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最終的にはいつもチャンスをくれた矢越からの、決定的な

別れの言葉は、ひどく芽生を打ちのめした。


後に残るのは、審議会で下された停職処分。

不正経理疑惑の払拭。

矢越との婚約破棄。


 頭が痛いが、地道に一つずつ潰して行くしかない。

 足を引きずるようにして、芽生は帰路に就いた。

 集合ポストの前まで来る。

 疲労感が尋常ではなく、家までの道のりが今日は随分と遠く感じた。

 

「なによ、これ……」

 

 ポストの中には大量の紙が入っていて、「金返せ」や「泥棒」と

 書かれている。意味が分からなくて、間違えて他のポストを

 開けたのかと思った。

 だが確認しても自分のポストだ。

 このマンションのポストはダイヤル式なので、間違えればそもそも開かない。

 

 管理会社に相談しようと、急いで携帯を取り出そうとする。

 そこへ他の住人が下りてきた。

 こんな恥ずかしいビラを見られるのは、事実無根であっても

 プライドが許さない。

 急ぎ鞄に押し込み、部屋に持ち帰って対処を考えることにする。

 

 占いなど全く信じないけれど、不運が集中する時期が存在するなら

 今がそうなのだろうと自嘲気味に芽生は思った。

 しばらく御茶を飲みながら、なんとなくテレビを見ていると、電話が鳴った。


 ピピピピ。


「この程度で許されるとは、思ってないでしょうね?」


 受話器を取って流れたのは、機械的な女の声。


 すぐに芽生は電話を切って、ベッドに放り投げた。

『この程度』が何を刺しているのかは不明だが、

 今日一日に起きた不運の内容を、相手は知っている。


(相手は直ぐ近くに居るのか?)


 嘉納が犯人だとしたら、意外と直ぐ側に居るのかもしれない。

 すぐに興信所に電話をして、嫌がらせの相談として、疑わしい人物として

 嘉納の名前を挙げた。一方的に電話や手紙で嫌がらせを受けていると

 説明すると、すぐに依頼を引き受けてくれると返事をしてくれた。


(これでひとまずは安心だ)


 停職処分中は、再就職も視野に入れて今できることに集中する。

 これ以上の転落を防ぐために視力を尽くすことにする。


 結果は一週間で来た。


 「調査はしましたが、現在の居場所や職業などを知ることは無理でした」


 「失敗したって言うの?」


  広告に書いてあったことと違う捜査に、早速怒りだす芽生。

  相手の調査員も逆切れ状態だ。


 「失敗ではありません。相手の方の事情により、通常なら可能な調査が

  出来ないのです」


 「『相手の事情』って何よ?特別なコネでもあるってわけ?」


 「それは言えません。ですがお客さまもこの件からは手を引くことを

  お勧めします。それともう一つ」


  先程から機嫌が悪いのか、この調査員は初めの電話と同一人物とは

  思えない程、感じが悪い。


 「この方を調べて、どうなさるおつもりですか? 犯罪行為の隠蔽

  でしたら、余所へご依頼ください。多分どこも引き受けないとは

  思いますが。わが社は犯罪行為には一切手を貸すことはできません」


 言うだけ言うと、調査員はお茶を出そうとしている受付嬢に向かって、

 「お客様はもうお帰りなので、お茶はいらない」と指示する。

 帰れと言っているのだ。

 

 恥ずかしさと怒りで悶死しそうだが、静かなオフィスで暴れる

 訳にも行かず、悔しさを抱えながら帰る。

 調査料金は返してもらえたが、芽生は納得できない。

 

 (調べ上げることができない立場の人間ってどういうこと?)


 芽生の計画はまたもや暗礁に乗り上げてしまった。



6


  得体の知れない相手。

 

  対決するには、やはりあの元営業マンから責めた方がいいようだ。

 不正経理を指摘した事実から、あの嘉納が脅迫者なら共犯関係にあるはず。

 

 「晴人君をお願い」

 

  「今日はもうご指名が入っていまして……」

 

  「……」

 

  これで3回目だ。

 毎回同じ女が独占している。

  

 (新人はいろいろな客と交流させるのが普通じゃないの?)


