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「失礼します。学内新聞なんですけれど、取材お願いしてもいいですかあ?」


 学部生らしい女子が二人程、研究室にやってきた。

 皆何事だと彼女たちの説明を聞いてみると、現在学内新聞で夏の心霊

 特集の記事集めをしていて、例の開かずの部屋のことが話題になったという。


 あの場にいた大学院生が口を滑らせたのだろうか。それとも既に学内では

 話題になっていたことなのか。いずれにしろ迷惑なことだ。


「それで、つい最近も小田切先生が開かずの部屋に入って、

 行方が分からなくなったと聞いたので、本当か聞きに来ました!」


 皆顔を見合わせる。


 小田切が失踪して既に一週間が過ぎた。

 小田切の両親からの問い合わせで、失踪が分かったが経緯が経緯なので

 自分の意思で失踪したと思われていた。

 不正経理の件では国税局も動き出している。


 これ以上の不祥事は困ると、大学としては失踪の件を外部に

 漏らさないようにお達しがでているのだ。

 失踪したところで調査を免れる訳ではないが、それを苦に

 身柄の拘束を恐れて逃亡したとは考えられる。

 いずれにしろ外聞の悪いことであり、既に周囲には知られてしまって

 いるが、勧んで広めて良い話ではない。


「……今現在失踪している人がいるんです。無遠慮に尋ねてもいい

 話題ではありませんよ」


 ややきつすぎると思ったが、それでもこれ以上詮索されたら面倒なこと

 になる。この言葉に、彼女たちは黄色い悲鳴を出して、むしろ喜んだ。


 「じゃあ、本当だったんですね。うわあこれ、記事になりますよ。

  大スクープです!」


 「いや、説明はできないって」

 

 「いなくなったことが本当なら、まずはOKです。それで、こっちが本題

  なんですけれど、何年か前にこの研究室で、居なくなった人いましたよね?

  あそこの開かずの部屋に入ってから。あれってここの研究室の院生だって

  聞きましたけど。本当ですかあ?」


 「院生なんて、すぐに居なくなる生き物だからな。誰の事言ってんだ?」

 

  常川が代わりに答える。

  答えられないのか、面倒なのかスポークスマンの役割をさっさと任せて

  他の院生は自分の持ち場に戻ってしまった。

  横に居た別の女の子が、メモを見ながら答える。


 「何年か前に、肝試しをしてから、様子がおかしくなって、その後あの

  部屋に入って出てこなくなったとか」


 「ああ、塔堂のことか。良く調べたなあ。確かにそいつなら、俺が休学

  から戻ったら、居なくなっていたな。その時誰かがそんなこと言って

  いた。確かにその頃にそいつの両親からも電話かかってきたから

    覚えているよ」


 「随分長く、大学いるんですねえ。詳しく教えてもらってもいいですかあ?」


 「長く」と言う言葉に若干反応した常川だったが、まあ昔のことだしと

  話し出した。


  その学生は数年前に山瀬研究室の大学院生だった。

  お調子者で周りの反応を読むのが上手い学生。

  そいつがある日話題作りの為に、一人で殺人現場に肝試しに

  行ったんだ。


    当時この辺りでは連続殺人事件が起こっていてな。
  そのうちの一つが、ある別荘での集団殺人だった。
  期間はそれほど近くない。
  手口もバラバラ。ただ殺される理由が見当たらない人間ばかりが
  殺されている点で、共通していた。
  
  殺される前に何か異変が生じていた訳でもなく。
  人間関係のしがらみも、周囲の証言では見当たらない。
  人生で不遇な状況下にあったわけでもない。

  だから警察もそれぞれが通り魔的な単独犯の場合と、模倣犯を

  含めた複数による犯行とで区別して捜査していた。

  
  で、そいつがそこから帰って来てから、様子がおかしくてなった。
  異常に怯えているんだよ。誰かに見られている気がする。

  そんなことをいつも言うようになった。

  でもそいつがお調子者っていうのは皆知っていたから、雰囲気を

  出して、怖い話っぽくしたがっただけなんだろうと。
  だからあまり皆気にしなかったらしい。
  気が引きたいだけなんだと、そう思っていたという。
  
  そしてあの部屋に入った‐。

  「本当にそれ以降、姿が見られないんですか?」

  「それは本当だ。アパートにも帰っていないようだと

   両親から大学に問い合わせがあったからな」

  「それでその人は……」

  「退学になったかな? 休学届を期間全部使うまで待っていたんだが、
   結局帰ってこなかった。ご両親もいないのに授業料を払っても仕方
   ないからと、退学したよ」

 「その人は未だに見つかっていないんですか?」


 「さあな休学してから退学したからな。そこまでは知らん」

   

