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序文

 本号で月オパは創刊半年を迎えた。半年、短いようで長い。僕自身、こんなに続くとは思ってもいなかった。そして、僕(オパーリン)、東町健太氏、弦楽器イルカ氏、多良鼓氏、鶴首氏、と五人の執筆者が文章を発表する雑誌に成長した。もちろんこれも創造だにしなかったことである。月オパという泥舟に一緒に乗り込んでくれた4人の勇敢な作家の方々に心から感謝している。

 誰もがはばからずに発言できる王国の実現は一向にやってこないように思える。が、その実現に着々と迫っているようにも思える。実はそんなことはどうでもいいとさえも思う、楽しいからそれでいいと。読者がいるのかいないのか分からないが、読んでくれている人はありがとう。「隠れキリシタン」ならぬ「隠れオパーリン王国民」として、これからも月オパを読んでくれるとうれしい。

 ここは通過点に過ぎない。月オパはこれからも邁進していく。次の目標は「一年」に設定しようか、半年後だな。半年後の自分なんて想像もできない。でもまあ、想像できなくても一向に問題は無いので、一号一号、心血注いで作って行けばいいと思う。

 とゴタクはこれくらいにして、少し本号の内容を紹介しよう。

 本号から、新連載が二つスタートする。一つは弦楽器イルカ氏の連載小説である。この小説は僕が本誌への執筆を依頼した当初からイルカ氏が掲載を約束してくれていたものだ。今月号のトップバッターを努めてもらうことにした。もう一つは東町健太氏と僕の合同企画「その「声」は「誰」の声?」。とある新聞の投稿者の作品を我々「その「声」は「誰」の声委員会(略称、誰の声委員会)」が勝手に表彰する、という企画だ。来月以降も毎月表彰しようと思っている。

 多良鼓氏は科学と政治について考察するエッセイを書いてくれた。僕も科学を志すべき学生の端くれとして(風上にも置けない輩だとは重々自覚しているが)常々考えていたテーマである。弦楽器イルカ氏との連載企画「おまなや」は第三回、今回はあの大物芸人の悩みを解決した。鶴首氏は今回で二回目。なんと小説を書いてくれた。ので、新コーナーを作った。彼の独特の世界観がまた一つベールを脱いだのではないかと思う。今後(もし書いてくれるのならば)彼の世界がどのように発展し、提示されていくのか待ち遠しい。

 では、月刊オパーリン王国2012年3月号、お楽しみあれ。

               (2012年3月24日)

 


不定期連載小説第一回 『四月に見る夢 Ⅰ』 弦楽器イルカ

新連載

不定期連載小説 第一回

『四月に見る夢 Ⅰ』

執筆者 弦楽器イルカ

 

この物語が、震災で生まれた瓦礫の一つとしてあなたに焼かれ、弔われることを祈って。

 

 

<遺書>

 

 死にたくないと思っている。死の恐怖だけじゃなく。僕はまだ死にたくない。遺書なんて書きたくない。まだ僕には知りたいことがいくつかあって、会いたい人が幾人かいて、やりたいことが山ほどあるのだ。僕自身にしかできないやつだ。他の誰にもやらせたくないやつだ。これから僕がやるべきことなのだ。僕はまだ十七で、僕はまだ何もしてない。

 完全に空白の三年間。死を直前に迎えた人間の時間にしてはあまりにも情けなさすぎるし、僕はまだこれからなのだ。僕が今までしてきたことは、他人に迷惑をかけることだけだったのだ。言い訳はしない。だからこそこれからなのだ。なのに。だったのに。

 なぜだ、なぜ僕は死ぬ。なぜ僕は死ぬんだ。僕が何をしたというんだ。死は怖い。死にたくない。なぜだ。なぜ僕は生まれた。このまま何もせずに死んでいくためか。そのために僕は生まれたのか。そんなの誰が信じるんだ? 信じられるもんか。

 スイッチを切れば不安になる。書きたいことが山ほど浮かぶ。

 でも僕は手を切らねばならないのだ。僕の生と同じように。

 

 

三度読み返して、やっと少しすっきりしたような気がした・おかしな話だ・自分の遺書を推敲するなんて・でもいいんだ・もうどうせ作家になんてなれないのだから……

 電気スタンドを消した・真っ暗闇だ・右手を伸ばしてカーテンに触れ、隙間から少し外を・いつもの雪が降っている・遠くに大きなあの黒い影・見慣れた瓦礫の山が見えた・窓から離れ、あろうはずのベッドに飛び込む・ばほっ・枕に顔を押しつけてみた・

『その日』が来てから一年が経った・あれからずっと、誰とも話をしていない・家の電話もつながらないし、ポケベルも持ってない・何もかもダメになってしまったけど、何が悪かったってワケではないのだ・『その時』がやってきて人間が死ぬだけだ・しょうがないさ・人間がいなければって誰もが思ってたんだから・ただ……

 僕はまだ、何もしてない・

 泣きたかったし、目は潤んできたけど泣けなかった・人間ってのは・僕はまだ生きてるし僕だけは大丈夫なんじゃないかとかって思ってるんだ・死については考え過ぎていて、もう何がなんだかよくわからない・でも、一人だけで生き続けたくなんてない・たぶん……

