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3.出会った二人

3-1

 
「失礼しますっ!」

翼はそう言って愛菜の向かいのヘルプ席に腰をおろした。
「翼くんていうんだ?」
「はい!」
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ」
「あ、はい」
翼の初々しい仕草に、愛菜はフフッと笑う。

「失礼しますっ!」
翼の後ろから一人のホストが元気に挨拶をした。
羽月だ。

「羽月です、ご一緒さしてもらっていいですかぁ!」
「どうぞっ」
愛菜は弱冠妙な緊張をしている羽月のことも快く受け入れる。
羽月もニコッとしながら、翼のとなりに座った。

「羽月くんかぁ……君すごく元気いいね。昨日そこの通りで一人ではしゃいでたでしょ」
「あ、いやー……恥ずかしいとこ見られちゃって……」
羽月は愛菜に対して照れ笑いをしながら頭をかく。

「対照的に翼くんはクールだね?」
愛菜はパッと話の先を翼に変える。

「いえ、そんな。まだ全然慣れてなくて緊張しているだけです」
「緊張してる……か。あんまりダメよ、お客を楽しませるホストが内面必要以上に見せちゃ」
「はいっ」
「翼くん、愛菜さんがすごく綺麗だからすごく緊張してんですよぉ!あ、僕もですけど☆」
翼をたしなめる愛菜に、羽月が軽くフォローするように話に入る。

「あら、そうなのぉ?」
「いや~彼の言う通りかもしれません!愛菜さんみたいな人初めて逢ったから」
翼は恐らく今までの人生で言ったことはないであろう歯の浮くような言葉で切り返した。

「ふーん、そうなんだぁ」
「愛菜さんは今日はお休みなんですか?」
今度は翼の方から話を切り出した。
その際に、ブランデーの水割りが入ったグラスを差し出す。
「うぅん、ホントは今夜仕事なんだけどちょっとわけあって今日は特別にお店抜け出してきてるの」
「お店?」
「うんっ」
「もしかしてぇ!」
羽月の声が浮き立つ。

「愛菜さんてキャバ嬢さんか何かですかぁ?」
「おいっ」
羽月の言葉を翼が遮る。

「へっ?何翼くん」
「女の人にいきなりそうゆう聞き方はないだろ」
「あっ……」
羽月はハッとした。
ついつい『してはいけないこと』をしてしまった。
 

「す、すんません愛菜さん!」
「いいわよ、そんな気にしないで。ただね、私じゃなかったらすごく怒られちゃうかもだから気をつけなさい」
「はい……」
愛菜の注意で羽月も珍しいばかりに軽く意気消沈する。その話をすぐ改めるように、彼女は続けた。

「まぁそう。私は近くのお店でキャバをしてるの。自分で言うのもなんだけど、これでもお水の世界ではちょっとした有名人なのよ。二人とも歌舞伎町は初めてっぽいから知らないかもしんないけど」
「はぁ」
翼は愛菜に対してどこか気の抜けたような返事をする。

「すごい人だったんですね、愛菜さんは!」
一方の羽月は、はしゃぐように愛菜に言った。

「フフッ」
愛菜がクスッと笑う。

「羽月くん、あなたってホントにストレートって言うかわかりやすいのね。おもしろいわ」
「いやぁ~!」
羽月は照れながらも笑っていた。
ホスト一日目にしてこれだけの美人で気品溢れるステキなトップキャバ嬢と話している……彼にはそれで胸いっぱいになるくらい、非常にうれしいことだった。

「翼くんはあまり私に興味なさそうね?」
「えっ?」
愛菜が翼に尋ね出した。

「普通ホストならここで羽月くんみたいに明るく盛り上がるんだろうけど」
「いや、興味ないなんてそんな……」
「別に怒ってるわけじゃないわよ。ただ-」
愛菜は翼に何かを言いかけると、ハッとしたように言葉を止めた。

「愛菜さん?」
「あ、うぅん……なんでもないわ。ただね、女の子は少なからず夢心地を味わいにここに来るんだから、あんまり暗い顔しちゃダメよ。天馬のやつからも言われるでしょう?」
「はい……え?愛菜さんは社長とお知り合いで?」
「へっ?」
愛菜のサラっとした発言に、翼と羽月はキョトンとしながら彼女を見る。
すると愛菜は軽くニコッとすると二人に対して口を開いた。
 

