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11

 

 小田切が学内郵便で受け取った封筒は、ごく普通の定型封筒

 だった。


 仕事柄大量の郵便を受け取る小田切は、ルーティンワークとして

 慣れた手つきで、その封筒の中身の処理にとりかかる。

 だが中を見て、小田切はその認識を改めた。

 

 中には伝票や領収書をコピーしたものが入っていた。


 それは良い。

 問題はその表題が「科学研究費不正流用についての証拠」と

 題されていることだ。


 慌てて小田切は、封筒をひっくり返すが何も書かれていない。

 せめて差出人のヒントに繋がるような物が入っていないかと、

 封筒を逆さに振る。

 

 あった。

 

 文献一覧をホッチキスで止めた紙束に重なっていた、一枚の便箋が

 ひらひらと落ちる。


『5年前のアカデミック・ハラスメントへの関与と、一人の院生に

 全ての罪をなすりつけた経緯を、ご自身のSNS上で公開される

 ことを要求します。さもなければ、小田切満夫と佐々木芽生の

 科学研究費流用について、しかるべき機関に告発します』


(今になってこんな……)


 小田切はデスクに拳を叩きつけた。



12


 小田切は気を落ち着かせる為に、電気ポットで湯を沸かし、

 コーヒーを淹れる。コーヒーの臭いがふわりと部屋を充満すると、

 少しだけ小田切の気持ちも安らいでいく。

 

  あれは5年も前の話だというのに。

  5年前の事件は、小田切の人生を決定的に変えた。

 その時の関係者が今になって意趣返しを企んでいるというのか。

 どうして今になって‐。

 

   あれはもう終わったことで、学内での審理は既についている。

  裁判でももう訴えられる期間は終わったはずだ。

  今更古い記憶を掘り起こしたところで、何になる。

 

  5年前だって、被害者家族が学校を相手取って行動を起こし、

  望み通りではない結果で終わったではないか。

   それを今更。また同じことだ。

  山瀬が第一線に居る限り、絶対に負けはしない。

 

  (どうせ何もできやしまい)


  そう高を括りつつも、不安は残る。

   送られてきた証拠書類が、全部正真正銘の本物のコピーだったことが

  小田切を絶望的な将来観測へと導く。

  相手が本気になって警察なり、国税局なりに告発すれば、

  確実に捕まる。

  大学当局に告発したって、処分は免れない。


 (要求通り5年前の事件を公表してしまえば、告発を免れるという

  のなら、容易いことだ。アカハラごときで、刑事罰などめったに

  課されない)


  自他共に認める慎重派の小田切は、万が一に備えて、名指し

  されているもう一人、佐々木芽生と口裏を合わせることにする。

  彼女のほうでも異変が起きているかもしれない。

   それなら二人で情報交換をすれば、差出人の特定に繋がる可能性も

  ある。差出人さえ押さえてしまえば、何も不安に思うことはない。


   早速連絡を取る為に、佐々木の携帯番号を呼び出す。

  メールでは跡が残りそうで嫌だった。

  前回のようなパソコントラブルで、内容が流出したら一大事だと

  踏んでのことである。


 「はい。佐々木です」


  高めの明るい声が応答する。

  佐々木の余所行き用の声だ。

   番号を確認せず、婚約者と間違えたのかもしれない。


 「何?何の用?」


  携帯に出て相手が小田切と分かると、佐々木は途端に高慢な

   態度に変じる。この女はいつもそうだ。

   山瀬に目をかけられていることを傘に着る。

  口には出していないが、小田切は佐々木のこんなところが鼻について、

  苦手だった。あれ以来その態度はますます増長している。

  だが今は非常時だ。気にしている余裕はない。

  すぐに本題に入る。


   郵便物の内容について話すと、佐々木の余裕に溢れた態度は

  怒りに代わる。感情が負の方向に揺れる時、佐々木はいつも

  怒りだす。

  相変わらず感情の起伏が激しい、と小田切は一層辟易する。


 「馬鹿らしい。今更蒸し返して何になるって言うの?」


  佐々木は見えない敵に向かって毒づく。


 「不正経理の覚えなんてないことだし、堂々と無視していれば

  いい。下手に気弱になったら、その変質者の思うがままだわ!」


  それはまさしく正論だが、頷くことのできない小田切がいた。

  言い辛そうに小田切は、切りだす。


 「……偶に行われる業者の接待。あれは業者にプールしたお金に

  よるものなんだ。だから君が意図しようがしまいが、君も不正経理の

  共犯者と言える。調査が入ったら、君も有責だ」


 「……何それ。知らない間に、私は不正に加担していたってこと?

