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  常川が審議会の結果を伝えに、研究室の扉にぶつかるようにして

  入って来た。


  「やったな。佐々木の処分、停職2カ月だ!」


  今までに受けた心労に対する罰が与えられて、ほっとした半面、

  優奈は今後のことを考えると憂鬱でもある。狭い学会という世界で

  これから佐々木とどう折り合って生きていけばよいのか。

  この気まずい気持ちが一生涯続くのだろうかと。


  「また変な心配しているみたいだけれど、悪いのがあいつだから

   処分されたんだからな。お前は堂々としていれば良い。それより

   俺に何を奢るかの方を悩め」


  大々的に祝うのも躊躇われるのが、常川は言い出したら聞かない。

  仕方なくなるべく人目に触れない形で、祝勝会を検討していると

  佐々木本人が現れた。


  これは見物だと思ったのか、院生たちの視線がさりげなく、

  佐々木と常川に寄せられる。

  いつもは常川の事など丸無視の佐々木が、真っ直ぐに常川と優奈の

  居る方向に近づく。

  謝罪するのか。

  逆切れして罵倒するのか。

  息を飲んで皆が見守る中、芽生は常川を詰り始めた。

 

 「常川君が、晴人と組んで私と小田切君を嵌めたの?」


 「晴人って誰だ?」


 「トボケないで!良く考えたら常川君なら簡単よね。研究棟内の動きを

  知れるし、ITスキルもあるからウイルスだって作れる。小田切君の

  奥さんとも仲が良かったみたいだし」


 「またかよ。小田切と同じパターンじゃないか」


  小さく常川がため息を吐く。優奈はデジャブを見ているようだ。

  もっとも小田切バージョンを見ていない、その他の学生達には

  そこそこ興味をそそるらしく、皆固唾を飲んで見守っている。


 「全部お前らの自業自得じゃないか……。自殺までそうとは言わないが。

  それ以外の事は、人のせいにする前に、少し自分の頭で考えてから

  発言した方がいいぞ」


 「まるで私が芹沢君を殺したかのように婚約者に言うなんて、

  ひどすぎる。名誉毀損もいいところだわ!」


  行っている意味すら分からず黙っている常川に見切りをつけると、

  そこまで来て芽生は今度は優奈に歩み寄った。


 「どうせあんたが裏で糸を引いているんでしょ? 山瀬先生のことも

  私から奪っておいて」


 「……!」又殴られる。とっさにそう思った優奈は目を瞑った。

  芽生は激情に走る前に周囲の視線に気づくと、上げかけた手を下して

  捨て台詞を吐いた。


 「こうなったら山瀬先生の事も暴露してやるわ。私一人だけこんな目に

  遭うなんて冗談じゃない」


 「嘘を言って、先生を困らせるなんて最低ですよ。止めてください!」


  先程まで目を瞑って震えていた優奈が、両手を広げて前を塞ぐ。

  またもや怒りが込み上げてくる。

  山瀬を汚れないもののように崇拝しているような態度が、鼻につく。


 「やっぱりそういう事だったのね。言っておくけれど、先生の事を

  清濁全て含めて分かっているのは私だけだから。良く覚えておくことね」


 勢いづいて立ちはだかったものの、対面して睨まれると、

 優奈は今更ながら怖くなってきた。


 「おいおい、お前の相手は俺だろ。言いたいことがあるなら、俺に言えよ」


 これは面白くなってきたと、他のメンバーがちらちらと芽生を見る。

 他の研究室の人間も、騒ぎを聞きつけて集まって来た。

 さすがにこれだけの野次馬には勝てないと踏んだのか、芽生は憤懣

 やるかたない表情で、大きな音を立てて研究室から出て行った。


 残された空気は、期待はずれによる失望感。

 大事にならずに済んでほっとしてい座り込む優奈。

 常川だけはいつも通りけろりとしていた。

 

 自分の椅子に座りこんだ優奈の頭を、常川がぐりぐりと撫でる。

 

