閉じる


「青が散る」を読んで決めた大学

 高校三年生で大学を受験するころ、わたしは行きたい大学を見つけようともせずに、「浪人するのも人生における大切な経験になる」と親不孝なことを言って大学受験で落ちまくり、本当に浪人生活をはじめることになった。

 その一ヶ月後、母が「国語の勉強のために読んでみたら」と言って文庫本を持ってきた。きっと、いっこうにやる気を見せないわが子に呆れ果て、せめて本でもまともに読んでほしいと思って渡したのだと思う。

 でもわたしはその本を見て、すぐに(うへぇ)と心の中で叫んだ。 見るからに分厚く、持ってみるとこれまた重たかったからだ。読書の習慣がない自分には、第一印象でお断りの代物で、まるで国語辞典でも渡された気分でいっぱいだった。

 それでもその本を開いてみたのは、カバーが日焼けし、小口が薄茶に変色していて、しかも何度も読まれた形跡があったからだろう。 それほど思い入れのある特別な本ならばと、わたしはとりあえず最初の数ページだけ読もうと思って開いてみた。

 

 物語の冒頭は、主人公が入学手続のために、大阪の大学に訪れた場面から始まっていた。 しかも春の始まりと言うより、冬のなごりのような冷たく強い雨が降る日が舞台で、さらに主人公は気乗りのしないままに手続をするかどうか迷っている。 もし受かったら自分もこうなりそうだなと、思わずわたしはニヤッとなった。しかしその思いもすぐに一変する。 全てが灰色に染まるような場面ではじまった物語に、突如として真っ赤なレインコート姿の女性があらわれたからだ。

 髪についた雫さえも上手に使って自らを引き立たせたその子は、一人先に入学手続を済ませて去っていく。

 その子に対して主人公が虚ろになったように、わたしもたった数ページですでに取り憑かれていた。

 空は荒れ、摂津平野はぐるぐるとうねる雨に覆われて拡がり、一行目の様子から少しも好転した雰囲気もないのに、確かに何かが始まるような予感があった。 しかも陽の射すもとでの明るい青春生活が始まると言うよりは、そこはかとない哀しみに満ちた物語になりそうなのに、わたしはすぐに受験勉強そっちのけでページを繰り出すようになっていた。

 しまいには残りのページが減るのが惜しくてたまらず、じっくりと文字をなめるようにして読み進めた。 それほど夢中になったのは、この作品には冒頭の女性との恋愛だけが描かれていたわけではなく、何百枚もあるページの中いっぱいに大学生活そのものが広がり、その世界で主人公が確かに呼吸をし、ページの合間から泪をこぼすように悩み、さらには活き活きと描かれていたからだ。

 こうしてわたしが「青が散る」を読み終えたのは、開け放した窓から生温かい風がそよぐ夏まっさかりのころだった。  

 黄ばんだページから眼を離し、そのまま空を見上げたら、あまりの眩しさにめまいがした。 考えるまでもなく勉強は計画通りに進んでいない。ほんの数ヶ月とはいえ、受験勉強のための重要な時間を読書に費やしていたのは間違いなかった。

 しかしわたしは読み終えたその本をまた最初から読み直しはじめた。 べつにまた受験をあきらめたわけではなかった。だから今度は読書をしながら、受験勉強のほうに比率を置くようにした。

 すでに心の中で行きたい大学が決まっていたからだ。

 その後、わたしが関東を離れて大阪の私大に入学したのは、いうまでもなく「青が散る」の影響があったからにほかならない。 主人公の燎平が、入学手続を済ませた女の子のあとを追って入学を決めたように、わたしも彼の背中を追って、なにが始まるかわからないという期待に満ちた気分で、大阪にある学校へと進んだのだった。

 大学生活を送るようになってからも、青が散るはいつもそばに置いてあった。しかも何度も読んだはずなのに、また開いては読み返していた。 それでも受験時代に比べてその回数が減っていたのは、わたしもまた、別の「青が散る」の世界に浸りきっていたからだと思う。


この本の内容は以上です。


読者登録

alonealphaさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について