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5


 いつもはそのまま夜遅くまでいるが、その日の矢越はコーヒーを
 飲んで三十分もすると帰ると言いだした。
 芽生は「聞くこと聞いてもう用済みってわけ?」と憎まれ口を
 叩きながらも、笑って許してくれた。

 事実明日にでも東京へ帰ってしまう父に、矢越はどうしても今日の
 成果を報告したかった。

 家に帰ると、父親は東京へ帰り支度をしているところだった。
 間一髪間に合った。
 人払いをすると、矢越は父親に芽生への疑惑は濡れ衣だったことを
 誇らしげに報告した。

 だが父親は、「弱いな」と答える。

 「どういう意味ですか?」

 「本人の口からやっていませんと聞いたからと言って、信じる
  人間なんてお前くらいだ。他の人間からも証言を取ってこい。
  できれば証拠が欲しい」

 「しかし、5年も前の証拠をどうやって……」

 大学は人もモノも入れ替わりが激しい。
 父親の予想外の言葉に、矢越は怯んでしまう。

 「前にも言った通り、私は元々議員の世襲と言うのは好きじゃない。
  お前がどうしてもというから地盤を譲る候補の一人にはしているが、
  見込みがなければ直ぐに他の有能な人間に任す」

 評価されるどころか、自分の能力を危ぶまれてしまった矢越は、
 項垂れながら父親の後ろ姿を見送った。
 父はコネ、金、地盤が何もない状態から、自力で国会議員まで登りつめた
 男だ。それを尊敬しているし、近づきたいと思っているが、その意思の
 強さと実行力を目の当たりにすると、やはり自分なんかの志は低いのでは
 と度々卑下してしまう。

 その晩矢越は、父に課された新たなる課題にどう立ち向かうかを

 考えつつ、眠りに落ちた。



6


  矢越の車が発進した音を確認して、芽生は急いで服を外出用に着替える。

 もう一度窓から矢越の車が居ないことを確認すると、外出用のハンドバックを

 手に、夜の街へと消えた。

 

「また例の客です。オーナーそろそろ……」


 その客について、従業員から報告を受けるのはこれが初めてではない。

 新人が連日指名をとれるのは喜ばしいことだが、この客に限っては

 そうではない。

 ただ会話を楽しむだけではなく、何やら熱心に口説いており、新人は

 明らかに嫌がっている。


 当初はまだ新人が業界に慣れていないだけと、あしらい方をアドバイス

 しようと先輩従業員が会話に耳を澄ませて、事態が発覚した。


 犯罪の証拠をもみ消せと迫っているのだ。

 

 周囲に配慮して核心的な言葉は使わないが、新人にも確認して分かった。

 分かって以降は、他の先輩従業員を付けようとするのだが、指名料を

 支払ってでもこの新人を指名する。それで今日という今日は断固たる

 態度を取らねばと、以前から相談していたオーナーの判断を仰いだ

 という訳だ。

 

 「そろそろ頃合いだな……」


 「はっ?」


 「終業後、彼をオーナー室に呼んでくれ」


 