 「よくがんばったな」


 まだ目に生気がないままだ。

 余程緊張していたのかと、常川が声をかける。


 「あの、佐々木先生の最後の言葉って……。まさか……」


 「ああ、そういう意味なんだろうな」


 「……」


 それを聞いて以降、優奈は急に無口になった。

 無口でも常川の提案を無碍にすることはできない。

 優奈は心ここにあらずの状態で、焔も招いて祝勝会を

 開いた。資金の都合で、当然前と同じ安居酒屋だ。


 「……あの、どうしたんですか、田中さん?」


 ほとんど口を聞かない優奈を見て、焔が気にかける。

 いつもなら嬉しいシチュエーションだが、今日は素直に

 喜べない。


 「ああ、失恋だよ失恋。馬鹿馬鹿しい。それよりもこいつが

  ぼけっとしている隙にガンガン頼んで、こいつに払わせよう」


 「失恋じゃなくて、精神的ショックです!そんな不潔な……」


 「俺としては長年の疑問が解けてすっきりしたな。あいつがどうして

  態度がでかいのか。だから言っただろ。夢見すぎるなって」


 「普通先生と生徒が……なんて思わないですよ!しかも山瀬先生

  ですよ。ショックです。ショック過ぎて、今日は寝られないかも

  知れません」


 「そうか。ちょうど徹夜のゲーム大会といくか。焔、お前も強制参加な」


 「いや、僕はバイトが……」


 「焔さんは、おかしいと思いませんか? あんなことを皆の前で

  言うのは名誉毀損の猥褻罪です!」


 「絡むなよ。面倒くさいな」


  その場ですうすうと優奈は眠り始めた。


 「随分と先生を慕っているようですね」


 「ああ、こいつがあちら側の人間なら、純粋に過ぎるな」


 「?」


 「これ運んでおくから、先にバイトに行って来い。遅れて減給にでも

  なったら事だからな」

 

 その言葉に甘えて、焔は二人を置いて、店に向かった。

 



 『バイト』に向かう前に、焔は一件のバーに寄って行った。

  相手は先に来て既に飲み始めている。まだ待ち合わせの時間では

  ないが、女は既に数品も注文していた。自分もワインを頼むと、

   焔は女の隣に腰を下ろした。 


 「あなたには薄情に思えるでしょうね」


 「理解は出来ない。しかし批判するほど傲慢ではないつもりだ」


 正直な男に、天原は笑う。


「良く笑うようになった」


「変わったから。何もかも。この世界も捨てたものではないと分かったら、

 好きな物が増えていった」


「……」


「あなたのおかげ。ありがとう」


「自分で掴んだ幸せだ。胸を張れ。他人の助けなんて、所詮当てに

ならないものだ」


「そうかな。私は今回たくさんの人に助けてもらったし、感謝している。

……大事な物は1つに絞る必要なんて、ないのよ」


「おまえには 関係のないことだ」



1


  久しぶりの朗報のはずだった。


  突然降りかかった、アカハラによる停職処分。

  未だに心を燻り続ける不正経理疑惑。

  そんな中、矢越の方から会って話し合いたいと持ちかけてきた。

  最近はメールすらあまり返事のなかった矢越なので、

  一抹の不安もない訳ではないが、芽生にはこれを好機に変えるしか

  残された道はなかった。


 「君たちを脅していた人物を調査依頼するつもりだ。僕もその人物から

   君たちの事を直接聞きたい。結婚はそれから考えたい」


   矢越が持ちかけた提案は、思いもよらないものだった。

  アカハラ以外の芽生の所業を既に調査報告書で知っている、

  矢越のぎりぎりの譲歩だった。


 (もし脅している人間が、本当に逆恨みで罠に嵌めたことだったら、

  自分は取り返しのつかない失敗をしてしまう)


  そう判断しての賭けだった。

 

   これがラストチャンス。

   芽生も自分の信用回復の最期の望みを託すしかない。 

   誰が自分達を脅していたのか分かれば、結婚は何とかなるかもしれない。

  芽生もすぐに賛同した。

  

  芽生は候補になりそうな人物像を推理する。元業者の男は共犯として

 リストアップしておく。

 5年前のアカハラ事件に執着のある人物。

 

 一番に考えられるのが、アカハラ被害者の土岐等の関係者。

 

