閉じる


遠い思い出

 滝川 隼風(たきがわはやて)・山根 昇(やまねしょう)・東田 大地(とおだだいち)の三人は、夜も更けてひっそりとした住宅街を自転車で走り抜けていた。
「昇、大地、ごめんな。僕のせいで遅くなって――どうしても一つ、わからないのがあってさ」
 隼風は二人に言う。彼らは塾で同じクラスになったのがきっかけで、よく遊ぶようになった。隼風はいつも、数学や理科で解けないところがあると、二人を待たせていた。
「いいさぁ、テストにひっかかって、居残りさせられるオレよりましだよー」
 三人のなかで一番小柄な昇の笑い声が聞こえる。
「あさってが学校の小テスト……ふう、つらいけど、がんばらないと」
 そう言ったのは大地。力も強く大柄な彼は、ぽつりとこぼした。
 三人の間にはちきちきと静かな白転車の音だけが流れていた。しかし、しばらく経った時。
 いきなり隼風がブレーキをかけた。
「あわわ、ぶつかる! おっとと、隼風どうしたんだ?」
「おい、あれ……」
 昇と大地もあわせて、隼風が指差す空を見た。曇っているのに、明るく輝く星……光が、かなりの速さで落ちてゆく。
「今の……河原に、落ちた?」
 大地が目を凝らして言った。
「いん石?! UF0かなっ!」
 昇の声に期待感がまじる。
「行ってみようか」
『おうっ』

 三台の自転車が河原に着いた。さっきの光と同じ色が、淡く輝いていた。大きな音もしなかったので、物が落ちたようには思えなかった。
 三人は忍び足でその光に近づいて行った。腰丈くらいある草の後ろへ回り、そっとそれを覗いてみた。
 光の中には、――人が、いた。

 くせのある金髪で、緑の瞳(め)をした女の人。
 七色の布を軽く巻きつけたような服。
 腰には濃い黄緑や、金の装飾をほどこした太めの帯が巻かれていて、さらに右肩からは銀と桃色に淡く輝く、やわらかそうな羽衣のようなものをかけている。
『きれいだ……』
 三人ともその姿にみとれていた。女は、銀の腕輸をつけている右手を前にさし出し、何かを言った。すると、そこに細長い棒――透明な石がきらめく、銀色の杖が現れた。
『て、手品?!』
 女は再び、別の言葉を言い始める。手元の杖が、七色に輝く。
『すごいや……どうやってんだろ……』
 息を飲む三人。ところが女は、すでに知っているかのように、皮ひもを巻きつけたブーツをこちらに向けた。
『えっ?!』
「……そこにいましたか」

『ばっ、ばれてる!』
 確かに女は「三人に向かって」、喋った。
『逃げるぞ!』
 昇が真っ先に、隼風の首と大地のベルトを引っぱった。ところがほぼ同時に、女は杖の先を三人にたむけた。
『ストップ!』
「え……」

 気付いたときにはもう三人は動けなくなっていた。もがけばもがくほど、体が締めつけられるようで苦しい。
「おとなしくして下さい――あなたたちに、危害を与えるつもりは、ありませんから」
 女はいたって冷静に、三人に話しかける。三人は返事をすることもままならない。
「あなたたちを調べさせてもらいました。
 あなたたちがここへ来たのは、偶然ではありません。能力のある者をこの日この場所に呼び寄せる術に反応した――運命だということがわかりました。
 あなたたちは、……」

 その先の言葉を三人は知らない。
 突然周りが暗闇に包まれ、足元の感覚がなくなり、下から上へ風が突き抜け、ただ落ちてゆくことしかできなかったから。

「ハヤテーっ!」
「ショウーっ!」
「ダイチーっ!」

 互いがそれぞれに名前を呼ぶ声が、風となって上方に消えてゆく。
「この地球(せかい)を救える能力(ちから)を持つ少年たちに……魔界空天王、ギルファー=レビンが第二使、サリシュ=ナーシャ、今出会い、そして魔界に送り届けます……」
 三人の姿が完全に消えた後、女も杖からまばゆい光を出し、自分の体を包んで、音もなく消えた。
 河原には何事も無かったように夜風が吹き抜け、草村はざわめき、三台の自転車はただ立ち止まっていた。

異世界の3人

 朝が来たようだ。朝日らしい光が、ゆっくりと乾いた大地に立つ少年の姿を照らし、影が伸びてゆく。
 少し汚れた麻地のシャツに、大きめのズボン。手首や膝下に巻きつけた皮紐の擦切れ方が、少年の運動量を物語っている。
 少年は広大な大地の果てにある朝陽に杖をかざす。杖は木製で、持つ所に布が巻いてあるが、上には磨かれた碧い珠がはめ込まれている。
 その珠が輝いた瞬間、深紅の炎が大地を走る。少年は杖を地面に刺し、大きく息を吸った。
「ハヤテ」
 その時、少年の後方に建つ小さな丸太小屋の戸が開いて、老けた男が身を半分出して少年の名を呼んだ。
「来い」
 ハヤテ少年が小屋へ戻ると、男は戸を後ろ手に閉めて、中にあるテーブルを指差した。
「そこに支度がしてある。服を着替えて、すぐに天王神殿に行け」
 テーブルにはきれいにたたまれた緑系色の服と、何か物を詰めた革袋が置いてあった。
「て、天王神殿?! どうして?」
 ハヤテは男を見た。男は頭を掻きながら、
「魔天王が、お前を呼んでいる」
と言った。
「ま、魔天王……魔界空天王様が?!」
「そうだ。おまえがここに来てから三年、できる限りのことをおまえに教えたのは、この日の為、だった」
 男は側にあった椅子にどしりと座る。少し埃がたつ。少年は、いままでの厳しい修行の日々を思い返す。しかし、それより前のことは、なぜかぼんやりとしていた。
「ハヤテ聞いてるか」
「ジン……本当なの?」
 我に返ったハヤテが顔を上げても、
「魔導師が嘘をつくと思うか?―― 真実を三年間、隠してはいたが」
 ジンはまた立ち上がり、
「早く行くんだ」
 と言い捨て、小屋を出ていった。
「……」

