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   既に3構目が始まっている時間だが、学生食堂は未だ賑わっている。

  構内に学食はいくつもあるが、山瀬研究室の学生たちは、大学院棟と

 渡り廊下で繋がっている学生食堂を利用することが多い。


 この食堂は学部生が演習で使う棟にも近く、比較的遅い時間まで

 営業していることもあり、自炊をしない学部生も多く利用している。

 幾度も 塗り直して修繕した外観はロッジのようで、大きな窓からは

 燦々と太陽光が降り注いで、学生の若さ溢れ明るい雰囲気に華を添える。


  メニューは基本的にカレーや麺類、季節の惣菜を基本とし、それに

  季節ごとのフェアを行う。優奈も四月には新入生歓迎フェアの

 メニューを楽しんだ。


  常川は水でも飲んでおけと言ったが、いざ食堂に来ると、空腹を

 感じる。優奈はデザートコーナーで売っているフライドポテトと

 ジュースを頼むと、先に壁側の席について常川が戻ってくるのを待った。

 常川は大盛りのかつ丼をプレートに乗せて、ほくほくとした顔で

 戻ってくる。


 いざ対面すると、何から話題を始めて良いのか分からない。そもそも

 他のメンバーと連携の取れてなさそうなこの人と行動を共にすることが、

 新入生の優奈にとってマイナスになるのではないか。

 腹黒い計算もしてしまう。


 それでも先程の手紙の件は気になる。

 言葉が生まれない時間、優奈はフライドポテトを消化することに

 専念する。


 「俺、修士を2年留年して、博士も2年留年しているんだよね。だから

  研究室では一番古株になるんだ」


  学生というにはトウが経ち過ぎているとは思っていたが、これで

   謎が解けた。下手をすると、小田切とも同級生なのかもしれない。

   

  そういえばと、「お前の会社IT系だろ」と言っていた小田切の

  言葉を思い出した。

 

 「IT系の会社で、働いていたんですか?」  

 

  ポテトを口に含みながら、優奈は会話を続けるためだけに口を開く。

  それほど関心がある訳でもない。


  「そうそう。俺の本業はそっちだからさ。そっちが忙しくて、

  あんまり研究室には来ていなかったんだ。俺、こう見えても

  社長やってるの」


 「社長さんですか?」


   驚いて常川を見直す。その割に服装はなんとも安っぽい。

  

  あの言葉は、ここから来た話だったのだなと、優奈は納得した。

  

  「ああ。結構儲かっている。大学院は会社が軌道に乗るまでの居場所

    として居させてもらっていたんだ。俺にとって研究は趣味の延長

  みたいなものでな。メインは金もうけ」


  悪びれもせず、そう言い切る常川。これでは研究室の他のメンバーの

   不興を買うはずだ。奨学金やバイトでかつかつで研究を続けている

   学生にとっては、不愉快極まりない話だ。下手に返事をしたら言質を

   取られそうで、優奈は言葉が出てこない。愉快そうに話していたが、

  ふっと声を潜めて言う。


  「だから俺は研究室には染まっていない。中立の立場だ」


  「はあ……」


  話が急に飛んだ気がする。だが常川にとっては十分話は繋がって

  いるようだ。常川がそれ以上言葉を継ぐことはなかった。

  優奈は自分から、話題を提供することにする。

  先程届いた封筒。あれを見て常川の態度は明らかに変わった。

  それに関して、何か知っていることがあるはずだ。


  「さっき書かれていた名前の人……常川さんは小田切先生じゃない方

  の人も知っているんですか?」


  「ああ。今はうちのCOEの助教をしている。研究室のOBで、

   小田切とは同級生になるな」


   食べながら常川は言った。


 「もしかしてあの二人……。それで小田切先生の奥さんか、

  その女の人の旦那さんが怒って。そういうのもありえますよね?」


 非日常の予感に不謹慎にも興奮を抑えきれない優奈。

 その様子を呆れたように眺める常川も、自分の説を披露し始めた。


 「そういう関係とは思えんがな。だが差出人にとって、この組み合わせに

  何がしかの意味があることは確かだろうな」


 「便箋に書いてあった言葉に、何かヒントがあるんじゃないですか?」


 確かあの文面には、「5年前のことを許されると思うな」とあった。

 あの手鏡には何の意味があるのか?