布団をまさぐって端っこから中に入った・冷たかった・大丈夫、そのうち暖かくなるさ・うつぶせにもぐり込んだ布団の中でふと、僕はもう幽霊かもしれないなんて考えが浮かぶ・僕はただのサンプルで、データを取られるために生きているんじゃないかなんて・世界中の人々に貢献するデータ・それが素晴らしく有意義な生だって思い込もうとしてる・

この世界で一番大切なのは命だなんて、そんなのはただのキレイごと・嘘っぱちで・この瞬間にもたくさんの人が死んでるし・僕の命よりデータの方が大切な人々がいる・それだけは間違いないんだ・だって本当に安全なら・何も起こらないなら、そもそもデータなんて取る必要はないのだから・危険かどうか調べられるための、幽霊の町・

 

そこでふと、あの写真・衛星から撮った、『その日』の地上の写真を思い出した・

 それはいつもと同じ場所、同じ時間の風景で――

降り積もる雪と――

音もなく白く変色していく山や、町並みと――

家々の屋根や道路や、道路に倒れているたくさんの人々と――

 それはあるいは、いつもとそれほど変わりはないのかもしれない・

ただ、死んでるだけだ・

 彼らの中で、誰がこんな死を予期したのだろう・彼らは苦しんだのだろうか・悩んだのだろうか・そして、憎んだのだろうか・『その時』を・理由のない『その時』の到来を・あるいは、そんな暇さえなかったのだろうか・『その時』はどうやって、どうしてやって来るのだろう……

 

 犬・

そう、犬だ・人が倒れているその脇で今も吠え続けているだろう犬・ついさっきまで一緒に走っていた飼い主に鼻面をすり寄せその首筋を舐め、そして噛みつき食べる犬・または繋がれた首輪を恨めしく思い続け死んでいくであろう犬・うつ伏せに、仰向けに折り重なる人間たちの脇で、争い、喰らい、交尾し続ける犬・

 あのニュースの後で、いったいどれくらいの飼い犬が殺されたんだろう・

 まっててね・すぐいくからね……

 

 イヤな気持ちだ・

ものすごく、ものすごくイヤな気持ちだ・眠れそうにないと思う・でも寝なきゃ……

 

また、夢で会えるかな・

 

 それよりも寝なきゃ・眠れないことはわかっていた・この一年ずっと・起きても夢の中にいるようで・今まではこんなこと……

今までだって? ふふ・今まで?

 こんなときはどうすればいんだろう・いつも思うことだけど・

 

 星か……

 

 星か・星も悪くない、一年前まではいつも夜なのに町の方に照明の白く薄ぼけた光が見えるだけで・それがどうにも昼間の余韻みたいに見えて仕方がなくて・こんな田舎でも随分と星の数が減ってたもんだけど・あるいはそれは、人が本当に昼間を蘇らせようと必死で照明を灯していたからなのかもしれない・星か、星も悪くない・でもねなきゃ……

 

でんきがないからほしもきれいだよ……

 でも、ねなきゃ……

 

 パチン。

 

 

私は、少年の夢の中で目を覚ます。

「ねえ、起きて」

彼女が私の眠りを覚ます。

「思い出して。あなたは、あの少年の現在。あの瓦礫の町に住む少年は、十代の頃のあなた。でしょ?」

 そうかもしれない、と私は思う。瓦礫の町……

「全国にばら撒くのをやめて、人がいなくなったあの場所に送られた、瓦礫の町。あの少年はそこに一人で残ってるの」

 なぜ人がいなくなったんだろう?

「逃げたから。または逃げ遅れて死んでしまったから。死んだ人の半分は時砂に汚染されたの。雪みたいにキラキラしてとても綺麗な白い砂よ。でも、あれに触れるとみんな死んでしまう。八日、三十年、二万四千年間、時砂は消滅するまで、触れる物の時間を吸い上げて奪うから。あと半分の人が死んだ理由はあたしにもわからない。瓦礫が送られたと同時に、なぜか死んでしまったの」

 瓦礫はなぜ送られた?

「瓦礫は過去だから。過去が未来を侵食するのは許されないから。未来に誰かが大きな病気を患った時、瓦礫を受け入れたせいに違いないって、自分を責めて後悔する人が少しでもいなくなるように。過去が未来を縛らないように、あの場所へ瓦礫を集めたの」

 あの少年は? なぜまだ残っている?

「なぜ逃げなくちゃいけないの? ただそこにいるだけなのに。世界中の誰しもが、ただその場所にいるだけなのに、どうして逃げる人と逃げなくていい人がいるのかしら? そんな所に踏みとどまっちゃダメだって責める人と、居続ける理由をわざわざ言い訳しなきゃいけない人がいるなんて。どうして? それがわからないから、少年は逃げないの。逃げずに物語を書いてる。何度書き直しても完成しなかった物語。覚えてる?」

 私は思い出す。十代の頃、私はワープロに向かって物語を書いていた。

あの物語は完成しなかったんだ。今じゃもう、書く意味なんてない気がしてる。

「どうして?」

 物語の速度では現実に追いつかないから。現実のスピードがあまりにも早すぎて、物語が終わる頃には現実は全く別の物に変化しているから。現実逃避のために、物語を利用したくないから。

「でもこうやって、あなたは続きを書いている。今こそ現実を超える物語が書けるんじゃないかって。ねえ、取引をしましょう。物語の続きを教えてあげる」

 取引?

