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 「申し訳ありませんが、個人情報につきお答えすることはできません」

 判で押したような想定内の反応に、調査員はやはりと大人しく
 引き下がるしかなかった。

 5年前のアカハラ事件を探る為に、ハラスメント相談室に来ては
 みたものの、全く埒が明かない。典型的なお役所仕事だ。
 もっとも個人情報保護に厳しくなってきた昨今、そんなにすんなり
 いくとは期待していない。

 当初の計画通り、当時の関係者から事情を聞くしかないようだ。
 調査員は待ち合わせのメモを鞄から取り出し、まだ在学している人物に
 話を聞くことにする。対象者と現在同じ研究室に在籍しているのだから
 慎重に行かなければ。
 再度構内見取り図を確認すると、その人物が待つ食堂へとゆっくり
 歩いて行った。
 

 調査員の動向を覗き見ていた女は、すぐさまメールを送信する。
 相手の名は、「協力者」。
 メールを受け取った男は、すぐに行動を開始した。

 
坂道をメインキャンパス方面に引き返していると、運動部の掛け声が
 聞こえてくる。若さが溢れる音が遠い昔の学生時代を思い出させ、
 珍しくノスタルジックな気分で調査員は脚を運ぶ。
 目当ての大学院棟まで来ると、掛け声も聞こえなくなり、調査員の
 脳は仕事モードに切り替えた。


 待ち合わせの食堂に向かうと、ターゲットは待ち切れなかったのか

 既に食事を始めていた。呼んでいない筈の女子学生まで、ちゃっかり

 同じテーブルに座っている。


(まあ、聞き取りできる人数は多い方がいいが……)


「あ、きたきた、こっちこっち!」


 男の方がかつ丼を食べながら手を振っている。


「お先に頂いています。すみません、私まで」


 謙虚なことをいいながらも、女子学生の前の2つのトレイには、

 ここぞとばかり食べ物を乗せている。

 刺身。ステーキ丼。パフェ。肉じゃが。


(独りで全部食べるのか?)


 背が低く、痩せた型なのに、たべっぷりは気持ちが良い程だ。

 男の方も、かつ丼の大盛りの横に、いくら丼とてんぷらを置いている。


「いえいえ、大勢の方がいろいろと……」


「そうだぞ、せっかくの機会なんだから、がんがん食べろ。この人が

 全部払ってくれる」


 一緒に食事でもしながらお話を伺いたいと言ったし、

 話してくれる以上昼食代くらいは支払う気持ちはあった。

 だが無関係の女子学生にまで払う気は、全くなかったのだが。

 

「本当にありがとうございます!今日は吐くまで食べます」


 奢りだと信じ切っている目を、失望させる訳にはいかず、

 仕方なく、調査員は全学支払う覚悟を決めた。


(これって経費で落ちるのだろうか……)


 調査員は絶対に元をとる決意をした。


 二時間後‐。

 思ったよりも収穫があったことで、痛んだ懐分は元をとることが出来た。

 目を付けた人選が良かったことが幸いした。

 自画自賛しながら調査員が駐車所へ向かうと、

 駐車場の脇から現れた男が一人、声をかけてきた。
 街灯の影になってはっきりと顔が確認できないが、
 まだ若い。学生のようだ。
 
 「5年前の事件について調べていらっしゃるのでしょう? 協力して
  差し上げますよ」

 「あんたは、誰だ?」

 「僕は5年前の事件の生き証人ですよ。教えてあげますよ。
  あかりさんのことも、主犯たちの事もね」


9


 「5年前のアカハラ事件は、例のブログの通りの経過を辿っていました。

    被害者は亡くなりましたが、直接の死因は持病なので、それほど

    大きな騒ぎになりませんでしたが、芹沢さんへの公的な処分が出たので、

  大学でその記録に当たることができました」

 

   確認の為に書類を見せてもらうと、やはり公的な記録には、

  芹沢以外の名前は出されていない。一方的に芹沢が土岐等に嫌がらせを

  しかけて、他の者たちはそれに気付いてはいたが、皆芹沢が怖くて

  言い出せなかったと理由を付けられている。芽生の主張と同じだ。

  教員達は気付かなかったことが悔やまれると、述べている。

  

