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2


  思わぬ展開に絶句していた山瀬だが、すぐに気を取り戻した。
 
 「あれは院生が犯人だと調べて分かったはず。本人もそう言って

  いただろう。それを苦に自殺したのは可哀そうだが、自業自得だ」


 「確かにその学生も嫌がらせに加担しました。ですが主犯格が無罪放免

  など、許されることではないでしょう」


 「こんな屈辱は初めてだ。絶対にこのままでは済まさない。その時は

  お前の指導教官も道ずれにするからな」


  ヒートアップする論戦に、ここで待ったがかかった。

 

 「いい加減にしなさい!」


  後ろから威厳のある声が聞こえる。

  声と共に背筋をしっかりと伸ばした初老の紳士が、演台の方へ

  歩いて来る。年の頃は山瀬よりも一回り以上上だろう。

  年齢に遭わずしっかりとした物言いは、まさに紳士然としている。

  痩せた体躯はぴんと張った背中が、彼を大きく見せている。


 「お義父さん……」


  山瀬が信じられない物をみる目で、呟く。


 「私の教育が間違っていたようだ。焔君、君に送ってもらった研究書を

  読んで、省みた。もう遅いかもしれないが、私も教員時代にやってきた

  ことを、今になって反省している。多くの学生の前途を奪ってきた。

  言われるまでは気がつかなかったことを、大きく反省しているよ。

  それを当たり前のように見てきた山瀬君だから、自分の誤りを

  気付けないのだろう。これは私の責任でもある。申し訳なかった」


  老紳士はそこで焔に向かって、深々と頭を下げた。

  義理の父の登場に、山瀬は何とも居心地が悪そうにしている。


  優奈は、山瀬との会話を思い出す。

  山瀬の奥さんは、恩師の娘さんで、嫁実家には頭が上がらないと

  言っていたことを。

  ということは、あの老紳士は、この学会の重鎮ということになる。

  専攻分野なので彼の名前は、この学会に名を連ねる者なら誰でも

  知っている。確かこの学会の創設者の一人のはず。

  会場内の空気は一気に引き締まる。


  老紳士は十分すぎるほどに、頭を垂れると、向き直って山瀬の方を向く。


 「山瀬君、これはいい機会なんだ。私くらいの年齢になる前に

  気付いたことはラッキーだ。君ならまだやり直せる。間違いだと

  判断したら、直せばいい。まだ現役の君にしか出来ないことだ」


 「私は本当に何も……」


 「見苦しいぞ。君は、この状態でまさかとは思うが、まだ学会長選に

  出馬しようなどと思っている訳ではないだろうね。私が訳を話して、

  それは無効にしておいた。君はしっかり自分のした事の大きさを

  受け止めなければならない」


  助けを求めるように周囲を見るが、大重鎮の登場に逆らってまで

  山瀬に味方しようとする者はなく、山瀬は腹を括るしかなかった。


 「分かりました。学会の判断にお任せします……」


  義父であり、学会の重鎮である老紳士の言葉には逆らえず、

  山瀬は一礼すると、今度こそ会場を後にした。



3


 「山瀬先生……!」


 打ちひしがれ、会議場を後にした山瀬を追ってきたのは、優奈独りだった。

 

 「ああ、田中君か」


 心ここにあらずといった夢見るような目つきで、山瀬は優奈を振り返る。

 そこに自信にあふれた、昨日までの山瀬の姿はない。

 

 「先生」

 

 「いいよ。もういいんだ。君もあの男の話を信じるのだろう?」


 「信じ……たくなかったです」


 焔の証拠は完璧で、少なくとも5年前のアカデミック・ハラスメント

 事件を山瀬が主導していたこと。学生に責任を押しつけて、自分の

 処分を免れたこと。あかりへの殺人未遂と証拠隠滅。焔、いや嘉納への

 暴行傷害。全て優奈にとって、現実のものとは思えないものばかり。


 あかりの持病の薬を奪って、更に携帯電話を盗んでまで証拠を隠滅

 しようとした件については、衝撃的だった。

 相手が誰であろうと許せるものではない。

 

