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3


 「山瀬先生……!」


 打ちひしがれ、会議場を後にした山瀬を追ってきたのは、優奈独りだった。

 

 「ああ、田中君か」


 心ここにあらずといった夢見るような目つきで、山瀬は優奈を振り返る。

 そこに自信にあふれた、昨日までの山瀬の姿はない。

 

 「先生」

 

 「いいよ。もういいんだ。君もあの男の話を信じるのだろう?」


 「信じ……たくなかったです」


 焔の証拠は完璧で、少なくとも5年前のアカデミック・ハラスメント

 事件を山瀬が主導していたこと。学生に責任を押しつけて、自分の

 処分を免れたこと。あかりへの殺人未遂と証拠隠滅。焔、いや嘉納への

 暴行傷害。全て優奈にとって、現実のものとは思えないものばかり。


 あかりの持病の薬を奪って、更に携帯電話を盗んでまで証拠を隠滅

 しようとした件については、衝撃的だった。

 相手が誰であろうと許せるものではない。

 

 目撃者が自分だけだったので、焔は証拠を集めるのに骨が折れたようだ。

 初めからアカハラを疑っていた焔は、あかりの携帯電話の記録を盗難に

 遭う前にしっかりと自分の携帯に移動させていた。

 倒れている間に消された記録があるかもしれないので、データの復旧も

 試みた。


 あかりの入院先の看護師や、見て見ぬふりをした学生たちの証言を

 得るのにも時間が必要だったと言っていた。

 特に大学関係者の隠蔽体質は強固で、ありとあらゆる手を使って

 証言を出させた。


 事件から5年。

 焔はおそらく今日のこの瞬間だけの為に生きてきた。

 

 接客業で覚えた人との付き合い方も。

 努力して手に入れた盗聴器や、鍵開けの技術も。

 余所の大学を卒業して、再び和琴大学大学院に入学する為

 学び続けたことも。


 全部が今日の。今日だけの為。

 他を全て捨て去り、人生を捧げる程の情熱を全て復讐に

 使ってきたのだ。

 焔をそこまで追い詰めただけの理由を創り出したのは、

 他ならぬ山瀬たちだ。

 怨嗟を育てた者たちには、それだけの責任がある。 

  

 それでも。

 優奈は山瀬を信じたかった。

 許される訳はないけれど、山瀬なりに理由があると。

 

 誰かを庇っているのではないですか?

 脅されて止むを得ずしたことではないですか?


 止むに止まれぬ、高尚な理由が。

 それを堂々と反論してほしかった。


 無言で丘を下る小道を急ぐ、山瀬。

 その背中は、はっきりと優奈を。人を拒絶している。

 それでも。

 今日は小さく見える背中を支えたくて、優奈は追いかける。

 

 「理由が。何か大きな理由があるんじゃないですか?」


 「君の想像しているような、きれいな理屈ではないが。

  少し昔話に付き合ってもらえるか?」


 さすがの山瀬も、慰めが欲しかったのか、意外と素直に

 口を開いた。示されて、小道の脇のベンチに座る。

 今日は土曜日なので、道行く人もほとんどいない。


 雲が2,3個流れて行く静かな空を眺めながら、山瀬は

 苦い思い出が結晶となる物語を始めた。

 


4


 「先生、今度の飲み会なんですけど、趣向を変えてロシア

  レストランにしようかと思うんです。予算は1500円くらい

  だから、そんなに高くないし。それで初めてなので、下見に

  行こうと思うんです。一緒に付いてきてくれますよね?」


  二十年前、まだ助教授だった頃の山瀬は、社交的で若く

  独身ということもあって、当時は女子学生の間でも人気があった。

  几帳面な性格もあって身ぎれいな装いに、自信に満ちた講義は

  学内外からの評価も高かった。それに加え、元指導教官からも

  内外に後継者としてのお墨付きを半ば公認で与えられていた為、

  その権勢は学内で比類ないものであった。


  自信は傲慢さを、堂々たる態度に、軽薄な心根を親しみやすいと

  好意的に転換してもらえた。いずれも若者にはよくある症状であるし、

  妬む人々が口を極めても、ものともしない程の基盤もあった。


  まさにわが世の春。

  後は結婚のみが関心事項といったところ。

  当然玉の輿を目指す女子学生たちは血眼になってその座を

  競いあった。それを高見の見物している山瀬を、疎ましく思う

  男子学生も多数いたが、それすらも女子学生からしたら只の

  僻みと見なされるだけだった。


  とりわけ今山瀬を誘った女子学生、正射結衣は積極的だった。

  意思の強さを体現したように眉毛を濃い目に描いた大ぶりの瞳と、

  筋の通った整った小ぶりの鼻は、顔立ちを派手に魅せる。

  対照的に服装は清楚なお嬢さんというように、ワンピースを

  基調としている。

  

