目次
坂本竜馬の言説(12)
現代の日本人よ(12)
幕府新体制の混迷
― その1 ―  幕論は攘夷か、開国か
― その2 ―  攘夷実行を迫る勅使
― その3 ―  容堂復帰とその背景
山内容堂誹謗事件
― その1 ―  長州との軋轢
― その2 ―  竜馬現る
― その3 ―  五十人組江戸へ
熱き至誠の人・中岡慎太郎
― その1 ―  憎っくき乾退助
― その2 ―  容堂への忠誠
政事総裁・松平春嶽との接触
― その1 ―  桂小五郎の苦言
― その2 ―  海軍盛大論
― その3 ―  竜馬謁見
― その4 ―  攘夷論者・千葉重太郎
師・勝海舟との出会い
― その1 ―  やって来た千葉道場の二人
― その2 ―  鬼の国を見た男
― その3 ―  三国連合構想
― その4 ―  幕府の六備艦隊計画
久坂玄瑞と長州
― その1 ―  イギリス公使館焼き討ち事件
― その2 ―  慎太郎・信州松代へ
― その3 ―  佐久間象山の開国的大攘夷論
― その4 ―  高山彦九郎、そして吉田松陰
― その5 ―  土佐藩と容堂の微妙な立場
幕府の蒸気船・順動丸
― その1 ―  品川沖の幕船
― その2 ―  老中・小笠原長行
横井小楠の受難
士道忘却事件
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現代の日本人よ(12)

 「日本は西洋のやり方を受け入れて、世界の経済大国にのし上がった。
 立派なもんじゃ、
 さすが大和民族ぜよ。
 
 けんど政治は駄目じゃ。
 やっと育った企業をまるで潰そうとしちゅうように見える。
 そして民衆から集めた金を私腹のために利用して回り、その挙げ句には大借金国の出来上がり。
 
 こんなマヌケな国に誰がしたがよ。
 
 そもそもは明治維新じゃ、
 維新の仕方に問題があった。
 あそこで何かを間違っちゅうがやき。
 
 わしはそれを見つけ出して、正さなければ気が済まん。
 でないと、
 死んでも死にきれんがやきに」


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― その1 ―  幕論は攘夷か、開国か

  天下太平の世にあった江戸の終焉はここから始まった。
  嘉永六年六月三日、蒸気機関のペリー艦隊が江戸沖に現れてからだ。黒船来航である。
  それから五年後、大老となった井伊直弼によって西洋諸国との間で通商条約が調印され、異人が国土に足を踏み入れるようになったのである。
  人々は戦々恐々、異国人による侵略を恐れた。
  そして安政七年三月、徳川幕府の独断での開国調印に対する怒りが爆発した。江戸城桜田門外において、老中職の井伊直弼が水戸浪士に白昼堂々惨殺されたのである。更には坂下門外で老中・安藤信正が襲われ、京では攘夷浪士によって幕吏への天誅が横行し始めた。
  いよいよ徳川家の独裁に翳りが見え始め、水戸・長州を中心とした反幕府の勢力と諸藩の浪士浪人が尊王で結束し、天誅を操り京を支配する。
  ・・・そんな反幕府勢力の力を背景にして、朝廷の発言力が増大していったのであった。
 
  そして文久二年、薩摩藩の島津久光が率兵上京し、朝廷の勅使と共に江戸の幕府改革を迫り、一橋慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を政事総裁職に任命させた。
  しかしその薩摩藩が何と異国人との間で重大な事件を起こしてしまった。江戸を去る薩摩藩の行列の行く手を妨害したとして、イギリス人四名を殺害したのである。
 
   ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

  ― 江戸城 ―
  幕府の形は大きく転換した。
  朝廷からの勅使を利用した薩摩藩・島津久光の圧力によって、将軍後見職と政事総裁職を新たに設けたのである。
  老中合議だったこれまでの幕政からの脱却だ。
  両職には安政の大獄で謹慎させられていた一橋派の中心人物・一橋慶喜と松平春嶽がそれぞれ就任し、新しい体制で徳川幕府が動き出そうとしていた。
 
