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6.lost-翼のカタチ-①

6-1


時はさかのぼること約半年前-



暑さが響く8月、懸命に仕事に打ち込む一人の青年の姿がそこにはあった。
『彼』の名前は浅川一也。
不器用な性格ながらも、会社員として一人の24歳の男として、明るく素直に一生懸命に生きていた。



「浅川くん、あの例の書類はまだか!」
「はい、ただいまお持ちしますっ!」
会社のオフィスにて半袖のワイシャツにネクタイをしめる一也は、上司の催促に応えるように書類の束を持って歩く。
「課長、よろしくお願いします!」
一也は書類を課長と呼ばれる三十半ばくらいの男に提出すると、ササッと自分のデスクに戻り再びパソコンに向かい合う。

「ふぅー」
一也はかるく溜め息をつくと、再び気合いを入れるように仕事へと入る。

「浅川くん」
白髪頭の50代の男が、一也に話し掛ける。
「あっ、常務。お疲れ様です」
「お疲れ。どうだ、仕事の方は慣れてきたか?」
「はい!何とか」
常務と呼ばれた男に、一也は元気に答えた。

「そうか。私も君をお父上からお預かりしてる以上しっかり育てなければならないからな。しっかり、やってくれよ」
「はいっ!」
一也は常務にペコリと頭を下げると、再び気合いを入れるようにパソコンへと向かい合った。

「浅川くんはいいねぇ、常務に優しくしてもらえて」
向かいのデスクにいる社員の一人・岡本が一也にそう言った。

「いや、そんな……」
「さすがいずれはパパの会社を継ぐボンボンですもんねぇ」
岡本は、謙遜する一也の言葉を無視するかのように嫌みたらしく言い放った。
その顔はヘラヘラしながら一也の顔の方を向いている。

「……」
一也は内心ムッとしながらも、岡本のそんな言葉を気にしないようにパソコンへと向いた。
「そんなぁ無視しないでよぉ浅川くん♪」
ボンボン呼ばわりされ内心嫌がっている一也を見て楽しんでるかのように、岡本はそのむさ苦しい四角い顔でニヤニヤしながら話し掛けた。
それをよそに、一也は一所懸命に仕事へと打ち込んでいった。


一也は実家がとある商社を営む、いわゆる『御曹子』。
四年制の大学を卒業後、父の会社を継ぐために、その取引先である、ここ㈱KKへと二年間の武者修業へと出されていた。
社員として約一年半、一也は不器用ながらも持ち前の明るさと素直さで謙虚に会社での仕事をこなす毎日を過ごしていた。





「ふぅ」
一也は、夜遅くの残業の合間にコーヒーを片手に一息をついていた。

「一也っ、お疲れ様!」
グレーの制服に身を包んだ20代のOLらしき女性が、一也に話し掛けた。

「紗恵!」
「だいぶ疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
「あぁ」
一也は日々の残業や早出などの繰り返しで疲労がたまっていたものの、紗恵と呼ばれたその人物の前ということもあり、疲れを見せないように努めた。
だが、彼女にはその疲労や心労の度合いが彼の表情から読み取れていた。

「一也もやっと仕事に板がついてきてるころだろうだけど……無理はしないでね?ご両親だって心配されるから」
「うん、ありがとう」
紗恵の言葉に、一也は素直に頷いた。

「でも緊張するなぁ……。私、今度お会いしたときに一也のご両親に気に入っていただけるかしら?」
「大丈夫だよ、紗恵なら!」
「そうかなぁ。でも、一也がそう言うんなら大丈夫かな」
「あぁ、うちの家族も紗恵みたいな女の子なら絶対歓迎してくれるさ!」
「……うん、そうよね!ありがとう一也」
そう言うと、紗恵はオフィスに今は自分達以外がいないのをサッと確認すると、一也の唇にソッと自分の唇を重ねた。

「……!」
一也は突然なことに一瞬ビックリとしたが、そんな彼女の髪の毛を優しく撫でながら目を閉じた。
そして、スッと彼女の華奢な腰に手を回し抱き寄せる。
「ん……」
「う……ん……」
気がつくと、二人は激しくお互いを求め合うように抱き合い唇を重ね続けていた。

