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俺の彼女は萌えキャラ

 春爛漫、桜咲くこの季節に、この俺「神田久弥《かんだひさや》」は女を連れて、とある場所へと向かって歩いていた。
 と言ってもこの季節なら、誰もが今の俺と同じような経験をしているに違いない。
 そう、俺は新しい学び舎である、高校の入学式に赴くところだ。
 ただし、多くの男子の場合は、勝手な想像ながら、女連れなどありはしないだろう。
 いや、同中《おなちゅう》のメンバーで連れ立って登校する場合もあるから、もしかしたら女連れの可能性もあるかもしれない。
 でもそれも、俺の言っている意味とはわけが違う。
 俺が連れている女は、まぎれもなく「俺の彼女」なのである。
 普通の中学生なら、今から彼女なんていたら、高校で彼女を作る楽しみが無くなるではないかと、俺の事を狂ったように否定するだろう。
 しかしだ。
 きっと今の俺の立場にお前らがいたら、否定する以上の夢と希望に胸を膨らませ、学校に向かっているに違いないのだ。
 どうして俺が、そこまで断言できるか、普通の人ならきっと疑問に思う事だろう。
 だから教えてやろう。
 俺の彼女は、中学時代、「ゴミクズ」と呼ばれるくらい、バカで阿呆でボケまくりの、超ダメダメなドジ女だったからだ。
 ん?意味がわからない?
 そうだな、俺も言っていて意味が分からないからな。
 少し説明が必要かもしれない。
 つまりだ。
 中学時代、全然ダメダメだった俺の彼女、「九頭竜愛美《くずりゅういつみ》」は、誰もが彼女にしたくない女ナンバーワンだった。
 そんな女を俺が彼女にしたのにはわけがある。
 それは、この子はきっと高校生になると、「萌えキャラ」として評価されるに違いないと思ったからだ。
 中学では、評価するヤローも全て中学生だった。
 しかし高校生になれば、自分も含めて、評価する人はより大人になってゆく。
 そうなってくると、この愛美はきっと、評価される事疑いないのだ。
 要するに、俺は彼女の先物買いをして、迫るバブルに胸躍らせているというわけだ。
 うむ、これできっと、みんな分かってくれた事だろう。
 そんなわけで、俺は愛美と共に、意気揚々と登校するのだった。
「ねぇ久弥《ひさや》くん、さっきからニヤニヤしてるけど、どうしちゃったにょ?って、いててて。舌かんじゃっしゃ」
 今、隣を歩く愛美が俺に話しかけてきたわけだが、いきなり舌を噛んで見せた苦笑いに、おそらくお前らの十二パーセントが萌えたはずだ。
 中学の頃なら、皆ため息をつき、心配もしていないのに、「大丈夫?血、出てない?」なんて言わなければならなかった。
 心の中では、皆うんざりしていたのだ。
 だが、高校生になった俺の対応はこうなる。
「愛美、舌はなめときゃ治るさ」
 俺がそう言うと、愛美は舌で舌をなめようと必死に首をまげていた。
 どうだこの状況、萌えるだろう?
 ツッコミをいれたくなってきただろう。
 此処でエロい高校生なら、「自分でなめられないなら、俺がなめてやるよ」なんて言いたくなったんじゃないかな?
 中学生という者は、大人に憧れ、よりまっとうな人物が評価されるのだけれど、高校生ともなると、そろそろ大人の背中が見えてきて、バカだった頃が恋しくなってくるのだ。
 そして大学生、社会人とジョブチェンジを繰り返した先には、まっとうな人間なんて何処にでも転がっている。
 そうなると、ますます「萌え」は、人々に求められる貴重なものとなってゆくだろう。
 では、「萌え」とは何か。
 それは、大人なのに子供っぽい可愛さであると、俺は断言する。
 だいたい、子供が可愛いのなんて、当たり前なのだ。
 それを、子供を見て「萌え~」とか言っている奴らは、普通極まりないのだ。
 子供なんて、子供っぽくて当然なのだから。
 それが証拠に、萌えのレパートリーの中に、「ツンデレ」なるものがある。
 ツンデレは、高校生以上の女子ならば、「ホント、素直じゃないんだから!」なんて言って、萌えの対象になり得るが、相手が子供だったら、ただのクソガキだ。
 だから本当の萌えとは、高校生以上の大人にしか存在しないスキルなのだ。
 ちなにみ、「ツンデレ」が萌えであると言う人がいるけれど、俺は正直、あまり認めてはいない。
 たとえば彼女に、「ごめん、今手が放せないから、昼食のパンを買ってきて」なんて頼んでみたとしよう。
 するとツンデレの彼女なら、「ふん、どうせついでだから買ってきて上げるけど、今回だけなんだからね!別にあなたの為じゃないんだからね!」などと言われる事になる。
 これに萌えるだと?
 その考えが間違っている事を、俺の彼女を使って証明してやろう。
「愛美、ちょっとイチゴクリームパンが食べたくなったから、コンビニで買ってきてくれ」
「うん、分かったよ。久弥くんの為に、私、頑張っちゃうよ」
 見ろ、この素直な反応。
 そしてこのみなぎるやる気。
 そしてそれは、俺の為だと言う。
 バカだから、どうして自分が買いに行かなければならないのかとか、一緒に行けばいいんじゃないかとか、全く考える事もしない。
 なんの脈絡もなく頼もうとも、喜んで買いに行く彼女。
 どうだ萌えるだろう?