 「罪が何を示しているのかで、差出人の見当がつくかもしれませんね」


 まだ知り合って日が浅い小田切の行動を思い起こし、素人推理を頭の中で

 巡らす。呆れたように常川が見ている。


 まだ入学して一月の優奈であるが、小田切と顔を合わせることは存外に

 多かった。山瀬に書類仕事の大部分や学生への実験指導を一任している

 為、顔を合わせる機会は多い。

 

  小田切はポスドク氷河期時代に、博士課程を卒業後すぐに助手になれた

  運の良い人間だ。それも山瀬の後ろ盾あってのことであるのは明白だ。

  丸っこい鼻と細い目を眼鏡でカバーした容貌は、地味ながら誠実さを

  出しているように感じる。事務仕事や日常のこまごまとしたことは着実に

  こなしてくれる。研究者としての力量はそれほど目立っていないが、

  単位についてもそれほど厳しくないことから、学生受けも可もなく

 不可もなくという平均的な人間だ。悪く言われることはまずない。

 事務関係に関してはそつがない分、信頼に足る人間であると言えよう。


 とすると何か犯人に関わるトラブルに関わっているということか。


 「第一候補が浮気で、後は逆恨みしている山瀬研究室の元関係者ですかね。

  学部の授業やゼミも含めると容疑者は膨大な数になります。どうやって

  犯人を絞りましょうか……」


 「おい、妙なおせっかいはやめておけよ」


  今しがた食べ終わり箸をタンとプレートに置くと、常川は言った。


 「……不審な手紙が来るぐらい、そう珍しいことでもないだろう。

  いちいち警察に行っても相手にしてもらえないぞ。文字は物騒だが、

  何か脅迫されている訳でも、強要されているわけでもない。

  被害は今のところ何もないんだ」


 「でも、万が一何かあったらどうするんですか。巻き添えで山瀬先生

  にも、迷惑がかかるかもしれない」


  冷たく感じる常川の言葉に興奮した優奈は、両手を机の上に置き

  身を乗り出す。

  振動でコップが揺れ、倒れた。

    水が手にかかり、優奈は我に返る。
 罰が悪そうに「すみません」と謝る優奈に、呆れたように常川が
 追い打ちをかける。

 「お前さあ、どんな幻想抱いてこの研究室に来たのか分からないけれど、

   そんなに接触もないおっさんのこと、良くそんなに心配できるよな。

   恨みを持たれるなら、それなりに理由があるんだろ。だったら殺され

   ようが、知ったことか」


 「だったらせめて怨まれている事だけでも教えてあげましょうよ」


  馬鹿にされたように感じた優奈は、必死で食い下がる。


 「いたずらだ。大事にするな。……それに奴らも、何とも思わないはずだ。

   言うだけ無駄なんだよ」


  常川は最後の言葉を特段大きな声で言った。


 「そんなの常川さんにどうして分かるんですか!」


 「……分かるさ。良く知っているんだ。あいつらのことはな」

 

 「犯人探しのようなことは、やめておけ。こいつらに心当たりがあるのなら、

  普段から自分の身を律すればいいだけのことだ。それが出来ない

  人間ならこの手紙の事を知ったところで、何も行動しないだろうよ」


 「知らずに人を傷つけている人だっています。言われないと

   分からない人もいるんですよ」


 「だとしてもそれを含めて自己責任だ。忘れろ」

 

 常川はそれ以上、この件に関して何も言わなかった。

  