  これだけの情報でも彼女たちにとっては満足するに値するものだった

  らしく、ほくほくと帰って行った。

  一方で機嫌よく話していた常川は、憑かれたかのように物想いに

  ふけっていた。

                            

 


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 「俺はあの部屋が、5年前のハラスメント事件の鍵になって

  いると思っている」


  新聞部の学生達が帰って三十分ほど経過した頃、常川は

  優奈以外いなくなった研究室で、ぽつりと言った。


  怪談に登場する院生が失踪したのも、ハラスメント事件で

  土岐等が入院する直前のことだという。

   常川はその学生も良く知っていた。


  今回小田切に5年前の事件を公表せよと迫った犯人も、

  開かずの間に娘がいると、詐称した。

  これは偶然なのか、あの部屋であることに意味があるのか‐。

  
  「あの当時うちの研究室に所属していて、ハラスメントに

   関わっていない訳がない。加害者か被害者かは分からないけれど。

   そういう雰囲気だった。あいつはどっちにもなる可能性のあった

   奴だ。だからもし被害者だとしたら、いなくなった理由も……」


  「嫌がらせから逃れる為に、失踪した可能性があると……」

   

  「普通なら、そんな状態なら退学した方がいいだろう。

   借金をしているわけでもなし。あえてその道を選んだのだとしたら

   復讐に人生を賭けることもことも考えられないわけでもない。

   ……いや最悪の場合、いやさすがにこれはあり得ないか」


   常川が最後に漏らした言葉の意図は分からなかったが、

   もしその人物が復讐に回ったのだとしたら、説明が付く気が

   した。


  「じゃあ、その人が失踪してどこかにいて、小田切先生を脅していた

   と言うんですか? でも、流された噂では、土岐等さんと芹沢さんの

   ことしか聞いていませんでしたよ? もし復讐したいのなら、自分に

   したことへの言及をまずは要求するんじゃないですか?」


  「犯人は5年前の事件の真相を知り、その上でその内容を広めたがっている。

   この条件に合う人間の一人に過ぎないというだけだ。思った以上に闇の

   深い事件かもな」


   小田切への攻撃は単なる序章にすぎないのかもしれない。

   常川は空恐ろしい宣託をする。


  「ま、なんにしろ、成功だったな」

  

  急にくだけた口調で小田切は言う。


 「?」


 不思議そうな顔をして見せると、常川は馬鹿にした目つきで言う。


  「まだ分からないのか? この怪談噺を作ったのは俺なんだよ」


  「はあ?」


  驚きが怒りに変わる優奈。

  それではさっきの取材に常川オリジナルの捏造話をしたということか。

  瑣末な記事だが、それでも嘘は駄目だろう。

  優奈が咎める視線を寄こすと、常川は慌てて否定する。


 「嘘じゃない。本当にあそこの部屋に入ってから、そいつは消えたんだ。

  それだけだと皆の記憶から忘れられるだけだ。だから怪談話に仕立てて

  忘れられないようにしたんだよ」


 「怪談として残しておけば、ずっと忘れないで伝わって行くだろ。

  そうしたら誰かが真実を解明しようとするかもしれない。

  そう思った。例え自分が解決できなくても」


 常川は満足そうに、そう告白した。



20


 

 小田切が失踪した分増えた仕事は、山瀬がカバーすることになり、
 山瀬が研究室に顔を出すのは一層減って行った。


 「山瀬先生は、本当に良い先生ですよね。あの事件の事にも触れず、

  黙って小田切先生の尻拭いをしてあげるなんて。なかなか出来ること

  じゃないですよ」


 常川は呆れたように言う。


 「お前は本当に山瀬を気に行っているんだな。老け専か?」


 「はあ? 変なこと言わないでください。私は尊敬しているだけですよ。

   そのために何年もかかってこの大学に入学したんですから。それから

   指導教官を呼び捨てにしないで下さい」


 「お前なあ。あまり理想を押しつけると、後で泣きをみるぞ」


 「常川さんみたいに、理想も何もない人間の方が可哀そうですよ。

  尊敬する人もいないでしょ?」


 「俺は俺を尊敬しているからな」


 心底うざったそうに常川の相手をする優奈。

 当然研究室内での会話なのだが、誰も会話に入ってこようとはしない。

 小田切失踪当初は、大いに動揺していた研究室だったが、

 小田切不在の研究計画を新たに練り直したのか、今では滞りなく全ての

 業務が進んでいる。

 

