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 待ち合わせの時間に芽生のマンションに行く。

 元気に「は~い」と応答すると、すぐに扉を開けてくれる。

 芽生の顔が覗くと共に、シチューの温かな匂いが鼻に届く。

 いつもと全く変わらない快活な様子で、椅子を勧める。


 てきぱきとテーブルをセッティングする手に迷いはなく、

 どこにも疾しいところがあるとは思えなかった。

 

 (やはりあの噂はデマじゃないのか?)


 昨晩、自宅で確認したあの音源の内容を思い出す。

 芽生と二人の男子学生が一人の女子学生に、嫌がらせをしていたこと。

 中でも芽生は、彼女の持病を理由に強圧的な態度をしていたこと。

 甲斐甲斐しくシチューをお椀によそっている芽生が、そんなことを

 するとはとても思えない。普段から子どもが好きだと言ったり、

 かわいらしいキャラクターが好きな芽生に、そんな一面があるなんて。


 だがわずか数週間前に出来たばかりのブログの閲覧者は

 急ピッチで伸びていて、何者かの意図を感じずにはいられない。

 少なくとも芽生を公然と非難しようと憎む人間は、確実に存在する。


 質問自体が芽生に失礼な気すらする。

 さっさと質問を終わらせて、解放されたい。

 芽生は笑い飛ばしてくれるはずだ。

 それともそんな酷い中傷を受けたことに、泣いてしまうか。

 矢越は芽生が否定した時に、どう対処するかだけを考えた。


 食事の用意を手伝い、一緒に食卓を囲む。

 相変わらず料理の腕は確かだった。

 おいしいし、見た目も悪くない。

 食事を終えて、食後のコーヒーを飲む。

 とりとめのない話をしては、笑い声を上げる芽生との空間。

 

 この雰囲気を壊さないように、と矢越はあくまでさりげなく

 尋ねる。


 「昨日ネットで妙なページを見つけてね。君の知っている人の事が

  出ていたんだ」


 「ふうん」


  芽生の反応を観察するが、特に異変はない。

  普通に目の前のクッキーを摘まんでいる。

  その様子にほっとしつつ、尚も矢越は押す。

 

 「ちょっと一緒に見てくれないか?」


  返事を待たずに、矢越は自然な動作でアイフォンを鞄から取り出し、

  昨夜見たあのサイト画面を呼び出す。

  またもや閲覧者数が飛躍的に伸びている。

  芽生の方に画面を向けて、中身を確認させる。


  芽生は真剣な面持ちで画面をスクロールするが、その表情からは

  何も読みとれない。熱心に見てはくれているが、感想は言わなかった。

  矢越も感想を聞くのが、芽生の気持ちを知ってしまうのが怖い。


  芽生の気持ちを聞かないままに、矢越はあらかじめmp3に

  落としておいた音源を再生する。

  念のため後日ブログから削除されないように、

  デスクトップに移しておいたのだ。

  一緒に聞くのは心苦しかったが、生の反応を知りたかった。


  芽生は自分の名前が出た時だけ、小さな声で「え」とも「あ」とも

  つかぬ半分ため息のような声を出していたが、取り乱すことはなかった。

  それが余計に緊迫感を生みだす。


 「……これは本当の事か?」


 「嘘のところと、本当のところがある」


  矢越の質問に、極めて冷静に芽生は答えた。

  大声で取り乱されたりはしなくて、ほっとした。

  落ち着いて話し合うことが出来る。


 「本当のところは、一人の学生、この芹沢君が女子学生をいじめて

  いたこと。その時に仕事を押し付けたり、病気のことをからかって

  いるのは見たことがあるわ。これだと私が言ったことになっている

  けれど」


 「じゃあ嘘の部分は……?」


 「私と小田切君の部分。私と小田切君は見ていただけなのに、

  一緒になって土岐等さんにひどいことをしたみたいに言われてる。

  5年も前の事件だから、証拠を出せと言われると困るけれど」


 「じゃあどうして見ていた時に、止めなかったんだ? そうしたら

  この女子学生の病気も悪化して死ぬことはなかったんじゃないか?」


 「それは、確かに悪いと思っているわ。……でも芹沢さんという

   人は本当に怖くて、私も小田切君もいつも怖がっていたの。もっと

   勇気を出せばとは今でも悔やんでいるわ」


 (ほら、やっぱり!)


