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 「郵便物をお届けに参りました。」


  その日、午後の便で来た郵便物の中に、差出人の書いていない

  角2型の封筒が混じっていた。前回の怪文書を思い出して、

  嫌な予感に襲われながらも優奈は中を確認する為に、注意して

 鋏で封を切る。


 中には数枚の紙をホッチキスで留めたものと、別に小さめの封筒が

 入っており、そこには小田切の名前が宛名として書いてあった。

 小田切は教員なので個人でメールボックスがある。そのため

 学生の研究室に小田切宛の郵便物が送られてくることは、めったにない。

 小さめの封筒にも、やはり宛名はなかった。


 代わりに、前回と同じく手鏡の写真が貼り付けられていた。

 シール代わりにしては大きすぎるし、なぜ封筒の中に入れないのか

 理由が分からない。

 

 前回の封筒に入っていた紙切れに書かれていた、呪いにも似た文書を

  思い出させる。なぜ差出人はあえて学生の研究室に郵送するのか。

  そこら辺からして、底知れない理由がありそうで、気持ちが悪い。

  同時に、優奈の好奇心が擽られたのも事実である。

  前回は常川の邪魔が入ったが、今日はまだ常川は居ない。


 封筒はさすがに私文書なので中を検める訳にはいかない。

 剥き出しの書類の方に、目を通すことにした。こちらには宛名がない以上、

 研究室宛ての筈だ。


 5年前にアカハラで、山瀬研究室の女子院生が被害を受けていたこと。

 小田切と佐々木がハラスメント加害者であること。

 それにも関わらず、一人の男子院生だけがその責任をとって

 退学処分となったこと。


 これらの事が、新聞記事のように、淡々と事実だけが書かれていた。


 (これは、本当にこの研究室であったことなの?)


 同封された文書が真実であるのなら、差出人はアカハラの被害者と

 考えると筋が通る。それならどうして大学を相手取って、責を問わない

 のだろうか。上手いやり方とは思えなかった。

 前回の常川の態度からして、何か事情があるのかもしれない。


 常川は前回怪文書が届いたときに、本人に知らせるのをなぜか嫌がった。

 だがあれからしばらく罪悪感に駆られていた優奈は、今回は常川が

 いないこともあり、小田切に渡すことにした。今回ばかりは宛名が

 書いてある以上、勝手に処分する訳にも行かない。


 二回の空振りを経て、なんとか優奈は封筒を小田切に渡すのに成功した。


 小田切は中を、特に手鏡の写真を見ると、小さく悲鳴を上げた。

 心配する優奈に、幾度も中身を見たのかと確認する。

 文書の方は既に全部読んで、実はスキャンして保存していたりするが、

 それは内緒だ。「全く見ていないですけれど、何の手紙ですか?」と恍けて、

 部屋を後にした。


 二時間ほどして常川がやって来ると、他の学生が掃けるのを待って、

 待ちかねたように優奈は早速先程来た手紙のことを話した。


 「この研究室で本当に、あんなことがあったんですか?」

 

 「ああ。本当だ。俺はその時には休学していたから、詳しいことは

  言えないが」


 学外には漏れていないが、人の口には戸は立てられず、少なくとも

 学部内ではある程度噂になった。その影響で未だにその噂が残っている

 代の学生達は、山瀬研究室に来たがらないのだ。

 さらっと事実を肯定した常川は、そう説明した。

 

 その頃小田切は手鏡の写真を凝視して、放心していた。


(どうしてこれが……?関係者の仕業か?)