 自分も毎回独占していたのを棚に置いて、芽生は腹が立つ。

 いろいろ理由を並べ立てて、毎回他の従業員を進められる。

 晴人でないと意味が無いので断るが、これでは全然捕まらない。

 メールをしてもあからさまな営業メールだけで、不正経理に関しては

 何も触れない。


 (埒が明かない……)


 かと言って、同伴やアフターも同じ女が毎回指名している。

 こればかりは興信所に頼むことができる案件ではない。

 自力で解決するしかない。


 店に行っては諦めて帰るのを繰り返して、一週間ほど経過した頃。


メールが来た。

 

 晴人からだ。

 最近は店からも警戒され、店に行くことを控えていたが、

 相手も商売。営業電話をかけてきたという訳か。

 少し懐かしい気持ちで受信したメールを見てみる。


『そちらの気持ちは分かりました。私としても怨みがあったのは

小田切先生だけなので、前回そちらが提示して頂いた条件で、

証拠を破棄しても構いません。店だといろいろ差しさわりがあるので、

下の場所で待っております』


指定された場所は、高台からの展望が有名な自然区域。知名度にも関わらず、

観光シーズン以外はひっそりとしている。人気が無く、もし好事家がいた

としても地域住民がわざわざ来ることは少ない。確かに待ち合わせて秘密の

話をするにはいいかもしれない。相手が車でもあれば、そこから他の場所に

移動するのも簡単だ。


(やっと解決の糸口が見えた!)


喜び急ぐ芽生。

しかしその後、彼女がこの部屋に戻って来ることはなかった。

 


7



 「また?何かしたの?あの子? これで三人目よ。妙な事件にでも

  巻き込まれたのかしら。迷惑ねえ」


  大家のおかみは口ではそういいながらも、好奇心で目を輝かせていた。


 「三人目と言いますと……」


 「一人目は婚約者だとか言っていたわね。普通のスーツを着た、

   いかにもサラリーマンっていう人だったわ。度々来るから本当に

    心配しているんだと思うけれど。未成年でもないし、妙な張り紙が

    ポストから零れ落ちている時もあったしねえ。悪いけれど借金関係で、

  自分から失踪した気がするわ。こっちも今後家賃を滞納されるかも

  しれなくて困っているって言ったら、その分立て替えてくれてね。

  いつ帰ってきてもいいようにって、部屋はそのままにしてその分

  前払いしてもらっているのよ」


  余程話し相手に餓えていたのか、かなりの個人情報をぺらぺらと話して

  くれた。もちろんこちらからの情報提供を見返りに要求しているのは、

  想像に難くない。


  「僕らは同じ大学の学生なんですよ」


  「ええ、あなた学生さんなの?いやに老けて……いや大人びているのねえ」


  「はは、いいですよ。よくおっさんみたいだって言われますし。

    自分でも加齢臭が最近するんですよ」


  「あら、まだそんな年齢じゃないでしょ!」


  のりのよさに気に行ったのか、まだまだ情報提供をしてくれそうだ。

  優奈たちには捜査権限などない、ただの一般人だ。

  聞き込みにも限界がある。


  「張り紙って言っていましたけど、借金でもしていたんですか?」


 「そんなようなこと書かれた張り紙がポストに入っていたわよ。

  直接部屋とかに貼ったら、今はそういうのって違法なんでしょう?

