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5.悔恨

5-1

 
「ま、愛菜さんっ!おばんですぅ!」
突然姿を現した愛菜に、羽月は緊張した面持ちで言った。

「ふふ、そんなに緊張しないでよ。それよりこんなところでどうしたの?」
愛菜は羽月にそう問い掛けたが、彼の両手に抱えられている泥酔した翼を見て大まかなことは理解したようだった。

「相当飲まされたみたいね。しかも顔にまでアザを作っちゃって」
「えぇ……僕も何がどうなったかは詳しくはわからへんのやけど、さっき-」
羽月は自分が知ってる限りの一部始終を愛菜に話し始めた。



「……ふーん、あの光星にねぇ」
「はい、すごい剣幕やったんやけど」
愛菜は羽月からの説明でほぼ事情はつかんだようだった。

「で、羽月くんはどうしたいのよ」
「えっ?」
「翼くんよ。今の状態じゃあ店に戻すわけにもいかないでしょ」
「はい、光星さんにはああ言ったものの、もうどないしようか……」
羽月の言葉に、愛菜はフゥッとため息をつく。

「あなたって後先考えず口や手が出るタイプでしょ」
「そうかもしれへん」
愛菜のたしなめに、羽月は何かを自覚したかのように言った。

「まぁいいわ。ホントは店に行ってちょっと飲んでこうって思ったんだけどね」
すると愛菜は、偶然そこに通り掛かった空席のタクシーを止めようと手をあげた。
タクシーは愛菜のもとに流れるようにスッと止まり後部座席のドアを開ける。

「愛菜さんすんません、せっかくお店来てもらったのに」
「ん?羽月くん、早くっ」
愛菜は何かを羽月に促していた。
「えっ、何ですか愛菜さん」
「翼くんをよ。早く後部座席に乗せて」
「えぇっ??」
愛菜の一言に、羽月は目を丸くする。

「乗せるって……??」
「今日の彼は私が連れていくわ。天馬には私からTELしておくから、あなたはお店に戻りなさい」
「連れていくって……」
「別に変なことするわけじゃないわよ。今彼を店に戻してもまたごちゃごちゃするだけでしょ?」
「で、でも翼くんは-」
「ごちゃごちゃ言わない!あなたもホストならお客の言うことくらいスッと受け入れなさい!」
困りふためく羽月を愛菜が一喝した。

「……はい、すいませんでした」
「お願い、後で私もTELしとくけど天馬や佐伯さんにはうまく言っておいて。さっ、手伝って」
羽月と愛菜は、酔い潰れて意識が朦朧としている翼をタクシーの後部座席の奥へと押し込むように座らせた。
その隣に愛菜がスッと腰をおろす。
 

「じゃっ、お願いね羽月くん」
翼と愛菜を乗せたタクシーは、立ちすくむ羽月のもとを走り去っていった。


「……愛菜さん」
羽月はポツリと愛菜の名前を切なそうにつぶやいた。
「…アカン、店に戻って言ってこな…」
そう言うと、羽月は店へと戻るためにエレベーターへとかけていった。



「……そうか。愛菜さんが」
「ハイ。後で社長にも電話するってことみたいですわ」
「わかった、社長はまだ同業から帰ってきてないから、後で俺からも連絡しておく。羽月、お前も仕事に戻れ」
「ハイっ!」
羽月は佐伯との話を終えると、ホールの方へと元気に向かっていった。その元気の裏に、微かなわだかまりを抱えながら。





それから数時間後-


「うんん……」
あれから愛菜に連れられていった翼が、うなりながら目を覚ました。



『ここは……?何で俺がベッドに?』



翼は横になっていたベッドからムクリと体を起き上がらせ、周りや自分をキョロキョロと見渡した。
白を基調とした壁に茶色のテーブルや椅子、窓の外に広がる夜景、そして何より自分が今ぽつんといるダブルベッド。
そのベッドの上でワイシャツとパンツだけになっている自分自身。
突然のことに、翼は今の状況が半ば理解できずにいた。