 偶に誰かが、「今頃どうしているのだろう?」と呟くくらいだ。

 そんな中、常川は独自に小田切の行方を探していた。


 「別に小田切の為ではない。あくまで加奈さんの為だ」と嘯く。


 小田切の失踪以来、加奈はすっかり自責の念に苛まれている。

 自分が冷たくしたせいだと落ち込み、ご飯も喉を通らない。

 幾度も着信があったのに、無視してでなかった。

 そのせいで小田切は将来を悲観して自殺しているんじゃないかと。

 義両親ともそのことで揉めていると、零していたと常川は言っていた。


 居場所を知っていそうな人間の第一候補は、佐々木だった。

 あれだけ一緒に居て、佐々木は不正経理の責を問われないだけでなく、

 今や小田切の代役まで果たしている。

 怪文書の記述が正しいのだとすると、佐々木は5年前のハラスメント事件

 にも大部分で関わっているはず。

 小田切が自分の意思で失踪したにしろ、脅迫者に攫われたにしろ

 何かを知っていると考えるのが自然だ。優奈も常川の読みには賛同する。


 だが何度聞いても佐々木は知らないと言うし、むしろ公表された

 小田切と犯人の会話のせいで、迷惑を被っていると主張したらしい。

 

 「脅していた奴の目的は果たしたんだ。これ以上小田切に危害を加えた

  ところで、リスクしか生じない」


 心当たりを全て探しても小田切が見つからず、半狂乱の加奈に、

 常川はそういって慰めていた。

 縁もゆかりもない土地で、一から人生をやり直しているのなら、

 見つけようがない。探すだけ探したら、後は小田切が連絡する

 気になるのを待って、祈ることしか加奈はできなかった。

  

 その数週間後、小田切は発見された。

 他県の山奥深く。

 登山姿のまま山道に倒れていた。


 登山客に発見された遺体は、鑑定によって小田切のものとされた。

 死因は中毒死。

 山に自生している有毒の植物を煎じた茶が、水筒に入っていて

 それを飲用したことによる中毒死だった。


 遺書もないが、争った形跡もない。

 一連の職場での不祥事や、家庭問題でも悩んでいたとの証言から、

 自殺と断定された。

 

 時は流れ、あの自殺した学生のように人々の記憶は曖昧となり、

 大学は次の候補者を探した。下で待機している候補者は山ほどいる。

 その中で結局選ばれたのは、山瀬研究室OBの佐々木が後釜に座った。

 既に学内の同じCOEの助教でもあり、山瀬の強い推薦から手続き上は

 さしたる障害もなく就任した。


 佐々木は山瀬教授の下修士、博士と学位を進めてきた女性で、

 着任と同時に、ハラスメント相談員を兼職することとなった。

 心理士ではないが、大学内について詳しいと言うことで抜擢

 されたらしい。

 

 アカデミック・ポストを狙っているポスドクはいっぱいいるので、

 佐々木は相当運が良い。後継者を迎え、時は何事もなかったかの

 ように流れていく。

 

 新緑の季節は深まり、すこしずつ季節は巡っていく。新たな季節が

 始まろうとしていた。



21


 老人が柄杓と桶を、墓場に続く細道を歩く。

 いつものように既に墓には花が生けてあり、焼け落ちた線香の残骸が

 残っていた。墓の周囲の草も綺麗に抜かれている。

 また来てくれたのだなと、老人は頬を緩めた。


  その日の夜-。


 明るすぎる太陽が眠りにつく頃を盛りとする、夜の社交場では、

 今日も嬌声がそこかしこから聞こえる。

 焔はオーナーだが、店が忙しかったり、昔の馴染みから指名されれば、

 フロアに顔を出すこともある。


 「ねえ、前のどうだった? 好評だった?」


 グラスで乾杯をした後に、女は急かすように問う。

 当然答えは、一つしか認めないつもりだけれど。

 

 「ええ。大好評でした。やはりサヤカさんに頼んで良かった」


 目をじっと見つめて言うと、女は頬を染めて下を向く。

 

 「そっか。良かった」


 気合いを入れた服が、通い慣れた客でないことを示している。

 

 「ちょっと電話が。失礼します」


 「女の人?」


 「まさか仕事の相手ですよ」


 むくれるサヤカに苦笑しながら、焔は代わりにと新顔を紹介する。

 

 「彼は元々営業畑にいたのを、僕がスカウトしたんです」


 慣れない仕草で名刺を渡したのは、紛れもなく大学の調査委員会で

 小田切を告発した男だ。今は焔に誘われ、夜の繁華街で第二の人生を

 歩んでいる。

 情けないだの散々罵られた顔は、繊細な顔として、女性客からの

 人気も上々だ。


 サヤカも直ぐに気に入ったらしく、すぐに隣に座らせた。

 二人が話し始めるのを見届けると、焔は自室へ移動した。 

   

 「上手くいきましたね」

 

