閉じる


<<最初から読む

92 / 139ページ

4


 「そのままでいいのですか?」


居酒屋で管を巻いた後、閉店になり仕方なく一人で帰る帰り道。

ふと朋谷に似た体形の中年を見かけて、腹が立ち小石を蹴る。


「くそ、あのクズ!」

 

 石に当たっても気は晴れず、近くの公園のベンチに座る。

 大学に持参している水筒を出すと、ぐいっと飲んだ。

 たくさん飲んだが本気で酔えない。

 風鈴の音が聞こえて夏の訪れを感じる。

 

 もう何度目になるか。

 要領がわるいのだろうな。 

 今もこんなありえない不幸に押しつぶされそうだ。

 

 最低限の事だけをこなして、何もやる気が出ない。


 「動くのなら、早い方がいい。あなたは一週間も無駄にしてしまった」


 近づいてきた黒衣の男が言った。

 先程から居ることは知っていたが、まさか自分に用事があると

 思っていなかった学生は慌てた。


 「あんた俺の事知っているのか?」


 「はい。あなたの論文が盗用されそうなこともね」

 

  あっさりと言うと、男は「ここいいですか」と断りを入れて、

  学生の隣に座る。どこか酒の匂いがする。

  この男もどこかで飲んできたのかもしれない。


 「大学の皆は誰も信じてくれないけれどな。俺が盗用したことになって

  いるよ。学生の言うことよりも、先生の言うことを聞くのが普通だから

  仕方ない」


 「……それで、あなたは盗用したんですか?」


 「していない!するわけがないだろう!大体俺、先生の研究を盗もう

  だなんて考えたこともなかったよ」


 「……じゃあ、やることは一つですね」

 

 それからたっぷり二時間程、学生は男と話した。

 周囲の景色は少しだけ色を取り戻した。



5



翌日から学生はとにかく書き続けた。

  CDRがない今、資料を片手に再現する。同じ内容にならぬよう

  多く補足をつけては、毎日とにかく書き進める。

  大学で書き進めているが、機にさとい先輩たちからは、

  あからさまな手のひら返しを受けているが、それを

  気にする余裕もない。


  卒業論文の受け取りを盾に、理不尽な研究結果を

  横どりされたのが一週間前。

  修士論文の締め切りは二か月後。

  論文に要した時間は一年半。

  横どりされた論文を、教授が投稿する学術雑誌の締め切りは一か月後。

  既に提出されていたら、もう間に合わない。


 今は一瞬でも時が惜しい。  

  

  無駄な努力であっても、許せない物は許せない。

  友人たちは教授との話し合いを付ければいいと言っていたが、前みたいに

   どうせ騙されるだけだ。盗作に甘んじようが、どうだろうが、

   卒業論文で不利益な扱いを受けることは目に見えている。

   やるだけやって実績づくりをするのが先だ。

 

   その様子を院生たちから聞かされるたびに、朋谷は落ち着かない。

  腐るのでもなく、憤るのでもなく、前向きに努力する。

  その真っ直ぐさと、まともに向き合えない。

 

  反省はしていない。

   仕方なくやったことだ。

   それでも学生が眩しくて、自己嫌悪が募る。


  先日もらったあのプリントも頭を過る。

   朋谷のCOEに参加しているが、この大学では唯一人。

  『共犯処罰規定』。

  この言葉が頭から離れない。  

 

   通常はCOEのメンツとも顔を合わせる機会自体少ない。

  それでも何とも胸がざわつく。

  この流れが遠く、この大学まできたのなら、自分は処罰されるのだろうか。

  当の宗教授は、気にすることもなく、着々と学生の論文を盗用する準備を

 始めているが、本当にこのままでいいのか。

 正義感だけではない。

 自己防衛本能が、警告を鳴らしているのに、耳を傾けるべきか。

 朋谷は深く悩む。




6


 

「こちら山階新聞の記者の山根と申します。そちらの大学の宗教授の

 論文に盗作疑惑が持ち上がっているんですけれど、コメントを

 頂けましたらと」


  朝一番に大学広報部にかかって来た電話は、まさに嵐をおこした。

 すぐに本人への聞き取りが行われることになり、大学は事実確認へと

動いた。つい最近学生の起こした詐欺事件で、世間に悪いイメージが

ついてしまった最中のこと。この手のダメージは最小限にしたい。


すぐに調査が始まり、本人のところにも一時間後には連絡がいった。

 朝一番の電話はひどく心臓に悪く、宗は青ざめた。

 早期に手を打たなければ。独りごちると、すぐにどこかにメールを

 打ち始めた。


 「本当ですか?」 

 

 事務ではもう受理したという。

 

 「はい。行き違いがあったようで、改めて確認したところ前回の

  内容で修士論文の執筆を進めるようにと連絡がありました。

  これまでの経緯は責任をもってこれから調査します。

  お手数をかけて申し訳ありませんでした」


 今までの冷たい対応とは真反対のその電話を、

 有徳は信じられない気持ちで受けた。


 「おっしゃああ」と誰に言うわけでもなく、一人暮らしのマンションの

  一室で雄叫びをあげていた。念のため実家に帰らずここでふんばった

  甲斐がある。


 辛かった。

 あの公園で会った男のアドバイスを聞いておいて良かった。

 心底そう思った。

 