  友人同士で話す時には、高く柔らかな声を楽しげに張り上げて、

  常に人生を謳歌しているかのようだった。

  良くも悪くも今時のお嬢さんで、我慢するくらいなら、

  自己主張を通そうとするが、その愛嬌ゆえに誰からも悪くは

  言われない。

  そんな学生だった。


 他の女子学生もなんだかんだと理由を付けては繋がりを持とうと

 していたので、彼女だけが特別な訳ではない。その中には大人しい

 なりにアタックしてくる事務員もいれば、派手な交友関係をバックに

 繋がりを持とうとしようとする業者の女性もいた。


 山瀬自身この状況を楽しんでおり、気分しだいで適当に付き合う。

 ただ結衣の積極的な態度には、いささか辟易していた。

 余程自信があるのか、無理に機会を作っては、隠すどころかそれを

 アピールする。少し距離を取った方が良い。そう考えていた矢先の

 誘いだった。


 「そのレストランなら、帰路にある。自分で見てくるよ」


 「私も見てみたいんです。幹事なんだから、どんなところか把握しておく

  必要があります」


  それではどうしていつもの飲み屋から変えたのだと思うのだが、

  その辺の事情は後付けなのだろう。飲み屋を開拓したいというのが、

  結衣の表向きの理由だ。


 「でもなあ。女子学生と二人きりというのは誤解されると良くない」


 「いいですよ。誤解されても。というか誤解でなくすれば

  いいんじゃないですか?」


 「……困ったことを言うな、君は」


  女子学生に慕われて、満更でもなかったが、一線を超える勇気はなかった。

  遊びくらいなら良いが、当時の山瀬には交際に発展しそうな女性がいた。

  恩師の次女の芙美だ。

  度々自宅を訪問する内に、自然とそうなっていた。

 

  交際し始めたのはごく最近で、明確にお互いに意思表示をして

  なかったので、正直山瀬自身交際していると明言して良いのか、

  良く分からなかった。

  

  だが結婚を拒む理由もなかったし、むしろメリットしかない女性。

  漠然とこのまま結婚するのだろうと思っていた。余計な誤解は受けたくない。


  だが結局結衣に押されて、行くことになってしまった。

  自分が断られるなんて夢にも思っていない若い女は、とても積極的だ。

  それにゼミの学生の中心的人物となっている女を無碍に扱うことは、

  ゼミ運営の在り方にも関わる。止むを得ず仕事の一環と割り切る。


 「つまらなそうですね」


 「……そんなことはないよ」


  ここら辺は芙美の職場と近い。

  余計な詮索をされても面倒だと思ったのだ。

  視線が定まらない。結衣は目聡く山瀬の態度を評する。


 「何をそんなに気にしているんですか?」


 「気にしてないよ。ただ明日は早いから今日は早めに帰るよ。

  さっさと食べて帰ろう」


 「……先生、私、先生の事……」


 「ああ注文が来た。おいしそうだな」


  あえてその間を壊す。これ以上聞いてはいけない。

  かといってはっきりと断ってしまえば、面倒なことになる。

  とにかくもめごとは嫌だ。せっかく手に入れたこの輝かしい未来を

  詰まらないスキャンダルごときで、潰されてたまるか。


  とにかく相手に話をする隙を与えぬよう、山瀬はとにかく話し続けた。

 「じゃあ、気を付けて帰るんだよ」


 「送って行ってくれないんですか?」


  時刻は九時。遅いと言えば遅いが。それでも結衣は甘えていると感じた。

  先程の話を蒸し返されても困る。

  これ以上付きまとわれても困る。

  早めに諦めさせるのが良いのかもしれない。

  お互いに。


  翌日、登校した結衣を待ちうけていたのは、山瀬が結婚を前提に

  交際している女がいるという噂話だった。

  残念がる女子学生もいたが、そこまで真剣だったものは皆無だった

  ようで、ぶつくさ恨み事を言いながらも、現状を受け入れていた。


  結衣以外は‐。

 