 実際に学内で山瀬と非公式の話し合いまでした。

 結果は土岐等の家族には納得の出来るものではなかった為、

 怒りを露わにされて困ったと山瀬が言っていた。

 未だに恨んでいることは十分に考えられる。

 

 二番目にアカハラの責を一身に負った芹沢の関係者。

 芹沢は全ての責任を負ったとはいえ、事実アカハラを行っていた加害者だ。

 家族はそれに負い目を感じていることは、葬式で確認済みだが、

 それ以降に何か事情があって心境が変化したというのなら、

 話は違ってくる。

 

 一週間後、調査結果が出る。

 芹沢家では、母親は専業主婦で時間的に余裕はあるものの、脅迫をする

 どころか、研究室に感謝をしていること。父親は退職後は、念願の喫茶店

 経営を始め、毎日忙しくて家にいない。喫茶店の従業員数や休業日を見る限り、

 とても小田切や自分を脅している時間的余裕はないとのことだった。


 (やはり土岐等家の人間の仕業か……)


 土岐等家の調査結果を見る。

 土岐等家の祖父母は、年金暮らし。祖父は趣味の郷土史の編纂を、

 祖母はもともと農家なので、そのまま農業を続けては、農作物を

 売買している。

 趣味とはいえ、本まで出している。ここ数年は途切れることなく

 執筆活動に邁進しており、定期的に郷土史をカルチャーセンターで

 教えている。

 母親は以前から勤めていた中規模の会社に勤めており、現在は

 役職にまで付いていると言う。


 「両家ともあなたを脅迫するような時間的余裕などありません」


 「……そんなはずは」


 焦燥と放心の交錯する表情を見て、矢越はもう無理だと悟った。

 ついにここまでの間、芽生の口から謝罪は一切聞かれなかった。


 「結局誰も出て来なかったな」


 できれば第三者と話してみたかった矢越だが、本人も心当たりがないよう

 であれば仕方が無い。結論を出すのは次回に回すことにした。



2



 「矢越さん、ちょっと」

 生気を無くした芽生がよろよろと家に帰って行く後ろに、
 続こうとすると、調査員に呼びとめられた。

 「怨みを持つ可能性がある人物は見つけました」

 依頼された両家ではなかったので、芽生には告げなかったらしい。
 それに芽生には犯罪交じりのところがあるから、教えて厄介なことに
 巻き込まれては迷惑だと言う気持ちも働いたんだと思う。

 「  」

 耳元に口を寄せて、そっと教えてくれた名前に、聞き覚えはなかった。
 調査員によると、親族で「偶々」同じ和琴大学関係者は、一人だけだという。
 その人物についてのプロフィールをそっと手渡す。
 
 「もしかしたら……ひょっとするかもしれません」

 慌てて追加料金を払おうとすると、調査員は断った。

 「サービスで良いですよ。矢越さんもこれからいろいろ大変でしょうから」
 
 既に矢越の決意を知っているかのようにスマートに断ると、身を翻して
 どこかに行ってしまった。

 矢越は罪悪感に苛まれていた。

 芽生がしてきたことには、全く同情の余地はない。
 自分に対する侮辱への怒りもあった。
 
 それでも興信所の調査結果と芽生からのメールから、
 第三者の悪意を感じずにはいられなかった。
 今の時点では、芽生とは別れるつもりだし、復縁するつもりもない。
 ただ一度はそい遂げようと思った人が、転落していくのを黙って
 見物するほど、心を鬼にはできなかった。
 
 全部ではないかもしれないが、これまでの経緯から、芽生が
 一方ならぬ怨みをかっているのは理解できる。
 それが逆恨みではなく、合理的だと言うことも。
 おそらくもう芽生本人の力では、もうその怨嗟を解きほぐすことは
 できない。
  
 だが第三者の矢越なら。
 その人物も耳を傾けてくれるかもしれない。
 第三者が知っていることで、行動がエスカレートすることを
 抑止することが出来るかもしれない。
 
