閉じる


創業からM&Aまで

色々と状況も立場も変わったし、ペパボ創業から今までをざざっと書いてみる。複数回に分けます。何しろ数年前の話、元々記憶力に乏しい中で書き起こしてますので、事実と違う所や、大事な所を端折ってしまってたり、該当する方々の気分を害する部分があったらごめんなさい。創業より前の引きこもり云々は省きます、ま、また機会があれば。

ーー

9年前、22歳の時に福岡の片田舎でペパボを立ち上げた。その時は別に会社を大きくしたいとか全く考えてなかった。家で仕事が出来て、仕事をしながら子育て出来ればそれでいいやと思ってた。当時サラリーマンをしてたんだけど、定時出社、同僚や取引先とのコミュニケーションが苦痛だった。サラリーマンを辞めたいが為の起業。どちらかというと逃げ腰の起業だった。

起業と同時にロリポップを立ち上げた。最初は一人だった。デザイン、開発、サーバー管理、ユーザーサポートを全部一人でやっていた。息子が産まれた夜遅く、病室でクレーム電話に対応して泣いた。
ユーザーは立ち上げからずっと順調に増えていた。その内ユーザーサポートが回らなくなってきて、ネットで知り合った現ペパボ社長の健太郎(くわがた)に入ってもらい手伝ってもらった。僕がためこんだユーザーからのメールを、健太郎はストレスで血尿を出しながら返信していた。

サービスを作るのは楽しかった。元々デザイナーだったし、一人でデザインや開発をして、それがユーザーからダイレクトに反応があるのはとても刺激的だった。学生時代は油絵をやっていて、将来は画家になりたいと思ってたけど、世の中に作品を出して反応を得る、という点に置いては会社経営もウェブサービス制作も表現活動なんじゃないかと思う。

その後もユーザーは順調に増え続けた。社員も増え、事務所を構えた。会社が大きくなっていくことに喜びを覚えはじめていた。併せて、責任も感じはじめていた。もう僕一人の会社じゃ無いんだ、と。急激に社員が増える中で、会社の制度が追いつかなくなってきて色々と問題もあったけど、まあ楽しくやっていた。

起業2年後、急に上場IT企業3社からM&Aのオファーが届いた。最初は全部断る予定だった。でも滅多に会える様な人たちじゃ無いし、会ってみて断っても良いかなと思った。実際会ってみた中、GMO熊谷さんに口説き落とされてしまった。経営者として、人間として、輝いて見えた。この人と一緒にやりたい、やってみたいと思った。

GMOインターネットグループに入った。決め手は熊谷さんの人格、そして「社名やブランド名は一切変えなくて良い、社風もそのままで良い、むしろGMOグループをペパボ色に染めてくれ」という熊谷さんの言葉だった。50.1%を譲渡した。全部持ち株の譲渡だと何だか会社や会社のみんなに申し訳無い気がして、半分は増資にしてもらった。オファーが来て1ヶ月後の出来事だった。普段からモットーとしている「やると決めたら後はどれだけ早くやるか」に従った。

上場企業とのM&Aなので、正式発表されるまで健太郎以外の誰にも相談出来なかった。発表された昼過ぎ、社員を集めて説明した。既に日経朝刊などで知っていた社員も居て、自分の口から伝えられ無かった事を申し訳なく思った。「えーっ、まじで…」という声もあった。ムームードメインを立ち上げて、GMOのお名前.comを敵視してやってた中、それは当然だった。

会社、個人それぞれに数億円が振り込まれた。
僕らはGMOインターネットグループにジョインした。

1
最終更新日 : 2010-06-22 11:35:29

M&Aから上場まで(1)

会社、個人それぞれに数億円が振り込まれた。
僕らはGMOインターネットグループにジョインした。
25歳の春だった。

それぞれ立場が激変した。まずペパボ。
それまで有限会社だったのを株式会社化した。福岡のままでも良いよ、と熊谷さんには言われてたけど、元々東京への移転を健太郎(くわがた)と話していたので、本社を渋谷セルリアンタワーに移転した。東京は福岡と違ってとても刺激的だった。良い意味で変人が福岡に比べ多かった。

