閉じる


目次

連作短編集『〈森の民〉の物語』 目次

第一話(プロローグ)『おかあさんの木』
第二話『恋の季節』
第三話『おとうさんが来る日』
第四話(エピローグ)『夏告げ鳥の頃』

『おかあさんの木』

 おかあさんは、エーレンカの木になった。私が七つの時だった。
 ほっそりした優しい姿で、普段は目立たないけれど五月には控えめな白い花をあたり一面に降り零すエーレンカの木は、おかあさんにぴったりだ。
 おかあさんは、五月が好きだった。エーレンカの白い花と、その優しい香りも。

 森の外の荒野をさすらう〈荒地の民〉は、死んだ人を火葬してしまうのだそうだけど、なんて悲しい、さびしいことだろう。
 だって、愛した人の身体が、灰になって消えてしまうだなんて。どこにもなくなってしまうだなんて。
 今、目の前に見えている愛した人の亡骸――今は確かにそこにあって、生きている時と変わらぬ姿をしていて、手に触れることも出来る亡骸を、燃してしまうだなんて、私だったら、耐えられない。

 私たち〈森の民〉は、死んだ肉親を、自分たちのセレタの周囲の土に葬る。
 そうすれば、愛した人の亡骸は、土に隠されて見えなくなるだけで、そのまま、私たちのすぐ近くで眠り続けるのだもの。ちょうど、頭まで毛布を被って同じ 部屋で寝ている人みたいに、姿は見えないし、言葉も交わせないけど、でも確かにそばにいると感じられるもの。

 そうして、亡骸を埋めた土盛が、七十七夜の月の光と七十七日の日の光を浴びた、その次の朝、そこには、木が生えてくる。
 死んだ人は、みんな、木になるのだ。
 その人の好きだった木や、その人に相応しい木に。
 大好きなおばあちゃんは、慎ましいレッカの木になった。陽気で頼もしかったおじさんは、どっしり太いゼガーの木に。私が生まれる前に死んだから人の姿で は会うことが出来なかったおじいちゃんも、やっぱり立派なゼガーの木になって、大きく枝を広げ、今も私たちのセレタを雨風から守ってくれている。
 おばあちゃんのおかあさん、おばあちゃんのおばあちゃん、そしてそのまたおばあちゃん、そんな大勢のおばあちゃんたちの、数え切れないほど大勢の兄弟た ち――名も知らない幾多のご先祖様たちが、みんな、私たちのセレタを囲む大きな木になって、遠い昔から、私たちを見守っている。ゆりかごを守る手のように 私たちの小さな世界を抱き、子孫である私たちを、雨風や、外の世界の悪しきものたちや、時に外界を吹き荒れる擾乱の嵐から隔て、美しい花や良い香りや気持 ちの良い木漏れ日で変わらぬ愛を伝えてくれる。おいしい果実や薬効のある葉や樹液、薪になる枝や衣服の材料になる樹皮を四季折々に贈ってくれたりもする。
 数え切れないご先祖様たちからの愛の贈り物に囲まれて、私たちは、生まれ、育つ。
 そうして、死んだ後は、そういうご先祖様の木の一本になって、いつまでも子孫たちを見守るのだ。


 おかあさんの木は、今、冬空の下で、すべての葉を落として眠っている。
 けれど、たおやかなその幹に頬を寄せると、木の中を、温かな命が流れているのが分かる。
 おかあさんの命が。
 連綿と続く、私たちの一族の命が。
 春になれば、この、静かな命の流れが、一気に奔流となって空に向かって駆け上がり、樹皮を突き抜けて、芽吹き、溢れて、花開くのだ。
 そうして、エーレンカの白い花が、おかあさんの優しい眼差しのように、私の上に降り注ぐ。
 
 小さい頃から、淋しくなると、こうしておかあさんの木の根元を訪れて、幹に手を触れ、その命を感じ、おかあさんの愛を感じた。嬉しい時にも、おかあさんの木を見上げた。
 心の中で、いろんなことをおかあさんに話した。
 おかあさんは、何もかも知っている。
 小さかった私の、ときおりの小さな淋しさや悲しみを。
 おかあさんはいなくても一族みんなに愛されて育った子供時代の、たくさんの幸せを。
 冬の間ひっそりと育まれてきた花芽が春の陽射しを受けて誇らかに花開くように、緑の風の中で咲き初めた恋を。
 その恋が秋の木の葉のように燃え上がった、眩暈のするような日々を。