 おっと、萌えている間に、彼女が戻ってきたようだ。
「ただいま~うげぇ!‥‥てへへ、コケちゃった」
「だ、大丈夫か?」
 どうやら愛美は大丈夫だけれど、買ってきたパンは愛美の下敷きになって、ぐちゃぐちゃになってしまったようだ。
 ま、まあ、こんなハプニングも、大人だったらきっと萌えるはずだ。
 高校生の俺にとっては、かなり腹立たしい結果ではあるが。
 きっと高校三年生くらいになれば、「愛美はドジだなぁ。でもパンはぐちゃぐちゃでも、味は一緒だから大丈夫だよ」なんて、爽やかに言って許せるに違いないのだ。
 流石に今の俺には無理だけれど、二年後の俺はきっと、「萌え~」とか言って、有頂天になっているに違いない。
 俺は未来の俺に希望を抱きながら、ぐちゃぐちゃになったパンを頬張り、愛美と共に学校へと向かうのだった。

愛美と初登校

 俺の通う事になっている「萌芽《ほうが》高校」に行くには、まずは家から最寄駅である「夢見駅」まで歩く。
 それから、高校の最寄駅である「萌芽駅」まで、電車に揺られる。
 そして再び萌芽駅から、我が学び舎まで少しだけ歩く事になるわけだ。
 俺はまず、近所に住む彼女「愛美」を、家まで迎えに行く。
 当然の事ながら、一時間以上早い時間にだ。
 愛美と一緒に登校するとなると、当然すんなり学校まで行けるとは思えない。
 だから早めの行動は必須だ。
 まずは当然のように、愛美はそう簡単に家から出てくる事はない。
「迎えにくるのが早すぎるから」と、思う人もいるかもしれないが、これは十時よりも早い時間ならいつもの事だ。
 俺は家の前で十五分待たされる。
 するとようやく、家から愛美が出てきた。
「久弥くんおはよう~。爽やかな朝だねぇ」
 そう言って出てきた愛美を見て、俺は驚いた。
 何故頭に花が生けてあるのだ?
 何故下半身だけパジャマのままなのだ?
 そして何故、弟の雄太《ゆうた》をつれて出て来たんだ?
 つか、雄太鼻水たらしまくって、しかもパジャマのままだぞ?
 愛美、ボケるのも大概にしろよ。
 俺は愛美の手をとると、共に家の中へ入って行く。
 愛美の両親とはそれなりに面識があるので、俺は軽く挨拶をして、家に上がった。
 まずは、弟の雄太をつかむ手を放させる。
 それを両親のいるリビングに向けてリリースする。
 すると雄太は、自らの足で、ゆっくりとそちらに向かって行った。
 まずは一つ完了。
 次に頭に挿してある花を抜きとって、玄関にある花瓶に突き挿す。
 そして適当に髪の乱れを整えてやる。
 顔の素材は良いのだから、もう少ししっかり髪を整えてあげたいが、俺にそんなスキルがあるはずもない。
 俺はすぐに愛美の手を引き、愛美の部屋へと入って行った。
 するとベッドの上に、制服のスカートが残されていた。
 俺は、それをおもむろに掴み取ると、愛美の腰に適当に巻きつけ、一気にパジャマをずり下ろした。
 うむ、これでオッケーだろう。
 俺は愛美を一回りさせて、問題が無いか確認する。
「よし、ばっちりだ」
 すると愛美は、何かを思い出したかのように、俺の声にハッとした表情をした。
 俺に何か落ち度があったのだろうか。
 パジャマと一緒に、パンツまでずり下げてしまうようなミスはしていないはずだが。
 すると愛美がポツリと言った。
「あ、お母さんに餌あげるの忘れてた」
 おいおい、なんだそれ?
 愛美の家は、母親に餌を与えているのか?
 そんなわけがないだろうが。
「大丈夫。お母さんは自力で餌とって食えるから」
 俺がそういうと、愛美はプルプルと首を横に振る。
 一体なんだっていうんだ?