 ハヤテ少年が砂の風にまぎれて消えてゆくまで、魔導師ジンは彼の背中をじっと見ていた。
「魔天王ギルファーよ……わしに見える”未来”は、三年前と何も変わっておらん。……あなたは”彼ら”を”希望”だと言ったが、今も”未来”は曇っているぞ……」


 早朝、街のはずれにある石畳の広場では、金属のかち合う音が大きくなってきた。
 ここは、戦士をめざす少年たちの試練場。少しはねた音がして、鉄の剣が石畳を滑る。
「まいった!」
 皮の軽装をした少年が、その剣を拾い上げる。
「前にもまして力をつけたね、ダイチ」
「ありがとう、でもまだフレッドほど戦術を考えながら、ではないですよ」
 ダイチと言う名の少年は、大型の鉄剣(グレート・ソード)を片手で軽く振り回しながら、返事をする。
 少年達の喧噪が、突然とだえた。間合いを詰めていた若い剣士たちが、広場に進み入る人――この場には似合わない、細身の女性を見つめる。
 ダイチは背後に気配を感じ、素速く剣をかまえて振り返った。ガチリ、と鉄の音だけが響く。
「ダイチ……ですね」
「――あなたは?」
「魔界空天王ギルファー・レビンが第二使、サリシュ=ナーシャです」
 ダイチはすぐ剣を直し、片膝を地に付ける。
「失礼しました、御無礼をお許し下さい」
 しかし彼女の方は、礼はいらないと合図して、ダイチと目の高さをあわせた。
「正装を施し、すぐに天王神殿に来城して下さい。魔天王様が、あなたを呼んでおります」
「え……」
 ダイチは頭を上げた。相手の顔はローブで覆われているうえに、まぶしい陽の逆光で見えない。
「それでは、頼みましたよ。……急いでおりますので、失礼します」
 彼がその伝言を守らないような少年ではないことが、すでにわかっているかのように、魔天王の使いはふつふつと呪文を唱えた。
「風と時を渡る精霊ウィ・オークよ、この身を南へ!
『ムーブ』!」
 そして、使いの姿が完全に消えた後、広場のざわめきが戻ってきた。
「ダイチが、魔天王様の使いから……」
「直々の御命を……」
 まわりの剣士達が彼の名を口にするなか、ダイチ自身はやっと、さっき手合いをしていたフレッドにかつがれて立ち上がった。
「魔天王様が、僕を、お呼びになっている……?」


『南へ移動する』呪又を唱えた魔天王の使い、サリシュ=ナーシャは、南の町外れに現れ、すぐ目的の地へと歩きだした。朝市の活気ある声が、背中に届く。一つ裏の路地に入ると、うってかわって静かになる。ナーシャは知り尽くした道を進む。
 灰色の石を積み上げた、みるからに陰湿な建物が見えてくる。入り口には鉄の扉がぴたりとはめ込まれていて、重強な錠がかかり、それと同じくらいの鉄の装備をした兵士が、誰とて入れぬような様相で見張っている。彼女が兵士に近づき、二言ほど何かを話すと、兵士はすぐに扉を開け、手厚く中に案内した。
 中は涼しい。ナーシャはマントを揺らして、小さな階段を降りた。踊り場に、木の槍が転がっていた。……様子がおかしいと即座に感じた。いるはずの番兵が、姿を消している。
 予感は当たった。
「来たな、魔天王の使い! これでもくらえ!
『妖術閃光弾』!」
 少年の叫びが終らないうちに、奥から強烈な光が轟音とともにせまってくる。外からの光が、糸になって編まれ、奥に連なっていた。
(光の妖術を、こんな場所で?! ……でも、)
 ナーシャはすぐに、両手を前に出して広げた。
「むんっ!」
 光が手のひらに吸い込まれてゆく!

 風が通り抜けた後、ナーシャは冷や汗をぬぐわずに叫んだ。
「おとなしく出てきなさい! なぜここにあなたを閉じこめたか、よくわかっているでしょう? この地下では、まともに妖術は使えないわ!」
 使いは黒く光る石を握っていた。
「魔王石かっ……くそっ……汚ねえやつらだ」
 少年は石床をけとばした。ぼろぼろの麻の服をまとっているが、左手にはめた黒い手袋と七種の石の環、肩にかけた淡いピンクの帯のようなものには手入れをしているようだ。
「光の力だけじゃないぜ。わずかな風でも、この壁の石からでも、お師匠さんに教えられた妖術をひねり出して、いくらでもあんたにぶつけてやる。……魔天王の使い、”ナーシャ”」
 少年は、まだ名乗っていないナーシャの名を当てた。
「そこまでは、しないでしょう?」
「何だって?! バカにするな!」
「ヤマネ・ショウ、あなたは”知っている”のですから」
「……くっ……」