 今、おかあさんの木の幹にそっと手を当て、梢を見上げて、私は微笑む。
 おかあさん。私も、もうすぐ、『おかあさん』になるのよ。




 春が来て、夏が過ぎ、また冬が来て、そしてまた五月。
 おかあさんのエーレンカに、白い花が咲く季節。
 満開の白い花の下で、幼な子が笑う。リリと名づけた、私の小さな娘が。
 まだ赤ん坊らしく顔以外の全身を金茶色の産毛に覆われた、仔熊のようにもこもこと愛らしい姿で、不器用に立ち上がっては、ころんと転ぶ。
 もう少し、もう少しよ。がんばって。
 小さなリリは、自分が立てることが面白くて仕方ない風に声を上げて笑いながら、もう一度、立ち上がる。
 短い尻尾をぴこぴこ振って重心を取りながら、一歩、二歩、危なっかしく歩こうとしては、しりもちをつく。
 外の世界の人たちには、生まれたときから尻尾がないそうだけれど、赤ちゃんがよちよち歩きを覚える時にバランスを取る尻尾がなくて、不便じゃないのかし ら。私たちの子供には、赤ちゃんのときは尻尾があって、達者に走り回るようになる頃には抜け落ちるのだけれど。

 あんまり何度も転ぶから、リリの毛並みは泥だらけ。
 後で念入りに毛皮を拭いてやらなきゃならないわ。
 私たちの赤ちゃんには毛皮があって、本当に良かった。
 荒地の民の赤ちゃんは大人と同じように裸の姿で生まれてくるそうだけど、それでは赤ちゃんが風邪を引いてしまわないかしら。柔らかい肌に汗疹が出来た り、怪我をしたりはしないかしら。お湯を沸かした大鍋で赤ちゃんをお風呂に入れるだなんて、間違ってお湯の中に赤ちゃんを落としてしまったりしないかと思 うと怖くって、私には出来そうもない。
 私たちの赤ちゃんは毛皮があるから、冬に生まれても風邪を引かないし、お風呂に入れなくても清潔が保てて皮膚病にならない。お風呂に入れる代わりに、毎 晩、エーレンカの乾燥花とゼダーの葉を煎じたお湯に浸した柔らかい布で全身を丁寧に拭いてあげれば、赤ちゃんはいつも清潔ふわふわで、清々しいゼガーの葉 とエーレンカの花の良い匂い。毛皮のおかげで転んでも怪我をしにくいし、それに、何より、ふかふかの毛皮に包まれた丸々とした姿は、見るたびに抱きしめず にはいられないほど愛らしい。


 幼な子の柔らかな毛並みに、白い花が散り掛かる。
 私の可愛いリリ。一族みんなの愛を一身に受けて、毎日どんどん大きくなるリリ。
 いつかはこのふわふわの産毛も抜けて、尻尾も取れて、たぶん産毛と同じ金茶色の髪の、綺麗な娘に育つのね。きっと、森一番の美人になるわ。
 いつまでもこのままでいて欲しい気持ちと、すくすく育つのが嬉しく誇らしい気持ちと、両方の気持ちで胸がいっぱいになって、花の香りのする小さな身体を抱き上げる。
 私も、赤ちゃんの頃は、エーレンカの香り水で身体を拭いてもらっていた。弟も、従姉妹たちも、一族の赤ちゃんは、みんな。
 だから、エーレンカの香りは、赤ちゃんの匂いで、清潔と幸せの匂いで、おかあさんの匂いだ。

 可愛いリリをもっと近くで見せたくて、エーレンカの木の梢に向かってリリを差し上げると、リリは笑いながら白い花に手を伸ばす。
 ほら、リリ。この木はね、あなたのおばあちゃんなのよ。
 ねえ、おかあさん、この、とびきり可愛い子が、私の娘で、あなたの孫のリリなのよ。