 「退学処分後、芹沢さんはフェリーから投身自殺を図って亡くなりました。

  遺書には、退学処分を受けて将来を悲観したことが自殺理由として

  書かれていたそうです」

 

  家族にも調査を試みたが、息子が迷惑をかけたにも関わらず最期まで

  良くしてくれた山瀬研究室に感謝していた、と調査員は暗にこの家族が

  復讐を企むなど考えられないことを仄めかす。

    

 「それに対してこれが……被害者遺族が大学当局側に提出した、

  アカハラの具体的な内容と、その経緯です。当時の被害者を知る

  人物から入手しました」

 

  細かな記録が、ハラスメントの悲惨さを浮き彫りにする。

 そこには芽生や小田切が、芹沢以上にアカハラ行為を積極的に行っていた

 と記されている。芹沢が関与していたことには変わりはないが、芽生と

 小田切の印象がまるで違う。音源での会話とほぼ同じだ。 

 

 「それと小田切さんが脅されて例の録音を行われたと言われましたが、

  その時脅されていたのは、小田切さんだけではありません。芽生さんも

  脅されていました。こんなものが無記名で研究室に送られてきた

  そうです」

 

 小田切の名前と芽生の名前。それに『アカハラサツジンシャ』と

 書かれている。『サツジンシャ』という言葉に重みがする。

 

 「結論としてはどちらを信じるのかは、矢越さん次第です」

 

 当然矢越は公式発表を信じたいが、細部まで記述された証拠にも

 信憑性がある。少なくとも後者が正しいと信じて、芽生を怨んでいる

 者が存在する。

 
 「引き続き調査を続行しますか?」

 

 「……お願いします。次は現在の芽生について」

 

 いつまで、どんな結果が出るまで自分は調査を続けるつもりなのか。

矢越は自分が婚約破棄の決定的な理由を探したいのか、芽生という人間を

もっと知りたいだけなのか、自分でも分からなくなってきた。

見極め時が分からないまま、ただまだ終わっていない気がして、

調査の続行を命じる。

 

アカハラ。本音らしき下世話な会話。不正経理。

匿名の郵便で知らされたことからして、悪意を感じる。

綿密に計画された悪意に、芽生が捕らわれただけだとしたら。

止めを刺そうとしている矢越は、非情な断罪者に他ならない。

芽生は、哀れな冤罪の贄。

 

外野を気にして、愛する者を切り捨てるのなら、ハラスメントを

する卑怯な人間たちと変わらない。

無記名で機を図って芽生に不利益な証拠を送って来る人間が、信用するに

足る根拠は何か。それこそ単なる嫌がらせではないのか?

常識的な脳は、婚約者を信じよと諭しているのに、

次から次へと現れる証拠は、芽生への疑惑を膨らませる。

矢越の考えはまとまらない。

 

 更に一週間後。

 

 つかの間の平和の日々に感謝しつつ、矢越は次の報告を待った。

 調査員が報告する。

「芽生さんは、不正経理に関与していた可能性があります」

 

 最近自殺体で発見された小田切が、大学内で不正経理疑惑で処分を

 受けており、その際の再調査により芽生にも関与が疑われているらしい。

 その後に調査員は、あくまで学内での調査段階ですが、と慎重に断りを

 入れた。

 

 「小田切さん死後、助手に着任したのが芽生さんです。今芽生さんは

  当時の元業者の営業マンに、何とか証拠をもみ消してもらえないかと

  口説いているようです」


 そう言って、その元営業マンが小田切の讒言によって退職した経緯と、

 小田切の不正経理問題についての資料を渡してくれた。隠蔽を試みている

 以上、いくらかの真実を含んでいるのだろう。少なくとも不正経理への

 関与は疑わしい。


 調査はここで一旦停止することにする。

 これまでの調査結果から二人のこれからについて、矢越はゆっくり考えて

 みることにする。


 芽生の方は、そんな余裕などあるものかとばかりに、連日パソコンにも

 携帯にもメールが来る。

 「誤解だ」「話を聞いてほしい」「自分も脅されていて怖い」と

 繰り返すが、自分が金づる扱いされて、矢越にはとても出る気には

 なれなかった。

 