 目撃者が自分だけだったので、焔は証拠を集めるのに骨が折れたようだ。

 初めからアカハラを疑っていた焔は、あかりの携帯電話の記録を盗難に

 遭う前にしっかりと自分の携帯に移動させていた。

 倒れている間に消された記録があるかもしれないので、データの復旧も

 試みた。


 あかりの入院先の看護師や、見て見ぬふりをした学生たちの証言を

 得るのにも時間が必要だったと言っていた。

 特に大学関係者の隠蔽体質は強固で、ありとあらゆる手を使って

 証言を出させた。


 事件から5年。

 焔はおそらく今日のこの瞬間だけの為に生きてきた。

 

 接客業で覚えた人との付き合い方も。

 努力して手に入れた盗聴器や、鍵開けの技術も。

 余所の大学を卒業して、再び和琴大学大学院に入学する為

 学び続けたことも。


 全部が今日の。今日だけの為。

 他を全て捨て去り、人生を捧げる程の情熱を全て復讐に

 使ってきたのだ。

 焔をそこまで追い詰めただけの理由を創り出したのは、

 他ならぬ山瀬たちだ。

 怨嗟を育てた者たちには、それだけの責任がある。 

  

 それでも。

 優奈は山瀬を信じたかった。

 許される訳はないけれど、山瀬なりに理由があると。

 

 誰かを庇っているのではないですか?

 脅されて止むを得ずしたことではないですか?


 止むに止まれぬ、高尚な理由が。

 それを堂々と反論してほしかった。


 無言で丘を下る小道を急ぐ、山瀬。

 その背中は、はっきりと優奈を。人を拒絶している。

 それでも。

 今日は小さく見える背中を支えたくて、優奈は追いかける。

 

 「理由が。何か大きな理由があるんじゃないですか?」


 「君の想像しているような、きれいな理屈ではないが。

  少し昔話に付き合ってもらえるか?」


 さすがの山瀬も、慰めが欲しかったのか、意外と素直に

 口を開いた。示されて、小道の脇のベンチに座る。

 今日は土曜日なので、道行く人もほとんどいない。


 雲が2,3個流れて行く静かな空を眺めながら、山瀬は

 苦い思い出が結晶となる物語を始めた。

 


4


 「先生、今度の飲み会なんですけど、趣向を変えてロシア

  レストランにしようかと思うんです。予算は1500円くらい

  だから、そんなに高くないし。それで初めてなので、下見に

  行こうと思うんです。一緒に付いてきてくれますよね?」


  二十年前、まだ助教授だった頃の山瀬は、社交的で若く

  独身ということもあって、当時は女子学生の間でも人気があった。

  几帳面な性格もあって身ぎれいな装いに、自信に満ちた講義は

  学内外からの評価も高かった。それに加え、元指導教官からも

  内外に後継者としてのお墨付きを半ば公認で与えられていた為、

  その権勢は学内で比類ないものであった。


  自信は傲慢さを、堂々たる態度に、軽薄な心根を親しみやすいと

  好意的に転換してもらえた。いずれも若者にはよくある症状であるし、

  妬む人々が口を極めても、ものともしない程の基盤もあった。


  まさにわが世の春。

  後は結婚のみが関心事項といったところ。

  当然玉の輿を目指す女子学生たちは血眼になってその座を

  競いあった。それを高見の見物している山瀬を、疎ましく思う

  男子学生も多数いたが、それすらも女子学生からしたら只の

  僻みと見なされるだけだった。


  とりわけ今山瀬を誘った女子学生、正射結衣は積極的だった。

  意思の強さを体現したように眉毛を濃い目に描いた大ぶりの瞳と、

  筋の通った整った小ぶりの鼻は、顔立ちを派手に魅せる。

  対照的に服装は清楚なお嬢さんというように、ワンピースを

  基調としている。

  

