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 田淵研究室へ問い合わせると、住所録と集合写真を渡す代わりに、

 もう金輪際アカハラ関係では関わってくれるなと念を押された。

 共犯罰則規定が余程怖いのだろう。

 

 二人で行って見ると、その住所地に立っていたのは新築の和風建築だった。

 御殿のようにすら見える。

 

 表札は「嘉納」と出ているので、間違いはないとインターホーンを

 押してみる。中から出てきた女性に、探し人の名前を告げると

 「あんた誰?」と疑わしい顔で言い放つ。

 

 とっさに答えられないでいると、さっさと戸を閉めようとするので、

 脅迫されているかもしれないと訴えた。あれ以降外の世界と断絶して、

 それで自分達に危害を加えることだけを糧に生きてきたのかもしれない。

 十分成り立つ仮定だ。

 

 「あの子はここにはいませんよ。今どこに居るのかも分かりません。

  死んでるのかも生きているのかも」

 

 「あなたが母親じゃないんですか?」

 

 「まさか。あれの母親はとっくに死にましたよ。殺されてね」


  女は、さも迷惑だとばかりに「もういいでしょ」と言い捨て、

  音を立ててドアを閉めてしまった。


  そのまま学校の中央図書館に行って、過去の新聞のバックナンバーを

  漁る。


 「ありました!」


  二十三日午後十一時ごろ。……丁目の自宅リビングで、この家に住む

  嘉納薫さん(四二才)が、血を流して倒れているのを帰宅した長男が

   発見し、119番通報した。薫さんは搬送先の病院で出血多量による死亡が

   確認された。

  刃物のようなもので全身を数十か所を刺され倒れていた事から、

  殺人事件と断定し、捜査本部を設置。司法解剖をして、詳しい死因などを

  調べている。捜査本部によると、部屋に荒らされた様子はなく、凶器も

  見つかっていない。薫さんは長期間入院しており、当日は無断で帰宅した

  ところで、事件に巻き込まれた可能性がある。

 

 「この長男の人が、その学部生なんでしょうか?」


 「……これ続報あるのか?犯人は捕まったのか?」


  その後数時間費やしたが、結局続報は見つからなかった。


  犯人だとしたら同じ場所に住んでいる訳はなく、

  犯人ではないなら一層住み続けるのは気持ち悪いだろう。

  先程の様子も合わせて元の住所には、この学生は住んでいないと

  考えるのが普通だろう。

  あまり上手くいっているようには見えない、あの女性にもう一度

  聞くべきだろうか。結果が既に推察されて、見通しは暗い。


  既に外は暗く、物悲しい音楽が館内を流れる。


 「続きは明日にするか。今日はもうこれ以上何もない」


  グー。


  ここまで来て、夕御飯を食べていないことに気付いた。

  時刻は夜十時。

  空腹なのも当たり前だ。

 

 「豪快な音だな」


 「十時の時報ですよ」


  その日は、近所の定食屋で食べることにした。

 

  こうして食事をしていると、ここ最近の日常から遊離した出来事が

  本当にあったことか疑わしい。確かに関わった人たちは皆姿を消して

  いるが、それも日を過ぎればすぐ慣れる。

  自分がある日突然いなくなったとしても、こんなものなのかなと

  焼き鮭を食べながら、少しだけ優奈は無常感を感じる。


  一方常川は情緒の欠片もなく、かつ丼の大盛りに食らいついている。

  そこへ例のアニメの主題歌が流れる。

  周囲の学生やサラリーマンが一斉にこちらを見る。

  優奈は恥ずかしくて、他人のふりをする。

  常川は平然と「お、メールだ」などと言いながら、携帯をいじる。


 「これは……」


  画面を見て絶句している常川。

 

 「何なんですか?」


 「いや、お前は見なくていい」


  そう言いながら携帯を操作して、何かに気付いた。

 