  矢越はほら見ろと、父親と田勢の顔を思い出しながら思った。


  「やっぱり、芽生はひどい誤解をされていただけだったんだな。

   ごめん。こんなのを聞かせて。それにしても芽生は大人だな。

   こんなの突然聞かせられたら、俺だったら怒り心頭だよ」


  「知っていたから」


  「知っていたって? 前にも誰かに教えてもらっていたのか?」


  「うん。大学でも一部の人は今でも噂しているもの。この録音は

   小田切君が脅されて言わされたもので、信憑性がないものなのに。

   もう5年も前の話だから、本当の証拠も、嘘の証拠もないから

   言いたい放題になってきているみたい」


   そう言って芽生は顔を曇らせた。

   

  「それは酷いな……。小田切君とやらは、誰に脅されて

   言わされたんだ?」

 

  「分からないって。電話がかかってきて脅されて、録音された

   ものだから。犯人とは面識がないって。……それに犯人探しは

   いいの。こっちが騒ぐのが面白くてやっているのだから。それに

   一度ネットに流れた以上、全部回収するのは難しいわ」


   胡乱な瞳で机の中央辺りを見ながら、努めて冷静に話す

   芽生の目には水滴が溜まっていく。


  「そうか……大変だったんだな。ごめん、気付いてあげられなくて。

   この一緒に嫌がらせをしたって言われている小田切君とやらと、

   力を合わせてなんとかできないのか?」

 

  「つい最近亡くなったわ。自殺だった。三人の中で生きているのは、

   もう私一人。独りではどうしようもなくて。

   しかも今私、学生アドバイザーも担当しているから、会議の時には

   デマとは言え肩身が狭い思いをしているわ」


  「俺、何か助けることできないかな?こういう時に助け合ってこそ

   夫婦ってものだろう?」


   そういうと芽生はようやく笑顔を見せて、嬉しそうに言った。


  「ありがとう。でも気が早いよ」


   少し照れて、矢越は頭をぼりぼりと書く。

  

  「とりあえず親父には、芽生が無実だってことは言っておくよ。

   他にも何か考えついたら、やってみる! だから芽生も選挙とか

   気にしないで、どんどん頼ってくれよな」


  芽生は答える代わりに、コーヒーカップにコーヒーを入れると、

  それをグラス代わりのように前に掲げた。

 

  「疑いの晴れた記念に、乾杯!」


  いたずらっぽく言うと、矢越もそれに便乗する。


  「仲が深まった記念に、乾杯!」


  そういうと、二人は微笑みながらカップを互いの顔の前でぶつけた。

 


5


 いつもはそのまま夜遅くまでいるが、その日の矢越はコーヒーを
 飲んで三十分もすると帰ると言いだした。
 芽生は「聞くこと聞いてもう用済みってわけ?」と憎まれ口を
 叩きながらも、笑って許してくれた。

 事実明日にでも東京へ帰ってしまう父に、矢越はどうしても今日の
 成果を報告したかった。

 家に帰ると、父親は東京へ帰り支度をしているところだった。
 間一髪間に合った。
 人払いをすると、矢越は父親に芽生への疑惑は濡れ衣だったことを
 誇らしげに報告した。

 だが父親は、「弱いな」と答える。

 「どういう意味ですか?」

 「本人の口からやっていませんと聞いたからと言って、信じる
  人間なんてお前くらいだ。他の人間からも証言を取ってこい。
  できれば証拠が欲しい」

 「しかし、5年も前の証拠をどうやって……」

 大学は人もモノも入れ替わりが激しい。
 父親の予想外の言葉に、矢越は怯んでしまう。

 「前にも言った通り、私は元々議員の世襲と言うのは好きじゃない。
  お前がどうしてもというから地盤を譲る候補の一人にはしているが、
  見込みがなければ直ぐに他の有能な人間に任す」

 評価されるどころか、自分の能力を危ぶまれてしまった矢越は、
 項垂れながら父親の後ろ姿を見送った。
 父はコネ、金、地盤が何もない状態から、自力で国会議員まで登りつめた
 男だ。それを尊敬しているし、近づきたいと思っているが、その意思の
 強さと実行力を目の当たりにすると、やはり自分なんかの志は低いのでは
 と度々卑下してしまう。

 その晩矢越は、父に課された新たなる課題にどう立ち向かうかを

 考えつつ、眠りに落ちた。



6


  矢越の車が発進した音を確認して、芽生は急いで服を外出用に着替える。

 もう一度窓から矢越の車が居ないことを確認すると、外出用のハンドバックを

 手に、夜の街へと消えた。

 

「また例の客です。オーナーそろそろ……」


 その客について、従業員から報告を受けるのはこれが初めてではない。

 新人が連日指名をとれるのは喜ばしいことだが、この客に限っては

 そうではない。

 ただ会話を楽しむだけではなく、何やら熱心に口説いており、新人は

 明らかに嫌がっている。


 当初はまだ新人が業界に慣れていないだけと、あしらい方をアドバイス

 しようと先輩従業員が会話に耳を澄ませて、事態が発覚した。


 犯罪の証拠をもみ消せと迫っているのだ。

 