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  今度は不思議そうな顔をして、常川が聞き返した。


 「お前一体なんだってそんなに山瀬たちのことを心配するんだ?そんな奴

   うちの研究室でもほとんどいないぞ」


  それは常川が非常識なだけで、他の院生だってあの手紙を見れば、

 きっと心配するはずだ。そう信じている優奈はこの常川の言葉を黙殺した。

 だが常川は気にせずまた質問する。


 「お前そもそもどうしてうちの研究室に来たんだ?周りから止められ

   なかったのか?」


  家族は喜んで送り出してくれたし、友人も望みが叶って良かったと

 共に喜んでくれた。やましいことは何もない。

 だから優奈は胸を張ってその通りに申告する。

 すると目を丸くして常川は言った。


 「お前、外部からだったな。それじゃあ知るわけがないか」


  見込み違いだと言うように、大声を出した。

  その態度に優奈はますますむっとする。


 「外部からではいけませんか?」


   外部からというので、疎外感を感じることも稀にある。余所から

   来たからと言って、いろいろ言われるのは当事者からすれば

   傷つくものなのだ。


 「ああ、ごめん。悪く取らないでくれ。……それなら、そうだな。

   これは先輩としての俺からのアドバイスだが」


  そう前置きすると、おもむろに


 「無難に乗り切ることだけを考えろ。妙な正義感は身を滅ぼす。

   媚びても駄目だ。ただ課程を終えることだけを考えろ」


 「だったら、常川さんはなぜそんな研究室に居続けるのですか?

   辞めればいいじゃないですか」


  出世コースを外されて妬んでいるのかもしれない。そもそも社長だと

  いうのも自己申告に過ぎない。怪しい。


 「俺は存在自体が奴らにとって脅威になる」


  周囲の晴れ晴れとした景色と比較して、なんとも形容しがたい

 空気がまとわりつく。


「それだけだ。俺がここの院生を続ける意義はな」

 


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 小田切が学内郵便で受け取った封筒は、ごく普通の定型封筒

 だった。


 仕事柄大量の郵便を受け取る小田切は、ルーティンワークとして

 慣れた手つきで、その封筒の中身の処理にとりかかる。

 だが中を見て、小田切はその認識を改めた。

 

 中には伝票や領収書をコピーしたものが入っていた。


 それは良い。

 問題はその表題が「科学研究費不正流用についての証拠」と

 題されていることだ。


 慌てて小田切は、封筒をひっくり返すが何も書かれていない。

 せめて差出人のヒントに繋がるような物が入っていないかと、

 封筒を逆さに振る。

 

 あった。

 

 文献一覧をホッチキスで止めた紙束に重なっていた、一枚の便箋が

 ひらひらと落ちる。


『5年前のアカデミック・ハラスメントへの関与と、一人の院生に

 全ての罪をなすりつけた経緯を、ご自身のSNS上で公開される

 ことを要求します。さもなければ、小田切満夫と佐々木芽生の

 科学研究費流用について、しかるべき機関に告発します』


(今になってこんな……)


 小田切はデスクに拳を叩きつけた。



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 小田切は気を落ち着かせる為に、電気ポットで湯を沸かし、

 コーヒーを淹れる。コーヒーの臭いがふわりと部屋を充満すると、

 少しだけ小田切の気持ちも安らいでいく。

 

  あれは5年も前の話だというのに。

  5年前の事件は、小田切の人生を決定的に変えた。

 その時の関係者が今になって意趣返しを企んでいるというのか。

 どうして今になって‐。

 

   あれはもう終わったことで、学内での審理は既についている。

  裁判でももう訴えられる期間は終わったはずだ。

  今更古い記憶を掘り起こしたところで、何になる。

 

  5年前だって、被害者家族が学校を相手取って行動を起こし、

  望み通りではない結果で終わったではないか。

   それを今更。また同じことだ。

  山瀬が第一線に居る限り、絶対に負けはしない。

 

  (どうせ何もできやしまい)