「イテッ!」
激痛が走ったのか、翼は自らの右側頭部をパッと右手でおさえた。



『そっか……確か俺はあの席ですごく飲まされて-』



翼は少しずつだが、店からの記憶を呼び戻そうとしていた。
「しかし……ここはどこだ?」
翼はベッドからグレーのカーペットが敷いてある床に両足をおろすと、重い身体を起こすようにその場に立ち上がった。

「どこの部屋だ……んっ?」
すると、部屋のどこかから一定量の水が滴り落ちる音が翼の耳に入った。
「シャワー……誰かいるのか?」
すると、その水の滴る音はパッと止まる。翼は何かと思い、その音がしてきたバスルームらしきドアを見つめた。



『誰だ……こいつが俺をここに連れてきたのか』



30秒ほどたっただろうか、翼は構えるように心の中でつぶやいた。
するとそのドアは、呆気ないほどガチャリと開いた。


「ふぅぅ」
そのドアからは、湿気を帯びたシャンプーの香りとともに、白いバスローブに身を包んだ長身の美女が姿を現した。

「えっ!?」
翼は言葉を失った。そんな彼に、彼女は「おっ」と気がついたようだった。
 
 
「翼くん、目を覚ましたみたいね。気分は大丈夫?」
「……」
翼は絶句して固まったまま動かなかった。

「ちょっと、私のこと忘れた?前にお店で会ったでしょ?愛菜よ、マ・ナ!髪下ろしてるからわかんないかな」
「い……いや、はい……」
目の前にいるバスローブの美女が愛菜だということはわかったようだが、翼にとっては何故自分がここにいて、そして何故愛菜がいるのか……という突然の状況に頭の中の整理がついていけてなかった。
 

「あの、愛菜さん……俺は何故ここに?ってより、何故愛菜さんが??」
翼は今の自分が誰だかわからないと言ったようなそぶりで愛菜に尋ねた。
愛菜はフーッとため息をつく。

「とりあえず簡単に教えてあげるわ。まずここは私がたまに気分転換に使ってるシティホテルよ」
「ホテル??」
部屋をキョロキョロと見回した翼は無理矢理ながらも納得したようだった。
「まぁそれはいいとして…聞いた話だけどあなたお店ですっごく飲まされて酔い潰れちゃったのよ?覚えてない?」
愛菜の言葉に翼は一瞬考え込むと、何かを思いだしたかのようにフッと顔を上げた。
「……!俺は確か光星さんに……」
「そうよ。店で大倒れしたあなたはその後-」
愛菜は自分が知ってる限りの事の顛末を翼に話した。

「そうだった……」
翼はなにもかもを思い出したようだった。酔いが少しずつ消え失せたその顔に、今度は苦渋の色が浮かび始める。

「光……星……」
翼は気が付くとその名前をじわりじわりとつぶやいていた。
彼の表情のそれは、怒りなのか悔しさなのか…わからないほどの歪みを見せていた。
「くっ……!」
翼は膝からガクンと崩れ落ち、上体をベッドに預けるようにうなだれた。そんな光景を、バスローブ姿の愛菜は黙って見つめる。

「くそっ……」



「ちくしょう……!」



翼はその二つの言葉を何度となく繰り返しながら、握り込んだ右手の拳でベッドに打ち付け続けた。
「バフッ」という柔らかい音の連続が、虚しく空を切るように響く。

「あいつ……あんなやつに……あいつ……」
前の二言の次に出た翼の言葉はそれだった。
声は時間を追うごとに弱々しくなり、終いには言葉になっていなかった。
その時、ベッドの白いシーツをじっと睨んでいる翼の顔からポタポタと滴り落ちる何かが、真っ白いそれをじんわりと濡らし始めていた。

「うぅ……うっ……くっ……」
翼は泣き崩れていた。
理不尽な光星への怒りか、いいように飲まされてただけの自分への悔しさか、はたまた情けない姿を愛菜の前で曝している今の自分への怒りか-。
様々な怒りと悔しさの積み重ねで、翼はベッドに拳と涙を打ち付けることしかできなかった。