「そうよ。私はここの天馬社長が独立前に現役でプレイヤーやってたときの客なの」
「!」
翼と羽月は目を丸くしながら絶句した。

「フフッ、そんなに驚かなくてもいいでしょ」
「いや~」
羽月は驚きを少しでも自分から取り除くように、グラスの中をクイッと飲み干す。
そんな中、翼は愛菜に問い掛け始めた。

「あの、愛菜さん一つ聞いてもいいですか?」
「うん、いいわよ」
「えっと……天馬社長みたいなすごい人を指名してた女の人が、何で僕らみたいな新人を?」
「翼くん、ええやんそんなん。せっかく愛菜さんが俺ら呼んでくれたのに-」
羽月が翼を咎めようとしたとき、愛菜が割って入るように口を開いた。

「理由は簡単よ。天馬に頼まれたの。ってより、私が前から天馬に頼んでたって言った方がいいかもね」
「社長に?」
「えぇ。私、彼が現役を退いて独立して経営側になってからも、彼を応援したかったからしばらくずっとこのお店でフリー客として通ってたの。でも、ナンバー1の翔悟も含めても中々いなくてね……。天馬と同じくらい魅力のあるホストが」
「それで社長さっき僕らを」
「そう。それで久しぶりに入った新人であるあなたたち二人を今付けさせてもらったの」
愛菜は淡々と二人にいきさつを話していった。

「でも新人の俺らが天馬社長みたいなカリスマと同じくらいになんて恐れ多いですわ。ましてや今日入ったばっかりですしぃ」
羽月がそう言うと、愛菜は再びサラっと言葉を返した。

「あら、誰だって最初はそんなもんよ。あの天馬だってそうだったんだし」
「社長がっ!?」
羽月は思わず声を上げた。愛菜はプッと笑いながらも続けた。

「そりゃそうよ。天馬も今でこそはあんな冷静だしカリスマとも言われてるけど、昔……っても2年くらい前私が指名し始めた頃は、すっごいがむしゃらで不器用だったのよ。まぁ、私や他のお客が磨いたからってのもあるんだろうけど、彼は今のホストにはあまりないような凄まじいまでの努力家なの」
「そうなんだぁ」
羽月が静かに驚く。愛菜はさらに続けた。

「今のホストもすごい魅力的ではあるんだけど、当時の天馬みたいなあの『必ず成り上がってやる!』みたいな気合いと独特の魅力がないのよね」
「そうだったんですか」
「言うとね、今夢である経営者になって忙しい天馬に代わるホスト……つまりいずれ天馬のように大きくなる後継者みたいなホストを指名したいのよ」
愛菜はそう言うと、煙草を一本取り出した。
すかさず翼と羽月がそれに火を点そうと同時にライターの火をつける。

「フフッ、二人とも今の話でちょっとは私に燃えたのかしら?」
愛菜はとりあえずな感じで羽月が点した火にくわえた煙草を近づけた。

「フー……。まぁ、私は今日今すぐあなたたちを指名するわけじゃないから安心してね?もしかするとあなたたちじゃないかもしれないんだしね」
愛菜は意地悪そうに二人にそう言った。
その際に、彼女は気付かれないようにうまく翼を特に観察していた。



『この子……やっぱり……』



愛菜は心の中でそうつぶやくと、たまたま通り掛かった佐伯に話し掛ける。


「佐伯さん!」
「何でしょう?」
「ここにピンク入れて!」
「かしこまりました」
佐伯はそう言うと、すぐにその場からスタスタと歩き去っていった。

「あのぉ愛菜さん、ピンクってもしかして……?」
翼が愛菜に問い掛けると、彼女は無言でうなずいた。

「それくらいはテレビとかで知ってるでしょ?シャンパンの王様、通称ドンペリ。これからホストでてっぺん目指そうと思ってるなら、まずこの味を知っておきなさい」
すると、佐伯の手によりすぐにドンペリ・ピンクが到着した。
三つのフルートグラスになみなみと注がれる淡い輝きに、翼と羽月は一つの驚きを覚える。

「じゃっ、いただきましょう」
「ハイッ」
「カンパーイ!」
愛菜・翼・羽月の三人は、クイッとフルートグラスの中を口に注いでいく。
飲み終えると、愛菜はクスッと一笑いをした。
まるでそれが、何かを決定付ける彼女の意志のように……