  どうしてそれが規則違反だって教えてくれなかったの? 

  知っていたらそんな危険なことする訳がなかったのに」


  佐々木はますます激昂する。

  当然だ。

  小田切は気を利かせたつもりでも、事が露見すればとんでもない

  スキャンダルになる。金銭方面で特に苦労をしていない佐々木に

  とっては、必要のないリスクを背負ってまですることではない。


  「今になって、こんなこと言われても。私だって被害者みたいなものよ。

   勝手に犯罪の方棒を担がされて」


  佐々木に関しては、送られてきた伝票にも数枚しか書かれていない。

  佐々木は唯小田切の指示に従って、事務手続きをしただけだ。

  ひとしきり怒ると、佐々木は感情が高ぶりすぎて疲れてしまったのか、

  静かな声で尋ねる。


 「それよりも、小田切君。強請られるほどの金額の流用をしていたの?」


 「……」


  小田切の立場は危ういものだった。

  一応山瀬の後継者候補に潜りこめているが、それに業績が追いつかない。

  山瀬がネームバリューがある分、並みの業績では許されない。

  そんな不安が科学研究費を上手く運用することで、評価を上げる

  戦略を思いつかせた。


  山瀬自身の研究費は当然自分で管理している。

  しかしCOEプロジェクトに必要な研究費は、小田切に任されている。

  金庫番としての役割を山瀬から授かっているので、山瀬の検閲など

  殆どなしで金銭管理を任されてきた。これも信頼あってこそだ。


  その信頼を、科研費を業者にプールさせることで節約してきた。

  プロジェクトに必要な金を引き出すのが上手だという評価は、

  無くてはならない人物という評価にもつながる。

  実績で失敗した場合の、生き残りを賭けて行ってきた。

  今まで外部に露見したこともない。

  ただ研究費を節約するくらいに考えてきた。


 「ちょっと研究費を浮かせるつもりだったんだ。業者もそういう人は

  いくらでもいるって言うし。外部に露見することもまずないって

  言うから」


   佐々木の問いに答える代わりに、とりなすように話を続ける。

  

 「悠長なことを言っている場合? もし科研費の件が表に出たら、

  学内処分だけじゃない済まないかも。刑事罰の可能性もあるのよ」


  金額だけが問題ではない。

  不正経理は厳罰が下されるのが常だ。

  大学を騙して入手した金なのだから当然だが、それは研究者生命の

  終焉も告げる。

  やってしまったことの恐ろしさに、言葉も出ない。

 

  「5年前の事件のこと、もう公表してしまおうか?もう時効だし。

  この脅迫者が誰か知らないけれど、要求を飲めば……」


 「駄目!私は婚約を控えているの。評判が第一な職業の人と。

  そんなマイナス・イメージが付くことは許さない!」  


  この言葉は、今まで燻っていた小田切の我慢の導火線に火を付けた。


 「冗談じゃない!家族にあの事件と関わりがあると思われるだけ

  でも嫌だ。あれだって、できれば私はやりたくなかった。君たちが

  暴走して。そもそも初めから知らぬ存ぜぬで済んだ話を、余計に

  ややこしくしたんだろ!」


 「私たちのせいだって言うの。だったらどうしてそのときに言わないのよ。

  ……大体今の地位は、その時のおかげでしょ?今更被害者面しないでよ」


  正論だ。

  分かっている。それでも小田切は、己の罪状について言い訳を留める

  ことが出来なかった。 

 

