アメリカ学園映画で学ぶ、スクールカーストの全て
アメリカのスクールカーストを特捜せよ!
・intro
日々スクールカースト最下層でひいひい言わされている、我等日本の非モテたち!しかしなんとアメリカのハイスクールで展開されるスクールカーストは、日本 のそれとは比べ物にならないくらい壮絶であり、その一端はアメリカ産学園映画の中で垣間見ることができるという!この情報を得た我々クソタイメンバーは、 アメリカ学園映画研究で名高い長谷川町蔵、山崎まどか両氏とコンタクトを取ることに成功!アメリカのスクールカーストを知るために最適な映画作品5本を選 別していただき独自の研究を開始。本座談会は、その研究の記録である。これさえ読めば、日米スクールカーストの全てがわかる!!
・長谷川町蔵先生&山崎まどか先生紹介
長谷川町蔵(はせがわ まちぞう)
”東京のサンフェルナンド・ヴァレー”町田市生まれ。校内暴力によって荒廃したフッドから 抜け出し、横浜のプレップスクールを経て、都内の私立大学を卒業した。96年に個人サイト「everything cool」(http://www.h3.dion.ne.jp/~ecool/)を開始。90年代末から商業媒体への執筆を始め、現在「映画秘宝」、 「CROSSBEAT」、「KING」などにコラム連載中。
山崎まどか(やまさき まどか)
”東京のローレル・キャニオン”国立市育ち。三鷹のヒッピー・ライクなフリースクールにい た15歳の時、『ビバ!私はメキシコの転校生』(偕成社)で文筆家デビュー。都立のカトリック系女子大学在学中から本格的にライター活動を始める。98年 に個人サイト「Romantic au go! go!」(http://www.246.ne.jp/~romantic/)を開始。著書に『ブック・イン・ピンク』(晶文社)、『女子映画スタイ ル』(講談社)など。
・座談会参加メンバー紹介
id:Masao_hate(M)
司会。中学時代はAランクのパシリとして 活躍。高校でも同様のポジションを狙ったが、政治的失敗から暗黒の青春時代へ突入、学歴社会からドロップアウト。その後脱オタを経て現在に至る。はてな キーワード「スクールカースト」登録者。その文面を見てわかるとおり、スクールカーストにはネガティブな感情を抱きまくっている。
id:republic1963(r)
ABC 理論提唱者。学生時代のカーストはブレイン。Cクラスの中でさらに内部カーストを作り、優越感ゲームに興じていた。学生時代にはありがちな、若き日の過 ち。今は反省している。伊集院光とみうらじゅんをこよなく愛するネタ系非モテであり、真のD.T。
id:nisemono_san 似非にゃん(似)
中学まではBランクとして平穏な学生生活を送っていたが、高校ではカースト外にはぐれ者(具体的には理科の実験でAランクにレ ポートを書かされてしまうような人達*1)のオルタナティブな集団を作るようになった。座談会参加者中でただ一人、「バス男」以外の議題作品を全く観ずに 参加。ツッコまれ担当。
id:inumash(i)
学校にはあまり行かずにCD屋や本屋巡ったりしていたサブカル不良。中学時代 は「俺はぢあたまがいい」人間だったので勉強しなくても平気だったが、進学校で似たように地頭が良い連中を見て同じ路線では駄目だと考え、学歴社会から離脱。頭がよいので今回の座談会でもブレインぽい感じのポジションを担当。
日々スクールカースト最下層でひいひい言わされている、我等日本の非モテたち!しかしなんとアメリカのハイスクールで展開されるスクールカーストは、日本 のそれとは比べ物にならないくらい壮絶であり、その一端はアメリカ産学園映画の中で垣間見ることができるという!この情報を得た我々クソタイメンバーは、 アメリカ学園映画研究で名高い長谷川町蔵、山崎まどか両氏とコンタクトを取ることに成功!アメリカのスクールカーストを知るために最適な映画作品5本を選 別していただき独自の研究を開始。本座談会は、その研究の記録である。これさえ読めば、日米スクールカーストの全てがわかる!!
・長谷川町蔵先生&山崎まどか先生紹介
長谷川町蔵(はせがわ まちぞう)
”東京のサンフェルナンド・ヴァレー”町田市生まれ。校内暴力によって荒廃したフッドから 抜け出し、横浜のプレップスクールを経て、都内の私立大学を卒業した。96年に個人サイト「everything cool」(http://www.h3.dion.ne.jp/~ecool/)を開始。90年代末から商業媒体への執筆を始め、現在「映画秘宝」、 「CROSSBEAT」、「KING」などにコラム連載中。
山崎まどか(やまさき まどか)
”東京のローレル・キャニオン”国立市育ち。三鷹のヒッピー・ライクなフリースクールにい た15歳の時、『ビバ!私はメキシコの転校生』(偕成社)で文筆家デビュー。都立のカトリック系女子大学在学中から本格的にライター活動を始める。98年 に個人サイト「Romantic au go! go!」(http://www.246.ne.jp/~romantic/)を開始。著書に『ブック・イン・ピンク』(晶文社)、『女子映画スタイ ル』(講談社)など。
・座談会参加メンバー紹介
id:Masao_hate(M)
司会。中学時代はAランクのパシリとして 活躍。高校でも同様のポジションを狙ったが、政治的失敗から暗黒の青春時代へ突入、学歴社会からドロップアウト。その後脱オタを経て現在に至る。はてな キーワード「スクールカースト」登録者。その文面を見てわかるとおり、スクールカーストにはネガティブな感情を抱きまくっている。
id:republic1963(r)
ABC 理論提唱者。学生時代のカーストはブレイン。Cクラスの中でさらに内部カーストを作り、優越感ゲームに興じていた。学生時代にはありがちな、若き日の過 ち。今は反省している。伊集院光とみうらじゅんをこよなく愛するネタ系非モテであり、真のD.T。
id:nisemono_san 似非にゃん(似)
中学まではBランクとして平穏な学生生活を送っていたが、高校ではカースト外にはぐれ者(具体的には理科の実験でAランクにレ ポートを書かされてしまうような人達*1)のオルタナティブな集団を作るようになった。座談会参加者中でただ一人、「バス男」以外の議題作品を全く観ずに 参加。ツッコまれ担当。
id:inumash(i)
学校にはあまり行かずにCD屋や本屋巡ったりしていたサブカル不良。中学時代 は「俺はぢあたまがいい」人間だったので勉強しなくても平気だったが、進学校で似たように地頭が良い連中を見て同じ路線では駄目だと考え、学歴社会から離脱。頭がよいので今回の座談会でもブレインぽい感じのポジションを担当。
家族規範がスクールカーストよりも強い力をもっていた時代の学園映画「ときめきサイエンス」-1
【ストーリー】
ある夜、スポーツも遊びもイマイチの非モテ高校生、ゲリー(ホール)とワイアット(ミッチェル=スミス)は、テレビで放映されていたフランケンシュタイン映画に影響され、パソコンに理想の女の子像をインプットして遊んでいた。そこに雷が直撃! 気がつくと二人の前には現実化した絶世の美女リサ(ルブロック)が立っていた。彼女は二人を一人前の男にすべくスーパーパワーで活動を開始、二人はトンでもない目に巻き込まれる!(長谷川町蔵、山崎まどか)
■電波男理論じゃね?
M: ナードでギークで非モテな二人がフランケンシュタインの映画を観て、「死体や人形に命を吹き込めば、俺たちの理想の女の子ができるじゃないか!」と思いつき、実行する話なわけですが。
似: 素晴らしい!
i: 本田透*1理論だよね。
M: 本田透は二次元だけど、それを三次元で実現させようとしちゃったのがこいつら?
i: そこらへんが「電影少女」の元ネタなんだよ、きっと*2。
M: 「電影少女」の場合は、意図しないでビデオから勝手に出てくるんですけどね。しかしあの「ピュアな人間しか(ビデオ屋が)見れない」っていう設定はなんなんかなぁ。「ピュア」ってのは、早い話が「童貞」でしょ?童貞って、ピュアなのか?
i: そこは非モテの最後のプライドを尊重しているわけですよ。だから電波男理論(笑)
■「父性」の象徴としてのリサ
M: で、理想の女の子、リサ(ケリー・ルブロック)が誕生するわけだけど・・・・・・「萌え系」じゃないんですよね。
i: 「ハートマン軍曹*3」だよね。
M: シロクマさん*4が女の子になって、強制脱オタさせられてしまう話(笑)
似: リサは、母親的な立ち位置?
i: 理想の彼女のハズが母親が出てきてしまったという。
似: でもそれって結構微妙じゃね?非モテは彼女が欲しいのか、母親が欲しいのかっていう・・・・・・
i: ただこの作品の場合、エヴァの綾波的な、非モテが求めてる母親像とはちょっと違って、
強制的に社会適応を要求してくる教育ママ的なものなんだよね。
M: そういう意味では、「母性」というより「父性」なのかも知れない。
R: 80年代アメリカっぽい感性ですよね。社会規範が強く残っていた時代の話っぽいというか。
i: まだ確固たるものとしてあった恋愛規範*5から外れてしまった人が、規範に復帰するためのシーケンスとして、リサが出て来るっていう。だから「多様な恋愛」みたいな感覚は、この映画の中にはないですよね。
R: 00年代の今なら、リサじゃなくて2chが出て来るんじゃないかな。「電車男」みたいに。
M: 既にリサの出る幕なし!みたいな(笑)
i: 確かに現代的ではないかも。マーケティングでデータベース化な現代では女の子も細分化されてるから、アドバイスするにしてもターゲットをまず決めないといけないんだけど、コレにはそういのないじゃん。すごく牧歌的な恋愛風景だよね。
ある夜、スポーツも遊びもイマイチの非モテ高校生、ゲリー(ホール)とワイアット(ミッチェル=スミス)は、テレビで放映されていたフランケンシュタイン映画に影響され、パソコンに理想の女の子像をインプットして遊んでいた。そこに雷が直撃! 気がつくと二人の前には現実化した絶世の美女リサ(ルブロック)が立っていた。彼女は二人を一人前の男にすべくスーパーパワーで活動を開始、二人はトンでもない目に巻き込まれる!(長谷川町蔵、山崎まどか)
■電波男理論じゃね?
M: ナードでギークで非モテな二人がフランケンシュタインの映画を観て、「死体や人形に命を吹き込めば、俺たちの理想の女の子ができるじゃないか!」と思いつき、実行する話なわけですが。
似: 素晴らしい!
i: 本田透*1理論だよね。
M: 本田透は二次元だけど、それを三次元で実現させようとしちゃったのがこいつら?
i: そこらへんが「電影少女」の元ネタなんだよ、きっと*2。
M: 「電影少女」の場合は、意図しないでビデオから勝手に出てくるんですけどね。しかしあの「ピュアな人間しか(ビデオ屋が)見れない」っていう設定はなんなんかなぁ。「ピュア」ってのは、早い話が「童貞」でしょ?童貞って、ピュアなのか?
i: そこは非モテの最後のプライドを尊重しているわけですよ。だから電波男理論(笑)
■「父性」の象徴としてのリサ
M: で、理想の女の子、リサ(ケリー・ルブロック)が誕生するわけだけど・・・・・・「萌え系」じゃないんですよね。
i: 「ハートマン軍曹*3」だよね。
M: シロクマさん*4が女の子になって、強制脱オタさせられてしまう話(笑)
似: リサは、母親的な立ち位置?