5


 「先生、本当なんですか?結婚する相手がいるなんて」


  恒例のゼミ終了後の飲み会で、酔狂な会話の切れ間に、

   打って変わって重苦しい雰囲気で、結衣が恨み事を告げる。


 「ああ。気恥しくて、皆には言っていなかったが。いずれは

   結婚するつもりだ」

 

  男子学生が狙っていた女子学生にこれで、アタックできると

   安堵したのか、冷やかし半分の声を浴びせる。だが結衣の表情

  だけが場違いに真剣そのものだ。


 「……そんなこと今まで言わなかったじゃないですか?」


  普段と違い、心細げに呟く結衣。


 「誰も私のプライベートを知りたいと言う物好きがいるとは

  思わなくてね」


  あくまでも受け流す山瀬。

  

  昨夜の一件を良い機会と、正式に芙美と付き合いたいと

  言ったのは、昨夜の事。曖昧な関係に一応の蹴りを付けた。

  結婚したいというのは本心だが、婚約の手順は未だ踏んでいない。


  今までの女性との付き合いは短期間で終了する傾向にあった。

  その中でも芙美は例外的に長続きしている。

  芙美はあまり自分から求めない。

  意思がないのではなく、人を自分の理想像という型に嵌めようと

  強要しようとはしない。常識的でおっとりしているようで、

  外出の際 には下調べをしっかりし、曖昧な注文を的確に処理してくれる。

  それでいて押しつけがましくない。気遣いの出来る人だ。


  外見は今まで付き合ってきた女性たちと比べると、いささか地味だが

  贅沢ではないところも好ましく思う。その父親と言い、自分には

   最高の縁談だろう。結婚のタイミングと言うのは、案外こういうもの

   なのだなと自分で納得していた。

 

  酔いのまわった顔をまだ冷たい夜風が、酒精を運ぶ。

  浮き立つその香りが山瀬の前途を祝福してくれている。

  珍しく山瀬は二次会まで、顔を出しほろ酔い気分を楽しんだ。

 

  その頃、帰路では酔いつぶれた結衣が、同級生の女子学生に介抱されていた。

  いつもは介抱する側の結衣がめちゃくちゃな飲み方をするのは珍しい。


 「大丈夫?私結衣ちゃんがこんな酔い方するのは初めて見た……。

  どうしたの?何かあった?」


  いつもは門限だの何だと煩い結衣が、今日に限ってはそんなことも意に

  返さないようだった。そして突然しゃくりあげる。突然の泣き上戸に

  女子学生は、戸惑いを隠せない。

 

 「実はね……」

 

   結衣は重々しく口を開いた。


6


 一週間後。


「身に覚えのないことです。正射君に話を聞いてみてください」


 山瀬は教授会で、身の潔白を訴えるはめになった。

 降ってわいたセクハラ疑惑。当時はハラスメント委員会なんて

 気の利いたものは設置されていなかった。故に全ての「問題」は

 教授会が審議し、沙汰を下していた。


「君、入って」


 言われて結衣が入って来た。

 その顔は何を考えているのかさっぱり読みとれない無表情だ。


「私はこの山瀬先生に、幾度も関係を強要されました」


 山瀬は絶句した。

 

「どうしてそんな嘘を……」


 今まで事あるごとに自分にまとわりついてきた結衣の言葉とは

 思えなかった。

 教え子の信じられない反逆に戦慄く山瀬をそのままに、

 尋問する役割を急遽振られた教授は、こういった場に慣れているのか

 事務的に事を進める。


「それは本当ですか?」


「はい」


「誰か証人か、証拠となるものはありますか?」


「ありません。私の証言を信用して頂く外はありません」

 

 芙美の父親である恩師は、外国へ招聘教授として招かれて居り不在。

 その為、山瀬の立場は圧倒的に不利だった。

 普段の行いが真面目な結衣の告白に、ほとんどの学生は結衣についた。

 ゼミは重苦しい緊張感に包まれた修羅の場と化した。

 学生達からの敵意が痛いほど伝わる。


 教師同士は災難だったなと言うが、女性教員陣の自分を見る目は明らかに

 変わった。前途洋洋たる未来はかくも無残に消え去った。いま辞職となれば

 他の職業への転職は難しい。


 そこでも助けとなったのは芙美だった。

 父親不在の中、彼女は山瀬の精神的支えとなり、無実の証拠を探そうと、

 仕事の合間を縫って独自に奔走してくれた。

 山瀬の側の人間であることを伏せて、特に女子学生からの話を

 聞くことに集中した。


 結局限りなく黒だが証拠不十分という、痛み分けの結果に終わった。

 