「あの少年を殺しなさい。あの少年が最後なの。この世界では報道されなければ知らなかったことにできる。誰も知らなければなかったことになるから。だからあなたがあの少年を殺せば、瓦礫は消えるの。ねえ。あたしの望みは、これから描かれる全ての物語を瓦礫から解放することなの。この世界から『その日』の記憶を消して、未来を憂いなく過ごすために。あなたが原罪を背負えば誰もが救われるのよ」

だとしたら、人々を殺したのは、キミか?

「違うわ。殺したのはあたしじゃない。あなたのような未来の人間が、過去の自分たちを殺したの。将来を再開発するために、過去の遺物を取り壊しただけ。あと瓦礫の町から立ち退きしないのは、あの少年だけなの。ねえ、あの少年を殺して世界を元に戻しましょう。誰もがそうやって日常を取り戻しているわ。そこに後ろめたさを感じる必要はないのよ」

 私にはわからない。何も。

「ねえ。深刻に考えないで。ただのフィクションよ。世界の片隅で起こる誰も気づかない小さな殺人。現実には誰も血を流さない。もうわかってるでしょ。この物語が現実を超えることをあなたは願っている。いつだって物語を追いかけて、どう書くかにしか興味の持てないあなたが考えたのよ。あの少年が書いた物語の続きを、現在のあなたが引き継ぐの」

 わからない。第一どうやって。殺す?

「大丈夫。あたしがあの少年をおびき寄せるから。時砂を避けて瓦礫の町から逃げる道を知っているの。あなたはその途中で待ち伏せして、少年をこのナイフで殺せばいい。未来の自分にしか、過去の自分は殺せないのよ」

 私はナイフを握り締め、深い眠気に誘われてゆっくりと目を閉じる。

クリック。

 

 

 


第一回 『その「声」は「誰」の声?』 東町健太、オパーリン

新連載第一回

『その「声」は「誰」の声?』

執筆者 東町健太、オパーリン

 

・企画趣旨

 とある大新聞に日がな寄せられる読者の「声」。その声は一体誰の声なのか?何を代弁しているのか?国民、労働者、女性、弱者、子供、はたまた単に「我々」という曖昧な共同体意識か?気になって読んでみれば、これまたびっくり、とんでもない・・・、いやいや思わず溜息がこぼれるほどのすばらしき投稿ばかり。

 ということで我々オパーリン王国では東町健太氏を委員長にすえ、「『その「声」は「誰」の声?』委員会」を結成した。当委員会では毎月、これらの投稿の中から特に秀でた投稿について勝手に表彰し、講評を行うこととする。

 

・『その「声」は「誰」の声?』委員会 メンバー紹介

選考委員長 東町健太

選考副委員長 オパーリン

 

・2012年3月度 結果発表

 

〈大賞〉「子ども手当ては息子の旅に」

    (主婦 女性 48才)

 

 「子ども手当て」が支給される前は、道でホームレスの方を見かけては「果たして私たちが本当に頂いていいか」と悩んでいた主婦です。

 中3の息子は国立の一貫校なので、受験料も塾代もかからず、毎朝お弁当作りに励み、勉強している時は後ろから喝を入れ、お金をかけずにやって来ました。

 当初、手当はおかず代や貯蓄にと考えていたのですか、主人の「使わないと意味がない」という意見に賛同し、すべて旅費に使うことにしました。昨年、息子は名古屋、大分、沖縄、グアムなどを旅し、心も体も成長したようです。手当は大いに役に立ちました。ただ私としては手当が続くなら子どものためにも、景気回復のためにも街の商品券、図書カードなどにしたほうがいいと思います。

〈講評〉

・東町健太(選考委員長)

 見事、の一言につきる。書き出しがまず秀逸だ。ホームレス、という単語が出た時点で例えば私のような凡人であれば福祉関連の話題に入ってしまうだろう。しかし著者の非凡さはそんなありきたりな考え方をしないところにある。「本当に頂いていいか」と悩むならば当然、ホームレス支援団体などに寄付をしたりするのかと思いきや、まさか「国立の一貫校に通う」恵まれた息子の旅費になるという驚きの展開。「その日食べるパンをゴミ箱から拾うホームレス」と「名古屋で揚げたてのエビフライに舌鼓を打つ若者」、「都会の雑踏の中で必死に生きるホームレスと大分の豊かな自然を満喫する若者」、「長い路上生活で真っ黒に汚れてしまったホームレスとグアムや沖縄の美しい海で真っ黒に日焼けする若者」、このような対比をいやでも読者は連想させられるだろう。こんなに短い文章で現代社会の貧富の格差を鮮やかに描写した筆者の才能は本物だ。

 そして素晴らしいのは「商品券」、「図書カード」といった一見なげやりにも見える結論部分だ。この結論の効果で最初に提示されたホームレスの姿は跡形もなく消えうせる。筆者は、ホームレスや社会的弱者のことなんて口では奇麗事を言っても結局はポーズだけで真実は誰も彼らのことになど関心を払っていない、という現代を生きる人々の欺瞞を、その文体をもってしてするどく批判しているのだ。