 「……ごめん。言い過ぎた」


  小田切の態度の変化に、佐々木は渋々態度を軟化させた。 


 「……とにかく、どちらの要求も飲むことは出来ない。何とか二人で

  協力して解決に導きましょう。内部情報をもっている人間だから、

  特定は難しくない筈。いまさら妙に騒ぎ立てられて、今の生活を

  壊されたくないわ」


 「たぶん業者に繋がっている奴がしたことだ。早急に誰かを

  特定しよう。名前を隠してこそこそ動いている奴だ。特定して

  口止めすれば、大事にはならない。連絡を取り合おう」


  勇ましく計画を発表した後で、小田切は急にトーンを落とす。


 「ただ僕は家族には内緒にしておきたい。最近少し関係が微妙

  なんだ。こんなことが知れたら、完全に家庭がおかしく

  なってしまう。だからその辺は配慮してくれないか?」


 「分かった……。私も今結婚を控えているし、表沙汰にはなって

  欲しくないわ。お互い気をつけましょう。どうせただの悪戯だとは

  思うけれど。気をつけるにこしたことはないものね」


  鍵を閉めた密室での会話。

  聞かれるはずのないその会話が、しっかりと録音されていることを

  二人が気付くことはなかった。


   小田切の研究室のコンセントに嵌められた、小型盗聴器。

  その内容を別室で耳を凝らして聞いているものの存在など。

  その時の二人は知る由もなかった‐。   

  

13


 「郵便物をお届けに参りました。」


  その日、午後の便で来た郵便物の中に、差出人の書いていない

  角2型の封筒が混じっていた。前回の怪文書を思い出して、

  嫌な予感に襲われながらも優奈は中を確認する為に、注意して

 鋏で封を切る。


 中には数枚の紙をホッチキスで留めたものと、別に小さめの封筒が

 入っており、そこには小田切の名前が宛名として書いてあった。

 小田切は教員なので個人でメールボックスがある。そのため

 学生の研究室に小田切宛の郵便物が送られてくることは、めったにない。

 小さめの封筒にも、やはり宛名はなかった。


 代わりに、前回と同じく手鏡の写真が貼り付けられていた。

 シール代わりにしては大きすぎるし、なぜ封筒の中に入れないのか

 理由が分からない。

 

 前回の封筒に入っていた紙切れに書かれていた、呪いにも似た文書を

  思い出させる。なぜ差出人はあえて学生の研究室に郵送するのか。

  そこら辺からして、底知れない理由がありそうで、気持ちが悪い。

  同時に、優奈の好奇心が擽られたのも事実である。

  前回は常川の邪魔が入ったが、今日はまだ常川は居ない。


 封筒はさすがに私文書なので中を検める訳にはいかない。

 剥き出しの書類の方に、目を通すことにした。こちらには宛名がない以上、

 研究室宛ての筈だ。


 5年前にアカハラで、山瀬研究室の女子院生が被害を受けていたこと。

 小田切と佐々木がハラスメント加害者であること。

 それにも関わらず、一人の男子院生だけがその責任をとって

 退学処分となったこと。


 これらの事が、新聞記事のように、淡々と事実だけが書かれていた。


 (これは、本当にこの研究室であったことなの?)


 同封された文書が真実であるのなら、差出人はアカハラの被害者と

 考えると筋が通る。それならどうして大学を相手取って、責を問わない

 のだろうか。上手いやり方とは思えなかった。

 前回の常川の態度からして、何か事情があるのかもしれない。


 常川は前回怪文書が届いたときに、本人に知らせるのをなぜか嫌がった。

 だがあれからしばらく罪悪感に駆られていた優奈は、今回は常川が

 いないこともあり、小田切に渡すことにした。今回ばかりは宛名が

 書いてある以上、勝手に処分する訳にも行かない。


 二回の空振りを経て、なんとか優奈は封筒を小田切に渡すのに成功した。


 小田切は中を、特に手鏡の写真を見ると、小さく悲鳴を上げた。

 心配する優奈に、幾度も中身を見たのかと確認する。

 文書の方は既に全部読んで、実はスキャンして保存していたりするが、

 それは内緒だ。「全く見ていないですけれど、何の手紙ですか?」と恍けて、

 部屋を後にした。


 二時間ほどして常川がやって来ると、他の学生が掃けるのを待って、

 待ちかねたように優奈は早速先程来た手紙のことを話した。


 「この研究室で本当に、あんなことがあったんですか?」

 

 「ああ。本当だ。俺はその時には休学していたから、詳しいことは

  言えないが」


 学外には漏れていないが、人の口には戸は立てられず、少なくとも

 学部内ではある程度噂になった。その影響で未だにその噂が残っている

 代の学生達は、山瀬研究室に来たがらないのだ。

 さらっと事実を肯定した常川は、そう説明した。

 

 その頃小田切は手鏡の写真を凝視して、放心していた。


(どうしてこれが……?関係者の仕業か?)


