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幼なじみを殺しても、ぼくの人生が変わることはなかった。

魔法少女を殺しても、ぼくはのうのうと生きてこられた。

代わり映えのしない高校生活。
 代わり映えのしない人間関係。
 代わり映えのしない毎日と、あの日から時間が止まったまま、変われないぼく。
 だけどいつか罰を受けるだろう。

そう思っていた。

そう願ってもいた。
 因果応報。

罪には罰。

変わらないものなんてない。

 そして、それは何の前触れもなくやってきた。


 鉄筋コンクリート造四十階建ての高層ビル。その屋上の淵に立ち、数百メートル下の地面を覗き込む。高い。当たり前だ。

 今日は、春先にしては風もなく暖かい。ここでそうなのだから、あの豆粒みたいな人影が蠢く遥か下のアスファルトに寝転がってみれば、きっと暑いくらいだろう。

太陽に近くなる程寒いなんて、昔はおかしな話だと思っていたっけ。
 ぼくは回れ右をすると屋上の真ん中まで歩いていって、そのまま灰色のコンクリートの上に、躊躇うことなく大の字に寝そべった。
 過去を語れる程に歳を重ねたつもりはないけれど、眠気を誘う暖かい陽気は、無邪気に昔の記憶を引っ張り出そうとするから性質が悪い。
 ぼくはポケットから百円で売っていそうな安っぽい折り畳みの鏡を取り出して、手の中で弄んだ。
 危ない危ない。こんな日は、思わず死にたくなる。
 ……ここから飛び降りたところで、今のぼくならどうせ死なないのだろうけど。
 欠伸を噛み殺して伸びを一つ。ぼくは雲一つない真っ青な空を仰いだ。

飛行機が、遠くの空を飛んで行くのが見えた。
「んーいい天気だー」
「おい、童(わっぱ)
 突然そう呼ばれ、眩し過ぎる春らしくない太陽が急に見えなくなった。ぼくは首を軽く反らして、鈴を転がした声のする方を仰ぎ見る。
 別に驚く程のことじゃない。
 先程まで誰もいなかったはずの頭の後ろの空間に、腕を組み、陰になっているので分かりにくいが、恐らくぼくを無表情の鉄仮面で見下ろして、昔話の絵本から抜け出して来たかのような童女が立っていただけだ。
 童話の女と書いて童女。まさに名前そのままの女の子がそこにはいた。
「どうしふぁの?」
 ぼくは欠伸混じりの声でそう聞いた。
「どうしたもこうしたもないわ、まったく。話の途中で急にいなくなりおって。探すのに苦労したぞ」
 無表情の童女は抑揚のない調子でそう囁く。苦労したと言う割には、ぼくが口うるさい童女の元から逃避行してまだ半刻と経ってはいないし、第一、表情などなくても、物言わない黒い瞳はケラケラと笑っていた。
 童女にとって、ぼくなんて所詮は喋るおもちゃ程度の存在なのだろう。
 裸足に《天狗下駄》と呼ぶらしい一本歯の下駄を器用に履いて立っていても、身長は座ったぼくよりちょっと高いくらい。
 なぜか丈が膝小僧までしかない真っ赤な唐衣の十二単が映える、夜空を丁寧に織り込んだような長い黒髪。対して、白磁のように染み一つない真っ白な珠の肌。ほんのり朱に染まった唇に、非の打ち所のない整った目鼻立ち、と動かないでいればまるで等身大の雛人形だ。
「よっ」
 そんな見目麗しい童女は表情一つ変えずにひょいと地面を蹴ると、重力を感じさせない動きでぼくの頭の上を一回転して飛び越え、足と足の間へと音もなくふわりと着地してみせた。

完全に人――ましてや幼い子供の動きじゃない。

つまり。

この童女は人じゃないのだ。

「お主、その身体能力には随分慣れたようじゃな?」

腰に手を当てて小首を傾げるまでの一連の流れは、上から見下ろされていることもあってか、やけに堂に入って見えた。
 童女は首だけ反らしてぼくを見下ろす。
「うん、おかげさまで」
「阿呆。皮肉じゃ」
 無表情で呆れられてしまった。童女は尚も続ける。
「確かにお主は、《前の》娘っ子と違って有能ではないが、儂ですら未だかつて見たこともないような、未知の存在じゃ。それは認めよう」
 童女は言葉の一節だけをやけに強調して言う。

これも皮肉か。それも古傷を切り開いて塩をかけるように痛烈な。
 しかし本人にとって皮肉とは日常会話の一部と同じなのだろう。彼女は特に嫌がらせをしたい様子もなく、そのまま畳みかけるように「じゃが……」と、古風な語り口でぼくを叱責する。
「こんな真っ昼間から人目もはばからずひょいひょい跳び回りおって……少しは《魔法少女》としての自覚を持たんか、このたわけ!」




