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今夜は満月。
程好く郊外の住宅地の夜は10時を回ると人の気配も少ない。
4月の風は暑がりな僕にとっては生温く、地元に残った彼女にはまだまだ冷たいものだろう。
だって彼女はいつもフリースのひざ掛けにくるまって、
ストーブの前の特等席で『寒い』を連呼していたのだから。
僕はそんないつもの景色を思い出しながら、借りたばかりのアパートに向かって歩く。
鋭角の曲がり角、カーブミラー越しに野良猫と目が合う。
猫は一瞬僕と視線を合わせると立ち止まり、すぐにまた気の向いた方へ歩いていく。
大きなカーブミラーの曲面は、もう一度見ると今度は僕の顔を少し歪ませて映した。
 

卒業と同時に告白なんてするんじゃなかった。

大学に入って4年越しの片思い。サークルで出会った小さくて妹みたいな子。

友達としての時間が長すぎて、中途半端なタイミングで言い出せなくなってしまった。

それでも想いが通じた時はこの世で一番嬉しかったし、

彼女もいつもより沢山笑ってくれたんだ。

それが1ヶ月も経たないうちにこんなに辛くなるなんてお互い思ってもみなかった。

新任早々地方へ転勤なんて笑えない冗談だと思った。

でも現実に僕は今、彼女のいない街を歩いている。

 

 今の時代、やろうと思えば電話だってメールだって、

それこそ顔を見ながらの会話だっていつでも出来るのに、僕達はそれをしない。

彼女も地元で就職したばかり、僕自身も研修で忙しくて、連絡を取る時間を推し測ってしまっている。

毎朝、彼女からの短いメールに返事をして、夜家に着いた頃に僕からまたメールをする。

そんな文字列だけでお互いの状況が解るわけではないけれど、

離れている分、多すぎる情報は身を滅ぼすような気がして怖いんだ。

同僚の男に嫉妬したり、飲み会の回数に口を出したりする自分が容易に想像できてしまう。

 

アパートから5分程の場所で、わりと大きな橋を渡る。

川は幅広く、流れは緩やかで、今夜の満月が水面に映ってわずかに揺らぐ。

駅で買った缶コーヒーを開けて、橋の真ん中でそれを見つめた。

ポケットから携帯を取り出して、受信ホルダーの一番上を開く。

夕方、ふいに来た彼女からのメールの意味がよく分からず、返信に困っていたのだ。

 

『月が鏡だったらいいのにね』

 

基本的に理系の僕は、時々発せられる彼女の詩的な表現が何を意味するのか分からない。

月が鏡で出来ていたら、太陽光を反射しすぎて眩しくて迷惑なんじゃないか、

くらいのことしか思い浮かばない僕でも、そんな返答では彼女が納得しないことくらい理解している。

だから彼女の『なぞなぞ』を解こうと、こうやって月を見ながらぼんやりしているんだ。

彼女も夕方、この月を見ながらメールしてくれたのだろうか。

確かにこんなに遠い距離でも、こうやって同じものを眺めるっていうのはとてもロマンチックな感じがする。

でもそれなら別に、月はこのままでもいいんじゃないのか。

わざわざ鏡にしなくても、同じ月を見ていられるのに。

さっき通ってきた川沿いの道に、曲がり角で会った野良猫が歩いている。

さっきと同じように、月を見上げて立ち止まり、またすぐ気の向いた方へ歩いていく。

 

 

 

そうか、とコーヒーの最後の一口を飲みながら、ふとさっきのカーブミラーを思い出した。

月が大きなカーブミラーだったら、彼女が月を見つめれば僕と目が合うんだ。

肉眼で確認できないくらい小さいかもしれないけれど、確実に僕の視界に君の顔が映る。

望遠鏡じゃないと無理かも知れないけれど、今動いている僕が彼女の目に映る。

彼女はそれが言いたかったのだろう。

なんというか、それは電波に置き換えられた声や姿よりもはっきりと、

現実的に繋がっているように思えるのかもしれない。

太陽の光を跳ね返すほどに輝く月なのだから、

もしかしたら今だってぼんやりと僕が映っているのかもしれない。

 

 そんな風に考えると、なんだか急に声が聴きたくなった。

電話してもいいかなんて考えず、メールもせずに彼女への着信ボタンを押す。

コールが3回、『もしもし』と君の声がする。

『すごーく小さいけど、月に映って君がよく見えてるよ。』

彼女は一瞬黙って、すぐに可笑しそうに笑ってみせた。

 

今夜は満月。

誰も気付かないうちに、沢山の人の視線が触れ合っているのだろう。

 
 
 
 
 

この本の内容は以上です。


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