 周囲に配慮して核心的な言葉は使わないが、新人にも確認して分かった。

 分かって以降は、他の先輩従業員を付けようとするのだが、指名料を

 支払ってでもこの新人を指名する。それで今日という今日は断固たる

 態度を取らねばと、以前から相談していたオーナーの判断を仰いだ

 という訳だ。

 

 「そろそろ頃合いだな……」


 「はっ?」


 「終業後、彼をオーナー室に呼んでくれ」


 

 その日も、芽生に不正経理の証拠を取り下げるように懇願され続け、

 いい加減疲れた晴人が、オーナー室に控えめなノックをした時には、

 時計は既に翌日になっていた。


 「晴人です。失礼します」


 「ああ、待っていたよ。とりあえず座って」


 恐縮しながら座る晴人に、焔はウーロン茶を勧める。


 「どうだい。少しは仕事に慣れたかな?前の仕事とは大分勝手が違うと

  思うけれど」


 「はい。皆さん親切にして頂けますし。お客さんも良い方が多いので、

  仕事は楽しいです。本当に……拾って頂いて感謝しています」


 この仕事を始めるまでは、晴人は自分に自信がなかった。

 がんばっているのに、認めてもらえない。

 正義感は融通の利かない詰まらない奴と蔑まれる要因となり、

 一生懸命が空回りした挙句の口下手ぶりは、要領が悪い奴と評された。

 それが今では、全て長所に置き換えてくれる。

 純朴で嘘が付けないから、安心して遊べると客や先輩が言ってくれるので、

 それは給料以上の価値を持った。


 「それで、どう? 佐々木芽生はまだしつこく証拠を渡せと詰め寄って

  来ているみたいだけれど」


 「向こうも相当焦っているみたいです。大学内での調査も着々と進んでいる

  ようなので、何とか証拠を揉み消したいのでしょう」


 「もう少し引き出させてから……処分する。それまでは頼めるかな?」


 焔が唇だけで笑みを浮かべて、頼む。

 もちろん答えは決まっている。晴人が焔に否ということはあり得ない。


 「はい。もちろんです」


 「仕上げはこちらでする。君はただ僕の言う通りに動けばいい」


 ともすると傲慢にも聞こえるその言葉も、恩人の唇を借りれば、

 頼もしい響きに変換される。晴人はオーナーの計画に寄与できる

 ことを、誇らしく思った。

  


7


 気が付くと、朝になっていた。
 一晩中考えるつもりだったが、あっさりと寝入ってしまったらしい。

 悔やんでも仕方が無いので、朝になってクリアになった脳で、
 矢越はまずは仕事に専念する。
 仕事も疎かなようではますます能力を疑われる。
 大きな失敗など今までしたことはないが、いつも以上に矢越は
 仕事に集中した。
 
 仕事を終え、程良く回転している頭のエンジンが温かいうちに、
 矢越は5年前のアカハラ事件について考えた。

 
アカハラの事実確認としては、大学のハラスメント相談室が
 最適だろう。だが相談の機密を守る場所なので、情報提供を求めるのは
 不可能に近い。それに芽生本人に知られてしまう可能性もある。

 
 一番いいのは、あの音源で答えていた張本人である小田切に、
 真偽を問うことだが、彼はもう鬼籍に入っている。
 こういった方面では素人の矢越は、早くも壁にぶち当たってしまった。
 どうしたものかと悩んでいると、母親が自分を呼ぶ声がする。
  
 「澄真さん、お手紙が届いていますよ」

 母親が夜食と共に、持ってきてくれたのは、
何か固いものが入った
 白い封筒だった。

  

 「なんだこれ……」


 表面に書かれていたのは自分の名前だった。

 中を開けるとCD-ROMが出てきた。

 どこにでも撃っているシンプルなタイプだ。

 そっとパソコンにセットすると、中から出てきたのは

 芽生が誰かと話す会話だった。


 会話の内容から、相手は亡くなった小田切らしい。

 

 「今更バレたら困る」

 「せっかく金持ちになれるのに」

 「勝手に死んで、こっちこそ迷惑……」


 責任転嫁。

 他人を利用価値で推し量る。

 散々自分勝手をした挙句の被害者意識。


 数分聞いて、もう電源を乱暴に切った。

 こんなに不快な音源は初めてだ。


 死者を罵倒し、保身に終始し、自分を金づるとしか見ていない。

 この言葉は、本当にあの可愛らしい芽生の唇から生まれたもの

 なのか。


 もっているCD-ROMにも複製すると、

 封筒に入れて、芽生のマンションの住所を書く。

 中には一枚だけメモ用紙に、「この会話は何だ?」

 とだけ入れ、翌朝一番に郵送した。

 

 それからしばらく矢越は芽生にメールすら返事を寄越さなかった。

 芽生。あいつは一体何なんだ?  

