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1


「任せておけ。俺が何とかしてやる」


 確かに朋谷は言った。

 学生はそれを信じた。

 朋谷ができるかぎりの対処をすることを。

 秘密を漏らさぬことを。

 朋谷の人格を。

 

 その結果-学生は窮地に追い込まれることになった。

 学生に落ち度があるとすれば、朋谷を信頼に足る人物と

 信じたことだけ。

 しかし朋谷に罪の意識はなく、むしろ上手に世渡りできない学生に、

 苛立ちさえ覚えていた。


 遡ること約一週間前。

 

 「どうして論文を横取りされて、修士論文のテーマを変更しなければ

  ならないんですか?締め切りまであと2カ月しかないんですよ。

  本当に教授と話し合いをしてくれたんですか?」


  学生は指導教官に修士論文のドラフトを提出した。

  もちろん内容を指導してもらう為に提出したのに、

  なぜか指導教官はそれを自分の論文として学術雑誌に

  投稿することに決めてしまった。

  もちろんこのままでは盗作であることが丸分かりになってしまう。

  そこで指導教官は、学生に修士論文のテーマを変更するよう

  圧力をかけてきた。

  言うことを聞かなければ、論文を取り下げると、学位を盾に

  脅しをかけてきた。


  当然修士学生‐有徳は納得ができない。

  締め切りはあと二月。

  新しく他のテーマで書き始めるには時間がなさすぎる。


 「したよ。その結果が今回のことを招いたんだ」

 

  学生相談所のないこの大学で、有徳は初め事務に相談をした。

  それをどこからか聞き付けた教員が、この朋谷だったのだ。

  突然相談を聞くとメールが来た時には、有徳も怪しんだ。

  そもそも聞き付けた出所はどこなのか。

  その時点で怪しいが、他に頼むべき人もいないので、有徳は

  朋谷を信じてしまった。


  その結果、未だに現状を受け入れられない学生は、取り急ぎ違う

  テーマで書けという指導に応じておらず、このままではあとわずか

  2か月で書きあげなければ、修士論文を受理しないと圧力を掛けられる

  はめになっていた。常識的に考えて、2か月ではとても間に合わない。

  

 「黙って留年しろと言うんですか? 留年をしたら奨学金も打ち切られるん

  です。そんな余裕ありません。アカデミック・ハラスメントであると

  あなたが学内行政に訴えれば、処罰されるのは教授のはずです」


  「そういうのが迷惑なんだ。分かってないのは君だ。ここは学校で

   教授はいわば社長なの。君は会社に入って自分の成果だからって、

   社長にもそう主張するつもりか?社会ってものが分かってないな」


  「今度こうなったのは、あんたが告げ口したからか? おかしいだろ?

   あんたに相談してから俺の立場は一層不利になったんだ。あんたが

   漏らしたとしか考えられない」


  「妄想で適当な事言わないでくれ。どこにそんな証拠がある? 

   大体その論文だって君が書いたって証拠はないだろ?」

 

  証拠のCDRは教授に既に渡してしまった。

   だが学内行政宛てに事務に提出だけでもしてみるか。


  「前渡したあのCDRは? あれ返せよ」


  「さあ、そんなのもらった記憶はない」


  「はあ? ふざけているのか? アレがどれだけ大事なものか

   知って言っているのか?早く返せよ」


  朋谷のふざけた態度に業を煮やして、学生は朋谷に詰め寄った。

  だがこれがいけなかった。朋谷はこの瞬間を待っていたのだ。


  教授が入ってきた。横に副査の教授も連れている念の入れようだ。


  「朋谷君に、何をしているんだ?」


  「これは……」


  「狂言をいうだけでなく、教師に乱暴をするとは。これはもう厳重な

   処分が必要でしょうな」


  副査が今日中に追従するように言う。

  学生は罠にはまったことを瞬時に悟った。



2

 

 (今回も嫌な仕事だった。はあっ)


 自分にアカハラのもみ消しを依頼してきた宗教授は、普段は

 傍若無人のくせに悪だくみの頭だけは回る。外から見ると、

 その悪だくみで使うの頭の良さすら、知的に感じるらしい。

 不公正なことだ。

 まあ協力している朋谷には、言えた義理ではないが。

 

 (あの学生、俺の事きっと憎んでいるだろうな……)