 手で破った封筒から取り出された便箋には、前と同じく5年前の

 アカハラとの関連を公表すること。それともう一つ。全ての罪を背負い

 亡くなった男子学生の名誉の回復を求めるものだった。

 

 不正経理の証拠を握っている以上、やはり解雇されたあの営業マンが

 一枚かんでいるのは間違いない。そして共犯者は、5年前のアカハラに

 関係ある者。


(やはり何がなんでもあの営業マンを探して、吐かせるのが一番だ)


 アカハラの関係者の人脈を辿るよりも、明らかに関係のある人物を

 追った方が遥かに効率が良いはずだ。小田切はスケジュール帳を睨み、

 営業マンを負うべく計画を調整することにした。



1

 
   姉から弔問客があったことを電話で聞かされた女は、ひどい寂寥感に
  苛まれていた。あれからもう
5年が経つ。

  白い壁に囲まれた一室で、女は独り一枚の写真を見つめていた。

  夜の帳がとうに下りているというのに、女はテーブルランプを灯している

  だけだった。薄暗がりで女の面長の顔の輪郭と、濃い緑のサマーセンターの

  袖が、薄ぼんやりと照らしだされる。


 他の人には見られないように、誰にも触れられないように、この写真を

  眺める。これは日課であり儀式でもある。

 写真の中の青年は、いつだって柔和な笑顔を女に向けてくれる。


  この瞬間だけ女は彼岸にある魂との邂逅を果たす。それは至福であり、

  同時に残酷な拷問でもあった。


女の魂は既に死んでいた。可愛がっていた甥が五年前に亡くなってから

完全に生きる目的を失っていた。ただ惰性で生きている。


 姉の一人息子だった和哉は共働きで構ってもらえなかった

両親よりも、比較的時間に融通の利く仕事をしていた彼女に懐いていた。

もともと子どもにあまり構わなかった両親よりもずっと肉親のような

存在だったと女自身自負している。周囲が結婚する中でも寂しく

なかったのは、一重に和哉の存在が大きかった。


 はにかみ屋で内向的なところもあったが、女の誕生日プレゼントは欠か

さなかった。いつも「大好き」と言ってくれたのを折に触れ思い出す。

さすがに年頃になるとあけすけには言わなくなったが、それでも信頼関係は

昔のままだった。……少なくとも女はそう思っていた。


それが五年前に全てが失われた。


 自殺。

 運行中のフェリーから投身しての壮絶な死。

 それだけでも受け入れがたいのに、後に現場検証と関係者からの

 事情聴取を終えた警察から、和哉が同級生に暴行と重なるハラスメント

 行為をしており、それがもとで彼女は‐。

 それを悔いての自殺であると、遺書から判断された。

  既に大学も退学処分を受けていたと。

 指導教官や同級生たちの証言から、遺書の内容を裏付ける事が

 できると警察は言った。


  自分も含めて身内の悲嘆は大きかったが、和哉に非があると公に

 認められている以上、憔悴している様子すら他人に見せるのを躊躇った。

  親しい人に理由を話すこともできない。

  姉夫婦も人目を忍ぶように密葬して甥を見送ることにした。

  未だに事情を知らない地元の人間たちには、曖昧に「急死」とだけ

  答えている姉夫婦。

 その苦しみは女が察してあまりある。


  だが女の場合、事が起こる前から事情を知っていた。

 研究室のほぼ全員があかりに対して無視や暴言を吐いていたことを

 和哉の口から聞いて知っていた。

 

 和哉は言った。

 自分が嫌がらせに関わっていることを肯定した上で。


 「仕方ないよ。先生や皆と上手くやれない方が悪いんだ。それに

   これくらいのこと社会に出たらいくらでもあるだろ?」


  躊躇いもなくそう答えた言葉。それは呪いにも似て、発した本人に

  帰っていった。嫌がらせの主犯は和哉一人ということになっている。

  女がもっと真剣に事情を聞いていれば、解決に尽力すれば和哉は死なずに

  済んだのか。今となってはもう遅いが、悔やんでも悔やみきれない。

 