i: 理想の彼女のハズが母親が出てきてしまったという。
似: でもそれって結構微妙じゃね?非モテは彼女が欲しいのか、母親が欲しいのかっていう・・・・・・
i: ただこの作品の場合、エヴァの綾波的な、非モテが求めてる母親像とはちょっと違って、
強制的に社会適応を要求してくる教育ママ的なものなんだよね。
M: そういう意味では、「母性」というより「父性」なのかも知れない。
R: 80年代アメリカっぽい感性ですよね。社会規範が強く残っていた時代の話っぽいというか。
i: まだ確固たるものとしてあった恋愛規範*5から外れてしまった人が、規範に復帰するためのシーケンスとして、リサが出て来るっていう。だから「多様な恋愛」みたいな感覚は、この映画の中にはないですよね。
R: 00年代の今なら、リサじゃなくて2chが出て来るんじゃないかな。「電車男」みたいに。
M: 既にリサの出る幕なし!みたいな(笑)
i: 確かに現代的ではないかも。マーケティングでデータベース化な現代では女の子も細分化されてるから、アドバイスするにしてもターゲットをまず決めないといけないんだけど、コレにはそういのないじゃん。すごく牧歌的な恋愛風景だよね。
家族規範がスクールカーストよりも強い力をもっていた時代の学園映画「ときめきサイエンス」-2
■成長物語としての「ときサイ」と、「非モテ取り残され問題」
R: ビルドゥングスロマン*6的なところも凄く感じるんだよね。「グーニーズ」みたいな。
i: 基本的に、普遍的な自立と成長の物語なんだよね。普通の人は家族とか友達とか周りの人を参考にして、恋愛できるようにだんだん変わっていくんだよ。でも、 非モテの人は上手く「手本」を生かせずにずるずるずるずる行っちゃう。で、気づいたら周りはみんな恋愛とかできるように成長していて、自分は取り残されて いる。でも、非モテにはなんでみんなが成長できたのか、全然わからない。そこで無理やり成長しようとして、変な方向に行ってしまうというのがあるんだと思 う。
M: あぁ、脱オタ初心者がおかしな格好に走ってしまうのなんて、まさにそれですよorz
i: そこを補完するために、リサが出て来る。だから二人が成長した後で、リサは役割を終えて帰っていく。
■「家族の抑圧 > スクールカースト」な、80年代的設定
M: 凄く気になったのが、「家族」がもの凄く抑圧的な存在として描かれてるところ。凄く時代性を感じるんだよね。一番強い抑圧として、「兄」が描かれている じゃない?「親の居ぬ間のパーティー」で、親が帰ってくるのを凄く心配してたりとか。今回観た他の映画では、ナードでギークな非モテが体育会系のジョック スに学校でいじめられるスクールカースト的シーンが中心になってるんだけど、ここではそれは、おまけみたいな扱いになっている。
i: この時代の学校はもしかして、抑圧的な家庭からの開放の空間として存在していたのかも知れない。社会状況的にも、当時レーガノミクス*7やったことって 「強い父性」の復権なんですよ。それに抑圧を感じた人達が、90年代にオルタナティブに流れていく。
M: リサはそこで乗り越えるべき「強い父性」として登場しているのかな。でもそうすると、非モテのためにわざわざリサが登場しないといけないこと自体が、当時 「父性」が衰退してきていたことを象徴しているという観方もできるよね。
i: この時期からだんだん若者にとって抑圧の対象の中心が、家庭から学校に移っていったのかも。この映画は家庭の映画だと思うんだけど、次の「待ちきれなく て・・・・・・」なんて、完全にテーマがスクールカーストに移ってるし。
*1:「電波男」「喪男の哲学史」等の著者。現代の恋愛は経済に 毒されており、愛本来の姿である「純愛」とはかけはなれた「恋愛資本主義」と化してしまったとし、二次元恋愛に純愛を求める生き方を提唱する。
*2: 町蔵、まどか両氏から受け取った別の紹介文には、「この映画は桂正和『電影少女』の元ネタです」と書かれていた。
*3:映画「フルメタルジャケッ ト」に登場する鬼軍曹。
*4:脱オタ研究で非モテ界隈周辺で有名な精神科医の方。http://www.nextftp.com /140014daiquiri/html_side/
*5:女の子に優しくしろとかメシおごれとかイケメンになれとか男らしくしろとか、我々非 モテが日々苦しめられていて本田透あたりに「恋愛資本主義」とか言われている例のアレ。
*6:「成長物語」を論壇風にカッコつけてみた言い方。
*7:80 年代アメリカで、レーガン大統領がとった一連の経済政策。
R: ビルドゥングスロマン*6的なところも凄く感じるんだよね。「グーニーズ」みたいな。
i: 基本的に、普遍的な自立と成長の物語なんだよね。普通の人は家族とか友達とか周りの人を参考にして、恋愛できるようにだんだん変わっていくんだよ。でも、 非モテの人は上手く「手本」を生かせずにずるずるずるずる行っちゃう。で、気づいたら周りはみんな恋愛とかできるように成長していて、自分は取り残されて いる。でも、非モテにはなんでみんなが成長できたのか、全然わからない。そこで無理やり成長しようとして、変な方向に行ってしまうというのがあるんだと思 う。
M: あぁ、脱オタ初心者がおかしな格好に走ってしまうのなんて、まさにそれですよorz
i: そこを補完するために、リサが出て来る。だから二人が成長した後で、リサは役割を終えて帰っていく。
■「家族の抑圧 > スクールカースト」な、80年代的設定
M: 凄く気になったのが、「家族」がもの凄く抑圧的な存在として描かれてるところ。凄く時代性を感じるんだよね。一番強い抑圧として、「兄」が描かれている じゃない?「親の居ぬ間のパーティー」で、親が帰ってくるのを凄く心配してたりとか。今回観た他の映画では、ナードでギークな非モテが体育会系のジョック スに学校でいじめられるスクールカースト的シーンが中心になってるんだけど、ここではそれは、おまけみたいな扱いになっている。
i: この時代の学校はもしかして、抑圧的な家庭からの開放の空間として存在していたのかも知れない。社会状況的にも、当時レーガノミクス*7やったことって 「強い父性」の復権なんですよ。それに抑圧を感じた人達が、90年代にオルタナティブに流れていく。
M: リサはそこで乗り越えるべき「強い父性」として登場しているのかな。でもそうすると、非モテのためにわざわざリサが登場しないといけないこと自体が、当時 「父性」が衰退してきていたことを象徴しているという観方もできるよね。
i: この時期からだんだん若者にとって抑圧の対象の中心が、家庭から学校に移っていったのかも。この映画は家庭の映画だと思うんだけど、次の「待ちきれなく て・・・・・・」なんて、完全にテーマがスクールカーストに移ってるし。
*1:「電波男」「喪男の哲学史」等の著者。現代の恋愛は経済に 毒されており、愛本来の姿である「純愛」とはかけはなれた「恋愛資本主義」と化してしまったとし、二次元恋愛に純愛を求める生き方を提唱する。
*2: 町蔵、まどか両氏から受け取った別の紹介文には、「この映画は桂正和『電影少女』の元ネタです」と書かれていた。
*3:映画「フルメタルジャケッ ト」に登場する鬼軍曹。
*4:脱オタ研究で非モテ界隈周辺で有名な精神科医の方。http://www.nextftp.com /140014daiquiri/html_side/
*5:女の子に優しくしろとかメシおごれとかイケメンになれとか男らしくしろとか、我々非 モテが日々苦しめられていて本田透あたりに「恋愛資本主義」とか言われている例のアレ。
*6:「成長物語」を論壇風にカッコつけてみた言い方。
*7:80 年代アメリカで、レーガン大統領がとった一連の経済政策。
最高のスクールカースト入門映画!「待ちきれなくて…」-1
【ストーリー】
卒業式の夜。クラスメイトの一人が自宅で開いたさよならパーティに、様々なスクールカーストに属するティーンたちがそれぞれの願いをかなえるべくやってくる。ボンクラ(エンブリー)は学園プリンセス(ラブ・ヒューイット)に愛の告白をするために。ブレイン(コスモ)はジョックス(ファシネリ)に復讐するために。そしてブラザー気取りのギーク(グリーン)は童貞を捨てるために。彼らの願いは果たして成就するのだろうか?!(長谷川町蔵、山崎まどか)
卒業式の夜。クラスメイトの一人が自宅で開いたさよならパーティに、様々なスクールカーストに属するティーンたちがそれぞれの願いをかなえるべくやってくる。ボンクラ(エンブリー)は学園プリンセス(ラブ・ヒューイット)に愛の告白をするために。ブレイン(コスモ)はジョックス(ファシネリ)に復讐するために。そしてブラザー気取りのギーク(グリーン)は童貞を捨てるために。彼らの願いは果たして成就するのだろうか?!(長谷川町蔵、山崎まどか)
■これぞスクールカースト!
i: プロムパーティ*8後の一夜を描いた話。プレストン(イーサン・エンブリー)の4年間の片想いが成就する話をメインプロットに、いくつかのサブプロットが展開する。
M: ウイリアム(チャーリー・コスモ)を中心にした、ギーク&ナード軍団3人の復讐話。もう1つは典型的なお馬鹿スラッカー、ケリー(セス・グリーン)がプロムで童貞捨てるぞって息巻く話。
R: あれはほとんど「ポーキーズ」*9の世界!
i: 最後にジョックス達が「大学行ったらもっと良い女とヤリ放題!」って言って、いまの彼女と別れる計画を練る話。でも、うちら的に話の中心になるのはやっぱりギークの復讐話でしょう!
似: えー、俺はスラッカーの童貞話のほうが気になるよ。
R: 似非にゃんは観てないからそんなこと言えるんだよ!(笑)ウィリアムが中盤くらいで調子に乗って、ガンズ・アンド・ローゼズ*10の「パラダイス・シティ」をバンドでやるんだけど、それがバカ受けして女の子とヤリまくったりする。あれが一番のハイライトだよ*11。
M: すごく面白かったのが、パーティではっちゃけて一気に人気者になったウィリアムが、いじめっ子のジョックス、マイク(ピーター・ファシネリ)と「劇場版のび太とジャイアン」的な友情で結ばれるシーン。でもそれは、スクールカーストから解放されるパーティの一夜限りの関係でしかなくて、次の日カフェで会ったときには、また元のいじめっ子といじめられっ子に戻ってしまっている。カーストの内輪性やそれゆえの強固さが、凄くよく描かれているんだよ。
i: アメリカのスクールカーストの入門編みたいな映画だよなぁ。アメリカのスクールカーストを知りたかったら、まずはこの映画を観ろ!
■スクールカーストと社会人カースト
i: アメリカって大学進学率が低いから、高校卒業のプロムパーティは、多くの若者にとってモラトリアムの終わりなんだよね。だからこの物語は、日本でいうと大学の卒業パーティーみたいな感覚で観るべきなんだと思う。
M: ここでカーストのルールが180度変わるんだよね。ハーバード大学に進学したウィリアムは、卒業後にモテモテになってモデルと付き合うし、逆にマイクは大学で落ちぶれていく。ここらへんは、日本でも社会人になると女の子が結婚を意識し出して、モテの基準が急に変わってくるのと同じだよね。
i: マイクのOBで「伝説のジョックス」みたなヤリチンが出てくるんだけど、そいつの落ちぶれっぷりも凄い。
M: 大学カーストの最下層に置かれてて、「モテるのは医学部だ」とか言っちゃう(笑)
似: それはキッツいなぁ(笑)
i: マイクはその先輩を見て、捨てようとしていた今の彼女アマンダ(ジェニファー・ラブ・ヒューイット)と寄りを戻そうとするんだけど、アマンダは頭がいいからマイクの魂胆を見抜いている。だからマイクと寄りを戻したりはしない。
M: そういう言い方すると、アマンダは凄い「悪女」みたいだよなぁ(笑)。高校でも大学でも、カースト上位のいい男連中を戦略的に常にキープ、みたいな。
i: でもアマンダは、そこらへんの醜さも分かってると思うよ。「転校してくる前は地味だったのに、マイクと付き合ったら急に人気者になっておだてられるようになった。それが気持ち良くてズルズルとマイクと付き合ってしまった」みたいなこと言ってたじゃない?俺はアレを見て、女の子は男を利用することでしかカーストを上げることができない、みたいな厳しさが描かれていると感じたよ。
最高のスクールカースト入門映画!「待ちきれなくて…」-2
■社会に出てからも、ゆるくスクールカースト的なモノが続いていく日本
R: さっき「アメリカでは大学でカーストが逆転する」って話が出たけど、日本ではアメリカほどハッキリ階層が分かれていないから、そこまで変わらない気がしな い?社会人になったとしても、どこの会社行ってもやっぱり体育会系みたいのはいるわけだし。
i: 日本では学校的な空間がずっとゆるーく続いていくから、スクールカースト的なものが社会に出てからも温存されていくというのはあるかも。
R: 「デビューの有効性」の話になってくると思うんですよ。アメリカではデビューって凄く有効だと思うんだけど、日本ではそれ程でもないんじゃないかなって。
M: でも、republicさんがそう感じるのは、営業という職種に就いてるせいじゃない?俺はIT技術者だけど、この職種にはやっぱりCランクみたいな連中 しか来ないから(笑)、スクールカースト的なものはかなりゆるくなっていると思う。
R: あー、職種にもよるのかな。
i: でも日本とアメリカの違いはやっぱりあると思う。日本ではスクールカースト強者はコミュニケーション強者なわけだから、スクールカーストの外に出ても、強 者として振舞える。アメリカのほうが日本よりも、スクールカーストのローカリティは高いんじゃないかな。
■非モテ内部格差問題
i: ウィリアムの復讐話は、非モテの成長物語として、凄くよくできているよね。
M: ここで深いのが、成長して救われるのは、実際に復讐を計画・行動したウィリアムだけってところ。尻馬に乗っただけのナード仲間二人は、プロムの最中に外で 愚痴りながらオタトークしてるだけだし*12、最後はUFOに宇宙に連れ去られていくし、なんにも救いがない。最後のシーンなんて、「どうせプロムに出て もつまらなかったよ」とか言って、思いっ切り酸っぱい葡萄やってるんだよ!