「一也……好き……」
「俺も……紗恵のこと大好きだよ」
一也は自分を抑え切れなくなったのか、紗恵とともにオフィスのデスクの上に静かに倒れていく。

「一也……ダメよ、ここ会社だから……」
「あっ……」
一也は我にかえったようにムクリと起き上がった。

「ご、ゴメン……ちょっと俺どうかしてる……」
そう言って一也が恥ずかしそうに背を向けると、紗恵はピタリとその背中に顔を埋める。
 

「紗恵……」
「終わるまで待ってるね……」
「あぁ」
すると紗恵は、顔を合わせることもなくオフィスを後にした。
「よし、仕事終わらせるか」
一也は気合いを入れ直すように再びデスクのパソコンへと向かい合い始めた。




数時間後-

一也と紗恵の二人は、彼のマンションの一室へと来ていた。

時間は深夜1時-
週末なのもあり、二人はベッドの上でお互いを確かめ合っていた。
「あっ……一也……」
「紗恵ぇ……」
着ていた衣服は乱れながらそこらじゅうに散乱し、二人は何も身につけていない状態のまま布団一枚の中で寄り添っていた。


「一也……」
「うん?」
「好き」
「うん……俺も」
二人は言葉も少ないが、お互いの確かなものを求め合うように抱き合い続けた。
唇や握った手は、そしてすべてが激しく重なり合い、それを何度となく繰り返していく。



「ねぇ一也」
「うん?」
「私、ご両親に認めてもらえるように……一也とずっと一緒になれるように頑張るね」
「紗恵、いいのか?俺なんかで…。俺、不器用だし仕事だってそんなに自信があるわけでもないし……それに……」
「?」
「お前が会社の中で変な目で見られないかって心配でな」
「私は一也がいいの。それじゃダメ?」
紗恵はそう言いながら、自分を腕枕してくれている一也の左頬に軽いキスをした。


「紗恵……!」
一也は再び求めるように、紗恵を抱きしめた。



紗恵は一也が後継ぎの修業として働いているKK㈱にOLとして勤める、一也のひとつ年上の容姿端麗な女性である。
栗色のストレートロングヘアが特徴で、その才色兼備ぶりは会社内でも評判だった。
年齢が近いのもあり、少しずつ話しているうちに一也と意気投合し、気がつくと会社の人間として以上に一人の男女としての付き合いをするようになり、将来を考えるような関係にまでなっていった。

辛い仕事の中、取引先の社長のボンボン息子と言われる中、一人の男性として自分を見てくれる紗恵との関係が今の一也にとって唯一安らぎだった。





8月半ば-



お盆にさしかかったとある真夏の猛暑の日、一也は紗恵を連れて実家の横浜へと来ていた。
「はぁ~……緊張するなぁ。一応綺麗めのカッコで来たつもりだけど大丈夫かなぁ」
張り詰めた面持ちで、グレーのフォーマルスーツ姿の紗恵はため息をつきながら呟いた。
「そんなに緊張するなって、いつもの紗恵らしくないぜ」
一也は緊張し続ける紗恵を和ませるように肩をポンと触る。
そう言いながら、二人は豪華な一也の実家のドアをくぐっていった。

「すっごく大きいおうちね」
紗恵は思わず声を漏らす。
「ただいま~!」
一也は元気のいい声で玄関から叫んだ。
すると奥から、40代後半くらいのショートカットの女性がトコトコ歩いてきた。

「一也……お帰りなさい」
「オフクロ、ただいまっ」
女性は一也の母であった。
すると彼女は一也の斜め後ろに立っている紗恵に視線をやった。
その視線に気が付いたのか、紗恵はペコリと頭を下げる。
 
「一也、その人は?」
母が一也に問いかけた。
「あぁ、こないだ電話でちょっと話したけど、この人がその……会社で知り合った飯山紗恵さん」
「飯山です。はじめまして」
はずかしげに母に説明する一也の後に続くように、紗恵は母に挨拶をした。