 芽生と一緒にいろいろな人物を疑って調べているよりは
 余程身になるはずだ。
 
 矢越は希望的観測の下に、その人物に会いに行った。
 
 「初めまして。改めて自己紹介申し上げます。私は矢越事務所で
  政策秘書をやっております、矢越澄真と申します」

 そう言って、名刺を取り出すと、机の上に置いた。
 場所は大学からほど近い、少し高級なレストラン。
 個室があるので、商談などにも利用される。

 「よく来て頂けました‐野坂さん」

 相手の女は飲み物も口をつけず、ただ黙って矢越を見やる。
 怒りがほとばしる緊張感が、彼女の雰囲気を清廉な物に見せる。

 「あなたは既に私のことを調べ上げたようですから、やむをえず
  来ただけです。来たくて来た訳ではありません」

 「これはまた手厳しいですね」

  矢越は愛想笑いをして場を和ませようとしたが、野坂には
  通用しないようだった。一気に本題に入ることにする。

 「失礼ですが、野坂さんには甥御さんがいらっしゃいましたよね?
  5年前に投身自殺された、和哉さん」

 「最近の議員事務所はプライバシーの侵害を平気でするんですね。
  不愉快です」

 「まあまあ、今日は事務所の意向で来た訳ではないのですよ。
  その甥御さんが亡くなられたことに、野坂さんは何か疑問が
  おありなんじゃないですか?」

 「何が言いたいんです?」

 「和哉さんが亡くなる直前まで所属していたのは、大学の山瀬研究室。
  そこで和哉さんは、院生をされていた。当時のメンバーには、佐々木
  芽生、小田切、朋谷、……それと土岐等あかり」

 わずかだが、野坂が息を飲むのが分かった。

 「土岐等あかりさんは、その研究室でひどいハラスメント行為を
  受けていて、その加害者は和哉さんだと審議された。それが原因で
  和哉さんは大学を退学処分となり、それを苦にして自殺をした。
  でも実際は和哉さん以外の院生も、それに加担していた。それを
  和哉さん一人に押しつけて、自分達はのうのうと普通の研究者生活を
  続けている。……そうですよね?」

 「……」

 「もしこれが本当なら、許せない気持ちも良く分かります」

  ここで矢越は席をたって、深々と頭を下げた。

 「何のつもりですか?」

 「申し訳ありません。佐々木芽生は、私の婚約者です。今は
  もう婚約解消寸前の状態ですが、この度の事心から申し訳なく思います。
  本当に申し訳ありませんでした」

 「あなたに謝ってもらっても……」

 「もしあなたが実際に芽生が憎くて行動を起こしていたとしても、
  仕方のないことです。それほどのことを芽生はしました。告発したり
  する身の上ではないと承知しています。私どもが責任を持って謝罪と
  償いをさせますので、もし芽生に対して更なる制裁を考えていらっしゃる
  のならご勘弁願えないでしょうか? お願いします」

 再び頭を下げる矢越。
 躊躇いつつも、野坂は静かに答えた。
  
 「あなたのお気持は分かりました。……ですが本当に私は、
  芽生さんや小田切さんを脅したりなどしていません」

 「そうですよね……」

 明らかに無念そうな顔をして見せる矢越。
 野坂は、それが意図的なのか、純粋に出たものか判じかねた。

 「お忙しいところ、お呼び立てして申し訳ありませんでした。
  まあ、せっかくいらしたのですから、ご飯だけでも召しあがって
  頂けませんか?」

 そう言うと、矢越は寂しそうに笑った。
 さすがに情が届いたのか、野坂は口を開いた。

 「もうそこまでお調べになったのなら、隠しても仕方がない。
  私は確かにあの子が亡くなってから、ずっと怒りを堪えて来ました」

 当時学生相談室で、土岐等あかりを担当していた野坂は、当然
 誰が本当の加害者なのかを把握していた。その中に甥がいたと言う。
 和哉は姉の息子なので、義兄の名字を名乗っている。
 だから野坂と血縁であることを知っている人間は、ほとんどいなかった。
 院生とハラスメント相談所というのも、通常はそれほど接点がない。
 
 「もちろん倫理規定がありますから、誰がどんな相談に来ているかは
  甥であっても口外はしていません。今もお話しできません。ですが
  叔母としてはやはり気になるので、世間話の一環として時折和哉に
  尋ねていました」