i: 真性非モテは、この映画でも救われていないわけだよね(笑)。
R: 非モテの中でも救われる非モテと救われない非モテがいるという、非モテ内部格差が描かれているわけかぁ。
i: でもその「差」って、行動したかしなかったかの自主性の差として描かれているよね。コミュニティに認められるためには、コミュニティの中に入って行って、 冒険しないといけない、という。
M: でものふたりの前にUFOが現れるのは、ある種の救いだとも思う。カーストの最下層まで行ってしまったら、もう別の世界のカーストに逃げるしかないんだっ ていう、「ブスは町を出なさい!ブスは町を出るのよ!!」的な*13。アレを「救い」と取るか「絶望」ととるかは、結構微妙なところだと思いますね。
■最強のD.Tケリーと、物語を彩る名脇役
i: ケリーの童貞喪失話も見事だよね。
R: バカすぎるでしょ!(笑)
i: セックス教本が「カーマ・スートラ*14」だし!
R: 準備が異様に入念だし!
M: バスケ部の補欠だし!
R: ホント、いいD.T像だよなぁ。
i: 身近な幼馴染で手を打っときゃいいのに、明後日の方向に走ってるからいつまで経っても童貞だってのも、いかにもそれっぽい。
R: でも俺は、実はこいつよりも、文芸部で詩とか書いてサブカルかぶれしてるプレストンのほうが絶対童貞っぽいと思う!真の童貞は、むしろプレストンだよ!
i: それは確かに言えてる(笑)
R: あとこの映画、脇役も良い味出してるんですよ。卒業記念のバンドとか、売春婦の天使の話とか。
i: あの天使は、形を変えた「ときめきサイエンス」のリサだよね。行動しないと救われないのは分かっているんだけど、一人でそれをやるのはやっぱり無理なんで すよ。その後押しをしてくれる役。
R: 音楽も、さっき言ったガンズ・アンド・ローゼズもそうだし、あとフィーダー*8とか出てくるでしょ。曲のチョイスが「分かってる人がやってるんだな」って を感じるんだよなぁ。
*8:アメリカでハイスクール卒業時、学校や自治体主催で開かれるダンスパーティー。スクールカーストが無理やり可視化されてしまう、Cランクにとっては ある意味拷問のようなパーティ。
*9:セックスしか頭にない思春期男子のイカ臭い青春を描いたおバカ映画。
*10:日本でいうところのB'zみたいな位置づけのアメリカのロックバンド。
*11:確かにアレは、日々人気飢饉に見舞われているCランクにとっては夢の話だと思う。
*12:懐中電灯の光をライトサーベルにして、スターウォーズごっことかしてしまう。
*13:映画「ゴーストワールド」を評する際におすぎが思わず口走った、名言すぎる名言。
*14:インドの性技の書。「お前一生こんなんやらねーだろ!」的な48手どころじゃないあらゆる種類の体位の極みが載っていたりする、世界最強のエロ 本。
*15:イギリスのロックバンド。初期には「グランジに対するUKからの回答」と言われた。繊細なメロディラインと演奏のハードさが共存した稀有なバン ド。ベースを弾くタカ・ヒロセは岐阜出身。
R: さっき「アメリカでは大学でカーストが逆転する」って話が出たけど、日本ではアメリカほどハッキリ階層が分かれていないから、そこまで変わらない気がしな い?社会人になったとしても、どこの会社行ってもやっぱり体育会系みたいのはいるわけだし。
i: 日本では学校的な空間がずっとゆるーく続いていくから、スクールカースト的なものが社会に出てからも温存されていくというのはあるかも。
R: 「デビューの有効性」の話になってくると思うんですよ。アメリカではデビューって凄く有効だと思うんだけど、日本ではそれ程でもないんじゃないかなって。
M: でも、republicさんがそう感じるのは、営業という職種に就いてるせいじゃない?俺はIT技術者だけど、この職種にはやっぱりCランクみたいな連中 しか来ないから(笑)、スクールカースト的なものはかなりゆるくなっていると思う。
R: あー、職種にもよるのかな。
i: でも日本とアメリカの違いはやっぱりあると思う。日本ではスクールカースト強者はコミュニケーション強者なわけだから、スクールカーストの外に出ても、強 者として振舞える。アメリカのほうが日本よりも、スクールカーストのローカリティは高いんじゃないかな。
■非モテ内部格差問題
i: ウィリアムの復讐話は、非モテの成長物語として、凄くよくできているよね。
M: ここで深いのが、成長して救われるのは、実際に復讐を計画・行動したウィリアムだけってところ。尻馬に乗っただけのナード仲間二人は、プロムの最中に外で 愚痴りながらオタトークしてるだけだし*12、最後はUFOに宇宙に連れ去られていくし、なんにも救いがない。最後のシーンなんて、「どうせプロムに出て もつまらなかったよ」とか言って、思いっ切り酸っぱい葡萄やってるんだよ!
i: 真性非モテは、この映画でも救われていないわけだよね(笑)。
R: 非モテの中でも救われる非モテと救われない非モテがいるという、非モテ内部格差が描かれているわけかぁ。
i: でもその「差」って、行動したかしなかったかの自主性の差として描かれているよね。コミュニティに認められるためには、コミュニティの中に入って行って、 冒険しないといけない、という。
M: でものふたりの前にUFOが現れるのは、ある種の救いだとも思う。カーストの最下層まで行ってしまったら、もう別の世界のカーストに逃げるしかないんだっ ていう、「ブスは町を出なさい!ブスは町を出るのよ!!」的な*13。アレを「救い」と取るか「絶望」ととるかは、結構微妙なところだと思いますね。
■最強のD.Tケリーと、物語を彩る名脇役
i: ケリーの童貞喪失話も見事だよね。
R: バカすぎるでしょ!(笑)
i: セックス教本が「カーマ・スートラ*14」だし!
R: 準備が異様に入念だし!
M: バスケ部の補欠だし!
R: ホント、いいD.T像だよなぁ。
i: 身近な幼馴染で手を打っときゃいいのに、明後日の方向に走ってるからいつまで経っても童貞だってのも、いかにもそれっぽい。
R: でも俺は、実はこいつよりも、文芸部で詩とか書いてサブカルかぶれしてるプレストンのほうが絶対童貞っぽいと思う!真の童貞は、むしろプレストンだよ!
i: それは確かに言えてる(笑)
R: あとこの映画、脇役も良い味出してるんですよ。卒業記念のバンドとか、売春婦の天使の話とか。
i: あの天使は、形を変えた「ときめきサイエンス」のリサだよね。行動しないと救われないのは分かっているんだけど、一人でそれをやるのはやっぱり無理なんで すよ。その後押しをしてくれる役。
R: 音楽も、さっき言ったガンズ・アンド・ローゼズもそうだし、あとフィーダー*8とか出てくるでしょ。曲のチョイスが「分かってる人がやってるんだな」って を感じるんだよなぁ。
*8:アメリカでハイスクール卒業時、学校や自治体主催で開かれるダンスパーティー。スクールカーストが無理やり可視化されてしまう、Cランクにとっては ある意味拷問のようなパーティ。
*9:セックスしか頭にない思春期男子のイカ臭い青春を描いたおバカ映画。
*10:日本でいうところのB'zみたいな位置づけのアメリカのロックバンド。
*11:確かにアレは、日々人気飢饉に見舞われているCランクにとっては夢の話だと思う。
*12:懐中電灯の光をライトサーベルにして、スターウォーズごっことかしてしまう。
*13:映画「ゴーストワールド」を評する際におすぎが思わず口走った、名言すぎる名言。
*14:インドの性技の書。「お前一生こんなんやらねーだろ!」的な48手どころじゃないあらゆる種類の体位の極みが載っていたりする、世界最強のエロ 本。
*15:イギリスのロックバンド。初期には「グランジに対するUKからの回答」と言われた。繊細なメロディラインと演奏のハードさが共存した稀有なバン ド。ベースを弾くタカ・ヒロセは岐阜出身。
いじめ問題とおバカ学園コメディの見事な融合 「ニュー・ガイ」-1
【ストーリー】
ジョックスからイジメを受けているバンド・ギークのディジー(クォルズ)は、些細なことから一夜を刑務所で過ごす羽目になって踏んだり蹴ったり。しかし彼はそこで出会った黒人ルーサー(グリフィン)から「ゲットーでサバイバルする知恵」を学んで変身を決意する。クールな不良に生まれ変わったディジーは、転校先の高校で人気者になり、学園プリンセスであるチアリーダーのダニエル(ドゥシュク)ともイイ感じになるのだが…。?!(長谷川町蔵、山崎まどか)
ジョックスからイジメを受けているバンド・ギークのディジー(クォルズ)は、些細なことから一夜を刑務所で過ごす羽目になって踏んだり蹴ったり。しかし彼はそこで出会った黒人ルーサー(グリフィン)から「ゲットーでサバイバルする知恵」を学んで変身を決意する。クールな不良に生まれ変わったディジーは、転校先の高校で人気者になり、学園プリンセスであるチアリーダーのダニエル(ドゥシュク)ともイイ感じになるのだが…。?!(長谷川町蔵、山崎まどか)
■典型的な脱オタ物語
M: これは単純に、爽快で面白いバカ映画だよね。冴えないナードないじめられっ子だったディジー(DJクォルズ)が、転校を機にデビューして、人気者の座を獲得する話なんだけど。
R: Masaoさんは脱オタ経験者として、自分の経験と照らし合わせて面白く観れたんじゃない?
