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 「ただいま。お客さんを連れてきたよ」

 家族に心配をかけぬよう、平静を装って声をかける。
 応答はない。
 既に大学での不始末を知って、出て行ってしまったのか。

  芙美の性格として、それはありえないが、山瀬はつい気弱に

 なってしまう。


 自分から来たくせに緊張している、優奈をリビングに座らせると、
 お茶の用意をしに行く。


 「!!」


 そこで、山瀬は変わり果てた姿の芙美を発見した。

 いつものエプロンをつけたまま、仰向けに横たわっている。

 目は見開かれ、下半身は血に染まっていた。

  
 何か叫んだ気がする。
 が、山瀬は覚えていなかった。
 警察、いやとにかく優奈に異変を知らせようと、リビングに戻る。
 優奈はソファに崩れ落ちている。
 
 (……!!)


 またもや出そうな叫び声を必死で押しとどめたのは、

 この下手人が傍にいると感じたから。

 大声を出して興奮させてはいけない。

 とっさに防衛本能が働く。


 確かなのは、山瀬が今危険の真っただ中にいること。
 家の据え置き電話を使うこと自体、時間が惜しい。
 とにかく外に出る必要がある。

 異変を知らせる為に玄関へ向かう。


 「久しぶりですね。先生」

 そこには手に四角い機械のようなものを持った、男がいた。
 
 「塔堂君、いや芹沢君……」

 「先生が悪いんですよ。約束を破るから」

 5年前の約束。
 あの時、山瀬と大学院生たちと、芹沢との約束。
 研究室側は、芹沢が一連の連続殺人の犯人であることを漏らさないこと。
 芹沢はアカデミック・ハラスメントの責を全て引き受け、芹沢が
 盗んだ劇薬を返すこと。
 芹沢の自殺を演出することで、全ては丸く収まり、後は口を
 閉じていればいいだけ。それを乱したのは焔だ。

 「悪かった。でもあれは僕らがしたことじゃない。仕組まれたんだ」

 「言い訳はどうでもいい。結果が全てなんですよ。おかげで俺は全国
  的に指名手配されてしまった。仕事がやりにくくて仕方ないんです。
  意味、分かりますよね?」

  あの事件以来一度も会っていない芹沢が、塔堂の顔に整形しているのには

  驚いた。別人になり済まさないと生きていけない事情があるのだろう。

  戸籍上死人となっている芹沢がどんな仕事をしているのかは、分からない。
  ただ芹沢の日常が犯され、とてつもない怒りを持っていることは分かる。
  昔の恩師と言うことで丁寧語を遣ってはいるが、言葉の端々にみられる
  強さで、怒りが伝わって来る。  

 「それで報復の為に、妻を殺したのか?」

 「殺したのは先生です。俺じゃない。警告はしたはずですよね?」

 「どうすればいい? 今日大学でアカハラ事件の事、君の犯罪を隠していた
  ことを訴追された。警察もそのうちここに来るだろう。私にできる
  ことはもうないんだ」

  山瀬は時間を引き延ばす。
  警察がそのうちやってくる。それまで話しを引き延ばせば。
  
 「こいつを車へ運んで下さい。騒いだり、つまらない真似をすると
  娘さんが可哀そうなことになりますよ」

  こういうセリフは慣れているのか、投げやりのような恫喝するような
  言葉には貫禄がある。こちらの意図を見通したような物言い。
  山瀬は従うしかなかった。
   
 「娘は? 娘は大丈夫なんだろうな?」

 「無駄口を叩くと、大丈夫ではなくなりますよ」

  言われた通りに、山瀬は優奈を運んだ。
  午後九時。まだ夜には早い時間だが、住宅街は既に静まりつつある。
  山瀬は、芹沢の指示通り駐車場にある自分の車に、優奈を運ぶ。 
  こうしているところを隣人が見つけて、異変に気付いてくれればと
  期待したが、人目に付くことはなかった。

  隣人は小さな子どもがいる息子夫婦と同居しているせいか、
  音が漏れないように最大の努力をしている。
  その為その数々の工夫が、こちらの音をも遮断している。
  裏側にすむ住民は高齢者夫婦で、体は元気だが補聴器が手放せず、
  早くに休む。目で見て、異変を察知してもらう他ない。
  ゆっくり動作をしたはずだが、すんなりと終わってしまいそうだ。
  