  将軍後見職となった一橋慶喜はこう考えていた。
  「老中らはこの度の改革を朝廷対策、諸藩対策に過ぎぬと思っているだろう。・・・そんな意識しか持ち合わせていないのなら、いずれ不平を持つ諸藩が蜂起し、徳川との一戦にもなるであろう」
  と幕内の朝廷軽視の姿勢を批判した。また本気で改革できぬ現体制を投げ遣りとも取れる態度で見ていたのである。
 
  一方、
  政事総裁職となった松平春嶽は、
  「徳川家は権威や私益への固執を捨てなければならない。今は朝廷・幕府・諸藩が手を組んだ公の政治をすべき時代なのだ」
  と主張し、高い意識で幕政を捉えていた。
  春嶽は幕府の体制を雄藩連合へと移行し、議会制度を取り入れるべきだと考えていたのだった。それは熊本藩から招いた顧問儒学者・横井小楠の考えに沿ったものである。安政の大獄で有能な藩士・橋本左内を失った春嶽は、新たな国家像を持つ熊本藩の儒学者・横井小楠を政治顧問として迎え入れ、その意見に基づいて幕府改革を進めようとしていたのであった。
  その改革の第一歩として、春嶽は参勤交代の緩和を決め、また人質のように江戸に捕らわれていた諸藩の大名妻子が自由に国許へと帰る事を許すなどした。
 
  しかし改革が進められていく中で、一橋慶喜と松平春嶽、二人の意見が対立し始める。食い違いが表面化した。
  「将軍が上洛した際、天皇に何と説明すべきだろう」

  「徳川家は征夷大将軍、あくまでも攘夷すると主張すべきか。それとも世界の現実を見て開国すべきと主張するのが良いのか」
  将軍後見職・一橋慶喜は『開国路線』を主張し、政事総裁職・松平春嶽は『攘夷路線』を主張した。
  大問題である。
  「我々の考えが異なれば将軍も説明がつかない。一体、天皇にどちらを主張すれば良いのか」
  幕府として意思統一が出来ぬまま、将軍上洛の時期が迫って来る・・・。
  でも互いの地位と立場、そして意地がある。
  どちらも折れない。
  すると、
  両者の意見に断を下す人物が現れた。
 
  ・・・前土佐藩主・山内容堂である。
 
  開国を曲げようとしない慶喜や老中に対して、
  「攘夷を受け入れなければ、朝廷は幕府を朝敵とみなし、倒幕せよと天下に号令するでしょう」
  と脅すように入説して回っている。
  それには老中達も震え上がっているようだ。
  そして幕内は開国路線から攘夷へと傾き、・・・遂に幕府としての見解は・・・『攘夷』に決定したのである。
 
  幕論が『攘夷』に決まった。だが現実は開国に向かって動いている。
  では、その矛盾を天皇にどう説明するのか。
  そして攘夷実行するならば、それに向けてどう準備するのか。
  問題は山積している。
  それに対しては、政事総裁職・松平春嶽が横井小楠の考えに基づいてこう主張した。
  「破約攘夷に向けて軍制の整備と拡充を進めるため、陸軍兵力の増強を図り、海軍の戦艦を購入する。それを進めるのだ」
  だが、一橋慶喜は同調しない。
  この度の混乱で、一橋慶喜と松平春嶽の間には溝が出来ていた。
  また老中らは老中らで、相も変わらず朝廷を疎んじる姿勢を変えてはいない。
  総裁職の春嶽はそんな一橋慶喜と老中らの姿勢に嫌気がさし、臍を曲げ、江戸城への登城を止めてしまった。すると後見職の慶喜もそれに対抗するかのように辞表を提出し、同じく登城を停止したのである。

  両者の関係は拗れていった。


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竜馬外伝i-27 軍艦奉行・勝海舟


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著者 : 中祭邦乙
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