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 「これは名誉毀損だ!このページを書いた奴を訴えてやる!」


 ショックを怒りで昇華しようと、息巻いて感情を吐き出す小田切に、

 常川は勝手にしろとばかり、出て行ってしまった。

 優奈は小田切の様子を伺いながらも、特に役立つことはないと

 判断したのか、気まずそうに常川の後を追う。

 

 相変わらずパソコンには疎い小田切。

 当然のごとく、ページを書いた人間にどうやって抗議するかなんて、

 やったことも、やろうとしたこともない。

 なんだかんだで、常川が手伝ってくれるものと思っていた。

 

 (知らせたのなら、責任とって教えるくらいしてくれてもいいのに)


 恨めしく思いながらも、ネットサーフィンをしながら、有益そうな情報を

 探す。探してみればそれほど難しいことではないことが分かり、小田切は

 早速サイト管理者にメールで連絡を取ることにした。

 

 メール画面を開いて、文面を推敲していると、研究室の電話が鳴る。

 自分を告発するホームページを発見した直後だ。

 緊張しながら、電話に出る。

 もし脅迫者だったら、約束が違うと、恫喝してやる。

 それくらいの気概を持って、小田切は電話に出た。


 恐怖に反して、電話の相手は、かわいらしい声の女性だった。


「小田切先生ですか?時間が空き次第、すぐに大学本部までお越しください」


 どんな用件かと言っても、女性は理由は後からと繰り返すばかりで、

 要領を得ないまま会話を終えることになった。

 午後一番に授業がある身の上なので、今すぐにでも本部へ向かうことを

 告げる。


 昨夜騒がしてしまったことが原因かもしれないと、少し気弱にある。


 (余計なことを……!)


 昨夜あれほど親身になって望を探してくれたというのに、今になって

 評価が変わる。我ながら現金なものだ。


 面倒事はさっさと処理するに限る。

 小田切はすぐに本部に向かった。

 普段は小規模な会議などに使用される部屋に通されると、

 年配の男性二人が遅れて入室する。

 二人は小田切と対面するように、隣り合って座ると、

 いきなり本題を切り出した。

 

 「小田切先生、あなたに不正経理の疑いがかかっています。

  今から事情を伺った後に、そのまま研究室へ向かってそこで

  証拠探しも行います。既に調査委員会も設置されて、今日の

  この事情聴取も研究室の調査も、委員会での決定事項です」


 小田切は昨夜と同じく、その場にへたり込んだ。


 (そんな馬鹿な……。昨晩言われた通りに話をしたのに……)


 調査委員会の委員らしき男たちは、小田切の不正経理については

 既に数週間前から発覚しており、調査委員会も発覚から一週間後に

 作られた。その後は告発者の証言を取入れて、少しずつ内偵を進め、

 告発者がゴーサインを出したので、今日の事情聴取に応じたのだと。


 (そんな前から、手を打たれていたのか……)


 脅迫者は初めから、約束を守る気などなかった。

 それなのに奴の行動に一喜一憂していた自分‐。

 本当に馬鹿みたいだ、と小田切は泣き笑いのような声を出す。

 

 「それでは、告発者は誰なんです?」


 「それは言えません。あなたは聞かれたことだけに、お答えください」


 丁寧だが、あくまで引く気はない口調。

 小田切は自分が、『被疑者』として扱われていることを痛感する。  


 文句をいいたくとも、脅迫者が昨夜使用していた旧携帯電話は、

 今や小田切の手の中にある。どう連絡をつけていいのか分からない。

 一方的な関係にすぎない。


 元営業マンの消息すら掴めなかった小田切には、反駁するだけの材料はない。

 大学当局の調査に素直に応じるしか、道はなかった。



14

 