  相談員の立場と、かわいい甥の進路に、野坂はひどく迷ったのだろう。
  その職務故に知ってしまうことは、時にひどく残酷でもある。

 「あなたのご指摘通り、和哉の他にもハラスメント加害者がいるはずだと
  ずっと憤っていました。今はもっと怒りが強くなっています。この怒りは
  単なる義憤ではありません」
 
  ここで野坂は息をすった。

  「和哉は、殺されたのかもしれないんです」


3



  (おかしい。絶対におかしい)


 一度にこれだけの事が、起こるのは明らかに不自然だ。

 明確な意思をもって、背後で誰かが手を糸を引いている。


 小田切に攻撃が集中していた時は、不正経理の疑惑を逸らすことに

 集中していて、いるかも知れない共犯者のことは二の次だった。

 小田切もその考えに賛成だったが、先手を打たれてしまった後では、

 先に相手を特定しておくべきであったと悔やまれる。

 

 不正取引。

 5年前の事件。

 小田切との会話。

 アカハラ。


 全てが露見した今では、変えようもない過去であり、事実だ。

 初めから場当たり的対処ではなく、相手を特定した上で対処しておけば

 良かったのだ。


 これほどまでに執拗に5年前の事件に拘る人物。

 それも関係者の家族ではない。

 他の関係者まで思いを巡らせたときに、芽生は一人思い至った。

 

 (まさか。でも……考えられないことではない。だとしたら、

  このままでいれば、破滅しか考えられない)


 思い立った芽生は、早速朋谷に電話した。

 

 「あの学部生が犯人よ……。それ以外考えられない。私に逆恨みして、

  こんな罠まで仕掛けて。警察に脅迫罪で訴えてやるわ」


 「学部生……。誰だそれ?」


 「忘れたの?土岐等さんを慕っていた田淵研究室の学生よ。孤立無援

  だった土岐等さんに、山瀬先生に立てついて一人だけ味方をして

  退学処分になった学生がいたでしょう?院生じゃないし、うちの

  研究室の学生じゃないから、候補から外していたけれど。血縁でも

  ないのに、そこまでして忠義立てるなんて馬鹿らしいと思っていたけれど、

  最後まで抵抗したところから、今までどうして気付かなかったのか

  不思議なくらいだわ」


  言われて朋谷は思い出した。

  まだ幼い顔をした学生を皆で取り囲んで、証拠を潰そうとした光景を。

  

  これも恥ずかしい過去だ。

  あんな詰まらないマネをして、朋谷には何のメリットもない。


 (こいつらは本当に学習しない……)


  せっかく現時点でターゲットと見なされていないのに、

  佐々木と行動を共にすることで、自らターゲットに立候補するのは

  割に合わない。朋谷はいい加減巻き込まれるのはうんざりだった。


 「心当たりがあるのなら、自分で興信所を使うなりして探してくれ。

  山瀬先生なら、またいつも通り君の力になってくれるだろう。

  俺もこっちでいろいろ忙しいんだ。悪いけれど、力にはなれない。

  大変だと思うが、自力でなんとかがんばってくれ。それじゃあ」


 一方的に話して、相手の反応を待たずに朋谷は電話を切った。

 

 (学生が実力行使で復讐か……)


 アカハラの被害者は、大学が解決に尽力してくれない場合、

 適当な理由を付けて大学から追放されざるを得ない状況に置かれる。

 更に対抗するには裁判くらいしかなかった。

 

 (時代は変わったな)


 朋谷は今現在揉み消そうとしているアカハラの被害学生が、

 そんな気概を持っていないことを願った。  



4



 最期の話し合いは、いつも利用するレストランだった。

 芽生は来るべきものが来たと覚悟はしていたが、それでも何とか縋れば

 修復できるかもしれない。

 アカハラで停職処分までくらい、不正経理の件ももみ消し中だが

 成果は芳しくない。せめて私生活くらいはと望んでも罰は当たらないだろう。

 芽生は一縷の望みに全てを託した。

 

 慰めてもらおうと頼ったその手は、無慈悲にも芽生を突き放した。

 待ち合わせの場所に一足先についていた澄真は、芽生が来るや早々に

 別れを切り出した。

 既に双方の親にも連絡はついているという。


「私の立場が悪くなったからって、簡単に捨てるの? 卑怯者! 