  そう高を括りつつも、不安は残る。

   送られてきた証拠書類が、全部正真正銘の本物のコピーだったことが

  小田切を絶望的な将来観測へと導く。

  相手が本気になって警察なり、国税局なりに告発すれば、

  確実に捕まる。

  大学当局に告発したって、処分は免れない。


 (要求通り5年前の事件を公表してしまえば、告発を免れるという

  のなら、容易いことだ。アカハラごときで、刑事罰などめったに

  課されない)


  自他共に認める慎重派の小田切は、万が一に備えて、名指し

  されているもう一人、佐々木芽生と口裏を合わせることにする。

  彼女のほうでも異変が起きているかもしれない。

   それなら二人で情報交換をすれば、差出人の特定に繋がる可能性も

  ある。差出人さえ押さえてしまえば、何も不安に思うことはない。


   早速連絡を取る為に、佐々木の携帯番号を呼び出す。

  メールでは跡が残りそうで嫌だった。

  前回のようなパソコントラブルで、内容が流出したら一大事だと

  踏んでのことである。


 「はい。佐々木です」


  高めの明るい声が応答する。

  佐々木の余所行き用の声だ。

   番号を確認せず、婚約者と間違えたのかもしれない。


 「何?何の用?」


  携帯に出て相手が小田切と分かると、佐々木は途端に高慢な

   態度に変じる。この女はいつもそうだ。

   山瀬に目をかけられていることを傘に着る。

  口には出していないが、小田切は佐々木のこんなところが鼻について、

  苦手だった。あれ以来その態度はますます増長している。

  だが今は非常時だ。気にしている余裕はない。

  すぐに本題に入る。


   郵便物の内容について話すと、佐々木の余裕に溢れた態度は

  怒りに代わる。感情が負の方向に揺れる時、佐々木はいつも

  怒りだす。

  相変わらず感情の起伏が激しい、と小田切は一層辟易する。


 「馬鹿らしい。今更蒸し返して何になるって言うの?」


  佐々木は見えない敵に向かって毒づく。


 「不正経理の覚えなんてないことだし、堂々と無視していれば

  いい。下手に気弱になったら、その変質者の思うがままだわ!」


  それはまさしく正論だが、頷くことのできない小田切がいた。

  言い辛そうに小田切は、切りだす。


 「……偶に行われる業者の接待。あれは業者にプールしたお金に

  よるものなんだ。だから君が意図しようがしまいが、君も不正経理の

  共犯者と言える。調査が入ったら、君も有責だ」


 「……何それ。知らない間に、私は不正に加担していたってこと?

  どうしてそれが規則違反だって教えてくれなかったの? 