M: うん。特に刑務所のシーンで出てくる囚人のルーサー(エディ・グリフィン)が言うように、「環境を変えろ」っていうのは脱オタで凄く重要なポイントだと思う。僕も一人でクラブに行って、それまでのしがらみから解放された場所で「違う自分」になってナンパの練習とかしていたわけだし。ここは、これから脱オタ/デビューにチャレンジしようという人に、声を大にして言っておきたいところかな。
■脱オタ/デビュー組は、Cランク仲間を引き上げろ!
i: この映画で素晴らしいのは、Aランクに昇格したディジーが、かつてのCランク仲間を見捨てずに、Aランクとの垣根を取っ払うところだよね。脱オタした人間は、Cランク仲間を引き上げろ!と。
M: でも最初、CD屋でファンクバンド仲間と鉢合わせしたときは、新しくできたAランク仲間の手前、Cランク連中との付き合いを隠そうとするんだけどね。あれはアレで凄く解るんだよなぁ。リアルだと思った。
R: いまのネットの脱オタ組に一番欠けているのは、まさにこの「引き上げ視点」だよ。
M: でもシロクマさんなんかは、引き上げようとしてるからああいうこと書いてるんだと思うけどなぁ。
R: そこらへんは引き上げ方の問題でさぁ。アドバイスが「一緒に頑張ろうぜ!」になるか嫌味になるかっていうのは、大きな違いだよ。
似: それ、金八先生問題じゃね?(笑)
M: 一応シロクマさん的には「太陽政策」のつもりらしいんだけどね*16。
i: そういえば、ディジーは白人なのに、ファンクバンドを組んでいるんだよね。ファンクって本来もの凄く「黒い」黒人の音楽なのに。白人のスクールカースト負け組ディジーが、アメリカ社会の被抑圧者である黒人の音楽をやっているっていうのは面白いなぁ。
R: 「白人はヒップホップやるな問題」じゃね?(笑)
M: 負け組Cランクのディジーだからこそ弱者の気持ちが理解できて、黒人に共鳴するところがあってファンクにハマッたということなのかも。
i: そう考えると、エミネムと同じ文脈ですね*17。
■Cランク内部の知られざる豊かさ
R: ディジーの友達連中が、とにかく面白いんだよね。ヒロインよりも、主人公のファンクバンド仲間の文化系女子のほうが、明らかにカワイイんだよ(笑)
似: あぁわかった、サークルクラッシャーだ。
i: ちげーよ!全然クラッシュしてないから(笑)*18
R: バンドのデブドラマーなんかも、凄く良い味出してるんだよなぁ。
i: 「待ちきれなくて…」で描かれたスクールカースト的な人間関係って、ある種すごく形骸的で軽薄じゃないですか。競争的な側面がメチャクチャ強いし。でも実はCランクコミュニティってのは、内部はもの凄く多様で面白かったりする。でもスクールカーストでは下層としての周囲の偏見があるせいで、その面白さがなかなか外部に理解してもらえなかったりするんだよね。
M: 後半で、ディジーがバンド仲間を転校先でできたAランクの友人に紹介するシーンがあるじゃないですか。あそこでさっき出てきたバンド仲間のデブドラマーが、Aランクの女の子から「ディジーがいなかったら、あなたなんて眼中にも入れなかったわ」なんて言われてしまう。アレなんて典型ですよね。中身の前に、カーストで判断されてしまっているっていう。
R: でも、「Cランクコミュニティの楽しさ」みたいなところも、ちゃんと描かれていると思うんだよ。ファンクバンドやったりとか。この映画は「脱オタ成功したCランク強者の話」として捉えられる映画かも知れないけど、Cランク内部の豊かさもちゃんと描かれている。
M: ラストでバンド仲間の文化系女子が、同じバンドのベースと恋人同士になるじゃない?アレはディジーとは違ったCランクの救われ方だと思うよ。カーストとか周りの眼なんて関係なく、Cランクの中で楽しくやることで、幸せになることができるんだっていう。
i: でもこの人達が豊かなのって、結局「行動してるから」なんだよね。バンドやったりして。「待ちきれなくて…」でもそうだったけど、救われるCランクと救われないCランクの差っていうのは、結局ここなんだよ。
R: 「何もしない美学」みたいなのが、Cランクにはあるからね。
i: いや、たぶん行動して、自分の実力とか欠けているものがハッキリしちゃうのが嫌なんだよ、ダメなCランクは。だから自分では行動しないで、頑張ってる奴等の足をあげつらってれば良いとかいう発想になっちゃう。まぁ評論やってる奴等ってみんなこういうところがあるから、うちらも全然他人のこと言えないんだけど。
いじめ問題とおバカ学園コメディの見事な融合 「ニュー・ガイ」-2
■いじめカミングアウトの難しさ
i: あとこの映画で怖いなって思ったのが、いじめのトラウマ化。一旦いじめられっ子になった人って、いじめられたこと自体がカーストを下げる要因として働くか ら、下層から抜け出せなくなっちゃうんだよね。
M: それがよく表現されているのが、ラストのパーティーの最中にディジーが過去をバラされて、ブーイングに包まれるシーン。せっかくAランクに昇り詰めたの に、ビデオ1本で一気にカーストを転落させられそうになってしまう。僕も経験者だから解るんだけど、脱オタ/デビュー組にとって、過去をバラされるってい うのはもの凄い恐怖だよ。
i: 例えいじめられっ子から脱出しても、過去がバレる恐怖とはずっと付き合っていかないといけない。そう考えると、脱オタ者も厳しいよね。
M: 映画では、マドンナも実は昔は地味で冴えないCランクで、脱オタして今のAランクの地位になった人だったっていう設定になっているけど、現実ではなかなか そう都合良くはいかないからなぁ。
■日本の映画ではあまり観られない、スクールカーストとお馬鹿コメディの合わせ技
R: 学園モノって、日本ではマンネリ化した定番ものになりがちじゃない。スクールカースト的な重いテーマと完成度の高い学園コメディを両立させて出せるってい うのは、凄いことだと思うよ。演出が良い意味でメチャクチャバカで、洗練されている。凄く伊集院的なものを感じる(笑)
i: 確かに日本ではこういう文脈ってあんまりないよね。この映画って、教師が全然出てこないんですよね。抑圧の対象が、教師ではなく同級生との人間関係に完全 に移ってしまっているという。でも日本の学園映画って、未だに教師が中心となって描かれていたりするんだよね。
R: 今やってる「わたしたちの教科書」*19なんかもそうだしなぁ。
M: 演出として上手いなと思ったのが、学生がランチを食べる「丘」がカーストを象徴しているところ。上のほうにはAランクしか入れなくて、オタクやサブカル被 れのギークやナードは下のほうでランチを取っているという。
i: こういうビジュアルイメージも、確かに日本では観たことがない。日本でやるとしたら、卒業写真の並び順が、カースト毎にハッキリ分かれてる、みたいな感じ だよね。そういうのは、本当に日本映画では観たことがない。誰かやればいいのにね。
M: それはたぶん、いま映画を作っている上の世代が、スクールカースト的なモノを経験していないからじゃないかな?
R: それか、今映画を作っている奴等がCランクじゃないからなのかも知れないよね。
M: 逆にうちらより下の世代になると、島宇宙化や流動化が進みすぎて*20、スクールカースト的なものが理解できなくなっているかも知れない。
■「ときめきサイエンス」から約20年、「家庭」がすっかり脇役化
R: 学校が戦場に例えられている辺りなんて、「ときめきサイエンス」からは隔世の感があるよね。
i: この映画は02年公開だけど、もう「家庭」がほとんど描かれなくなっているよね。スクールカーストが完全に前面に出て来ていて、「家族」はその背景に追い やられてしまっている。この後に観る「ゼロ・デイ」もそうだし。
M: 日本のマンガでも、「ろくでなしブルース」*21の頃からもう家庭が描かれなくなってるって話は出てきてたなぁ。核家族家が進むと、世界中どこででも家族 の希薄化っていう話は同じように出てくるのかも知れない。
i: 「ときめきサイエンス」でいうリサ的な、ディジーが成長を始める転機を与える役割がこの映画ではルーサーですよね。これまで家庭でやられていたであろうこ とが家庭ではもうできなくなってしまっていて、外部の人間の手で行われている。
M: ディジーの父親は出てくるけど、学校や精神科医に連れて行く程度のことしかやってないもんなぁ……って、精神科医も外部か。ここでも完全に外部に頼り切っ てるんだな。
似: そこらへんには、アメリカの高校が、学級性じゃなくて単位制だからっていうこともあるのかも。アメリカの高校は、日本でいうとむしろ大学に近い。教師が力 を持ちたくても持てないんですよ。
M: でもそれだったら、なんでアメリカの高校でスクールカーストがこんなに厳しくなるんだろう?日本では大学に行くと、コミュニティの流動性の高まりら同調圧 力が弱まって、スクールカーストってほとんど影響力なくなるじゃない?アメリカでは人種とかで、もっとハッキリ階層が分かれちゃうからかな?
i: アメリカでは日本よりも絶対的な属性を元にカーストが固定化されていて、そこらへんは日本よりも厳しい部分なのかも知れない。
*16:第二次惑星開発委員会の同人誌「PLANETS Vol.3」(http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p3.html)に収録された、シロクマ先生と宇野常寛氏の対談 を参照。
*17:エミネムは「ホワイトドラッシュ」と呼ばれるトレーラー暮らしの白人で、アメリカに住む白人の中でも最下層の人間。彼が黒人音楽であるヒップホッ プをやるということは、黒人としても白人としても「二重のマイノリティ」として抑圧されるということだった。
*18:似非にゃんちゃんと観とこうぜ~。
*19:2007年上期に放映された、フジテレビの学園ドラマ。脚本:坂元 裕二 主演:菅野美穂
*20:社会学等でしばしば用いられる概念。価値観の多様化と相対化が進んだポストモダン社会では、封建社会的な絶対的価値観が弱まり価値観の流動化が起 きる。そうして価値観の流動化が進んだ社会では、同じ価値観の者同士が個別の小さな共同体に閉じこもり没干渉的になる「島宇宙化」が進むとされている。
*21:森田まさのりの出世作である不良マンガ。1990年代前半の、ジャンプ黄金期を支えた作品のひとつ。
i: あとこの映画で怖いなって思ったのが、いじめのトラウマ化。一旦いじめられっ子になった人って、いじめられたこと自体がカーストを下げる要因として働くか ら、下層から抜け出せなくなっちゃうんだよね。
M: それがよく表現されているのが、ラストのパーティーの最中にディジーが過去をバラされて、ブーイングに包まれるシーン。せっかくAランクに昇り詰めたの に、ビデオ1本で一気にカーストを転落させられそうになってしまう。僕も経験者だから解るんだけど、脱オタ/デビュー組にとって、過去をバラされるってい うのはもの凄い恐怖だよ。
i: 例えいじめられっ子から脱出しても、過去がバレる恐怖とはずっと付き合っていかないといけない。そう考えると、脱オタ者も厳しいよね。
M: 映画では、マドンナも実は昔は地味で冴えないCランクで、脱オタして今のAランクの地位になった人だったっていう設定になっているけど、現実ではなかなか そう都合良くはいかないからなぁ。
■日本の映画ではあまり観られない、スクールカーストとお馬鹿コメディの合わせ技
R: 学園モノって、日本ではマンネリ化した定番ものになりがちじゃない。スクールカースト的な重いテーマと完成度の高い学園コメディを両立させて出せるってい うのは、凄いことだと思うよ。演出が良い意味でメチャクチャバカで、洗練されている。凄く伊集院的なものを感じる(笑)
i: 確かに日本ではこういう文脈ってあんまりないよね。この映画って、教師が全然出てこないんですよね。抑圧の対象が、教師ではなく同級生との人間関係に完全 に移ってしまっているという。でも日本の学園映画って、未だに教師が中心となって描かれていたりするんだよね。
R: 今やってる「わたしたちの教科書」*19なんかもそうだしなぁ。
M: 演出として上手いなと思ったのが、学生がランチを食べる「丘」がカーストを象徴しているところ。上のほうにはAランクしか入れなくて、オタクやサブカル被 れのギークやナードは下のほうでランチを取っているという。
i: こういうビジュアルイメージも、確かに日本では観たことがない。日本でやるとしたら、卒業写真の並び順が、カースト毎にハッキリ分かれてる、みたいな感じ だよね。そういうのは、本当に日本映画では観たことがない。誰かやればいいのにね。
M: それはたぶん、いま映画を作っている上の世代が、スクールカースト的なモノを経験していないからじゃないかな?