 「あ、でもお前にも送られているのか。いいか、今日のメールの

  添付ファイルは全部消せ」


 「は?」


 「もうお前は巻き込まない。悪かったな、今まで」


  急に常川がそんなことを言うものだから、優奈は気が削がれてしまった。


 「どうしたんですか?今までの所業を反省したのなら、いいですよ。

  許してあげます」


  いつものふざけた調子で返しても、常川の顔は真剣なままだ。


 「俺はお前が、あちら側の人間だと思っていた。違うと分かった以上は、

  監視する必要もない。それだけだ」


 「あっち側って……」


  COEに引き入れたのも、アカハラ事件のことを話したのも、全部

  優奈の行動を見張る為だったと言う。


 「俺は、相手の怨みの深さを、絶望を力に変える力を分かっていなかった。

  二人も亡くなった今、お前は俺に付きあう必要はない」


 「そんな、ここまで来て!気持ち悪くて寝られません!」


 「お前、寝られないどころか、永眠するかもしれないんだぞ」


 「大丈夫です!たぶん……」


 「途中から気弱になるなよ。……まあ、巻き込んだのは俺だしな。

  その代わり危なくなりそうになったら、すぐに戦線離脱だ。分かったな?」


 「はい」

 


14

 

 

 常川の警戒していた意味は、家に帰ってから判明した。

 田淵研究室から送られてきた、嘉納の写真。

  

 ようやく手に入れた集合写真に写っていたのは、大人しくて、

  気難しそうな少年だった。周囲の明るい笑顔が、彼の纏う気の異質さを

  際立たせている。


  その身を覆う薄暗さが何に起因するものかは分からない。

  何かが決定的に違うことだけは伝わって来る。

  仕上げの整えられた、同じ器を知っている気がする。

  優奈はその器の形を、描こうと懸命に記憶の海を探す。


 「焔さん……?」


  今の焔とは正反対の人物像。

  朋谷の言うとおりだとしたら、復讐の為に焔は生まれ変わった

 とでもいうのか。

  外見も人格も変えて。

  その執念は一体-。


「焔さんがあの学部生、だったんですね」


 現在の温厚で有能な大学院生像と、

 あの暗い目をした少年が同一人物だとは思えなかった。

 

 焔には、確かに得体の知れないところがある。

 人を詮索することもないが、自分の事は話さない。

 服装も妙に高価な物を身につけ、研究室内とはまた違った交友関係を

 保っているようだ。一方で研究室内に中途入学にも関わらず、

 研究室内に大きな勢力をもっている。同年代と比較すると、

 妙に大人びた口調もどことなく得体の知れない人生経験をもって

 いることを仄めかす。


 (そういえば私、焔さんのこと何も知らない……)


 何より優奈の件がきっかけとはいえ、ハラスメント業務に対する

 執念のようなものを感じる。熱心と言うよりは、執着。

 それも5年前のアカハラがきっかけとすれば、納得のいく説明になる。


 今日は常川と待ち合わせて、昨日と同じく嘉納が昔住んでいた

 家に向かっている。周囲に聞きこみなんて探偵みたいで、

 緊張するし、罪悪感がある。あの写真を見る限り、それはおそらく

 焔が消したい過去。それを暴くことが本当に良いことなのか。


 「嘉納」の表札の家を、再び訪ねる。

 昼間の明るさで見ると、本当に大きな家だと分かる。

 この辺りの地主でもしているのか。

 出てきたのは昨日と同じ女性だった。

 優奈と常川を見るなり、苦虫を潰したような顔を見せた。


 「あの子のことは、本当に知らないんですよ。自分の母親が死んでから

  連絡もしないで、勝手にどっか余所に行ってしまいましたからね」


 「それって、お母さんが殺された事件のことですか……?」


 更に険しい顔になると、彼女は何も言わずにドアを閉めた。


 「アンタッチャブルな話題だったみたいだな」


 頭上で腕を組み、常川はどこか他人事で言った。

 仕方なく車に戻ろうとすると、100mくらい向こうから

 手招きするおばあさんがいる。

 先程の家からの視線を気にしつつ、傍に行くと、

 何を調べているのか。場合によっては協力すると持ちかけてきた。

 分かりやすい情報屋だ。

 

 焔と分かった以上、迷惑はできるだけかけたくない。

 おそらく焔はこの近辺に今の居場所を知られたくはないだろう。

 困ったと思っていると、常川が爽やかに嘘を吐く。

 