数十分後-

「じゃあ私はそろそろ帰るわね」
翼と羽月に導かれ、愛菜はエントランスへと歩いていく。
「今日はどうもね」
愛菜は二人に軽いウインクをする。

「いえっ、こちらこそ」
「愛菜さん、また近々遊びに来て下さいねぇ!」
翼と羽月もそれぞれ彼女に言葉を返した。

「あぁそうそう!」
愛菜が何かを思い立ったように言った。

「二人とも……ホストらしく頑張るのもいいけど、自分の芯だけはしっかり持たなきゃダメよ。……短い時間だったけど楽しかったわ。それじゃあね!」
「ありがとうございましたぁ!!」
エレベーターの中に消える愛菜を、翼と羽月は大きな声で送り出した。

3-2

 
PM 11:30-

「お疲れ様でしたぁっ!!」
その挨拶とともに、【Club Pegasus】のこの日の営業は終了した。

「はぁぁっ……」
羽月が糸が一本切れたように深いため息をつく。彼の脇にいる翼も、初日のせいもあり疲れた表情を見せていた。

「よぉっ、お疲れさん」
「えっ?」
二人に声をかけてきたのはナンバー2の光星だった。

「お、お疲れ様です」
「どうよ、ホスト初日は?」
「いやぁ~思ってたより大変とゆーか」
羽月は疲れながらも明るい声で光星に言った。

「どうだ……これから店の奴らで飲みに行くんだが来いよ?」
「あ、ハイっ!」
光星の誘いに、羽月は快く返事をする。

「……お前は?」
光星はついでと言わんばかりに翼に声をかけた。

「いえ……せっかくのお誘いですが、俺は今日は帰らせていただきます」
翼は光星の誘いを断った。
すると、光星は一瞬表情をムッとさせると、「行くぞ」と羽月に声をかけその場を後にした。

「あっ……じゃあ翼くん、お疲れ様ぁ…!」
羽月は翼にそう言うと、光星の後を追うようにそこから走り去っていった。



『苦手なんだよな……職場の大人数での飲み会は
翼はそう思いながら、帰るためにとエントランスに向かった。
 

「翼」
「えっ?」
翼の後ろから誰かが声をかけてきた。
ナンバー1の翔悟だ。

「お疲れ」
「お疲れ様で-」
すると突然翔悟は翼の服を強く掴みにかかった。

「!?」
気がつくと、彼の右膝は翼の腹部に勢いよく槍のように突き上がり、僅かな鈍い音をたてていた。


「ぐっ……!」
突然の自らの体への衝撃に、翼は濁った声を漏らしながら膝から崩れ落ちた。

「がはっ……けほっ……」
翼は腹を抱えながら自分の目の前に立っている翔悟の顔を見上げた。
彼は営業時とはまるで別人のような恐ろしく鋭い眼光で、翼を見下ろしていた。

「なっ……」
「なっ……じゃねぇよ、翼」
翔悟のドスの効いた低い声が響き渡る。
それにより、ホスト数人かが何事かとその光景をやじ馬のように見始めていた。

「お前……今日みたいな接客で早紀が店こなくなったらどうするつもりだ?」
「げほっ……。いや、俺は何も……」
その時、翔悟は翼の襟首を両手で掴み、しゃがんでいる彼を無理矢理立たせるようにグイッと持ち上げた。

「何も、じゃねぇんだよ。お前がどうとかじゃなくて結果客の気分を害させたことを聞いてんだよ?」
翔悟はさらに両手に力を入れる。

「す、すいませんでした……」
翼は痛みで苦渋の顔をしながらそう言った。

「今度あんなありえないヘマしたら、こんなもんじゃすまないからな」
翔悟は翼を睨みながらそう言うと、彼の襟首をドンと突き放し無言でその場を後にした。
翼はヨロッとしながら、ひとつ大きなため息をつく。

「君、翔悟さんとか光星さんをあまり怒らせない方がいいぞ」
そう言って後ろから翼の肩をポンと叩いたのは、ナンバー3の由宇だった。

「じゃあお疲れ」
「お、お疲れ様です……」
由宇は軽くニコッと挨拶すると、すぐにエントランスから消えていった。



『くそっ……』



何も言わなかったものの、翼の心は苦渋の感情に充ちていた。
そんな気分で彼が帰ろうとしていたその時だった。

「翼!」
エントランスを出ようとした彼を天馬が呼び止めた。
 
「社長…お疲れ様です」
「お疲れ。どうだった今日は?」
「何とか…」
「元気ないな。そんなんじゃ、ホストは務まらないぞ?」
「はい、すみません……」
「よしっ、じゃあまた明日な!」
「お疲れ様でした……!」


