は必ず成り上がります」
すると、光星の怒りはますます増したようにその怒声も上がった。
「ふざけんな!!未だ客の一人もいないやつがザケたこと言ってんじゃねぇぞ!!しかも俺の客にまで不機嫌にしたくせによぉ!えぇ!?」
「光星、落ち着け!」
怒鳴り付ける光星を、横にいた天馬が一喝する。

「しゃ、社長。何でですか!何でこんなやつを-」
「確かに翼のしたことはスタッフとしてやってはいけない。だが、無理に飲ませたお前に全く非が無いと言えるのか?そこらへんに目を配るのも、上としてのお前の仕事だろう?」
天馬の鋭い言葉に、光星は言葉を詰まらせながら黙りこんだ。
その光景を見ていた羽月や他のホスト達もどこかホッとしていた。
光星は「チッ」と言いながら、その場から去っていった。

8-2

 
「社長」
「なんだ翼?」
「今日から一からやり直すつもりで頑張らせていただきます。よろしくお願いします」
翼は改めるように、天馬に深々と頭を下げた。

「あぁ。……それと味方なんていないと言ったが、それは違うぞ」
「?」
「お前を心配している奴も一人はいると思うがな」
「えっ?」
「後でちゃんと佐伯にも謝るんだぞ」
天馬はそう言うと、何も言わずにそこからキャッシャーの方へと歩いていった。



『社長……?』



翼はそう思いながら後ろを振り向いた。
すると、それを見ていた羽月が心配そうに立っていた。

「翼くん!」
羽月はトコトコ翼のもとに歩み寄った。
「おはよう、翼くん!」
「あ、あぁ。おはよう」
「ちゃんと今日来てくれたんやな。こないだ飲んだのとか大丈夫かいな??」
「あぁ」
翼は心配げな羽月にどこか詰まりながら言葉を返した。

「えっと……」
「ん、何や翼くん?」
「あの後聞いたんだけど、あの時俺をかばってくれたんだって?」
「えっ?あ、あぁ~あん時のことやね?翼くんそんな気にせんで-」
「……がとう」
「へっ?」
翼は羽月と最後にそう言葉を交わすと、彼から離れるように後ろを振り向いて歩いていった。

「えっ、翼くん何やー?最後何て言ったかわからへんてぇ~!」
羽月の訛った声が店中に響き渡る。
そのせいで、翼は顔を赤らめながら、無言でそこから歩き去った。
目つきや口元に、ちょっとした緩やかな変化を帯びながら-。



「今日も一日やるぞ!!」
天馬のその言葉を狼煙に、今日も【Club Pegasus】は営業を開始した。
「今日翔悟さんはまた同伴?」
「また早紀さんって太客とだってよ。やっぱりさすが、No.1はずば抜けてるよな」
ホスト達がそう話してるうちに、エントランスのドアが開いた。

「いらっしゃいませぇ!」
元気の良い声が、一組の同伴客を迎える。
No.1翔悟とその客の一人早紀である。
威風堂々とした翔悟の横には、彼の常連客である紅いワンピースを纏った早紀が腕を組んでいた。

「いらっしゃいませぇ!」
「いらっしゃいませ、早紀様」
エントランスに並んだホスト達と内勤の佐伯が、翔悟に連れられた早紀を迎える。
「いつもご丁寧にありがと、佐伯さん」
「恐れ入ります」
早紀は頭を下げる佐伯ににこやかな表情を見せる。
「おい、早紀さんを卓にご案内してくれ」
翔悟はヘルプのホストに早紀を案内させるように促す。
「ちょっと先に行ってて、すぐに行く」
翔悟がそう言うと、早紀はうんと頷いて指定のテーブルの方へヘルプのホストに案内されていった。

「……」
翔悟は、店に入ってからとある一人のホストの変化に気付いていた。
無論それは翼のことだった。
一方の翼も、彼からの視線に気付いていた。
翔悟はスッと翼のもとに歩み寄った。

「よう」
「おはようございます、翔悟さん」
「もう一昨日のあれから、店に出ないと思ってたが。意外と神経が図太いんだな」
「そうみたいですね」
翼の予想以上の冷静な反応に、翔悟は表情をピクッと鋭くさせた。

「あのリーマン上がりみたいなダサいスーツの印象が強かったからな。まだ客もいないどころか、ろくな接客もできないお前が、どうしてこんないきなり変わったのかな?」
翔悟は口をニヤリとさせながら、翼に言っ放った。
しかし翼は動じずに、冷静に言葉を返す。

「俺にもお客様ができました」
すると翔悟は吹き出しながら笑いを上げた。
「ハッハッハ!そうかお前……光星のとこであんな騒ぎを起こしたから、店へのお詫びがてらにどこぞのマダムでも引っ掛けてきたか!?そのスーツとかもその人に貢がせたものか……。翼、お前も中々やるじゃないか」
うすら笑いを浮かべながら嫌味な言葉を並べる翔悟だったが、翼は一切表情を変えていなかった。
しかしその時だった。
 

「いらっしゃいませぇ!」
ホスト達の元気な声が、エントランスからの一人の来客を告げた。
「おぉ……」
ホスト達は驚きの声を漏らした。
盛り上げられ巻かれた髪の毛、ハート形のピアス、際だった麗しい瞳、そして胸元の切れた淡いピンクのドレスに包まれた80センチを軽く超える股下。
佐伯は中世の貴族のように圧巻なその彼女を改まるように迎えた。