 手で破った封筒から取り出された便箋には、前と同じく5年前の

 アカハラとの関連を公表すること。それともう一つ。全ての罪を背負い

 亡くなった男子学生の名誉の回復を求めるものだった。

 

 不正経理の証拠を握っている以上、やはり解雇されたあの営業マンが

 一枚かんでいるのは間違いない。そして共犯者は、5年前のアカハラに

 関係ある者。


(やはり何がなんでもあの営業マンを探して、吐かせるのが一番だ)


 アカハラの関係者の人脈を辿るよりも、明らかに関係のある人物を

 追った方が遥かに効率が良いはずだ。小田切はスケジュール帳を睨み、

 営業マンを負うべく計画を調整することにした。



1

 
   姉から弔問客があったことを電話で聞かされた女は、ひどい寂寥感に
  苛まれていた。あれからもう
5年が経つ。

  白い壁に囲まれた一室で、女は独り一枚の写真を見つめていた。

  夜の帳がとうに下りているというのに、女はテーブルランプを灯している

  だけだった。薄暗がりで女の面長の顔の輪郭と、濃い緑のサマーセンターの

  袖が、薄ぼんやりと照らしだされる。


 他の人には見られないように、誰にも触れられないように、この写真を

  眺める。これは日課であり儀式でもある。

 写真の中の青年は、いつだって柔和な笑顔を女に向けてくれる。


  この瞬間だけ女は彼岸にある魂との邂逅を果たす。それは至福であり、

  同時に残酷な拷問でもあった。


女の魂は既に死んでいた。可愛がっていた甥が五年前に亡くなってから

完全に生きる目的を失っていた。ただ惰性で生きている。


 姉の一人息子だった和哉は共働きで構ってもらえなかった

両親よりも、比較的時間に融通の利く仕事をしていた彼女に懐いていた。

もともと子どもにあまり構わなかった両親よりもずっと肉親のような

存在だったと女自身自負している。周囲が結婚する中でも寂しく

なかったのは、一重に和哉の存在が大きかった。


 はにかみ屋で内向的なところもあったが、女の誕生日プレゼントは欠か

さなかった。いつも「大好き」と言ってくれたのを折に触れ思い出す。

さすがに年頃になるとあけすけには言わなくなったが、それでも信頼関係は

昔のままだった。……少なくとも女はそう思っていた。


それが五年前に全てが失われた。


 自殺。

 運行中のフェリーから投身しての壮絶な死。

 それだけでも受け入れがたいのに、後に現場検証と関係者からの

 事情聴取を終えた警察から、和哉が同級生に暴行と重なるハラスメント

 行為をしており、それがもとで彼女は‐。

 それを悔いての自殺であると、遺書から判断された。

  既に大学も退学処分を受けていたと。

 指導教官や同級生たちの証言から、遺書の内容を裏付ける事が

 できると警察は言った。


  自分も含めて身内の悲嘆は大きかったが、和哉に非があると公に

 認められている以上、憔悴している様子すら他人に見せるのを躊躇った。

  親しい人に理由を話すこともできない。

  姉夫婦も人目を忍ぶように密葬して甥を見送ることにした。

  未だに事情を知らない地元の人間たちには、曖昧に「急死」とだけ

  答えている姉夫婦。

 その苦しみは女が察してあまりある。


  だが女の場合、事が起こる前から事情を知っていた。

 研究室のほぼ全員があかりに対して無視や暴言を吐いていたことを

 和哉の口から聞いて知っていた。

 

 和哉は言った。

 自分が嫌がらせに関わっていることを肯定した上で。


 「仕方ないよ。先生や皆と上手くやれない方が悪いんだ。それに

   これくらいのこと社会に出たらいくらでもあるだろ?」


  躊躇いもなくそう答えた言葉。それは呪いにも似て、発した本人に

  帰っていった。嫌がらせの主犯は和哉一人ということになっている。

  女がもっと真剣に事情を聞いていれば、解決に尽力すれば和哉は死なずに

  済んだのか。今となってはもう遅いが、悔やんでも悔やみきれない。

 

