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6


 父親からの電話の後、小田切は心当たりの場所を必死で車で回った。
 これがあの脅迫者のやったことなら、望は何をされるのか分かった
 ものではない。
 
 (やっぱり加奈に手伝ってもらうか……)

 携帯電話を持ち、加奈の番号を呼び出す。
 いざ通話ボタンを押そうとすると、最後に加奈が自分を罵倒した
 科白が再現される。

 「駄目だ。自分で解決しないと、本当に望は……」

 携帯の蓋を閉じる。
 電話をかけるために停車したコンビニの駐車上で、ハンドルに
 頭を預け、最善の策を考える。
 今まで要領良く世を渡って来た頭脳は、こんな時全く役に立たない。
 苛々してダッシュボードを拳で叩く。

 ルルルルル。

 小田切の脳内を見透かしたかのように、加奈からの電話だった。
 
電話に出る小田切。
 だが
相手は聞いたことのない声の、男……だと思った。

 (どういうことだ?)

 

 ボイスチェンジャーを使用しているのか、機械的な声だ。

 相手の生の声は分からない。

 だが加奈の携帯電話を使用しているのなら、加奈と関係の深い

 人物なのだろうか。

 小田切の困惑を余所に、相手は話を続ける。


 「あなたが警告を無視するからですよ。娘さんを預かりました。

  返して欲しければ、要求を飲みなさい」

  

  ボイスチェンジャーで声を変えているが、話し方の特徴で何かヒントに

 なることはないか。小田切は必死で、相手の正体を掴もうと試みる。

 その間にも男は、淡々と要求内容を告げる。

 

 「こちらの質問に全て、嘘偽りなく答えること」


 要求自体はシンプルな内容だ。

 それでも相手の正体分からないのに要求を飲むことで、どんな

 不利益が降りかかるのか知れたものではない。

 小田切は返事を渋った。


 「拒否すれば大事な娘を失う。娘の命はそちらの回答次第。

  要求を飲まななら、あなたが殺したのと同じこと。後悔する

  ことになりますよ」


 相手は尚も強要する。

 口調は落ち着いたものだが、今まで何のリアクションも起こして

 こなかった小田切に苛立っているのだろう。


 「……」

 

 言ってしまったらこれから続く自分の人生はどうなる?

  今罪を認めてしまえば、男が今後どんな攻撃材料に仕立ててくるか

  分かったものではない。

 ここまで来ても小田切には迷いがあった。

 

 「子どを見殺しにするんですね。可哀そうに親に見殺しに

  されるとは。あなたは今までそうやって他人を見殺しに

  してきたから、今更何とも思わないのでしょうが」


  男は待ちきれないのか、苛々とした感情を隠そうともしない。


   「せいぜい後悔するがいい」


  男は埒が明かないと判断したのか、会話を切り上げることにしたようだ。

 

  「待ってくれ!」


  ここまで来て、やっと小田切は決心がついた。

  このままでは本当に望は殺されてしまう。

  実感して、目が覚めた。


 「頼む。望は関係ない。そちらの要求を聞こう。だから望だけは」

 


7

 
  小田切が要求を飲む意思表示をすると、男は自分の質問に嘘偽りなく全て
 答えるよう再確認する。相手はかなり慎重に物事を進めるようだ。

 
小田切が承諾すると、何かボタンを押す音がした。
 録音しているのだろう。

 何に使われるのか、用途が分からない不安が再び湧きあがるも、

 小田切はともかく必死だった。


 「5年前に土岐等あかりという大学院生が、山瀬研究室で嫌がらせに

  あっていたのは本当か?」


 「……はい」

 