 何があった? いや何でもいい。理由なんてどうだっていい。

 あのままの内容でいいというのであれば、有徳はすぐにでも

 論文を提出できる。

 希望があれば、締切などどうということはなかった。


 翌日‐。


 「どうして私が事情を聞かれなければならないんですか?」


 朋谷は大学事業部に呼ばれていた。

 理由を聞かされずに呼び出された為、不安はあったがそれは想像以上の

 ものだった。


「あなたが学生の修士論文を故意に学術雑誌編集部に渡し、

 学生に盗作の疑惑をかけて、学生を退学に追いやろうとした

 という報告が来ているんです」


「虚偽の報告? その学生は教授の書いた論文を自分の書いたものだと……」


 宗のアカハラを協力したのは事実だが、率先して進めた事実はない。

 追求された時のストーリーも既に、宗との間に出来ていた。

 まるで事実のように、その物語を聞かせる。

 証拠となるCDRもこちらが握っている。

 あちらがバックアップを取っていたとしても、同じ内容が2つあれば

 条件は五分五分のはず。

 朋谷は臆することなく話す。こういうことは院生時代にもあった。

 堂々としていればたいていの事は受け入れられる。

 

「教授と意見が食い違いますね」


 事務の人間によると、宗はあなたに担当を割り当てていた論文を

 もらって共同研究として引用しようとしたところ、不審な点が

 あり確認したと。


 「そうしたら学生の修士論文を朋谷さん、あなたが盗用して自分の

  業績にしようとしたとか。彼の退学騒動もことの露見を恐れて、

  仕組んだと、先生は言っています。これについてはどう思いますか?」


 切られた。

 

 朋谷が教授から見放され、むしろ身代わりにさせられたことを理解する。

 同じような末路の奴を確かに、朋谷は知っていた。

 だがこのまま濡れ衣を着せられるわけにはいかない。


 「宗教授です。教授が其の学生の論文を盗用しようとして、

  私にそうするよう仕向けたのです」


 「何か証拠はあるんですか?」


 証拠……はない。証拠が残らないように口頭でお願いされただけだし、

 詳しい内容も全て密室での会話だ。用心深い宗に指示されて素直に

 それに従った。


 やった。やっていない。

 これでは水掛け論だ。宗もそこまで分かっていて、あくまで朋谷が

 自主的に犯罪行為を行っているように仕向けたのだ。


 「……証拠はないようですね。判断は上層部が出しますので、それまでは

 謹慎処分となりました。……マスコミが動いています。ご自身の行動には

 くれぐれもご注意下さい」

 


7


 当然朋谷は宗に、抗議に行った。
 いくらなんでも自分の咎を全て人のせいにするなど
 やっていいことと悪いことがあるはずだ。
 倫理的にどうこうだけでなく、「盗用」というのは性的犯罪
 と同じくらいの致命傷になることを知らない訳ではないだろう。
 
 これ以上の面倒事はごめんだと、朋谷は抗議に向かう。
 ややこしいことは避けてきたが、さすがにこれはないだろう。
 マスコミに晒されれば半永久的に傷が付くこともありうる。

 直接宗の研究室を尋ねると、宗は罰の悪そうな顔をして 
 席を勧めた。

 「私に怒っているのだろうね?」

 「当然です。私一人に責任を押しつけるつもりですか? 
  先生の論文盗用疑惑は既に調査が始まっています。今までの件も
  全て露見します。潔く認めたらどうですか?」

 「それはできない。あと数年で退職なのに、ここで退職金を逃しては
  家族に面目が立たない。それに今まで私は盗用などしていない。今回
  が凌げれば問題はない」

  朋谷が講師として採用されて、数年。
  その間にも確かに宗は学生から成果を奪ってきて、朋谷はその度に
  協力して来た。半ば慣習と言って良い。発表されていない論文なら
  いくらでも言い訳が出来る。学生が論文を先に作成したと言う証拠だって
  余程騒がなければ闇に葬られてしまう。事実今までそうやってきた。
 
 「俺はどうなるんですか? こんな不名誉なことで処分されたら、今後に
  響くんですよ」

 「悪かった。だが私は強要はしていない。君個人の自由意思で乗った
  話だ」

  そう。確かに宗は何かを盾に、協力を迫った訳ではない。
  それでも主犯のこの男に、何の罰も与えられないなんて。
  朋谷は誓約書を出した。
 
 「今回は罪を被ります。その代わり対価を下さい」

 「そんな後に残ることは御免こうむるよ。そんな証拠を残すのは
  君にとっても不利なんじゃないか?」

 「……じゃあ今まで先生のしてきたことをマスコミに話します。事務にも
  話します。こうなったら一蓮托生です。俺だけ処分されるなんて冗談
  じゃない」

  宗は険しい顔で朋谷を睨み、威嚇するが、朋谷も引くことは出来ない。
  人生がかかっているのだ。
  数分の思案の後、宗は渋々その誓約書にサインをした。

  誓約書をもらうと、朋谷は急ぎ大学事業部へ急いだ。
  こういうことは時間が命だ。
  先程事情聴取をした係員を呼び出し、大至急話したいことがあると
  申し出た。彼はこのスキャンダルの担当に任命されたようで、
  忙しそうだったがすぐに話を聞こうと、部屋を用意してくれた。