 「今まで黙っていたけれど、小田切君と一緒に脅されていたの。私怖い。
  時間があったら少しでいいから会って下さい」

 

 これは本当だろうか? 信じてもいいのだろうか? 動かぬ証拠を

 見つけられて隠滅を図っただけなのでは? 何とか言いくるめて結婚に

持ち込もうとしているだけなのかもしれない。

 こうして待っているだけだと疑心暗鬼はどんどん膨らむ。

 一度気持ちを確かめるために、矢越は芽生に会うことにした。



10


 九時にいつもの和食レストランで待ち合わせる。

 芽生はいつも以上に着飾って現れた。

 だがその表情は暗い。

 

 食事をしながら芽生は涙を見せる。

 ハンカチでそれを拭う様も計算なのではと思いながらも、

 もし本当であるなら無慈悲なことをしたと罪悪感もする。

 しゃくりあげながら芽生は近況報告をする。


 特におかしなことは起こっていないこと。

 それでも小田切の件が怖くて戸締りには気をつけていること。

 会えなくて心細かったこと。いつもメールに書いてくることを

 そのままなぞっているような内容だった。


 件のCD-ROMについて尋ねると、まるで別人のように

 感情的になった。


 「確かに私の声だけど、編集して繋げてあると思う。あんな会話

  した記憶がないもの。私は被害者なのよ。幸せをぶち壊そうと

  狙われているの。相手が誰かも分からない。怖くてたまらないの」


 前の音声データを聞いても冷静に対応した芽生とは思えない程、

 弱々しい。矢越はそれでも聞くべきことは聞かねばと、あえて心を

 鬼にして聞いてみる。


 「じゃあ、どうして警察に相談しないんだ?」


 「それは……余計なことをすると逆上させてしまいそうで……」


 矢越には理解できなかった。

 逆上した時のことを考えて、警察に行くべきだろう。

 芽生はその言葉を覆うように、急に切れ出した。


 「ずっと怖くて悩んでいるのに。それなのに私を慰めもしないで、

  こんな大変な時に距離を置くの? 自分が巻き込まれたくないから?

  前言った夫婦になる為に助け合うって嘘だったの?」


 強い調子で詰る。いつもの甘えるような猫なで声の面影はなく、

 きんきんと頭に響くがなり声に身が竦む思いがする。

 周囲の客に迷惑にならないか、矢越はひやひやした。

 実際何人かが、野次馬根性丸出しで、こちらの様子を伺っている。


 矢越が期待していた反応を見せなかったことに不満だったのか、

 芽生はぐすぐすと、しゃくりあげた。

 今までにない芽生の様子に、さすがに冷たすぎたかと反省する。

 だが一方で。

 

 (勘弁してくれよ……。どうせこれも演技なんだろ?)


 そう思ってしまう。

 あんなに矢越が幸せ唯中に居ると信じていた頃、芽生は自分を

 裏切るような発言をしていたのかもしれない。

  

 「それじゃあ誰が芽生にこんなことをするんだ? 芽生の言う通り

  だとすると、こんな悪戯相当悪質だぞ。こんなことされる

  心当たりはあるのか?」


 「……ない。ないわ」


 「じゃあ横恋慕している男でもいるのか?」


 婚約者にストーカー。

 それはそれで薄気味悪いが、今の状況から考えると

 その方がずっと気が楽だった。

 

 「何、ヤキモチ妬いていたの?」


 急に機嫌が良くなり、涙が引っ込む。

 思っていたよりも愛されていると勘違いしたようだ。

 また泣かれると困るので、話題を変えつつ、近況を探る。


 「本当に嫌がらせはしていないんだな?それじゃあ小田切君とは

  どうして度々会話をしていたんだ?何か打ち合わせでもする必要

  があったんじゃないのか?」


 音声を切り貼りしたものだとしても、全体で3時間はゆうにある内容だ。

 そういえばつい最近まで芽生はCOEの仕事を理由に、帰宅が遅かった。

 今だってCOEに入っているのに、帰りはずっと早い。

 あの時間は小田切と会っていたというのか。


 「COEの仕事で、遅くまで残っている時。昔からの知り合いだから

  話が弾むことだってあるでしょう?」


 「それはまあそうだけど。その人とは何も関係はなかったんだな?