 ショウという名の少年は、しぶしぶ七種の石の環を手袋に折り込み隠した。それを確認してから、ナーシャは背を向ける。
「天王神殿の場所を教えます。魔天王が、あなたを……あなた”たち”を呼んでいます」
 壁にひびが入る音で彼女が振り返ると、ショウが、右手を叩きつけていた。がれきが落ちる。
「ハヤテと……ダイチだろ?」
「……ええ、そうよ」
「オレに、妖術を覚えさせたのが誤算だったな。自然に対する感覚が鋭くなって、ついでに自分に対しても敏感になって――。
 三年前にオレたちをさらって、記憶を抜き取り、『戦法』を教える。オレだって記憶を思い出して、がたがたできないようにこの『牢獄』にぶち込まれることがなかったら、今ごろはいそうですかとついて行ってるとこだったぜ。
 言えよ。
 オレたちを、何に使うつもりなんだっ?!」

「『地球』にかえすつもりです。ただし、魔天王様の御命令を持って」
 ナーシャは先に階段を上った。


「魔法使いハヤテ、戦士ダイチ、そして、あなた――妖術使いのショウ。……あなたたちは、魔天王様からの御命令をうけてから、『地球』に征く……いや、帰すつもりです」
 ショウの足音が聞こえてきたのを耳で確認してから、ナーシャは話を続けようとした。
「元の生活には戻れないんだな。地球でいうなら、オレたちは確か十五才で、中学三年。……その使命を終えたら、どうするんだよ」
 しかし話の調子はショウがつかんでいた。かなり興奮している。
「皮肉な能力(ちから)だよ。妖術を得ていくと、だんだん、気の流れでおまえたちの考えがわかるんだ……オレたちを利用しなければって気持ちが!
 おまえたちにとっちゃあ、作業だか仕事だかの三年だっただろうが。
 オレたち三人の人生を返せよ! 幸せな、平和な日々を返せよ!」
 しばらく沈黙が二人の間を通りすぎた。返事がないので、ショウが怒りの限界に達して、再び湧き上がった感情を壁に叩きつけようとしたとき、地上からのわずかな風が使いの気をショウのもとへ届けた。
 ショウは敏感に違いを感じ、顔を上げた。
(こいつ……)
 顔を覆ったローブが少し翻り、使いの瞳が見えた。哀しい色をしていた。気の流れと同じ感情だった。
 ショウはそれ以上、何も話さず、再び歩きだしたナーシャを追った。


 魔天王の神殿、魔界空天王神殿(天王神殿)は、まさに全戦士の拠点に相応しい容貌と機能を備えていた。高い城壁の上からは、衛兵が絶えず顔を出し、周囲に注意をはらっている。
 その衛兵の目が、見慣れない姿をとらえた。ぼろぼろの麻の服を着た少年だ。
 ショウが、天王神殿にたどり着いた。彼が番兵に名前を名乗ると、番兵はすでに聞いていたらしく、すぐ他の番兵と合図して、門を開いた。
 石畳の道は城の入口で赤い絨毯に変わる。一階は大広間となっていて、日常の来客も多く訪れている。ショウは身なりの良い何人かと擦れ違いながら、奥にある大理石の階段を目指した。
 幅の広い階段を登りきると、細い通路に出る。ここには来賓や大臣のくつろぐ部屋などがあるようだ。つきあたりには金縁の壮麗な彫り込みをした扉がある。ここが魔天王の広間の入口になる。またショウはそこに立っている衛兵に話をした。衛兵は扉の片方を押し開けた。
 二階から五階のこの広間は、吹抜けになっていて、さらに暗く、夜ならば空との区別がつかないほど天井が高い。今は昼間なので上方の壁にはめ込まれたステンド・グラスが光を多色に分解して磨かれた石床に淡く落としている。
 二、三歩進むと、緑色の炎をともした聖杯が左右に置いてあり、その後ろに天井から大きなカーテンのような物が吊されている。この後ろに魔界を支配する魔界空天王(魔天王)がいるという。魔天王はその姿を、よほどの位を持つ者や使いにしか、見せることがないと言われている。
 そのカーテンと聖杯の前には、すでに一人座っていた。足音に気付いて、人――深い青色の絹のマントを纏った、肩幅の広い大柄の少年――は、一度振向いたが、
「……」
 ショウを一べつして前に向き直った。
 彼の左わきには、グレート・ソードと、細身の剣、レイピアが置かれていた。
「ダ……大地だろ?」
 なつかしい背中を見て、ショウは顔を確認しないまま問いかけた。大柄の少年は不思議そうな顔をしてもう一度振り返る。
「たしかに、僕はダイチと言います。ですが、」
 初対面の人に語る口調でダイチは返事した。
「オレだよ、昇だよ! ちっとも、覚えていないか」
「……」
 沈黙が肯定を証明するには十分だった。ショウはどうすれば彼の真実(ほんとう)の記憶を呼び戻せるか必死で考えようとした。
 閉じていた広間の扉が再び開いた。光が差し込む方を、ショウとダイチは見た。少年の影が伸びてくる。砂じんが舞うのが見えた。最後に来た少年は肩で息をしながら、二人のいる中央へ歩いてくる。マントを右手で掴み、一気にはぎ取った。
「……隼風!」

「君は、」
 驚いた顔で少年はショウを見る。
「やっぱり! ハヤテ、ダイチ、二人とも、無事だった……」
 ハヤテもダイチと同じ反応を顔に示していた。
「僕はハヤテ。今まで、大魔導師ジンとユシトの下(もと)で魔法を学んでいた。……でも、君を見たことがない、はずなんだけど」
 ショウはハヤテの言葉がついえかけた時、立つ力を失い、床に崩れた。一度両腕を叩き付けて、つっぷしていた。三年の時を経て再び集った三人は、架空の親友として同じ空間に立っていた。