 処分はないが、学内での立場は微妙になり、今まであからさまな嫉妬を

 向けていた輩が声高に山瀬を批判するようになった。大勢からの圧力を

 脅威に感ずることなど、今までなかった山瀬にこれは効いた。


 学生時代にはどちらかと言うと、クラスのお調子者たちを

 先導する役割であった自分が、まさかこんな目に遭うとは。

 山瀬は立場の変化を受け入れることができなくて、

 これだけ助けてくれた芙美にも何度も八つ当たりをした。

 それでも芙美が離れることはなかった。

 上手く距離を図り、自分に尽くしてくれた。

 この時の感情は今でも忘れない。


 当時は、何より学生が怖かった。


 今まで友人のように接して来た学生達の手のひら返し。

 当然結衣に説明を求めた。

 学内では接近制限を受けていたので、電話で尋ねる。


「先生だけ幸せになるなんて許さない」


 結衣は一言こう言った。


 意味が分からなかった。

 実際に気のある素振りをしたり、深い関係だったのならまだしも、

 一方的にアプローチを受けていただけだ。

 それも面倒だから軽く受け流していた。少しくらい遊んでも良いかと

 思ったけれど、保身を考えて控えてきたのだ。こんな言われかたをされる

 道理はない。これではただの子どもの我儘だ。


「僕が君に何をしたって言うんだ。君の嘘のおかげでとんでもない目に

 遭っているんだぞ」


「反省しました?」


「は?」


 会話にならない。

 結衣は山瀬が悪いと一方的に思いこんでいる。

 それも悪意ではなく、本気で。

 気を取り直して、諭すことにする。


「今ならまだ許してやるから、本当のことを言ってくれ」


「まだご自分の立場を分かっていないようですね。先生は加害者。私は

 被害者。命令できるのは私です」


「何が目的なんだ。結婚を取りやめればいいのか?」


「はい。そして私と結婚すると宣言してください」


 滅茶苦茶だ。


 こんな経緯があった人間と普通に結婚できると本気で考えているのか。

 たとえ芙美と別れても、結衣と結婚する気にはなれない。


「それ以外に先生に勝ち目はないですよ」


 結衣は痴話喧嘩の範囲であると主張すれば、話はこれ以上

 大きくはならない。結衣が当てつけに騒いだだけだと言える。

 だからそうしろと強要しているのだ。

 こんなむちゃな要求をしてくる時点で、人間としての基本的な信頼関係が

 破壊されていると言うことが結衣には分からないのだろうか。

 

 こんな馬鹿げた提案を受け入れられるわけがない。

 山瀬は、結衣がいつどこで、ハラスメントにあったと証言しているのかを

 尋ね、それを一つ一つ冤罪であることを証明することで、この難局を

 乗り切った。芙美の地道な調査が、功を奏したことは言うまでもない。

 

 冤罪は晴れた。

 当然のごとく問題人物扱いされるようになったのは、結衣の方だ。

 だがもう卒業間近の彼女にとってはそれほど問題ではなかった。

 学生同士の結びつきは学部時代の友人同士の結びつきは、脆いものだ。

 

 この一件を機に絆が深まった芙美とはそのまま結婚し、山瀬は娘にも

 恵まれた。


 だが誤解したままの人もおり、何かのついでに思い出したように陰口を
 叩かれるのは辛いものがあった。問題が出た時には大々的に伝わる一方で、
 解決したものにはそれほど興味を持たれない。

 しかもこれで終わりではなかった。
 結婚したからと言って、結衣が諦めたわけではなかったのだ。

 結婚後は、ターゲットを芙美に絞り、勤務先に誹謗中傷を繰り返し、
 辞めさせた。それがきっかけで芙美は心を病み、外出できなくなって
 しまった。復讐すべきは結衣だが、関連の無い会社に就職した結衣を
 力で黙らせることは不可能で、何事もなかったように社内で結婚相手を
 見つけると、さっさと寿退職してしまった。

 それ以降は嫌がらせはない。
 精神的に安定したのだろう。

 だが山瀬は忘れない。忘れられなかった。
 山瀬にしたこと。
 芙美にしたこと。
 ずっと腹の奥で燻っていた。
 放置したさやかな火が、わずかな燃料の投下で
 とてつもなく燃え広がるのを、自分でも知らずにいたのだ。