「違うよ。金魚のピーちゃんのお母さんだよ」
 色々ツッコミを入れたくなる発言だが、ここはツッコミを入れずにいよう。
 一々ツッコミを入れていたのでは、きっと学校に行けなくなるからな。
「そっか。で、ピーちゃんはどこだ?」
「ピーちゃんは死んじゃったよ。ピーちゃんのお母さんだよ」
 まったくややこしいな。
「じゃあピーちゃんのお母さんは何処かな?」
 すると愛美は、俺を廊下へと連れ出し、廊下の隅を指差した。
 そこには水槽が置かれ、中には金魚が泳いでいた。
 俺は素早く水槽に近づくと、登校中に食おうと思って持っていたロールパンを、適当にちぎって、金魚に与えてやった。
 よし、これで全てオッケーだろう。
「これで大丈夫。じゃあ行くよ愛美」
 俺がそう言うと、愛美は笑顔で頷いた。
「わーい。久弥くんと新しい高校だぁ」
 愛美との付き合いは、正直面倒な事が多いが、こういう表情を見せられると、萌え死にそうになる。
 愛美の笑顔は最高なのだ。
 俺は愛美の手をとると、両親に挨拶をして、早々に家を出る。
 既に、残り一時間あった余裕は、三十五分くらいに減っていた。
 まずは夢見駅まで歩く。
 先ほど金魚にパンを与えてしまったので、とりあえず代わりのパンをなんとかしなければ、俺はきっと空腹で死んでしまう事だろう。
 俺は何故だか分からないが、愛美にパンを買いに行かせた。
 しばらくすると、愛美はパンを抱えて戻ってくる。
 しかし目の前でコケて、パンを押しつぶしていた。
 愛美に買いに行かせたら、こうなる事は分かっていたじゃないか。
 どうして俺は買いに行かせてしまったのだろう。
 後悔しながらも、俺はつぶれたパンを食べながら、夢見駅へと向かった。
 駅につくと、通勤時間と重なる為、それなりに人が沢山いた。
 中学までは徒歩通学だったから、電車での通学は当然初めてだ。
 俺たちはドキドキしながら、改札を通る。
 って、通れていなかった。
 愛美は閉まる改札機の中でオロオロしていた。
 見ると手には、ペンケースが握られていた。
 俺は改札の中から愛美に声をかける。
「愛美!それペンケースだから!」
 俺がそう言うと、愛美は舌を出して自らの頭をコツっと叩き、今度はちゃんと財布を取り出して、改札を通ってきた。
 相変わらず、こいつのドジは治らないようだ。
 しかし、治ってもらっても困る。
 このまま成長したら、きっとこいつは、史上最強の萌えキャラになれるのだろうから。
 俺はそれを期待して、愛美と付き合っているのだからな。
 そんな事を考えながら、俺は愛美の手をとると、一緒に電車に乗り込む。
 乗客がいっぱいで、一歩も見動きできない。
 すると愛美が、真っ赤な顔で言ってきた。
「久弥くん、こんなところでお尻さわらないでよぉ」
 なに!こんなところじゃなければ良いのか!
 って、違った。
 俺は触っていないぞ!
 と言う事は、痴漢って奴だな。
 俺は素早く愛美のお尻の辺りに手を入れて、そこにあった手を掴んだ。
「おら痴漢野郎、俺の彼女に何してやがる!」
 そう言って掴んだ手を上げると、その手の持ち主は、かなりいかついおっさんだった。
 俺は手を放し、一瞬たじろぐ。
 でも、俺がちゃんとしないと、運命は俺たちを、深淵の底につれて行く事になるだろう。
 即ち、どうなるかわからない。
 そんな事を思って躊躇していると、愛美が何やらそのおっさんに話しかけていた。
「お客さん、おさわり禁止なんだよぉ。追加料金五万円いただきます」
 おい愛美、一体何を言っている。
 この微妙な状況を金で丸く収めるつもりか?
 だけどこのいかついおっさんが、そんな金払うわけないだろうが。
 って、いきなり財布取りだして、金出してるよ。
 まあ、普通に考えれば、示談って奴だな。
 しかもおっさん、ちょっと赤い顔して、愛美の萌えパワーに絆《ほだ》されていやがる。
 やはりそうだ。
 俺の彼女は、大人にとっては最強の萌えキャラなんだ。
 おっさんは何かに取り憑かれたように、あっさりと五万円を愛美に渡した。
 しかし、愛美と一緒にいて、物事が順調に進むなんて、そうそうある事ではない。
 きっと何かが、これから起こるに違いない。
 すると電車が、少し荒いブレーキ操作で、一気にスピードを緩めた。
 乗客は前に体を持っていかれる。
 俺はなんとか吊革を掴み、コケるのを回避したが、うっかり愛美と繋いでいた手を放してしまった。
「しまった!」
 愛美の体は電車前方に飛ばされ、先ほどのおっさんに頭突きをかましていた。
「あ、大丈夫ですか。すみません。おでこ赤くなってますね」
 愛美はそう言って、おっさんのおでこを、ハンカチか何かでさすり始めた。
 するとおっさんのおでこから、血がダラダラと流れだす。
 おい、何もってるんだ?
 ハンカチじゃないのか?
