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その猫はつかさどる

その猫はつかさどる

 その年の3月31日。
 私は仕事の年度末の処理を終えて、ようやく夜になってから家に帰れた。

 私は図書館の臨時職員の事務員とはいえ、システム管理だの何だのと押し付けられて書類も山ほどあったし、それより年度末に入れた業務システムのバグがなかなか取れなくて、難儀して結局期末残業になった。
 直したはずなのに直ってない。直すと別のところが間違う。
 もちろんそんな仕事は事務職の仕事ではないのだが、使っていてイライラするので結局自分で訂正していた。そしてある日、腹に据えかねて、不具合をリストにして納入業者にちゃんと言ってくれと正職員に訴えた。
 『じゃあ、お願いできるよね』と返す刀で気安く言われ、結果自分がその不具合を直す係になった。
 そりゃそうだ。私も考えが浅かった。結果私の仕事はどんどん増えても残業代はつかない。
 決まった時間だけの最低賃金の時給で使われ続け、残業をしている時間は私は存在しないことになる。
 書類上、管理記録でも、その時の図書館の事務室には誰も居ないのだ。
 その薄暗い蛍光灯の無人の部屋で、パソコンの液晶の灯りがついているなか、プログラムが訂正されていく。それが客観的な世界での事実なのだ、と思うと、何となく不思議な気持ちになる。
 そんな私は昔憧れた司書ではなく、何も司らない図書館の臨時職員。
 かろうじて来年度も職員はつづくが、官製ワーキングプア生活が繰り返しまだ続くのだ。
 来年度も、また存在しない私が、本来の仕事ではないシステムの仕事をするのかと思いながら、雇用契約書に三文判を押した。
 それで今日はなんだか疲れた。精神的にも肉体的にも。

 そんな心の波立ちのように、外は春の嵐という感じで風が強い。
 そんなか、こたつに入り、夕餉を食べたあと、ツイッターを見ていた。
 つけっぱなしのテレビでは、期末の特番がながれている。
 こたつの中では飼い猫のチーコとタマが寝ている。
 テレビはお笑いの特番で、はしゃいだような笑い声が繰り返している。

 猫がこたつのなかから、こたつ布団を鼻で押し上げて、でてくる。
 その目がトロンとしている。寝ぼけているのだろう。
 「生まれたのかい?」といつもの冗談を言う。
 こたつ布団から猫が出てくるのを、その目の開かない様子から出産時のように「生まれた」と冗談で言うようになって何年かたつ。

 ノートPCの画面のツイッターの表示を見ていて、気づいた。
 あれ、同じツイート、書き込みだ。
 おかしいな。
 リツイート、引用じゃないのに。
 だれかがコピペ、複写で投稿してるのかな。

 また同じツイートがでてくる。
 おかしいな。
 またこたつ布団がむくむくと動く。
 チーコとタマ。
 こたつで眠って、その中が熱くなって出てきたんだな。

 テレビもまたおなじようなことを流し、笑い声が繰り返されている。

 さらにこたつ布団が膨らむ。
 チーコまた出てきたのか。
 タマも出てきたのか。

 おかしいな。
 ツイッターのタイムラインがループしている。
 チーコもタマも、いつのまにこたつの中に戻ったのだろう。
 おかしい。
 ちがう。おかしい。

 またこたつが膨らみ、チーコもタマが出てくる。
 また入った様子もないのに。
 おかしい。

 でもチーコとタマがまたこたつから出てくる。

 テレビもツイッターも同じように繰り返しになっている。

 意識が混濁していく。
 何もかもがなにかおかしい。

 チーコもタマもさらにまた出てくる。

 何度も何度もチーコとタマが出てくる。
 無限にそれが続くように思われる。
 何度も繰り返されて気が遠くなる。
 時間そのものがループしているような感じだ。

 薄れていく意識の中、自分の姿がいくつも見え、感じられる。
 こたつに入っている自分が並行して無限にいる。
 無限の自分が2匹の猫が出てくるのを無限に繰り返してみている。
 自分が無限に存在して、それが自分につながっているのだ。

 気が遠くなっている。
 自分がフワフワする。
 離人症なんだろうか。
 自分はどこにでもいて、どこにもいない。

 期末で仕事しすぎたから疲れているのか。
 身体もなにか感覚がフワフワして、自分が考えている気がしない。
 周りがすべてなにか架空のもののように思える。

 そして急激になにもかもがズームアウトしていく。

 そうか。
 世界がバグっているんだ。

 今日も職場のPCをいじっていて、自分がバグを訂正しているのか更に作っているのかわからなくなったのを思い出した。
 バグ取りはそういう疲労と虚しさと、独特の浮遊感を感じされられる。

 バグって隠された真実が示されているんだ。
 多世界解釈の世界の真実を。

 だから猫がその多世界(マルチバース)を漂流する自分をつなぎとめるように、こたつから出てきたのだ。
 この多世界解釈の世界の中心は、実はこの猫だ。
 猫が世界の中心なんだ。

 またチーコとタマが出てきてた。

 そして、二匹は座布団の上で互いを舐めあってじゃれている。
 いつものように。

 気が遠い中、手を動かした。
 動く。
 更に動かしてみる。
 動く。

 ようやく体の感覚が戻ってきた。

 猫たちに鰹節をあげようと一瞬思った。
 思えば、それはいつも図書館で働いているとき、尊敬する司書さんに、軽いお礼をするような気持ちに似ていた。
 そういえば、多世界解釈の世界は無限数の意識を格納した巨大な図書館と同じ、とどこかのSF作家がホラを吹いていたな。

 このところ忙しくてドライフードしかやってない。
 こたつから出て、台所に行こうと思う。

 猫が収斂していく。
 いや、自分が収斂しているんだ。
 多世界の中の、自分のこの意識が存在する世界に。

 バグったのは、自分もだ。

 息を吐いた。
 この息は、間違いなく自分の息だ。

 台所で、鰹節のパックを戸棚から出して、あけて中身をそこにおいてある猫のごはんの皿の上に置く。
 早速やってきた二匹の猫に、手を伸ばし、鰹節が欲しくてこんなことをしたのかい?と猫を撫でた。
 猫は黙々と削り節を食べている。
 削り節と一緒に猫がドライフードを食べるカリカリという音が響く。

 見ているうちに落ち着いてきた。
 テレビが特番のエンディングを放送している。

 なんのことはないか。

 そしてまた猫がこたつに入っていく。
 TVでもまた別の特番が始まった。
 そして、ツイッターではツイートが流れている。
 窓の外は、心が波立つような春の嵐の風音が、まだ続いている。

 猫を飼っているあなた、ツイッターを見るときには注意して下さい。
 その猫とタイムラインは、こんな自分と世界の小さなバグの兆候を知らせてくれるかもしれません。

<了・暫定稿>

この本の内容は以上です。


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