 ショウの震えが止まった。自分よりはるかに強い気の流れを感じて、怖れに近い注意をはらった。聖杯の炎が知らないうちに消えていて、カーテンの向こう側が輝いている。
「よく来た、三人の選ばれし戦士たちよ」
 重く低く、力のある声が三人を包む。
「まず初めに、この事を伝えねばならぬ。お前たちは、魔界の人間ではない」
『!』
 ハヤテとダイチは息をのんだ。ショウは魔天王の”気”の大きさに圧倒されている。
「お前達は、『地球』という世界で十二年生きていた。我が使いに、素質ある人間を探せと命じ、」
「オレ達を、さらった、訳ですね」
 ショウのぎこちない敬語が挟まれる。
「そうだ。そして地球での記憶を封印し、魔界人だと暗示をかけて、それぞれの能力を育てさせた。
 ハヤテは、魔導師ジンとユシトの下で魔法を。
 ショウは、古語導師(アンシェント・ワードマスター)リラ=レイの下で妖術を。
 ダイチは、聖騎士(パラディン)キト=カル=ファン道場で、戦士の術を……

 全ては、『魔神』を倒す為に。」

「魔神……」
 ショウが小さくつぶやく。あの使いの言っていた御命が今下されようとしている。
「魔神はその昔、ある世界を私欲のためだけに我が物とし、散々利用したあげくに破壊してしまった。そして次には地球世界に目を付けているという。魔神は地球奥深くで、息を潜めていた……地球も今、同じ運命にさらされようとしている。
 三年……短い間ではあるが、お前たちは十分力を付けたはずだ。地球を、救う為に、も。
……魔神を倒して欲しい」

 三人はほぼ同時にうなずいた。使命の重さに、逃げ出したくもあったが、自分たちが選ばれたのなら、受け入れるしかないだろうと感じた。
「ハヤテ、」
「はい、」
「移動呪文『ムーブ』で、二人を連れて地球へ行くのだ。先刻、我が第一使、ルー=パンドラ向かわせた。到着すればすぐに連絡がとれるだろう。
 また、魔界と地球間の伝達役として、我が第二使、サリシュ=ナーシャを遣わす。彼女と既に一度は会っているだろう」
 あの女の人、と三人が思い出す。
「魔界空天王の願い、今三人の戦士に伝えた。邪悪なる全てに、打ち勝たん事を祈る……」
 声とともに光は消え、元の暗さに戻った。三人はしばらく無言で時を潰した。
「地球……十二年、生きていた場所……?」
 ハヤテが最初に口を開き、
「何が何だか、……混乱しているけど……魔天王様の御命令のこと、行かなければならないんだね」
 ダイチの言葉にうなずく。
「結局、地球を覚えているのは、オレだけか。
……ハヤテ、ダイチ、行こう。今は”ある世界”を救う、そんな気分で構わない。封印された記憶も、きっとこじ開けてやるから」
『……』
 ハヤテは丁寧にたたんであったマントを掛け直し、左わきのベルトに刺してあった磨かれた碧い珠のはめ込まれた杖を引き抜き、それで空に円を描きながら、呪文を唱えた。
「風と時を渡る精霊ウィ・オークよ、魔導師ジンが作りしこの『蒼玉の杖』に現れん! そして、僕らを地球ヘ!――
『ムーブ』!」
 珠が輝き、円をなぞり、三人を包んだ。ほんの一瞬足が浮いたと思った時には、もう三人は青い光となって、魔界を飛び抜けた。
 今、勇者たちは、地球へと旅立ったのである。



