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2


 目が覚めた時には、全てが終わっていた。

 誰もいない車内。

 先程までいたはずの朋谷も、後ろの男も。

 そっと後部座席を確認するが、誰もいない。


 トランクに潜んでいる男が頭を掠めたが、

 それを確かめる勇気は、野坂にはなかった。


 最後に思い出せる光景は-。

 横で震えている朋谷。

 左腕で羽交い締めする後ろの男が握るスタンガン。


 そして―指定された場所に辿り着いた途端に、

 電気の弾ける音と共に、訪れた強い衝撃をくらった。

 同時に訪れた暗転。


 正直何が起こっているのか、知るのが怖い。

 怖々周囲を見回すが、やはり先程と変わらぬ郊外の

 墓地だった。

 冷静に考えれば、運転席に野坂が眠りこけているのだから、

 移動していないのは当たり前だが。


 急いで110番をしようと携帯を探すが、どこにもない。

 抜かりなく取られてしまったようだ。

 祈るようにカーライトを使って、車のキーを探すと幸い

 エンジンに刺さっていた。

 再度車のロックを確かめて、野坂はゆっくりと車を動かす。


 フロントライトが照らし出したのは、

 意識が無くなる前と同じ場所-車は墓地を見下ろす

 小高い丘の上に駐車してあった。

 自然と墓地を見下ろす格好になる。


 朋谷を探すが、深夜に差し掛かっている時間帯のこと。

 周囲に街灯なんて気の利いた物はなく、様子はほとんど分からない。

 薄くつけたヘッドライトだけが、ぼんやりと前を照らす。

 丘と斜面の下にある国道とをつなぐのは、一本の舗装していない小道のみ。

 両側にガードレールもない小道だから急いでいても、慎重に前進する。

 ここで車が側溝にでも落ちたら、何の意味もない。


 車の斜め前ら辺にある林で、何かが影が動いた気配がした。


 ライトが届かなくて、良くは見えない。

 道幅は車二台がやっと通れるもの。まだ右に幅はある。

 車を少しだけ右側に傾けると、ライトはそれを照らしだした。

 宙に浮くヒトの体だった。

 着衣から直ぐに朋谷と分かった。

 首はダランと垂れ下がり、目に光はない。

 

 野坂は次の瞬間、絶叫しながらアクセルを思い切り踏み込んだ。

 とにかく前だけを見て運転した。

 やっと人家の灯りが見えるところまで来ても、鼓動は治まらず、

 独りでいることがとにかく恐ろしくて、ひたすら灯りを目指す。


 レストランの立ち並ぶ国道沿いまで来て、野坂は漸く少し落ち着いた。

 大きめのファミリー・レストランに車を停め、公衆電話の場所を聞く。

 そのレストランには電話が設置されていたので、通報した。

 恐怖と興奮で落ち着かない気持ちをを押し殺して、第一発見者としての

 証言や、調書を取るのに付き合っていると、すっかり明け方になって

 しまった。

 

 翌朝‐やっとのことで解放された野坂は、朋谷が亡くなったことを

 再認識した野坂は怖れと焦燥で、とても自宅に帰る気にはなれなかった。

 そこで費用はかかるが、ビジネス・ホテルに宿を取り、部屋に着くなり

 待ちきれないというようにベッドに飛び込み、横になる。

 

 でも一番恐ろしかったのは、男が知った顔だということだった。



3


  ホテルの薄いベッドマットに横たわっても、

 興奮しているのか目が覚めてなかなか眠れない。


 寝返りを打っていると、警察署で調書を取っていた時ことを思い出した。

 

 警察と共に再度現場に戻った野坂は、

 朋谷が縄を木にかけて、首を吊っているのを確認した。

 大木にかけた丈夫なロープで首を括り、足元には台代わりの

 古い木箱が転がっている。

 

 今日会ったばかりの人間が、夜には遺体で発見される。

 野坂は衝撃がまた

 遺体の状態はもちろん、朋谷が限りなく他殺なのではと直感したからだ。

 