   和哉の話では、教授含め複数の研究室メンバーが関わってはずだ。

  傍観しているだけで、何のアクションを起こさなかった者だって、

  広い意味では加害者だ。

  それが主犯は和哉だけで、他の人間は全くお咎めなしの

  無罪放免というのは納得ができなかった。


  スケープゴート。

  前後関係は明らかにそれを示唆している。    


 「和哉も悪いけれど、他のメンバーだって同じようなことをしたから

   同罪だ」という本音は今も燻っている。


  やり場のない怒りは、自身を苛むだけだ。

  懊悩は続く。


  未練を断ち切ろうと、ずっと手元に置いておいた和哉の遺品を

  姉の元に返したりもした。

  女は自分でもこのまま過去に沈んでいるのが、良いとは思っていない。

  それでも依存する対象が、写真に変わっただけだった。

  以前は写真も辛くて見られなかったのだから、少しは成長した。

  そう思いたいが、心境は大して変わっていない。


  いつしか女は、ただ目的もなく生き続ける無限地獄に堕ちていた。

  出口のない罪悪感と恨みは、永劫の生き地獄を生みだし拡大していく。

  出口は一つしかないけれど、その勇気は未だ女にはなかった。

 


2


  姉の電話からこっち、感傷にふける傾向にあるようだ。
 時刻を確認すると、既に午後二時を回っている。
 慌てて写真を手帳のポケットに仕舞い、パソコンにログインする。
 起動するまでの間を有効利用しようと、午後便での郵便物を手に取った。
 
 広告に混じって封筒が1つ出てくる。
 封を切ると、中から手紙が出てきた。

 「初めまして。私は山瀬研究室の元院生です。和哉さんが在籍して
 いた当時在籍しておりました。当時の状況も鮮明に記憶にあります。
 和哉さんは、山瀬隆文一門によるアカデミック・ハラスメントの
 全責任を押しつけられて自殺しました。確かに彼はハラスメント
 加害者の一員です。ですが首謀者は彼ではない。あなたもご存じの
 通り、ハラスメント首謀者は山瀬隆文です。もみ消しの為に和哉
 さんはスケープゴートにされた。私自身も彼らから嫌がらせを
 受け精神を病み、研究の道を断念した者です。最近になりようやく
 病状が回復してきました。あなたさえ覚悟がおありなら協力いたします」

 最後には差出人として「協力者」と書いてあり、メールアドレスが
 記載されている。アドレスの末尾からフリーメールであること以外は、
 差出人の正体に繋がるものは見当たらなかった。

  封筒はごく普通の茶封筒であるし、文面も全て印字されたものだった。
 それでも
俄然女は興味を抱いた。この差出人の正体は知れない。
 だがあれだけ皆が見捨て、和哉の両親でさえ最終的には諦めたと言うのに。
 この差出人はまだ和哉のことを覚えていてくれる。

 執念深いだの忘れろなど、痛みを知らない人間が散々投げかけ傷つけてきた
 言葉が思い出される。和哉という名前を口にするだけで、今の女にとっては
 耳を傾けるに足る人物であった。


 だが一方で差出人が、山瀬研究室の関係者の可能性もあった。

 和哉との血縁関係は知られていないが、調べて判明し口封じにきた

 可能性もある。女が未だに遺恨を持っているのかどうか調べる為に。

 もし本当にただ協力しているとしても、この差出人に何の利益があると

いうのか。和哉の死について何か確信があってのことなのか。

女はひどく動揺した。


(もし本当に復讐ができるのだとしたら。私は‐)


 それでも女の持つ証拠は、生前の和哉の証言のみ。

 その和哉も亡くなり、五年も経過した今ではもう‐。

 自信がなかった。

 和哉が本当に首謀者で、自責の念がない故に他の人間も同様だと

 言い訳している可能性だって否定できない。


 結論を決めるのは、「協力者」と連絡を取ってから考えても良い。

 職場を知っている以上、あらかたの女の個人情報は既に入手している

 はずだ。今更逃げても仕方がない。

 それに女が後に残ることを意識した上でメールをやり取りし、

 そのメール履歴を保存しておけばいざという時に証拠にもなる。

 普段はヴァーチャルだけの付き合いは信用しないが

 今度ばかりはオンライン上の接触を、女は望んだ。

 

 何より当時の和哉のことを聞きだしたかった。

 不祥事で退学になった和哉のことを、あれこれ研究室の人間に

 尋ねるのは躊躇われ、結局聞けずじまいだったのだ。


 一瞬考えたのち、女は「協力者」と同じフリーメール・アカウントを

 作り、新アカウントからメールを送信した。 




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