  友人同士で話す時には、高く柔らかな声を楽しげに張り上げて、

  常に人生を謳歌しているかのようだった。

  良くも悪くも今時のお嬢さんで、我慢するくらいなら、

  自己主張を通そうとするが、その愛嬌ゆえに誰からも悪くは

  言われない。

  そんな学生だった。


 他の女子学生もなんだかんだと理由を付けては繋がりを持とうと

 していたので、彼女だけが特別な訳ではない。その中には大人しい

 なりにアタックしてくる事務員もいれば、派手な交友関係をバックに

 繋がりを持とうとしようとする業者の女性もいた。


 山瀬自身この状況を楽しんでおり、気分しだいで適当に付き合う。

 ただ結衣の積極的な態度には、いささか辟易していた。

 余程自信があるのか、無理に機会を作っては、隠すどころかそれを

 アピールする。少し距離を取った方が良い。そう考えていた矢先の

 誘いだった。


 「そのレストランなら、帰路にある。自分で見てくるよ」


 「私も見てみたいんです。幹事なんだから、どんなところか把握しておく

  必要があります」


  それではどうしていつもの飲み屋から変えたのだと思うのだが、

  その辺の事情は後付けなのだろう。飲み屋を開拓したいというのが、

  結衣の表向きの理由だ。


 「でもなあ。女子学生と二人きりというのは誤解されると良くない」


 「いいですよ。誤解されても。というか誤解でなくすれば

  いいんじゃないですか?」


 「……困ったことを言うな、君は」


  女子学生に慕われて、満更でもなかったが、一線を超える勇気はなかった。

  遊びくらいなら良いが、当時の山瀬には交際に発展しそうな女性がいた。

  恩師の次女の芙美だ。

  度々自宅を訪問する内に、自然とそうなっていた。

 

  交際し始めたのはごく最近で、明確にお互いに意思表示をして

  なかったので、正直山瀬自身交際していると明言して良いのか、

  良く分からなかった。

  

  だが結婚を拒む理由もなかったし、むしろメリットしかない女性。

  漠然とこのまま結婚するのだろうと思っていた。余計な誤解は受けたくない。


  だが結局結衣に押されて、行くことになってしまった。

  自分が断られるなんて夢にも思っていない若い女は、とても積極的だ。

  それにゼミの学生の中心的人物となっている女を無碍に扱うことは、

  ゼミ運営の在り方にも関わる。止むを得ず仕事の一環と割り切る。


 「つまらなそうですね」


 「……そんなことはないよ」


  ここら辺は芙美の職場と近い。

  余計な詮索をされても面倒だと思ったのだ。

  視線が定まらない。結衣は目聡く山瀬の態度を評する。


 「何をそんなに気にしているんですか?」


 「気にしてないよ。ただ明日は早いから今日は早めに帰るよ。

  さっさと食べて帰ろう」


 「……先生、私、先生の事……」


 「ああ注文が来た。おいしそうだな」


  あえてその間を壊す。これ以上聞いてはいけない。

  かといってはっきりと断ってしまえば、面倒なことになる。

  とにかくもめごとは嫌だ。せっかく手に入れたこの輝かしい未来を

  詰まらないスキャンダルごときで、潰されてたまるか。


  とにかく相手に話をする隙を与えぬよう、山瀬はとにかく話し続けた。

 「じゃあ、気を付けて帰るんだよ」


 「送って行ってくれないんですか?」


  時刻は九時。遅いと言えば遅いが。それでも結衣は甘えていると感じた。

  先程の話を蒸し返されても困る。

  これ以上付きまとわれても困る。

  早めに諦めさせるのが良いのかもしれない。

  お互いに。


  翌日、登校した結衣を待ちうけていたのは、山瀬が結婚を前提に

  交際している女がいるという噂話だった。

  残念がる女子学生もいたが、そこまで真剣だったものは皆無だった

  ようで、ぶつくさ恨み事を言いながらも、現状を受け入れていた。


  結衣以外は‐。

 


5


 「先生、本当なんですか?結婚する相手がいるなんて」


  恒例のゼミ終了後の飲み会で、酔狂な会話の切れ間に、

   打って変わって重苦しい雰囲気で、結衣が恨み事を告げる。


 「ああ。気恥しくて、皆には言っていなかったが。いずれは

   結婚するつもりだ」

 

  男子学生が狙っていた女子学生にこれで、アタックできると

   安堵したのか、冷やかし半分の声を浴びせる。だが結衣の表情

  だけが場違いに真剣そのものだ。


 「……そんなこと今まで言わなかったじゃないですか?」


  普段と違い、心細げに呟く結衣。


 「誰も私のプライベートを知りたいと言う物好きがいるとは

  思わなくてね」


  あくまでも受け流す山瀬。

  

  昨夜の一件を良い機会と、正式に芙美と付き合いたいと

  言ったのは、昨夜の事。曖昧な関係に一応の蹴りを付けた。

  結婚したいというのは本心だが、婚約の手順は未だ踏んでいない。


  今までの女性との付き合いは短期間で終了する傾向にあった。

  その中でも芙美は例外的に長続きしている。

  芙美はあまり自分から求めない。

  意思がないのではなく、人を自分の理想像という型に嵌めようと

  強要しようとはしない。常識的でおっとりしているようで、

  外出の際 には下調べをしっかりし、曖昧な注文を的確に処理してくれる。

  それでいて押しつけがましくない。気遣いの出来る人だ。


  外見は今まで付き合ってきた女性たちと比べると、いささか地味だが

  贅沢ではないところも好ましく思う。その父親と言い、自分には

   最高の縁談だろう。結婚のタイミングと言うのは、案外こういうもの

   なのだなと自分で納得していた。

 

  酔いのまわった顔をまだ冷たい夜風が、酒精を運ぶ。

  浮き立つその香りが山瀬の前途を祝福してくれている。

  珍しく山瀬は二次会まで、顔を出しほろ酔い気分を楽しんだ。

 

  その頃、帰路では酔いつぶれた結衣が、同級生の女子学生に介抱されていた。

  いつもは介抱する側の結衣がめちゃくちゃな飲み方をするのは珍しい。


 「大丈夫?私結衣ちゃんがこんな酔い方するのは初めて見た……。

  どうしたの?何かあった?」


  いつもは門限だの何だと煩い結衣が、今日に限ってはそんなことも意に

  返さないようだった。そして突然しゃくりあげる。突然の泣き上戸に

  女子学生は、戸惑いを隠せない。

 

 「実はね……」

 

   結衣は重々しく口を開いた。


6


 一週間後。


「身に覚えのないことです。正射君に話を聞いてみてください」


 山瀬は教授会で、身の潔白を訴えるはめになった。

 降ってわいたセクハラ疑惑。当時はハラスメント委員会なんて

 気の利いたものは設置されていなかった。故に全ての「問題」は

 教授会が審議し、沙汰を下していた。


「君、入って」


 言われて結衣が入って来た。

 その顔は何を考えているのかさっぱり読みとれない無表情だ。


「私はこの山瀬先生に、幾度も関係を強要されました」


 山瀬は絶句した。

 

「どうしてそんな嘘を……」


 今まで事あるごとに自分にまとわりついてきた結衣の言葉とは

 思えなかった。

 教え子の信じられない反逆に戦慄く山瀬をそのままに、

 尋問する役割を急遽振られた教授は、こういった場に慣れているのか

 事務的に事を進める。


「それは本当ですか?」


「はい」


「誰か証人か、証拠となるものはありますか?」


「ありません。私の証言を信用して頂く外はありません」

 

 芙美の父親である恩師は、外国へ招聘教授として招かれて居り不在。

 その為、山瀬の立場は圧倒的に不利だった。

 普段の行いが真面目な結衣の告白に、ほとんどの学生は結衣についた。

 ゼミは重苦しい緊張感に包まれた修羅の場と化した。

 学生達からの敵意が痛いほど伝わる。


 教師同士は災難だったなと言うが、女性教員陣の自分を見る目は明らかに

 変わった。前途洋洋たる未来はかくも無残に消え去った。いま辞職となれば

 他の職業への転職は難しい。


 そこでも助けとなったのは芙美だった。

 父親不在の中、彼女は山瀬の精神的支えとなり、無実の証拠を探そうと、

 仕事の合間を縫って独自に奔走してくれた。

 山瀬の側の人間であることを伏せて、特に女子学生からの話を

 聞くことに集中した。


 結局限りなく黒だが証拠不十分という、痛み分けの結果に終わった。

 