「協力者」がターゲットにした人間が、次々に不幸に見舞われ、

 命を落として行く。野坂も何のおとがめもなくのうのうと生きている

 ターゲットたちを忸怩たる思いで見てたのだから、

 その転落に胸がすく思いがしていた。

 しかし良心が咎めて自ら死を選んだのではなく、殺されたのだとしたら。

 話は違ってくる。


 小田切は山で毒草を煎じた茶を誤飲したことによる自殺。

 佐々木は崖からの転落死。

 そして朋谷は首吊り自殺。


 野坂は、知らずにとんでもない罪を背負わされているのではないか。

 協力自体、罪深いものではないか。

 自分の行動を省みて、恐ろしくなり、顔面が蒼白になる。

 警官は怯える野坂を、遺体を発見したショックだと解釈し、

 気遣いながら、調書を書いてくれた。


 小田切と佐々木は、それぞれ自殺をしてもおかしくないような

 理由を持っていた。だからこそ野坂もその結末に納得をした。 

 それでは朋谷はどうか?

 確かに朋谷はハラスメント加害者として、処分されている。

 だがそれを理由に自殺するだろうか。

 

「遺体を発見した経緯を教えて頂けますか?」


 当然の質問だった。


 野坂が目覚めた時に居たのは、郊外にある古い墓地の駐車場。

 郊外とはいえ、交通の便が悪く、人家からも距離がある。

 街から墓地に通じる車道は狭く、その先は山に繋がり、林業関係者

 くらいしか利用しない。その為街灯も道沿いに二本あるだけで、夜に警察

と実況見聞に付き添った時には、墓地全体が暗闇に閉ざされていた。

普通なら地元の人間でも、あんな時間に近づくことなどあり得ない。

不審に思われても仕方がない。


しかし後部座席の男の顔を思い出すと……。


中々口火を切らない野坂を、警察官がゆっくりでいいからと励ます。

出されたお茶を飲んで少し落ち着いた野坂は、机の木目を数えるように

下向きのまま口を開いた。


「実は……」


 


4


 その朝、常川と優奈は携帯メールをもらった。

 差出人は野坂。


 一つ目は、朋谷が亡くなったと言うショッキングなもの。

 もう一つは、一連の事件の犯人が分かったので会いたいという

 内容だった。

 

 重要なニュースが二つも含まれていて、興奮さめやらない優奈を

 常川は学生食堂に連れて行った。山瀬のCOEプロジェクトに関わっている

 者‐つまりは研究室のほぼ全員は面識がある人間が自殺したという

 ショッキングなニュースは、軽々しく研究室内では話せない。   


 「おかしいですよね……。朋谷さん、昨夜は確かに誰かに怯えて

いましたけれど、自殺するような雰囲気ではなかったと思うんです。

むしろ生きることを諦めたくないって強い意思すら感じたのに」


朋谷は、自分や小田切たちを脅している人物に心当たりがあるようだった。

頑として口を割らなかったが、すぐにでも警察に保護を頼むと言っていた

矢先のことだ。


 「私昨日の事を警察に……」

  他殺の疑いがあれば、警察に情報提供すべきだ。
  今までの小田切や佐々木の死も、タイミング的におかしい。
  それも3人目となれば、おかしいと感じるのが普通だろう。


 「駄目だ」

 「どうして!あんなに怯えていたじゃないですか!何かあったんですよ」

 朋谷が怯えていた事情を知る者は、朋谷の職場にはいないはずだ。

 同級生で秘密を共有していた仲間たちも既に亡くなっている。

 なにより以前から解せなかったのだ。
 常川はいつも脅迫の件に関しては、なかったことにしようと努める。

 常川はなぜ言わない?