   でもやっぱり返さないといろいろ取り立てが厳しいのねえ」


 「張り紙を入れていたのは、どんな人でしたか? やっぱりその筋の

  外見でしたか?」


 「さあ?私は少なくとも見ていないわね。ほら、うちのマンションって、

  玄関はオートロックでしょ?だから基本外部の人間は入れないんだけれど。

  ポストはそのもっと手前にあるからねえ。監視カメラも玄関にしかないし。

  私も管理会社に運営は任せているから、あまり内情は知らないのだけれど、

  住人が一人くらいは見ているかもしれないけれど。住人同士の交流って

  最近はほとんどないからねえ」


 「……まあ、オートロックでも前の人についていけば、入れないことも

  ないですしね」


 「まだ事件になっていないし、警備会社にも相談はしていなんだけれど。

  ほら、本当に金融関係から逃げているんだったら、藪蛇になっても

   かわいそうだしねえ」


 「はあ、まあ……」


 「それで、もう一人って?」


 「ええ。もう一人も若い男の人……だと思うんだけれど」


 「確かじゃないんですか?」


 「ええ。金髪でサングラスしていたから、なんとなく若いって思ったんだ

  けれど。もしかしたら年配の人がしているって可能性もあるわねえ」


 「その人も女の行方を聞いたんですか?」


 「ええ。ここに住んでいないかって聞くから、ほら私こう見えて口堅い

  でしょう?だからプライバシーなんで言えませんって言ったのよ。

  そうしたら、自分は佐々木さんの友人で、最近佐々木さんと連絡が

  取れないって言うから。いろいろ教えてあげたって訳」


 「それでその男は、最近ここに来るんですか?」


 「ええ。偶にふらっとね」


  しばらくそのマンションを貼ることにした。自称口の堅い大家には、

  更なる口の堅さの精進に勤めるよう促した。

   そして二週間が過ぎた頃だろうか。


 もうほとんど諦めかけていた時、男が現れた。


 大家がそれ以降店舗の従業員にも気を付けるよう通達を出したおかげで、

 男が来るのは夜九時すぎくらいということが分かっていたので、そのくらいに

 張り込みをしていた。


 「あれは……」


 常川は目を瞠りそう呟く。

 それ以上何も言わなかったが、動揺しているのは確かだった。



9


 「やっぱり未だに実家にも連絡がない」


 例の学内新聞の記事が予想外に好評だったのか、野次馬たちが

 例の部屋を見に来るようになった。鍵はあの日以降取り替えられたので、

 中には入れないのが、なんとか理由を付けてはあの部屋で百物語をしたり、

 肝試しをしたりと、なんやかんやで楽しんでいる。


 警備人としては頭の痛いことだ。小田切の娘の件もあるし、不特定多数が

 使う状況にはしたくないのだが、勉強会など銘打たれた会合を断る訳にも

 行かない。最近ではその学生が異常をきたすきっかけとなった殺人現場へも

 足を延ばす猛者もいるらしい。さぞかし土地所有者も迷惑していることだろう。

 

 そんな変わり者たちが最近は、後日談を知りたがる。

 姿を消した院生はどうなったのか?小田切が自殺したと聞いて、

 怪談話がより深みを増したらしい。怪談話を流布した身の上としては、

 落ちを付ける責任があると、常川が数年ぶりに実家に電話したところ、

 家族はやはりまだ戻っていないと答えたと言う。


 「確かにあれは塔堂だった……」


 あの晩、マンションで会った男は塔堂だったと、

 今になって常川は言う。


 今回常川がもう一度、真剣に塔堂の行方を探したのは、

 怪談話の落とし所を付ける為だけではなかったらしい。

 確かに塔堂は行方をくらましているだけなのだから、

 いつ姿を現してもおかしくない。

 むしろ姿を発見できたことは喜ばしいことだ。


 「あの男の人が塔堂さんだったとして、戻ってこないのは、どんな

  理由があるんでしょう? 単純に研究生活が嫌になったと言うこと

  でしょうか?そうだとしても、もっと上手い方法が有るはず」


  当時はアカハラが横行していたと言うし、そのターゲットにいる

  のが嫌になって身を隠したと、考えられないこともない。

  だが人には生活がある。

  一時的ならともかく、5年間も実家にすら連絡しないというのは

  考えられない。


 「退学すればいいだろ?失踪すると、住民票から保険証まで

  面倒なことになる」


 前も似たような会話をしたような気がする。


 「退学したことを気付かれたくなかったとか……。学生達の間で

  嫌がらせが合ったんですよね? だったら先生や事務方は退学した

  ことを知っていたけれど、その学生さんの気持ちを慮って秘密にして

  いるということはありませんか?家族もそうだとしたら、本当の事は

  分からないじゃないですか?もうとっくに帰って来ていて、ちゃんと

  就職もしているのかもしれません」


 「本当にそうだったら、わざわざ他の学生のところに電話してまで、

  行方を尋ねたり捜索願を出すか?黙っていなくなるだけで十分だろ?」


  大学院ではいつのまにか除籍している学生というのは、案外たくさんいる。

  条件の良い就職ができそうだというおめでたい者もあれば、

  悩んだ末行方がしれなくなるという、先を知るのが怖いものもある。

  基本的にそれほど絆が強くないのだ。


  常川も長い大学院生活で、幾人もそういった学生を見てきた。

  完全に失踪してしまうことは少なく、大概学生なりにまっとうな

  理由があるが、いちいち説明しないだけである。

  周囲もあえて問い質すことはない。


 「あいつが復讐の為に、姿を隠したのだとしたら?」


  復讐の為に潜伏して、機を伺っていると言うことか?