   和哉の話では、教授含め複数の研究室メンバーが関わってはずだ。

  傍観しているだけで、何のアクションを起こさなかった者だって、

  広い意味では加害者だ。

  それが主犯は和哉だけで、他の人間は全くお咎めなしの

  無罪放免というのは納得ができなかった。


  スケープゴート。

  前後関係は明らかにそれを示唆している。    


 「和哉も悪いけれど、他のメンバーだって同じようなことをしたから

   同罪だ」という本音は今も燻っている。


  やり場のない怒りは、自身を苛むだけだ。

  懊悩は続く。


  未練を断ち切ろうと、ずっと手元に置いておいた和哉の遺品を

  姉の元に返したりもした。

  女は自分でもこのまま過去に沈んでいるのが、良いとは思っていない。

  それでも依存する対象が、写真に変わっただけだった。

  以前は写真も辛くて見られなかったのだから、少しは成長した。

  そう思いたいが、心境は大して変わっていない。


  いつしか女は、ただ目的もなく生き続ける無限地獄に堕ちていた。

  出口のない罪悪感と恨みは、永劫の生き地獄を生みだし拡大していく。

  出口は一つしかないけれど、その勇気は未だ女にはなかった。

 


2


  姉の電話からこっち、感傷にふける傾向にあるようだ。
 時刻を確認すると、既に午後二時を回っている。
 慌てて写真を手帳のポケットに仕舞い、パソコンにログインする。
 起動するまでの間を有効利用しようと、午後便での郵便物を手に取った。
 
 広告に混じって封筒が1つ出てくる。
 封を切ると、中から手紙が出てきた。

 「初めまして。私は山瀬研究室の元院生です。和哉さんが在籍して
 いた当時在籍しておりました。当時の状況も鮮明に記憶にあります。
 和哉さんは、山瀬隆文一門によるアカデミック・ハラスメントの
 全責任を押しつけられて自殺しました。確かに彼はハラスメント
 加害者の一員です。ですが首謀者は彼ではない。あなたもご存じの
 通り、ハラスメント首謀者は山瀬隆文です。もみ消しの為に和哉
 さんはスケープゴートにされた。私自身も彼らから嫌がらせを
 受け精神を病み、研究の道を断念した者です。最近になりようやく
 病状が回復してきました。あなたさえ覚悟がおありなら協力いたします」

 最後には差出人として「協力者」と書いてあり、メールアドレスが
 記載されている。アドレスの末尾からフリーメールであること以外は、
 差出人の正体に繋がるものは見当たらなかった。

  封筒はごく普通の茶封筒であるし、文面も全て印字されたものだった。
 それでも
俄然女は興味を抱いた。この差出人の正体は知れない。
 だがあれだけ皆が見捨て、和哉の両親でさえ最終的には諦めたと言うのに。
 この差出人はまだ和哉のことを覚えていてくれる。

 執念深いだの忘れろなど、痛みを知らない人間が散々投げかけ傷つけてきた
 言葉が思い出される。和哉という名前を口にするだけで、今の女にとっては
 耳を傾けるに足る人物であった。


 だが一方で差出人が、山瀬研究室の関係者の可能性もあった。

 和哉との血縁関係は知られていないが、調べて判明し口封じにきた

 可能性もある。女が未だに遺恨を持っているのかどうか調べる為に。

 もし本当にただ協力しているとしても、この差出人に何の利益があると

いうのか。和哉の死について何か確信があってのことなのか。

女はひどく動揺した。


(もし本当に復讐ができるのだとしたら。私は‐)


 それでも女の持つ証拠は、生前の和哉の証言のみ。

 その和哉も亡くなり、五年も経過した今ではもう‐。

 自信がなかった。

 和哉が本当に首謀者で、自責の念がない故に他の人間も同様だと

 言い訳している可能性だって否定できない。


 結論を決めるのは、「協力者」と連絡を取ってから考えても良い。

 職場を知っている以上、あらかたの女の個人情報は既に入手している

 はずだ。今更逃げても仕方がない。

 それに女が後に残ることを意識した上でメールをやり取りし、

 そのメール履歴を保存しておけばいざという時に証拠にもなる。

 普段はヴァーチャルだけの付き合いは信用しないが

 今度ばかりはオンライン上の接触を、女は望んだ。

 