R: それか、今映画を作っている奴等がCランクじゃないからなのかも知れないよね。
M: 逆にうちらより下の世代になると、島宇宙化や流動化が進みすぎて*20、スクールカースト的なものが理解できなくなっているかも知れない。
■「ときめきサイエンス」から約20年、「家庭」がすっかり脇役化
R: 学校が戦場に例えられている辺りなんて、「ときめきサイエンス」からは隔世の感があるよね。
i: この映画は02年公開だけど、もう「家庭」がほとんど描かれなくなっているよね。スクールカーストが完全に前面に出て来ていて、「家族」はその背景に追い やられてしまっている。この後に観る「ゼロ・デイ」もそうだし。
M: 日本のマンガでも、「ろくでなしブルース」*21の頃からもう家庭が描かれなくなってるって話は出てきてたなぁ。核家族家が進むと、世界中どこででも家族 の希薄化っていう話は同じように出てくるのかも知れない。
i: 「ときめきサイエンス」でいうリサ的な、ディジーが成長を始める転機を与える役割がこの映画ではルーサーですよね。これまで家庭でやられていたであろうこ とが家庭ではもうできなくなってしまっていて、外部の人間の手で行われている。
M: ディジーの父親は出てくるけど、学校や精神科医に連れて行く程度のことしかやってないもんなぁ……って、精神科医も外部か。ここでも完全に外部に頼り切っ てるんだな。
似: そこらへんには、アメリカの高校が、学級性じゃなくて単位制だからっていうこともあるのかも。アメリカの高校は、日本でいうとむしろ大学に近い。教師が力 を持ちたくても持てないんですよ。
M: でもそれだったら、なんでアメリカの高校でスクールカーストがこんなに厳しくなるんだろう?日本では大学に行くと、コミュニティの流動性の高まりら同調圧 力が弱まって、スクールカーストってほとんど影響力なくなるじゃない?アメリカでは人種とかで、もっとハッキリ階層が分かれちゃうからかな?
i: アメリカでは日本よりも絶対的な属性を元にカーストが固定化されていて、そこらへんは日本よりも厳しい部分なのかも知れない。
*16:第二次惑星開発委員会の同人誌「PLANETS Vol.3」(http://www.geocities.jp/wakusei2nd/p3.html)に収録された、シロクマ先生と宇野常寛氏の対談 を参照。
*17:エミネムは「ホワイトドラッシュ」と呼ばれるトレーラー暮らしの白人で、アメリカに住む白人の中でも最下層の人間。彼が黒人音楽であるヒップホッ プをやるということは、黒人としても白人としても「二重のマイノリティ」として抑圧されるということだった。
*18:似非にゃんちゃんと観とこうぜ~。
*19:2007年上期に放映された、フジテレビの学園ドラマ。脚本:坂元 裕二 主演:菅野美穂
*20:社会学等でしばしば用いられる概念。価値観の多様化と相対化が進んだポストモダン社会では、封建社会的な絶対的価値観が弱まり価値観の流動化が起 きる。そうして価値観の流動化が進んだ社会では、同じ価値観の者同士が個別の小さな共同体に閉じこもり没干渉的になる「島宇宙化」が進むとされている。
*21:森田まさのりの出世作である不良マンガ。1990年代前半の、ジャンプ黄金期を支えた作品のひとつ。
反社会の文脈で語られる、伝わらない反抗の物語 「ゼロ・デイ」-1
【ストーリー】
高校でジョックスからイジメを受けているカルヴィン(カルヴィン・ロバートソン)とアンドレ(アンドレ・クーチェック)の二人は、彼らと彼らのイジメを見て見ぬフリをする学校そのものへの復讐を決意。”その日”に向けて銃を買い射撃練習を開始する。卒業すれば彼らともお別れのはずなのに、復讐の炎をますます燃え上がらせる二人。そして遂に“その日”がやってきた。完全武装した彼らは校内に殴り込み、同級生たちに銃を乱射し始めて・・・。(長谷川町蔵、山崎まどか)
高校でジョックスからイジメを受けているカルヴィン(カルヴィン・ロバートソン)とアンドレ(アンドレ・クーチェック)の二人は、彼らと彼らのイジメを見て見ぬフリをする学校そのものへの復讐を決意。”その日”に向けて銃を買い射撃練習を開始する。卒業すれば彼らともお別れのはずなのに、復讐の炎をますます燃え上がらせる二人。そして遂に“その日”がやってきた。完全武装した彼らは校内に殴り込み、同級生たちに銃を乱射し始めて・・・。(長谷川町蔵、山崎まどか)
■描かれない、いじめ
M: 1999年にアメリカで起きた、コロンバイン高校銃乱射事件を、犯人のふたりが犯行前に製作した自主制作ビデオという設定から描いた作品。今回観た映画の中で、一番シリアスで重い話だね。
i: この映画、実際にいじめや抑圧が描かれているのって、冒頭の1シーンだけなんだよね。
R: そうそう。だからこの映画を見ていると、「結局お前等(主人公のふたり)のルサンチマンなんじゃねーの」っていう感じがしてくるんだよ。
i: ふたりの「反抗」が肯定的には描かれていないよね。
M: ここらへん、「自主制作ビデオ」っていう設定も関係しているんだと思う。いじめの現場を被害者が自分達で録画するなんて、なかなかできないことだろうし。被害者が正当性を確保することの難しさが描かれているという側面もあるんじゃないかな。
■スクールカーストの、暴力カーストとしての側面
i: この映画で象徴的だなって思うのは、敵が明確に描かれていないことだと思う。いじめがキッカケであの計画を思いついたなら、まずこいつらを殺すことが目的になると思うんだよ。でもそうじゃなくて、学校という構造を生み出した社会に対する警告なんだっていう方向に向かっている。それはある意味で、すごく危ういところだと思う。
M: それ、うちらがはてな界隈とかで、「素晴らしい人々」なんて言ってやってることとまるっきり同じだから、耳が痛いなぁ。
i: ふたりの中には、社会の「適合主義」的なものに対する悪意というものが凄くある。ふたりの反抗には、「適合できない馬鹿なヤツはいじめてもいいんだ」的な社会風潮に対する反抗という側面があるんだけれども。でもこのふたりがやってることって、軍隊の真似事なんだよね。アンドレが上官で、カルヴィンが部下っていう。それって要するに「適合主義」なんだよ。
似: それって要は、学校に一番反抗してるハズのヤンキーが、実は一番上下関係が厳しいっていう……
i: そうそう、そういうこと。ふたりがやっていることは、敵である学校と同じことなんだよね。同じような自分達の「適合主義」の構造を別に作って、それを相手にぶつけるっていう。だから、ふたりの行動は暴力にしかなり得ない。本当は、構造を理解して、それを解体していくというプロセスを取れれば良かったんだけど、残念ながらこいつらは、そこまで頭がよくなかった。
似: 「ニューガイ」でもそうだったけど、これってカーストの下層にいる人間が、「暴力」を使ってのし上がろうっていう話じゃない。これってつまり、スクールカーストの上位になるためには「暴力」が重要だっていう認識が根底にあるわけだよね。スクールカーストの、「暴力カースト」の側面が描かれているといえるんじゃないかな。
M: 似非にゃん、今日初めて良いこと言った!(笑)
i: でも「暴力革命」によるメッセージは、結局、社会のマジョリティには届かないんだよ。ラストシーンで二人の墓が、ニュースで事件を知った野次馬のバカ共に燃やされるじゃない。ふたりには、社会に対するメッセージが確かにあったんだけど、結局それは伝わらなかったんだっていうことを象徴するシーンだよね。
M: この映画は最後、「奴らの魂が燃えているぞ」という野次馬のセリフで終わるけど、そう考えるとこのセリフが持つ意味は深いね。
■カルヴィンはイケメンだ!問題
i: ふたりがやろうとしてたことは、要は究極のDQNになることだったわけだけど、でもそれって結局、ふたりが敵視しているカーストの構造をなぞるだけの、不毛なものなんだよ。唯一カルヴィンだけが、そこに少しだけ気付いている。だから彼は、アンドレと自分の友達や彼女を微妙に結びつけようとしたりするじゃない。プロムに行く途中とかでさ。
M: でも、みんなアンドレのことは嫌がっている。
i: アンドレは、権力志向なんだよね。既存のスクールカーストをぶっ壊して、自分達の理想のカーストを打ちたて、自分がそこの王に君臨しようとしている。だから最後で、計画の通りに自殺することをためらう。自分が新しいカーストの王に立ちたいという未練があるから。でも、カルヴィンはそのことの不可能性と不毛さに気付いている。だから、カルヴィンは死ぬことに躊躇しない。
R: っていうか、カルヴィンはイケメンなんだよ!
i: それは、映画としての見栄えの都合でしょ(笑)*22
R: いやそうなんだろうけど(笑)、描かれ方がさ。Cランクから見ても、凄く普通なんだよ。なんでここまでルサンチマンを溜め込んでいるのか、全然わからない。
M: カルヴィンは、ルサンチマンが強いアンドレに引っ張られる形で行動を起こしている。カルヴィンの動機は、確かに最後までよくわからないよね。
反社会の文脈で語られる、伝わらない反抗の物語 「ゼロ・デイ」-2
■残された「同胞」に向かう、マスコミや世間のを意識した行動
R: 中盤で、自分達のCDとか燃やして「俺達はなにからも影響を受けていない」って主張するシーンがあるじゃない。アレなんかも面白くない?
似: アレは要は、脱オタなんでしょ。
M: 違う、違う!これから死ぬのに脱オタして、どうすんのさ(笑)あれはマスコミ対策だよ。日本でも少年犯罪が起きるとゲームとかを槍玉に挙げて、マスコミが オタクバッシングやったりとかあるじゃない。後に残る同士の迷惑になりたくないという気持ちがあったんだよ。俺もオタクだから、もし事件起こすなら同じこ と考えると思うよ。
i: 後に残るおじさんのことを気遣って、「これは全部自分たちで決めたことだ。何からも影響されていない」って遺言を残すシーンもあるしね。アメリカでもマリ リン・マンソン*23とかで日本と同じようなバッシングはあるみたいだし。あと、自分たちの行為を短小化されたくないとかもあったんだと思う。
R: そういう意味では、「志」はあったんだよね。
i: 「志」はあったんだけど、「プロセス」が間違っていた。決定的に。
■新左翼的な「反社会」か、ヒッピー的な「脱社会」か
R: 「ゼロ・デイ」っていうのは、非モテ文脈的にいえば本田透的なポジションなのかな?
i: そうかな?俺は覚悟さん*24系だと思うんだけど。
M: 覚悟さん系だと思う。本田さんはひきこもり系の「脱社会」で、覚悟さんは「反社会」っていう違いがあるから。
似: 本田さんはヒッピーで、覚悟さんは新左翼(笑)。
i: ヒッピー的なものは、近年では明らかに機能しなくなってきてるんですよ。
M: でも、04年の「バス男」はヒッピー的なものじゃないのかな?
i: ヒッピーの文脈っていうのは、「脱社会」的なものだから、「バス男」は少し違うと思う。外部に新たなコミュニティを作り上げて、そこで暮らせば既存の抑圧 から逃れられるじゃんっていうのがヒッピーの思想なんだけど、「バス男」にそういうのはないじゃないですか。
■アメリカ映画における「反抗」の描かれ方の歴史
i: アメリカの映画における「反抗」の描き方には流れみたいなものがあって、90年代中盤くらいまでは、「闘争」が「逃走」だったんですよ。抑圧からいかに外 部に逃げ出すかという。さっき言ってたヒッピーは古い概念なんだけど、その話の延長で外部に新しいコミュニティを作ったりとか。
似: ほう。
i: でも、90年代後半にこれがが大きく変わる。「闘争」がそのまま「闘争」として描かれるようになるんですよ。その象徴が、「マトリックス」と「ファイトク ラブ」。抑圧者である敵と闘え、と。
R: なるほど、なるほど。
i: でも、2001年の9.11でその流れがまた変わる。9.11っていうのは、映画で描いてきた「闘争」の対象に、自分達が選ばれることだった。自分たちの 周りで「闘争」の犠牲者の顔が見えるようになったんですよ。これは、理想のための「闘争」のために、同胞の犠牲を許容するのかっていう話なのだけれど、そ れで「闘争」の流れはトーンダウンせざるを得なくなった。
M: ふむ、ふむ*25。
i: そこで2000年代中盤頃に出てきたのが、抑圧の構造を描こうとする作品郡。トッド・ソロンズ監督*26やポール・トーマス・アンダーソン監督*27の作 品や、「ゴーストワールド」*28なんだけど、これらの作品は郊外を舞台にして閉鎖された環境で発生する抑圧の構造をリアルに描こうとしていた。この「反 抗」の文脈の延長にあるのが「ゼロ・デイ」と「バス男」だと俺は捕らえているんですよね。
M: じゃあ、ここらで最後の作品、「バス男」に行きますか!