 「でしたら普通に学生をやるべきでしょう?それこそ復讐する機会が

  なくなってしまう……。学内の様子だって、外部からでは分からない

  でしょう」


 「いや、資金集めや人脈作りに集中するなら、ありかもしれない。

  協力者を中に潜ませておけばいいのだから」


 「それじゃあ……」


 「あくまで可能性だ」



1


「任せておけ。俺が何とかしてやる」


 確かに朋谷は言った。

 学生はそれを信じた。

 朋谷ができるかぎりの対処をすることを。

 秘密を漏らさぬことを。

 朋谷の人格を。

 

 その結果-学生は窮地に追い込まれることになった。

 学生に落ち度があるとすれば、朋谷を信頼に足る人物と

 信じたことだけ。

 しかし朋谷に罪の意識はなく、むしろ上手に世渡りできない学生に、

 苛立ちさえ覚えていた。


 遡ること約一週間前。

 

 「どうして論文を横取りされて、修士論文のテーマを変更しなければ

  ならないんですか?締め切りまであと2カ月しかないんですよ。

  本当に教授と話し合いをしてくれたんですか?」


  学生は指導教官に修士論文のドラフトを提出した。

  もちろん内容を指導してもらう為に提出したのに、

  なぜか指導教官はそれを自分の論文として学術雑誌に

  投稿することに決めてしまった。

  もちろんこのままでは盗作であることが丸分かりになってしまう。

  そこで指導教官は、学生に修士論文のテーマを変更するよう

  圧力をかけてきた。

  言うことを聞かなければ、論文を取り下げると、学位を盾に

  脅しをかけてきた。


  当然修士学生‐有徳は納得ができない。

  締め切りはあと二月。

  新しく他のテーマで書き始めるには時間がなさすぎる。


 「したよ。その結果が今回のことを招いたんだ」

 

  学生相談所のないこの大学で、有徳は初め事務に相談をした。

  それをどこからか聞き付けた教員が、この朋谷だったのだ。

  突然相談を聞くとメールが来た時には、有徳も怪しんだ。

  そもそも聞き付けた出所はどこなのか。

  その時点で怪しいが、他に頼むべき人もいないので、有徳は

  朋谷を信じてしまった。


  その結果、未だに現状を受け入れられない学生は、取り急ぎ違う

  テーマで書けという指導に応じておらず、このままではあとわずか

  2か月で書きあげなければ、修士論文を受理しないと圧力を掛けられる

  はめになっていた。常識的に考えて、2か月ではとても間に合わない。

  

 「黙って留年しろと言うんですか? 留年をしたら奨学金も打ち切られるん

  です。そんな余裕ありません。アカデミック・ハラスメントであると

  あなたが学内行政に訴えれば、処罰されるのは教授のはずです」


  「そういうのが迷惑なんだ。分かってないのは君だ。ここは学校で

   教授はいわば社長なの。君は会社に入って自分の成果だからって、

   社長にもそう主張するつもりか?社会ってものが分かってないな」


  「今度こうなったのは、あんたが告げ口したからか? おかしいだろ?

   あんたに相談してから俺の立場は一層不利になったんだ。あんたが

   漏らしたとしか考えられない」


  「妄想で適当な事言わないでくれ。どこにそんな証拠がある? 

   大体その論文だって君が書いたって証拠はないだろ?」

 

  証拠のCDRは教授に既に渡してしまった。

   だが学内行政宛てに事務に提出だけでもしてみるか。


  「前渡したあのCDRは? あれ返せよ」


  「さあ、そんなのもらった記憶はない」


  「はあ? ふざけているのか? アレがどれだけ大事なものか

   知って言っているのか?早く返せよ」


  朋谷のふざけた態度に業を煮やして、学生は朋谷に詰め寄った。

  だがこれがいけなかった。朋谷はこの瞬間を待っていたのだ。


  教授が入ってきた。横に副査の教授も連れている念の入れようだ。


  「朋谷君に、何をしているんだ?」


  「これは……」


  「狂言をいうだけでなく、教師に乱暴をするとは。これはもう厳重な

   処分が必要でしょうな」


  副査が今日中に追従するように言う。

  学生は罠にはまったことを瞬時に悟った。




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