 俺が覗きこむと、手には生け花用の剣山が握られていた。
「おい愛美、それハンカチじゃねぇから!」
 俺がそう言うと、愛美は驚いて手元を確認する。
「あっ、間違えちゃったwてへっ」
 って、そんなんで許されるわけないだろうが。
 おっさんが、悪役レスラーみたいに流血しまくりだっつぅの。
 結局、先ほど貰った五万円を、慰謝料として返す事で、なんとか許してもらえた。
 さっきまで頬を赤く染め、穏やかな表情をしていたおっさんも、別れる時には鬼がのりうつったような顔をしていた。

自己紹介

 萌芽駅に着くと、俺は愛美の手を引いて、無事改札を出た。
 今度は、手に持っているものをしっかり確認していたので大丈夫。
 それでも油断してはいけない。
 俺の彼女は、これだけツラが良いのに、誰もが付き合いたくないと言った女だ。
 このまま無事に、初めて通う高校にたどりつけるとも思えない。
 今更だけれど、よくもまあ受験に合格したものだ。
 当然、受験当日も、俺がタクシーで送り届けたわけだけど、それでも試験や面接では、色々とドジを繰り返した。
 まあ受かったのは、試験官や面接官が、大人であったからだろう。
 とにかく俺は、愛美の手を放さず、慎重に歩みを進めた。
 周りには、沢山の萌芽高校の生徒が、同じように登校している。
 と言っても、手を繋いで登校するような生徒はいない。
 今日は入学式なので、皆同じ一年生だから、当然と言えば当然か。
 入学式早々に、ラブラブ光線出して登校していたら、悪い意味で目立ってしまうからな。
 だけど俺たちからは、そんなものは出ていないはずだ。
 ある意味、愛美の飼い主である俺が、リードで繋いでいるようなものだから。
 しばらく歩くと、学校が見えてきた。
 どうやら今日は、無事にたどり着けそうだ。
 一時間の余裕を持って家を出たが、明日からはもう少し少なくても大丈夫かな。
 愛美もどうやら、高校生になって少しはマシになったみたいだ。
 喜んでいいのか、それともガッカリすればいいのか。
 なんにしても、今日のところは良かった。
 そう思って、俺は一瞬気が緩んでいたのかもしれない。
 気がつくと、繋いでいたはずの手に、愛美の手は握られていなかった。
 俺は驚いて辺りをキョロキョロと見回す。
 きっとこの時の俺の顔は、エロ本を買おうとしたら友達が周りにいて、どう言い訳しようか考えている時のようだったに違いない。
 そんな顔だったからか、それとも他に何か理由があったからなのか、そんな事は俺の知るところではないが、周りの生徒たちは、何故か俺から離れて歩いていた。
 そして道を開けるように、誰もいない先には、俺の彼女が草むらの中でしゃがんで、何かをしているようだった。
 まさか、ノグソか?
 あれほどノグソは駄目だと言っていたのに、(本当はそんな事、言ってはいないが)まったく、学校まで我慢できなかったのか。
 そう思って急いで近づいていくと、しゃがむ愛美の前に、何やら猫がいるのが見えた。
 なんだよ、脅かすなよ。
 俺は猫を脅かさないように近づいて、愛美の肩に手を乗せた。
 愛美は嬉しそうに振り返ると、小さな猫を一匹持ちあげて見せた。
 どうやら生まれて間もないようで、でかいドブネズミよりも小さな猫だった。
 この大きさだと、逆にネズミに食われそうだ。
 まっ、人も生まれた時は小さいし、子供とはそんなものだ。
 愛美は、そんな猫と一緒になって、転げまわって遊んでいた。
 俺はしばらく、猫と戯れるそんな彼女を眺めていた。

 結局、俺たちは入学式に少し遅れていた。
 時間的にはギリギリ間に合っていたが、俺はウンコを踏んで臭かったし、愛美も制服が泥だらけで汚れていた。
 俺が愛美を探してキョロキョロしていた時、みんなが俺を避けるように歩いていたのは、どうやら俺が、ウンコを踏んでいたからだったようだ。
 顔が怖くて避けられていたわけではなかったので、ひとまず良かったと言うべきだろう。
 そして愛美も、ノグソをせずに(本気でそんな心配をしていたわけではないが)、猫と泥だらけになって遊んでいただけだから、これから出会うクラスメイトから避けられるような事はないはずだ。
 俺は踏んだウンコを念入りに落とし、愛美は泥をできる限り拭きとってから、入学式に参加した。
 入学式の後、俺は掲示板に張られている、クラス割表を確認した。
 俺と愛美は同じクラスだった。
 なんとなくだが、俺は当然こうなると思っていた。
 何故なら、愛美には俺が必要だから。
 とにかく、俺は愛美の手を引いて、指定された一年梅組の教室へと入っていった。
 って、梅組ってなんだよ。
 幼稚園のクラスじゃないんだから、普通に数字かアルファベットにしておけよ。
 俺はブツブツと喜びを口にしながら、教室に入っていった。
 教室には、これからのクラスメイトが何人かいた。
 だがまだ知らない人達だ。
 挨拶もなく、俺と愛美は適当な席につく。
 と言っても、適当に座ったわけではない。
 なるべく後ろの方の席を選んだ。
 理由は簡単だ。
 愛美が前の方の席に座ったら、きっと何かしらのトラブルが起こるに違いないからだ。
「久弥くん、お弁当食べる?」
 言ってる傍から、愛美は何故か持ってきていた弁当を食べていた。
「いや、俺は大丈夫だよ。さっきパン食ったから」
 まったく、愛美の親は何をしているんだ?
 今日は入学式とホームルームだけだって、知らないのだろうか。
 弁当が必要なのは明後日からだろうが!
「そっか。そう言えばそうだね。私朝起きるの遅かったから、朝ごはん食べられなくて」
 って、朝ごはんかい!