 その日も、芽生に不正経理の証拠を取り下げるように懇願され続け、

 いい加減疲れた晴人が、オーナー室に控えめなノックをした時には、

 時計は既に翌日になっていた。


 「晴人です。失礼します」


 「ああ、待っていたよ。とりあえず座って」


 恐縮しながら座る晴人に、焔はウーロン茶を勧める。


 「どうだい。少しは仕事に慣れたかな?前の仕事とは大分勝手が違うと

  思うけれど」


 「はい。皆さん親切にして頂けますし。お客さんも良い方が多いので、

  仕事は楽しいです。本当に……拾って頂いて感謝しています」


 この仕事を始めるまでは、晴人は自分に自信がなかった。

 がんばっているのに、認めてもらえない。

 正義感は融通の利かない詰まらない奴と蔑まれる要因となり、

 一生懸命が空回りした挙句の口下手ぶりは、要領が悪い奴と評された。

 それが今では、全て長所に置き換えてくれる。

 純朴で嘘が付けないから、安心して遊べると客や先輩が言ってくれるので、

 それは給料以上の価値を持った。


 「それで、どう? 佐々木芽生はまだしつこく証拠を渡せと詰め寄って

  来ているみたいだけれど」


 「向こうも相当焦っているみたいです。大学内での調査も着々と進んでいる

  ようなので、何とか証拠を揉み消したいのでしょう」


 「もう少し引き出させてから……処分する。それまでは頼めるかな?」


 焔が唇だけで笑みを浮かべて、頼む。

 もちろん答えは決まっている。晴人が焔に否ということはあり得ない。


 「はい。もちろんです」


 「仕上げはこちらでする。君はただ僕の言う通りに動けばいい」


 ともすると傲慢にも聞こえるその言葉も、恩人の唇を借りれば、

 頼もしい響きに変換される。晴人はオーナーの計画に寄与できる

 ことを、誇らしく思った。

  


7


 気が付くと、朝になっていた。
 一晩中考えるつもりだったが、あっさりと寝入ってしまったらしい。

 悔やんでも仕方が無いので、朝になってクリアになった脳で、
 矢越はまずは仕事に専念する。
 仕事も疎かなようではますます能力を疑われる。
 大きな失敗など今までしたことはないが、いつも以上に矢越は
 仕事に集中した。
 
 仕事を終え、程良く回転している頭のエンジンが温かいうちに、
 矢越は5年前のアカハラ事件について考えた。

 
アカハラの事実確認としては、大学のハラスメント相談室が
 最適だろう。だが相談の機密を守る場所なので、情報提供を求めるのは
 不可能に近い。それに芽生本人に知られてしまう可能性もある。

 
 一番いいのは、あの音源で答えていた張本人である小田切に、
 真偽を問うことだが、彼はもう鬼籍に入っている。
 こういった方面では素人の矢越は、早くも壁にぶち当たってしまった。
 どうしたものかと悩んでいると、母親が自分を呼ぶ声がする。
  
 「澄真さん、お手紙が届いていますよ」

 母親が夜食と共に、持ってきてくれたのは、
何か固いものが入った
 白い封筒だった。

  

 「なんだこれ……」


 表面に書かれていたのは自分の名前だった。

 中を開けるとCD-ROMが出てきた。

 どこにでも撃っているシンプルなタイプだ。

 そっとパソコンにセットすると、中から出てきたのは

 芽生が誰かと話す会話だった。


 会話の内容から、相手は亡くなった小田切らしい。

 

 「今更バレたら困る」

 「せっかく金持ちになれるのに」

 「勝手に死んで、こっちこそ迷惑……」


 責任転嫁。

 他人を利用価値で推し量る。

 散々自分勝手をした挙句の被害者意識。


 数分聞いて、もう電源を乱暴に切った。

 こんなに不快な音源は初めてだ。


 死者を罵倒し、保身に終始し、自分を金づるとしか見ていない。

 この言葉は、本当にあの可愛らしい芽生の唇から生まれたもの

 なのか。


 もっているCD-ROMにも複製すると、

 封筒に入れて、芽生のマンションの住所を書く。

 中には一枚だけメモ用紙に、「この会話は何だ?」

 とだけ入れ、翌朝一番に郵送した。

 

 それからしばらく矢越は芽生にメールすら返事を寄越さなかった。

 芽生。あいつは一体何なんだ?  

 田勢の言うとおり芽生の本性をまるで分かっていなかった。


 矢越は芽生の正体を調べることにした。

 まずは興信所に頼む。できれば自分の力で調べたいが仕事は今が正念場だ。

 ここでいい加減な仕事ぶりをしたら、父の言うとおり今後に関わる。

 まずは普段の生活を維持することが肝要だ。

 

まずは小田切と、死んだ芹沢について調べることにする。

ネットで調べてみても、大した情報は得られない。生きた情報を

得るにはプロを雇うしかない。

外部には漏らしたくないので、そこは大いに葛藤したが、

仕事があるので個人で調査するには限界がある。思い切って決断した。


芽生との関係を一週間後の調査結果待ちにした矢越は、

この一週間を選挙に捧げることに努めた。

 


8


 「申し訳ありませんが、個人情報につきお答えすることはできません」

 判で押したような想定内の反応に、調査員はやはりと大人しく
 引き下がるしかなかった。

 5年前のアカハラ事件を探る為に、ハラスメント相談室に来ては
 みたものの、全く埒が明かない。典型的なお役所仕事だ。
 もっとも個人情報保護に厳しくなってきた昨今、そんなにすんなり
 いくとは期待していない。

