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1


 その日も後援会を回っていると、いつもと同じく十時までかかって
 しまった。選挙を控えたこの時期は、東京での業務の忙しい父親の
 名代として、矢越が代役を買って出ることは恒例となっていた。
 もちろん将来の来るべき立候補も視野に入れている為、自分の名前を
 売ることも忘れない。自分にとっても、父親にとっても重要な仕事だ。
 
 勧められた酒のおかげで、良い具合にほろ酔い気分で事務所に帰ると、
 最後まで残っていたのは、矢越と同じく秘書の田勢だった。
 矢越よりも2歳ほど年若い田勢は、民間企業から移転して来た変わり種だ。
 その分仕事を覚えようと人一倍仕事をしている。

  必然的に一緒に過ごすことが多くなった。

 仕事が遅くなった時には、矢越が田勢を駅まで送ってやっている。

 仕事熱心な田勢は、そんな時までも仕事の話だ。

 ほろ酔いとは言え、自身もワーカホリックな矢越はこの会話すらも

 楽しめる。神経質で仕事熱心だが、仕事以外では抜けているところもあり、

 一緒にいるのは楽しい。歳が近いせいかもしれない。


  今も荷物を取りに来たついでに来ただけのつもりが、他愛もない

 話題で話し込んでしまう。

 携帯が鳴らなかったら、もう少し続けていただろう。

 着信を告げるメロディに、急いで相手を確認すると芽生だった。


 半年後の結婚式の衣装合わせについての相談だ。


 矢越にとっては瑣末なことに過ぎなかったが、女性にとって

 どれほどの意味があるのか分からないほど無知ではない。

 次の日曜日に、ウエディングドレスの衣装合わせに行くことを

 約束して、電話を切った。


「……婚約者さんから、ですか?」


「ああ。結婚式の衣装合わせに付き添えってさ。面倒だけれど」


 そう言いながらも矢越は嬉しそうだった。

 ドレスなんて全部似合うに決まっている。それよりも結婚すると言う

 事実の方が重要だった。


「結婚、本当にするんですか?」


 矢越の言葉を遮るように田勢が尋ねる。


「……うん? ああ。当たり前だろ」


「澄真さんは、本当にその人のことを知っていますか?」


 「矢越さん」と名字で呼ぶと、父親と混同して紛らわしいので、

 事務所では下の名前「澄真(とうま)」と呼ばれている。


「……何のことだ?」


「もう一度よく考えた方がいいかもしれません」


「お前が芽生の何を知っているんだ?」


 思わず怒鳴りつけてしまった。職場で滅多に声を荒げる事などないのに。

 だが芽生は婚約者だ。婚約者を侮辱されて黙っている男などいるだろうか?


「……一般論ですよ」


 だが田勢は少しも怯まない。


「僕ももうすぐ結婚するんです。式は挙げませんがね」


  先程までの朗らかな雰囲気はどこへやら、田勢はそれだけ言い捨てると、

 「失礼します」とやけに他人行儀な科白を残して、さっさと帰ってしまった。


  いきなり途切れた歓談の場に、矢越は気分を害したというよりも、

 狐に包まれた気分になる。

 田勢はあまり感情を表に出すタイプではないのだ。

 いやそれ以上に、結婚するという報告に驚いた。

 全く浮いた話がなかったのに。

 色々な意味で衝撃的で、ふわふわとした頭のまま、矢越は帰路についた。

 

  帰宅してメールをチェックすると、芽生から2通メールを受信していた。

  衣装合わせが楽しみだということ。

  最近仕事で忙しくて会えないから、結婚して毎日会いたいということ。

  絵文字を使った文章に、添付ファイルで今日作ったという煮物の写真も

 送ってくれている。


(後悔なんてするはずがない)


 矢越は改めてそう思った。

 