「小田切先生に、私は架空の伝票を切って金をプールするように

 頼まれました。断ると、本社に報告すると脅されました」


あれほど探していた営業マンとようやく会えた時、彼は告発者として

小田切の前に現れた。昔のおどおどと顔色を伺っていた様子は一掃され、

目は憎しみで燃えていた。


細かく計上された今までの小田切の経費の流用。

被疑者の小田切に許される発言は、全て己の弁護の為に用いるのが

精一杯で、時間をかけて用意された証拠を握りつぶすことなど

到底できなかった。


同時期に、小田切がアカハラを5年前にしたというネット情報は、

関係者の間であっという間に広まった。

学部内では公然の秘密だったその裁判についての、噂が再燃する。

これは学部にとっては黒歴史そのもの。

火消しにかかったが、一度ネット上に出回ったものを回収することは

不可能だ。


不正経費と同時に、これらの問題も取り上げざるを得なかった。

この頃になると、学内の運動家たちも、教員に相応しくないのではと

大学当局を付き上げて来るようになってきた。


不正経理に対して厳しくなってきたこの時勢に、アカハラという爆弾も

抱えている小田切は、あからさまに学部に取って不要な存在であることが

浮き彫りになった。特に山瀬にとっては、小田切の問題の監督責任を

追求され付き上げられることが増え、口には出さぬがその機嫌は日ごとに

悪くなっていく。小田切は見捨てられまいと必死になった。


 後日、小田切は再び事情聴取を求められた。


 「まずはこれを聞いてもらいます」


 用意されたパソコンから、あの日の小田切と脅迫者との会話が流れ出す。

 ネットで流れたのとは異なり、実名に処理が施されていない。

 

 「これは小田切先生の声ですね?」


 「はい……」


 まぎれもない自分の声に、小田切は否定することはできなかった。


 「これはどういう経緯で録音されたものですか?」


 「脅されたんです。娘の命を危険にさらすと。それで言わされただけです。

  本当のことではない」


 不正経理のことも露見した今、犯人を庇う意味などない。

 告発した元営業マンへのせめてもの意趣返しとばかりに、

 小田切は堂々と真実を告げた。

 あの怪文書の送り主は、この告発者と繋がりがあるはず。

 それなら娘の狂言誘拐にも一役かっているはずだ。


 「それは変ですね。奥さまの証言だと、小田切先生が奥さまの下から

  娘さんを攫ったと聞きました」


 (加奈にまで調査の手が伸びているのか!)


 加奈にまで捜査の手が伸びていることに、小田切は驚きを隠せない。

 最後の電話のテンションだったら、小田切の事をどう評したのか想像が

 つく。


 「それは……親権の為に焦って。でも、その後に娘が攫われたと脅された

  のは事実です!」


 「……ここに警備員から提出してもらった記録があります」


そこには、もちろん小田切は被害者として書かれたが、当時の挙動に

不審な点があったことが指摘されていた。


「小田切先生が娘さんを攫われたと思い込んでいた為に、不自然な対応に

 なったことは分かりました。それでは脅している相手とは誰なんですか?」


「僕を告発した奴です!」


「それはありえません」


既に予期されていた答えだったのか、その日の元営業マンの行動は、

全て男が自ら報告し、裏も取れていると告げられた。


「それ以外では?」


「……分かりません。でも5年前の事件の関係者はどうです?

 土岐等さんと芹沢の家族は?今になって逆恨みしている可能性が

 あるのでは……?」


小田切は主犯が元営業マンで、彼の誘いで5年前の事件の関係者が

乗せられたと推理していた。二人で協力すれば、あの誘拐事件の時間

関係者が主犯に代わって例の電話をかけることもできる。

だが誰かまでは特定できていない。


いや頭に一人の人物が思い浮かぶのだが、それはありえないはずだ。


「何か証拠はあるのですか?」


「……いえ」


ここで一旦調査委員は、警備員による続報を知らせた。

警備は今回のような悪質な悪戯を防ぐために、犯人を探そうとしたことを

告げた。警備員が後日パソコンの型番号から所有者を探すが、

その所有者はとうにそのパソコンを廃棄しており、

リサイクルショップに売り払ったと報告した。

ネット契約をするわけでもなく、レジに顧客情報を入力する機械もない

簡素な店だった為、客の足取りはつかめない。

ドアに付けられたリモコン錠も、メーカーで作成されたものだったが、

それもネットオークションで手に入れたものなのか、記録されていた

所有者には怪しい点がなかった。


「これほど周到に準備するような相手に、本当に心当たりがない

 のですか?」


力なく「はい」と肯定する小田切に、調査委員は呆れたように、

後日処分を決めるとだけ告げた。

誰が脅迫していようと、不正経理の事実は変わらない。

ここまで事態が進んでは、今更元営業マンに詰め寄った所で

益はない。


例の件は昨日全て義務は果たしたと言うのに……。

 騙されたと独りごちる小田切に目もくれず、調査委員会の委員たちは

 事情聴取が終わるや否や、すぐに小田切の研究室へと移動する。

 彼らは実に精力的に職務をこなしていく。

 研究室の前では、異変に気付いた教員たちが、その様子を遠巻きに

 眺めていた。


  調査委員が出て行ってからも、小田切はソファーに座りこんだまま

  動くことができなかった。目は正常に機能しているはずなのに、

  周囲の景色を映さない。眼下に浮かぶのは、唯在りし日に小田切が

  犯した過ちのみ。


  今更嘆いたところでどうにもならないが、あの日の自分を殴り飛ばしたい。

  どうしてもっと上手くやらない?