 当初の計画通り、当時の関係者から事情を聞くしかないようだ。
 調査員は待ち合わせのメモを鞄から取り出し、まだ在学している人物に
 話を聞くことにする。対象者と現在同じ研究室に在籍しているのだから
 慎重に行かなければ。
 再度構内見取り図を確認すると、その人物が待つ食堂へとゆっくり
 歩いて行った。
 

 調査員の動向を覗き見ていた女は、すぐさまメールを送信する。
 相手の名は、「協力者」。
 メールを受け取った男は、すぐに行動を開始した。

 
坂道をメインキャンパス方面に引き返していると、運動部の掛け声が
 聞こえてくる。若さが溢れる音が遠い昔の学生時代を思い出させ、
 珍しくノスタルジックな気分で調査員は脚を運ぶ。
 目当ての大学院棟まで来ると、掛け声も聞こえなくなり、調査員の
 脳は仕事モードに切り替えた。


 待ち合わせの食堂に向かうと、ターゲットは待ち切れなかったのか

 既に食事を始めていた。呼んでいない筈の女子学生まで、ちゃっかり

 同じテーブルに座っている。


(まあ、聞き取りできる人数は多い方がいいが……)


「あ、きたきた、こっちこっち!」


 男の方がかつ丼を食べながら手を振っている。


「お先に頂いています。すみません、私まで」


 謙虚なことをいいながらも、女子学生の前の2つのトレイには、

 ここぞとばかり食べ物を乗せている。

 刺身。ステーキ丼。パフェ。肉じゃが。


(独りで全部食べるのか?)


 背が低く、痩せた型なのに、たべっぷりは気持ちが良い程だ。

 男の方も、かつ丼の大盛りの横に、いくら丼とてんぷらを置いている。


「いえいえ、大勢の方がいろいろと……」


「そうだぞ、せっかくの機会なんだから、がんがん食べろ。この人が

 全部払ってくれる」


 一緒に食事でもしながらお話を伺いたいと言ったし、

 話してくれる以上昼食代くらいは支払う気持ちはあった。

 だが無関係の女子学生にまで払う気は、全くなかったのだが。

 

「本当にありがとうございます!今日は吐くまで食べます」


 奢りだと信じ切っている目を、失望させる訳にはいかず、

 仕方なく、調査員は全学支払う覚悟を決めた。


(これって経費で落ちるのだろうか……)


 調査員は絶対に元をとる決意をした。


 二時間後‐。

 思ったよりも収穫があったことで、痛んだ懐分は元をとることが出来た。

 目を付けた人選が良かったことが幸いした。

 自画自賛しながら調査員が駐車所へ向かうと、

 駐車場の脇から現れた男が一人、声をかけてきた。
 街灯の影になってはっきりと顔が確認できないが、
 まだ若い。学生のようだ。
 
 「5年前の事件について調べていらっしゃるのでしょう? 協力して
  差し上げますよ」

 「あんたは、誰だ?」

 「僕は5年前の事件の生き証人ですよ。教えてあげますよ。
  あかりさんのことも、主犯たちの事もね」


9


 「5年前のアカハラ事件は、例のブログの通りの経過を辿っていました。

    被害者は亡くなりましたが、直接の死因は持病なので、それほど

    大きな騒ぎになりませんでしたが、芹沢さんへの公的な処分が出たので、

  大学でその記録に当たることができました」

 

   確認の為に書類を見せてもらうと、やはり公的な記録には、

  芹沢以外の名前は出されていない。一方的に芹沢が土岐等に嫌がらせを

  しかけて、他の者たちはそれに気付いてはいたが、皆芹沢が怖くて

  言い出せなかったと理由を付けられている。芽生の主張と同じだ。

  教員達は気付かなかったことが悔やまれると、述べている。

  

 「退学処分後、芹沢さんはフェリーから投身自殺を図って亡くなりました。

  遺書には、退学処分を受けて将来を悲観したことが自殺理由として

  書かれていたそうです」

 

  家族にも調査を試みたが、息子が迷惑をかけたにも関わらず最期まで

  良くしてくれた山瀬研究室に感謝していた、と調査員は暗にこの家族が

  復讐を企むなど考えられないことを仄めかす。

    