*22:映画として映しちゃいけないレベルの俳優が出て来るのなんて、「ウェルカム・ドールハウス」だけです!(inumash)
*23:アメリカのヘヴィメタルバンド。コロンバイン高校銃乱射事件では、加害者のエリック・ハリスとディラン・クレボールドがマンソンの影響を受けてい たとされ、加害者自身の「マンソンのファンではない」との証言にもかかわらず、多くの保守派メディアはマンソンの社会的影響を追及した。マイケル・ムーア 監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」にも登場し、スクールカーストについて非常に的確な意見を述べている。
*24:ブログ「喪男道」(http://shrak.blog17.fc2.com/)を運営する、非モテ界随一の過激派。「女はみんな肉便器」とか 言っちゃう。
*25:[おれは頭がいい]インテリinumashさんの頭のよさの前に、頷くことしかできないメンバー各位の図(笑)
*26:アメリカの映画監督・脚本家。代表作「ウェルカム・ドールハウス」でサンダンス映画祭のグランプリを受賞。
*27:アメリカの映画監督・脚本家。「マグノリア」でベルリン国際映画祭金熊賞、「パンチドランク・ラブでカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。
*28:郊外に生まれたブスの生き様をリアリティある描写で描いた、すべての非モテ女子が観るべき傑作。
R: 中盤で、自分達のCDとか燃やして「俺達はなにからも影響を受けていない」って主張するシーンがあるじゃない。アレなんかも面白くない?
似: アレは要は、脱オタなんでしょ。
M: 違う、違う!これから死ぬのに脱オタして、どうすんのさ(笑)あれはマスコミ対策だよ。日本でも少年犯罪が起きるとゲームとかを槍玉に挙げて、マスコミが オタクバッシングやったりとかあるじゃない。後に残る同士の迷惑になりたくないという気持ちがあったんだよ。俺もオタクだから、もし事件起こすなら同じこ と考えると思うよ。
i: 後に残るおじさんのことを気遣って、「これは全部自分たちで決めたことだ。何からも影響されていない」って遺言を残すシーンもあるしね。アメリカでもマリ リン・マンソン*23とかで日本と同じようなバッシングはあるみたいだし。あと、自分たちの行為を短小化されたくないとかもあったんだと思う。
R: そういう意味では、「志」はあったんだよね。
i: 「志」はあったんだけど、「プロセス」が間違っていた。決定的に。
■新左翼的な「反社会」か、ヒッピー的な「脱社会」か
R: 「ゼロ・デイ」っていうのは、非モテ文脈的にいえば本田透的なポジションなのかな?
i: そうかな?俺は覚悟さん*24系だと思うんだけど。
M: 覚悟さん系だと思う。本田さんはひきこもり系の「脱社会」で、覚悟さんは「反社会」っていう違いがあるから。
似: 本田さんはヒッピーで、覚悟さんは新左翼(笑)。
i: ヒッピー的なものは、近年では明らかに機能しなくなってきてるんですよ。
M: でも、04年の「バス男」はヒッピー的なものじゃないのかな?
i: ヒッピーの文脈っていうのは、「脱社会」的なものだから、「バス男」は少し違うと思う。外部に新たなコミュニティを作り上げて、そこで暮らせば既存の抑圧 から逃れられるじゃんっていうのがヒッピーの思想なんだけど、「バス男」にそういうのはないじゃないですか。
■アメリカ映画における「反抗」の描かれ方の歴史
i: アメリカの映画における「反抗」の描き方には流れみたいなものがあって、90年代中盤くらいまでは、「闘争」が「逃走」だったんですよ。抑圧からいかに外 部に逃げ出すかという。さっき言ってたヒッピーは古い概念なんだけど、その話の延長で外部に新しいコミュニティを作ったりとか。
似: ほう。
i: でも、90年代後半にこれがが大きく変わる。「闘争」がそのまま「闘争」として描かれるようになるんですよ。その象徴が、「マトリックス」と「ファイトク ラブ」。抑圧者である敵と闘え、と。
R: なるほど、なるほど。
i: でも、2001年の9.11でその流れがまた変わる。9.11っていうのは、映画で描いてきた「闘争」の対象に、自分達が選ばれることだった。自分たちの 周りで「闘争」の犠牲者の顔が見えるようになったんですよ。これは、理想のための「闘争」のために、同胞の犠牲を許容するのかっていう話なのだけれど、そ れで「闘争」の流れはトーンダウンせざるを得なくなった。
M: ふむ、ふむ*25。
i: そこで2000年代中盤頃に出てきたのが、抑圧の構造を描こうとする作品郡。トッド・ソロンズ監督*26やポール・トーマス・アンダーソン監督*27の作 品や、「ゴーストワールド」*28なんだけど、これらの作品は郊外を舞台にして閉鎖された環境で発生する抑圧の構造をリアルに描こうとしていた。この「反 抗」の文脈の延長にあるのが「ゼロ・デイ」と「バス男」だと俺は捕らえているんですよね。
M: じゃあ、ここらで最後の作品、「バス男」に行きますか!
*22:映画として映しちゃいけないレベルの俳優が出て来るのなんて、「ウェルカム・ドールハウス」だけです!(inumash)
*23:アメリカのヘヴィメタルバンド。コロンバイン高校銃乱射事件では、加害者のエリック・ハリスとディラン・クレボールドがマンソンの影響を受けてい たとされ、加害者自身の「マンソンのファンではない」との証言にもかかわらず、多くの保守派メディアはマンソンの社会的影響を追及した。マイケル・ムーア 監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」にも登場し、スクールカーストについて非常に的確な意見を述べている。
*24:ブログ「喪男道」(http://shrak.blog17.fc2.com/)を運営する、非モテ界随一の過激派。「女はみんな肉便器」とか 言っちゃう。
*25:[おれは頭がいい]インテリinumashさんの頭のよさの前に、頷くことしかできないメンバー各位の図(笑)
*26:アメリカの映画監督・脚本家。代表作「ウェルカム・ドールハウス」でサンダンス映画祭のグランプリを受賞。
*27:アメリカの映画監督・脚本家。「マグノリア」でベルリン国際映画祭金熊賞、「パンチドランク・ラブでカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。
*28:郊外に生まれたブスの生き様をリアリティある描写で描いた、すべての非モテ女子が観るべき傑作。
コミュニケーションの偶発性が提示する、オルタナティブな希望 「バス男」-1
【ストーリー】
アイダホ州の田舎町。ナポレオン・ダイナマイト(ヘダー)は家が貧乏なせいで、車通学が可能な年齢なのに未だに黄色いスクールバスで学校に通う高校生。ルックスも趣味(イラスト)も部活(手話クラブと農業クラブ)もモテとはほど遠く、家族はバカばかり。そんな彼と唯一人友達になってくれた転校生ペドロ(ラミレッツ)が、生徒会長選挙に立候補すると言い出したことをきっかけにナポレオンの人生は変わり始める・・・。(長谷川町蔵、山崎まどか)
アイダホ州の田舎町。ナポレオン・ダイナマイト(ヘダー)は家が貧乏なせいで、車通学が可能な年齢なのに未だに黄色いスクールバスで学校に通う高校生。ルックスも趣味(イラスト)も部活(手話クラブと農業クラブ)もモテとはほど遠く、家族はバカばかり。そんな彼と唯一人友達になってくれた転校生ペドロ(ラミレッツ)が、生徒会長選挙に立候補すると言い出したことをきっかけにナポレオンの人生は変わり始める・・・。(長谷川町蔵、山崎まどか)
■Cランクも工夫次第で脱オタせず人気者になれることを示した、希望の作品
M: さて、「バス男」なわけだけど……ユルいよね。さっきまで観てた「ゼロデイ」とは正反対の作品って感じ。ここまでの流れでいくと、適合主義的な「ニュー・ガイ」、新左翼暴力革命的な「ゼロデイ」といった作品とは違った流れとして、「バス男」が来るんじゃないかっていう話なんだけど。
似: 「バス男」で初めて暴力ではない革命の話が描かれるんだよね。
R: 「バス男」っていうのは、ヒッピー的に外部コミュニティに「脱社会」するのではなく、既存コミュニティの内部でCランクなりにどう行動していこうかっていう話なんじゃないかと思うんだけど。「踊る大走査線」*29みたいな、体制の中で自分がどう上手くやっていくかっていう話?
i: 「上手くやっていこう」という戦略性はないかな。
M: 「上手くやっていこう」だと、「ニュー・ガイ」になっちゃうよね。
i: Cランクの人間が、Cランクのままの信念や論理を突き通すことによって生まれる、ひとつの立ち位置の可能性の話だと俺は思う。
M: 岡田斗司夫*30的な話なのかな?オタクはそのままでエリートだ!みたいな。
i: いや、違うと思う。岡田斗司夫はCランクもある意味Aランクだ!っていう上昇志向の主張じゃない?ナポレオン(ジョン・ヘッダー)は、スクールカーストで上位に立とうとしてあのダンスを踊ったんじゃないよね。
M: 確かにナポレオンには、見た目からして上昇志向がない(笑)
i: ナポレオンは、友達のペドロ(エフロン・ラミレッツ)のためにダンスを踊り、それで人気者になった。Cランクの自分達の文化を他の人間にも理解できるフォーマットで表現することにより、「豊かさ」を周囲の人間にも伝えることができる。Cランクであることは決して恥じることではなく、工夫次第ですごく面白いコンテンツとして周囲にアピールすることができる。アレはそういう希望の象徴なんだよ。
R: そういう意味では、「ニュー・ガイ」で登場した、ファンクバンドのベースに近いよね。「バス男」は、あのベースにスポットライトを当てた話なのかも。
似: そういう話でいうと、俺が凄く感動したのは、最後に独りで学校から帰っていくシーン。人気者になったのに、やっぱり独りなんだよ!人気とかカーストと関係なく、ナポレオンは最後までナポレオンのままなんだって。あと、登場人物が全員ダメ人間だっていうのも、凄く良い感じだと思ったよ*32。
■ありのままの自分が認められる話?
i: ナポレオンの行動は、「ときめきサイエンス」のリサや「ニュー・ガイ」のルーサーの時と違って自主性を持った行動として描かれているよね。「僕、なにかやろうと思うんだ」って言う。教条主義ではないんですよ。
M: でもそれって見方を変えると、「ありのままの自分がそのまま愛される」話にも見えちゃうんだよね。昔の少女漫画的な。
R: え?「ありのまま」ではなくない?ダンスとかして行動したから、みんなから認められたんでしょ?
M: 確かに行動したんだけど、それも自分がやりたいことの延長なわけじゃない。オタクがオタク道を突き詰めたら、オタキングとして認められちゃいました、みたいな話なわけ。それはちょっと理想的すぎると俺なんかは感じてしまうなぁ。
似: 自己評価と他者評価がこんなに簡単に同じものになっちゃうのは、安易すぎるっていう話?