  どうして後の禍になることを考えない?

 

  現実を引き戻したのは、一本の電話だった。


 「お前の罪、償う時が来た」


  公衆電話からの着信だ。それでも声は相変わらずの人工的な物。

  ざまあみろと言いたいらしい。唯それだけの為に電話をかけたのか。

  それだけで済ますかと、周囲に聞こえない程の音量で小田切は叫ぶ。


 「約束は守ったはずだ。どうして裏切った!ちゃんとお前の疑問に答えた

  はずだ。どうして研究費のことを!」


 「それはSNSに自分の罪を告白した場合だ。お前はそれを無視した。

   その報いを受けたのだ。疑問に答えたから、娘は無事でいたんだろ」


 「どのみち娘は、加奈のもとにいたから、無事だった。騙したな!」


  ツー。ツー。ツー。


そのとき、唐突に気付いてしまった。


(常川が黒幕ではないか?)


 そう考えれば説明がつく。

 5年前の事件を良く知っていること。

 不正資金を調査できる立場に合って、なおかつ自分に被害が及ばない人物。

 妻と顔なじみで、携帯も入手が可能な人物。

 この研究科等に出入りして、細工してもおかしくない人物。

 全ての手掛かりが此の男を指している。


 すぐに学生研究室にいる常川の元へ急ぐ。

 

「これで意趣返しのつもりか?とんでもないことをしてくれたな……。

 お前が仕組んだんだろう?そう考えればつじつまが合う。

 妻とも面識があるし、ずっと傍で俺のことをほくそ笑んで

 いたんだろう。最近になって大学に来るようになったのも

 小細工する為だったんだな」


「……お前らがCOEを押しつけたんだろうが。それに俺は今年

 最終学年だぞ。なりゆきとはいえ、学位くらいは取っておきたいからな」


 癇癪を起した子どもを宥めるように、落ち着いた返事をする常川。

 その余裕ある態度がさらに火を付けたのか、小田切は尚も続ける。


「こんなことをしたところで、今更何も変わらない。

 ハラスメントに関しては、誰も罰せないし、反省もさせられない。

 死んだ人間は戻ってこないし、失った時も帰ってこない。

 お前のしたことは全くの無駄だ」


「何を勘違いしているのか大体分かるが、俺じゃない」


「お前は他に逃げる場所があるから、そう言えるんだ。逃げ場のない

 人間はそこにしがみつくしかない。……お前みたいなきれいごと

 だけではやっていけないんだよ」


 黙って聞いていた常川は、珍しい生き物を見るかのように小田切が

 話すのを見ていた。あらかたの主張を聞き終えると、ただ一言

 ぽつりと言った。


「お前、可哀そうな奴だな」

 