 人情として、元凶だが直接のコンタクトをしない人間よりも、

 直接交渉して悪い結果を出してきた媒介人の方が憎らしく感じる。

 イメージがしにくいからだ。

 それを理解した上での宗の行動は、本当にあくどい。


 つくづく自分は教員運がないと、朋谷は感じた。

 他の教員はこういった要請を受けたことすらないだろう。

 宗はそれを良く知っているから、そういう教員に頼むことはない。

 直接の部下かつ、自己保身が第一の朋谷だからこそ立てた

 白羽の矢だ。ありがたくないことだ。


 先程の学生は、ゼミでは孤立しがちだが、実際の友人関係など

 分かったものではない。

 そういうのもちゃんとリサーチの上での、宗の行動だと

 信じたいところだ。


 あの学生はもう留年したから、また来年も同じことが起こる

 かもしれない。今度こそ訴訟になるかも。そう思うと明日のCOE

 会議の発表資料にすら、集中して読み込むことが出来ない。

 

 「本当、早く死んでくれないかな」


 宗を頭に思い描いて、物騒な独りごとを漏らした。


 ルルルルル。


 携帯電話が鳴る。


 「はい」


 不機嫌な気持ちそのままに出ると、相手は名乗らずにこういった。

 

 「佐々木の居場所はどこだ……」


 朋谷はとっさに携帯を投げ捨てた。

 

 (あいつがどうして……?)


 相手が通話を切ったのをおそるおそる確認してから、

 ようやく朋谷は携帯を切る。

 発信番号は、公衆電話からだった。



3


  翌日、朋谷はCOE会議の為に朝早く、母校の和琴大学へと
  向かった。
  指導教官だった山瀬の人脈で、他大学に籍を置いているにも
  関わらず、COE教員として参加している。
  山瀬研究室OBとしての付き合いのようなものだ。
  必然的に山瀬研究室OB達と定期的に会うことになる。
    
  先日から5年前の事件を引き合いに、執拗に連絡をとってくる
  佐々木のことを考えると、億劫になる。
  最近は佐々木からの攻勢が止んだとはいえ、
  直接コンタクトを仕掛けてくる可能性もある。
  あの事件の事は正直忘れたいのに、はた迷惑なことだ。
  
  関係者の一人だった小田切が、不審な死を遂げたのも薄気味悪い。
  佐々木に至っては、政治家一家の跡取りと結婚する為に、
  過去の悪行のもみ消しを図ろうと躍起になっているのだろう。
  いずれにしろ自分一人でやるべきだ。

  都合のいい時だけ頼み込んでくるなど、友人でもなんでもない。
  テストの時だけ近づいて来る学部時代の知り合いのようで、
  その下卑た根性が、気持ち悪い。
  今日ははっきりと言った方がいいだろうなと、朋谷は決意した。

  今日のCOE会議で中心となるのは、もちろん各自の研究発表だが、
  その日は内部規定や海外の協力校との日程スケジュールも確認
  する予定だ。少々退屈そうなプログラムではある。

  その席で耳を疑うような規定が発表された。

 『共犯処罰規定』
  
  「わが校の全学審議会で決められた共犯処罰規定により、アカデミック・
   ハラスメントをした者はもちろん、その実行及び隠蔽に加担した者は
   処分されます。このCOE内プロジェクトにおいても、当然これは
   適用されます。具体的な処分内容について、今日は暫定的な処分内容
   について議論したいと思います……」

  説明しているのは、年若い男。
  まるで自分は正義の体現者とばかりに、堂々と説明する姿は
  朋谷にとっては厭味ったらしいものに他ならなかった。

  (気に入らないな) 
 
  加担したくてする訳ではない者もいる。
  世の中はきれいごとだけではないのだ。
  佐々木などはさぞかしこの規則に反対しているだろうなと探すが、
  今日はその姿を見せていなかった。
  小田切の件が頭をよぎり、いなければいないで気になる。

  長ったらしい会議が終わった後、顔見知りから佐々木について
  聞こうと探す。

  「あの、佐々木先生はどこに?」

  規定についての議論が終わり、発表の段になってから
  会議場に入って来た顔見知りの後輩に声をかける。
  今年入学したばかりの田中は、朋谷から見ると子どもにしか
  見えない。

  「佐々木先生、ですか?……」

  何故か答えにくそうな田中。
  何をそんなに困っているのか分からず、諦めて他の人に尋ねようとする。
 
  「佐々木は、失踪中だ」

  「常川さんっ」

  研究室にもまともに来ないこの男が、COEに来ているなんて
  想像もしていなかった。
  いやそれ以上に、今までの必死の形相で連絡を取ろうと
  していた佐々木の失踪。
  悪い予感がする。

  「失踪?何か原因らしいものはあるのか?」

  「アカハラで処分されたから、不貞腐れているんだろ。
   怪文書が届いていたから、単に姿を消しているだけかもな」

  その言葉に朋谷はどきりと目を泳がせる。
  朋谷はまさに今現在アカハラの共犯者だ。

  それに以前佐々木は自分と小田切が、5年前の事件を盾に
  脅されていると言っていた。
  先日の悪戯電話もそうだとするのなら、佐々木は妙な
  ことに巻き込まれているのかもしれない。