  知っていたらそんな危険なことする訳がなかったのに」


  佐々木はますます激昂する。

  当然だ。

  小田切は気を利かせたつもりでも、事が露見すればとんでもない

  スキャンダルになる。金銭方面で特に苦労をしていない佐々木に

  とっては、必要のないリスクを背負ってまですることではない。


  「今になって、こんなこと言われても。私だって被害者みたいなものよ。

   勝手に犯罪の方棒を担がされて」


  佐々木に関しては、送られてきた伝票にも数枚しか書かれていない。

  佐々木は唯小田切の指示に従って、事務手続きをしただけだ。

  ひとしきり怒ると、佐々木は感情が高ぶりすぎて疲れてしまったのか、

  静かな声で尋ねる。


 「それよりも、小田切君。強請られるほどの金額の流用をしていたの?」


 「……」


  小田切の立場は危ういものだった。

  一応山瀬の後継者候補に潜りこめているが、それに業績が追いつかない。

  山瀬がネームバリューがある分、並みの業績では許されない。

  そんな不安が科学研究費を上手く運用することで、評価を上げる

  戦略を思いつかせた。


  山瀬自身の研究費は当然自分で管理している。

  しかしCOEプロジェクトに必要な研究費は、小田切に任されている。

  金庫番としての役割を山瀬から授かっているので、山瀬の検閲など

  殆どなしで金銭管理を任されてきた。これも信頼あってこそだ。


  その信頼を、科研費を業者にプールさせることで節約してきた。

  プロジェクトに必要な金を引き出すのが上手だという評価は、

  無くてはならない人物という評価にもつながる。

  実績で失敗した場合の、生き残りを賭けて行ってきた。

  今まで外部に露見したこともない。

  ただ研究費を節約するくらいに考えてきた。


 「ちょっと研究費を浮かせるつもりだったんだ。業者もそういう人は

  いくらでもいるって言うし。外部に露見することもまずないって

  言うから」


   佐々木の問いに答える代わりに、とりなすように話を続ける。

  

 「悠長なことを言っている場合? もし科研費の件が表に出たら、

  学内処分だけじゃない済まないかも。刑事罰の可能性もあるのよ」


  金額だけが問題ではない。

  不正経理は厳罰が下されるのが常だ。

  大学を騙して入手した金なのだから当然だが、それは研究者生命の

  終焉も告げる。

  やってしまったことの恐ろしさに、言葉も出ない。

 

  「5年前の事件のこと、もう公表してしまおうか?もう時効だし。

  この脅迫者が誰か知らないけれど、要求を飲めば……」


 「駄目!私は婚約を控えているの。評判が第一な職業の人と。

  そんなマイナス・イメージが付くことは許さない!」  


  この言葉は、今まで燻っていた小田切の我慢の導火線に火を付けた。


 「冗談じゃない!家族にあの事件と関わりがあると思われるだけ

  でも嫌だ。あれだって、できれば私はやりたくなかった。君たちが

  暴走して。そもそも初めから知らぬ存ぜぬで済んだ話を、余計に

  ややこしくしたんだろ!」


 「私たちのせいだって言うの。だったらどうしてそのときに言わないのよ。

  ……大体今の地位は、その時のおかげでしょ?今更被害者面しないでよ」


  正論だ。

  分かっている。それでも小田切は、己の罪状について言い訳を留める

  ことが出来なかった。 

 

 「……ごめん。言い過ぎた」


  小田切の態度の変化に、佐々木は渋々態度を軟化させた。 


 「……とにかく、どちらの要求も飲むことは出来ない。何とか二人で

  協力して解決に導きましょう。内部情報をもっている人間だから、

  特定は難しくない筈。いまさら妙に騒ぎ立てられて、今の生活を

  壊されたくないわ」


 「たぶん業者に繋がっている奴がしたことだ。早急に誰かを

  特定しよう。名前を隠してこそこそ動いている奴だ。特定して

  口止めすれば、大事にはならない。連絡を取り合おう」


  勇ましく計画を発表した後で、小田切は急にトーンを落とす。


 「ただ僕は家族には内緒にしておきたい。最近少し関係が微妙

  なんだ。こんなことが知れたら、完全に家庭がおかしく

  なってしまう。だからその辺は配慮してくれないか?」


 「分かった……。私も今結婚を控えているし、表沙汰にはなって

  欲しくないわ。お互い気をつけましょう。どうせただの悪戯だとは

  思うけれど。気をつけるにこしたことはないものね」


  鍵を閉めた密室での会話。

  聞かれるはずのないその会話が、しっかりと録音されていることを

  二人が気付くことはなかった。


   小田切の研究室のコンセントに嵌められた、小型盗聴器。

  その内容を別室で耳を凝らして聞いているものの存在など。

  その時の二人は知る由もなかった‐。   

  