「あぁ、あなたが飯山さんね。はじめまして、一也の母です。いつも息子がお世話になっています」
母は優しい口調で紗恵に対して一礼をする。
「あっ、いえ」
紗恵も相槌をうつように、あらためてペコリとする。
その際に、母は紗恵を一瞬下から上まで眺めるように見ていた。

「親父は?」
「あぁ、奥で待ってるわよ。ちょっと行って挨拶してきなさい」
「わかったよ」
一也は母に促されるように、奥にあるリビングルームへと足を運んだ。
相変わらず緊張した面持ちの紗恵もも、彼の後に続く。


「親父、ただいま」
「一也か」
リビングに入った一也と紗恵を、彼の父である半ば白髪の人物がソファーに座りながら二人を迎える。
その際に、紗恵はさりげなく父に対してもスッと頭を下げる。それを父も見る。

「まぁ座りなさい」
父は二人に向かいのソファーへの着席を促す。
「失礼します」
一也が「あぁ」と返事して座る中、紗恵は一礼をしてからソファーへと腰をおろした。

「えっと……一也、そちらがお前が言っていた-」
「あぁ、飯山紗恵さんだ」
「はじめまして。一也さんとお付き合いさせていただいています、飯山と申します」
一也の言葉に誘導されるように、紗恵は彼の父へ挨拶の言葉を言った。

「どうも、息子がお世話になってますね。確か……KKさんで働かれてるんですよね?」
「はい」
「こいつはちゃんと仕事してますか」
「はい、とても毎日頑張っています。いつも夜遅くまで残業したり……とても一所懸命です」
父のいきなりの質疑応答に紗恵は緊張を隠しながらも答えていった。

6-2

 
「紗恵さん、だったね。しかし綺麗な方だ」
父は足元から顔まで舐めるように紗恵を見ながら言った。

「いえ」
「一也のどこに好意を持たれたのかはわからないが、こんな美人は息子にはもったいないな!」
「親父!」
「お父さん、失礼ですよ」
大声で話す父を、母が諌めるように言った。
その際に一也と紗恵にもお茶が注がれた湯呑みが配られる。

「おっと失礼。まぁ紗恵さん、そんな緊張せずにゆっくりしていきなさい」
「はいっ、ありがとうございます」
半ば和やかな雰囲気で挨拶を終えると、一也と紗恵は彼の部屋へと足を運んでいった。
部屋に入ると、二人はどっと疲れたようにベッドへと座る。


「はぁ~緊張したぁ」
紗恵が思いきったようなため息を吹き出した。
「悪いな、妙に気を使わせちゃって。それに親父が変なこと言ってさ」
「あ、ううん」
そう言うと、一也と紗恵は軽くキスをした。
「本当にいいのか?こんなとこに来てもらっても」
「いいわ。いいお家じゃない。それに私は一也とがいいんだから」
しんと静まり返るその部屋の中で、一也と紗恵は抱き合った。



その時だった。

突如部屋のドアがガチャリと音をたてた。
「わっ!」
一也は身体をビクッとしながら声を上げた。
それに伴い、紗恵も瞬間的に身体を硬直させる。
二人が視線を注いだ先には、ドアノブをつかんだままの一也の母がじっと二人を見ていた。

「な、何だよオフクロ!いきなり黙って入ってくるなよ!」
「……」
一也が声を大きくして言う中、紗恵はポカーンとしながら何も言えなかった。
「オフクロ!」
「あら……二人で何をしてたの?」
母は半ば開き直ったような口調である。
それを聞いた一也は、表情をキッとさせた。

「何じゃないだろう!紗恵だっているのに、ノックもせずに突然入ってくるなんてどうゆうことだよ!」
「心配になっちゃったのよ……。一也もお年頃だから……若い男女が部屋で二人っきりなんて何が起こるかわからないからねぇ」
母は本気で心配を訴えていたが、一也はそうはとらなかった。
 

「だからってこんな風に入ってくるな!紗恵だってびっくりしてるじゃないかよ!!」
「あら……何か隠し事でもあるの?怪しいわねぇ」
「何も隠してねぇよ!いい加減にしろよな、オフクロ!!」
「いいえ、それは何か隠し事をしているわね」
疑い深く追求してくる母に対して、一也はついに堪忍袋の尾が切れた。