 「どんな嫌がらせをしていた?」


 「研究室の仕事を押し付けたり、変わった所がある人だったのでそれを

  からかうこともしていました。今では悪いことをしたと反省して……」


 「言い訳はいい」


  不機嫌丸出しの男の声に、ヒッと小田切は息を詰める。

  例え回答したとしても、男が機嫌を損ねて望に危害を加えてしまったら

  本末転倒だ。小田切は回答するだけでなく、答え方にも気を付ける

  必要があることを理解した。


 「嫌がらせの一つとして、土岐等さんに研究室内業務を過剰に押しつけ

   たということですね?」


  次の質問では、すぐに前の淡々とした口調に戻る。

 小田切は少しほっとした。


 「はい……」


 「それでは研究成果を承諾もなしに奪ったことは、ありましたか?」


 「そんなことは……!」


 「ありましたか?」


  小田切は以前研究室に送られてきた、当時のハラスメントに関する

  資料を思い出した。あれを送りつけてきたのが、この男だとすると

   つまらない嘘は危険な状況を招くだけだ。

   相手は全て知っていて確認をしているだけだ。

  小田切は、相手の威圧的な口調に、素直に答える。


 「はい」


 「誰に命じられたのですか?」


 「……僕の独断でやりました」


 この会話がどう使われるのか分からない以上、勝手に人を

 巻き込む訳にはいかない。常に小田切は将来を考えて行動

 するのだ。


 「……嘘は吐くなと言ったはず。もう一度だけ聞く。土岐等さんの

  実験資料を取り上げるよう指示した人がいるのではないですか?」


 「いいえ。僕が。僕だけがやりました」


  求めていたのとは異なる回答で、男は苛立っていたようだが、

 小田切が自分の罪を認めたことで、良しとしてくれたようだ。


 「……まあいいでしょう。では土岐等さんをからかったと

  言いましたが、具体的にどうからかったんですか? 嫌がるような

  ことを故意に言っていたのですか? それとも無視をしていたの

   ですか?」


 「僕は……言っていません。ただ知っていて見て見ぬふりをしていました」


 「土岐等さんから話しかけられた時は、どうしていたのですか?」


 「……聞こえないふりをしました」


 「つまり助けを求められても無視していた傍観者と言う訳ですね? 

  それ以外にしたことは、ありますか?」

 

 「ない。ありません」


 「これらの事項はアカデミック・ハラスメントに該当します。

  事実土岐等さんは生前何度もハラスメント相談室に訴えています。

  それについて自分達のしたことについてどう思いますか?」


 「……土岐等さんがそこまで追い詰められていたとは知りませんでした。

  少し悪ふざけをしただけのつもりだったんです」


 「今更それで済むと思っているのか?」


 突然生の男の声が聞こえて、小田切の身が竦む。


 「人が一人殺されているんだ。お前らにな」


  恐怖で口を噤んでいると、男は前の口調に戻った。


 「佐々木芽生は、何をしたんですか?」


 「仕事を押し付けたりするのは、私と同じです。土岐等さんとは

  同級生でしたが、サバサバした人なので直接注意することも

  ありました。捉え方によっては、きつく聞こえたのかもしれません」


 「注意と言うと、土岐等さんに非があったかのように聞こえますね。

  そうではないでしょう。どんな場面でどんな注意をしたのか、具体例を

  出してください」


 「土岐等さんが病気を理由に欠席した時に、『怠けるなら大学を

  辞めろ』と言っていたのは聞いたことがあります。彼女なりに発破を

   賭けていたのでしょうが、人によってはきつく聞こえます」


 「土岐等さんが心臓発作の持病を持っていたのは、皆知っていた

   はずですよね。それなのにどうしてそんな酷なことをあえて言うん

   ですか?」


 「それは……病気を理由に甘えないようにと言う配慮でしょう。

   あまりに欠席が続くと、皆にも迷惑で悪印象を持たれますから」


 「ですが私の記録によりますと、土岐等さんが休んだことは一学期に

  二回程です。多いとは言えませんね。それにそんなことを言いながらも

  あなたたちは仕事も押し付けている。試しにこの佐々木さんと土岐等

  さんの仕事量の違いを比べてみました。完全に佐々木さんの方が休み

  が多いですよね。言う資格はないと思いますが……」


 「それは僕には……何とも」

 