 つか俺は、家の前で十五分も待たされたぞ。
 もしかして、俺が迎えに行った時に起きたとかって話じゃないだろうな。
「朝ごはんね。でも流石に今弁当食べるのはマズイから、早く食っちまいな」
 俺がそう言うと、愛美は首を傾げた。
「なんで?ご飯食べないと、人間死んじゃうし、ゆっくり噛まないと、消化に悪いんだよ?」
 愛美とは、こういう奴なのである。
 別に、空気が読めないわけでも、故意に人に迷惑をかけるわけでも、勉強ができないわけでもない。
 ただ、バカで阿呆でボケまくりでどんくさくて、自分に素直なのだ。
 まっ、その素直さを表に出すのは、俺に対してだけなわけだが。
 冷静に考えてみれば、俺たちの生活には疑問が多い。
 どうして、指定された時間以外に、教室で弁当を食べてはいけないのだろうか。
 どうして、朝の決められた時間に登校して、時間通りスケジュールをこなさなければならないのか。
 人間は本来、目が覚めたら活動を開始して、お腹がすいたら食べて、それで良いはずだ。
 空腹を我慢すれば、お腹にガスがたまったり、胃液で胃の中を傷つけたり、健康に良くない。
 社会に出れば、そういった我慢と戦わなければならないから、それを若いうちから学習する為とか言うけれど、まったくもって意味がわからない。
 大人になったら、嫌でもそういった生活になるのなら、若い今の間だけでも、健康に気をつけた生活をさせて欲しいものだ。
 反面、タバコや酒は、健康に良くないからと禁止する。
 学校が、社会に出てからの予行演習ならば、タバコや酒の授業があってもいいはずだ。
 本当に世の中は矛盾だらけだ。
「そうだな」と、俺は笑顔で、愛美にこたえていた。
 それから間もなく、気がつくと全ての生徒がそろったようで、席は全て埋まっていた。
 近くに座るクラスメイトと話をする者もいたが、多くはとりあえず、様子をうかがっているといったところか。
 俺が他の生徒たちを観察していると、教室に、担任の先生らしき人が入ってきた。
 三十代前半の独身に見える、ジャージ姿の先生だった。
「おいおい、今時ジャージは無いだろう」と思ったが、堅苦しい先生では無さそうだし、俺の見る第一印象は悪くない。
 だが問題は、愛美と上手くやっていける先生かどうかだ。
 愛美はまだ弁当を食べ続けている。
 これに対して、どういう対応をとる?
 俺が息をのんで見守っていると、先生が愛美の弁当に気がついた。
「ん?何やら美味そうな臭いがするが、弁当を食べている奴がいるな」
 先生の第一声は悪くない。
 いきなり否定するところから入ると、愛美は萎縮してしまうから。
 だけど、言い方は嫌味にも取れる。
 この後が肝心だ。
 先生の言葉に、生徒たちの多くが、弁当を食べる愛美に注目した。
 愛美は注目されてオロオロし始める。
 俺の方を見て、どうしたらいいか助けを求めているようだ。
 先生よ、早く何か言ってくれ。
「はいみんな注目~」
 先生は、弁当を食べている愛美を、スルーする方向のようだ。
 生徒たちもそれを悟って、視線を先生の方に戻す。
「まずはみんな、萌芽高校入学おめでとう」
 先生が、挨拶を始めた。
 まずは、俺としても、愛美にとっても、良い結果と言えるだろう。
 愛美も先生の声に、弁当を食べるのを中断して話を聞いている。
 人の話に注目しなければならない時に、愛美は食事ができる人間ではない。
 ちゃんとわきまえている子なのだ。
 だったら、「昼休みでもない時間に弁当食うなよ」って言う人もいるだろうが、その辺りは、人それぞれの価値感にある「誤差」というやつだ。
 まあとにかく、この先生の此処までの行動は、上々の出来と言えるだろう。
 横に座る愛美を見ると、先生に注目する目は、悪くなかった。
 しばらく先生の話が続いた後、自己紹介タイムがやってきた。
 出欠も此処で取るらしいから、どうやらばっくれる事はできないようだ。
 俺もそうだが、愛美も人の視線の中で喋るのは苦手だし、自己紹介は正直気が重い。
「じゃあまず、有沢!」
 先生の言葉に、愛美の向こう側、一番後ろの席に座る男が立ちあがった。
 そして自己紹介を始める。
「俺の名前は有沢敏也《ありさわとしや》。地元の萌芽第一中学出身。風呂から出る時は、必ず右肩上がりを意識している。よろしく!」
 出席番号の順番に、クラスメイトが自己紹介をしていく。
 最初の有沢とかいう奴以外は、名前を言った後、「よろしくお願いします」だけを言って、座ってしまう奴ばかりだった。
 高校の自己紹介なんて、普通こんなもんだろう。
 最初の有沢ってのが、少し変わっていると言う事だ。
 だが、大人の自己紹介だったら、決して名前だけでは終わらないはずだ。
 そう考えると、此処まででは、有沢だけが大人で、他は子供だと言う事もできる。
 それは、本当の萌えを理解できるのもまた、有沢だけど言う事だ。
「じゃあ次は、神田!」
 俺の名前が呼ばれた。
 俺はゆっくりと立ち上がる。
 さて、どういう自己紹介をするべきだろうか。
 もしかしたら、これから一年、或いは高校での三年間が、此処で決まると言っても過言ではないだろう。
 此処は一切の手抜きができるところではない。
 俺は意を決して、自己紹介を始めた。
「俺は、神田ひしゃや‥‥」
 噛んだ‥‥
 台詞を噛んでしまった。
「神田だけに、噛んだというわけか」
 先生がそう言うと、冷たい笑いが教室内に湧き起こる。
 こら先公、一々オヤジギャグで説明するな!