同世代で野心を持った人も多く、それまで福岡でほのぼのと会社経営をしていた僕はとても影響を受けた。同じ時期に京都から東京に移転したドリコムの内藤君はまだ上場前でblog of the year!とかやってたし、gree田中さんはまだ楽天にいたし、イーマーキュリー(現mixi)笠原さんはmixiを開発中だったし、はてな近藤さんとは家族ぐるみでお付き合いさせてもらってたし、はてなCTO伊藤さんはまだニフティだったし、sixapart宮川さんはまだライブドアだったし…ああ懐かし。切りがない。今思い返すとたった数年でみんな状況が変わってる。76世代は草食男子とか言われたりするけど、みんなとにかくハングリーに動き回って、今に至ってるんだと思う。

僕。
セルリアンタワーの事務所に歩いて行ける、渋谷区南平台に引っ越した。株の売却益は、両親へのプレゼントと東京への引っ越し代金、残りは運用に回した。20歳前後の時は、博多駅前でオカリナを吹いて生計を立てて行ければいいな、くらいにしか考えてなかったから、正直、数億円が銀行口座に入っている意味が良く分らなかった。まあでも親には不登校などで色々迷惑かけたし、恩返し出来て良かったな、くらいに思ってた。

前述の同世代経営者との交流が増えた。みんな独立系で、野心に燃えていて、初めて「ああ、僕はグループ子会社の社長なんだな」としみじみと実感した。グループが嫌だった訳じゃない。むしろ大事にペパボを見守ってもらってとても感謝している。

ただ、みんなの中で自分だけがグループ子会社の社長、という状況が、寂しかった。

自分で決めた事だ、と無理矢理自分を納得させた。

2
最終更新日 : 2010-06-22 11:35:43

M&Aから上場まで(2)

福岡時代、僕はペパボはいわゆる”ベンチャー企業”では無いと思っていたし、スタッフにもそう言っていた。ITベンチャーで連想される、ヒルズ族、といった様なギラギラとしたキーワードが嫌だったというのもあるし、そもそも会社自体は起業した月から順調に売り上げが伸びて経営は安定していたから、がつがつとする必要が無かった。そもそもの起業したきっかけが「家族といたいから」だったしね。

東京に出てきて、同世代経営者との交流が増えた。福岡時代は周りに経営者の先輩や友達なんかいなかった。社長として社員には言えない様な悩みを共有出来る仲間が出来た。熊谷さんといった、経営者として参考にしたい人物が身近に出来た。今考えると愚かだったなと思うけど、言動や振る舞いといった表面的な部分で「もっと社長らしくあるべき」と勘違いしはじめた。社員に「家入さん」から「社長」に呼び方を変えるように命令した。偉そうに振る舞ってみたりした。

僕は僕のやり方で良かったのに。
僕は熊谷さんにはなれないし、そして、別にならなくて良いのに。
僕らは他の誰かになんてなれないし、ならなくて良いんだ。

会社も大きく変化していった。グループに習って予実管理を行う様になった。雇用規定や給与規定、評価制度といった社内制度が急激に整備されていった。
東京に出てきて、そして東証一部企業のグループ会社になって、僕も会社も急激に変化していた。そして、まだ大多数の社員が残っている福岡支社のみんなと意識がすれ違いはじめた。

そりゃそうだ。福岡の社員はみんな、まだ家族経営的なペパボのままだと思ってるのに、そしてそんなペパボについてきているのに、自分たちの知らない所で、顔の見えない幹部陣に勝手に会社が凄い勢いで作り替えられてるのだ。

福岡支社が荒れ始めていた。「社長が何を考えているのか分らない」「会社の方向性が見えない」「今までのままで良かったのに」といった避難の声が上がってきた。僕は僕で「こんなに頑張っているのに、会社をより会社らしくしていこうとしているのに、何でみんな分ってくれないの!?」と悩んでた。とにかくペパボをちゃんとした会社にしたかった。周りの経営者に追いつきたかった。

会社は、大きくしていく為にあるんだ。
ユーザーを増やして、売り上げを伸ばして、みんなの給与を上げて、社員を増やして、会社を大きくしていくんだ。そしたらみんなハッピーじゃん。

そう本気で思い始めていた。

「家族と、子供と一緒にいるために会社を作った」

そんな僕はもういない。

GMOグループに入った時に、僕は”ITベンチャー企業経営者”になったんじゃないかと思う。

3
最終更新日 : 2010-06-22 11:35:52

この本の内容は以上です。


読者登録

イエイリカズマさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について