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 そこは、随分と寂れた住宅街の一角だった。時間が時間なので当然と言いたいところだが、どの家にも明かりらしい明かりが殆どついていない事が、彼にそう結論付けさせる理由になっていた。

 なまじ、昨日……否、既に日を跨いでの今日は、世間一般では休日とされている日曜日である。夜更かししない人間がいない訳がない。まったくのゼロ、という訳でもないだろうが、空気が、雰囲気があまりにも寂れ、廃れている。まるでここの場所だけ世界から隔絶されているような気さえ、させてしまう。

当然と言うのも憚れるが人ひとりいないし、外灯も申し訳ない程度にちらほらと灯っているぐらいしかない。しかもその一部は明滅しており、市がきちんと管理していない、という事を浮き彫りにしてしまっていた。

ここは忘れられた土地なのか、と梶谷喜助は顔を顰めた。曲りにも地方都市を名乗っているS市が、駅近くの地域の一部をここまで杜撰な扱いにする理由がおおよそ見当たらない。

ただ、それぐらいには、ここの場所は本当に寂れているのだ。数年前にあった、マイホームブーム。そして、今流行りつつあるマンションブーム。今のご時世を考えると、現在両者はイーブン、と言ったところだ。どちらにも一長一短、どちらか自分の好きな方を選ぶ、というのが主流だ。どちらにせよ、その流れの証として、住まいという名の建物が自然と建ち並ぶのは明白である。

しかし、喜助が通る住宅街に、それらの気配がまるでしない。どれもこれも、八十年代に建てられた古い家々が立ち並んでいるようにしか見えない。耐震性に疑問を持たざる得ない住宅もある上、トタンの家も数件見受けられた。これで地方都市を謳っているのだから、なんとも不思議な気持ちにさせられた。

外灯の明かりだけでは心もとないのか、喜助は携帯をおもむろに開き、それを前にかざした。それだけでも、明かりの足しにはなるが、如何せん光量が足りない。生憎と懐中電灯を忘れてしまい、喜助はその携帯のディスプレイの明かりが消えないよう、適当にキーを押す事で明かりを維持するしかなかった。

それでも、道を進むのは手探りに近いものがあった。先に進むにつれ、外灯は少なくなっていき、最終的になくなってしまった。

携帯の拙い明かりでは、かろうじて細く曲がりくねった道路が確認出来るぐらいで、ちょっと気を許すと塀にぶつかるか、溝に片足を突っ込んでしまう。最後の買い物として、服や靴を買ったのに、台無しにする訳にはいかない。彼は、慎重に歩を進めた。

 喜助には、振り返れば人並み以上の経歴がある。ただ、それが今になって何の意味があるのか……当時、その過去は未来を輝かしいものにすると信じていたが、実際はその逆だった。


 過去が輝かしくても、今は惨めでしかない。それが幸いして、鍛え上げた体は七十九歳になっても大きな不自由を彼に与える事はなかった。しかし、目的もなく生きていくというのは、この年齢だと流石に堪える。これからの事を考えると、尚の事。

 そう、生きる為にやっているのだ。喜助は自分にそう言い聞かせ、遅々とだが確実に歩を進めた。

 今回、彼がこんな日付が変わりそうな時間帯に、そして来たこともない寂れた住宅街にわざわざ赴いているのには、勿論理由がある。それは、ある人物の所在の確認である。定年退職をするまでは警察という身分だったにも関わらず、今では探偵ごっこに興じる老人である。喜助は自分の事を鼻で笑うしかない。

 事の発端は三時間前だ。警官時代に知り合った“自称”探偵である人物から、山崎速雄と呼ばれる人物の所在の確認及び、相手の説得をお願いされたのだ。

 お願いと言われてしまえば文字通りのそれであり、金銭が関わる事はないのだろうが、実際には、あとでお金を支払われそうな気がする、と彼は思っていた。当然、この程度の事でお金を貰うつもりはない。また一悶着が起きる事は目に見えて明らかだが、喜助はその一線を譲る気はない。

 お金を稼ぐ事は無意味じゃないし、無駄な事でもない。生きていく為には必要な事で、働く事は恥ではないのだ。

 しかし、今の喜助にとって、お金は二の次だった。もう、お金も今後の生活で不必要になってしまうからだ。本来、不必要と断言するのは間違っているのだろう。しかし、喜助にとって今何よりも重要なのは、生きている証だった。

 そう。自分がどのような形を残して生きていくのか。生の証をどこまで作る事が出来るのか。今は、ただそれだけを追い求めていた。

 別に、彼は病を患っている訳ではない。八十に届く年齢にも関わらず、健康そのものである。恐らく、彼の警察時代がそうさせたのだろう、と彼は勝手に考えている。今でも量こそ減ったものの、トレーニングも欠かしていない。