天才、と呼ばざるをえない才能との出会いに私は感激している。芥川賞受賞に値する。

・オパーリン(選考副委員長)

 「人は何故文章を書くのか」について、一読してその認識を根底から覆される思いがした。「筆者は何が伝えたかったのだろうか」という読み手の安易な理解を激しく拒絶する筆者の姿勢に作家としてのプライドを感じる。

 見栄、嘘、欺瞞、社会矛盾、偽善、虚無。たった300字あまりのこの掌編には、人間を人間たらしめるありとあらゆる要素が織り込まれている。星新一以来の圧倒的な才能の登場に心からの賛辞を送りたい。

 

〈佳作〉「話し合い解散は裏切り行為だ」 

     (主婦 女性 48才)

 

 本紙をはじめ、報道各社は先月末に野田佳彦首相と谷垣禎一自民党総裁が極秘会談し、「話し合い解散」についても意見交換した模様だと報じている。事実であれば非常にショックだ。

 前回の衆院選では自民党に嫌気がさし、民主党に期待して投票した国民は多い。ところが政権交代後の現政権はマニフェストを次々に破っていたずらに国民負担を増やし、逆にマニフェストにはない消費税増税を持ち出した。このような不誠実さへの国民の批判が参院選でねじれを生じさせ、現内閣の支持率も30%を切るところまで落ちた。

 だが自民党にも国民の支持は集まっていない。同じ消費税増税路線をとる一方で評価できるような政策は何も掲げず、党自体の改革も進んでいないためだろう。この上、「話し合い解散」などするならば、両党共に国民無視の裏切り行為であり、絶対に許せない。

 ますます国民の政治不信は強まるに違いない。

〈講評〉

・東町健太(選考委員長)

 「人それぞれ」という言葉がある。私の嫌いな言葉の一つであるが、筆者は私以上にその言葉を嫌っているのだと思われる。この文章の中には「国民」という単語が都合6回もでてくる。「国民」を主語にして持論を語る筆者の文章は「私の意見は国民の意見。私と違う意見をもつ国民なんかいるわけがない!」という力強さにあふれている。前回の衆院選でも自民党に期待して投票した人もいるだろうし、参院選において民主党に期待の一票を投じた人もいるだろうが、そんな人の存在など無視するという非常にたくましい論調だ。「評価できるような政策は何も掲げず」という箇所があるが、もちろんこの箇所の主語は筆者の中にのみ存在している「国民」に違いない。筆者はただの一介の主婦ではない。さまざまな考えをもつ、一億を超える日本国民の全ての声を代表するスペシャルな一介の主婦なのだ。

 このような思考回路は一朝一夕にできあがるものではない。おそらく筆者は普段から、例えば自分の乗った電車の暖房が暑ければ駅員に「暖房暑すぎるわよ!国民は怒っているわ!」と怒り、隣家の飼い犬の鳴き声がうるさければ「おたくの犬は国民の敵よっ!!」と怒鳴り込むなどの努力を続けているにちがいない。その努力に敬意を表して佳作とさせていただいた。

・オパーリン(選考副委員長)

 筆者は類まれなる隠喩の使い手である。「ひょっとするとこの愚劣極まりない主張は、筆者の本音なんじゃないか」と見紛う程に見事な隠喩である。とりあえず文句しか言わないゴミ、そのくせ「対案」を何一つ提示することなく「そんなものはあんた等が考えなさいよ、当然でしょ。私たち「国民」の血税で飯食ってんだから。」と言わんばかりのふてぶてしいゴミ。徹底してそんなゴミになりきることで、筆者は「民意」や「国民」という顔の無い主語を傘にしてものを言うことの愚かさを強烈に皮肉っている。筆者には今後も、その卓越した技巧にさらなる磨きをかけてもらいたい。ただ、できれば、読者が隠喩だと気付くことができる程度にヒントをいただけたらと思う。

 

〈佳作〉「若者よ、現状に満足せず怒れ」

    (無職 男性 65才)

 

 内閣府の国民生活に関する世論調査によると、2010年時点で20代の男性の66%、女性の75%が「現在の生活に満足」と感じているという。この調査結果を取り上げたテレビ番組で、年配の女性会社社長が、自分たちの若い頃は女性にとっていかに厳しく難儀な社会であったか、また、日本人がみな、よりよい暮らしを求めていかに働いてきたか、を指摘し、現状に満足する若者たちを理解できないと話していた。同感だ。

 物質的に豊かな社会で育ったいまの若者にすれば、生きていくのに不自由はないし、政治や社会に関心を持たないために不満も感じないのだろう。40年前、20代の私たちサラリーマンは、低賃金長時間労働反対を叫び、週休2日や賃上げ、その他待遇改善を自ら勝ち取ってきた。同時に弱者切り捨ての政治や政治家の汚職、公害問題などにも怒りの声をあげてきた。それを支えたのは「現状を変えたい」「今日より明日の暮らしをよりよくしたい」という夢と希望だった。労組もストライキも知らぬ若者に伝えたい。社会の不正、国の不誠実、企業の不実、そんなことに常に目を向け「怒れ」と。