 魔法少女に助けられた――。


 この国でそんな噂話がまことしやかに囁かれるようになったのは、魑魅魍魎・怪談奇談の伝説や言い伝えが、科学の進歩と人間の生息分布図の急激な広がりに反比例するように減少していった、維新の時代以降からだそうだ。
 一説では中世の魔女狩りを逃れて世界各国へと散った魔女の末裔だとも言われ、それでいて実態はいつまでも噂の域を出なかった。
 しかし人間という生き物は不思議なもので、想像を掻き立てる、形を持たない不思議な噂は、逆に人々の想像力に火をつけた。特にこの国では。

あれよあれよという間に、人々を救う魔法少女像は偶像(アイドル)崇拝の対象にされ、時が流れた現代ともなれば、魔法少女は至る所にでもいる。
 漫画、アニメ、小説に映画やドラマ。二次元にも三次元にも……よっぽどこの国は年頃の女の子を戦わせたいらしい。
 だが、これだけ何番煎じかも分からない創作物に溢れた現代でも、コスプレや撮影などではなく、本物の魔法少女を見たという噂が時折思い出したように流れる。
 例えばつい先日、「どこかの中学校で、星形のような光の渦らしきものを操る童女みたいな人影だと思うものを見たかもしれない」と、誰かが話しているのを耳にした気がするが、果たしてこの話のどこに信憑性があるというのか。
 とてもじゃないが信じられない。
 平々凡々を絵に描いたような人間とよく言われる。カドが立つのが苦手で座右の銘は《行雲流水に生きよう》。趣味は、屋外の高い所に登って不毛な時間をだらだらと過ごすこと。

高校を卒業したてで、今はしがない旅の人でしかないぼく、音無 誠志郎(おとなし せいしろう)も、そう思っていた。

 


『おい童。お主、魔法少女にならんか』
 これは昨日の話だ。
 いずれは親の仕事を継ぐ予定のぼくは、高校を卒業して、取り敢えず春休みの名目で卒業までバイトで貯めた貯金を全てつぎ込んで、この国を列車(ローカル線のみ)で上から下まで縦断する旅に出ている途中だ。
 だけど旅二日目にして、早くも問題に直面することになる。

とある田舎町のうらぶれた駅のホームで列車を待っていた時だった。
 突然降って湧いたように、どこからともなく彩色煌びやかな丈の短い和装の子供が現れて、ぼくに魔法少女になれと言ってきたのだ。
 最初は地元の子にからかわれているのかと思った。次に昔よくやったごっこ遊びだろうと思った。

ぼくは《魔法少女》という単語に特別嫌な思い出がある。次の電車まであまり時間がなかったこともあり、だからせめて年上らしく、童女の機嫌を損ねないようやんわりと断ったのだけれど……、
『たわけ』
 優しく言ったつもりだったが、そんなぼくの気遣いは文字にして三文字、一刀の元に両断された。
 別に童女は叫んだわけじゃない。凄んだわけでもない。ただ一言、ぼくを黒い双眸でじっと見つめながら、静かに言っただけだ。
 それだけなのにぼくは体中の毛が一斉に逆立つのを感じ、喉元にナイフの切っ先でも突きつけられているかのように、切符を握っていた手のひらがじとりと汗ばみ、息が止まった。
 蛇に睨まれた蛙の気分。いくら何でも、見た目が小学生くらいの童女から感じる迫力じゃなかった。
『儂は頼んでおるのではない』
 そんなぼくを見透かしたように、奇抜な和服の童女は続けた。
『よいか? 儂の言葉は勅、或いは神託に等しいと思え。つまりお主に選択肢はない。儂は祇祇(しぎ……魔法少女を導くもの』
 暑くないのか、着物を何重にも重ねた童女は、澄んだ声で朗々と語る。
 そしていきなりぼくのパーカーのポケットに小さな手を突っ込むと、中から四角い鏡を取り出して、狼狽するぼくに向けて、とどめとばかりに鏡面を突きつけた。
『戦え。それが儂の魔法少女を殺したお主の責務じゃ。のう? 魔法少女代理よ』


 四角い枠に映るのは、いつかぼくが殺した魔法少女の昔の姿。
 ぼくがいつの間にか変身していたのは、在りし日の幼馴染だった。

 