 何より当時の和哉のことを聞きだしたかった。

 不祥事で退学になった和哉のことを、あれこれ研究室の人間に

 尋ねるのは躊躇われ、結局聞けずじまいだったのだ。


 一瞬考えたのち、女は「協力者」と同じフリーメール・アカウントを

 作り、新アカウントからメールを送信した。 



3


  帰宅してメールを確認すると、「協力者」からの返信があった。

 緊張しながら、女は内容を確認する。


「お返事を頂き嬉しく思います。

 いきなりで信用できないのは当然です。

 まずは当時の和哉さんの事からお話ししましょう。

 彼は確かに加害者グループの一人でしたが、グループ内で

 立場が弱かったのです。その原因は私には分かりません。

 ですから証拠に残りやすい嫌がらせは、彼に手を下させていた。

 私の時もそうでした。証拠は近日中にお送りします。その上で

 ご決断ください 協力者」


 二日後送られてきたものは、DVDと数枚の紙だった。

 そこには一人の学生に嫌がらせをする複数の声が、

 和哉に対して無理やり実験結果を奪うよう嗾けるものだった。

 後から免罪符にするつもりなのかふざけた調子で言っているが、

 その声音には明らかに強要する響きがある。

 扇動者は明らかに、他の人間だった。

 同時に女の身体中の血が沸き立つ。

 

 間を置いて別の日時の会話が再生される。

 そこでも和哉は従っているだけだ。

 その内容は丁寧に紙に、タイプされている。

 日時もあるので、訴えれば証拠になるのかもしれない。

 

 (これで甥の無念を晴らせるかもしれない)


 名誉回復を裁判所に訴えることはできるはずだ。

 更には同罪の人間たちの責任を問うことが出来る。


 共に裁判を起こそうと「協力者」に書きこむ。

 加害者親族と被害者。

 立場の違いはあれど、共通の敵がいる。


 だが帰ってきた返事はなんともつれないものだった。

  

「お返事ありがとうございます。ですがアカデミック・ハラスメントは

 3年で時効を迎えてしまいます。私やもう一人の被害者が嫌がらせを

 受けていた時から既に5年が過ぎています。

 今からお金をかけて訴えたところで、奴らに処罰を与えることは

 出来ない。判決の結果により名誉回復は出来るかもしれませんが、

 強制力はありません。損害賠償すら請求できないのです。

 それに裁判の結果と学内人事はまた別。

 大学側は結局、何も処罰をせずにおくことでしょう」


 「……」


 希望が前に示され、女は既に名誉の回復だけでなく、加害者たちの

 社会的制裁をも望むようになっていた。名誉の回復だって、

 裁判自体を知らなければ風化されてしまう。

 

 裁判を起こせば、訴訟期間中は奴らを拘束できる。

 それに被告という立場を思い知らせることが出来る。

 それで、それだけで満足すればいいじゃないか。

 弱気になり、そう返事をすると「協力者」は話にならないというように、

 醒めた言葉を送って寄こした。


「それだけでは生ぬるいですよ。そうではないですか?

 社会的に抹殺するべきです。

  あのような輩は反省など絶対にしません。

 手加減は無用です」


 激しい言葉が並ぶ。

 画面の向こうの人間は彼らに人生を奪われた被害者なのだ。

 想うところは多いだろう。

 だが正直女は少し引いてしまった。

 「協力者」の報復が行き過ぎる可能性を考え、戦慄した。

 