澄んだ瞳の少女

 青い光が消えた感覚がして、三人は魔界とは違う風を頬に受けながら目を開いた。
 膝より少し低めの雑草が揺れていた。右手には、川が流れていた。さらさらという音の先を目で追うと、灰色がかった空と合わさっているのが見えた。
「この河原……さらわれた場所だ」
「ここで?」
「僕の呪文、ちゃんと利いたみたいだね」
『ちゃんと?』
「実際に使うのは、初めてだったから」
 三人は黙り込んだ。厳しい修行を積まされたことには自信があるが、三人とも実際に”誰か”と戦ったことはほとんどなかったからだ。
 ダイチが鞘からレイピアを一度抜いて空を斬り、素速く戻した。
「今魔神が来たとしたら、刃を向けることができるだろうか……」
「ああ、そういえば、使いのパンドラさんを探さないと」
 不安を和らげようとハヤテが言った。
「そ、そうだな。どこにいるんだろう、……!」
 ショウは邪悪な気を一番に察知して目を見開いた。
「何かが、こっちを見てる!」
『その通り』
 三人が見回すと、七歩ほど後ろに人……黄土色の細い身体に金の腕輪と足輪が光り、切れ上がった眼、尖った耳、水に浸したように広がる銀の髪、深紅の羽衣からどう見ても人とは言い難いが人型として……が低く浮かんでいた。
「私は魔天空神(魔神)様が使い、幻術士ガストマン。君達がお探しの魔天王使なら、ここにいますよ」
 犬の鳴き声がけたたましく響いた。後手からガストマンは逆さ吊りの犬を三人に差し出して見せた。犬はもがき苦しんでいる。
「このあたりでよく見る、”犬”の姿に変えさせてもらいましたがね」
『ルー=パンドラ!』
 犬は耳を立てて反応した。
「つまりあなた達はこいつがいなければ、魔神様への道しるべすら知らずして、ここで死ぬということ、ふふふ」
 パンドラを助けなければ、という思いが三人の頭の中で同時にうかんだ。
「うるさい!」
 最初に動いたのはショウだった。叫びながら左腕を振り上げる。草木が波打ち、そこからわき上がった緑の光が、丸まっていって――
「緑の草々よ、力をこの手に!
『妖術緑爆弾!』」
 大きな氣球が炸裂する。
『ドガウゥ!』
 爆音が響き、両腕で受け止めたガストマンが煙の中から現われる。
「これぐらいで私めが倒れるとでも?」
「思ってないですよ!―― 隙だらけですね!」
「!」
 ショウの攻撃の間にダイチが駆け出していたのだ。ガストマンの二言目はレイピアで身体ごと切り裂かれた。
「ぐわあっ!」
「ハヤテ、頼むぞ!」
「わかった!――炎の精霊ファバーン、」
 ショウの声で、一番後ろにいたハヤテが杖をガストマンに向けて呪文を唱え始める。
「神聖なる蒼き炎で、悪の手先を焼き払え!
『ブルー・ファイア』!!」
 真青な炎が一直線に伸びる。
「く、くそう、ままま『魔幻術』!」
 ガストマンが必死で繰り出した氷の壁の幻影が、間一髪で出来上がり、青い炎はそこで破裂し、
『バアアン!!』
 全員を跳ね飛ばした。
「くっ、」
『うわあっ、』
「キャイン!」
 いや、正確に言えば”もう一人”、通りすがりの人が巻き込まれた。
 赤い自転車に乗っていた”彼女”は、いきなり衝撃を受けて堤防の上からハヤテたちのいる草の茂る河原へ転がり落ちた。
『きゃああ!』
 幸い柔らかい緑の地面が強打から彼女を救ってくれたが、
「派手にやりやがってえ……」
「もう一回できるか、ハヤテ!?」
「うん、……天を漂う雷精ティライトよ! 悪の手先に雷(いかづち)を!
『サンダー』!」
 まばゆい光が、そして何かの轟音と断末魔の叫びが、彼女の五感を刺激し、
『ドオオン!』
『ギャアアア!!』
 さらに呪文を唱え終えてふとこちらを向いた少年の瞳とゆっくり開いた瞳が合ってしまった。

『!』

 ハヤテは動けなかった。見知らぬ人間に今の戦いを見られたことと、彼女の瞳があまりにも澄んでいたことから。
 澄んだ瞳の少女は、一度瞬きをしてもまだ今起こった事が埋解できないからか、ハヤテから視線をそらさなかった。


 焦げくさい臭いが風に紛れて消えようとしている。
『見られた』
 三人が同時に少女を視界に捕えた。とくにハヤテは見つめられているので、どう対応すればいいのか戸惑い続けていた。
「ごめんごめん、ちょっと”爆竹”を使い過ぎちゃって。ケガはない?」
 ショウが張り詰めた空気を破った。少女はハヤテから目をそらし、まとわりついた草をはらってからショウを見て、
「ええ、大丈夫よ。何をしてたの?」
と聞き返してきた。
「オレ達、『創作劇』やってるんだ。その練習さ」
「そうなの。……あ、あの犬は君達の?」
 犬は尻尾をふって少女にかけ寄って来る。
「あああパンドラっていうんだ。そうだ、ちょっとそいつ、あずかっててくれない? オレ達、着替えて来るから」
「うん、いいよ。……パンドラ、よろしくね」
「ワン、ワン」
「ハヤテ、ダイチ、行こう」
 とんとんと話が進み、きょとんとしている二人をショウは草かげまで引き連れていった。少女が犬と遊んでいることを確認して、
「なんとかごまかせた……」
 ショウはへたりと座り込んだ。
「いいか、ハヤテ、ダイチ、今は”劇の練習”であの子を信じさせてるから、」
「”劇”って?」
ダイチが口を挟む。
「自分らで色んな話の役とか演じるのを見てもらう、ってやつ。それで、地球の服の幻影を見せて、さよならだ。ハヤテ、呪文で」
「……多分、あの人にはいつかばれるよ」
「んなこと言ってる間に、早く!」
「あれほど、澄んだ瞳をした人は、……初めてだ……」
「どっちにしても、この場をやり過ごすならば、この装備やらを隠さないといけないのでは……」
 ダイチの声に渋々、とハヤテは呪文を唱えた。
「風の精霊シルフよ、ひとときの幻を少女に与えよ……
『ウインド・メイクス』」
 三人の身体が淡い光で包まれた。これで少女からは、少女が普段見ている姿の”幻”を見せることができる。
「ありがとう、自転車も大丈夫みたいでよかった」
 ショウが先に走って、少女の自転車を起こした。
「パンドラって、かわいいね」
 少女は犬を抱き上げていた。後から来たハヤテに犬を渡し、自転車を押しかけて、
「劇の練習って、またやるの? よかったら、またパンドラを連れて来てほしいなぁ、あたしこの先のアパートに住んでるから、ほら見えるでしょ」
 と一気に喋りかけてきた。
「え、ああ……。次はいつにするか、決めてないけど」
「それじゃ、またね!」
 少女は自転車に乗り、走り去った。河原から上がり、向こうに見えるアパートの陰に入ったようだ。三人はようやく安心できるようになった。
「これから……僕達、どうするの?」
 しかしハヤテの悩みはまだ尽きない。毎回人に会う度に、幻を見せる呪文を唱えなければならないのかと思っていた。
「そうだな……こいつも、犬になっちゃったし」
 楽観的なショウもこれだけは、といった感じだ。ところが。
「先ほどは……助けて頂いて、ありがとうございました」
『しゃべった!』
 なんとパンドラがしゃべりだした!
 思わずハヤテはかれを放り投げてしまった。犬(ルー=パンドラ)は二回転して見事に着地した。
「な、投げ飛ばさないで下さい! ……ガストマンがかけた術が、半分解けたんですよ。姿はこのままですが……なんとか使命は果たせそうです。
 あらためて、私が魔界空天王、ギルファー・レビン様が第一使、また魔界に数少ない清明なるルー族の末裔でもある、ルー=パンドラです。……魔天王様の御命を叶えるために、尽力したいと思います」
「ということは、さっきは犬の真似をしていたんですね」
「はい、あの少女に感づかれないように」
 パンドラはダイチに答えて続ける。
「魔神は地球のどこかにいます。まず邪悪な気を捜さなければなりません。その為の、滞在地も用意しているんですが、……」
 パンドラは前足で頭をかいてその先を濁した。