  朋谷は先程の誓約書を取り出し、見せたうえで今まで宗と協力して
  宗の学生からの盗用に協力して来たことを話した。
  抜かりなく、まるで宗に学内上下関係によって強要されたかの
  ようなニュアンスを漂わせることを忘れない。

 「……分かりました。この資料も参考にさせていただきます」

  (これで形成逆転だ!)

  朋谷はやっと人心地ついて、朝食を食べる気力を取り戻した。


8


  裁定は翌日出された。
  
 「件の教授は脅されていただけであり、盗用していたのは
  朋谷講師である。彼は教授が編纂している本の該当部分の為に、
  学生の修士論文を盗用し、それを教授に看破された。それが誤解
  されて伝わったものである。その後も教授に圧力をかけて、
  誓約書を強要までした。よって強要罪と論文盗用の件で、
  停職3カ月する」

 (どういうことだ……。どうして、どうして俺だけが罪を被る?)

  直接言っても埒が明かない。
  宗と事務方の双方に、抗議のメールをする。
  マスコミには既に報道されているらしく、名前は表に出ないものの
  学校の公式発表にはそのまま掲載されてしまった。

  事務からはすぐにメールが来た。
  しかし内容は処分を執行する為の手続きと、公式発表の内容が
  淡々と書かれていただけ。
  宗に至っては、無視を貫いている。
  大方昨日約束した、なんとかもみ消そうと努力すると言う約束も、
  全くやっていないのだろう。代わりに自己保身をしたことは直ぐに
  分かった。その結果がこの判決だ。

  処分が下った後、家で作業するのに必要なものを取りに行っても
  同僚たちの態度は酷くよそよそしいものだった。
  温厚な人柄の多い同僚たちは、いつもの態度に少し余所余所しさが
  感じられるだけで、その話題を持ち出す者もなかったが、義憤に
  駆られている教員も数人いて面と向かって説教をくらったりもした。
  当然大学側からの叱責もある。
  
  それを遠くから申し訳なさそうな、自分だけ助かって良かったと安堵
  しているのか良く分からない、曖昧な笑いを浮かべた宗が見ている。
  それがひどく不快で‐しばらく自宅で作業をすることに決める。
  
  朋谷は自分の研究室に逃げ込むと、2か月分の事務仕事に集中した。
  もうしばらくは学校に寄りつきたくもなかった。
  全部終わるころには夕方になっていた。
  事務が終わる直前に、何とか出すことが出来た。
  帰ろうとすると、事務に「ちょっと待って下さい」と言われ、
  数分して男がやってきた。
  見覚えのある男だ。

  (あの時の正義面した奴!)

  「COEの焔と申します。今回の件はうちのCOE内でも
   事案にあげて行こうかと思います。今日はその件で
   事情を尋ねに参りました」

  「何?俺は無実……ではないが、主犯ではない! あの規定だと
   COE内部の問題だけを事案にするんだろ?これはうちの大学内部
   だけの問題だ」

  「ですが今回は既にCOE内部の問題にまで発展しているのです」

  そこで件の学生、有徳が現れた。

  「どうして君がここにいる?」

  いや自分の学科だからいてもおかしくはないのだが。
  タイミングが良すぎる。

  「先生、俺COEに入ったんっすよ。二週間ほど前からね。だから
   俺があんたを訴えた」
  

  焔は事務方の人間ではないし、そもそも他大学の院生にすぎない。
  でも一連の流れはどうみても不自然だった。
  共犯処罰協定に、COE内規則の設置。
  自分は嵌められたのか。
  朋谷は目の前の人間たちが、グルとしか思えない。

 

 

 「……正体を見せろ」


  泣きっ面に蜂の報告に、俯きながら朋谷は呻くように言う。


 「正体を見せろおお」


 大音声で焔の胸ぐらをつかもうとする。


 「もうやめて下さい」


  女性の事務員が異変を察して、悲鳴を上げる。

  年配の男性事務員が出て来て、その手を掴みおごそかに言った。


 「先生、学生に暴行するのは見過ごせません。ご自分の将来を真剣に

  考えてはいかがでしょう」

  

  朋谷は圧倒的に分が悪いことを自覚して、首を掴んでいた手を下ろす。

  焔は乱れた服を正すと、「ご覚悟ください」と切れ長の目で朋谷だけに

  聞こえる声で言った。


  やはりこの男は、食えない。

  直感は正しかったと、朋谷は再認識した。





読者登録

Lavendulaさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について