 甥が嫌がらせを強要されたことに憤ってはいるが、

 モラルや法律を犯してまで仇を討とうという激しさは

 持ち合わせていない。

 もう終わりにしよう。

 ここまででいい。

 和哉のことを忘れないでくれている人間がまだ

 いることで良しとしよう。


 そう考えた女は返信をせずに、パソコンをシャットダウンしようとすると、

 メールの着信を知らせる音がする。


 「       」


 そのメールを見た女は驚き、何度も画面を確かめる。

 それが本当だと分かると、すぐに返信を始める


 「協力します。必ずあいつらを地獄の底に」


 目に見えてはいないけれど、女は画面の向こうの人物がにやりと

 笑っているのが見えたような気がした。



1


 「もしもし、どちら様ですか?」


 「……ツー・ツー」


 また無言電話だ。

 加奈は首を捻ると、受話器を下ろした。


 今月に入ってから、毎日のようにかかってくる無言電話。

 いつも小田切が居ない時を見計らったかのようなタイミングでかかってくる。

 といっても一日に一度。休日で小田切が居る時にはかかってこない。

 実害はほぼ無に等しいのだが、気味が悪い。


 (この近辺では流行っている悪戯なのかな?)


 電話帳に掲載されている電話番号に無作為に電話をかける悪戯

 なのかもしれない。最近ではかかってくる度に、その番号を

 登録して次回から分かるように設定するが、それでも毎回

 違う番号からかかってくる。


 (警察に相談するほどのことでもないし……。誰か近所の人に聞いて

  みた方がいいのかな。何か対策を教えてくれるかもしれない)

 

 ボーン。ボーン。ボーン。


 柱時計が九時を知らせる音で、加奈は我に返る。

 そろそろ出勤の時間だ。

 

 まだお絵描きに夢中の望に準備するよう促す。

 保育園の服と帽子は既に身に付けているので、後は鞄を取りに行く

 だけの状態だ。早め早めに準備する慎重な性格は、小田切の影響だろう。

  

 望を助手席に乗せ自動車を発進させる。

 小田切とは別に購入した軽自動車は、軽やかな音を立てて、

 住宅街を走り出した。


 小田切家は大学から車で三十分程の位置にある、賃貸のファミリー・

 マンションにある。

 勤務先の大学へは車で三十分程で、近すぎず遠すぎない適度な距離。

 買い物や職場へのアクセスに支障がないこと。

 その割に自然に恵まれた立地環境。

 様々な物件を吟味した結果、二人の意見が一致したのがここだった。

  

 「ママ、今日はお迎え何時頃?」


 「七時ぐらい。遅くなってごめんね」

 

 加奈は塾で英語を教えている。

 父親の仕事の関係で、アメリカに数年滞在していた経験に加え、

 大学も英文学科に進学した経歴から、英語を使う職に就いたのは

 必然と言って良かった。それに加えて、大学時代の伝手で、

 頼まれて翻訳の仕事をするときもある。小中学生を対象とした

 授業なので、勤務時間は午後遅くからが多く、一教科だけという

 こともあり、時間には余裕がある。

 

 小田切の両親も同じ市内に住んでいるので、喜んで

 望の世話を引き受けてくれるのもありがたい。子育てに手を抜くことなく

 仕事にも専念できる環境にあることに、加奈は本当に感謝している。


 それでもあえて望を保育園に預けるのは、一人っ子の望に

 同年代の子どもとの交流の仕方を教える意味合いが大きい。

 もちろん義理の両親に頼りっぱなしには、できないという遠慮もあるが。


 幸い今年3歳になる望は人見知りすることなく、保育園で友人と遊ぶのを

 楽しみにしており、子育ても順調。


 今日も待ちきれないというように、車から降りた望は

 加奈が先生に挨拶している間に、もう運動場で遊ぶ友達の方へと

 駆けだしている。


 「もう、先生に挨拶しなきゃ駄目でしょう!」


 一声かけると、望は遠くから大声で先生に挨拶する。

 加奈が困った顔をして見せると、担任のベテランの保育士は

 慈愛のこもった笑顔で応じてくれる。

 望に触発されたかのように、他の園児たちもわあっと駆けていく。

 それぞれの保護者たちとも、一通り挨拶を交わすと加奈は

 勤務先の塾へ向かった。


 平凡だけれど、満ち足りた日々。

 それがこの日を境に音を立てて崩れていくとは、

 この時の加奈は想像だにしていなかった。

 



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