しかしその時だった。
愛菜は翼の上体を無理矢理起こした。
その直後、「パン」と言う音が部屋の中を響き渡る。

「なっ……」
翼は自分の左頬をおさえながら、目を丸くして驚いていた。
彼の目の前には、右手を素振りしたかのような姿勢をとっている愛菜の姿があった。
彼女の瞳は鋭く、しかしどこか切ない光を放っていた。

「男がいつまでもウジウジ泣いてるんじゃないわよっ!!」
愛菜は強い眼差しで、翼にそう言い放った。

「愛菜さん……」
「水商売なんてのはね、やってれば嫌なことや辛いことなんて誰だっていくらでも出てくんのよ!そりゃ光星のしたことは理不尽だったかもしれない……でもね、男なら……ホストならちょっとは見返してやるくらいの根性出してみなさいよっ!!」
愛菜は、落ち込み続ける翼に対してさらに言い放った。
 
 
「男はね、どんなつらいことがあっても折れそうなときでも、絶対負けちゃいけないの!」
そう強く言い放った愛菜の瞳は、厳しさと同時にどこか悲しさを漂わせていた。
彼女のの激しい言葉に、翼は動こうともせず無言で彼女の瞳を見つめていた。

「自分を証明したいって、あなたそう天馬に言ったんでしょ?それともその言葉は嘘だったってこと?」
「……」
翼は言葉を失っていた。
男としてホストとして、突かれたくない痛いところを指摘されてしまった彼は、もはや何を言うこともできなかった。
ただ、言いようのない悔しさと憤りが彼の瞳から多量の涙を頬へと導いていた。

「翼くん、ホストを辞めるの?」
「……」
「まだ一ヶ月も経っていないのに、辞めてしまうの?」
「……」
「……そう」
無言の翼に、愛菜が諦めたように言った。
しかし、その時だった。

「……たくない」
「えっ?」
「辞めたくない……。俺はまだ、辞めたくない…」
「翼くん」
「もう、もう……あの時みたいな惨めな目に合うのはたくさんだ!」
そう言った翼の瞳を見て、愛菜はハッとした。

5-2


『あの写真のときと同じ瞳だ……。やっぱり似てる、あの子に……』



愛菜は、今目の前にいる翼をとある人物を再びオーバーラップさせていた。
悔しさや怒り、哀しさと言ったドス黒いほどの心の闇のすべてを映し出した彼のその瞳に、彼女はまるで吸い込まれていくように魅入っていた。



『似てるのはあの子だけじゃない……昔の私と-』



愛菜は翼とその人物だけでなく、加えて過去の自分自身をも重ね合わせていた。
そんなことも知らず、翼はその黒い瞳から流血にも似た痛々しい涙を流し続けている。
愛菜はハッとするように我に返り、再び口を開いた。

「あなたに昔何があったかはわからない。でも今は顔を拭きなさい、せっかくのルックスが台なしよ」
そう言って愛菜は、持っていたフェイスタオルをスッと翼へと差し出した。
「……すみません」
翼は受け取ったそれで顔を拭うと、一言力無く愛菜に返した。


「シャワー浴びてきなさいよ。スッキリするわ」
「はい」
翼は愛菜に促されるまま、体をよろつかせながらバスルームへと歩いていった。

「……」
そんな彼の姿がバスルームの中へと消えていくまで、愛菜は見守るようにそれを自らの視界の中へとらえていた。



服を脱ぎ全裸となった翼は、大理石を基調としたシャワーの中で湯浴みを始めていた。
先刻間もないときに愛菜が浴びていたのもあり、中はまだ残った蒸気と甘い香りが舞っていた。

「……」
翼は無言でシャワーから出る湯の霧を自らの頭に浴び続けた。
まるで自分の中の何かをすべて洗い流したいかのように……ただ、シャワーの湯が床とぶつかる無数の音だけが彼の耳を掠めていた。