2


 田勢も気まずかったのだろう。

  翌日、田勢は自分と他のスタッフ一人で残業をすると言い張り、

  半ば強引に帰るよう押し切られた。

 納得しにくい理由だが、素直にその日は早めに帰ることにして、

 矢越は久しぶりに芽生の家に行くことにした。


 芽生の家は事務所のある街の中心部から、歩いて三十分ほどの

 マンションで独り暮らしをしている。

 芽生は今月から既にアカデミックのポストに着任し、

 引き続きCOEプロジェクトに参加しているのでそこそこ多忙だが、

 事前にスケジュールが決まっている。

 不規則な矢越のスケジュールに彼女が合わせてくれたほうが、

 効率が良いので、今日の急な来訪にも芽生は嫌な顔をしなかった。


「初めて作るからあんまり自信がないけれど、どうぞ!」


 謙虚なことを言いながらも、言葉の調子だけは威勢が良い。

「悪くないよ」と返す。大げさに喜んだ芽生は、そのまま最近

 あったことなどをとりとめなく話し続けた。

 それに織り交ぜるように、さりげなく尋ねてみる。


「……芽生は、本当の俺のことを知っている?」


「うん!? 何それ?」


 出会って三年。お互い交友関係は広いので、それを辿って

 紹介されているうちに知り合った。初めはノリがあって一緒に

 いると楽しくて。何度か会ううちにどちらともなく二人だけで会う

 回数が増えていった。

 

 何事にも手を抜かないその姿勢にも共感できた。

 芽生は、大抵のことは要領よく何でも人並みにこなす。

 だから料理も決してまずくなることはない。


「知っているよ。それとも何か秘密でもあるの?」


「そうじゃないけれど。……芽生はどうなんだ?」


「実は……」


 いきなり深刻そうに俯く芽生。


「まさか……」


「なんてね。何もないよ。残念だけれど。毎日あったことを

 話しているじゃない」


 やはり田勢は自分を妬んでいるだけだったんだ。安堵の余り芽生を

 抱きしめる。

 鼻先をかすめる髪からは甘い香りがした。


 ピピピピピ。


 芽生の携帯電話が鳴った。芽生は送信相手を確認すると、隠す

 ように携帯を無造作にハンドバックに突っ込んだ。


「ごめん。学部の学生の子。さっき話したでしょ? 私今学期から

 学生のハラスメント相談員を担当しているの」


 先ほどまでの雰囲気はどこへやら、芽生はさっさと外出の支度を始める。


「それでもこんな時間にまで携帯電話で、相談をもちかけるなんて

 非常識じゃないか?」


 時刻は既に十一時を指そうとしていた。

 

「本当にごめんなさい。緊急なの。この埋め合わせはまた今度」


 その後姿を見て、矢越は芽生の将来どんな教師になるのか見える

 気がした。

 


3


芽生のマンションで食事をしてから数日後。


 いつもと同じ朝。

 変わらない職場。

 それが一変した発端は、田勢の挨拶からだった。 


「おはようございます。先生が応接室でお待ちです」


 いつも通りの澄ました声で、田勢が要件を告げる。

 今でも矢越は忘れない。

 ドアの向こうに覗いた世界は、不信と悪意が渦巻く世界への

 入口であったと。


  入室して早々に、父親は開口一番切り出した言葉に、

 矢越は驚いた。


「お前は芽生さんがどういう人間かちゃんと分かっているのか?」


 意味が分からず戸惑っていると、父親はドアを開けて田勢を

 部屋に呼んだ。数日前の帰りに田勢が言った言葉が蘇る。


「本当にその人のことを知っていますか」


 芽生が何をしたと言うのか。

 芽生は自身が職業を持っているので、事務所の仕事を手伝うことは

 稀だ。それでも結婚したらきちんと支えてくれるだろうし、

 そう信じている。それが不服とでもいうのか。

 矢越の不安を余所に、田勢は予め用意をしてあったUSBメモリを

 パソコンにセットする。


 音声だけが再生された。

 内容は二人の男による質疑応答で、二人の役割は固定していた。

 答える役割の男の声で語られるのは、一人の女子院生に対する

 ハラスメントの数々。

 ハラスメントの加害者であることを認めた男は、他の加害者の一人

 として芽生の名前を挙げた。


 「こんなの唯の中傷ですよ。誰だか知らないけれど、この男が自分だけ

  罪を被るのが嫌で、無理やり芽生を巻きこんだに違いない。こんな

  酷いことをする訳がない。お父さんだって芽生に会ったことがあるの

  だから分かるはずです。だから結婚を許してくれたんでしょう?」


 「賢く立ち回れるし、外見も悪くない。いささか表に出過ぎる

  嫌いはあったが、お前の選んだ相手だし無難な選択だと思ったんだが。

  これは良くない。意味は分かるな?」


  椅子のアームにおいた指を、人差し指だけ上下に動かしている。

  苛々している父の癖だ。

  相当不機嫌なことを、矢越は理解した。


 「……本当だったとしたら、確かに問題です。でもそもそもこれは

  どこから手に入れたんですか? 信頼できる情報なんでしょうか?」


  父が合図をすると、田勢が小さな白い封筒を応接机の前に置く。

  父親の東京の議員会館に届いたと説明を受ける。

  封筒を宛名だけで、差出人は書いていなかった。

  