 たまに見せる正義感の強さと矛盾して、今日こそは問い詰めてやろうと

 優奈は語彙を強めた。


 「……一連の事件が自殺ではなく、犯人があの事件の関係者だとしたら、

  俺はとっ捕まって処罰されろなんて思えない。奴なりの正義で

  動いているんだ。それが社会通念では間違っていたとしても。最初に

  非道なことをして罰も受けない奴らを制裁した気持ちはわかる」


 「でも、皆がそんなことをしていたら、世の中滅茶苦茶になりますよ。

  もし人殺しで報いを受けさせていたのだとしたら。脅迫だって立派な

  犯罪なんですよ」


 「分かっている。でも俺は逃げた人間だから、そいつに意見する権利は

  ない。そいつは真っ直ぐに戦っている。自分を誤魔化していない。

  だから掴まって欲しくはない。

  その前に一緒に協力して、改悛させる別の方法を考えたい。

  俺だって加害者の一人だからな。知っていて逃げ出した。それは

  一生代えられない事実だ」


 優奈はとても賛同できなかったが、一旦保留にする。

 野坂が犯人を知っているのなら、それを聞いてから行動しても

 遅くはない。待ち合わせの三時まで、あらゆるシチュエーションを考えて

 やきもきした。


 場所は、恐ろしくて家に居られないという野坂が現在滞在している

 ビジネスホテルを指定して来た。その場所と部屋番号を教えてもらい、

 常川と二人で向かう。

 ホテルは正面に大きな川の見える五階建ての幅の狭い構造だった。


「野坂さん?」


 時間通りなのに、ノックをしても野坂は出てこない。

 部屋番号はあっているのに。念のためにドアノブを回すと呆気なく開いた。


「おかしいな。あれほど怯えているような文面だったのに、開けっ放しなんて」


 中の様子を伺いながら、中の動静を探る。優奈がきゅと常川の袖を引く。


 「様子がおかしいですよ……。警察に通報した方がいいかも……」


 常川は構わず、さっさと中を検める。

 優奈は中で野坂が倒れているのではないか。その犯人が傍で隠れている

 のではないかと、戦々恐々としながら、こわごわトイレとお風呂を

 確かめる。当然のように誰もいない。


 中は12畳ほどのベッドルームとテーブルが兼用の部屋と、トイレと

 バスルームだけの簡素な部屋。隠れるようなスペースはない。

 玄関からは短い廊下があって、その横にトイレとバスルームがある。

 その奥がベッドルームになるが、玄関からは、机しか見えない。角に

 当たる部分にベッドとテレビが置いてある。常川がどんどん奥へ入りこむ

 のと対照的に、優奈はまだ靴も脱がず玄関に立ちつくしていた。


 キイ。


 突然後ろのドアが開き、人が入って来た。


 「焔さん?」


 入って来たのは焔だった。

 

 「あのどうしてここに?」


 確かに一連の事件を少しばかりは聞きかじってはいいるだろうが、今回の

 話は人が死んでいる。それも限りなく他殺と思える方法で。此の事件は

 あくまで山瀬研究室内部で起こっていること。それを外部に漏らしても

 いいものなのか。


「置き手紙があるぞ」


 奥から常川の呑気な声がする。


 『警察の方から朋谷さんのことでお話しを聞きたいと言われましたので、

 申し訳ありませんがお茶でも飲んで、ここでお待ち下さい』


 テーブルの上には、確かに小さな盆の上に湯のみが3つと、この地方の

 名産のお茶のティーパックが添えられていた。ドアが開けっぱなしという

 のは不用心だが、貴重品も置いていないようだし、警察に呼ばれたのなら

 しかたないだろうと、皆茶を飲み待つことにする。


 「ああ。焔も少しは事情知っているもんな。そんなに深い因縁があるのなら

 初めから教えてくれればいいのに。水臭いな」


 「……」


 今日の焔は大人しいと言うよりも、死んだように話をしない。

 疲れているようにも見えないが、なんだか動作の一つ一つが億劫に感じる。

 優奈の嫉妬がますますあり得ない方に由来で行く。

 季節は既に秋だが、駅から歩いて来ると少し汗をかくというものだ。

 すぐに二人も用意されたお茶を飲んだ。


 数十分後、すっかり眠くなった二人はそのまま倒れ込んだ。

 ベッドの空いたスペースを分け合うように、常川と優奈は二人とも

 ほぼ同時に倒れた。少しだけ意識が無くなるのがおそかった優奈は、

 二人が倒れたのを確認するとゆらりと立ちあがるのをみた。


 そのまま優奈は意識を失った。

 