 それにしても、と童女改め祇祇は相変わらずの能面で言う。

 少し風が出てきた。柔らかな春風が色鮮やかな十二単の裾をさわさわと揺らしている。
「儂がいなければその鏡もただの鏡じゃったろうから、変身したことがないのは分かる。じゃが、代理とはいえ仮にも魔法少女を名乗る者が、変身の呪文は無いわ武器は無いわ。魔法も使えなければ、技もない。変身で強化されとるのは左の脚力と右の腕力の二点という中途半端さ。挙げ句の果てに何じゃその格好は?」
 さて、儂は笑えばいいのかの? そう言うなり両手を広げ、祇祇は表情一つ変えずに笑う。

「か、か、か」

と。

けど、ぼくに言っても仕方がないだろうに。
 上は胸の下あたりまでの、マラソンで着るようなぴっちりしたノースリーブのランシャツに、下は膝上までの、両脇にオレンジのラインが入ったスパッツ。足を包むのはいかにも軽そうなシューズ、と、魔法少女というよりまるで陸上選手そのもののような服装だ。
 唯一陸上選手らしくないのは、右手首と左足首に付いていた機械のようなリング(腕輪)のみ。

 その全てが見事に真っ黒で、高い位置で一つに結わえた腰までの黒髪ポニーテールと合わせて、魔法少女になったぼくは全身黒ずくめのランナーだった。

それでも、今のぼくは魔法少女だった。……魔法の一切使えない。
「今まで数多くの魔法少女たちを見てきたが、儂の予測を遥かに上回った珍妙な変身を遂げたのはお主だけじゃ。誇るがいいぞ」
「……嬉しくないよ」

これで魔法少女じゃなければ珍妙とは言われないだろうに。

「この姿だと疲れないから走って旅が出来るのはいいけどね」

「たわけ。それで敵に見つかって追われておっては本末転倒じゃろうに」
 目の高さまで持ち上げた小さな鏡に映るぼくは、垢抜けない女の子の顔で不器用なピエロのようにぎこちなく笑っていた。

――《罪と罰》。作者はどこかの思想家だったっけ?

この鏡は、ぼくが殺した魔法少女の遺品。そして最後に彼女から託された、魔法少女への変身道具だった。ぼくは直接見たことがないのだけれど、彼女はふりふりのドレス姿で戦う魔法少女だったそうだ。
 そしてその道具を引き継いだぼくも、この鏡を見ると瞬く間に魔法少女になってしまうのだ。

ぼくのその変化には、アニメやドラマみたいに光も音も変身シーンだってない。仮面を被るように、次の瞬間には別人……性別すら一瞬で変わる。この服も、顔も、体つきまではどうか分からないが、変身したぼくは、仲良く魔法少女ごっこをしていた小学生の頃の幼なじみの姿そのものだった。

なぜか魔法少女だった頃の彼女ではなく幼い頃の彼女の姿だったのだけど、ぼくを魔法少女《代理》と呼ぶ祇祇に言わせれば、中途半端な筋力強化や魔法の有無も合わせて、ぼくのいくつかの感情の欠落が原因らしかった。

一年じゃ完全に元には戻らないだろうな、とぼくは勝手に納得する。思い当たる節はないこともないのだ。最近ではあの現場周辺を通っても感情が揺さ振られることはなくなってきていたから、もしかしたらとは思っていたけど、どうやらぼくの脳は喜怒哀楽を直すのを諦めて、とりあえず切り離すことにしたらしい。

予想は悪い方で当たってしまった。

 自分の体とはまだ実感できていない両胸のささやかな丘陵を、ぼくは寝転がったまま両手で鷲掴みにしてみるが、やはり服装だけでなく肉体も童女のそれになっているようだった。腕や足の筋肉も骨格も動かし方も、表情の動きまでが男だった時とは大分違う。
 しかし右の細腕を天に向かって突き出してみると、この細腕のどこにそんな力を蓄えていたのかと思うくらい鋭い拳が宙を切り裂き、拳圧に押されて渦巻いた空気が頬を撫でていった。

 ぼくは、目を閉じぶつぶつと独り言を呟いている祇祇を無視して、おもむろに起き上がる。

――これがぼくへの《罰》か。

 右手には幼馴染の遺品、そして今はぼくの変身アイテムである鏡を持って立ち上がる。その鏡が規則的に赤く明滅して、何かが起きていることを知らせていた。
「逃げるな」
 童女は立ち上がって伸びをするぼくにそう言った。後ろを向いたまま、片目だけ開いて、ぼくを見上げて。目が合った相手を深々と射抜く黒い瞳が、ぼくに問い掛ける。
「逃げ続けてもいずれは戦うことになるじゃろう。運命や宿命などと軽々しく言うつもりはないが、これはそういった不可避な争いじゃぞ?」