  「お前ら、何か隠しているだろ?」

  常川は、朋谷の気持ちなど気にせず、ずけずけと聞いて来る。
  聴講者用の椅子に腰を下ろし、頬をついてあけすけに聞いて来る。

  「佐々木さんが失踪したことも知らなかったのに、
   何を隠すと言うんだ?」

  「5年前の事件」

  「知らない。お前もあの顛末は全部知っているだろう?」
 
  「皆が知っている事実と、真実が違うんじゃないか?」

  「俺は土岐等さんとも、芹沢ともそれほど親しくなかったから、
   良くは知らないよ」

   常川はもちろん当時の人間関係に関して、ある程度把握しているので、
   見るからに疑わしい視線を寄こして見せる。


  「
アカハラ関係での揉め事は、尾を引くからな。適切な処分がなされても
   文句が出るご時世だ。理不尽な終わり方だったら、禍根が
   残るのも考えられる。お前も気を付けろよ」


  「余計な御世話だ。佐々木さんが姿を消したって言っても、

   実家に帰っているだけだろう。処分されたのが本当なら、

   遊んでいる訳にもいかないだろう」


   不気味な予感に震える心を奮い立たせる為に、

   あえて希望的観測を述べる朋谷。


  「大家さんによると、マンションはそのままで、突然姿を

   消したらしい。中は綺麗に片付いていて、財布や保険証の

   類も無くなっていることから、自分からいなくなったと今の

   ところ考えられている。

   マンションの管理会社へ実家から問い合わせがあったくらいだから、

   実家にも帰っていないはずだ」


   ますます気味悪くなる展開に、朋谷は鳥肌が立つ。

   小田切と佐々木の身の上に起きた異変について聞いて、

   朋谷も件のブログをチェックした。

   確実にに裏で何かが動いている。

   ひたひたと忍びよる不気味な気配に、しばしの沈黙が訪れる。

   
  「……塔堂。あいつ生きていたんだな。お前そのこと知っていたか?」


   声を抑えて常川が囁く。

   声が届くなり、朋谷は大袈裟な程に反応した。


  「そんな訳がない!」

   急に朋谷が大声を出して立ち上がったので、優奈は息を飲んだ。
  
  「……あいつは姿を消しただけなんだ。姿を現したのなら喜ばしい
   ことじゃないか?」

  「これだけ長く見つからないから、死んだと思っただけだ」

  「何か知っているんじゃないか?」

  「何も知らないといているだろう!」


   これ以上詮索しても、朋谷の怒りを増すだけだ。

   常谷はそう判断したのか、それ以上追及はしなかった。

   会話が途切れ、遠くから聞こえる学生達の話声が耳に届く。

   廊下で一人、この会話に耳を澄ませる者は、自分の存在が

   悟られないよう、柱の陰に身を隠した。

   

  「佐々木さんは殺されているかもしれない」


   ぽつりと放った朋谷の一言は、不吉極まりない。

   それでも小田切の結末を知っている一同にとっては、

   ありえない話と、一笑に伏して終わることのできないだけの

   リアリティを持っていた。


  「小田切が自殺したからか? あいつは自分で……」


  「佐々木さんにもしものことがあったら、

   すぐに警察に通報してくれ。俺と山瀬先生にもすぐに連絡しろ」


  「言われなくてもそうするだろ。お前まだ何か隠しているな。

    5年前に何があった?」


  常川は小田切と佐々木宛てに届いた、怪文書のことを朋谷に話した。

  朋谷は自分の名前が書かれていなかった事に安堵しつつも、

  怪現象の影に隠れたその手紙の存在が気味悪く思えた。


  「お前に言えた義理か。お前だって土岐等さんを見殺しにした一人

   じゃないか」


  「……」


  ぐっと常川は言葉に詰まる。

  教室の傍で、隠れて会話を聞いていた人物の目が見開かれる。


  「山瀬先生はそのこと知っているのか?」


  「さあ?佐々木は山瀬に見捨てられたからな。それまでは

   何とか裏から手を回そうとしていたみたいだが。ボスが

   そういうんなら仕方ないよな。お前も見限られないように、

   気を付けろよ」


  「山瀬先生さえいいと言えば、すぐにでも警察に行け」


  「何だそれ」


  「山瀬先生が全てを教えてくれるはずだ。俺が話したことは内緒に

   してくれ。じゃあな」


  もうこれ以上話すことはないと、その場を去ろうとした朋谷に
  常川は更に詰め寄る。


  「何だよ。勝手な奴だな。本当のことを話す気になったら、

   教えてくれ。お前の身もヤバいのかもしれないぞ


  ぶうぶう文句をたれる常川。

  だが朋谷の深刻な様子に、優奈は不安を隠しきれない


  