5


 優奈が起きた時、そこは病院のベッドだった。

 簡素な鉄パイプのベッド。

 少し殺風景な見覚えのない小部屋。


「良かったですね。怪我がなくて」


 看護師が親しげに話しかけてくる。


 「……どういうことですか?」


 体を動かすとなんだか固定されているようで、動かしにくい。


 「まだ動いては駄目ですよ。重症ではないですが、火傷を

  しているんですから」


 「他にも人がいたと思うのですが、その人たちは大丈夫ですか?」


 「ええ。お二人とも大丈夫ですよ。お一人はあなたよりも重症ですが、

  命に別条はありません。もう一方も奇跡的に軽微な怪我で済みました」


 優奈は、昏睡する前の焔の顔を思い出した。なにかを強烈に
 恨むような鋭い顔。
 
 「私たちはどうして病院に運ばれることになったんですか? ホテルの
  部屋で人を待っていただけなんですよ。それがどうして‐」

 看護師を問い詰めるが、上から口外しないように言われているのか、
 「詳しいことは分からないので説明は他の者がします」の一点張りだった。
 それでも少しは何か知っているだろうと粘ると、二人ずれの男が入って来た。
 病室は共同部屋だったから、他の患者の家族かと思ったが、真っ直ぐに
 優奈のベッドに向かってくる。

 「睡眠薬を飲まされた上、部屋に火を付けられたんですよ」

 見知らぬ訪問者は、さらっと物騒な言葉を挨拶代わりにやって来た。
 看護師はやっと解放されたと、すぐに別の業務に向かった。
 
 「……どなたですか?」

 男たちは警察の名刺を渡した。
 病室で話す内容ではないのか、場所を変えて話そうと提案して来た。

 「あなたと常川君、それに焔君は野坂さんにビジネスホテルに呼び出され、
  待っているうちに眠くなった。それで合っていますか?」

 「でもその後の事は全く覚えていません。私が知りたいくらいです。
  気が付くと病院で、何がなんだか分からない気分です……」

 「……あなた方は、睡眠薬を飲まされて昏睡させられていたようです。
  体内から睡眠薬が検出されています」

 優奈はあのお茶を思い出した。

 「その後で、火をつけられましたが、幸い早くに気付いた人がいまして、
  消火活動が進み、助かりました」

 そこで、と刑事は一旦話しを止めた。

 「あなたが部屋で待っていた人物の名前を、教えて頂けませんか?」
 
 この答えは重要な意味を持つのではないかと危惧しながらも、素直に
 優奈は野坂の名前を出した。

 他に野坂との関係を聞かれた。
 一連の脅迫に関わる騒動を話すべきかと迷ったけれど、
 とりあえず自分の大学のハラスメント相談所のスタッフであるとだけ
 簡潔に答えた。

 更に突っ込まれたら、小田切や佐々木の話をせざるを得ない。
 常川がなぜか隠したがるこの話題を勝手に話しても良いものか。
 緊張しながら、適切な受け答えをシミレーションする。
 
 しかし幸運にも案じていた割には、すぐに納得してた刑事は
 「分かりました」とあっさりと帰って行った。

 翌日、野坂がホテルに放火したと自供し、逮捕された。
 

6

 
 野坂が自首した‐。

 (野坂さんは初めから、私と常川さんを殺そうとして
  あのホテルに呼んだということ?)

 短い期間だったけれど、その間の野坂の性格を鑑みて、
 それはありえないと常川に相談しにいった。
 あのホテルで焼きだされた患者は皆ここで入院していると
 聞いていたので、看護師に尋ねるとすぐに教えてくれた。
 常川自身も優奈の安否を気にしていたそうで、
 どのみち看護師は居場所を伝えるつもりだったようだ。
 看護師によると、常川は男性患者の個室に収容されていた。

 「なんだ死んでなかったのか?」

 相変わらずの常川に、優奈はほっとしたような、懐かしいような
 不思議な感情になり、「はあ?」と強めに答えておいた。
 常川の身体は包帯がいたるところに巻かれており、見た目は
 結構痛々しい。

 先程新聞で見たことを告げると、常川も怪しんだ。
 
 「ありえないよな。どうして自分で放火した奴が、自分で消防に
  助けを呼ぶんだよ」

 悪態をつくように、常川は言った
 
 「そうなんですか?」

 警察はそんなことを、優奈に一言も行ってなかった。
 
 「自分で調べたんだよ」

 常川は嘯いた。

 「じゃあ誰かを庇ってるんでしょうか?」

 脳裏にあの焔の顔が思い浮かぶ。

 「警察もそれを睨んでいるけれど、本人の証拠と内容が全部一致
  してしまってるから、認めざるを得ないという方針だそうだ。
  今までの脅迫事件も全部自分がやったことだと認めたらしいし」