M: うん。まぁ物語だからいいんだけど、この映画をCランクの処方箋として観てしまうと、その有効性には疑問を感じてしまうんだよね。あと、ナポレオンは最初から「評価」を求めていない人間なんだよ。スクールカーストの価値観の外にいる。だから無心にコトを運べたという面があって、そういう意味でこの映画は「真の天然の物語」なんだと思う。
i: でも俺は、そこは希望でもあると思うな。スクールカーストの中にいるからといって、必ずしもその価値基準で動く必要はないんだっていう。自分が独自にもつ世界観を上手く見せることによって、スクールカーストとは別の側面からの評価を得ることができるんだよっていう。
似: ナポレオンは「評価を求めていない」んじゃなくて、「評価を諦めている」んじゃないかな。今まで観てきた映画は、みんな他者からの評価を求めている主人公だったのに、初めて「諦める」主人公が出てきた。
i: あぁ、そういう観方はできるかも。「ゼロデイ」もある意味諦めた先の話だと思うんだけど、そこで「こんな世界はぶっ壊してやる」という方向に行かずに救われる、オルタナティブを示した作品だよ。
M: 個人的には、これが「オルタナティブ」だっていうには、処方箋としての現実性が無さ過ぎるとは思うんだけど……まぁ、俺がこの作品をついつい厳しい眼で見てしまうのは、「ニュー・ガイ」的な脱オタを実践した人間だからなのかもしれない。
コミュニケーションの偶発性が提示する、オルタナティブな希望 「バス男」-2
■コミュニケーションの偶発性がもつ希望
似: Masaoさんが指摘するとおり、ナポレオンが認められたのも、見方によっては単なる偶然だよね。でも現実のコミュニケーションっていうのは、本来そう いった偶発性の積み重ねでもある。この映画は、その偶発性を描いた作品ともいえるかもしれない。この映画が処方箋としては有効でないっていうのは、この映 画を誰も真似できないからじゃないかな。偶発性の話だから。
i: ひょっとして「バス男」って、「ハルヒ」*33のバンドの話と同じなのかも知れない。アレも文化祭でバンドをやる決断をして、結果としてみんなから認めら れるっていう話じゃない。
M: 不思議ちゃんが認められるという点でも同じだしね(笑)
i: でも、確かにその結果も偶然のものなんだよね。ダンスやバンドをやることで、逆にCランクに落ちる危険性も確かにある。ただ、この偶発性は「希望」ととる こともできると思うんだよ。スクールカーストって、絶対的な方向性を持った規範で構築されていると考えがちだけど、実は結構偶発的な部分もあったりする。 その偶発性が明示されているんじゃないかな。あとは、その偶発性に賭けるかどうか。
■田舎は酷い
R: それにしてもこの映画を観てつくづく思ったんだけど、田舎は酷いね。この映画で描かれる、太陽のギラギラした感じ?あれ、俺の田舎にそっくりなんだよ。
M: でも、なんだかのどかで、凄く気持ち良さそうじゃない?地平線とか見えちゃってるし。
i: いや、田舎は抑圧的だよ。90年代後半から00年にかけて、アメリカの若手映画監督によってそこらへんはずっとテーマとして取り上げられてきてるし。 「ゴーストワールド」や「ウェルカム・ドールハウス」もそう。日本でも、「ファスト風土」*34とか言って均質化の風景の話はよく取り上げられるよね。
R: いや、俺の田舎にはマックすらもないからね*34。
i: 真の田舎は不可視問題(笑)
R: このまえ、熊本の玉野ってとこに行ってきたんだけど、ジャスコしか無かったからね。
M: ジャスコ(笑)*35
R: 田舎に居ても、ネットとかのお陰で情報だけは中途半端に都会と同じように得られるじゃない。「田舎にいたのにサブカルに目覚めちゃった問題」みたいなさ。
M: 「田舎的共同体の嫌さ」みたいなものは、少し描かれているよね。トムおじさんみたいに、親戚とはいえ別の家族に平然と踏み込んでくるあの距離感の嫌さと か。そういえば、トムおじさんが過去にハイスクールのフットボルチームに入っていた時代の栄光にしがみついている様は、「待ちきれなくて…」で登場した伝 説のヤリチンと同じだよね。アメリカの高校のAランクは、その後の人生ではパッとしない連中が多いのかもね。
■「ときめきサイエンス」の家族と「バス男」の家族の違い
M: 「ときめきサイエンス」以来、久しぶりに家族が描かれているけど、これは舞台設定が田舎であることとも関係しているのかな。田舎ではまだ、家族共同体が強 い力を持っている、的な。
i: いや、この映画に関しては、出自の問題じゃないかな。「バス男」の家族って、監督の家庭がモデルになっているんだよ*36。その家族が背景にあって、ナポ レオンという存在があるんだよっていうことを描いているんだと思う。スクールカーストって実は、どんな家庭で育ったかっていうことが、階層に大きく影響す るじゃない。「待ちきれなくて…」以降の作品では、スクールカーストと家族は完全に切り離された存在として描かれてきていたのに、「バス男」でまた家族の 話が復活してきているというのは、面白いよね。
R: スクールカーストの問題って、家族の問題の側面もあるからね。
M: でも、そういう視点を持ち込むと、より絶望的なことになる人も居るんじゃないかな。「Cランクの子供はCランク」という、いま何かと話題の格差社会みたい な話になっちゃう。「3歳までに愛情を受けられなかった子供はどうたら……」みたいな、アダルトチルドレン的な文脈も出てきてしまうという。
i: ナポレオンがこういう人間になったのは家族の影響なんだけど、そのナポレオンがスクールカースト的な価値観では下層に置かれてしまうという、自己責任では 回収できない残酷さみたいなものはある。でもこの映画は、さっき言ったみたいにスクールカーストが絶対ではないことをを示して、オルタナティブな希望も示 しているよね。
■中途半端に頭がいいヤツが一番悲惨
似: 格差社会の話が出てきたけど、それってもう社会学的には常識なんだよね。経済的にも文化的にも、親が上流にいる家庭の子供は上流の資質を得ることが多いっ ていう。
M: 「ハマータウンの野郎ども」っていうイギリスの労働者階級文化について書かれた本があるんだけど、この本では、下流の人間は若いうちから労働者階級の下流 文化に適応するほうが、むしろ合理的な側面もあるということが書かれている。これって、「DQNはむしろAランク問題」なんじゃないかな。
似: でも、注意しないといけないのは「ハマータウンの野郎ども」はあくまで偏差値が低い、学校の話だっていうこと。社会階層にはいくつかのレイヤーがあって、 最適な適合行動って違うんですよ。頭が良い連中は、むしろ上流を目指したほうがうまみが多い。
i: うちらは一口に「スクールカースト」って言ってるけど、そのランクの基準になるものは学校毎に違うハズなんだよね。
M: 具体的に言えば、学校の偏差値によって違う。
R: それって中途半端に頭がいいヤツが一番悲惨って話じゃね?
似: 中間領域にいる連中が、一番悲惨。
i: そういえばよく言われる話として、本当のAランクはいじめなんかしないっていうのがあるよね。一番いじめを行いやすいのは、最上位のAランクじゃなくて、 その周辺の取り巻きやBランク連中だっていう。
R: その理屈は凄くよくわかる。Cランクを下に見ていじめることでしか、自分がBランクに居るということを確認できないわけだから。
*29:1997年にフジテレビで放映された刑事ドラマ。警察庁のキャリア室井慎次は自らが所属する警察組織に懐疑的だが、それを正すための地位を得るた めにあえて組織の「犬」となり、出世する道を選ぶ。このへん、ある意味スクールカースト的といえるかも。
*30:評論家。通称オタキング。90年代半ば、まだ宮崎勤事件を契機としたオタク差別の風潮が強かったなか、「東大オタク学講座」等で「オタク・イズ・ ビューティフル」的主張を行い、オタクのマイナスイメージを変えようとした。
*31:似非にゃんはこの作品だけは観ていたので、ようやく語れる作品が来たらしい(笑)
*32:2003年発表の学園コメディ小説「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まる一連の小説、アニメシリーズの総称。00年代中盤、オタク界隈で大ヒットした。
*33:評論家、三浦展が提唱する「ファーストフード」を語源とする造語。ジャスコ、コンビニ、マクドナルド等により全国どこに行っても均質な風景が拡が るようになり、かつて郊外に存在していた豊かな文化が失われているとする概念。
*34:俺の田舎にもありません、先生!
*35:「下妻物語」なんかでもそうだけど、ジャスコはいつから存在自体がギャグになってしまったのだろう。
*36:「ハイスクール U.S.A」P.296、脚注を参照。
似: Masaoさんが指摘するとおり、ナポレオンが認められたのも、見方によっては単なる偶然だよね。でも現実のコミュニケーションっていうのは、本来そう いった偶発性の積み重ねでもある。この映画は、その偶発性を描いた作品ともいえるかもしれない。この映画が処方箋としては有効でないっていうのは、この映 画を誰も真似できないからじゃないかな。偶発性の話だから。
i: ひょっとして「バス男」って、「ハルヒ」*33のバンドの話と同じなのかも知れない。アレも文化祭でバンドをやる決断をして、結果としてみんなから認めら れるっていう話じゃない。
M: 不思議ちゃんが認められるという点でも同じだしね(笑)
i: でも、確かにその結果も偶然のものなんだよね。ダンスやバンドをやることで、逆にCランクに落ちる危険性も確かにある。ただ、この偶発性は「希望」ととる こともできると思うんだよ。スクールカーストって、絶対的な方向性を持った規範で構築されていると考えがちだけど、実は結構偶発的な部分もあったりする。 その偶発性が明示されているんじゃないかな。あとは、その偶発性に賭けるかどうか。
■田舎は酷い
R: それにしてもこの映画を観てつくづく思ったんだけど、田舎は酷いね。この映画で描かれる、太陽のギラギラした感じ?あれ、俺の田舎にそっくりなんだよ。
M: でも、なんだかのどかで、凄く気持ち良さそうじゃない?地平線とか見えちゃってるし。
i: いや、田舎は抑圧的だよ。90年代後半から00年にかけて、アメリカの若手映画監督によってそこらへんはずっとテーマとして取り上げられてきてるし。 「ゴーストワールド」や「ウェルカム・ドールハウス」もそう。日本でも、「ファスト風土」*34とか言って均質化の風景の話はよく取り上げられるよね。
R: いや、俺の田舎にはマックすらもないからね*34。
i: 真の田舎は不可視問題(笑)
R: このまえ、熊本の玉野ってとこに行ってきたんだけど、ジャスコしか無かったからね。
M: ジャスコ(笑)*35
R: 田舎に居ても、ネットとかのお陰で情報だけは中途半端に都会と同じように得られるじゃない。「田舎にいたのにサブカルに目覚めちゃった問題」みたいなさ。
M: 「田舎的共同体の嫌さ」みたいなものは、少し描かれているよね。トムおじさんみたいに、親戚とはいえ別の家族に平然と踏み込んでくるあの距離感の嫌さと か。そういえば、トムおじさんが過去にハイスクールのフットボルチームに入っていた時代の栄光にしがみついている様は、「待ちきれなくて…」で登場した伝 説のヤリチンと同じだよね。アメリカの高校のAランクは、その後の人生ではパッとしない連中が多いのかもね。
■「ときめきサイエンス」の家族と「バス男」の家族の違い
M: 「ときめきサイエンス」以来、久しぶりに家族が描かれているけど、これは舞台設定が田舎であることとも関係しているのかな。田舎ではまだ、家族共同体が強 い力を持っている、的な。
i: いや、この映画に関しては、出自の問題じゃないかな。「バス男」の家族って、監督の家庭がモデルになっているんだよ*36。その家族が背景にあって、ナポ レオンという存在があるんだよっていうことを描いているんだと思う。スクールカーストって実は、どんな家庭で育ったかっていうことが、階層に大きく影響す るじゃない。「待ちきれなくて…」以降の作品では、スクールカーストと家族は完全に切り離された存在として描かれてきていたのに、「バス男」でまた家族の 話が復活してきているというのは、面白いよね。
R: スクールカーストの問題って、家族の問題の側面もあるからね。
M: でも、そういう視点を持ち込むと、より絶望的なことになる人も居るんじゃないかな。「Cランクの子供はCランク」という、いま何かと話題の格差社会みたい な話になっちゃう。「3歳までに愛情を受けられなかった子供はどうたら……」みたいな、アダルトチルドレン的な文脈も出てきてしまうという。
i: ナポレオンがこういう人間になったのは家族の影響なんだけど、そのナポレオンがスクールカースト的な価値観では下層に置かれてしまうという、自己責任では 回収できない残酷さみたいなものはある。でもこの映画は、さっき言ったみたいにスクールカーストが絶対ではないことをを示して、オルタナティブな希望も示 しているよね。
■中途半端に頭がいいヤツが一番悲惨
似: 格差社会の話が出てきたけど、それってもう社会学的には常識なんだよね。経済的にも文化的にも、親が上流にいる家庭の子供は上流の資質を得ることが多いっ ていう。
M: 「ハマータウンの野郎ども」っていうイギリスの労働者階級文化について書かれた本があるんだけど、この本では、下流の人間は若いうちから労働者階級の下流 文化に適応するほうが、むしろ合理的な側面もあるということが書かれている。これって、「DQNはむしろAランク問題」なんじゃないかな。
似: でも、注意しないといけないのは「ハマータウンの野郎ども」はあくまで偏差値が低い、学校の話だっていうこと。社会階層にはいくつかのレイヤーがあって、 最適な適合行動って違うんですよ。頭が良い連中は、むしろ上流を目指したほうがうまみが多い。
i: うちらは一口に「スクールカースト」って言ってるけど、そのランクの基準になるものは学校毎に違うハズなんだよね。
M: 具体的に言えば、学校の偏差値によって違う。
R: それって中途半端に頭がいいヤツが一番悲惨って話じゃね?