〈講評〉

・東町健太(選考委員長)

 筆者は65歳である。その年代の方々がこの文章にあるような苦労をなさって今日の日本がある。現在の日本を作り上げたのは彼らであるといってもいいだろう。しかし現在の日本の若者の状況に筆者は憂いを感じ、「理解できない」と語る。

 しかし「理解できない」なりに現代の若者を分析しようとする姿勢には感服させられる。いまの若者は「生きていくのに不自由はな」く、「政治や社会に関心を持たない」と「理解できない」はずの若者について言及し、「労組もストライキも知らない」と断定するその姿勢。私のような下賤の者の目でまわりを見ると、何の不自由もなく生きて、政治や社会に関心がなく、労組もストライキも知らない若者など見たことはないのだが、筆者のような現代の日本の土台を築き上げた立派な方の慧眼にはそうは映らないらしい。

 ブータンという国がある。この国は国民の97%が「いまの生活が幸せ」と答えるふざけた国らしい。筆者はこのような国へ行き、その幸せな国民に労組やストライキを教え、「怒れ」と伝えてほしい。ブータンを、国民の97%が「今の生活が不満」と答え、頻発するストライキで国民生活が崩壊し、誰も彼もが常に怒っている、そんなすばらしい国に生まれかわらせてほしいものだ。

・オパーリン(選考副委員長)

 論理の飛躍、主張の偏り、そんな批判を微塵も恐れぬ描写の筆圧から筆者の覚悟がビンビンと伝わってきた。過ちや批判を恐れるあまりに無難なことしか言えなくなってしまっている軟弱な現代の若者への「叱咤激励」は、これまで「労働者の代表」として怒り狂ってこられた筆者の人生がその文章から滲み出ることで迫力、説得力を増している。ただ、若者全員が現状に満足しているわけではないこと、過去の人がその現状を「よりよく」した結果が2012年の日本の惨状、あ、いや現状なのであるということだけは言い添えておきたい。


第三回 『お前、悩んでんだろ?』 弦楽器イルカ、オパーリン

連載(不定期)第三回

題字:弦楽器イルカ

 

『お前、悩んでんだろ?』 企画趣旨

悩み多き(と勝手に判断した)芸能人等のお悩みを、(頼まれてもいないのに)自称伝道師※が愛情を持ってときに厳しく解決するコーナー。

※伝道師(でんどうし) 1、キリスト教の聖公会・プロテスタントの教職の一つ。2、転じて、他人に何事かを熱心に勧める人。

 

今月の被害者

M本H志

略歴(ウィキペディアより抜粋)

 1963生(48歳)。日本お笑い芸人エッセイスト作詞家映画監督お笑いコンビダウンタウンのボケ担当。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」、「ダウンタウンのゴッツええ感じ」、「人志松本のすべらない話」、「リンカーン」等で知られる日本を代表するお笑い芸人である。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(東京)所属。愛称は「松ちゃん」。既婚であり、児の父。左利き。

 

伝道師①:弦楽器イルカのススメ

 

 例えば最近ツイッターはバカ発見器って言われてるけど、芸能人のは趣味じゃなくて完全な営業活動でしょ? お客さんがわざわざフォローしてくれるありがたい広告じゃない。そこはフツーの営業さんだってもっと気を使うとこよ。フツーのOLさんだって「無責任」って評判を怖がってデキ婚を諦めたり、自重するもんよ。それが芸能界ときたら、才能ある人でさえちやほやされたら己を見失うのよね。

例えばサッカーの中田とか、あの松ちゃんもそうよ。親しみを込めて松ちゃんと呼ばせてもらうけど、松尾スズキやナンシー関だってあんたには一目置いてた。それがMHK、松本人志のコント。「笑いに命を売った」って煽りまくったけど、回を追うごとに笑えなかったし、もっと面白くできるだろうって歯がゆかった。あと現場の雰囲気も痛々しくみえた。みんな「面白いですね」って気を使ってる感じ。恨みを買ってまで天才って自負してた松ちゃんなのに、今じゃ「何もかも理解されない俺」って退屈な芸能人になってる。

公平に批評するため具体例を出すけど、例えば影絵英会話ネタ、本物のNHKがパロディやったことは凄いけど、ゲロしたり気色悪い動きだけじゃ大人は爆笑できないわ。「影絵で英語教材なのにここまでやるか」って笑わせたいなら、昼メロっぽい嫁姑問題とか火サス・土ワイ並のドロドロ不倫愛憎殺人復讐劇とかを際どい性描写入れてやってほしかった。云わばトカゲのおっさんの影絵版よ。あと特撮コントは突っ込みがないとオチないし長い。更に全体通してアドリブの切れが悪かった。

以上踏まえて結論だけど、解決法は割と簡単よ。MHKの中で笑えたコントの一つが、浜ちゃんと出てたヤツ。松ちゃんの退屈な過剰さを浜ちゃんが笑いの地平に軟着陸させてくれたの。だから、M松本、H浜田、Kコントにして磨きをかけたら、尻切れトンボな『ごっつ』の続きがまた観れるんじゃないかな。ダウンタウンのコントはまだ枯れてないって期待してる。

ただあたしがこれ書いてるのは、もしかしたらその簡単な解決法こそが実は一番の問題かもって思ったからよ。貧乏な頃は、笑いを取れば取るほど人気者になれて、人気者になればなるほどお金が稼げた(あと女ともヤれた)。このサイクルが松ちゃんの誇りであり天職だったはず。だけど笑いと金の目標が達成された今、松ちゃんは対等な立場の浜ちゃんと組まずに、権威を求めて「たけし二世」になりたがってる。でも松ちゃんは言うほどアートや政治や映画好きなの? あたし思うけど、松ちゃんの目指す方向はむしろ志村けんじゃない? このままMHKのリベンジせずに、ピカル(観てないけど)に視聴率惨敗で良いワケ? 