 恥ずかしいだろうがコノヤロー。
 しかし此処で動揺してはいけない。
 俺はなんとか自己紹介を続けようとした。
 すると隣で愛美が、笑顔で暴言、いや、応援をしてくれた。
「頑張れ~久弥く~んw」
 今の俺には、それは応援になっていないのだよ。
 少しイラっときた。
 俺はまだ、愛美のこういうところに、萌える事ができないようだ。
 それは、俺がまだまだ子供な証拠でもある。
 だから、これ以上の自己紹介も必要あるまい。
「神田久弥です。よろしくです」
 俺は素早くそう言いなおして、俯き加減に席についた。
 ふぅ~これくらいなら、みんなそのうち忘れる事だろう。
 俺の高校ライフは、この時点では、きっと致命的な傷は負っていないはずだ。
 俺がそう安心して顔を上げると、先生が次の生徒の名前を言おうとしていた。
「では次は‥‥クズ‥‥クズ、タツアイミさん?」
 おいおいだれだよそれ。
 教え子の名前くらい、しっかり頭にいれて来いよ。
 この給料泥棒教師が。
 俺はゆっくりと、隣を見た。
 愛美がニコニコしながら、ゆっくりと立ち上がった。
 何やら時間の流れがゆっくりに感じる。
 愛美は心の中で、本当は少し悲しんでいるのだろう。
 だけどその表情には、そういった感情は微塵も無い。
 強いなと俺は思った。
「くず、くず、くず‥‥です‥‥」
 っておい!本人あがりまくりだった。
 俺は咄嗟に、愛美を助ける為に立ちあがった。
「あ、この子、九頭竜愛美《くずりゅういつみ》って言います」
 しまった!ついうっかりやっちまった。
 俺は少し動揺しながら、再び俯き加減で席に着いた。
 こんな事をすると、きっとこれから、からかわれるネタにされるに違いない。
 すると愛美が、俺の心に追い打ちをかけてきた。
「あ、はい。今のが私の彼氏です」
 愛美はそう言いながら、俺を指差して赤くなっていた。
 俺は照れくさい気持ちと同時に、正直少し腹が立った。
 こういう事を、平気で言える女の子は、今の俺には許容できないからだ。
 きっと大人の男なら、嬉しい事を言ってくれると喜べるのかもしれない。
 そういう人なら、愛美は萌えの対象になり得るのだろう。
 高校生になったら、いきなり大人になれるとは思っていなかったが、自分自身にも、俺は少し腹が立っていた。
 でも、俺がこの時どう思おうとも、愛美がどういう気持ちだったとしても、クラスメイトからみれば、ただのバカップルだ。
 こうして、俺と愛美の関係は、入学式早々、クラス全員の知るところとなった。

クラスメイト有沢

 ホームルームが終わり、最後の礼をして、皆それぞれに家路に向かう。
 結局、どんなクラスメイトがいたのか、教師の名前すらも、俺は覚えていなかった。
 そんな中、唯一名前を覚えていたクラスメイト、有沢が俺に話しかけてきた。
「やっほぃ!お前どこ中から来たんだ?」
 さっきは唯一の大人かと思っていたが、こういう声のかけ方は、やはり同年代か。
 大人の方が良いと思う反面、やはり本音としてはこちらの方が安心するな。
「ああ俺か、俺は夢見中だ」
 俺がそう言うと、有沢の表情が笑顔に変わった。
「うほ!知ってる知ってる。サッカーの試合で、一回行った事あるわ」
 まあ同じ学区だから、部活の試合か何かで来たのだろう。
 俺は帰宅部だったから、他校の生徒との交流はなかったが。
「そっか。まあよろしく」
 俺は、中学時代から、特に友達が多かったわけでもないし、誰とでも仲良くできるほど器用でもない。
 ぶっちゃけて言えば、普通だ。
 だから話しかけられても、特に話す事が無い相手とは、話が弾む事はない。
 相手もどうやら同じで、特に俺には興味が無さそうだった。
 なるほど、本当の目的は、愛美か。
 有沢は、食べ終わっていなかった弁当を、再び食べ始めていた愛美を見ながら、再度話しかけてきた。
 って愛美、まだ食ってるんかい!