15


 翌日は、優奈は常川に連れられて、加奈に会いに行った。


 望を連れた加奈は、以前よりどこか吹っ切れたように見える。

 髪型が短くなってきりっとしたせいかもしれない。


「久しぶり。どう、調子は?」


「はい。おかげさまで、小田切とも思い切って別居してからは、

 何だかすっきりしました」


「望ちゃんがいなくなったって、小田切大騒ぎだったんだぞ」


 加奈の膝の上で、絵本を読んでいる望の頭を撫でながら

 常川は言う。


「大騒ぎって……良く言いますよ。私から望を連れ去ろうとしていた

 くせに。そのくせ、望がいなくなったと分かっても電話もしようと

 しなかったんですもの。自分勝手な人だと言うことが良く分かりました」


 加奈は小田切が、望を連れて別居した加奈から、何とか親権を奪い取る

 為に望を連れ去ろうとしたことを話した。


「それで、望ちゃんは一体どこにいたんだい?」


「親切な方が連れて来てくださったんです」


 加奈はその日の事を話してくれた。


 塾で授業が終わってのんびりしていると、小田切から「望をこちらで

 預かる」というメールが届いた。確認の為すぐに電話をかけると、望を

 義実家で預かると一方的に通告して、切られてしまった。


 慌てた加奈が車へ向かうと、天原から電話が入り、塾に小さな女の子を

 連れた人が加奈を探していると告げられて、急いで引き返したそうだ。

 戻ると、スーツを着た若い男が望の手を引いて、事情を話してくれたという。


「この娘さんが、駐車場の車内に一人でいたんです。どうも様子がおかしい

 ので、ドアをあけるとキーが掛かっていなかったのか、すぐに開きました。

 それで『ママに会いたい』と何度も言っていたので、誘拐の可能性もあると

 思い、差し出がましいかもしれませんが、すぐにそのまま自分の車に

 乗せて、望ちゃんの持っていたバッグからあなたの場所を探しだした

 というわけです」


 その男は爽やかに笑う。恰好は夜の男だが、良い人そうだ。

 その車の特徴を聞くと、どうやら義両親の車に乗せられていたようだ。

 先程の電話での応対といい、小田切が勝手に連れ去ろうとしていたのを

 了解した上で、協力したのだろう。

 小田切からいつか望をとられてしまうのではないか。

 不安で苦しくて、望を抱きしめながら泣いてしまった。

 つい先頃まで愛人らしき女からの、電話も止むことがなかったのだ。

 

 驚いた男性は、ハンカチを差し出してくれた。

 清潔感のある男性のハンカチが、小田切と比べて新鮮だったのを覚えて

 いる。


 望は疲れてしまったのか、さっきまではしゃいでいたのがすっかり

 眠りこけている。仕方なく移動させる。礼がしたかったので、ささやか

 ではあるが食事に招待した。仕事終わりの天原も一緒だし、誤解される

 こともないだろう。


「宜しかったら、どうぞ。一週間程気分転換されてはいかがですか?」


 そう言われて出されたのが、ホテルの宿泊券だった。大人二人分だ。


3歳以下の御子さんなら無料で同伴できますし、設備もあるはずですよ。

 もしお時間があるというのなら、そちらのお嬢さんと一緒に行かれても

 よろしいですし。相手が急にいけなくなってしまったので、払い戻しを

 しようと思っていたんです。せっかくなので使ってみてはいかがですか?」


「うわあ、ここ高いホテルじゃないですか?行かないなら私がもらいますよ!」


 このまま家にいたら、居場所が知られている以上、またいつ望を連れ

 去られるのか分からない。もうあの家の人間は信用できない。

 愛人らしき女にも狙われている今、保育園にも預けられない。

 仕事もあるし、と心配する。

 場所は街から程良く離れた海辺で、来るまで一時間ほどの場所。

 通勤する分にはそれほど大変ではない。

 ホテルのパンフレットを見ると、子どもを預ける場所もある。


「子どもを預かる場所もありますし、どうでしょう?」


 まさに渡りに船。

 躊躇しないわけでもない。

 タイミングが良すぎはする。

 でも断る理由はなかった。


 「できすぎているな」


 話を聞き終えた常川の感想だ。

 優奈もなんだか腑に落ちない。

 ちょうど義両親の車に居合わせた。

 ちょうど大人二人分のホテル券を持っていた。

 うさんくさい。

 意図的なものを感じる


 「どんなやつなんだ?その男は?」


 「すっごく素敵な人。明るくて気さくで。見た目ももちろん良いん

  だけれど、まあそれにも増してトークがたつの。話していて全く

  飽きないわ」



16


「あと数日で君の処分が決まる。先に大学に知れただけ儲けものだ。

  今ならやり方次第でダメージを減らすことができる。小田切君、

  退くのも勇気だよ」


 山瀬の忠実なる部下の田淵がアドバイスをしかけてきた。

 田淵に一斉送信以外のメールをもらったのは、何年前だろうか?

 山瀬の覚えがめでたい頃には、小田切の事を褒めちぎっていたくせに、

 現金なものだ。いやもしかしたら山瀬が言わせているのかもしれない。


 あの件以来目に見えて機嫌の悪い山瀬に、小田切自身迷惑をかけている

 負い目で遠慮していることもある。メールも電話でも相談して見たものの、

 全く返事はない。完全に切り捨てられたと言うことか。


 脅迫者に脅されても山瀬の関与を否定したと言うのに、この仕打ち。

 こんなことなら一蓮托生にするべきだった。

 小田切は自分の忠誠を悔やむ。


 (今辞職してダメージを最小限にするか?それでも刑事罰は免れまい。

   それに今まで僕がやって来たことは、この職にしがみつくことでは

   なかったのか。懲戒解雇処分が出ない限り、粘っていれば、また日の目を

   見ることもあるはずだ)


 小田切に処分が下ったのはそれから数日後のことだった。

 