 「僕たち嘉納君の友人なんですけれど、あの家に行っても

  知らない人がいるだけで、困っていたんですよ。昔の友人

  なんですけれど、何か事件に巻き込まれたことをつい最近

  知ったものですから」


 「ああ、あれね。5年前の事件!宥君は本当に可哀そうな子だったわ。

  小さい頃からお母さんが厳しく当たっていてねえ。近所でも評判に

  なっていたの」


  おばあさんは嘉納の祖母より、少し若い位の年代で、嘉納一家のことを

  良く知っていると言った。新しく移り住んでいるのは、一族の者だが、

  母親が存命の時には寄り付きもしなかった親族だと怒りをあらわにしていた。

  嘉納はその一族に家を奪われた形になったらしい。


 「では事件以来、姿は見ていないんですね?」


 「そうなの。当時、県内で不審死が相次いだでしょう?だから薫ちゃんの

   事件もその内の1件じゃないかって。でもねえちょっとタイミングがねえ。

  薫ちゃんは以前から慢性疾患を患っていたんだけど、自宅療養が許可された

  矢先に死んでしまうなんてねえ。それも嘉納が退学になった頃に合わせて

  みたいに。タイミングが良すぎると思わない?

  ちょうど自分が家を出たいと思ったときに、ずっと目の上のたんこぶ

  だった母親が死ぬなんて」


    ご婦人の怒りは、今現在嘉納家を陣取っている一族だけではなく、

  嘉納自身にも向けられているようだ。

  後味の悪い形で、聞き取りを終了する。

  ご婦人は有益な情報を得られなかったばかりか、自分だけが

  貴重な情報を漏らしただけの結果となったことに酷く不満の

  様子だった。


 「警察の方の言うとおりだと思います。退学したばかりの心細い時期に、

  お母さんを殺す動機がありません」


 「その直後に嘉納は姿を消している。積年の恨みをここぞとばかりに

  晴らした可能性もあるわけだ。それだけじゃない。もしかしたら、

  こいつは連続殺人事件を起こして、これを埋もれさせようとしていたと

  言う可能性もある」


 「まさか。一件の事件を隠すために、無関係の人間を殺すと言うのですか?

  いくらなんでもそれは無茶ですよ」


 「無茶で大胆だからこそできるんだよ。あの男は何もない状態から、

  自分で金と地位をたった5年で作り上げたんだ。思い切った手段が

  必要だったはずだ。なにしろ5年前の時点で、あの男には、人脈も

  資金も、学歴もなかったんだから」


 「どうやって手に入れたのでしょうか?」


 「さあな。いつも言っているバイトが関係あるかもな。接客業だって

  言っていたから。ともかく奴は対人関係スキルを身に付けた。

  誰に聞いても嘉納は陰気で人を寄せ付けない性格だったらしい

  からな。今では研究室で一番の社交家だ」


 「人ってそんなに変わるんでしょうか? とても同じ人物に見えませんよ。

  人間不信だった人物が、その不幸の真っただ中で変わる勇気など」


 「決意をすれば人は変われる。奴は決めたんだ。別人になると。そして

  強くなる為に、邪魔な人間を殺した」

  

 「そこまでして、どうして土岐等さんに忠誠を尽くさねばならないのです? 

  婚約していたわけでもない。ただ恩義を感じていただけで」


 「大事な人間も百人いれば、その分気持ちも薄まる。だが奴には一人

  しかいなかった。それだけだ。だからその人物のために平気で人を手に

  かけられるんだ。お前にとっての家族、恋人、友人全部を集めた分の

  気持ちを、たった一人に向けていたんだろう」


  幼少期から家にも学校にも居場所がない。

  そんな中で独りだけ、自分を見出してくれた人がいれば、

  その人は神にも等しい存在だと。

  絶望故に、例えようもなく深い情が生まれる。

  考えられることではある。


 「二十年近く生きてきて、一人しか大事な人がいなかった

  ということですか?」


 「寂しい人生だな」


 「でも、それだけ大事な人を失うことへの、怒りは分かった

  ような気がします」


  それに寂しいとは違う。

  優奈は思った。

  それほどまでの想いを抱く人がいるのは、この上なく幸せなこと

  ではないかと。

  脳裏に一人の女性が、思い浮かぶ。

  彼女も幸せだったのだろうか。

  もはや知り得ない答えに、少しだけ優奈は想いを馳せた。

 