「もういい加減にしてくれっ!!」
「ちょっと…一也!隠してるわね、隠してるわね」
一也は、もうたまらないと言った感じで、無理矢理母を部屋から押し出しドアをバタンと強く閉めた。
 

「ハァ……ハァ」
思いきり怒鳴ったせいか、一也は著しく息を切らす。
そんな彼を見て、未だ言葉を発せない紗恵は何をしていいかわからず固まったままだった。
ひと呼吸置くと、一也は紗恵の方を向きながら口を開いた。

「紗恵ゴメンな……オフクロがいきなりこんなことして」
「あ……うぅん、きっとお母様も心配になっちゃったのよ。男の子を子供に持つ母親にはよくあることだわ。一也気にしないで」


『気にしないで』


彼女のその言葉が、現在の高ぶった自分の感情を諌める気遣いのものだと、一也は気付かずにはいられなかった。



数時間が経過したその夜-

一也・紗恵の二人は、彼の父と母を交えての夕食をとっていた。
「あぁ~うまいっ」
父はそこそこアルコールが入り、ほろ酔い程度に顔を紅潮させていた。
ただ、先程の母親と揉めたこともあり、一也の表情は未だ曇ったまま。
よって、その場の雰囲気はどこと無くギクシャクしていた。

「紗恵さん、お味はいかが?」
母が紗恵に尋ねた。
「あ……はいっ、とっても美味しいです」
「そう、よかったわ」
紗恵は母に対してごく普通に答えたが、やはり一也と母とのことが気になって正直夕食を味わうどころではなかった。
当の一也はなるべく顔には出さないと努めていたようだが、憤りに満ちた感情を全て押し殺すことまではできないでいた。


「一也」
父が一也に対し口を開いた。
「何だよ」
一也も久しぶりと言わんばかりに口を開く。
「お前、本当にKKさんに面倒なことをかけてないんだろうな」
「かけてないよ」
「本当か?紗恵さんはちゃんとやってると言っていたが、お前は昔から人一倍不器用だからなぁ」
「本当だよ」
「圭介は何をやらせても要領良くやっていたが、昔からお前はからっきしだったからなぁ」
「……」
父の煽るような言葉に一也はさらに別の憤りを覚えたが、彼は何とかそれらを飲み込むように黙っていた。
そんな彼の横顔に、さすがに紗恵も内心ハラハラがおさまらなかった。


「あなた言い過ぎよ紗恵さんの前で……」
母が横目で紗恵をチラ見しながら父に言った。
「あぁ~紗恵さんすまんねぇ、でも昔からこいつは勉強も運動も何やらせても本当に中途半端でねぇ。上の兄と比べると何でこんなに違うのか~って感じなんですがねぇ」
父は酒が入ったグラスをクイクイ口元に運びながら一也のことを続ける。
「あなたちょっと飲み過ぎですよ」
「いやね、こいつったら昔中学のとき-」
「やめろ……」
母の制止も聞かずに酔い任せな父に、一也がついに言葉を発した。

「えっ?何だよ、お前の昔のこと紗恵さんに話してやろうって言うのに」
「いいから、やめてくれ親父」
「何だ?お前紗恵さんに聞かれたくないことでもあるのか??それなら俺から話してやろうか」
「やめてくれよ頼むから……」
「何だお前……父親のせっかくの厚意を無駄にする気か~?」
「親父……飲み過ぎだ」
「紗恵さん実はこいつ中学のときに-」

その時、一也はものすごい勢いで両手の掌をテーブルに直撃させた。
その瞬間に伴い、凄まじいまでの音と振動がテーブルから発せられた。
酔っている父を含むそこに居合わせている一同が、ビクンと反応する。
父、母、そして紗恵の三人が、掌をテーブルにつけている一也に視線を合わせた。



「……」



約10秒ほどの長く感じさせる沈黙は、重い空気としてその場を支配していた。
しかし、その沈黙をまず最初に破ったのは息子の一也に威圧的に反抗された父であった。
父はその顔を怒りの形相に変え、ついにその満ちた感情を一也にぶつけ始めた。
「一也~……お前何だその態度は!!えぇっ!?」
その言葉に、一也も目付きを鋭利にさせながら返していく。