  死んだ人の事を疑いたくはないんだけれど、一応確認のために」

 

 「それはない。絶対にない」


  笑いながら芽生は言った。

  「だってあの人結婚していたのよ」と。


  その日は結局、次の約束をさせられた。

  疑問はまだ残ったままだったが、芽生のペースにはまり

  うまく聞き出せなかった。

  議員になるには答弁の技術も必要だというのに。

  父親から及第点をもらうには、まだまだ道のりは遠そうだ。

  矢越は更なる精進を決意した。

 


11

  

  事の始まりは、山瀬の実験補助を引き受けたことに端を発する。

  一週間に一日だけ。

  しかも尊敬する山瀬教授直々に、実験を任せてもらえる。

  優奈がこれに飛びつかない訳がなかった。

  

  今まで担当していた先輩が、好条件で就職することになり立った

  白羽の矢。

  周囲の学生達は既に様々な職についているので、入学したての

  優奈にもチャンスが回って来た。その内容を聞くなり、優奈はすぐに

  承諾した。


  普段から山瀬への尊敬の情を隠さない優奈には、山瀬もご満悦のようで

  優奈はその日をいつも楽しみにしていた。業務もそれほど難しいもの

  ではなく、COEの仕事にも差し支えることはない。

  仕事のある日は、山瀬が昼食を奢ってくれる慣行もあるようで、

  一気に距離が縮まった気がして、優奈にとっては理想の職場環境だ。

    

  仕事が始まって三回目くらいの頃だろうか。

  山瀬と学生食堂でご飯を食べていると、佐々木がトレイを持って

  混ざって来た。そして二人が中が良くて羨ましいと優奈を嬉しがらせた

  上で、佐々木は提案した。

 

  「先生、この子に私の授業の手伝いもお願いしていいかしら?」


  COEの仕事もあるので一旦は断ったものの、佐々木は「労働時間は

  それ程多くないからと強引に誘い、山瀬もそこまで言うのならどうか

  などと言うので、成り行きで引き受けることになってしまった。


  後で常川に聞くと、時間単位の給料は高いが、定期的に拘束される

  ことと他の職種の方が割がいいことで誰もやりたがらないバイトだ

  と言う。山瀬の前で良い恰好をするのではなかったと、早くも優奈は

  後悔し始める。


  業務内容は主に佐々木の授業の補助。授業にも出席して授業の進行を

  手伝ったり、学生の相談を請け負ったりもする。

  話を聞く限り、気抜けする程やることは少ない。

  時間も少なく、COE仕事に影響することもなさそうだ。


 (先生たちの信頼が買えたと思えば、悪くはないか……)


  そう思いなおした。

  自分の勉強にもなり一石二鳥のはずなのだが、すぐに苦痛になって来た。

  原因は佐々木の態度の急変だ。

  


12


それはアルバイト初日から始まった。


あまり話したこともなかったこともあり、緊張しながら授業が

行われる教室に行った。時計で確かめると、授業の始まる10分前。

念のため持って来たのは筆記用具と、時計、プリントなどを取り

まとめるホッチキス。実験をする授業ではないと聞いていたので、

これだけ準備してあれば大丈夫と踏んでのことだ。


 佐々木がそろそろ来たので、お辞儀をすると、昨日とは打って

 変わった渋い表情。何か悪いことをしたのかと不安に思っていると、

「鍵は?」と言われた。


山瀬の前では、詳しいことは明日から説明するから何も準備しなくても

良いと言われていた。大学では教室を使用した後に施錠する決まりに

なっているので、その時間ごとに教室を予約して鍵を取って来るのが決まり。

言わなくてもやるべきだろうとやっておいた。事務局の側でも他に教室を

使う人もいなかったし、間違いないと確認した上でのことだった。


「どうぞ」


 そう答えると、あきれ果てたとでも言いたげな短い嘆息をすると、

 手元から鍵を出した。


 「それじゃない。今日はいつもと違う教室でやるの。今日は私が持って

  来たからいいものの、次からは気を付けてよね」


 「……」

 

 佐々木が苛々しながら説明するには、教室が代ったのは前回の授業中に

 決まったことで、いちいちメーリングリストでは連絡していないとの

 ことだった。それ位は言わなくても確認しておけと小言を加えた後で、

 吐き捨てるように、言う。


 「それから、その鍵他の人が困るから、早く返しに行って」

 