 「これだけではない。他にもある」 

 

  父の言葉を受けて、田勢が無言のままパソコンを操作すると、

  個人用ブログの画面が出てきた。

  今聞いたばかりの、5年前のアカハラを追求するのを目的とし、

  その細かい経緯が掲載されている。

  加害者として告発されている小田切、佐々木、芹沢の犯した

  ハラスメント行為とその経緯を、時系列を追って書かれている。

    

 「このブログにも、同様の音源があり、誰でもダウンロードできる

  ようになっています。ただしネットの方は、個人名や大学名などは

  音声処理されております」


  名誉毀損で告発されることを恐れて、ぎりぎりの線で

  告発しているのでしょうと、田勢が説明する。


 「インターネットの情報だけでは、怪しいものですよ。偽の情報を

  ネットで流す愉快犯だっています。これだけで決めつけるなんて、

  お父さんらしくありませんよ!」


 「そこまで言うなら、お前が嘘だと証明しなさい。それが出来るまでは

  結婚は延期だ」


 「選挙前にご迷惑をおかけして申し訳なく思います。ですが、

  いくらお父さんでも僕の結婚にまで口を出されるのは……」


 「選挙のことはこの際いい。本当だったとしても、反省している

  ならそれで良い。過去ではなく、今がちゃんとしていれば何も

  恥じることはない。だがもし真実かつ反省もしていないようなら、

  私は……その人間を心から軽蔑する」


  父親は真っ直ぐな性格故に、若い頃は世の中の汚れた部分を受け入れ

  られず、随分と苦労した。年齢を重ね、ある程度の折り合いを付けられる

  ようになっても、根っこの部分は変わらない。

  こんなに感情的になっているところを見るのは、久しぶりだ。

   

  「真実かどうかが問題じゃない。こんな噂が流れること自体が

   問題なんだ。結婚したいのなら自分で解決しろ」


  幸せから一転、矢越は窮地に立たされることになった。

  今日は国会議員の父親自ら後援会回りをやるので、付き添う必要が

  ある。父親の監視の下、その音源について触れられないかびくびく

  しながら後援会回りをした。


  いつも正々堂々と生きてきた矢越にとって、後ろめたい気持ちで

  他人に接するだけですっかり疲れ切ってしまった。


  家に帰っても父親がいると思うと憂鬱で、事務所で伸びていると、

  田勢が帰って来た。

 

 「今日も残業か?」


 「ええ。やることはいくらでもありますから。それよりも家に帰ったら

  どうですか? 久しぶりの親子水入らずでしょう」


 「いいよ。あんな話聞かされた後じゃ、水入らずも何もない」


 「そんなに気になるのなら婚約者さんに、直接尋ねればいいのでは?」


 「明日会う予定だから、その時に聞くよ」


 「信じてはいらっしゃらない?」


 「そうじゃない。ただの中傷だ。そう思っている。その後の処理だよ。

  自分のことならともかく、他人の事だ。どんな背景があるか、どんな

  考えをもっているのか。そこから始めないといけない。この忙しい

  時期に。タイミングも最悪だ」


  珍しく愚痴を吐く矢越に、目を丸くする田勢。

  その顔を見て、何事か思い出した矢越はバツが悪そうに謝る。


 「……この間は悪かった。田勢はあの音源の事知っていたんだな。

  それで俺に忠告してくれていたんだ。知らなかったとはいえ

  怒鳴ったりして悪かったよ」


 「いえ。お気になさらず」


 機械のように、作業を開始する田勢。

 こいつは本当に感情がない奴だな。

 そういえばもうすぐ結婚すると言っていた。

 そのことを尋ねると、少し恥ずかしそうに「そうです」と言った。

 

 「相手は誰なんだ。俺の知っている人か?」


 「秘密です」


 「なんだよ。教えろよ」


 友人同士でふざける調子で詰め寄ると、田勢は言った。

 

 「また前と同じ失敗は繰り返したくないんですよ」


 何かを決意したかのように田勢はそう言った。 



4


 待ち合わせの時間に芽生のマンションに行く。

 元気に「は~い」と応答すると、すぐに扉を開けてくれる。

 芽生の顔が覗くと共に、シチューの温かな匂いが鼻に届く。

 いつもと全く変わらない快活な様子で、椅子を勧める。


 てきぱきとテーブルをセッティングする手に迷いはなく、

 どこにも疾しいところがあるとは思えなかった。

 

 (やはりあの噂はデマじゃないのか?)


 昨晩、自宅で確認したあの音源の内容を思い出す。

 芽生と二人の男子学生が一人の女子学生に、嫌がらせをしていたこと。

 中でも芽生は、彼女の持病を理由に強圧的な態度をしていたこと。

 甲斐甲斐しくシチューをお椀によそっている芽生が、そんなことを

 するとはとても思えない。普段から子どもが好きだと言ったり、

 かわいらしいキャラクターが好きな芽生に、そんな一面があるなんて。


 だがわずか数週間前に出来たばかりのブログの閲覧者は

 急ピッチで伸びていて、何者かの意図を感じずにはいられない。

 少なくとも芽生を公然と非難しようと憎む人間は、確実に存在する。


 質問自体が芽生に失礼な気すらする。

 さっさと質問を終わらせて、解放されたい。

 芽生は笑い飛ばしてくれるはずだ。

 それともそんな酷い中傷を受けたことに、泣いてしまうか。

 矢越は芽生が否定した時に、どう対処するかだけを考えた。


 食事の用意を手伝い、一緒に食卓を囲む。

 相変わらず料理の腕は確かだった。

 おいしいし、見た目も悪くない。

 食事を終えて、食後のコーヒーを飲む。

 とりとめのない話をしては、笑い声を上げる芽生との空間。

 

 この雰囲気を壊さないように、と矢越はあくまでさりげなく

 尋ねる。


 「昨日ネットで妙なページを見つけてね。君の知っている人の事が

  出ていたんだ」


 「ふうん」


  芽生の反応を観察するが、特に異変はない。

  普通に目の前のクッキーを摘まんでいる。

  その様子にほっとしつつ、尚も矢越は押す。

 

 「ちょっと一緒に見てくれないか?」


  返事を待たずに、矢越は自然な動作でアイフォンを鞄から取り出し、

  昨夜見たあのサイト画面を呼び出す。

  またもや閲覧者数が飛躍的に伸びている。

  芽生の方に画面を向けて、中身を確認させる。


  芽生は真剣な面持ちで画面をスクロールするが、その表情からは

  何も読みとれない。熱心に見てはくれているが、感想は言わなかった。

  矢越も感想を聞くのが、芽生の気持ちを知ってしまうのが怖い。


  芽生の気持ちを聞かないままに、矢越はあらかじめmp3に

  落としておいた音源を再生する。

  念のため後日ブログから削除されないように、

  デスクトップに移しておいたのだ。

  一緒に聞くのは心苦しかったが、生の反応を知りたかった。


  芽生は自分の名前が出た時だけ、小さな声で「え」とも「あ」とも

  つかぬ半分ため息のような声を出していたが、取り乱すことはなかった。

  それが余計に緊迫感を生みだす。


 「……これは本当の事か?」


 「嘘のところと、本当のところがある」


  矢越の質問に、極めて冷静に芽生は答えた。

  大声で取り乱されたりはしなくて、ほっとした。

  落ち着いて話し合うことが出来る。


 「本当のところは、一人の学生、この芹沢君が女子学生をいじめて

  いたこと。その時に仕事を押し付けたり、病気のことをからかって

  いるのは見たことがあるわ。これだと私が言ったことになっている

  けれど」


 「じゃあ嘘の部分は……?」


 「私と小田切君の部分。私と小田切君は見ていただけなのに、

  一緒になって土岐等さんにひどいことをしたみたいに言われてる。

  5年も前の事件だから、証拠を出せと言われると困るけれど」


 「じゃあどうして見ていた時に、止めなかったんだ? そうしたら

  この女子学生の病気も悪化して死ぬことはなかったんじゃないか?」


 「それは、確かに悪いと思っているわ。……でも芹沢さんという

   人は本当に怖くて、私も小田切君もいつも怖がっていたの。もっと

   勇気を出せばとは今でも悔やんでいるわ」


 (ほら、やっぱり!)