 「少なくとも土岐等さんは入学時に、自分の病気の事を公表しています。

  しかもそれを利用して特別扱いを申し出たことは一度もないはず。

   他にも病気を理由にして、嫌がらせをしていたのですか?」


 「特には……ないはずです」


 「薬を隠したりとかは?」


 「そんなことは絶対にしません!」


 ここで相手はしばらく思案しているような間が入った。

 数分の間に続いて、質問を続ける。


 「それでは土岐等さんが学内で、薬がないが為に緊急状態に陥ったのは、

  他の人が薬を盗んだと言うことで宜しいですね? 状況からして

   明らかに研究室内の者の仕業としか思えないのですが」


 「それは土岐等さんが偶々持っていなかったのではないですか?」


 「それはありえません。証拠もあります。研究室に行く直前まで持って

  いた物が、気絶する直前になくなっている。おかしいですよね?」


 「本当に知りません……」


 「本当ですね?あとから知っているというのは、許さない」


 許さないの一言に力が篭り、小田切は見が竦む。

 時折私情が入るのか、くずれる敬語が妙に凄みを感じる。


 「本当に知らないんです」


 「それがどうして芹沢さん一人の責任になったんでしょう?自分から

  名乗りを上げるべきですよね?  自分と同じ研究室の仲間が一人だけ

   責任を押し付けられて何とも思わなかったんですか?」


 「悪いとは思いましたが、自分から名乗りを上げる勇気があり

   ませんでした。芹沢君も退学処分になると言う噂を聞いて尚更

   無理でした」


 「彼はそれを苦に自殺したわけですが、それに関してはなんとも

  思わなかったのですか?」


 「怖かったです。反省もしてます。でも自分も処分されるのではと

  怖くて出来ませんでした」

 

 「芹沢さんが自殺したのは、退学処分を受けて3か月後。ご家族は

  すっかり芹沢さんが一方的に大学に迷惑をかけていたと信じ込んでいた

  わけですが、どうやってあなたたちは自殺の事実を知ったのですか?」


 「警察の方から自殺の原因に関する聞きこみがあったので。

  ……それで僕らも罪悪感もあって、お焼香に」


 「それでは自殺現場は見てなかったということですよね?」


 「それは当然……」


 「ではどうしてあなたは手鏡の存在を知っていたんですか?」


 「……」


 「手鏡の写真を見た時に、慌てて佐々木さんに電話をかけました

  よね? 自殺現場にいなければ分からないことだ。

  あの手鏡は、芹沢さんの自殺現場にあったのだから。

  ここから大分離れた海を運航するフェリーに、あなたたちの

  内の誰かが、偶然乗り合わせたとでも言いますか?それとも

  警察が到着する前に、芹沢さん宅へ行って見たことがあると

   でも言うのですか?」


 「知らない」


 「苦しいわけだな。それならその続きは警察で聞こうか?」

 

 「じゃあどうして警察に今娘が誘拐されたことを通報しない?

  昔のことがばれるからじゃないのか?」


 「違う」


 「山瀬は関わっていないのか?指導教官がまったくこの事件を

  知らないということは ありえない。芹沢さんは山瀬を庇って

   自分だけ切り捨てられたのではないか?」


 「……」


 「答えなさい。さもないと娘が」


 「……僕と、芹沢君、佐々木さんがしたことだ。先生も、それ以外の

  人間も関係ない」


 小田切はこの電話すら録音されている危険性を考えた。

 もし小田切が予想している人間が犯人だとするなら、とうに

 答えは知っているはずだ。それでもあえて答えを導こうとしている。

 それなら目的は証拠集めだ。


 (その手にはのるか……!)


 「いない。僕と佐々木君二人だけだ」


 ここで一旦カチッと音がして、男が言った。


 「いいだろう。娘は旧劇薬物保管庫だ」


 そこで電話は切れた。

 問いに答えるので精一杯で、結局相手が誰なのかは分からなかった。


 このまま彼は望を返してくれるのか。

 不安が募るが小田切には信じるしか道はない。

 小田切は大学へ向けて、車を飛ばした。

 