13


 「郵便物をお届けに参りました。」


  その日、午後の便で来た郵便物の中に、差出人の書いていない

  角2型の封筒が混じっていた。前回の怪文書を思い出して、

  嫌な予感に襲われながらも優奈は中を確認する為に、注意して

 鋏で封を切る。


 中には数枚の紙をホッチキスで留めたものと、別に小さめの封筒が

 入っており、そこには小田切の名前が宛名として書いてあった。

 小田切は教員なので個人でメールボックスがある。そのため

 学生の研究室に小田切宛の郵便物が送られてくることは、めったにない。

 小さめの封筒にも、やはり宛名はなかった。


 代わりに、前回と同じく手鏡の写真が貼り付けられていた。

 シール代わりにしては大きすぎるし、なぜ封筒の中に入れないのか

 理由が分からない。

 

 前回の封筒に入っていた紙切れに書かれていた、呪いにも似た文書を

  思い出させる。なぜ差出人はあえて学生の研究室に郵送するのか。

  そこら辺からして、底知れない理由がありそうで、気持ちが悪い。

  同時に、優奈の好奇心が擽られたのも事実である。

  前回は常川の邪魔が入ったが、今日はまだ常川は居ない。


 封筒はさすがに私文書なので中を検める訳にはいかない。

 剥き出しの書類の方に、目を通すことにした。こちらには宛名がない以上、

 研究室宛ての筈だ。


 5年前にアカハラで、山瀬研究室の女子院生が被害を受けていたこと。

 小田切と佐々木がハラスメント加害者であること。

 それにも関わらず、一人の男子院生だけがその責任をとって

 退学処分となったこと。


 これらの事が、新聞記事のように、淡々と事実だけが書かれていた。


 (これは、本当にこの研究室であったことなの?)


 同封された文書が真実であるのなら、差出人はアカハラの被害者と

 考えると筋が通る。それならどうして大学を相手取って、責を問わない

 のだろうか。上手いやり方とは思えなかった。

 前回の常川の態度からして、何か事情があるのかもしれない。


 常川は前回怪文書が届いたときに、本人に知らせるのをなぜか嫌がった。

 だがあれからしばらく罪悪感に駆られていた優奈は、今回は常川が

 いないこともあり、小田切に渡すことにした。今回ばかりは宛名が

 書いてある以上、勝手に処分する訳にも行かない。


 二回の空振りを経て、なんとか優奈は封筒を小田切に渡すのに成功した。


 小田切は中を、特に手鏡の写真を見ると、小さく悲鳴を上げた。

 心配する優奈に、幾度も中身を見たのかと確認する。

 文書の方は既に全部読んで、実はスキャンして保存していたりするが、

 それは内緒だ。「全く見ていないですけれど、何の手紙ですか?」と恍けて、

 部屋を後にした。


 二時間ほどして常川がやって来ると、他の学生が掃けるのを待って、

 待ちかねたように優奈は早速先程来た手紙のことを話した。


 「この研究室で本当に、あんなことがあったんですか?」

 

 「ああ。本当だ。俺はその時には休学していたから、詳しいことは

  言えないが」


 学外には漏れていないが、人の口には戸は立てられず、少なくとも

 学部内ではある程度噂になった。その影響で未だにその噂が残っている

 代の学生達は、山瀬研究室に来たがらないのだ。

 さらっと事実を肯定した常川は、そう説明した。

 

 その頃小田切は手鏡の写真を凝視して、放心していた。


(どうしてこれが……?関係者の仕業か?)


 手で破った封筒から取り出された便箋には、前と同じく5年前の

 アカハラとの関連を公表すること。それともう一つ。全ての罪を背負い

 亡くなった男子学生の名誉の回復を求めるものだった。

 

 不正経理の証拠を握っている以上、やはり解雇されたあの営業マンが

 一枚かんでいるのは間違いない。そして共犯者は、5年前のアカハラに

 関係ある者。


(やはり何がなんでもあの営業マンを探して、吐かせるのが一番だ)


 アカハラの関係者の人脈を辿るよりも、明らかに関係のある人物を

 追った方が遥かに効率が良いはずだ。小田切はスケジュール帳を睨み、

 営業マンを負うべく計画を調整することにした。




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