 私もきっと、死んだ後はエーレンカの木になるのだろう。
 エーレンカの木になって、リリと、リリの子供や孫、そのまた孫をいつまでも見守ろう。
『恋の季節』

 ある朝、目覚めて、私に恋の季節が来たことを知った。
 ずっと夢見ていた、人生で一番素敵な季節!
 木の上の夏の寝小屋から身を乗り出して回りを見わたせば、見慣れたはずの世界が、見たこともないほど美しく輝いている。
 初夏の森の緑が、雨に濡れた後みたいに、突然、昨日までよりひときわ瑞々しく目に飛び込んで、嗅ぎ慣れた緑の匂いが、いっそう強く清々しく空気を満たして、風の中に混じる花の香りが、ふいに切なく胸に迫った。
 何もかもが、昨日までとは違う。何もかもが新鮮で、何もかもが鮮やかで、何もかもが甘やかに匂い立っている。毎日見慣れた森が、見知らぬ秘密を秘めて、私を呼んでいる。あの森の奥で、私がまだ知らない新しい世界が、私を待っている。招いている。ここでないところへの憧れで、胸がいっぱいになる。
 今まで私の世界のすべてだった狭いセレタを飛び出して、胸踊る秘密を秘めて微笑むあの森へ、今すぐ駆け込んでいきたい!
 きっと世界で一番素敵な、私の恋人を探しに――。

 縄梯子を伝うのももどかしく樹上から飛び降りて母屋に駆け込み、炊事場に集まって朝食の支度をしている姉さんたち、おばさんたちに、私に時が来たことを告げた。
 姉さんたちがわっと集まってきて、顔を見たとたんにわかったわ、と笑った。
 だって、輝いているもの、と。

「恋の季節を迎えた女の子は、みんな、ある朝急に、特別綺麗になるの。瞳がきらきらと潤んで、唇が花びらみたいに色づいて、肌が内側から光っているみたいに輝くのよ」
 そう言って、姉さんたちは指の背で私の頬を撫でる。

 そうなのかしら、私には自分の顔は見えないけれど、私は今、ほんとにそんなに綺麗なのかしら。
 だったら嬉しい。私の恋人が、きっと私を気に入ってくれるもの!

 おばさんたちが出来立ての木の実粥を取り分けてテーブルの端に置いてくれたけど、私はあんまりそわそわして、とても朝ごはんなんか食べてられない。だって、お腹が空いてないの。いつもなら、起きたらはらぺこなのに、まだ見ぬ恋人のことを考えたら、ドキドキしすぎてお腹が空かない。ああ、もう、一瞬だってじっとしてなんかいられない!
 私の恋人は、私よりも早起きをして、もう、森に来ているのじゃないかしら。私より先に、とっくに恋人の泉についていて、待ちくたびれているのじゃないかしら。私がなかなか来ないから心配になって別のところを探しに出かけてしまって、すれちがって会えなくなってしまったりはしないかしら。もしかしたら、間違えて別の女の子から花輪を受け取ってしまうのじゃないかしら……。

 もちろん、そんなことがないのはわかってるけど。
 恋人同士は、森の中のどこにいても呼びあって、必ず会える。

 でも、その人の事を考えると胸がいっぱいになって、ご飯なんか食べられないの。
 私の恋人は、どこのセレタの人かしら。どんな素敵な若者かしら。

 お粥に手を伸ばしもせずにそわそわ立ってる私に、おばさんたちはしょうがないわねと笑って、「途中で食べなさい」と、堅焼きの焼き菓子をたくさん包んで持たせてくれた。しばらくは森でゆっくり食べ物を探してる暇なんかないはずだからと言って。
 きっと気が落ち着かなくて食べられないと思ったけど、ありがとうと受け取った。
 その間に、ベッカ姉さんが奥の貯蔵部屋へ駆け込んで行って、セレタの財産を仕舞った櫃の中から花嫁のベールを引っ張り出してきて、私の髪に留めてくれた。うちのセレタの文様を織り込んだ綺麗な飾り帯も出してきて花嫁のための特別な飾り結びを結んでくれてたり、幾つも持ち出してきた首飾りをとっかえひっかえしてみんなで賑やかに選んでいる間に、エレア姉さんが外に行って、朝露を宿した白い花を摘んできて髪に挿してくれた。

 よってたかって着飾らせた私を取り囲んで、姉さんたちがはしゃぐ。
「ああ、なんて綺麗! とっても綺麗よ、私たちの可愛いリリ」
「なんて素敵なの。外に行ったら自分の姿を井戸に映してごらんなさい。あんまり綺麗で驚くから!」

 おばさんたちが木の実の粉を練りながら、にこにこと声を掛けてくる。
「まあ、ほんと、素敵よ、リリ。きっと可愛い赤ちゃんを連れて帰ってきてね。セレタの赤ちゃん部屋に、世話をしてあげる赤ちