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 「また?何かしたの?あの子? これで三人目よ。妙な事件にでも

  巻き込まれたのかしら。迷惑ねえ」


  大家のおかみは口ではそういいながらも、好奇心で目を輝かせていた。


 「三人目と言いますと……」


 「一人目は婚約者だとか言っていたわね。普通のスーツを着た、

   いかにもサラリーマンっていう人だったわ。度々来るから本当に

    心配しているんだと思うけれど。未成年でもないし、妙な張り紙が

    ポストから零れ落ちている時もあったしねえ。悪いけれど借金関係で、

  自分から失踪した気がするわ。こっちも今後家賃を滞納されるかも

  しれなくて困っているって言ったら、その分立て替えてくれてね。

  いつ帰ってきてもいいようにって、部屋はそのままにしてその分

  前払いしてもらっているのよ」


  余程話し相手に餓えていたのか、かなりの個人情報をぺらぺらと話して

  くれた。もちろんこちらからの情報提供を見返りに要求しているのは、

  想像に難くない。


  「僕らは同じ大学の学生なんですよ」


  「ええ、あなた学生さんなの?いやに老けて……いや大人びているのねえ」


  「はは、いいですよ。よくおっさんみたいだって言われますし。

    自分でも加齢臭が最近するんですよ」


  「あら、まだそんな年齢じゃないでしょ!」


  のりのよさに気に行ったのか、まだまだ情報提供をしてくれそうだ。

  優奈たちには捜査権限などない、ただの一般人だ。

  聞き込みにも限界がある。


  「張り紙って言っていましたけど、借金でもしていたんですか?」


 「そんなようなこと書かれた張り紙がポストに入っていたわよ。

  直接部屋とかに貼ったら、今はそういうのって違法なんでしょう?

   でもやっぱり返さないといろいろ取り立てが厳しいのねえ」


 「張り紙を入れていたのは、どんな人でしたか? やっぱりその筋の

  外見でしたか?」


 「さあ?私は少なくとも見ていないわね。ほら、うちのマンションって、

  玄関はオートロックでしょ?だから基本外部の人間は入れないんだけれど。

  ポストはそのもっと手前にあるからねえ。監視カメラも玄関にしかないし。

  私も管理会社に運営は任せているから、あまり内情は知らないのだけれど、

  住人が一人くらいは見ているかもしれないけれど。住人同士の交流って

  最近はほとんどないからねえ」


 「……まあ、オートロックでも前の人についていけば、入れないことも

  ないですしね」


 「まだ事件になっていないし、警備会社にも相談はしていなんだけれど。

  ほら、本当に金融関係から逃げているんだったら、藪蛇になっても

   かわいそうだしねえ」


 「はあ、まあ……」


 「それで、もう一人って?」


 「ええ。もう一人も若い男の人……だと思うんだけれど」


 「確かじゃないんですか?」


 「ええ。金髪でサングラスしていたから、なんとなく若いって思ったんだ

  けれど。もしかしたら年配の人がしているって可能性もあるわねえ」


 「その人も女の行方を聞いたんですか?」


 「ええ。ここに住んでいないかって聞くから、ほら私こう見えて口堅い

  でしょう?だからプライバシーなんで言えませんって言ったのよ。

  そうしたら、自分は佐々木さんの友人で、最近佐々木さんと連絡が

  取れないって言うから。いろいろ教えてあげたって訳」


 「それでその男は、最近ここに来るんですか?」


 「ええ。偶にふらっとね」


  しばらくそのマンションを貼ることにした。自称口の堅い大家には、

  更なる口の堅さの精進に勤めるよう促した。

   そして二週間が過ぎた頃だろうか。


 もうほとんど諦めかけていた時、男が現れた。


 大家がそれ以降店舗の従業員にも気を付けるよう通達を出したおかげで、

 男が来るのは夜九時すぎくらいということが分かっていたので、そのくらいに

 張り込みをしていた。


 「あれは……」


 常川は目を瞠りそう呟く。

 それ以上何も言わなかったが、動揺しているのは確かだった。



9


 「やっぱり未だに実家にも連絡がない」


 例の学内新聞の記事が予想外に好評だったのか、野次馬たちが

 例の部屋を見に来るようになった。鍵はあの日以降取り替えられたので、

 中には入れないのが、なんとか理由を付けてはあの部屋で百物語をしたり、

 肝試しをしたりと、なんやかんやで楽しんでいる。


 警備人としては頭の痛いことだ。小田切の娘の件もあるし、不特定多数が

 使う状況にはしたくないのだが、勉強会など銘打たれた会合を断る訳にも

 行かない。最近ではその学生が異常をきたすきっかけとなった殺人現場へも

 足を延ばす猛者もいるらしい。さぞかし土地所有者も迷惑していることだろう。

 

 そんな変わり者たちが最近は、後日談を知りたがる。

 姿を消した院生はどうなったのか?小田切が自殺したと聞いて、

 怪談話がより深みを増したらしい。怪談話を流布した身の上としては、

 落ちを付ける責任があると、常川が数年ぶりに実家に電話したところ、

 家族はやはりまだ戻っていないと答えたと言う。


 「確かにあれは塔堂だった……」


 あの晩、マンションで会った男は塔堂だったと、

 今になって常川は言う。


 今回常川がもう一度、真剣に塔堂の行方を探したのは、

 怪談話の落とし所を付ける為だけではなかったらしい。

 確かに塔堂は行方をくらましているだけなのだから、

 いつ姿を現してもおかしくない。

 むしろ姿を発見できたことは喜ばしいことだ。


 「あの男の人が塔堂さんだったとして、戻ってこないのは、どんな

  理由があるんでしょう? 単純に研究生活が嫌になったと言うこと

  でしょうか?そうだとしても、もっと上手い方法が有るはず」


  当時はアカハラが横行していたと言うし、そのターゲットにいる

  のが嫌になって身を隠したと、考えられないこともない。

  だが人には生活がある。

  一時的ならともかく、5年間も実家にすら連絡しないというのは

  考えられない。


 「退学すればいいだろ?失踪すると、住民票から保険証まで

  面倒なことになる」


 前も似たような会話をしたような気がする。


 「退学したことを気付かれたくなかったとか……。学生達の間で

  嫌がらせが合ったんですよね? だったら先生や事務方は退学した

  ことを知っていたけれど、その学生さんの気持ちを慮って秘密にして

  いるということはありませんか?家族もそうだとしたら、本当の事は

  分からないじゃないですか?もうとっくに帰って来ていて、ちゃんと

  就職もしているのかもしれません」


 「本当にそうだったら、わざわざ他の学生のところに電話してまで、

  行方を尋ねたり捜索願を出すか?黙っていなくなるだけで十分だろ?」


  大学院ではいつのまにか除籍している学生というのは、案外たくさんいる。

  条件の良い就職ができそうだというおめでたい者もあれば、

  悩んだ末行方がしれなくなるという、先を知るのが怖いものもある。

  基本的にそれほど絆が強くないのだ。


  常川も長い大学院生活で、幾人もそういった学生を見てきた。

  完全に失踪してしまうことは少なく、大概学生なりにまっとうな

  理由があるが、いちいち説明しないだけである。

  周囲もあえて問い質すことはない。


 「あいつが復讐の為に、姿を隠したのだとしたら?」


  復讐の為に潜伏して、機を伺っていると言うことか?


 「でしたら普通に学生をやるべきでしょう?それこそ復讐する機会が

  なくなってしまう……。学内の様子だって、外部からでは分からない

  でしょう」


 「いや、資金集めや人脈作りに集中するなら、ありかもしれない。

  協力者を中に潜ませておけばいいのだから」


 「それじゃあ……」


 「あくまで可能性だ」



1


「任せておけ。俺が何とかしてやる」


 確かに朋谷は言った。

 学生はそれを信じた。

 朋谷ができるかぎりの対処をすることを。

 秘密を漏らさぬことを。

 朋谷の人格を。

 

 その結果-学生は窮地に追い込まれることになった。

 学生に落ち度があるとすれば、朋谷を信頼に足る人物と

 信じたことだけ。

 しかし朋谷に罪の意識はなく、むしろ上手に世渡りできない学生に、

 苛立ちさえ覚えていた。


 遡ること約一週間前。

 

 「どうして論文を横取りされて、修士論文のテーマを変更しなければ

  ならないんですか?締め切りまであと2カ月しかないんですよ。

  本当に教授と話し合いをしてくれたんですか?」


  学生は指導教官に修士論文のドラフトを提出した。

  もちろん内容を指導してもらう為に提出したのに、

  なぜか指導教官はそれを自分の論文として学術雑誌に

  投稿することに決めてしまった。

  もちろんこのままでは盗作であることが丸分かりになってしまう。

  そこで指導教官は、学生に修士論文のテーマを変更するよう

  圧力をかけてきた。

  言うことを聞かなければ、論文を取り下げると、学位を盾に

  脅しをかけてきた。


  当然修士学生‐有徳は納得ができない。

  締め切りはあと二月。

  新しく他のテーマで書き始めるには時間がなさすぎる。


 「したよ。その結果が今回のことを招いたんだ」

 

  学生相談所のないこの大学で、有徳は初め事務に相談をした。

  それをどこからか聞き付けた教員が、この朋谷だったのだ。

  突然相談を聞くとメールが来た時には、有徳も怪しんだ。

  そもそも聞き付けた出所はどこなのか。

  その時点で怪しいが、他に頼むべき人もいないので、有徳は

  朋谷を信じてしまった。


  その結果、未だに現状を受け入れられない学生は、取り急ぎ違う

  テーマで書けという指導に応じておらず、このままではあとわずか

  2か月で書きあげなければ、修士論文を受理しないと圧力を掛けられる

  はめになっていた。常識的に考えて、2か月ではとても間に合わない。

  

 「黙って留年しろと言うんですか? 留年をしたら奨学金も打ち切られるん

  です。そんな余裕ありません。アカデミック・ハラスメントであると

  あなたが学内行政に訴えれば、処罰されるのは教授のはずです」


  「そういうのが迷惑なんだ。分かってないのは君だ。ここは学校で

   教授はいわば社長なの。君は会社に入って自分の成果だからって、

   社長にもそう主張するつもりか?社会ってものが分かってないな」


  「今度こうなったのは、あんたが告げ口したからか? おかしいだろ?

   あんたに相談してから俺の立場は一層不利になったんだ。あんたが

   漏らしたとしか考えられない」


  「妄想で適当な事言わないでくれ。どこにそんな証拠がある? 

   大体その論文だって君が書いたって証拠はないだろ?」

 

  証拠のCDRは教授に既に渡してしまった。

   だが学内行政宛てに事務に提出だけでもしてみるか。


  「前渡したあのCDRは? あれ返せよ」


  「さあ、そんなのもらった記憶はない」


  「はあ? ふざけているのか? アレがどれだけ大事なものか

   知って言っているのか?早く返せよ」


  朋谷のふざけた態度に業を煮やして、学生は朋谷に詰め寄った。

  だがこれがいけなかった。朋谷はこの瞬間を待っていたのだ。


  教授が入ってきた。横に副査の教授も連れている念の入れようだ。


  「朋谷君に、何をしているんだ?」


  「これは……」


  「狂言をいうだけでなく、教師に乱暴をするとは。これはもう厳重な

   処分が必要でしょうな」


  副査が今日中に追従するように言う。

  学生は罠にはまったことを瞬時に悟った。



2

 

 (今回も嫌な仕事だった。はあっ)


 自分にアカハラのもみ消しを依頼してきた宗教授は、普段は

 傍若無人のくせに悪だくみの頭だけは回る。外から見ると、

 その悪だくみで使うの頭の良さすら、知的に感じるらしい。

 不公正なことだ。

 まあ協力している朋谷には、言えた義理ではないが。

 

 (あの学生、俺の事きっと憎んでいるだろうな……)


 人情として、元凶だが直接のコンタクトをしない人間よりも、

 直接交渉して悪い結果を出してきた媒介人の方が憎らしく感じる。

 イメージがしにくいからだ。

 それを理解した上での宗の行動は、本当にあくどい。


 つくづく自分は教員運がないと、朋谷は感じた。

 他の教員はこういった要請を受けたことすらないだろう。

 宗はそれを良く知っているから、そういう教員に頼むことはない。

 直接の部下かつ、自己保身が第一の朋谷だからこそ立てた

 白羽の矢だ。ありがたくないことだ。


 先程の学生は、ゼミでは孤立しがちだが、実際の友人関係など

 分かったものではない。

 そういうのもちゃんとリサーチの上での、宗の行動だと

 信じたいところだ。


 あの学生はもう留年したから、また来年も同じことが起こる

 かもしれない。今度こそ訴訟になるかも。そう思うと明日のCOE

 会議の発表資料にすら、集中して読み込むことが出来ない。

 

 「本当、早く死んでくれないかな」


 宗を頭に思い描いて、物騒な独りごとを漏らした。


 ルルルルル。


 携帯電話が鳴る。


 「はい」


 不機嫌な気持ちそのままに出ると、相手は名乗らずにこういった。

 

 「佐々木の居場所はどこだ……」


 朋谷はとっさに携帯を投げ捨てた。

 

 (あいつがどうして……?)


 相手が通話を切ったのをおそるおそる確認してから、

 ようやく朋谷は携帯を切る。

 発信番号は、公衆電話からだった。



3


  翌日、朋谷はCOE会議の為に朝早く、母校の和琴大学へと
  向かった。
  指導教官だった山瀬の人脈で、他大学に籍を置いているにも
  関わらず、COE教員として参加している。
  山瀬研究室OBとしての付き合いのようなものだ。
  必然的に山瀬研究室OB達と定期的に会うことになる。
    
  先日から5年前の事件を引き合いに、執拗に連絡をとってくる
  佐々木のことを考えると、億劫になる。
  最近は佐々木からの攻勢が止んだとはいえ、
  直接コンタクトを仕掛けてくる可能性もある。
  あの事件の事は正直忘れたいのに、はた迷惑なことだ。
  
  関係者の一人だった小田切が、不審な死を遂げたのも薄気味悪い。
  佐々木に至っては、政治家一家の跡取りと結婚する為に、
  過去の悪行のもみ消しを図ろうと躍起になっているのだろう。
  いずれにしろ自分一人でやるべきだ。

  都合のいい時だけ頼み込んでくるなど、友人でもなんでもない。
  テストの時だけ近づいて来る学部時代の知り合いのようで、
  その下卑た根性が、気持ち悪い。
  今日ははっきりと言った方がいいだろうなと、朋谷は決意した。

  今日のCOE会議で中心となるのは、もちろん各自の研究発表だが、
  その日は内部規定や海外の協力校との日程スケジュールも確認
  する予定だ。少々退屈そうなプログラムではある。

  その席で耳を疑うような規定が発表された。

 『共犯処罰規定』
  
  「わが校の全学審議会で決められた共犯処罰規定により、アカデミック・
   ハラスメントをした者はもちろん、その実行及び隠蔽に加担した者は
   処分されます。このCOE内プロジェクトにおいても、当然これは
   適用されます。具体的な処分内容について、今日は暫定的な処分内容
   について議論したいと思います……」

  説明しているのは、年若い男。
  まるで自分は正義の体現者とばかりに、堂々と説明する姿は
  朋谷にとっては厭味ったらしいものに他ならなかった。

  (気に入らないな) 
 
  加担したくてする訳ではない者もいる。
  世の中はきれいごとだけではないのだ。
  佐々木などはさぞかしこの規則に反対しているだろうなと探すが、
  今日はその姿を見せていなかった。
  小田切の件が頭をよぎり、いなければいないで気になる。

  長ったらしい会議が終わった後、顔見知りから佐々木について
  聞こうと探す。

  「あの、佐々木先生はどこに?」

  規定についての議論が終わり、発表の段になってから
  会議場に入って来た顔見知りの後輩に声をかける。
  今年入学したばかりの田中は、朋谷から見ると子どもにしか
  見えない。

  「佐々木先生、ですか?……」

  何故か答えにくそうな田中。
  何をそんなに困っているのか分からず、諦めて他の人に尋ねようとする。
 
  「佐々木は、失踪中だ」

  「常川さんっ」

  研究室にもまともに来ないこの男が、COEに来ているなんて
  想像もしていなかった。
  いやそれ以上に、今までの必死の形相で連絡を取ろうと
  していた佐々木の失踪。
  悪い予感がする。

  「失踪?何か原因らしいものはあるのか?」

  「アカハラで処分されたから、不貞腐れているんだろ。
   怪文書が届いていたから、単に姿を消しているだけかもな」

  その言葉に朋谷はどきりと目を泳がせる。
  朋谷はまさに今現在アカハラの共犯者だ。

  それに以前佐々木は自分と小田切が、5年前の事件を盾に
  脅されていると言っていた。
  先日の悪戯電話もそうだとするのなら、佐々木は妙な
  ことに巻き込まれているのかもしれない。

  「お前ら、何か隠しているだろ?」

  常川は、朋谷の気持ちなど気にせず、ずけずけと聞いて来る。
  聴講者用の椅子に腰を下ろし、頬をついてあけすけに聞いて来る。

  「佐々木さんが失踪したことも知らなかったのに、
   何を隠すと言うんだ?」

  「5年前の事件」

  「知らない。お前もあの顛末は全部知っているだろう?」
 
  「皆が知っている事実と、真実が違うんじゃないか?」

  「俺は土岐等さんとも、芹沢ともそれほど親しくなかったから、
   良くは知らないよ」

   常川はもちろん当時の人間関係に関して、ある程度把握しているので、
   見るからに疑わしい視線を寄こして見せる。


  「
アカハラ関係での揉め事は、尾を引くからな。適切な処分がなされても
   文句が出るご時世だ。理不尽な終わり方だったら、禍根が
   残るのも考えられる。お前も気を付けろよ」


  「余計な御世話だ。佐々木さんが姿を消したって言っても、

   実家に帰っているだけだろう。処分されたのが本当なら、

   遊んでいる訳にもいかないだろう」


   不気味な予感に震える心を奮い立たせる為に、

   あえて希望的観測を述べる朋谷。


  「大家さんによると、マンションはそのままで、突然姿を

   消したらしい。中は綺麗に片付いていて、財布や保険証の

   類も無くなっていることから、自分からいなくなったと今の

   ところ考えられている。

   マンションの管理会社へ実家から問い合わせがあったくらいだから、

   実家にも帰っていないはずだ」


   ますます気味悪くなる展開に、朋谷は鳥肌が立つ。

   小田切と佐々木の身の上に起きた異変について聞いて、

   朋谷も件のブログをチェックした。

   確実にに裏で何かが動いている。

   ひたひたと忍びよる不気味な気配に、しばしの沈黙が訪れる。

   
  「……塔堂。あいつ生きていたんだな。お前そのこと知っていたか?」


   声を抑えて常川が囁く。

   声が届くなり、朋谷は大袈裟な程に反応した。


  「そんな訳がない!」

   急に朋谷が大声を出して立ち上がったので、優奈は息を飲んだ。
  
  「……あいつは姿を消しただけなんだ。姿を現したのなら喜ばしい
   ことじゃないか?」

  「これだけ長く見つからないから、死んだと思っただけだ」

  「何か知っているんじゃないか?」

  「何も知らないといているだろう!」


   これ以上詮索しても、朋谷の怒りを増すだけだ。

   常谷はそう判断したのか、それ以上追及はしなかった。

   会話が途切れ、遠くから聞こえる学生達の話声が耳に届く。

   廊下で一人、この会話に耳を澄ませる者は、自分の存在が

   悟られないよう、柱の陰に身を隠した。

   

  「佐々木さんは殺されているかもしれない」


   ぽつりと放った朋谷の一言は、不吉極まりない。

   それでも小田切の結末を知っている一同にとっては、

   ありえない話と、一笑に伏して終わることのできないだけの

   リアリティを持っていた。


  「小田切が自殺したからか? あいつは自分で……」


  「佐々木さんにもしものことがあったら、

   すぐに警察に通報してくれ。俺と山瀬先生にもすぐに連絡しろ」


  「言われなくてもそうするだろ。お前まだ何か隠しているな。

    5年前に何があった?」


  常川は小田切と佐々木宛てに届いた、怪文書のことを朋谷に話した。

  朋谷は自分の名前が書かれていなかった事に安堵しつつも、

  怪現象の影に隠れたその手紙の存在が気味悪く思えた。


  「お前に言えた義理か。お前だって土岐等さんを見殺しにした一人

   じゃないか」


  「……」


  ぐっと常川は言葉に詰まる。

  教室の傍で、隠れて会話を聞いていた人物の目が見開かれる。


  「山瀬先生はそのこと知っているのか?」


  「さあ?佐々木は山瀬に見捨てられたからな。それまでは

   何とか裏から手を回そうとしていたみたいだが。ボスが

   そういうんなら仕方ないよな。お前も見限られないように、

   気を付けろよ」


  「山瀬先生さえいいと言えば、すぐにでも警察に行け」


  「何だそれ」


  「山瀬先生が全てを教えてくれるはずだ。俺が話したことは内緒に

   してくれ。じゃあな」


  もうこれ以上話すことはないと、その場を去ろうとした朋谷に
  常川は更に詰め寄る。


  「何だよ。勝手な奴だな。本当のことを話す気になったら、

   教えてくれ。お前の身もヤバいのかもしれないぞ


  ぶうぶう文句をたれる常川。

  だが朋谷の深刻な様子に、優奈は不安を隠しきれない


  

  隠れていた焔が、頃合いだろうと姿を現した。


  「お話し中、すみませんが、これを朋谷先生に」


  そういうと先程までのあの忌々しい共犯罰則規定についての説明だった。

  

 「朋谷先生、わが校の新規則について説明したものを用意しました。

  先生は他大学で勤務されているので、ご存じないこともあると思います。

  COEに関しては、先生も拘束される内容ですのでよく読んでください」


  先程のこざかしい正義つらした男が、パンフレットを渡す。

  街中で配られるチラシを見る目つきで、それを受け取った。


 「まるで取り締まりだな。いつからここは監視体制になった?」


 「当たり前のことを御存じない方が、偶にいらっしゃるんですよ」


 「君はその忠実なる手先と言う訳か」


 「規律を守るためには、憎まれ役も必要です」


  (ますます面白くない)


  朋谷はイライラを隠すことなく、適当に鞄にチラシを詰め込むと

  今度こそ帰ってった。




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