 ならば、彼はそこまで急く必要など、ある筈がなかった。高齢者の寿命は年々伸びていく傾向にあるし、今後喜助も余程な事をしない限り、悠々自適な第二の人生を送れている筈なのである。

 しかしどうだ。八十に手の届く老人は、結果的に深夜徘徊をしている形になり、探偵ごっこをやっている。なんとも歪な形だった。それが生きがいならまだいい。しかし、彼は生きがいを求める為にそれをやっているのだから。……そしてそれは喜助が探す、山崎速雄も同様なのだろう。

 彼も、喜助と同じように八十に差し掛かる高齢者である、という話を聞いていた。つまり、梶谷喜助と山崎速雄は同い年である。だからこそ、話題も近くなり、相手の説得もしやすいのでは、と“自称”探偵様は考えている……そう喜助は推測した。ただ、面識はないものの、そういう事にはならないだろう、と彼は端から会話を諦めている。同い年だから会話が弾む、というのは安直な考えだろう。


 むしろ、面倒な事になりかねない、それぐらいは覚悟していた方がいい。喜助は面持ちを改めて、上を見上げる。暗闇の道を歩き続けた結果、一つの広場に辿り着いた。時間帯が時間帯なのでよく分からないが、その場所は、市の管理する公園のようだった。公園の名前は分からなかった。どこにそれが表記されているか、分からなかったからだ。

それよりも、彼は目の前にある電住柱に表記されていた住所を携帯のディスプレイを当てながら確認する。その後、携帯のメモ機能を確認。一致する、ここだ。

「これでハズレだったら、どうするんだろうなぁ」

 誰もいない中、喜助はそう独りごちる。先程までは暗闇の中を歩かなくてはいけない、という緊張感もあったが、彼は結構な頻度で独り言を言う人間である。自宅に一人だけとなると、テレビ画面ぐらいしか話し相手がいないのだ。しかも、一方通行でしかないのだから、会話のキャッチボールすら成立しない。いや、だからこそ独り言を言わなくてはいけないのだ。

「さてっと、山崎速雄さんはホントにいるのかなぁ?」

 鼻息混じりの冗談交じりで、公園に足を踏み入れる。当然と言えば当然――本当は当然ではないのだが、この公園にも外灯らしき外灯は灯っていなかった。ただ、今までの道のりを考えると、それが当たり前だと思えてしまう。

 おかげで、喜助は改めて携帯のディスプレイの明かりにお世話になる事になる。ここまで面倒な場所なら、懐中電灯を持ってくればよかった、と愚痴るも後の祭りである。公園の遊具で足を引っ掛けて転んだ、となったら大事である。それ以上に“自称”探偵様に笑われるのは恥ずかしい。先程よりも、慎重に歩を進める。

「とはいえ、ここは何もないのかね? 公園じゃなかったのか?」

 しかし、その慎重さは無駄だったのでは、と喜助は思わざるを得ない。言葉通り、歩きながら足元を確認するものの、何かしらの遊具があるような感じが一切しないのだ。勿論、周りは真っ暗闇なのだから、彼の見落としもあるだろう。しかし、この公園が公園として機能しているのかどうかを疑える部分があるのは、紛れもない事実であった。

 利用者がいないと、公園だって寂れてしまう。ここが地方都市とはいえ、人気のない裏道の公園など、好き好んで利用する人は少ないだろう。ここ一帯は、そのように放逐された場所なのだ。

「しっかし、なんだってこんなところを根城にするんだ。他にも便利いい所があるだろうに」

 そうぼやきながら、携帯のディスプレイをかざして左右に振って、何かあるのかを確認した矢先だった。一つだけ、ぽつんと公園の遊具らしきものが、彼の視界に映った気がしたのだ。

 やっぱりこの公園にも一つぐらい遊具があるのか、と考えるのもありなのだろうが、喜助はそう思えなかった。むしろ、それは目的地に近いそれだろう、と直感的に判断した。


 彼は、携帯のディスプレイを、まるで標準を合わせるようにしてその遊具らしきものに当て、ゆっくり歩く。最早、足元など気にしていられなかった。その無遠慮な歩き方は、今まで転倒する可能性を考えて行動した老人とは、とてもではないが思えない。

 当然ながら夜の公園が怖い、遊具すらも不気味に見えるなどという発想は、彼にはない。それ以上に、人間の方が何倍も怖い事を承知している。その無機物に対して恐怖を抱くならば、それに意志がある時だけである。

 だからこそ、喜助は途中で足を止めた。折り畳み式の携帯を閉じ、ポケットの中に忍ばせる。そして、自身の存在がばれない様に息を殺した。

 ここまで長時間暗闇の中にいれば、携帯の明かりだけではなく、なんとなくではあるが、目視も出来る。最初、その輪郭からドーム型の遊具なのかと思った。しかし、違う。近づくにつれて、その正体が明らかになった。テントだ。ドーム型のテントが、そこに設営されていたのだ。