「彼女、可愛いね。恋人と同じ高校に行くなんて、仲いいんだな」
 有沢がそう言うと、愛美は食事を続けながら、少し照れた様子で会話に参加する。
「久弥くん、私可愛いって言われちゃった」
 愛美の口の中には、沢山のご飯が入っていたが、喋ったおかげで、少しだけブツが口からこぼれ出ていた。
「愛美、口の中の物が無くなってから喋ると、再び口に入れなくていいから楽だぞ」
 俺がそう言うと、愛美は「久弥くん天才」とか言って、再び食べるのに集中していた。
「ふ~ん、仲が良いって言うか、なんか家族みたいだな」
 有沢の言葉から察するに、おそらく恋人ってよりも、妹みたいに見えるとか、そういった事が言いたかったのだろう。
 確かに、俺と愛美は、どちらかというとそんな感じだ。
 それはきっと、俺が愛美の事を本気で好きではないからだろう。
 いや、好きなのは好きだ。
 好きじゃなければ、いくら先物買いとか言っても、付き合っていく事はできないと思う。
 そうだな、先物買いの意味を正確に表すなら、俺はこれから、ドンドン愛美の事を好きになっていくって事かもな。
 俺は無意識のうちに愛美を抱きしめ、「やらんぞ!」と、有沢に言っていた。
 俺の愛が、いずれ恋に変わる事は、確実だから。
 俺の行動に、有沢は苦笑いしていた。
 そらそうか。
 目の前でいちゃいちゃされたら、対応策は苦笑いくらいしかあるまい。
 それにしても、有沢が話しかけてきた真意はどこにあるのだろうか。
 別に、俺たちがいちゃいちゃするところを見たかったわけでもないだろうし、愛美とお近づきになりたかったわけでもなさそうだ。
 俺が疑問の目で有沢を見ていると、有沢は、話しかけてきた真意らしき事を話し始めた。
「その弁当美味そうだな」
 って、もう一つ関係無い話を挟んでくるとは、有沢はなかなかやるな。
「あ、食べる?」
 愛美が笑顔で、有沢に弁当を勧めていた。
 すると有沢は、少し顔が引きつっていた。
 そらそうだろうな。
 さっき愛美が口に入れた米が、色々なところに飛び散っていたからな。
 そんな思ってもいない事を言った、有沢が悪い。
 でも仕方ないなぁ~、助けてやるか。
 俺は愛美が差し出していた弁当を受け取り、適当に口に放り込んだ。
「うん、美味い」
 まっ、俺の彼女だし、さっき言われた通り、家族みたいなもんだからな。
 俺は全く気にならない。
 それを見た有沢は、ようやく無駄話の愚かさを悟ったようで、話しかけてきた本題らしき事を口にだした。
「神田、というか彼女の方、九頭竜さんは、どうしてこの高校に来たんだ?」
 ふむ、この質問は、どう判断したら良いのだろうか。
 俺たちが超賢そうに見えるのに、萌芽高校という超平均的な高校に来た事が不思議だとでも思ったのだろうか。
 確かに、俺にしても愛美にしても、ここ萌芽高校は、学力相応の高校ではない。
 俺は内申書も含めて、トップクラスの高校に行く事も可能だったし、学力だけなら愛美は俺以上だ。
 ただ、愛美は内申点が悪かった。
 テストでもドジを繰り返し、実際の知識相応の点数は、ほとんど取った事がない。
 そんな愛美が、それなりの余裕を持って合格できそうな高校が、たまたま萌芽高校だったわけだ。
 俺は、そんな愛美に合わせて、この高校を受験した。
 中学の時の教師も、両親も、マジでビックリしていたな。
 もったいないと、必死に説得されたりしたが、勉強なんて何処の高校でもできる。
 要はやる気があればいいだけだ。
 そんなわけで、どうしてと聞かれても、その程度の理由しかなかった。
 俺は素直にそう言った。
「二人で合格できそうな高校だったからだよ」
 すると有沢は、気味が悪いくらいに、ニヤッと笑みを浮かべた。
 なんだ?何かあるのか?
 俺はドキドキしながら有沢を見つめていたが、有沢は、俺のこたえに対する返事をするつもりはないようだった。
 その代わりに言った言葉は、
「この高校の名前は、萌芽だよな」
 この一言だけだった。
 これが何を意味しているのか、俺に分かるはずもない。
 実はこの学校名に、何か意味があるのだろうか。
 ただ単に地名からつけた名前だと思うが、仮に意味があると考えれば、萌えを目指す若き人々の集う所とか、そんな意味だろうか。
 そんな高校あるわけがない、俺は苦笑いした。
 しかしこの考えが、あながち間違いではなかった事を、後日俺は知る事になる。
 そして俺たちのやり取りを、廊下からひそかに見ている人物がいる事を、この時の俺が気づく由も無かった。
 有沢は、軽く手を挙げて、「じゃあな」と言って、教室から出ていった。
 愛美はようやく、朝食である弁当を食べ終えていた。
 時計はそろそろ、十二時になろうとしていた。

二度目の登校、おかしな愛美

 四月九日の月曜日、俺たちは気分を新たに、萌芽高校を目指して出発していた。
 今日は実に順調で、此処まで大きなトラブルはない。
 愛美を迎えに行くと、愛美は既に家の前で待っていた。
 何故か弟の雄太が、愛美の隣にパンツ一丁で立っていたが、問題はそれだけだった。
 俺は、すぐに雄太を家の中にリリースすると、愛美と手を繋いで夢見駅へと向かった。
 今日からは、学校の購買部も学食も機能しているはずで、特に何も買う必要はない。
 家を出る時間も、入学式の日より三十分近く遅いので、朝食も食べてきている。
 それなりのお金も持ってきているので、何かあっても対応できるだろう。