  優奈の身体を後部座席に横たえたと同時に、芹沢がするりと反対側の
  ドアから後部座席に滑り込み、ドアを閉める。
  山瀬に小声で、前に乗れと指示した。
  言われた通りに前に乗ってドアを閉めてから、尋ねる。
  
  「娘はどうした?」
 
  「ある場所で監禁させてもらってます。言うことをちゃんと聞いて
   くれたら、解放してあげますよ。早く車を出してください」

  芹沢の指示通りに車を運転しながら、山瀬は説得を続ける。
  皮肉なことだが警察が自分を追っている以上、助けは遅かれ
  早かれ来る筈だ。

  「随分と悟ったようなことを言いますが、先生も俺と同じ。
   人殺しですよ。人の将来を何人も殺してきたじゃないですか。
   小田切たちが死んだのだって、元はと言えば先生のせいだ。
   同類なんですよ。俺達」

  芹沢の今いる世界は、罪の重さで評価される。
  シリアルキラーではなく、人脈がある。だから心配には
  及ばないと嘯く。思いつく限りの説得は全く心に届かない。
  優奈は意識があるのかないのか、長いドライブの間中、ずっと
  目を閉じていた。
  


14


 「約束を先に破ったのはそっちだろう」

 

  ナイフを手にやってくる男。

  おそらく芹沢と名乗っていた男。


  5年前の写真で見た華奢な青年の面影はなく、修羅場を

  かいくぐった野生の血を感じるほの暗い目つき。

  なによりその体つきまで変化していた。


 「約束は反故にされた。だから罰を与えに来た。俺は土岐等とは

  違う。馬鹿にされるのが一番腹が立つんだよ。俺だけ地獄に

  堕ちてたまるか」


 デスクワークばかりの超えた山瀬に勝てる見込みなどゼロに等しく、

 もはや逃げることもわすれ、必死で命乞いをする。


 「そんな理由で芙美、私の妻まで、殺したのかっ。」


 山瀬だって妻を奪われたのだ、怒り心頭に達している。


 「今度の件は、私たちが故意に情報を流した訳ではない。

  あの時のアカハラ事件の関係者が起こしたことだ。

  私たちは関係ない。被害者なんだ」 


 「関係ねえな」


  思い切り、斧の刃先を山瀬の前に叩きこむ。

  一撃で男は静かになる。

  そんな山瀬を芹沢は楽しそうに見つめている。

  優奈からは陰になって口元しか見えないが、雰囲気だけは伝わって来る。


  優奈には今はさして関心がないのか、目覚めた時には別室で

  眠らされていた。床で寝たので体が痛むが、それよりも山瀬の

  安否が気遣われた。


  男は残酷な宣言をした。


  「もう終わったか?」


  「現世への名残惜し身だよ」


  いまにも爆笑するかのような笑顔を見せると、男は手にしたナイフを
  一気に山瀬の首をめがけた振り下ろした。


15


  優奈が出て行って、三時間が経過した。
  事前に約束したように、三時間が経過しても優奈からの
  連絡がないので、焔は様子を見に行くことにした。
  

  

  大学側にその旨を告げると、了承した。

  この場合ももし一時間して連絡がなければ、すぐに

  通報する構えだ。


  大学側としても、刑事事件に教員が絡むなどあっては

  ならない事態。できれば穏便に自首させたかったので、

  この提案にすぐに乗ってくれた。

  

  焔が自分の車に乗り込むと、常川もなぜか当然のように

  共に乗り込む。

  ちらと焔は横眼で牽制するが、常川はいつもと同じく

  全く気にしない。仕方なく一緒に山瀬邸に行くことにした。

  

  山瀬邸‐。

   

  着いた先にあったのは、主婦らしき女性の遺体。

  そして二階では‐高校生の娘が息絶えていた。

  山瀬と優奈はいない。

  

  すぐに大学に電話して、通報してもらった。
  
  山瀬自身の微罪がどうこうよりも、山瀬自身の保護を
  優先する。今までの経緯から芹沢が山瀬の家族を狙った
  可能性が高い。

  緊急配備がかけられ、山瀬が見つかったのは一夜明けて
  翌朝のことだった。

  見つかったのは、山瀬宅から車で二時間ほどの山中の崖下。
  死因は崖からの転落死。
  ついで崖の傍の山小屋から、男の死体が発見される。
  念入りに調べられ、男が芹沢だと断定された。