8


「……ちょっと常川さん。いいですか?」


 息切れした優奈が研究室のドアの取っ手を回すのももどかしい様相で、

 部屋に飛び込んできた。常川からすれば、会社のクライアントとの

 打ち合わせの日程を調節するためのスケジュール調整をしていたところ

 なので、邪魔された形になる。


「なんだよ?」


 例にもれずここのところ毎日学校に来ている常川は、大学でも研究よりも

 仕事に追われていた。研究は待ってくれるが、ビジネスは時間が命だ。

 これはあくまで比較対象であって、もう最終学年にもなろうかという

 常川は今年中に論文を出さなければ、課程博士の学位を授与できる権利を

 失うと優奈は聞いている。


 優奈も実験動物の飼育や実験の担当がある時は、遅い時間まで残っている。

 今日も優奈は任された実験を粛々とこなしている。


「……今備品室に行ったら、変な音がするんです」


「学部生でも騒いでいるだけじゃないか?」


「そうじゃなくて……。誰かが泣いているような……。

 不気味な声なんです。しかもその声、備品室の隣の締め切りに

 なった部屋から聞こえてくるんですよ」


「怖い話でも読んだのか? 今はまだ8時だぞ」


 世間的にはまだ遅い夕食を取っている人がいてもおかしくない時間帯だ。

 飲み屋街など大いに賑わっていることだろう。院生の大半が夜型だが、

 用事がない場合は皆それぞれの所用の為帰っていく。


「怖いから付いてきて下さい」


 上目づかいで見つめる優奈。

 女性誌によると、男性に頼みごとをする時には効果的……のはずだった。

 が、常川には全く効果はなかった。


「怖いならもう行かなければいいだろう。明日になれば誰か来る」


「駄目なんです。今日中にやらないと、計画に支障がでてしまうんです。

 COEのプロジェクトだから、常川さんだって関係あるんですよ。

 私のせいで皆に迷惑なんてかけられませんよ」


「じゃあ般若心経でも唱えながら行けばいいだろう」


 前から思っていたのだが、常川は優奈と他の女子学生との扱いの差が

 ひどい。不公平だ。


「意地悪しないで付いてきて下さいよ。それに空き部屋から物音なんて

 泥棒かもしれないですよ」


「盗られる物なんか何もないだろ。否むしろ、学生同士が何か

 秘密のことをしているのかもな。見つかるか見つからないかと

 言うのが、スリルがあっていいんだよ」


 赤面する優奈。にやける常川。


「仮にそうだとして、あそこの鍵をどうして普通の学生が持っているん

 ですか?何がある部屋かは知りませんが、使われていない倉庫か何か

 なんですよね?」


「まさか備品室の隣の、廊下の突き当たりの部屋か?」


「はい……廊下の角を曲がった奥の部屋です。角が備品室になっている。

 廊下では聞こえないんですが、備品室の中だと横から聞こえるんです。

 でも、あの部屋は普段は入れないですよね?確か管理室から鍵でも持って

 こないと……」


「すぐに行くぞ」


 部屋を特定すると先程までのお茶らけた雰囲気はなりを潜め、常川は

 率先して備品室にむかった。


 足音を忍ばせて入る。

 耳を澄ませると鼻をすするような音がする気もするが、

 壁が厚いのかはっきりとは聞こえない。壁に耳を宛てていると、

 男子学生が三人部屋に入ってきた。

 優奈も名前は知らないが顔だけは見知っている、

 同じ学科の他の研究室の院生だ。

 備品室と実験施設を共有しているので、顔を合わせることも

 幾度かあるのだ。他の研究室の学生はさすがに常川の顔を見て

 不満げな表情をすることはなかった。


 「隣から変な声が聞こえてくると聞いたんだが」


 常川が尋ねると、学生の内の一人が答えた。

 

 「はい。さっき僕が備品室で実験の準備をしていたら、妙な物音がして……」


 「たぶん私が聞いたのと同じです!」

 

 なんとなく心霊現象っぽいことは言いたくなかった。

 ここは理系の研究施設だ。

 非科学的にならないよう、優奈は気を付ける。


  三人が優奈よりも前に入った時にも、誰かが泣いているような声が

  聞こえたという。それで警備員に事情を話して、戻って来たところだ

 と言った。


 少し話していると、初老の警備員がやってきて、件の部屋のドアを

 開けるべく鍵を差し込む。

 皆一旦備品室から廊下に出て、警備員の動向を見守った。

 この部屋は既に役割を果たしていないとばかりに、ガムテープが

 統一性なく、乱雑に貼られている。

 

 カチ。

 

 確かに手応えはあるが、開かない。

 警備員は幾度も鍵についたタグを確認するが、間違いはない。

  もう一度挑戦してみるが、開かない。

 動揺する一同。


 鍵も合わず、ドアも開かないとなると、最終的にはドアを破壊

 するしかないわけだが、それも叶わない程に頑丈そうなドアなのだ。

 地下なので、窓を壊して侵入する訳にもいかない。


 「……鍵が間違っているんじゃないですか? それか鍵を新しく変えた

  ということはないですか?」


 優奈の言葉に、警備員は直も鍵をガチャガチャと弄りながら、

 それはないと返答する。


 「ここは随分前から使用されていないんだ。数年前に閉鎖されたままの

  状態で、物置としてすら機能していない。鍵を変える程の価値のある

  物も、中にはないんだ」


  バリッ。

 

 常川がガムテープを次々に、剥がし始める。

 

 「ちょっと、何しているんですか?常川さん!」


 常川の行動は相変わらず予測がつかない。

 皆の奇異の目を、優奈が代弁する。

 

 「鍵はちゃんと合っている。だから考えられるとしたら……あった!