翼は天馬に挨拶をすると、そのままエントランスを出てホスト一日目に終わりを告げるようにビルを下りていった。

ビルから下りた翼は、一本の煙草に火をつける。

「くそっ……あんな年下のやつらに……!」
翼は煙草の煙を口からはきながら、道ばたに落ちている空き缶を八つ当たりするように蹴り飛ばした。
「カンカーン」と軽い音がネオンの中を虚しく響かせる。

「はぁ……はぁ……」
よほど疲れたのか腹立たしいのか、それだけの一瞬の動作でも翼は激しく呼吸を乱す。

「翔悟……あいつ……!」
翼は恐ろしいまでの目付きでそうつぶやく。
すると、目の前の電柱に勢いよく右手の拳をたたき付けた。

「ぎっ……!」
電柱からの『ゴッ』という鈍い音が、さらに翼の表情を険しくさせる。

「あの客の女も気に入らないが……あの野郎……」
翼は再び拳を電柱へとぶつけた。
もう一度、さらにもう一度…彼は自らの右の拳をその電柱へと何度も何度も打ち込んだ。
その度に鈍い音がさらに鈍さを増して虚しくこだまする。
打ち込み続けた電柱には、赤い痕跡が生々しく残っていた。
それの出所は、痛々しいまでに赤く染まった翼の右手からなのは、どう見ても明らかだった。


「くっ……!」
翼は右手の動きをピタリと止めると、苦渋の表情を著しく示した。
「あいつ……翔悟……。翔悟ォ……ナンバー1だか知らないが俺が絶対に……!」
血で滲んだ右手をぶらりとふらつかせながら、翼は息を切らせるように翔悟への憎しみを口から漏らしていった。
するとふっと、その表情をニヤリとさせる。


「そうだった、暗くなってる場合じゃない。ホストは実力の世界……偉そうにしてるあの野郎を引きずり下ろしてやる……!それであいつをひざまづかせてやる!」
翼はその瞳に恐ろしいまでの何かを宿したように、再び電柱に目をやり右の拳をこれでもかと言う勢いで激突させた。

「今に見てろ……!!」
その真っ赤に染まった右手を握りしめ、翼はその場を離れるようにネオンの中を歩いていこうとした……その時だった。


誰かが翼の肩をトントンと叩いた。
「んん?」
翼が後ろを振り向くと、買い物袋を持った一人の黒いセミロングヘアの大人しそうな少女が立っていた。
年齢は二十歳前後くらいだろうか、彼女は大袈裟なまでに驚いた表情で彼の右手を見ていた。
彼女は翼のその怪我した右手をゆっくり指さしていく。

「あぁ、これね。いいんだ……て言うより、君は?」
翼がそう言うと、彼女は無言で肩にかけていたバッグからオレンジ色のハンカチとポケットティッシュを取り出した。

「……」
「へっ?」
彼女は翼の右手を自分によこすように、左手を差し出した。
翼もわけのわからないままにと、その血まみれの右手を差し出す。
すると彼女は、数枚のティッシュでこびりついた血を拭きだした。

「お……おい、そんないいよ君……!」
彼女の突然の行動に、翼は驚きながらそう言った。
しかし、彼女は彼の目をまっすぐ見つめ首を横に2往復振る。
「……」
翼はそんな彼女の行動を不思議と思いつつも、黙って見ていることにした。
彼女はティッシュで血を拭き終えると、そこに絆創膏を貼り、さらにその上からオレンジのハンカチを包み込むように結んだ。

彼女は『これでよし』と言わんばかりに、笑顔で縦に首を振った。

「あ、ありがとう」
翼は応急処置されたその右手を見ながら言った。
彼女もニコッとしながら彼の顔を見つめる。
「ホントにありがとう。これ-」
翼がそう言いかけると、彼女はペコッと頭を下げその場をスタスタと歩いて去っていった。
 
「あっ……」
翼はしばしそこに立ち尽くした。



『何だったんだろう、あの女の子』
翼はそう思いながら、右手に縛られたハンカチと消えゆく彼女の背後を交互に見続けていた。
「……」
翼はふと何度も殴り続けた電柱を見た。
自分の右手と違い未だ赤く染まったそれは、数分前の憎しみの感情に燃えていた自分の象徴のようにも見えた。



『また明日から仕事だ。俺は必ずあの店で成り上がってやる……!』

翼はそう誓い、ネオンに輝く歌舞伎町からの帰路へとつこうとしていた。
その瞳に、さらなる闇を宿しながら-。





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