似: 中間領域にいる連中が、一番悲惨。
i: そういえばよく言われる話として、本当のAランクはいじめなんかしないっていうのがあるよね。一番いじめを行いやすいのは、最上位のAランクじゃなくて、 その周辺の取り巻きやBランク連中だっていう。
R: その理屈は凄くよくわかる。Cランクを下に見ていじめることでしか、自分がBランクに居るということを確認できないわけだから。
*29:1997年にフジテレビで放映された刑事ドラマ。警察庁のキャリア室井慎次は自らが所属する警察組織に懐疑的だが、それを正すための地位を得るた めにあえて組織の「犬」となり、出世する道を選ぶ。このへん、ある意味スクールカースト的といえるかも。
*30:評論家。通称オタキング。90年代半ば、まだ宮崎勤事件を契機としたオタク差別の風潮が強かったなか、「東大オタク学講座」等で「オタク・イズ・ ビューティフル」的主張を行い、オタクのマイナスイメージを変えようとした。
*31:似非にゃんはこの作品だけは観ていたので、ようやく語れる作品が来たらしい(笑)
*32:2003年発表の学園コメディ小説「涼宮ハルヒの憂鬱」から始まる一連の小説、アニメシリーズの総称。00年代中盤、オタク界隈で大ヒットした。
*33:評論家、三浦展が提唱する「ファーストフード」を語源とする造語。ジャスコ、コンビニ、マクドナルド等により全国どこに行っても均質な風景が拡が るようになり、かつて郊外に存在していた豊かな文化が失われているとする概念。
*34:俺の田舎にもありません、先生!
*35:「下妻物語」なんかでもそうだけど、ジャスコはいつから存在自体がギャグになってしまったのだろう。
*36:「ハイスクール U.S.A」P.296、脚注を参照。
スクールカーストに決して屈しない、強いアメリカ青春映画に乾杯!(まとめ)
■長谷川町蔵、山崎まどか両先生に感謝!
M: 今回、85年の「ときめきサイエンス」から04年の「バス男」まで5本の映画を通して観てみたわけだけど、なにか「流れ」のようなものが見えてきたよね。
i: 町蔵さんとまどかさんが、この5本を選んだ意味が、なんとなくわかった。
M: うん。未だ「家族」が強い力を持っていた時代に作られた「ときめきサイエンス」。それから10年余、若者にとってのメインテーマとなったスクールカーストを描ききった「待ちきれなくて…」。そしてその対処法として、適応主義の「ニュー・ガイ」、暴力革命の「ゼロ・デイ」、そのどちらでもないオルタナティブな偶発性を描いた「バス男」の3本が来る、という感じかなぁ。
i: これ、町蔵さんとまどかさんも意図してた流れなのかな。だとしたら、ホントに凄い。おふたりに感謝だよ。うちらが勝手に読み込みすぎてる可能性もあるけど(笑)
R: 非モテ文脈的にいうと、「ニュー・ガイ」は脱オタのMasaoさんで、「ゼロ・デイ」は革命家のフルカツ書記長*37だね。
似: 何気にフルカツさんて、そんなヤバい人だったのか(笑)
M: 「ゼロ・デイ」は、むしろ「非モテロ」のラヂオさん*38な気もするけど(笑)
似: 処方箋として後半の3作品を観た場合、俺は「ニュー・ガイ」が一押しかな。「脱オタ組は、Cランクを引き上げろ!」っていうメッセージが良い。「バス男」もいいんだけど、偶然性が高すぎて、実践はできないんだよ。
i: 俺は「バス男」が06年に観た映画の中で一番好きな映画だったから、これを非モテオルタナティブの話として押していきたいところ。あと共通していえることだけど、行動した人間が救われているんだよね。これはホント、すべての作品に通低している。
M: まぁ行動してくれないと映画にならないから……っていうのは、うがった見方なんだろうな(苦笑)
似: スクールカーストに決して屈しない、強いアメリカ青春映画に乾杯!
R: いいのか、そんなまとめで(笑)
M: 今回、85年の「ときめきサイエンス」から04年の「バス男」まで5本の映画を通して観てみたわけだけど、なにか「流れ」のようなものが見えてきたよね。
i: 町蔵さんとまどかさんが、この5本を選んだ意味が、なんとなくわかった。
M: うん。未だ「家族」が強い力を持っていた時代に作られた「ときめきサイエンス」。それから10年余、若者にとってのメインテーマとなったスクールカーストを描ききった「待ちきれなくて…」。そしてその対処法として、適応主義の「ニュー・ガイ」、暴力革命の「ゼロ・デイ」、そのどちらでもないオルタナティブな偶発性を描いた「バス男」の3本が来る、という感じかなぁ。
i: これ、町蔵さんとまどかさんも意図してた流れなのかな。だとしたら、ホントに凄い。おふたりに感謝だよ。うちらが勝手に読み込みすぎてる可能性もあるけど(笑)
R: 非モテ文脈的にいうと、「ニュー・ガイ」は脱オタのMasaoさんで、「ゼロ・デイ」は革命家のフルカツ書記長*37だね。
似: 何気にフルカツさんて、そんなヤバい人だったのか(笑)
M: 「ゼロ・デイ」は、むしろ「非モテロ」のラヂオさん*38な気もするけど(笑)
似: 処方箋として後半の3作品を観た場合、俺は「ニュー・ガイ」が一押しかな。「脱オタ組は、Cランクを引き上げろ!」っていうメッセージが良い。「バス男」もいいんだけど、偶然性が高すぎて、実践はできないんだよ。
i: 俺は「バス男」が06年に観た映画の中で一番好きな映画だったから、これを非モテオルタナティブの話として押していきたいところ。あと共通していえることだけど、行動した人間が救われているんだよね。これはホント、すべての作品に通低している。
M: まぁ行動してくれないと映画にならないから……っていうのは、うがった見方なんだろうな(苦笑)
似: スクールカーストに決して屈しない、強いアメリカ青春映画に乾杯!
R: いいのか、そんなまとめで(笑)
番外編:クソタイメンバー推薦!女の子のためのスクールカースト作品!!
M: うちらが今回観た映画は、全部男の子のスクールカーストを扱ったものだったけど、女の子のスクールカースト映画って、何だろう?
i: とりあえず「ウェルカム・ドールハウス」「ゴーストワールド」「ミーンガールズ」の3本は鉄壁かな。
R: 「野ブタ。をプロデュース」なんてどう?ドラマ版は主人公が女の子だし。
M: まぁ、アレはたぶん主演のジャニーズふたりを引き立てるためのファンサービスで、女の子である必然性はあんまり感じないんだけどね。
似: 映画から離れるけど、「花より男子」なんか良いんじゃない?アレなんて、まさにイイ男と付き合うことが、そのまま女の子のカーストのランクに直結するっていう話だし。
i: その文脈でいくと、「ハイスクール白書~優等生ギャルに気をつけろ!~」も面白い。これは唯一、男と付き合うことじゃなく、生徒会長になることによって自分のカーストを上げていく話なんだよ。あと、「25年目のキス」。これは、女の子が高校に入りなおして青春をやり直す話。
R: ていうか俺達、ここまで「アメリカ学園映画」っていう枠で語ってきたのに、なんかそこから離れてる作品が入ってるのはどうよ?
M: でも日本のスクールカースト作品って、あんまり思いつかないな。
i: そもそも日本の学園ものって、スクールカーストが描かれること自体があんまりないような気がするよね。「野ブタ。をプロデュース」とか「りはめより100倍恐ろしい」とか、小説ではうちらと近い世代の作家から出てきてるんだけど。
M: 教育評論家の森口朗氏*39が言ってたんだけど、日本の教育界って平等主義の建前が強いから、スクールカーストみたいな概念からは眼を背けがちなんだって。<bold>身も蓋もなく人間の格差を浮き彫りにするじゃない?人気のない子供がいじめられやすいなんてことは、みんな感覚的にわかっているハズなんだけど、それを認めたがらない。</bold>
R: 日本の映画監督や漫画家は、もっとスクールカーストをテーマにした作品を作れ!ってことで、締めにしときましょうか。
似: お後がよろしいようで。
*37:id:furukatsu。「革命的非モテ同盟」(http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/)主催。「革命的オタク主義者同盟」、「革命的萌え主義者同盟」と共に、2007年6月 30日、秋葉原で日本初の「オタクのオタクによるオタクのためのデモ行進」を企画・運営。当初の予測を大きく上回る500人の動員を記録し、大きな注目を集める。いま、非モテ界で最も期待されるニューウェーブ。
*38:id:rAdio。フルハンドルネーム増田ラヂオ(http://brettspieler.tumblr.com/)。関西を中心に活動するガチ(当事者性のある)非モテ。「非モテロ!」、「恋愛弱者蜂起集会『Re:Mote(リモート)』」など、独特の言語センスに定評がある。
*39:2007年6月に出版された「いじめの構造」で、おそらく新書で初めて「スクールカースト」の単語を使い、いじめ問題を論じた。はてなで公式ブログも運営中(http://d.hatena.ne.jp/moriguchiakira/)。
(『奇刊クリルタイ2.0』(2007年8月刊行)収録分を再構成)
i: とりあえず「ウェルカム・ドールハウス」「ゴーストワールド」「ミーンガールズ」の3本は鉄壁かな。
R: 「野ブタ。をプロデュース」なんてどう?ドラマ版は主人公が女の子だし。
M: まぁ、アレはたぶん主演のジャニーズふたりを引き立てるためのファンサービスで、女の子である必然性はあんまり感じないんだけどね。
似: 映画から離れるけど、「花より男子」なんか良いんじゃない?アレなんて、まさにイイ男と付き合うことが、そのまま女の子のカーストのランクに直結するっていう話だし。
i: その文脈でいくと、「ハイスクール白書~優等生ギャルに気をつけろ!~」も面白い。これは唯一、男と付き合うことじゃなく、生徒会長になることによって自分のカーストを上げていく話なんだよ。あと、「25年目のキス」。これは、女の子が高校に入りなおして青春をやり直す話。
R: ていうか俺達、ここまで「アメリカ学園映画」っていう枠で語ってきたのに、なんかそこから離れてる作品が入ってるのはどうよ?
M: でも日本のスクールカースト作品って、あんまり思いつかないな。
i: そもそも日本の学園ものって、スクールカーストが描かれること自体があんまりないような気がするよね。「野ブタ。をプロデュース」とか「りはめより100倍恐ろしい」とか、小説ではうちらと近い世代の作家から出てきてるんだけど。
M: 教育評論家の森口朗氏*39が言ってたんだけど、日本の教育界って平等主義の建前が強いから、スクールカーストみたいな概念からは眼を背けがちなんだって。<bold>身も蓋もなく人間の格差を浮き彫りにするじゃない?人気のない子供がいじめられやすいなんてことは、みんな感覚的にわかっているハズなんだけど、それを認めたがらない。</bold>
R: 日本の映画監督や漫画家は、もっとスクールカーストをテーマにした作品を作れ!ってことで、締めにしときましょうか。
似: お後がよろしいようで。
*37:id:furukatsu。「革命的非モテ同盟」(http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/)主催。「革命的オタク主義者同盟」、「革命的萌え主義者同盟」と共に、2007年6月 30日、秋葉原で日本初の「オタクのオタクによるオタクのためのデモ行進」を企画・運営。当初の予測を大きく上回る500人の動員を記録し、大きな注目を集める。いま、非モテ界で最も期待されるニューウェーブ。
*38:id:rAdio。フルハンドルネーム増田ラヂオ(http://brettspieler.tumblr.com/)。関西を中心に活動するガチ(当事者性のある)非モテ。「非モテロ!」、「恋愛弱者蜂起集会『Re:Mote(リモート)』」など、独特の言語センスに定評がある。
*39:2007年6月に出版された「いじめの構造」で、おそらく新書で初めて「スクールカースト」の単語を使い、いじめ問題を論じた。はてなで公式ブログも運営中(http://d.hatena.ne.jp/moriguchiakira/)。
(『奇刊クリルタイ2.0』(2007年8月刊行)収録分を再構成)

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