「分かってる……つもりだよ」

ぼくは魔法少女同士の争いに参加させられている……今はもういない彼女の代わりに。

人ならざる雛人形風の十二単の童女は、一人前になる為の試験と称して人間――老婆でも少年でもサラリーマンでも学生でも、誰でも――を魔法少女にして、変身道具を奪い合わせる戦いの参加者なのだそうだ。ぼくが兵士だとしたら、この童女はオペレーターといったところだろうか。

いつからかは知らないが、昔からこの試験は幾度となく行われてきたらしい。

詳しい試験の内容や祇祇のことは教えてはくれなかったが、ぼくに拒否権はないこと。それに、敵の魔法少女から奪った変身道具を集めると、その魔法少女には幸福が約束されるらしいということは分かった。

「それでも」
 ぼくは感情の籠もっていない声で言う。膝の屈伸を二、三回して体をほぐし、いつでも動けるよう止まっていた体に火を入れる。
「ぼくは戦わないよ」

 君子危うきに近寄らず。三十六計逃げるに如かず。逃げの一手が悪手とは限らないことは、歴史の偉人たちが証明してくれている。
 だからぼくは逃げることにした。

 童女は嘲るように「はっ!」と吐き捨てた。
「ではいつまで逃げる? どこまで逃げる? 争いを避けられないのを分かっていながら敵前より背を向けて逃げるお主は、いったいいつになったら戦うつもりじゃ?」
 童女は能面の奥に怪しげな雰囲気を浮かべ、ぼくに問う。

「自ら魔法少女代理になったお主が!」

鳥肌が立つ。返答如何によっては食い殺されてしまうのではないかとさえ思えた。
「そうだね……」

ぼくは思案する。

 普段のぼくは地味で冴えない日陰者だ。喧嘩すれば十中十負ける。当たり前だけど、出来れば戦いなんてしたくはない。怖いし。痛いし。

けれど一度この姿になると、身体の奥底から力が溢れ、気を許すと誰でもいいから無性に戦いたくて仕方がなくなるようだ。
 変身した者をそんな衝動に走らせる一種の麻薬作用か、魔法少女風に言わせれば戦いの運命って奴を感じずにはいられない。
 だから、逃げ続けていても、いずれは誰か他の魔法少女とぶつかることになるんだろう。

 だったら、
「相手が正義のヒーロー……魔法少女だったら、ぼくは死ぬ気で戦うよ」
「ほう、正義とな」
 表情こそ変わらないが、祇祇はぼくの返答に驚いているようだった。
「ぼくは幼馴染を殺して彼女に成り代わった悪い魔法少女。だから戦うなら相手は正義だけ。ぼくは全力で戦って、最後には正義の魔法少女に倒されなきゃならないってこと」
「勧善懲悪か。じゃが娘っ子が死んだあれは――」

「ぼくが殺したんだよ!」

 そこだけは曲げられない。

曲げてしまったら、きっとぼくは折れてしまう。

「だから……きっとぼくは罰せられたいんだ。正義ってやつに」

「やれやれ、儂としてはお主まで倒れてしまっては困るのじゃが……おい童。もしじゃぞ? そんな魔法少女が一人もおらんかったら、お主、どうするつもりじゃ?」

「死ぬまで一生逃げ続ける」

「お主が正義を倒したら?」

「どっちも悪」

「はっ、娘っ子もそうじゃったが、お主も大概狂っておるの」

「そうだね」

 狂うべくして狂ったんだろう。ぼくも、死んだ彼女も。

 けどぼくはこのくらいで丁度いい。

 好きこのんで魔法少女になるような奴なんて、大概どこか狂っているのだから。

「だから、それ以外の魔法少女からは本気で逃げる。ぼくは戦わない」

 正義の魔法少女に当たるまで、負けられないからね。ぼくがそう言うと、祇祇は十二単の袖を振り、短い裾をはためかせて身を翻し、ぼくに向き直った。

「……お主ら人間の考えることは、儂にはとんと理解できんよ。まったく、正義だ悪だと……そんなもの、立場が変わればすぐにひっくり返ろうに」

そのまま両手のひらを上に向け、首を横に振ってみせる。

儂には分からん、と。
「矜持だよ」
「エゴじゃろう」
 皮肉る童女の横顔は、心なしか楽しそうに見えた。

「……かもね」

 我ながら酷い奴だった。

「さて、そんなことを言うておったら早速来おったぞ」

「うん」

正面に見えるビルの上から、鮮やかなドレス姿の人影がこちらへ向かって飛んでくるのが確認できる。手の中の鏡がいっそう強く、赤く、輝く。

「逃げよう」

ぼくと祇祇は同時に灰色の屋上を蹴って、躊躇いなく高層ビルから飛び降りた。

 

さあ。

ぼくたちの春休みはこれからだ。


この本の内容は以上です。


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