「そっちこそなんなんだよ!酔った勢いで俺が人に言われたくないような昔のこと紗恵に無理矢理しゃべろうとしやがって!!俺が嫌がってるのがそんなに楽しいのかよ!?」
「一也、やめなさい!」
憤る一也を母が制止するが、当の彼は全く聞く耳など持っていなかった。
すると一也はバンと席を立ち上がり、ツカツカとその場を後に自分の部屋の方に行ってしまった。

「一也っ!」
紗恵も立ち上がり声をかけたが、反応も虚しく彼が戻ってくることはなかった。
「……」
紗恵はそれ以上何も言えなかった。どうしていいかわからず、戸惑うことしかできなかった。

「紗恵さん、あんな馬鹿は放っておきなさい!あんなことで一々怒りおって」
父は少し呂律の崩れた口調でも怒りの言葉を発した。
「もう……圭介に比べて相変わらずわがままなんだから一也は」
母もどこかしょうがないと言った感じで呟いた。



『一也……あなた……』



紗恵は心の中で何かを確信しながら、複雑なほど切ない表情を浮かべていた。
すると、ガタンと音をたてながら席を立ち上がる。
そんな彼女に、父と母はキョトンとした顔をする。

「紗恵さん、どうしました?」
「……私、一也さんの様子を見てきます」
紗恵がそう言うと、母は明らかに遺憾を覚えた目付きになる。
「放っておきなさいと言ったでしょう。あの子は家だからってちょっと甘えてるんですよ」
「でも……」
「紗恵さん、あなたはさっき呼び捨てにするくらい一也を思ってるみたいだけど、あまり甘やかさないで」
「えっ?」
母の言葉に、紗恵の表情にも徐々に変化が訪れる。
 

「あなたがKKさんのOLって聞いてから思ってたんですけど、どうせあなたはうちの後継ぎと聞いて一也に近づいたんでしょ?」
「……!」
「あなたの容姿を見てれば何となくわかるわ。最近の女の子はお金のあるところに平気で向いてくみたいだからねぇ」
「そんな……」
「どうせ一也にも色仕掛けでもして近づいたんでしょう?さっきも部屋で抱き合ってたの見たのよ?」
母から次々と出てくる言葉の連続に、紗恵は顔をしかめた。

「抱き合ってた?そうなのか紗恵さん」
父が興味津々と言った具合で言った。
「違います、あれは……!」
紗恵は必死に否定をしたが、二人は信用のかけらもその目に抱いてはいなかった。
「一也に何を吹き込んだの紗恵さん。言ってちょうだい」
母の最後のその台詞に、紗恵はキッと表情を変えた。

「私は何も吹き込んだりしてません!私は…一也さんを一人の男性として見ているんですっ!!」
紗恵は強くそう言うと、スッと頭を下げ一也の後を追うようにその場から出ていった。
「……」
父と母は黙り込みながら彼女が出ていったドアもとを見続けていた。



「一也!開けて一也っ!」
紗恵は一也の部屋のドアをノックしながら彼の名前を呼んだ。
「……紗恵?」
紗恵の正面にあるドアの向こうから、彼女の名をつぶやく一也の声が掠めた。
すると、ドアはすんなりと細く開く。

「一也…!」
紗恵は安堵の表情を浮かべる。
「一也、入っていいよね?」
「……うん」
一也は元気こそ失っていたものの、どこか安心したように彼女を部屋の中に招き入れた。
すぐにドアを閉めると、紗恵は一也にスッと抱き着いた。
 

「紗恵……」
一也はわずかな驚きを見せる。
「一也……大丈夫?」
「……あぁ。ゴメンな、紗恵」
「えっ?」
「うちの奴らが……って言うか、みっともないもの見せちゃって」
「……うぅん、一也は何にも悪くないよ。何も……」
一也と紗恵は強く抱きしめあった。

「明日……朝一番で帰ろう」
一也はそう囁いた。










しかし、その翌朝に二人が一緒に帰ることはなかった。









『彼』ノ運命ヲ分カツ夜ハ、ソノ後ノコトダッタ。





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