  自室のソファーに座って、ナンバーを確認するとかかって来た

  電話は、天原からだった。

  誰もいない自室だが、念のため声を潜める。

  自室に営業スマイルは必要ない。

  本来の仏頂面に戻る。


 「お前の番はこれからだ」


  最小限の一言で切ろうとすると、珍しく天原は食い下がる。


 「あの人には会わせてくれないの?」


 「必要が無い。必要以上の接触はトラブルの元だ」


 「……そういうことにしておきましょう」


 「油断するな」


 「はいはい。そっちこそ盗聴器の回収は終わったんでしょうね?」


 「当たり前だ」


  押し殺したような笑い声が、なんだかむず痒くて、焔は今度こそ

  携帯電話を切った。

  そして天原と初めて会った時のことを思い出す。

  ただ天井だけ見ていた頃の面影は、今はない。

  口には出さないが、焔は天原の強さには一目置いている。


 (あれが笑うようになるとは)


  感慨深いものを感じながら、ポケットに携帯を仕舞うと

  待ち人に会いに向かった。


  今日もまだまだ夜は長い。



1


 その日も後援会を回っていると、いつもと同じく十時までかかって
 しまった。選挙を控えたこの時期は、東京での業務の忙しい父親の
 名代として、矢越が代役を買って出ることは恒例となっていた。
 もちろん将来の来るべき立候補も視野に入れている為、自分の名前を
 売ることも忘れない。自分にとっても、父親にとっても重要な仕事だ。
 
 勧められた酒のおかげで、良い具合にほろ酔い気分で事務所に帰ると、
 最後まで残っていたのは、矢越と同じく秘書の田勢だった。
 矢越よりも2歳ほど年若い田勢は、民間企業から移転して来た変わり種だ。
 その分仕事を覚えようと人一倍仕事をしている。

  必然的に一緒に過ごすことが多くなった。

 仕事が遅くなった時には、矢越が田勢を駅まで送ってやっている。

 仕事熱心な田勢は、そんな時までも仕事の話だ。

 ほろ酔いとは言え、自身もワーカホリックな矢越はこの会話すらも

 楽しめる。神経質で仕事熱心だが、仕事以外では抜けているところもあり、

 一緒にいるのは楽しい。歳が近いせいかもしれない。


  今も荷物を取りに来たついでに来ただけのつもりが、他愛もない

 話題で話し込んでしまう。

 携帯が鳴らなかったら、もう少し続けていただろう。

 着信を告げるメロディに、急いで相手を確認すると芽生だった。


 半年後の結婚式の衣装合わせについての相談だ。


 矢越にとっては瑣末なことに過ぎなかったが、女性にとって

 どれほどの意味があるのか分からないほど無知ではない。

 次の日曜日に、ウエディングドレスの衣装合わせに行くことを

 約束して、電話を切った。


「……婚約者さんから、ですか?」


「ああ。結婚式の衣装合わせに付き添えってさ。面倒だけれど」


 そう言いながらも矢越は嬉しそうだった。

 ドレスなんて全部似合うに決まっている。それよりも結婚すると言う

 事実の方が重要だった。


「結婚、本当にするんですか?」


 矢越の言葉を遮るように田勢が尋ねる。


「……うん? ああ。当たり前だろ」


「澄真さんは、本当にその人のことを知っていますか?」


 「矢越さん」と名字で呼ぶと、父親と混同して紛らわしいので、

 事務所では下の名前「澄真(とうま)」と呼ばれている。


「……何のことだ?」


「もう一度よく考えた方がいいかもしれません」


「お前が芽生の何を知っているんだ?」


 思わず怒鳴りつけてしまった。職場で滅多に声を荒げる事などないのに。

 だが芽生は婚約者だ。婚約者を侮辱されて黙っている男などいるだろうか?


「……一般論ですよ」


 だが田勢は少しも怯まない。


「僕ももうすぐ結婚するんです。式は挙げませんがね」


  先程までの朗らかな雰囲気はどこへやら、田勢はそれだけ言い捨てると、

 「失礼します」とやけに他人行儀な科白を残して、さっさと帰ってしまった。


  いきなり途切れた歓談の場に、矢越は気分を害したというよりも、

 狐に包まれた気分になる。

 田勢はあまり感情を表に出すタイプではないのだ。

 いやそれ以上に、結婚するという報告に驚いた。

 全く浮いた話がなかったのに。

 色々な意味で衝撃的で、ふわふわとした頭のまま、矢越は帰路についた。

 

  帰宅してメールをチェックすると、芽生から2通メールを受信していた。

  衣装合わせが楽しみだということ。

  最近仕事で忙しくて会えないから、結婚して毎日会いたいということ。

  絵文字を使った文章に、添付ファイルで今日作ったという煮物の写真も

 送ってくれている。


(後悔なんてするはずがない)


 矢越は改めてそう思った。

 



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