 「そんな!確かに野坂さんは芹沢さんのことで、大学側に恨みは
  ありますよ。でも殺して全部がチャラになるようなことでも
  ないんじゃないですか? むしろ謝罪して欲しいというスタンス
  だったはずです」

 「それも全部証拠を握っているんだよ。そんなに一度に
  いろんなことを、研究室と普段関わりの無い野坂さん一人で
  出来るとは思えないんだよな」

 どこか遠くを見ながら常川は言った。
 割り切れないものを感じているのは、優奈だけではないようだ。  

 
「昨日言っていた真犯人って、野坂さん自身の事だったん
  ですかね?」

 「現時点ではそうとしか推測できないな」

  納得できないながらも、現状を客観的に考慮した上で意見を言う。
  優奈はあの時感じた違和感について、意見を求めたかった。

 「やはり誰かをを庇っているのではないでしょうか?
  ……焔さんとか」

  意識が薄れる中映った、焔の形相がずっと忘れられない。

 「なんで焔が出て来るんだ?」

 「焔さん、私たちと野坂さんを待っていたんですよね。でも
  今回の火事でほとんど怪我もないし、全然顔を出さない。
  そもそも野坂さんとの関係だって、不明瞭だし」

 「焔とは学生アドバイザーの講習会で、野坂さんが講師をやっていた
  ときからの、知り合いだと言っていたよ」

 常川が自分よりも情報をもっているのを癪に思いながらも、
 不審に思う。

 「それだけの関係の人が、なぜ昨日呼ばれたんでしょうか?」

 「今までの罪を告白しようとでもしたのかな。学校側にもいつか
  ばれる日が来るからな。あいつは学生アドバイザーだし、最近は
  中心的に活動している。そっち関係に顔が利くからかもな。
  ……もしくは男と女の関係かもな」

 「違いますよ。駄目です!」

 「駄目ってお前。そんなの本人たちの勝手だろ」

  いずれにしろ納得はできない。
  常川の意見もおかしくはないのだが、もっと深い関係が
  二人の間に横たわっているとしか考えられない。
  あれこれ考えるが、全て常川に却下されていった。
  常川だって野坂の事を、深く理解している訳ではないのだが。
  あれこれ言い合っていると、以前病室に来た刑事がやって来た。

 

「こんにちわ。仲が宜しいですね」

  年配の方の刑事が、穏やかに話しかけてくる。
  野坂のことを聞くなら今かもしれない。
  満足できる答えを引き出すには、こちらも求められる質の
  答えを用意しなければと、気を引き締める。
  仕事なのだから、意図があるから病室を訪ねたに決まっている。

 「野坂さんのことですか?」

 「はい。放火についての動機がどうにも曖昧でして。
  甥御さんの事件で大学側に怨みを持っていたのは
  確かですが、5年経過した今になってどうしてか。
  ちょっと分からないのです。あなた方との関係もね」

 「俺たちは5年前のアカハラ事件の起きた、山瀬研究室の
  人間だからな。当時の生き証人かつ公正な物の見方をできる学生は
  俺だけだし」

  そういうと牢刑事はぐいっと前に身を乗り出して、ベッドに座る常川

の顔をじっと見つめた。

 「あなた5年前の事件当時、いました?」


  じろじろ顔を観察されるが、負けるものかと常川は睨み返す。


  「休学していたが、籍はあった」


  十分観察したのか、刑事は顔を離して豪快に笑う。


 「失礼、失礼。私も先輩と二人であの時の事件の捜査を担当して

いましてね。ほら、あのとき学生が腹を蹴られたとか、階段から

着き落とされたとか訴えていました事件」


 「ああ……」


  常川は思い出したことを肯定する返事をする。


 「土岐等さんを蹴ったり、階段から突き落とした人がいたんですか?

  酷い!酷すぎます!病人に暴力をふるうなんて。まさかその事件が

  うちの研究室で起こったんですか?」


  むしろ刑事の方が驚く。


 「この方、田中さんでしたか。5年前の事件の事はあまりご存じ

  ないようですねえ」

  



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