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右腕の思い出

右腕の思い出
 
 
 
  悲しいこととか、暗い事件が続いたりして、無性に寂しい気持ちになると、ボクは河原まで散歩に出る。時間は決まって夕暮れ時だ。夕日に向かって歩き、昔お世話になった二条医院で、患者がいなければ二条先生とちょっと話して――、長い影を前に押しながら家に帰る。そこで、遠い遠い、子供の頃のコトを思い出すのだ。
 
 
 
 
 
 ボクとただしの影は、夕日にぐんぐん伸びて、頭の先が土手の坂に転がり落ちているくらいだった。ゆっくりとカーブした道で、やっと全身がアスファルトの中におさまった。……長い長い道の途中で、どちらからともなく、ボクたちは立ち止まった。
 
 ボクは小学五年か六年の時、車にぶつかって、右腕を折っていた。もうギブスは取れていて、リハビリのために二条医院に通っていた。
 
「ひかる兄ちゃん?」
 ただしは、病院から帰ってきた僕を、河原まで迎えに来てくれていた。いつもは「病院はキライ」と言って、家のそばの公園で砂山を作ったり、ブランコに乗って待っていたりするのに。
「ただし、大丈夫か? おまえ、さっきもゴホゴホしてただろ?」
「んー、だいじょぶだよ」
 ただしは最近、すぐおなかをこわしたり、風邪をひいたりするようになった。ニコニコしてこたえるのが、おかしい感じだとすぐにわかった。毎日いっしょにいるんだから、遊んでて楽しくってケラケラ笑うのと全然違うことが……ボクは心の中で、二条先生がさっき教えてくれたことを、もう一度思い返した。たぶんそれは、すごく悩んでいるような顔に見えたのか、ただしも急に困ったような目をした。
 
 気がついたら、ただしはボクにいつもくっついてそばにいた。けれど、いつから、「いつから」ただしがいたのかが、あやふやで気持ち悪かった。事故にあう前に、ただしと何をして遊んだかが、すぐに思い出せなかったのだ。
 ボクの家は、ボクだけの、ひとりっ子の家だったはずだ。骨折してから急に、ただしが出てきたような気がするのだ。
 
 二条先生に相談したら、先生はカメラを貸してくれた。ボクはただしに内緒で、後ろ姿をこの前撮ってみた。……そして、さっき。ゆっくりと二条先生は、ネガ・フィルムから目を離して、ボクの方に椅子を向けた。
 
「……ただし、」
「……ひかる兄ちゃん、」
 
「ただし、ただしは、
 ……ボクの右腕、の、たましい、なの?」
 
 
 夕刊を配り終わった新聞屋さんのバイクが、パパパパと通り過ぎていった。小さな砂とかも風に混じっていたけど、ボクもただしも、目をつぶらないで、じっとお互いを見ていた。
「あ……」
 あわてて左手をあてようとしたけど、大粒の涙がぼろりとこぼれてしまった。まんまるのそれははっきり見えた。
 
「……うん」
 ただしの声は、かすれていた。でもハッキリと、何を言っているのかは、わかった。
「ひかる兄ちゃん、かくさないで、いいよ。兄ちゃんの手は、もう、治ってるんでしょ?」
 
 
『お兄ちゃん、お兄ちゃん!』
 ただしはいつも、ボクにかまってくれた。ボクが右手のことを苦しいと思う暇をくれなかった。
 ボクの右腕が少しずつ治っていくことには――たしかただしは、うれしい、そればかり言ってくれた。自分がどうなるのかをわかってたはずなのに。
 
 この河原で、ボクはただしとシロツメクサを摘んで、爪の間が緑になっても気にしないで冠を作った。それを乗せあいっこして、ボクらはシロツメクサの王様だって言って笑った。
 ボクが、右手が使いにくくてもたもたしてて、クラスの男子に文句を言われて、すごく悔しくって、――荷物が多くて傘をさせなくてこの道を濡れながら歩いてた時、ただしは向こうから全力で走って来て、自分の小さな黄色い傘をボクにかけてくれた。
 
 ボクはただしがいなくなるのがイヤだった。
 でも、ただしも、ボクが『ただしがいなくなるのがイヤ』だっていうのと同じくらい――!
 
 右手が勝手に、グーをつくった。
 びしり、と痛みが走った。
 からだじゅうがじんじんしてきた。
「くっ……」
 ぎゅっと目をつぶって、痛みが過ぎてくのを、頭や足の先から抜けてくのを待とうとした。
 
――あっ!
 
 パシン、とボクは目をはじき開けた。くるくるっとした目の、かわいいただしが、涙をいっぱいにしてずっとボクを見ていた……。
 
 
「ごめんね、ただし。ウソついてた」
 ただしはうなづいて、ボクがまどろっこしく包帯を取るのを見守ってくれていた。やせ細っていたけど、たしかに、ボクが曲げたいと思った指は曲がるし、ボクが動かしたいと思った方向に右腕は動かせた。
「よかった……。お兄ちゃん、治ったねぇ」
「うん、ただしが、いてくれたからだよ。ただしが、いつも、ここにいてくれたから! いつも、いつもいつも、」
 これ以上、とぎれそうな声を聞くのがつらくて、ボクは早口で何度もそう言いながらただしを抱きしめた。左手でしっかりだたしをつかんでから右手をそっとくっつける。
「お兄ちゃん、ありがとう……お兄ちゃんの右手、すごくあったかいよ……」
 
 
 しばらくぎゅうっと抱きあってたボクたちはゆっくり、ゆっくり離れた。あったかい空気が、ほわっと周りに残っていた。
 ボクはもう一度「ありがとう」ってただしに笑って、家の方に――歩き出した。
 ただしはそこからずっと動かなかった。ボクの影はどんどんただしの背を追い越した。ボクは歩き続けた。ただしの影だけ見ていた。ついに、ボクの足が、ただしの影の頭あたりまで来る頃……、すうっと、ただしの黒い頭が……消えていった……。
 口が急にぐらぐら震えて、振り向かずには、いられなかった。
「ただしっ!」
 夕日と、風しか、いないのを知っていたけれど。
「ただしっ……!」
 
 ボクは、大事な『弟』の名前を、叫んだ。
 
 
 
 
 
 こんな話、誰も信じてくれないと思う。ただしなんて弟は、ホントにどこにもいなかったし。ボクの記憶があやふやになっていて、誰か、とてもその頃に仲の良かった友達とすり替えて覚えてしまっているのかもしれなかった。
 ただただ、長い長い人生の中で、ボクにはこれが夢でも現実でも、ただしとここを歩いたことも、あの時感じた腕の痛みも、大切な思い出のひとつ、なのである。
 
 
 
 
 
(了)
 

おくづけ

(おくづけ)
「右腕の思い出」平成十二年 ゴザンスマガジン掲載
原著の「ボクの右腕 My Lovin' "RIGHT"」平成九年から各所で連載。
「右腕の思い出」は、「ボクの右腕」の粗筋をぎゅっと凝縮した。

  作 波河 海咲
  http://www.misakiworld.jpn.org/
  http://misakiworld.sblo.jp/category/58831-1.html    (「ボクの右腕」)

  Twitter MisakiWorld (作品情報)・ komiyatatsh (作者個人)

※パブーでの表紙イメージ画像について
 「写真素材 足成」さんに掲載されている、工藤隆蔵 さんの
 「マーブルチョコをつまむ」というお写真を利用させていただきました。
 ありがとうございました。
※表紙イメージ画像は、あくまでも電子書籍の表紙イメージとしての利用であり、写真内の環境等と本文との関連はありません。

この本の内容は以上です。


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