「君達だったの? 今度一か月くらい住むって言ってた、菅理人さんの親戚って」
 三人が滞在するアパートの隣の部屋は、少女……矢野原 真友美(やのはらまゆみ)が住んでいた。だから、パンドラが最後まで言い出せなかったのだ。
「山根 昇です、よろしく。あ、こっちは、滝川 隼風と、東田 大地」
 パンドラが予め準備していたので、三人はひとまず落ち着くことができた。ただし、いきなりガストマンが現われて倒した事と、マユミに出会った事、二つの予想外の出来事が終ったうえで。
 特にマユミは、タ方にも三人(と一匹)に食事を用意してくれた。三人は色々な話をしながら、彼女の周りを知ることができた。
「私、お母さんが小さいときに病気で死んでから、お父さんとここでいるんだけど……お父さんは私のためにいつも遅くまで働いてるから、」
 そんな少し寂しい一面も知った。
 しかし、彼女はそれをものともせず誰にでも優しかった。先刻ハヤテが『澄んだ瞳をしている』と言ったように、マユミはこれまでに出会ってきたものの中でもあまり見られないほどのまなざしを持っていた。
「じゃあ、また明日ね!」
 彼女が帰って、三人と一匹は居間に集まった。
「邪悪な気は、ハヤテ、あなたが持って来た水晶球で見つけられると思います。三人の力を合わせて捜して下さい。その間、くれぐれも自分の能力を下げることのないように鍛錬を欠かさず、また一般の地球人に正体を知られないようにして下さい。地球の服装一式は、この部屋に用意してあるので」
 パンドラの説明を聞いた後、ショウが口を開いた。
「今は、何月何日だ?」
「えー……地球の暦(こよみ)で言えば、八月……一日頃だったと」
「夏休み中、か……それと、ここは住所で言うと日本のどの辺なんだ?」
「それは……」
 パンドラはわからないといった感じで頭をふった。
「みなさん、今日はもうお疲れのようですし、お休みになられては」
「そうだな。ゆっくり寝て、明日からしっかり動けるようにしよう」
 ダイチが先に立ち上がり、奥にある寝室へ入って行った。ハヤテも続いたが、ショウは何かを考え込んでいるようだった。

魔神の怨望

「ガストマンの生命力が消えた……」
 はるか地の底。魔天空神は三人の能力をはかるために送ったガストマンが死んだことを確認した。
「ガストマンごとき、ただの捨て駒……まあ参考程度の働きはしてくれただろう……」
「御意――その通りでございます。
 魔天王が育てた、か弱き地球人達……私が彼らを恐怖に溺れさせて、その首を空神様に、必ず」
「ほう。たいそうな自信があるようだな」
「最高の”破壊の舞台”を描いております」
「ふはははは……楽しみにしておるぞ、『ヴェダル=ベータ』!」
 卑屈な笑いが漆黒の闇に消えた。


 マユミは、毎日三人(と一匹)に食事を作ってくれた。三人がここへ来て三日ほど経った日の朝、マユミは白いセーラー服姿で現われ、
「今日は、登校日なの。お昼は、適当に食べててね」
と言って自転車に乗って出て行った。
 三人は毎日魔神の場所を探していた。少しずつ範囲は狭くすることができてはいたが、まだ特定には時間がかかる。
「なあ、ハヤテ、ダイチ、ちょっと散歩しないか」
 ショウが不意に言い出した。
「ああ、いいよ」
「パンドラも行く?――」
「留守番を頼もう」
 ショウはパンドラを連れていきたくなさそうだった。三人は堤防沿いを歩いた。夏の日差しが強くなる頃で、セミも鳴き始めていた。
「きれいな空の色だね。魔界じゃめったに見られないよ」
 ハヤテはずっと上を向いていた。
「ショウ」
「何?」
「パンドラに、聞かれたくないことがあったんだろう?」
 ダイチの一言で、ショウは立ち止まった。
「そうさ。
 ハヤテ……ダイチも、自分がこの地球でどうやって十二年生きてたか、知りたくないか?」
 セミの声が少し大きくなった。
「オレ……分かっちゃったんだ……パンドラが、ここがどういう場所か言わなかっただろ、あれは、わざとで、……オレたちはこの辺に住んでたことを思い出したんだ……」
 ショウの声はセミに負けている。
「じゃあ、近くに、僕らが暮らしていたところがある、ということ?」
「うん」
「だめだよ、パンドラは僕達の正体が誰にも知られないように、って」
「正体がばれなければ、見たってかまわないだろ」
 ハヤテはショウの行動を止めさせようとした。しかし、アパートを出てきた時から、ショウはこうするつもりだったようで、――じっと見られると、口を閉じていた方がいいような気もした。
「いいか」
 ショウは低い声で言った。
「例え、親に会っても、……記憶を思い出しても、オレ達は無視しなきゃならない、それを守ってほしい」
「……」
 ダイチも迷っていたようだったが、ハヤテの肩を叩いた。ハヤテは小さくうなずいた。