 俺は、繋ぐ手を大きく振って、駅までの道のりを歩いていった。
 夢見駅につくまで、会話も無かったが、トラブルも無かった。
 会話があまり無いのはいつもの事だが、トラブルが無い事は珍しい。
 お互い、無言のコミュニケーションをしていた事が良かったのかもしれない。
 俺は無言で、歩く愛美の笑顔を見ていた。
 そんな俺に気がついて、愛美は終始笑顔だった。
 たったそれだけのコミュニケーションが、愛美の他への行動を抑えていたのだろうか。
 なんにしても、普通にしている愛美との登校は、普通に青春といった感じだった。
 電車の中でも、俺たちは無言で、そしてトラブルも無かった。
 ここまで来ると、どういうわけか、俺は不安になってきた。
 トラブルが無い事は喜ぶべき事だと思うが、反面萌える事もない。
 ただ、普通に可愛い彼女と登校しているだけだ。
 いや、普通じゃない気がする。
 そうだ、俺たちは此処まで、一言も言葉をかわしていない。
 普通の恋人同士の登校なら、多少なりとも会話があるだろう。
 俺たちも、先日までは当然そうだった。
 確かに会話は少ないが、全く喋らないなんて事は無かったはずだ。
 俺は疑問に思い、愛美に尋ねた。
「愛美、今日はなんだか、いつもよりも大人しいね」
 すると愛美は、少し苦笑いのような笑顔を浮かべるだけだった。
 やはり、これは何かある。
 俺は、精一杯の優しい笑顔を作って、愛美に言った。
「もし何かあったら、俺には言っていいんだよ。大丈夫。俺はどんな時も、愛美の味方だからね」
 すると愛美は、一粒涙を流して、俺を見つめて言った。
「やっぱり、こんなの私じゃないよね。久弥くん、嫌だよね」
 正直、つつましい古き日本の女性ってのも、俺は悪くないと思っている。
 だけどそれは、本人がそう望み、無理が無い場合だ。
 トラブルが起こらず、ドジやボケも少ない今日の愛美は、確かにつつましい可愛い女性に見えなくはないが、これが決して本質ではない。
 それにやはり、萌えは捨てがたい。
 とにかく、理由をハッキリ聞かない事には。
 もし本人が望んでいるなら、協力もやぶさかではないから。
 まあおそらく、違うだろうけれど。
「俺は、愛美が愛美で、そうしたいってなら、否定しないし受け入れるよ。だけどきっと、愛美はそうじゃないよね。だって泣いてるし、今日の愛美はなんだか辛そうだから」
 俺がそう言うと、愛美は俺の胸に顔を埋めてきた。
 満員電車の中なので、最初からそれに近い状態ではあったが、俺は焦った。
 心《しん》の臓《ぞう》が、ドキドキと鳴いている。
 ぶっちゃけ、家族のような付き合いをしているから、これくらいどうって事も無いのだが、状況が俺を盛り上げていた。
 だが、俺の臨戦態勢も、すぐに解除される事になる。
 愛美がマシンガントークを始めたから。
「あのね、入学式の日にね、担任の田中先生からね、うちに電話があったみたいなの。それでね、ホームルーム中にお弁当食べていた事をね、お母さんに言ったらしいの。でね、お母さんにね、どうしてそんな事したの?って聞かれて、朝ごはんだから食べたのっていったら、それはちゃんと食べないといけないよねって、お母さんも納得したの。でもね、先生にとってはね、それは面白くない行為だから、やめて欲しいとか言うの。更にね、あなたの娘さんは、ちょっと頭が弱いところがあるから、そのあたり治さないといけないとか言われたらしいの。でね、お母さんもそんな事知ってるから、治せるもんなら治しているわよって言い返したらしいの。そしたらね、治す良い方法があるからって言われたみたいなの。でね、その方法がね、とにかく喋るなって事だったの‥‥」
 なるほど、確かに愛美は、喋った時にこそ、色々とドジをかます。
 現に、今喋りまくってる間、隣の人の足を踏んでいた事にも気がつかなかったもんな。
 隣の人、ちょっと怒って愛美の事睨んでいるし。
 俺は軽く、その人に頭を下げた。
 それにしても、担任の田中だったか、よくあれだけの時間に、愛美の本質を見抜いたな。
 喋らなければ、八割がた問題を抑え込む事ができる事、どうして分かった?
 俺ですら、言われて納得した感じなのに。
 流石に先生といったところか。
 いやしかし、中学時代の先生には、何も分からなかった気がする。
 俺はなんとなく、昨日有沢が言っていた「萌芽だよな」という一言を思い出していた。
 この後結局、愛美はいつもの愛美に戻っていた。
 それでも、初日よりは順調に学校についた。
 電車のドアに挟まれ、通学路で二回転びそうになり、街路樹にぶつかりそうになっただけで済んだ。
 その全てにおいて、俺が助けたり、未然に防いだわけだけれど。
 つか俺がいなかった時、愛美はどうやって生きてきたのだろうか。
 まあ一人だったら、そうそうドジもしないのかな。
 誰とも喋る事がないから。
 だけどそれって、どうなんだろうか。
 一人っきりで、問題無く過ごす毎日と、ドジやボケがあっても、誰かと一緒に過ごす日々。
 どちらがいいのか分からないが、少なくとも、愛美は俺と一緒の方がいい。
 いや違うな。
 俺は、愛美と一緒がいい。
 今はまだ、ムカつく事も多いけれど、それでもこれだけ、愛美が好きだから。
 そんな事を考え、ニヤニヤしながら、俺は愛美と共に教室に入った。

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