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   監視気味なおばあさんのおかげで、思いがけない嘉納の幼少期を

 知ることが出来た。母親の殺人事件が、嘉納を容疑者まがいの視線を

 受けるようになり、家まで乗っ取られた。大学だけでなく、家庭、いや

 近隣までも安住の地が無い絶望。その中で、どうやって今の状態まで。


 「嘉納だけで調べていると情報が少ない。あの連続殺人事件という枠で

   調べれば、何か分かるかもしれない」


 「また図書館で作業ですか?」


  昨日を思い出して、うんざりする。

  昨日と同じ時間まで調べたと言うのに、結局続報やその後の嘉納に

  繋がる記事は何も見つからない。ネットの情報すら全くない。

  ただこの地域での殺人に関係があるのかもという情報だけ。

  リークする者などない。


「直接僕に聞いたらどうですか?」


「うわああ」


 二人の調べているスペースにいつの間にか、焔が居る。

 いつもと変わらない澄まして落ち着いた態度。

 その態度の裏には、あんな無残な過去があるのか。

 尊敬に似た想いを持つ。


「今日は僕の店に招待しますよ」



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「今日は随分可愛い子を連れているのね」


  店に入ると、すぐに傍のテーブルで若い店員を侍らせた

  女性から冷やかされる。

  かわいらしいが、全体的にこどもっぽい。というかゴスロリ

  ファッションだ。

  しかも年齢は不詳。十代と言われればそんなもんかと思うし、

  三十代と言われればそうかもとも思う。何かがアンバランスな雰囲気が、

  危うい魅力になっている。特にその舌足らずな声は、彼女の存在を

  ミステリアスにする。


 「今日はすみません」


 恭しく女性に謝罪している焔を押しのけて、常川が叫ぶ。

 

 「あの声優の金澤サヤカさん、ですよね?」


 「あら、私のこと知っているの?嬉しいわ」


 特に気分を害した様子もなく、女性は笑った。

 常川は携帯を取り出していつものあの着信音を鳴らしてみせる。

 

 「この曲の大ファンなんです。辛い時にはこれを聞くと元気になって。

  それで、サインもらっていいですか?あ、紙が無い。じゃあ、この服に

  マジックで!」


 常川の携帯の着メロは、この女性が歌っていた歌だったのかと納得する。

 が、あのアニメはかなり古いアニメのはず。

 この女性の年齢は……聞かない方がいいのか。

 あまりのテンションの上がりっぷりに、優奈が恥ずかしくなる。

 こういうファンが多いのか、女性の常川をあしらう態度は手慣れていて、

 大人の余裕を感じた。

 そもそも他の客たちも、裕福そうな女性ばかり。

 男性の常川と、貧乏学生の優奈は思い切り浮いていた。 

 

  中のアダルトな内装。店員たちの服装。客の層。


 「あの、ここって……」


 「ホストクラブです」


  連れて行かれた席には、酒の代わりに、紅茶を運ばせた。


 「お前、酒癖悪いからな。良い判断だ」


  常川はくさしながら、紅茶をグビット飲んだ。


 「それにしても、見事に女がいないな」


 「ホストクラブですから」


 「お客様には素敵な方が一杯いらっしゃいいますよ。でも今日は

   お客様なので、ゆっくり楽しんでください」


  こうしている間にも、他の客から指名が次々に入る。


 「少し待って下さい」


  そういって挨拶をしてくる。挨拶も様になっている

  その間は、若い従業員が相手をしてくれる。


 「すみません。オーナーはお客様に人気があるので」

 

 「そうでしょうね。恰好いいですもの。あの、特定の人とかいるんですか?」

 

  こっそり店員に聞く。普段なら絶対に聞けないが、こういうお店だ。

  それくらい聞いても良いだろう。


 「オーナーはそう言う人はいないし、つくりもしないそうです。

 そういうお堅いところがまた人気の秘訣なんですよね。俺も尊敬してるんすよ」


  焔とは大分感じの違う男のたわごとだ。


 「なんだなんだ、男にも人気なのか?」

 