  隠れていた焔が、頃合いだろうと姿を現した。


  「お話し中、すみませんが、これを朋谷先生に」


  そういうと先程までのあの忌々しい共犯罰則規定についての説明だった。

  

 「朋谷先生、わが校の新規則について説明したものを用意しました。

  先生は他大学で勤務されているので、ご存じないこともあると思います。

  COEに関しては、先生も拘束される内容ですのでよく読んでください」


  先程のこざかしい正義つらした男が、パンフレットを渡す。

  街中で配られるチラシを見る目つきで、それを受け取った。


 「まるで取り締まりだな。いつからここは監視体制になった?」


 「当たり前のことを御存じない方が、偶にいらっしゃるんですよ」


 「君はその忠実なる手先と言う訳か」


 「規律を守るためには、憎まれ役も必要です」


  (ますます面白くない)


  朋谷はイライラを隠すことなく、適当に鞄にチラシを詰め込むと

  今度こそ帰ってった。



4


 「そのままでいいのですか?」


居酒屋で管を巻いた後、閉店になり仕方なく一人で帰る帰り道。

ふと朋谷に似た体形の中年を見かけて、腹が立ち小石を蹴る。


「くそ、あのクズ!」

 

 石に当たっても気は晴れず、近くの公園のベンチに座る。

 大学に持参している水筒を出すと、ぐいっと飲んだ。

 たくさん飲んだが本気で酔えない。

 風鈴の音が聞こえて夏の訪れを感じる。

 

 もう何度目になるか。

 要領がわるいのだろうな。 

 今もこんなありえない不幸に押しつぶされそうだ。

 

 最低限の事だけをこなして、何もやる気が出ない。


 「動くのなら、早い方がいい。あなたは一週間も無駄にしてしまった」


 近づいてきた黒衣の男が言った。

 先程から居ることは知っていたが、まさか自分に用事があると

 思っていなかった学生は慌てた。


 「あんた俺の事知っているのか?」


 「はい。あなたの論文が盗用されそうなこともね」

 

  あっさりと言うと、男は「ここいいですか」と断りを入れて、

  学生の隣に座る。どこか酒の匂いがする。

  この男もどこかで飲んできたのかもしれない。


 「大学の皆は誰も信じてくれないけれどな。俺が盗用したことになって

  いるよ。学生の言うことよりも、先生の言うことを聞くのが普通だから

  仕方ない」


 「……それで、あなたは盗用したんですか?」


 「していない!するわけがないだろう!大体俺、先生の研究を盗もう

  だなんて考えたこともなかったよ」


 「……じゃあ、やることは一つですね」

 

 それからたっぷり二時間程、学生は男と話した。

 周囲の景色は少しだけ色を取り戻した。



5



翌日から学生はとにかく書き続けた。

  CDRがない今、資料を片手に再現する。同じ内容にならぬよう

  多く補足をつけては、毎日とにかく書き進める。

  大学で書き進めているが、機にさとい先輩たちからは、

  あからさまな手のひら返しを受けているが、それを

  気にする余裕もない。


  卒業論文の受け取りを盾に、理不尽な研究結果を

  横どりされたのが一週間前。

  修士論文の締め切りは二か月後。

  論文に要した時間は一年半。

  横どりされた論文を、教授が投稿する学術雑誌の締め切りは一か月後。

  既に提出されていたら、もう間に合わない。


 今は一瞬でも時が惜しい。  

  

  無駄な努力であっても、許せない物は許せない。

  友人たちは教授との話し合いを付ければいいと言っていたが、前みたいに

   どうせ騙されるだけだ。盗作に甘んじようが、どうだろうが、

   卒業論文で不利益な扱いを受けることは目に見えている。

   やるだけやって実績づくりをするのが先だ。

 

   その様子を院生たちから聞かされるたびに、朋谷は落ち着かない。

  腐るのでもなく、憤るのでもなく、前向きに努力する。

  その真っ直ぐさと、まともに向き合えない。

 

  反省はしていない。

   仕方なくやったことだ。

   それでも学生が眩しくて、自己嫌悪が募る。


  先日もらったあのプリントも頭を過る。

   朋谷のCOEに参加しているが、この大学では唯一人。

  『共犯処罰規定』。

  この言葉が頭から離れない。  

 

   通常はCOEのメンツとも顔を合わせる機会自体少ない。

  それでも何とも胸がざわつく。

  この流れが遠く、この大学まできたのなら、自分は処罰されるのだろうか。

  当の宗教授は、気にすることもなく、着々と学生の論文を盗用する準備を

 始めているが、本当にこのままでいいのか。

 正義感だけではない。

 自己防衛本能が、警告を鳴らしているのに、耳を傾けるべきか。

 朋谷は深く悩む。





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