  ここだ!」


 常川が剥がしたばかりのガムテープの下から、ドアの色とは異なる

 平べったい長方形の板が出てきた。

 

 「誰かが鍵を増やしたんだ」


 常川が言うには、これはドアの内側に本体がある電子錠で、

 解錠するには専用のリモコンが必要なのだと言う。

 最近似た鍵を社内に取り付けたので、見覚えがあると常川は言った。

 他の院生も、バイト先で使われているのを思い出していたので、

 その業界では有名なものなのだろう。

 

 「ぐすっ。……コホン。コホン」


 想定外の事態に一瞬静まり返ると、中から子どもの泣く声と続いて

 咳をするような音が聞こえる。

 

 「君、大丈夫か?」


 警備員さんがドアを叩きながら、中へ呼びかける。


 その時。

 階段から、誰かが駆けてくる足音が響いた。

 足がもつれかねない程の駆け足で、その人はこちらへやって来る。


 「小田切先生!」


 突然現れた小田切は、必死の形相で周囲の全員に問いかける。

 

 「望は、この中か?」


 「小田切先生のお子さんだったんですか? どうして……」
 

小田切が急かすように聞いたその場の者たちの話によると、

中から子どもの泣く声や咳をする声が聞こえると言う。

望は喘息の気がある。
 薬もなしに、中に閉じ込められていたら、どうなるか知れない。

 

(ここに来たら、すぐに助け出せると思っていたのに……!)

 

すぐに小田切は脅迫者が使用していた電話‐つまり加奈の携帯に

電話するが、幾度かけても同じアナウンスが流れるだけで繋がらない。

小田切の懊悩は増すばかりだ。

 

「皆に迷惑をかけてすまない」

 

その場に居た者には、都合の悪い部分は伏せて、娘がここに
 迷い込んだかもしれないとだけ伝えた。ここに来た理由は、

子どもの声を聞いた人から、連絡があったということにした。

 

「小さな子どもの鍵トラブルは、良くあることですよ」

 

皆をなだめるように、警備員がフォローしてくれる。

警備員も音の正体らしきものが分かって、少しほっとしたらしい。

 

「電子錠は異常事態になると止まってしまうことがあるんです。

その時に娘さんが入ってしまったのなら、自分で中から開けられなく

なる可能性も考えられます」


もちろん電子錠があらかじめ開いていたことが前提だ。

電子錠は普段は閉まらないようにセットしておいて、外出するときにだけ

施錠するように設定を変えることが出来るものがあると言う。


 警備員の説明によると、何者かによって新たに電子錠が設置されていた

 可能性があると言う。この警備員の説明なら、脅迫者の存在を告げずに、

 話を進めることができる。

「開いていた電子錠付きのドアを望が開けて入り、自分で

 締めてから出られなくなった」と筋書きを作ることが出来る。

    

そうだとしても、誰が何の為に、使われていない部屋にわざわざ電子錠を

取り付けたのかは、謎のままだ。 「学生が悪戯でやったことだろう」説に

落ち着きそうなのがせめてもの救いだ。


これで言い訳は成り立つ。

今は望の救出が最優先だ。

ハッと気が付き、小田切は知恵を募る。

 

「電子錠なら、電気を消したら解錠されるかもしれません」

 

思いついた若い警備員が電気制御盤のブレーカーを落とす。

 真っ暗の廊下で、勢い込んで院生たちでドアを押したり引いたり

  してみるが、びくともしない。

  期待した分、皆落胆してしまった。

 「すみません……」項垂れる若い警備員を、先輩警備員が慰める。

 

  年長の警備員が言うには、電子錠には停電時に施錠されるタイプと、

  解錠されるタイプに分かれる。このタイプは、偶々施錠されるタイプ

  だっただけのこと。だから考えの筋としては良いと、フォローする。

 

先輩警備員は後輩をフォローすると同時に、中の子どもをいち早く

助ける緊急性を理解し、救急に連絡をとってドアを壊してもらって

救出することを提案した。

しかし小田切はその申し出を渋る。


口止めはされていないが、脅迫者を刺激しない為には、

あくまで事件性がないように振る舞う必要がある。

機嫌を損ねて、せっかく居場所が分かったのに、望を危険な

目に晒すことはしたくなかった。


「子どものしたことだ。大げさにしてもらっては困る」

 