『紗恵……』










翼の心の中でその名前が響いたとき、彼は滝のようなシャワーの中でガクンと崩れ落ちた。

「紗恵……紗恵……」
と、翼はある女性の名前を何度となく口にしていった。
まるで、過去に対する惨悔と現在の自分への嫌悪が、彼をさらに蝕んでいくように。





約30分後-
シャワーを浴び終えた翼は、バスローブを身にまとって愛菜が座っているベッドルームへと姿を現した。
「ずいぶん長かったね、シャワー。少しはサッパリしたかしら?」
「はい、おかげさまで」
愛菜の問いに、翼は頷きながら答える。
彼の体から出る冷めぬ蒸気と濡れた髪の毛が、長い入浴をしていたという事実を嫌がおうでも語っていた。

「そこに座って」
愛菜は翼をベッドの片隅へと座らせる。
「ハイっ、飲みなさい」
愛菜はそう言うと、ミネラルウォーターの注がれたグラスを翼へと差し出した。

「あっ、ありがとうございます」
やはり飲み過ぎで喉が渇いていたのか、翼はそれをクイッと飲み干した。
それを見てフッと微笑した愛菜は、彼の横隣へとスッと腰をおろした。

「ねぇ翼くん、一つ聞いてもいい?」
「はい?」
「あなたは何でホストになろうと思ったの?」
突然の愛菜からの質問に翼は一瞬キョトンとしたが、手に持ったグラスを脇に置きながら答えた。

「今しかできないってのもあるけど……自分が頑張ったことを、そのまま評価してくれることかな」
「そうね、お水をやってるならそれはみんな思うわよね」
「それに……」
翼は言いかけるように言葉を止めた。

「それに……なに?」
「いえ、何でもないです」
「何でもない??」
「えぇ……」
「何よ、そこまで言いかけて……気になるじゃない-」

しかしその時だった。
愛菜がそう言った瞬間、翼の表情が一瞬恐ろしいまでに豹変したのを彼女は見てしまった。
 
「……!」
愛菜はそれを見てからか、そのまま絶句した。『この人は想像を絶するような過去をくぐり抜けて今存在している』と瞬間で認知せざるを得なかった。
すると、翼の表情は再びもとの普通の様子にフッと戻った。
自分でもその一瞬の変化にハッとしたのか、翼は自分のこめかみに手を当てた。

「ごめんなさい翼くん……もしかして聞いてはいけなかったかしら」
「いえ……」
愛菜の謝りの言葉に翼はすぐに大丈夫だと返事をしたが、その一言はとても力がないものだった。
その後、10秒ほどか1分ほどか、長いような短いような沈黙の時間が二人の間に訪れる。

「……」

「……」

しかし、その沈黙を愛菜が破った。
「ご…ごめんね!変なこと突っ込んじゃって。誰でも聞いてほしくないことの一つや二つあるのは当然だし……私もどうかしてるかな……」
愛菜は、何かをごまかすように翼に言葉をかけた。
しかし、当の翼は斜め下に俯きながら重い沈黙を続けたままだった。

「ちょっと翼くん、あんまり黙り込まないでよ。まるで私が-」
「愛菜さん」
愛菜の言葉を遮るように、翼が口を開いた。

「お話します」
「えっ?」
愛菜はキョトンとした。
「愛菜さんは俺を助けてくれました……。それに-」
「?」
翼の突然の言葉に、愛菜は目を丸くした。
そんな言葉を言いながら自分を見る彼に、彼女自身妙な感覚を覚えていた。
しかし、そのまま翼は続けた。

「俺も、本当は誰かに言いたかったのかもしれない。理解してほしいのかもしれない。本当は隠したい、忘れたいはずの自分のことを」
「翼くん……」
「これをここであなたに言わなきゃ、俺はもうホストはできないような気がするんだ」
翼はそう言いながら、自分の着ているバスローブの裾を強く握った。

「わかったわ。あなたに負担が無ければ話して。今のあなたがいる理由」
自分の髪を軽く触りながら、愛菜は翼の瞳をまっすぐ見てそう言った。


「ただし、無理に言いたくないことは言わないで。私が必要以上に詮索したとは思ってもらいたくないし、あなたが話したいことを私は聞きたいの」
「わかりました」
愛菜の言葉に頷きながら、翼は語りを始めた。











本人ニトッテハ思イ出スダケデモ血ヘドヲ吐キソウナ、自ラノ過去ヲ-





        
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