だからまず、稼ぎ過ぎたお金をなんとかしましょ。「金の切れ目が……」って言うけど、金が結んだ縁なんて人を無駄に肥大化させるだけ。太った自称占い師に太らされるだけよ。つまりもう、没収ね。毎月いくらか稼がないと生活出来ないくらいまで私財没収。もちろん浜ちゃんもね。連帯責任で。コーヒー牛乳分け合った仲じゃない。それで映画撮るお金と合わせてテレビ用の下品なコント作るの。NHKじゃ放送禁止なヤツ。そしたら死に物狂いで笑い取りに来る、ギラギラ脂ぎったダウンタウンがまた観れるはず。今回はマジだったけど期待してるゾ! バイちゃお!

 

今月のアドバイス・まとめ

天才かどうかは、単に笑えるかどうかだけ!

 

伝道者②:オパーリンのススメ

 

 日本中で彼の名を、顔を知らないものは無い。誰しもが彼の事を知っている、彼の言動に興味を持っている。結婚すればニュースになり、それどころか話題の出来事に一言何か言及すればそれさえもニュースになる。おちおち街中で立ち小便もできないのではないだろうか。待ち行く全ての人の目が監視カメラに見えるのではないだろうか。そんな状況がどんな気分のするものなのか、僕には想像し難いが、まあ、あんまりいい気分ではないんじゃないのかなとは思う。

 「一億総監視カメラ」な状況下で正気を保ち続けることは容易ではないだろうが、彼の職業はお笑い芸人であり、しかもただのお笑い芸人ではなく、日本のお笑いの明日を背負って立つことを義務付けられた「第一人者」なのである。常に新しい「笑い」を探求し続ける「創造力」を維持し続けなければならない。「創造力」を維持し続けることは「正気」を保ち続ける事にも増して至難の業なのではないだろうか。

 「俺の笑いが分からん奴は見なくていい」彼はそう言い放ち、徹底して既存の笑いをぶち壊してきた。先鋭的であり続け、なおかつ圧倒的な大衆の支持を得るという文字通りの「奇跡」を成し遂げ続けてきた。お笑いの歴史に「北野武」という時代があるとしたら、彼は間違いなくその時代を終わらせ、次の一時代、「松本人志の時代」を築き上げた。

 何が言いたいかというと、彼は一人の人間がその一生で成し遂げうることをもうすでに十分すぎる程にやり遂げた、のだと私は思うのである。それは「彼が芸人として終わった」とか「もう面白くない」ということを意味するのではない。彼の出ているお笑い番組は依然としてその他諸々のお笑い番組と比べれば安定して面白いと思うし、『さや侍』も映画として十分に評価に値するレベルの面白さであったと私は思う。

 しかし、他と比べれば依然十分に面白いのに、何かが足りないように感じる。そう感じるのは私だけではないのではなかろうか?特に、「ごっつ」などの彼の全盛期の笑いをタイムリーに見ていた人達にとっては。果たして、その「何か」とは何だろうか。それは一言で言ってしまえば、「松本人志」という「新しい笑い」に時代が塗り替えられていく感じ、ではないだろうか。そうだと仮定して、では何故今の彼にはその勢いが感じられないのだろうか。それは、彼がもう既に時代を塗り替えてしまったから、今や「松本人志の時代」だからである。革命は完遂してしまったのである。そして「長い倦怠の時代」が始まり、いまだに続いている。

 「お笑い」がお笑いだけに止まらず、あらゆる文化の最先端として未来の創造者達に影響を与え続けるためには、どうにかしてこの倦怠を打ち破らなければなるまい。常に最先端であること、それこそが「お笑い」のアイデンティティーであろうから。で、問題は「誰が」この現在の倦怠を打ち破るのか、新しい時代を切り開くのか、ということである。

 松本自身が過去の自分の笑いの息の根を止め、全く新しい「松本人志」として新時代を切り開く、その可能性がゼロとは言えない。が、厳しいだろうとは思う。結婚もし、子供も生まれてしまった。背負うべきものが出来てしまった。いつの時代も、パイオニアは手ぶらで素っ裸だ。今後、彼には「人間」として「人生」を生きてもらえばいいと思う。

 では、一体誰だ?北野、松本に比類しうる若手は。異論もあろうが、僕は「劇団ひとり」を推す。メシアではないかもしれない、預言者レベルかもしれない。でも、今の現状で、「笑いの真髄」に最も近いのは彼だと思う。