 三人は普段着で行動していたため、重要な事――装備をした時以上に周囲に注意を配らなければならない事を忘れていた。だが、失くした十二年が少しでも取り戻せるかもしれない、という気持ちが前に出ていた。
「例え能力を身に付けたって、武器が使いこなせたって、子供には変りない。フフフ、お家に帰りたがってるね……招待してあげるよ、僕の造った、破壊の舞台にね……」
 つまりヴェダル=ベータがそんな余裕気のある言葉をつぶやいて――すでに三人のゆく先に、人には見えない”結界”、『ベータ=プレイス』を周囲に張り巡らせていること――にも、気づけなかったのだ。
「!」
 三人は、ほぼ同時に違和感を覚えて立ち止まった。
「何だか、足下が……」
「まさか、」
「しまったっ! オレ達を倒したい奴の気の流れだっ!」
 三人とも注意を怠った事を後悔して、身構えた。でも、まともな装備は無い。
「ようこそ、僕の世界へ!」
 空間から甲高い声が響き、三人は宙に引き上げられてしまった。
「魔神の右腕、ヴェダル=ヴェーダがホームシックの君達を恐怖の世界へ連れて行ってやるよ!」
「くっ――大気の風よ、あいつにぶつかれっ!
……『妖術風裂弾』!」
 ショウはポケットから七種の石の環をつかんだ手を引き出して叫ぶ。声のした方へ、周りの風が一気に気弾となって伸びたが、壁のようなものにぶつかって消えた。音すらしない。
「そうやってわめいていられるのも、今のうちだよ。この結界は、外にいる全てからは見えない。中の音も一切聞こえない……ほら、」
 三人の周りに球体の透明な壁が立ち塞がっているようで、しかも結界は他の物体より密度を軽くする作用があるらしく、住宅地の植木や塀を次々にすり抜けて移動していた。
「懐かしい人がいるねえ」
 塀を、壁をくぐり、一人の女性がいる部屋で結界は一瞬止まった。その女性は、もちろん気づかずに本を読んでいる所だった。
「母さん!」
 ショウが結界の壁にはりついて叫ぶが、結界は高速で家を抜けた。
「次は誰を狂わせてやろうかな?」
 ヴェダル=ベータは結界を河原に運んで、三人をもて遊んでいる。ショウは彼の罠にかかり、頭を抱えこんで泣き叫んでいた。
「どうして……どうしてオレはこんなことしてなきならないんだよう?! うあ-っ!!」
 ハヤテもダイチも応戦したいが、肘心の装備が、力がない。剣のない戦士と、杖のない魔法使いになすすべはなかった。
 突然、ショウの泣き声が止んだ。戦意を完全に喪失している彼は、強大な存在の気を感じ取り、全身で震えだした。
「オレ達、勝てないよ……こんな奴に、勝てない……」

『そういう思想を生んで頂けるとは、光栄だ』

 卑屈な言葉が、三人の心に低く低く突き刺さる。
 誰もが魔神と、疑わなかった。

『魔天王ギルファーがよこした勇者も、所詮この程度か……。
 ヴェダル=ベータよ、どうだ、そいつらの命の火はいつでも消すことができよう? そいつらも、少し長生きできて幸せだろう』
「殺すんなら、今やっちまえよお!」
 ショウの叫びは無視されている。ヴェダル=ベータは魔神が直々に交渉を持ちかけてきたことに意気高揚とし、結界を解いた。
『うわあっ!』
 三人は河原に叩きつけられる。
「君達、遺言状でも書いておきなよ。でも、誰も読んでくれないだろうけどね……君たちが記憶を抜かれたように、ここで君たちを”覚えている”者だっていないんだから! ハハハハ!」
 そして、しばらく気を失った。
 セミの声はいっそう強くなり、倒れている三人を包むように夏の日差しをくぐり続けた。


決意

 冷たいものが頭のほうで優しく触れるのが分かって、ハヤテは目を開いた。澄んだ瞳と合った。
「……くん、ハヤテくん、」
「マユミ、ちゃん」
 意識が完全に戻った。起きてみると、そこはアパートの自分たちの部屋で、隣にはショウとダイチが横になっていた。マユミが三人の額に冷やしたタオルを乗せて看ていたらしい。
 パンドラが奥の部屋から出てきて、ハヤテを一べつしてまた去った。その動作で、河原に倒れていたはずの自分たちが、パンドラの能力によってここまで運ばれたことを理解した。
「あ、ありがとう、看てくれて」
「本当にびっくりしたわ。三人とも、日射病になるなんて」
 マユミはまだ寝ている二人のタオルを取り替えながら話を続ける。ハヤテはその動作を見つめながら、さっき声だけで体感した魔神の強さを思い返した。
 あれだけ怖さを見せつける部下をしたがえたり、壁のような厚みや、重みを音だけで与えてくる魔神。十年、いや百年、もっと修行しても、差は歴然と見えていた。そんな魔神と自分たちはまともに戦えるのだろうか。ましてや今、こんなに恐怖を抱いている時に……。
「ねえ、ハヤテ君、――何があったの?」
 マユミの声が急に耳に入った。また瞳が合った。彼女の瞳は、本当にきれいで、見ているだけで不安も、怖れもやわらかく取り払われてゆくようだった。
「何がって――日射病――」
「思い過しかもしれないけど、……もっと怖いことでもあったんじゃないかって感じたから」
「……怖い、こと?」
 ハヤテは心の内を読まれた感覚になって、その驚きも一度まばたきをして隠そうとした。しかしマユミの瞳はハヤテをとらえ続けていた。ふと、少し前の出来事を思い出した。