 処分はないが、学内での立場は微妙になり、今まであからさまな嫉妬を

 向けていた輩が声高に山瀬を批判するようになった。大勢からの圧力を

 脅威に感ずることなど、今までなかった山瀬にこれは効いた。


 学生時代にはどちらかと言うと、クラスのお調子者たちを

 先導する役割であった自分が、まさかこんな目に遭うとは。

 山瀬は立場の変化を受け入れることができなくて、

 これだけ助けてくれた芙美にも何度も八つ当たりをした。

 それでも芙美が離れることはなかった。

 上手く距離を図り、自分に尽くしてくれた。

 この時の感情は今でも忘れない。


 当時は、何より学生が怖かった。


 今まで友人のように接して来た学生達の手のひら返し。

 当然結衣に説明を求めた。

 学内では接近制限を受けていたので、電話で尋ねる。


「先生だけ幸せになるなんて許さない」


 結衣は一言こう言った。


 意味が分からなかった。

 実際に気のある素振りをしたり、深い関係だったのならまだしも、

 一方的にアプローチを受けていただけだ。

 それも面倒だから軽く受け流していた。少しくらい遊んでも良いかと

 思ったけれど、保身を考えて控えてきたのだ。こんな言われかたをされる

 道理はない。これではただの子どもの我儘だ。


「僕が君に何をしたって言うんだ。君の嘘のおかげでとんでもない目に

 遭っているんだぞ」


「反省しました?」


「は?」


 会話にならない。

 結衣は山瀬が悪いと一方的に思いこんでいる。

 それも悪意ではなく、本気で。

 気を取り直して、諭すことにする。


「今ならまだ許してやるから、本当のことを言ってくれ」


「まだご自分の立場を分かっていないようですね。先生は加害者。私は

 被害者。命令できるのは私です」


「何が目的なんだ。結婚を取りやめればいいのか?」


「はい。そして私と結婚すると宣言してください」


 滅茶苦茶だ。


 こんな経緯があった人間と普通に結婚できると本気で考えているのか。

 たとえ芙美と別れても、結衣と結婚する気にはなれない。


「それ以外に先生に勝ち目はないですよ」


 結衣は痴話喧嘩の範囲であると主張すれば、話はこれ以上

 大きくはならない。結衣が当てつけに騒いだだけだと言える。

 だからそうしろと強要しているのだ。

 こんなむちゃな要求をしてくる時点で、人間としての基本的な信頼関係が

 破壊されていると言うことが結衣には分からないのだろうか。

 

 こんな馬鹿げた提案を受け入れられるわけがない。

 山瀬は、結衣がいつどこで、ハラスメントにあったと証言しているのかを

 尋ね、それを一つ一つ冤罪であることを証明することで、この難局を

 乗り切った。芙美の地道な調査が、功を奏したことは言うまでもない。

 

 冤罪は晴れた。

 当然のごとく問題人物扱いされるようになったのは、結衣の方だ。

 だがもう卒業間近の彼女にとってはそれほど問題ではなかった。

 学生同士の結びつきは学部時代の友人同士の結びつきは、脆いものだ。

 

 この一件を機に絆が深まった芙美とはそのまま結婚し、山瀬は娘にも

 恵まれた。


 だが誤解したままの人もおり、何かのついでに思い出したように陰口を
 叩かれるのは辛いものがあった。問題が出た時には大々的に伝わる一方で、
 解決したものにはそれほど興味を持たれない。

 しかもこれで終わりではなかった。
 結婚したからと言って、結衣が諦めたわけではなかったのだ。

 結婚後は、ターゲットを芙美に絞り、勤務先に誹謗中傷を繰り返し、
 辞めさせた。それがきっかけで芙美は心を病み、外出できなくなって
 しまった。復讐すべきは結衣だが、関連の無い会社に就職した結衣を
 力で黙らせることは不可能で、何事もなかったように社内で結婚相手を
 見つけると、さっさと寿退職してしまった。

 それ以降は嫌がらせはない。
 精神的に安定したのだろう。

 だが山瀬は忘れない。忘れられなかった。
 山瀬にしたこと。
 芙美にしたこと。
 ずっと腹の奥で燻っていた。
 放置したさやかな火が、わずかな燃料の投下で
 とてつもなく燃え広がるのを、自分でも知らずにいたのだ。



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