今月のアドバイス・まとめ

「お疲れさま。後は劇団ひとりに任せろ!」

 


連載小説第三回 『生き恥を、晒して足掻く、私かな』 オパーリン

連載小説 第

『生き恥を、晒して足掻く、私かな』

執筆者 オパーリン

 

3「自己言及、引き続き」

 

 処女作から一年の時をおいて、昨年の屈辱を晴らすべく、僕は二作目と三作目、「瞳」と「灰色ネオン」を書き上げた。この二、三作目はほとんど同じ時期に一ヶ月くらいの期間で書き上げた。そのため、この二作は内容的にも関係が深い。

 まずは二作目「瞳」について書いていく。「瞳」は処女作「働きアリは何を思う」執筆時の反省点をふまえて書いた。先にも書いたとおり「働きアリは何を思う」は「日記」的な要素が強い文章であった。それがあっけなく賞に落ちてしまったので、僕は「やっぱり、自分のことばかり書いていても、他人は面白いとは思ってはくれないんだな」と思い、私小説的な要素を廃し、自分の身の周りの来事ではない、一から練り上げた物語を書こう、と思ったのである。

 こうして、「瞳」は私小説的要素を廃した「物語」を目指してて書かれた。内容としては、またもや「恋愛もの」であった。「レミさん」という架空の女性人物を登場させ、「僕」との「情事」を描いた。「情事」、つまりは「セックス」である。セックスを書こうとしたことも「瞳」を書くにあたっての僕の挑戦であった。前述の通り一作目「働きアリは何を思う」は失恋の話であった。しかも告白してフラれる、交際する段階に至る前に失恋する話であったから、作中にセックスの描写はなかった。現実を基盤にして書いた「日記」であったので、「していない」ものを「やっちゃった」ことにしてはマズイのではないかな、という抑制が自分の中で働いていたのである。

 しかし、どうにも「セックス」を書かないのでは収まりがつかないような気がする。主人公が作中において、どこにも行かないというか、不戦敗というか、何にもしてないじゃん、と「働きありは何を思う」を書いていて思ったのである。

 で、「じゃあ、次は「セックス」を書こう」、そう思って二作目「瞳」を書き始めたという側面がある。そのために事実性を放棄し、物語(フィクション)という形式を採用したとも言える。この当時(といっても現在も大して状況は変わらんのだが)の僕は「プライベートなセックス」を殆ど経験したことがなかった。「プライベートなセックス」を書くためにはフィクションを選択せざるをへなかったのである。

 そんなこんなの思いを抱きながら、僕は何とか『瞳』を書き上げた。賞の応募締め切りの2週間くらい前だっけな。原稿用紙で75枚くらいの分量だった(賞の分量指定が80枚以下だった)。「書き終えたぜ」という達成感はあったのだけれど、読み返してみるとこれがどうにも、あまりよろしくない。何がまずいって、読んでて面白くないのである。書いた自分が読んで面白くないのだから相当なものである。

 何とか読み終え、あまりのつまらなさに多少ならぬショックを覚えながらも「何故こんなにもつまらないのだろう」と考えてみた。そして、それはおそらく「あまりにも空想的」であり、「その空想の底が浅い」からであろうと思った。描写がいちいち噓くさいのである。特に、セックスの描写が観念的で、薄もやがかかったみたいに曖昧。つまり、『瞳』を書くにあたってのチャレンジであった「フィクション」と「セックス」を書くことに失敗したのである。

 やばい、これでは落ちる、二年連続で落ちる。そのような屈辱は許されない、というよりも耐えられない。そう思った僕は、急遽三作目の執筆に取り掛かった。こうして書き上げたのが『灰色ネオン』である。『灰色ネオン』においては、前作の挑戦であり失敗である「フィクション」と「セックス」という主題の扱い方にに修正を加えようともくろんだ。一言に修正といっても色々な修正の仕方があるのだろうが、僕は二作目における「フィクション」と「セックス」の方向性というか、雰囲気は残しつつ、「娼婦」という新要素を加えることでリアリティーの補完というか描写の肉付けを試みた。

 詳しく説明しよう。『瞳』は全くの空想の話であったためにディテールが欠如してしまっていたので、ヒロインの「レミさん」に娼婦という職業をあたえ、物語が展開される場所を土浦の桜町(実在する歓楽街)に設定した。この「娼婦(歓楽街)」という要素によって『瞳』における「フィクション」と「セックス」の弱点はかなり上手に補完された、と自負している。先ほど、当時の僕は「プライベートセックス」を殆どしたことがなかったと書いたが、風俗にハマっていて、「娼婦とのセックス」は豊富に経験していたのである。だから、自分が体験したことを自分の感性に従って書けば良かったので、無理せず自然体に書けたのである。嘘と本当を上手く混ぜ合わせたのである。

 と、『灰色ネオン』においては自信満々で、『瞳』もせっかく書いたし「リビドー(衝動)」だけは溢れ出てはいるし、ということで二作を賞に投稿した。この賞は予選と本選みたいな感じで選考が二回あるのだが、二作目『瞳』は予選で落ち、三作目『灰色ネオン』は本選に残った。この途中経過の通知が来たときは「まあ、妥当だな」と思った。ちなみに前年の『働きアリは何を思う』も本選で落ちている。「書くたびに進化している」と勝手に自負していたので「当然受賞するに決まっとるがな」と自分に言い聞かせ、受賞コメントを考えたりしながら結果通知を待った。