 「それに対してこれが……被害者遺族が大学当局側に提出した、

  アカハラの具体的な内容と、その経緯です。当時の被害者を知る

  人物から入手しました」

 

  細かな記録が、ハラスメントの悲惨さを浮き彫りにする。

 そこには芽生や小田切が、芹沢以上にアカハラ行為を積極的に行っていた

 と記されている。芹沢が関与していたことには変わりはないが、芽生と

 小田切の印象がまるで違う。音源での会話とほぼ同じだ。 

 

 「それと小田切さんが脅されて例の録音を行われたと言われましたが、

  その時脅されていたのは、小田切さんだけではありません。芽生さんも

  脅されていました。こんなものが無記名で研究室に送られてきた

  そうです」

 

 小田切の名前と芽生の名前。それに『アカハラサツジンシャ』と

 書かれている。『サツジンシャ』という言葉に重みがする。

 

 「結論としてはどちらを信じるのかは、矢越さん次第です」

 

 当然矢越は公式発表を信じたいが、細部まで記述された証拠にも

 信憑性がある。少なくとも後者が正しいと信じて、芽生を怨んでいる

 者が存在する。

 
 「引き続き調査を続行しますか?」

 

 「……お願いします。次は現在の芽生について」

 

 いつまで、どんな結果が出るまで自分は調査を続けるつもりなのか。

矢越は自分が婚約破棄の決定的な理由を探したいのか、芽生という人間を

もっと知りたいだけなのか、自分でも分からなくなってきた。

見極め時が分からないまま、ただまだ終わっていない気がして、

調査の続行を命じる。

 

アカハラ。本音らしき下世話な会話。不正経理。

匿名の郵便で知らされたことからして、悪意を感じる。

綿密に計画された悪意に、芽生が捕らわれただけだとしたら。

止めを刺そうとしている矢越は、非情な断罪者に他ならない。

芽生は、哀れな冤罪の贄。

 

外野を気にして、愛する者を切り捨てるのなら、ハラスメントを

する卑怯な人間たちと変わらない。

無記名で機を図って芽生に不利益な証拠を送って来る人間が、信用するに

足る根拠は何か。それこそ単なる嫌がらせではないのか?

常識的な脳は、婚約者を信じよと諭しているのに、

次から次へと現れる証拠は、芽生への疑惑を膨らませる。

矢越の考えはまとまらない。

 

 更に一週間後。

 

 つかの間の平和の日々に感謝しつつ、矢越は次の報告を待った。

 調査員が報告する。

「芽生さんは、不正経理に関与していた可能性があります」

 

 最近自殺体で発見された小田切が、大学内で不正経理疑惑で処分を

 受けており、その際の再調査により芽生にも関与が疑われているらしい。

 その後に調査員は、あくまで学内での調査段階ですが、と慎重に断りを

 入れた。

 

 「小田切さん死後、助手に着任したのが芽生さんです。今芽生さんは

  当時の元業者の営業マンに、何とか証拠をもみ消してもらえないかと

  口説いているようです」


 そう言って、その元営業マンが小田切の讒言によって退職した経緯と、

 小田切の不正経理問題についての資料を渡してくれた。隠蔽を試みている

 以上、いくらかの真実を含んでいるのだろう。少なくとも不正経理への

 関与は疑わしい。


 調査はここで一旦停止することにする。

 これまでの調査結果から二人のこれからについて、矢越はゆっくり考えて

 みることにする。


 芽生の方は、そんな余裕などあるものかとばかりに、連日パソコンにも

 携帯にもメールが来る。

 「誤解だ」「話を聞いてほしい」「自分も脅されていて怖い」と

 繰り返すが、自分が金づる扱いされて、矢越にはとても出る気には

 なれなかった。

 

 「今まで黙っていたけれど、小田切君と一緒に脅されていたの。私怖い。
  時間があったら少しでいいから会って下さい」

 

 これは本当だろうか? 信じてもいいのだろうか? 動かぬ証拠を

 見つけられて隠滅を図っただけなのでは? 何とか言いくるめて結婚に

持ち込もうとしているだけなのかもしれない。

 こうして待っているだけだと疑心暗鬼はどんどん膨らむ。

 一度気持ちを確かめるために、矢越は芽生に会うことにした。




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