 それでも婚約者なの?苦楽を共に出来ると考えたから、私と結婚しようと

 思ったんじゃないの?」


 一方的に捲くし立てる芽生を、澄真は未知の生物でも見ているかのように、

 興味深げに一瞥するだけだった。


 「私はあなたとなら、どんな苦労にでも耐えられると思って

  プロポーズを受けたのよ。あなたは違ったのね。

  余所に好きな人が出来たから、簡単に婚約者を捨てることが

  出来るってわけね」


 芽生自身それが理由でないことは分かっていた。

 それでも自分の非を認めたくはない。

 自分の過ちで婚約が取り消された哀れな女に、

 成り下がることは、プライドが許さない。


 「……」


 矢越からは全く反応がない。

 無表情な顔からは何も読み取ることができない。

 ここ最近の苛立ちを発散するかのように感情をぶつけてくる芽生を、

 ただじっと澄真は見ていた。

 人形が突然口を聞いたかのごとく、呆気に取られていると言い換えた

 ほうがいいかも知れない。

 実際婚約者にすら素の芽生をさらけ出したのは、今回が初めてだった。

 ヒステリックに逆切れするのは、ここ最近はあったが、それでも

 程度をわきまえていた。

 だが今日は本気で、腰を据えて自己正当化に終始している。


「何とか言いなさいよ! 私はこのままで済ませるつもりは

 ないんだから。どうしてもと言うのなら、慰謝料を請求するわ」


 そこまで言うと、澄真は一枚の写真を手渡した。

 ひったくるように見ると、そこには一夜限りの出来事の山瀬との

 ツーショット写真だった。誰にも知られなかったはずなのに。

 最悪のタイミングだった。


 「……これで十分だろ。慰謝料はこっちが貰いたいくらいだ」


 「……」

 

 「じゃあ」とそのまま鞄を持って立ち去ろうとする澄真。

 芽生は必死で引き止める。

 しっかりしなくては。ここが正念場だ。

 停職処分を受けている今、私生活まで駄目にすることは絶対に避けたい。


 「待って。これは誤解なの。ちょっと先生が酔っ払っちゃって、それで……」


 右腕のスーツの裾を引く。捨て身の作戦が効いたのか澄真が立ち止まる。


 「本当に……誤解なの。ちゃんと後から証明してみせるから。だから

 ……お願い。あなたとこのまま駄目になりたくないの」


 「君は、芹沢君を殺したのか?」


 「え……。そんな訳ないじゃない。私たちは芹沢君を怖がっていたのよ」


 「嘘を吐くな!お前たちが土岐等さんに嫌がらせをしているのを録音した

  ものがある。お前が嫌がらせをするよう、芹沢君に命令している

  じゃないか!ハラスメントがばれて罪を被るのが嫌だから生贄を作った

  という訳か」


 「そんなものをどこから……」


 「『違う』とは言わないんだな」


 「……違う。もちろん違う。聞いてそれは……」


 「もういい!情けない人だ。ここまで来て一度も謝罪をしない。

  どうして一言自分が悪かったと言えないんだ。お前はいつも

  言い訳ばかりだ」


  芽生は初めて矢越に「お前」と呼ばれた。


  終わったことは仕方が無いが、それに反省も謝罪もしない姿が

  おぞましいと矢越はテーブルの端の方を見ながら言った。

  もう視線すら芽生と合わせてくれない。  


 「……君が、お前が発作で無抵抗の土岐等さんに罵倒した

  言葉を知った。驚いたよ。お前は『最低』の価値すらない」


 「……」


 「婚約者でなかったら、言葉を交わすことすら吐き気がするくらいだ。

  ……二度と僕の前に現れないでくれ」


 強く身体を振り払うと、そのままレジに五千円札を置くとそのまま

 去っていった。成り行きを見守っていた店員は澄真の後を追うか、

 芽生に渡すのか迷っていたようだったが、さっさと澄真はタクシーに

 乗って行ってしまったので、仕方なく芽生に渡しに来た。


「お連れ様のお釣りなのですが、お渡ししてもよろしいでしょうか?」


「ええ……」


 渡されたのは4000円。これが手切れ金のようなものなのか。

 馬鹿にするなと芽生は机に叩きつけた。




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