 田勢の言うとおり芽生の本性をまるで分かっていなかった。


 矢越は芽生の正体を調べることにした。

 まずは興信所に頼む。できれば自分の力で調べたいが仕事は今が正念場だ。

 ここでいい加減な仕事ぶりをしたら、父の言うとおり今後に関わる。

 まずは普段の生活を維持することが肝要だ。

 

まずは小田切と、死んだ芹沢について調べることにする。

ネットで調べてみても、大した情報は得られない。生きた情報を

得るにはプロを雇うしかない。

外部には漏らしたくないので、そこは大いに葛藤したが、

仕事があるので個人で調査するには限界がある。思い切って決断した。


芽生との関係を一週間後の調査結果待ちにした矢越は、

この一週間を選挙に捧げることに努めた。

 


8


 「申し訳ありませんが、個人情報につきお答えすることはできません」

 判で押したような想定内の反応に、調査員はやはりと大人しく
 引き下がるしかなかった。

 5年前のアカハラ事件を探る為に、ハラスメント相談室に来ては
 みたものの、全く埒が明かない。典型的なお役所仕事だ。
 もっとも個人情報保護に厳しくなってきた昨今、そんなにすんなり
 いくとは期待していない。

 当初の計画通り、当時の関係者から事情を聞くしかないようだ。
 調査員は待ち合わせのメモを鞄から取り出し、まだ在学している人物に
 話を聞くことにする。対象者と現在同じ研究室に在籍しているのだから
 慎重に行かなければ。
 再度構内見取り図を確認すると、その人物が待つ食堂へとゆっくり
 歩いて行った。
 

 調査員の動向を覗き見ていた女は、すぐさまメールを送信する。
 相手の名は、「協力者」。
 メールを受け取った男は、すぐに行動を開始した。

 
坂道をメインキャンパス方面に引き返していると、運動部の掛け声が
 聞こえてくる。若さが溢れる音が遠い昔の学生時代を思い出させ、
 珍しくノスタルジックな気分で調査員は脚を運ぶ。
 目当ての大学院棟まで来ると、掛け声も聞こえなくなり、調査員の
 脳は仕事モードに切り替えた。


 待ち合わせの食堂に向かうと、ターゲットは待ち切れなかったのか

 既に食事を始めていた。呼んでいない筈の女子学生まで、ちゃっかり

 同じテーブルに座っている。


(まあ、聞き取りできる人数は多い方がいいが……)


「あ、きたきた、こっちこっち!」


 男の方がかつ丼を食べながら手を振っている。


「お先に頂いています。すみません、私まで」


 謙虚なことをいいながらも、女子学生の前の2つのトレイには、

 ここぞとばかり食べ物を乗せている。

 刺身。ステーキ丼。パフェ。肉じゃが。


(独りで全部食べるのか?)


 背が低く、痩せた型なのに、たべっぷりは気持ちが良い程だ。

 男の方も、かつ丼の大盛りの横に、いくら丼とてんぷらを置いている。


「いえいえ、大勢の方がいろいろと……」


「そうだぞ、せっかくの機会なんだから、がんがん食べろ。この人が

 全部払ってくれる」


 一緒に食事でもしながらお話を伺いたいと言ったし、

 話してくれる以上昼食代くらいは支払う気持ちはあった。

 だが無関係の女子学生にまで払う気は、全くなかったのだが。

 

「本当にありがとうございます!今日は吐くまで食べます」


 奢りだと信じ切っている目を、失望させる訳にはいかず、

 仕方なく、調査員は全学支払う覚悟を決めた。


(これって経費で落ちるのだろうか……)


 調査員は絶対に元をとる決意をした。


 二時間後‐。

 思ったよりも収穫があったことで、痛んだ懐分は元をとることが出来た。

 目を付けた人選が良かったことが幸いした。

 自画自賛しながら調査員が駐車所へ向かうと、

 駐車場の脇から現れた男が一人、声をかけてきた。
 街灯の影になってはっきりと顔が確認できないが、
 まだ若い。学生のようだ。
 
 「5年前の事件について調べていらっしゃるのでしょう? 協力して
  差し上げますよ」

 「あんたは、誰だ?」

 「僕は5年前の事件の生き証人ですよ。教えてあげますよ。
  あかりさんのことも、主犯たちの事もね」



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