  唯一人の生存者である優奈は山小屋の側を通る国道沿いを
  歩いているところを、保護された。わずか一日足らずの
  逃避行であったが、ひどく衰弱していたので、
  病院に入院することになった。

 「この男の人が、私たちを山小屋に連れて来ました。5年前の
  事件が表沙汰になったことへの逆恨みだと言っていました。
  ……はい。もう一人仲間がいました。二人で落ち合って
  私たちに危害を加えようとしましたが、仲間と言い争いに
  なり反対に殺されました。……はい。もちろん、怖かったですが、
  そちらに集中しているその隙を見て、先生と二人で
  逃げようとしました。
  でも追って来たので、先生が私を庇って崖から落ちて‐。
  私のせいです。私の‐」

  男が5年前に死んだとされていた人物であったこと。
  アカデミック・ハラスメントが背景にあることなどが、
  話題を呼び、マスコミが熱心な報道合戦を繰り広げる。

  優奈の証言ももちろん匿名で取り上げられていた。
  その雑誌の一つを捲っては、常川は横に居る焔に独りごとの
  ように、呟く。
  
 「終わったな」

 「はい」

  何かを達したという顔も見せず、淡々と焔は言う。
  これで仇を打ち倒したと爽快な顔など見せない。

 「復讐して本当に良かったと思っているのか?後悔して
  いるんじゃないのか?」

 「良いとか悪いではなく、やらねばならないことだったんです。

  それ以上でもそれ以下でもない」

 「ほら、よく怨みなんて忘れて自分が幸せになるのが最高の
  復讐だなんて言うだろ? お前もここに来てそう思えてきたのか 
  と思ってさ」

 「僕の幸せは、奴らを潰すことでしたから。間違いなく、今の僕は
  幸せです。無力なあの頃よりも、遥かに。確実に幸せです。
  後悔も、悔恨も、許しもしない」

  言葉は強いけれど、初めて焔が自分の言葉を話した。
  上っ面ではなく、黒い芯を隠そうともしない焔は、ぞっとする程
  尖っていて、それでいて哀しい。

 「次にやること見つけたら、絶対に俺にも教えてくれよ。一人で
  考えるよりも、絶対に面白くなるから」

  焔はいつもの嘯いた笑顔を完全に無くし、不思議そうな顔で
  常川を見る。でも常川は決めてしまった。
  
 「俺はしつこいからな。お前がどんなことをしても、絶対に突き離して
  やらない。覚悟しろよ」

  常川の宣告に、焔は珍しく困ったような顔をする。
  思案の末に、焔はやっと言葉を絞り出す。
  
 「仕方ないですね」
 
  少しだけ焔は微笑んだ。



16


 爽やかな朝風の中を、鼻歌交じりに優奈は歩いている。

 大学近くにはまだ緑がたくさん残っているので、朝に散歩するには

  うってつけだ。


 「田中さんがやったのでしょう?」


 いつのまにか後ろにいた焔が尋ねた。

 

 「……」

 

 歩みを止めたものの、前を向いたまま、優奈は何も語らない。


「どうして?」


 確信していたのか、焔は答えを待たずして尋ねる。


「大事な人だから」


 そう言って優奈は、振り向いた。

 好物を尋ねられて応えるかのように、その目に曇りはない。

 あたかもそうすることが必然のように。


 近くの境界から讃美歌が聞こえる清浄な空気の中、それは行われた。

 その時山瀬と優奈は、どこか人里離れた建物の地下に監禁されていた。

 どこからか讃美歌をうたう声がしたのをよく覚えている。人は以外にも

 近くにいるのかもしれないとうっすら思った。


 殺意が生まれたのは、芽生のことを聞いてから。


「許せなかった。一途であることを尊敬していたのに。それを一番汚い

 やり方でぶち壊した」


 優奈は思い出す。


 父親が不在がちなのをいいことに、男を連れ込んでいる母。

 それでもいつも心にあるのは一人だけ。その男の話を寝物語に

 聴かせてくれた。

 物語のその男は、いつも自信に充ち溢れ、余裕があって、

 何より一途だった。

 だからこそ母は振られてしまったのだろうけれど、それでも

 母は彼の話を辞めることはない。むしろ誇らしく繰り返す。

 