 三年前になる。自分が魔界で魔法使いの修行を始めた頃。

 魔法をより多く修得する為には、それを集積する精神能力(メンタル・キャパシティ)が必要である、と魔導師ジンとユシトは毎日のように言っていた。
『いいかハヤテ、メンタル・キャパシティをどれだけ増やせるかが魔法修得の全てだ。
 もちろん、わしの作る杖にも出来不出来はあるが、魔法使いのキャパシティでそれはカバーすることができる。
 炎や雷の精霊が得意としている攻撃魔法は「暗黒魔界王(サタン)」が頂点に立ち司っている。扱いこなすには「知性・理性(カリスマ)」の能力が必要だ。
 また、風や聖光の精霊が得意な、防御や治癒の魔法は、自身が聖光の精霊でもある「魔界聖女(ホーリィ)」が司っている。こちらには「優しさ・愛情(ハート)」が必要になるんだ』
『だからジンのようながさつな男どもはどかどか火の玉をぶちまけて、あたしのような繊細な女性は優しい魔法をよく使うってのが解るだろ』
 ジンとユシトは、冗談を混ぜながらハヤテに教える。
『キャパシティはどう増やすか。まず、自己で訓練を怠らぬことだ。広く深い”箱”を持つ自分自身がある程度力を持たなくてはならん。杖に頼らず、必ず自分を鍛えること』
『そして、たくさんの世界を見つめ、体感すること。今はあたしたちで十分だろうけど、いずれもっと広くて魅力ある世界を指先で転がしてるようなやつに出会う……出会わなくちゃならない。そいつらの世界に触れるんだ。自分の知らない世界を見るんだ……
「どうすれば、その人に会えるんですか」って?……ははは、人に出会うことも、その人がどんな世界を持っているか解るのも、みんな”奇跡”だ。他に”運命”なんて言葉を使うこともある。
 だから、まずは広い心の視野を持たなくちゃならない。そして、出会ってゆく者のなかで、「こいつだ!」と思ったら、恐れずにそいつの世界に入っていくんだ。自分で決めたこと、あとでやばくなっても己で片付けちまえばいいさ。な、ジン』
『おまえは……昔っから……』
 少し口の悪い老婆(といっても魔界ではミセスくらい)と、その師(伴侶とも言えそうだが、はっきりと確かめていない……)のやりとりは、聞いていて飽きなかったし、何より重要な知識を漏らさず覚えられた。


 ほんの数秒、意識を旅させて、再びマユミの前に戻ってきた。やはり瞳は合ったままだ。
 はっとハヤテは、マユミに何か能力(ちから)があると、自分より広い世界を持っていると確信した。初めて澄んだ瞳を見た時、この人なら、ユシトが言っていたように自分を試すことができる、と……。
 ハヤテは真剣なまなざしをマユミに向けた。
「君なら……信じてくれる……僕らは……」
 ハヤテは自分たちに今まで起こったことをすベて話し始めた。


 マユミは一つ一つ丁寧に聞き届け、その途中もけして驚いたりしなかった。澄んだ瞳には、何が巡っていたのかは、ハヤテにはわからなかった。
「ちょっと、用事を思い出したから、帰るね」
 話が終わって、マユミは静かに部屋を出ていった。その後すぐにショウとダイチを起こして、ハヤテはマユミに「話した」と告げた。もちろん二人がすぐに納得するわけがない。
「もうあの子は来ない! 誰がそんな話を信じるんだ?!」
「でも、でもあの子は違うと思うんだ、マユミちゃんは……あの瞳は、」
「ハヤテはすぐ直感で信じるから困る!」
「……、」
「もうどうしようもないだろう? ショウもがたがた言うのはやめて、次に僕らがすべきことを考えないと」
「何だと? こっちの問題が先だろ?」
「僕らには、使命があるんだから――」
「やめてよ二人とも!」
「自分を見失ってどうするんですか!」
 乾きかけた空気を切り裂いたのはパンドラだった。奥の部屋から出てきたのだ。
「ただ一度魔神の部下に不意をつかれただけで、まだ負けを認めては何にもなりませんよ! これを教訓にしなければ!」
 三人は黙り込んだ。
「そして、ハヤテ、マユミに言いましたね」
 ハヤテがパンドラを見た。しかし、自信のあるまなざしを向けていた。パンドラも怒りはしなかった。
「彼女は、我々の味方になるでしょう――だからハヤテが話す時も、止めませんでした」
「どうして?!」
 ショウの反諭をパンドラは尻尾を畳に叩き付けた音で止めた。
「パンドラも、マユミちゃんを信用したいということなんですね」
「そうですダイチ。
 私も最初は不安でした。……確かに魔神を倒すという使命は一刻も早く達成せねばなりません。ですが、我々は焦り過ぎていました。先刻(さっき)のヴェダル=ベータとの戦いでも、落ち着けば回避の方法くらいはいくらでもあったのはずです』
 パンドラの言葉は何かをなくしていた三人にとっては痛いものだった。
「でも、今度は大丈夫ですね」
 部屋の呼び鈴が鳴った。
「誰か、ドアを開けてちょうだい。少し早いけど、ご飯にしよう。お鍋、持って来たよ」
 マユミの声は今までと全く変わりがなかった。三人(と一匹)は、足りなかった強さを見つけられた、と感じた。


読者登録

なみかわみさきさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について