 確かにそうだと急いで鍵を事務に返しに行きながらも、佐々木の前回

 とのあまりの態度の違いに戸惑いを禁じえなかった。

その予感を裏切らないかのように、教室に戻っても佐々木の不機嫌は

治らない。優奈に対してだけ。

学生には笑顔を振りまいて授業をするのに、ぼそっと優奈に対してだけ

きつめの言葉を呟く。


「パソコンとスクリーンの用意は?」


もちろんこの指示も今まで言われていない。


「すみません、すぐやります」


言われて、慌てて準備しようとすると、またもや馬鹿にしたようにに言う。


「それくらい言わなくても、普通分かるでしょ?」


小さな声で吐き捨てる。

学生に愛想が良い分、その落差が身にしみる。


何が気に障ったのだろうか‐ 優奈はその授業中これ以上怒られない

ようにすることだけに集中した。

 

「田中さん、バイトと言ってもお金もらっている訳だから、きちんと

 準備しないと駄目だよ」


あまり言葉を交わしたことのない先輩から、突然優奈は忠告された。

なんのことか分からず、単純にバイトへの心構えだと思い

「気を付けます」と答えたが相手の薄い反応に嫌な気配がした。


自分の反応が気に入らなかったのか、明らかに不愉快だと言いたげな

表情が、嫌な予感をもたらす。

 その日から研究室の様子が変わっていった。

 挨拶はしてくれる。でも何かが違う。昨日までの関係性が決定的に違う。

 それが何かは、分からないけれど。


 僅かな雰囲気の違い。


 些細な変化だからこそ、理由を聞くことができない。

 

「お前、大丈夫か?」


 誰もいなくなった研究室で、常川が唐突に尋ねてくる。


「何がですか?いつもと変わりませんよ」


 核心を疲れた気がして、つい苛立ってしまう。

 口にしたら真実になりそうで、絶対にそれを漏らしたくはなかった。


(気のせいだ。なんでもない。今になって少しホームシックなだけだ)


「あまり無理するなよ。愚痴があるなら聞いてやらないでもない。

 ただしお前のおごりで」


「何でもないです。しつこいですよ」


 常川だけはいつもと変わらない。

 でもそれも今のところ。明日になったら常川も変わってしまうかも

 しれない。常川は他につるんでいる者もいないと安心していたけれど、

 一番の古株。謎のネットワークを学内に持っている。


 常川すら疑わしく感じる今、山瀬と居る時だけは前と同じでいることが

 出来た。佐々木のバイトを疎かにはしなかったけれど、山瀬と居る

 時間が自然と多くなっていた。山瀬の傍で嫌なことを言う人はいない。

 研究室で人目に触れぬ場所で、違和感に触れる方がずっと

 嫌だった。

 

 佐々木の授業がある日は本当に憂鬱だった。

 初日の失敗は慣れてないゆえの失敗であり、自分にも原因があると考え、

 丁寧にメモを取っては、同じ失敗をしないように、優奈は気を付けた。

 佐々木が教員になってから初めての授業補助とは言え、配慮の足りない

 自分が悪いと反省して、毎回万事に備えた。

 

 だが万全に備えて授業の運営に関して、何も言うことがなくなると、

 それ以外のことで文句を付けるようになった。

 

 丁寧に機材を扱えば、「やることが遅い」と怒られる。

 練習して手早く操作すれば、「いい加減に操作するな」と小言を言われる。

 授業の内容を記録するのも優奈の仕事なのだが、それも毎回言われた

 ことを直しても、なんだかんだ言ってケチを付けられる。指示が正反対の

 こともしばしばで、何を信じて良いのか分からない。

 

 それでいて山瀬や他の院生の前では、優奈と仲の良い振りをする。

 その一方で、陰で優奈への不満を誇張して言いふらしているらしくて、

 一方的に悪く思われている。優奈自身入学してまだ間が無いので、今までの

 信頼の貯蓄で矛先を逸らすことができない。

 

 佐々木が何を意図しているのか全く分からなくて、優奈は佐々木にひたすら

 恐怖を感じていた。




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