7

 

  優奈は黙って、山瀬の昔話を聞いていた。


  物語と違い、密かに慕う想い人に見出されるどころか

  互いに憎しみをぶつけあう割り切れない結末。

  山瀬も辛い道のりを思い出したのか、少し言い淀む。

     

 「土岐等君は、その子に良く似ていたんだ」


  初めは他人の空似だと思った。

  性格も全然違う。

  ただ顔が似ているだけだと。

  そう自分に言い聞かせて、不平等にならないように心を配った。

  でもある日、知ってしまった。

  彼女の母親の旧姓が、あの子と同じだと言うことを。

 

   突如山瀬には目の前の女子学生が、化け物に思えた。

  あの子のように、また山瀬を冤罪に落とす気ではないか

  山瀬の家族を、ぼろぼろにする腹積もりなのではないか。

  言葉や態度には出さなくとも、疑心暗鬼になった。

 

  そんな時に佐々木から聞いた。

   土岐等が、山瀬をセクハラで訴えようとしていると。


  以前のように濡れ衣を着せられるのは、ごめんだった。

  断固たる態度に出よう。

  そう決意した。

 

 「ただ自分と家族を守りたかった。嫌がらせを率先して

  やろうとは思ってはいなかった」


  だんだんと坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと、感情がエスカレート

  していった。ただそれだけの理由。

  つまらないが、問題を育てるには十分な種は、不幸にして

  すくすくと育っていった。

 

  周囲も誰も止めない。

  むしろ山瀬の行為に付いてきてくれる。

  やはり土岐等は、誰にとっても問題がある人間だったのだ。

  他の人間もやるから罪悪感も薄まる。

  土岐等が泣きそうな顔をすると、まるであの女子学生を

  懲らしめたような気分がして、すかっとした。


  山瀬が切々とその頃の自分の心情を吐露する。

  当時の想念を取り戻したのか、つらつらと並べ立てるその理由は

  並々ならぬ憎悪に満ちている。


 「『そんなつもりじゃなかった』というのは言い訳にはなりません。

  あなたも学生相談室の室長をしていたのなら、ご存じでしょう?」


  人通りの少ない裏庭のベンチに、いつの間にか校舎の影に焔がいた。


 「そんな馬鹿げた理由で、人を死に追いやって、被害者面ですか。

  大した根性だ」


 世間話でもするかのように、当然のごとく真っ直ぐに二人の前に

 歩いてくる。


 「お前は。よくも私の人生を滅茶苦茶にしてくれたな」


 優奈は山瀬と焔のいつもと違う物言いに、度肝を抜かれている。

 一方で、焔は全く気にせず、笑みすら浮かべている。

 これが此の男の本性だと既に知っているので、驚くに値しない。


 「とんでもない。あなたの破滅は始まったばかりですよ」

 

 よっと横の一人掛けのベンチに座る。


 「それよりもそんなくだらない理由で、あかりさんを殺したんですか?

  嫌がらせが昂じて殺してしまった。そうではないですよね?

  真実は大体掴んでいますが、あなたの口からお聞かせ願いたい」


 ちらと後ろを見ると、常川が待機している。


 「……殺してはいない。彼女は持病で亡くなった」


 携帯電話と薬が盗難されたことを、既に学会で証明した焔に、

 こんな言い訳が通じるはずもない。すぐに反論する。


 「まず、あなたの研究室で毒物が盗まれたのが発端ですね。

  本来は警察に届けるべきなのに、あなたは監督責任を恐れて

  届けず、内部で調査していた。その内にそれを持っている人物を

  つき留めた。それは……」


  「すまなかった」


  突然、山瀬が土下座した。

  優奈は唖然とする。

  あの気位の高い、尊敬すべき師が躊躇もなく土下座をしている。

  ひどくショックを受けた。


  「それだけは……。家族の命がかかっているんだ」


  「僕の知ったことではありません。保身のためにあかりさんの命を

   犠牲にしたあなたに拒否権など認めない。早く真実を言って下さい」


  常川がこちらに歩み寄る。

  焔の手には、ICレコーダーが握られている。

  