  矢越はほら見ろと、父親と田勢の顔を思い出しながら思った。


  「やっぱり、芽生はひどい誤解をされていただけだったんだな。

   ごめん。こんなのを聞かせて。それにしても芽生は大人だな。

   こんなの突然聞かせられたら、俺だったら怒り心頭だよ」


  「知っていたから」


  「知っていたって? 前にも誰かに教えてもらっていたのか?」


  「うん。大学でも一部の人は今でも噂しているもの。この録音は

   小田切君が脅されて言わされたもので、信憑性がないものなのに。

   もう5年も前の話だから、本当の証拠も、嘘の証拠もないから

   言いたい放題になってきているみたい」


   そう言って芽生は顔を曇らせた。

   

  「それは酷いな……。小田切君とやらは、誰に脅されて

   言わされたんだ?」

 

  「分からないって。電話がかかってきて脅されて、録音された

   ものだから。犯人とは面識がないって。……それに犯人探しは

   いいの。こっちが騒ぐのが面白くてやっているのだから。それに

   一度ネットに流れた以上、全部回収するのは難しいわ」


   胡乱な瞳で机の中央辺りを見ながら、努めて冷静に話す

   芽生の目には水滴が溜まっていく。


  「そうか……大変だったんだな。ごめん、気付いてあげられなくて。

   この一緒に嫌がらせをしたって言われている小田切君とやらと、

   力を合わせてなんとかできないのか?」

 

  「つい最近亡くなったわ。自殺だった。三人の中で生きているのは、

   もう私一人。独りではどうしようもなくて。

   しかも今私、学生アドバイザーも担当しているから、会議の時には

   デマとは言え肩身が狭い思いをしているわ」


  「俺、何か助けることできないかな?こういう時に助け合ってこそ

   夫婦ってものだろう?」


   そういうと芽生はようやく笑顔を見せて、嬉しそうに言った。


  「ありがとう。でも気が早いよ」


   少し照れて、矢越は頭をぼりぼりと書く。

  

  「とりあえず親父には、芽生が無実だってことは言っておくよ。

   他にも何か考えついたら、やってみる! だから芽生も選挙とか

   気にしないで、どんどん頼ってくれよな」


  芽生は答える代わりに、コーヒーカップにコーヒーを入れると、

  それをグラス代わりのように前に掲げた。

 

  「疑いの晴れた記念に、乾杯!」


  いたずらっぽく言うと、矢越もそれに便乗する。


  「仲が深まった記念に、乾杯!」


  そういうと、二人は微笑みながらカップを互いの顔の前でぶつけた。

 


5


 いつもはそのまま夜遅くまでいるが、その日の矢越はコーヒーを
 飲んで三十分もすると帰ると言いだした。
 芽生は「聞くこと聞いてもう用済みってわけ?」と憎まれ口を
 叩きながらも、笑って許してくれた。

 事実明日にでも東京へ帰ってしまう父に、矢越はどうしても今日の
 成果を報告したかった。

 家に帰ると、父親は東京へ帰り支度をしているところだった。
 間一髪間に合った。
 人払いをすると、矢越は父親に芽生への疑惑は濡れ衣だったことを
 誇らしげに報告した。

 だが父親は、「弱いな」と答える。

 「どういう意味ですか?」

 「本人の口からやっていませんと聞いたからと言って、信じる
  人間なんてお前くらいだ。他の人間からも証言を取ってこい。
  できれば証拠が欲しい」

 「しかし、5年も前の証拠をどうやって……」

 大学は人もモノも入れ替わりが激しい。
 父親の予想外の言葉に、矢越は怯んでしまう。

 「前にも言った通り、私は元々議員の世襲と言うのは好きじゃない。
  お前がどうしてもというから地盤を譲る候補の一人にはしているが、
  見込みがなければ直ぐに他の有能な人間に任す」

 評価されるどころか、自分の能力を危ぶまれてしまった矢越は、
 項垂れながら父親の後ろ姿を見送った。
 父はコネ、金、地盤が何もない状態から、自力で国会議員まで登りつめた
 男だ。それを尊敬しているし、近づきたいと思っているが、その意思の
 強さと実行力を目の当たりにすると、やはり自分なんかの志は低いのでは
 と度々卑下してしまう。

 その晩矢越は、父に課された新たなる課題にどう立ち向かうかを

 考えつつ、眠りに落ちた。




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