 中には山崎速雄がいる。喜助はそう考えた。この時間帯で、わざわざ外に出る事はないだろう。だからこそ、彼は慎重になるのだ。

 そう、人間は怖い。その無機物の中に人がいるならば、恐怖を抱くのも、また自然な事なのだから。

 おそらく、それは登山用などで使用されるテントの形であり、用途が用途である以上、住居スペースなどまともにあるとは思えない。事実、喜助が横になって、多少スペースがあるかないか、程度の大きさにしかなかった。

 それと、当然ながらテントはポリエステル生地なのだろうが、中からの明かりが一切確認できない。こんな時間帯に明かりをつける事は珍しいだろうが、睡眠時に一切明かりを付けないような人物なのか。あるいは、喜助の考えが外れて、山崎速雄はここにはいない、という事もありうる。

「……もしもし? 山崎さんですか? 深夜に悪いが、ちょいといいですかね?」

 喜助は少し躊躇したのち、中にいるだろうと思われる山崎速雄に声を掛ける。そのついでに、テントの生地を指で弾く。パンパンッ、と小気味いい音がする。きちんとテントを張っているな、と思いながらも反応があるまで続ける。テントには、家でいう扉をノックする行為が出来ない。だから、それは彼にとって、テント内にいるだろう人物に対する流儀だったのかもしれない。

「……なんですか、いきなり」

 しかし中にいる人物からすれば、それは余計な事でしかなく、そもそもこんな時間帯に訪問する事自体があまり褒められたことではないのだ。

 テントの中から出て来た人物は寝ぼけ眼ではあるものの、あからさまに不機嫌を呈していた。

 しかし、喜助は怯むことなくしゃがみ込み、テントの中から出て来た人物と顔の高さを合わせる。元々警察の人間である以上、地で高圧的な雰囲気が出てしまので、初対面の相手には頭をこちらから下げるよう、気を使っている。


「すみません、わたしはこういうものです。あなた、山崎速雄さんですか?」

「ああ、そうだが。すまん、暗いし目も悪いからよく分からん。少し待ってもらえんか」

「はい、構いませんよ」

 喜助は自身が着ている、だぼつくコートの内ポケットから名刺箱を取り出し、その一枚をおもむろに真正面にいる老人に渡した。この暗闇の中で名刺箱を取り出すのはなかなか面倒で、渡した際、表と裏を間違えてしまったかも、なんてズレた心配をしたが、相手は特に気にする事もなく受け取った。

 しかし、言っていたようにそれが何なのか、分かっていないようだった。山崎速雄はテントの中へと頭を引っ込め、テントの中でゴソゴソと物音を立てて何かをしているようだった。

 その間、喜助はどうすべきなのかを考える。本来の目的は、山崎速雄の所在の確認だ。そういう意味では、既に目的は達せられた。あとは踵を返して、さっさと帰ってしまえばいい。勿論、常識も何もあったものじゃないが、ありえない選択肢ではない。

 ただ、彼は山崎速雄が公園でテント生活を送っている経緯も聞かされていた。だからこそ、その目的とは別の事をしなくてはいけない、そう考えていた。そしてそれは“自称”探偵も期待している事なのだろう。理由は先の通りである。

 喜助も自覚しているものの、山崎速雄と対話など可能なのだろうか? 彼を説き伏せる自信がまるでなかった。

 そんな事を考えている内にテントの中が僅かながら明るくなる。恐らく、懐中電灯かランプかを付けたのだろう。そうして今度は山崎速雄が這うようにしてテントの中から出てくる。

 そうすると、山崎速雄が高齢者の平均以上にはガタイが大きく、喜助は思わず感嘆の声を上げてしまう。テント内の明かりで辛うじて彼の姿を確認出来るが、本当に傘寿を迎える人間には見えない。十歳は言い過ぎだが、六、七歳程は若く見える。明るい時間帯であるなら、本当に十歳は若く見えるのかもしれない。

 しかし、山崎速雄の表情は喜助のそれに比べてまったく緩んでいなかった。むしろ、対照的に引き締めていた、と言っても過言ではないだろう。そう、山崎速雄は喜助が来た事で不快感を露わにしていた。訪れる時間帯もそうだが、何より彼が何故ここに来たのか、その理由が分かったからである。

「あんた、まさか……せがれから言われてやって来たのか」

「せがれ、ですか? まぁ、ええ、そうです。あなたの息子さんから――」

「帰ってくれ! 目障りだ! あのクソボンクラに伝えろ、お前の思い通りにいかないってな!」

 そう言って山崎速雄は、先ほど手渡した名刺を二つ折りにして、そこを境に引きちぎって捨てた。その大げさな動きから、相当に腹を立てている事が容易に分かった。



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