 その男は、きっと父親の若い頃だと信じていた。

 今の父は、他の母の男友達と同じ。

 皆その場凌ぎの日和見主義者。

 芯がない。

 

 でも物語の男には、確固とした信念がある。

 信念を守ることが、男を磨き、それが自信となっている。

 母が、唯一心から愛した人間。

 こんなに母が愛している男が、きっと優奈の父親の本当の姿

 なんだとずっと思っていた。

 そういうと、母はいつだってめったに見せない笑顔で、

 「そうだ」と答えてくれる。だから信じた。


 でも成長して知ったのは、残酷な真実。


 「お母さんはね、理想の王子様に捨てられて、ずっと

  待ち続けている哀れな村娘なんだよ。王子様は

  とっくに幸せにお姫様と暮らしているのにね」


 それでも優奈の思いは変わらなかった。

 哀れだなんて思わない。

 そこまで思われるような良い男なのだと思った。

 

 それが芽生の存在で一度に、ひっくり返った。

 妻子がありながら浮気をし、学生に嫌がらせをした上げく

 殺してしまうなどと。

 王子様を。

 山瀬を目標に生きていた自分の人生を否定された気がした。


 だから‐。

 これ以上の汚濁を恐れた。


 警察の手に渡ってしまったら。


 あの殺人犯の手によって死ねば被害者として、その過去が

 暴かれてしまう。

 生きて戻れば、孤独と厳しい世間の目に晒されて生き地獄の

 檻に捕らわれる。


 それならいっそのこと自然死。事故死にすれば。

 それ以上詮索されることはない。

 ましてや過去のゴシップなど。

 

 だから手を‐離した。


 これ以上の汚れを纏わぬように。

 美しいままで。


 未だ聞こえる讃美歌が、優奈の不浄なる行為を洗い流して行った。

 


17


 焔には分かってしまうと、予感はしていた。
 優奈は全く動じない。

 

 「私もこちら側に来てしまいました」


 無邪気に微笑む優奈の、その顔に嘘はない。

 だから‐焔も仮面を脱ぎ、偽りのない素顔を露わにする。


 「……全力で憎め。僕はそれだけのことをした」


 「言われなくとも。あなたは、私の目標を、人生を奪ったんです」


 優奈の笑みは消え、いつもの控えめな物言いではなく、淡々と決意を

 表明する。瞳は真剣そのものだ。

 今までで一番明朗とした、物言い。

 これが本来の優奈の姿なのだろう。

 憎しみが自分の力を最大限に引き出す活力となる。

 どんな理屈よりも、それを救いとするのは必ずしも悪ではない。 

 

 そのまま真っ直ぐに歩いて来る優奈。

 眼前50cmの距離まで近づくと、見上げる。

 次の動作を予測して、焔は目を閉じる。


 だが、優奈が動くことはなかった。


 「何もしやしませんよ」


 言われて目を開けると、以前に焔が上げたネックレスを

 掲げている。

 導かれるまま焔は右手を差し出す。

 優奈は両手ではさみこむようにネックレスを掌の上に置くと、

 自分の手で蓋をした。


 「これはもう、私には必要のないものです」


 そのままくるりと後ろを向くと、言った。

 焔は優奈の表情を読むことが出来ない。


 「私は決して自首することはないし、あなたのしてきたことを

  訴えることもしない。代わりに、あなたは一度も罰を受ける

  ことなく、自分の罪に苛まれ続ける。未来永劫。死ぬまで。

  それが私の復讐です」


 「思い知らせてやりたいとは思わないのか」


 「あなたが自分のしたことにどう決着を付けるのか。私は残りの人生

  全てをかけて、見届けさせてもらう。あなたは聡い人だから、それが

  一番堪えるでしょう」


 「もとより告発する資格などない。……長い闘いになるな」


 「覚悟の上です」


 「生殺しとも言える」


 「あなた次第でしょう」


 時は二人の出会いから既に一巡している。

 それを示すかのように、薄く色づいた山桜が風にそよいだ。

  

 これからまた、澱となった情念は新しく形を変え、続いていく。

 来るべき浄化の日の為に。 

 


この本の内容は以上です。


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