「いらっしゃいませ、愛菜様」
「こんばんは佐伯さん。天馬から話は聞いてるでしょ?」
「ハイ、本指名の件ですね?お伺いしております」

愛菜からの『本指名』……
それを聞いた翔悟を含む周りのホスト達は、一瞬で言葉を失った。

「愛菜さんからの本指名って……」
「誰だよ一体?翔悟さんか?」
ホスト達は声が漏れないように、こっそりと話していた。
しかし、驚きによる表情の変化までは隠せていなかった。
それに気付いた愛菜は、クスッと微笑む。

「では愛菜様、担当スタッフに案内させていただきます」
佐伯が愛菜にそう告げると、その場にいる全員が息を呑んだ。
そして、佐伯がその口を開いた。



「翼、お客様からの御指名だ。案内してさしあげなさい」
 


佐伯のその言葉に全員が一瞬絶句した。
「な、何だって……!?」
「あの翼が、初指名!」
「しかもそのお客が……」
その場にいたホスト達が全員驚いていた。
特にNo.1である翔悟は、珍しくも一際驚いた表情を示していた。
その口は、あんぐりと開きっぱなしになっている。

「なっ……。歌舞伎町で、あの【Club Mirror】でカリスマ嬢と言われたあの女を……ホスト歴たった半月程度の下っ端が……??」
翔悟は言葉を詰まらせながらそう呟いた。
そんな翔悟を見て、愛菜は再びクスッと笑った。
「愛菜さん!」
翔悟が愛菜に声をかけた。
「なに、翔悟?」
愛菜は何気ない口調で答える。
「どうして、どうして翼なんかを……!?」
「私が選んだ担当に『なんか』ってどうゆうこと?」
愛菜は鋭い口調で翔悟にそう言い返すと、プイッと彼から顔をそらした。
そうしてるうにち、翼はテーブルに案内するために愛菜の手を取っていた。
「今日からよろしくね、翼」
「こちらこそ、御指名ありがとうございます」
翼と愛菜はそう言い交わすと、佐伯に指定されたテーブルの方へと歩いていった。

「くっ…」
翔悟はその二人の後ろ姿を見ながら、苦渋の表情を浮かべた。

「愛菜さんが、翼くんを……」
当然その光景は、複雑にそれを見つめる羽月の瞳にも焼き付いていた。



「よっこいしょっと」
愛菜はそう言いながら、ソファーにその華奢な腰をおろす。
「ありがとう、愛菜」
翼は彼女のとなりに座りそう囁いた。
「いいのよ。私は自分が楽しむためにしてるんだからさ。みんな、驚いてたわね?笑っちゃったわよ」
「あぁ。何か飲もうか?」
「まずピンク入れて。今日は初めての記念だもの。飲むわよ~」
翼と愛菜がそんな会話を交わしている中、客を含めた店内全員が二人のいるテーブルを見つめていた。
あのダメホストと言われた翼と、カリスマキャバ嬢の愛菜との間に一体何があったのか?
そこにいる皆がその謎に大きな疑問と関心を抱いていた。


 

二日前のあの夜-

「決まりね」
愛菜は煙草を一本火をつけるとフーッと煙を吹いた。
「現役を退いた天馬の次のホストよ。翼くん……いえ翼、あなたを指名するわ」
「!?」
愛菜の突然の発言に、冷静だった翼もさすがに驚きを隠せなかった。

「俺を??」
「あら、ダメかしら?」
「いや、ダメとかじゃなくて……何でいきなり俺を?」
「そんなこと言ってる場合?あなたホストとして成り上がりたいんでしょ?客の要望は素直に聞き入れなさい」
愛菜はそう言いながら煙草をクシュッと消すと、再び口を開いた。

「私が、自分のすべてを叩きこんであなたを一流にしてあげるわ」
「愛菜さん」
「もう私はあなたの本指名客よ。さんづけと敬語はやめてね」
翼は愛菜をまっすぐに見つめながらうなずいた。
「よろしく、愛菜」
翼は気持ちを改まるように、愛菜にそう言った。

「愛菜、一つ聞いてもいい?」
「なに?」
「言いたくないならいいんだけど、俺の……何がよかったの?」
「……」
愛菜は言葉を詰まらせた。しかし、すぐに言葉を返した。

「今は話せない……。時期が来たら教えてあげる」
愛菜はそれっきり、それに関して何も話そうとはしなかった。
 
 
 


翼は愛菜の指名理由が気にはなってはいたものの、必要以上に詮索せず、接客に専念することにした。

きっといつかそのうちわかる日が来るだろう、そう考えていた。

しかし、今はせっかく掴んだこのチャンスを生かそう……
彼の中ではその意思が大きく広がっていた。



『馬鹿にしてきた奴ら、俺のすべてを壊した奴ら、すべてねじふせてやる!』
この思いだけが、今の翼の唯一の真実だった。


この闇に包まれた世界で成り上がるため、羽ばたくため、そしてすべてを見返すため、



翼のホストとして、そして一人の人間として紡いでいく結末への狼煙が、今本当の意味で上がっていった。




                                                    第9章へ