 「そりゃそっすよ。俺なんか一目ぼれっすよ」


 「そりゃすごいな。どうして惚れた?」


 「その頃俺馬鹿やっていて、置き引きして逃げたのはいいんすけれど、

   捕まりそうになってそんで、原付のシートの中に鍵ごと入れて、

   ロックしたんすよ。その場で開けられないから捕まらないかと思って。

   もちろん相手は怒ってすぐに鍵屋を呼ぶから待っていろとか言いだして。

   その隙に逃げようと思ったんですけれど、その時にオーナーに会ったンす。

   オーナーはすぐに鍵を開けて、持ち主に返していました。

   かなり怒っていたけど、説得して、起訴は免れた。そんでれみて

   好意ったんす「馬鹿やってないで、自分で稼げ。やるきがあるなら

   雇ってやるって」


 「なんだかお前みたいだな」


 常川が揶揄する。


 「何、優奈さんもオーナー好きなんすか?」


 「え?ち、違いますよ。いえ、嫌いと言う訳ではなくて、

  好きだけれど、深い意味ではないというか」


 「ち、面倒くさい。どうでもいいよ」


 「かっこいい人ですよね。オーナーは他にもいろいろ能力や

  技術があるんすよ。そういうところもミステリアスで

  かっこいいですよね。毎日通っていたら、少しずつ教えて

  くれるかも知れないっすよ」


 おかげで男は、今では店でもムードメーカー的役割だ。

 天真爛漫な性格は、男女関係なく盛り上げることが出来る。

 なるほど焔の目利きは確からしい。


  挨拶が終わりこちらへ向かってくる焔。

 それを目ざとく見つけると、「おまちかねのオーナーですよ」と

 爽やかに席を立った。

 

  


17


  「おまたせしました。それではご質問を伺いましょう」


  「あの、焔さんが、5年前のハラスメントの被害者だったんですか?」


  「そうですよ」


  あっさりと悪びれもせずに、答える。

  動揺することもなく、紅茶のお代わりを注いでくれる。


  「でも名前は嘉納さんではないですよね?」


  「いろいろ方法があるんですよ」


  「それで、その……退学処分の後の」


  「なるほど。それで当時の住所辺りで探偵ごっこをしていた

   わけですか」


  全部知られていた。

  あくまで紳士的に応対する焔は、全てを既に掌握しているようで、

  恐ろしくなる。


  「母親が殺された件でしょう。あの当時は容疑者にされかかりました

   からね。近所での評判は芳しくないでしょうね。もうお聞きになった

   でしょうけれど、僕は幼いころから母にも祖父母にも冷遇されて

   いましたからね。大学も退学処分されて、行き詰まった若者が家族に

   鬱憤を晴らすと言うのは、分かりやすい筋書きですからね」


  さらさらと流れるように説明するその内容が、哀しくて、

  二人は何も言えない。


  焔はその反応にも大して気にも留めず、紅茶を飲みながら、

  当時を思い出す。


  山瀬への襲撃を諦めた日。

  後始末として自分の名義から、家を書き換えたことを知った

  母親が帰って来ていた。玄関から灯りが見えて、げんなりとする。

  末期と言えどある程度体の事由のある母親は、その衰えと共に

  権力が親族に渡っていても、まだ過去の栄光にすがろうとしていた。

 

  それを許せない親族は嘉納に家と母親の治療費だけを体裁の為に渡し、

  体裁の為だけの金を渡していた。病の進行と自身の我の強さも相まって、

  それを受け入れられない母親は、何かにつけ自分の不遇は、

  全て嘉納の不甲斐なさに原因を見つけようとするのだ。

  いくらアルバイトを増やしても、修繕費と学費、母親の手慰みに

  全てが費やされて行く。

 

  またあの生活に戻るのか。嘉納は心底疲れ果てていた。

  だが帰ったその広間は。

  鮮血で染められていた。

 

  嘉納は夢を見る。幾度も幾度も。肩の荷が下りた安ど感。見知らぬ殺意。

  今しがたまで自分が山瀬に同じことをしようとしていたのに、恐ろしくなって

  家を後にした。

 

  誰なんだ。

 

  まさか。

 

  思い当たる顔が幾つも浮かんでは消える。

  それから後、警察を呼んで実況見分してもらった。

  当然のように、普段から冷遇を受けている自分に容疑の目が

  向けられる。

 

  もうどうでも良かった。

  

  ここはなんて腐った世界‐。

 



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