 で、落選だったね。「マジかよ」と思ったが、メールの文面は何度読んでみても「落選」と書いてあるのであった。受験にしても就活にしても女にしてもそうだけれども、何だかんだ言っても「落ちる」っていい気分しないな。最悪だよ、マジで。

 

4「作品評を解釈

 

 この時点までに僕は小説を三作書き、学生主催の文芸賞に応募した訳なんだが、この賞は予選を通過した作品については選考委員(学生)と大学教授の講評をしてくれる。そこで、ここでは僕の作品がどのように読まれ、落とされたのか、書いていく。本来ならばこの賞が発行している冊子からそのまま引用したいところだが、著作権うんぬんがあるだろうから、彼らの評価、コメントを僕が要約する。つまり「僕」という視点、フィルターで再構成する。

 選評が掲載されたのは一作目『働きアリは何を思う』と三作目『灰色ネオン』である。まずは『働きアリは何を思う』の選評の要約。

選考委員(学生)

・自分の内面を掘り下げでいるが、小説はもっと自由。未知の世界を探求しろ。

・ストーリー性が薄い。共感できない。

・背景描写不足。

・主人公の考えを押し付けられている感じがして、不快。

大学教授

・「等身大」の大学生っぽくて、まあ、それはそれでアリじゃね。

・自虐的に過ぎて、逆にギャグかと思った。あ、ギャグにしちゃえばいいじゃんw空虚な日常がテーマって、ありがちだけど、真面目に自虐してるから、そこが個性って言えば個性かな。

 とまあ、こんな感じでディスっていただいた訳だ。再度断っておくが、原文ではないから著作権は侵害していない。俺なりに彼らの批評のエッセンスを抽出し、純化した。で、この評に対して僕がどう思ったかということなんだが、うーん、なんかなあ。まあ、そうですか、としか言いようがないんだな。特に学生の方々はディスっていらっしゃったなあ。教授の方はとても優しかった。「マジでディスっちゃうと可哀想だから」ってところなのかな。

 これらの評を受けての僕の感想というか結論。学生の意見については本質的な部分での拒否に関しては諦めるしかない、つまりあなたに嫌われるのは仕方がない、判断した。先生のヌルイご批評については、まあ、「なるほど」とは思うけど、今後の執筆の役に立つかといえばそうでもない、という感じだった。結局のところ、心なくディスってくれれば当然僕はムカつくので、そのムカつきをバネに「おっしゃ、君たちにとってもっと不快なもん書いちゃるわ」とやる気が出てきてしまうことが判明した。つまり、ディスられた方が僕の執筆にとってはプラスということが分かった。

 次、『灰色ネオン』

学生

・言うことなし。

・ただの妄想、っていうかお前童貞だろ。いや、絶対童貞だわ。童貞ごときが小説書くなぁああああ!!!

・人物がステレオタイプ。

先生

・ウブやな。重いテーマを書ききれていない、安易。

・描写に工夫が感じられない。ありがち、コテコテ、創りすぎ。「女」を書けていない。

 と、昨年にも増して辛辣なディスりであった。二年目とあって僕の方も薄々「小説の良し悪しって何だ?小説って結局は好き嫌いなんじゃね」と感じ始めていたが、さすがにこの評はショッキングであった。いやね、先生方の方はね、オブラードに包んで下さっているからね、いいんですよ。それに文章に知性的なものを感じるしね。そう、学生様方ですよね、問題は。いくらメンタル強くても「執筆インポ」になっちゃうよね、この罵詈雑言は。あまりに香ばしいので一つ一つ返答しようと思う。

 「いうことなし」。興味なし、ってことだよね。賞でまでシカトされるとはさすがに思わなかったな。

 「童貞死ね」。この人が最強だったな。読んでいただければ分かると思うんですが、「童貞がモテなくてつらい」っていうお話なんでね、そこをディスっていただいてもね、そこを外すとこの小説は無くなっちゃうんですわ。あと、もう一言だけ付け加えさせていただきますと、私恥ずかしながらその当時は風俗にハマりまくっておりましてですね、そこに関してはね、事実なんでですよ、残念ながら。ですのでね、「童貞」ではなく「素人童貞」なんですね。

 「人物がステレオタイプ」。これは唯一まともな評だったな。多少なりは自覚していた点でもある。やっぱり「フィクション」があんまり得意じゃないんだやな、僕は。だから「フィクションっぽいフィクション」になっちゃう。他人が読むとそう感じるのね、と参考になった、ありがとう。「リアルなフィクション」って、どうなのよ?言葉としておかしくない?とは思うのだけれども、その問題に関しては、非常に大事なところなので、後でじっくりページを裂こうと思う。

 というわけで、学生の方々のありがたい「叱咤激励」によって、もやしっ子、つまりはナッイーヴな僕は見事に「執筆インポ」になった。創作により辛うじて保持していた人間としての、そして男としての矜持は完膚なきまでに粉砕されてしまったのである。

                       つづく

 

 



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