 停職2ヶ月。

   山瀬は管理責任を取って、同じく訓告処分を受けた。

 なぜか佐々木の責任は不問。 

   今回の不正経理事件は、全て小田切一人の責任となり、幕引きとなった。


  やはり民間企業と比べると、少ない位だが、小田切にはそれなりに利いた。

  履歴書から消えない汚点。

 出世の為には、大きな障害になるだろう。

 

 それでも。

  それでも、これで全部終わった。

  処分が出て、むしろ小田切はほっとした。


  長い休みと捉え、この時間に加奈との関係をはっきりさせる。

  終わってしまったことは、取り返しがつかない。

  だが夫婦関係のひび割れはまだ修復できる。

  前回の騒動で、夫婦関係の歪みで他人を巻き込んだ人間だと

  思われている醜聞だけでも消すのだ。

  

 家族関係を盤石にしていないから、今回の失態を起こしたとも言える。

 

  修復できれば最上、できなくても望はもらう。

  決意して自宅に帰る。


  電気は暗く誰もいなかった。

  一度だけ通じた携帯電話にかけているが、あれ以降全く出てくれない。

  加奈の本気の怒りを感じる。


(もう取り戻すことは出来ないのか……。こういうときこそ助け合うのが

  夫婦というものだろう。都合が悪いからと言って、捨てるなんて。所詮

  その程度の人間だったのか)


  家の中は荒らされていた。

  自宅に届けられた不審な手紙や、保育園に届けられた怪文書まで、机の上に

  出されている。家探しでもしたかのような、荒れようだ。


(これは、加奈がやったのか?)


  心がすさんで望に危害でも加えていたら一大事だ。

  慌ててどこかに加奈か望がいないかと、探しまわる。


「ようやく会えたな」


  振り向く前に小田切の視界は暗転し、その場に崩れ落ちる。

 

 翌日以降、小田切の姿を見た者はいなかった。 



17


「これからどうするんですか?」


 ホテルのラウンジで待ち合わせた男と、加奈はお茶を飲んでいた。

 望もプリンを食べてご満悦な顔をしている。


「しばらく実家に帰ります」


「確か遠方だったとか……」


「ええ。でも小田切の元にはもういられません。望のことも

 そうですが、一度家に戻った時に、家の中がしっちゃかめっちゃかに

 なっていたんです。例の事件の事に関する書類だけが机の上に乗って

 いて、それ以外は本当に家探しでもしたかのように。あんな状態の

ところへ戻るなんて、怖くてできません」


望の事で怒り心頭だった加奈だったが、さすがに不祥事がぼろぼろと

出てきた小田切を哀れに思い、一旦家に帰って小田切に一時休戦を

申し込もうとしたらしい。

しばらく留守にしていたので、掃除をして好物でも作ってやろうと

部屋に入ると、そこはカオスであったと。


合いカギはいつも所定の位置に隠してあるので、小田切はいつでも

入ることが出来る。家に帰った小田切が気持ちに任せて一人暴れていた

としたら、その矛先は加奈たちにもいずれ向かうかもしれない。


そう考えると、一気に哀れみも、引っ込んだ。

それ以降も小田切からは、助けを請いたいのか、よりを戻したいのか

何度も着信があるが、気味が悪くて出られない。

感情をぶつける相手が欲しいだけなのではと、恐ろしくなると

加奈は言った。


「そういうときこそ佐々木さんを頼ればいいのに」


吐き捨てるように、加奈は言う。


小田切と佐々木がしばしば近所で目撃され、近隣で噂の的に

なっていた。近隣や保育園での保護者の様子がおかしかった原因は、

それだったのかと知ったばかりなので、無理もない。

周囲の様子がおかしかったのは、余所様の家庭に口を出すのを遠慮

していただけだった。別居したのを見て、既に浮気の事実を突き止めたと

判断した隣人たちが打ち明けてくれた。


(あの噂のせいではなかったんだ……)


ほっとすると同時に加奈は激怒した。


当時は塾への妙な電話のせいで疑心暗鬼になって、周囲が敵だとばかり

思っていたけれど、敵は小田切一人だったのだ。

例の噂だって小田切の行為あってこそ。


思い出して腹が立って来たのか、眉間を寄せて加奈は唇を噛みしめる。


 男は静かに相槌を打ちながら、その話を聞いている。


 そうしている間にも、加奈の携帯が鳴る。

 うんざりした顔で、さっさと電源ボタンを二度押しする。


 「自分がピンチの時だけ、助けを求めるなんて、都合が良すぎるのよ」




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