不審に思われないだけの上手い言い訳が思いつかず、小田切は

拗ねるような理由を付ける。

そう言われても他に出来ることは、鍵屋を呼ぶか、工務店に連絡する

くらいだ。工務店は終わっている時間なので、警備員が仕方なく

鍵屋を調べに詰所へ向かおうとする。


 その時だった。

 「ぎいあああああああああ」
 
 と、急に部屋から断末魔の
ような悲鳴が聞こえた。
 その高い声からおそらく子どものもの。

 一瞬にして場の緊張感が高まった。

 


9

  

「救急なら応急措置もしてくれる。早く119番しろ」

 

只ならぬ悲鳴の後だ。

 一刻も争う余地が無い。

「駄目だ。できない」

これ程取り乱しているのに、頑なに救急を拒否する小田切に対処

しかねて、警備員は携帯電話で詰め所に居る同僚を呼び、相談する。

 

こうして迷っている間にも、望は衰弱しているかもしれない。
 小田切は警備員の申し出を自分で断っておいて、望が心配でならない。

しかし理由を周囲に伝える訳にも行かず、ひどく狼狽していた。

人命がかかっているので警備員たちも必死で小田切を説得するが、

小田切は苦々しい表情を見せつつも、どうしても首を縦には振らない。

 

いつまでも決断しない小田切に見切りをつけたのか、ちっと

舌打ちすると常川はどこかへ走って行く。

優奈はそれに気付いたが、警備員と一緒に小田切の説得をするのに

忙しくてそれどころではなかった。

他の院生3人は、中の子どもに向けて、懸命に呼び掛けている。

 

「チェーンソー持って来たぞ!」

 

 常川が誇らしげに、チェーンソーを掲げて見せる。

 後ろには高校生くらいの男の子が、居心地が悪そうに付いてきている。

常川に無理強いされたことが、簡単に見て取れた。

 

 地下では窓もなく、外から工事用機械で壊すことも出来ない。

 そして厚いドア板。

 確かにチェーンソーで少しずつ削るしか、手はなかった。


「これで文句はないだろう!」


「それは駄目です!絶対に許可することはできません!」


 警備員は真っ青な顔で反対する。

 素人がチェーンソーでドアを開けて、中の人間に怪我を負わせる

リスクを考えれば、とてもゴーサインを出すことはできない。


「あんた、人の親だろう!何か事情があるみたいだけれど、子どもの

 命よりも大事なものがあるのか?」


 初老の警備員が、いつまで経っても最善の手段を取ろうとしない

 小田切にしびれを切らして、怒鳴りつけた。


 救急に頼もうとしない小田切に、疑問を含んだ視線が寄せられる。

 小田切はひたすら視線の意味に気付かない振りをする。

 小田切から脅迫者に発信をすることはできないのだから、ただ守りに

 徹するしかない。


 小田切の行動は、全てを把握した上で口を噤むことに決めたのだ。

 当然望のことは心配だ。

 喘息の発作で病院に運ばれたのはついこの間の事だ。
 薬も吸入器もなしで、カビ臭い部屋に閉じ込められたらどうなるか

 知れない。


 それでも何も言わない小田切に、もはや呆れかえった警備員は

 「鍵屋を呼ぶしかないでしょう。すぐにでも電話しましょう」と

 次善の策を提案する。

 そこまで来てやっと小田切は口を開いた。


 「救急をお願いします……」


 蚊の泣くように小さな声だったが、警備員は「良く決断してくれました」

 と小田切の勇気を労い、すぐに119番して事情を説明した。

  


10


 救急の行動はその道のプロだけあって、迅速だった。

 すぐに駆けつけた救急救命士4人は、ドアが開けないことを事前に

 知らせてあったため、特殊な機材を搬入していた。

 エンジンカッターと言われるその大型の機材は電子音を唸らせ、

 厚いドアを少しずつ破壊していく。


 集中する救命士の傍で、皆は中にいる子どもに向けて声をかける。

 

 「開いたぞ!」


 勇んで駆けこむように中に入った小田切と救命士。

 中に居たのは‐ヒトではなかった。

 

 開いた中には……パソコンが一台点滅しているだけだった。

 

 それ以外は、ごく僅かの機材を残して、全ての設備が撤去されている。

 その端には、ぽつんと置かれたパソコンが一台。

 それが泣き声の正体だったらしい。

 

 院生たちは呆気に取られ、救命士たちはタチの悪いいたずらだと

 激昂する。

 小田切は床に座り込んでしまった。

 ここに望はいなかった‐。

 では犯人はどうやって望を返してくれるというのか‐。

 

 小田切はすっかり放心状態に陥っていた。

 望が帰ってこないまま、自分の弱みを晒しあげてしまった。

 これからは佐々木も味方にはなってくれないだろう。

 どうすればいいのか。

 

 「小田切先生、魂が抜けたみたいですね。無理もないけれど」

 

 「さっさと消防か警察に言えば良かったんだ。どうせ通報したら殺すって

脅すのは唯の威嚇なんだから。自分の体裁ばかりを考えたあげく

こうなっても自業自得だ」

 

 相変わらず小田切に冷たい常川だが、娘の事はこれでも心配している

 ようだ。

  

 悪戯と分かった後は、当然のように小田切に警察に通報するよう、

またもや一同で説得する。


小田切によると、娘を大学に連れて来てから行方が分からなく

なったと言う。それなら事件ではなくても、どこかで不慮の事故に

あって動けなくなっているかもしれない。

それに喘息もちだったら、どこかで倒れている可能性もある。


だがいくら説得しても一層頑なに通報することを拒む。

事情はおろか、いつどこで娘がいなくなったのかさえ、口を噤んでいる。

何か訳ありなのだろうとは推測出来るが、公共機関の助けを

一切借りないと言い張られては助けようもない。


かといって放っておくわけにも行かず、警備員は館内を巡回しながら

子どもを探す。気が変わったら詰め所に連絡してくれと言った。

あくまで警察に頼むことが一番だと警備員は何度も、小田切に噛んで

含めるように伝えた。院生たちも大学院棟内を調べに行く。


今日のメンツはどうやら面倒見の良い人間が集まったようだ。

当然常川も優奈も探すことにする。

放心し何も話そうとしない小田切を見限って、警備員や他の院生が

調べていない場所を、考える。


小田切自身は学校で望とはぐれたかのように、説明したが、実際は

大学から離れた駐車場内でいなくなったことを知っている。だから

小田切は本気で大学構内で望が見つかると信じていた訳ではない。

一人取り残された小田切は、脳をフル回転させて考えた。


それならどこを探したらいいのか? 


相手が車に望を載せてどこかへ移動したとするなら、

もうどこだか分からない。


 ピピピピ。

 悲嘆にくれた小田切の耳に響く場違いな電子音が。

 小田切の携帯にメールが入ったことを告げる音。


 小田切は吉と出るか、凶と出るか恐る恐る画面をチェックする。

 送信者は加奈。


(さっきまで電話しても着信拒否していたのに……)


 そこには携帯メールで、『研究室のメールボックス』とだけ書かれていた。

 見るや否や小田切は自分の研究室へ向かって、走り出した。

 その様子に優奈と常川も、後を追う。


 普段では考えられない早さで猛ダッシュをした小田切に、

 ようやく追いついたのは、小田切の研究室前だった。

 小田切はメールボックスから、長方形の物体の入った小さな封筒を

 手にしている。


 「おい、何だよそれ?」

 

 常川の問いを無視して小田切が封を開けると、そこには携帯電話が

 入っていた。


 「これは加奈の携帯……!」


 ずっと着信拒否にされていた加奈の携帯電話だった。

 あの脅迫電話も、この電話からかかって来たことになる。


 驚いていることから、常川と優奈は、封筒の中身を事前に

 小田切は知らなかったことが、見て取れた。

 

 (ということは今の加奈は、新しい携帯電話を持っているのか)


 加奈は持病を持っている望と自分の体調管理に、毎日携帯電話の

 アプリを利用している。加奈にとって、携帯電話は日常生活の

 マストアイテムなのだ。ということは。


 ゆっくりと宝物を扱うように、唯一残された手掛かりを扱う。

 わざわざ送って来たということは、何か意味があるはずだ。

 細心の注意を払って、携帯電話を調べる。 

 アドレス帳を確認すると、『新しい携帯電話』と書かれた欄がある。

 

 (これだ!)


 小田切はその電話番号に、かけてみた。   




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