  「言えない」


  「拒否権はないと言ったでしょう。往生際の悪い男だ。それなら

    僕が言いましょう。あなたは芹沢和哉が当時この近辺で起こっていた

   連続殺人犯であったことを知っていましたね?」


  最後の質問の直前に、ICレコーダーのスイッチを入れる焔。

  今からの会話は全て、証拠に使うつもりだ。

  レコーダーに怯えているのか、質問が鋭すぎるのか、

  山瀬の顔は蒼白になり、何も答えない。

  常川と優奈は、只々絶句する。

  

  「芹沢にアカハラの責を全て押しつける見返りに、あなた方は

   彼が自殺したと見せかけることに協力した。違いますか?」


  「……」


 「芹沢が自殺とされた根拠は、フェリー航海中に行方不明になった
  為です。遺書と靴、祖母の形見の手鏡が甲板で発見され、自殺とみて
  捜索が開始されましたが、結局は見つからなかった。この場合、
  特別に海難事故として死亡届が特別に受理されます。
  
状況から判断して生存率が極めて少ない時には死亡届が
  出せるのです。
フェリーの航路上の渦が大きくて、遺体が通常
  あがらないことを知っていたあなた方は、これを悪用した」

  必死で焔の話の流れに付いてきた優奈が、ここで疑問が浮かんだ。
  遺体が見つからなければ、自殺ではなく行方不明者になるのでは
  ないか。


 「待って下さい。行方不明者の場合は何年か経過しないと、裁判所に

  死亡届を出すことができないんじゃないですか?」


 「これは特殊事例なんです。だからこそあなた方は利用した。なぜか?

  早急に死んだことにする必要があるからです。七年も待っていられ

  なかった。」


  常川がそこで思いついた。


 「殺人犯の候補から外れる為か!」


  焔は黙って頷いて見せる。


 「当時乗船した客の中には、開かずの間で姿を消したはずの塔堂の

  名前が記載されていたそうです。これはどういうことですか?」


  先程から無言を貫いている山瀬に、今度は名指しで焔は問う。


 「知らない。そんなこと私が知る筈がないだろう」


 「行方不明の学生と、自殺志願者の学生が二人仲良く同じフェリーに偶然

  居合わせたというのですか?」


 「フェリーの会社の人も、二人に関連があるとは思っていないようでした。

  遺書や靴が発見されたのは、下船時のことなので、その後に海上巡視船に

  連絡を取ったとの話でした。もちろん下船した客にもいろいろ聞いて

  回ったようですが、誰も知り合いと名乗り出る者はいなかったと言って

  いました」


 「乗船リストを一般人の君が閲覧できる訳がない。嘘をつくな」


  山瀬が逆襲するが、すぐに焔が一枚の紙を出す。

  携帯電話の着信履歴。そこにフェリー会社の名前が載っていた。


 「塔堂が失踪した後も、携帯電話の契約は続けていたんです。その明細から

  居場所が特定できる可能性がありますからね。そこでこの電話番号が

  最後の着信になった。そこで分かったそうです。当時ご両親は、

  離れて暮らしていた息子の交友関係まではご存じないようでしたので、

  息子が自殺した訳ではないことを知って不謹慎だが、少しほっとしたと

  言っていました」


 「となると、二つ可能性が考えられるな。一つは、塔堂が芹沢を連れ出して

  フェリーで逃亡を図ったが、芹沢が自殺した。二つ目は塔堂が芹沢を

  連れ出して遺書をかかせ海に突き飛ばし殺害した」


 「三つ目は芹沢が塔堂を連れ出して、海に落とし、自分の遺書を

  書き、自殺を偽装した……」


  焔はフェリーの航路に、大きな渦があることを指摘する。当然海洋

  巡視船による調査は行われるが、それでもその海域では遺体が見つからない

  ことが多い。


 「四つ目は、全くの他人が塔堂の名前を騙って乗船した。これも証拠が

  あるんですよ」


  メールをコピーしたもの。そこにはフェリーからの購入レシートで、

  名前は塔堂となっている。


 「これは小田切のメールボックスを復旧させて、取り出したものです。

  おかしいですよね? どうして彼が塔堂のフェリーチケットを購入

  しているのか」


 「それが目的でパソコンの修理を引き受けたのか」


  常川が感心する。


 「もしかして、お前あのウイルス騒動自体、お前が仕組んだんじゃ……」


 意味真ににやりと笑うと、焔は答えなかった。

 それが答えだと優奈は確信した。

 ホスト達の噂を思い出す。


 「オーナーは得体が知れない知識が一杯あるんすよ」と。




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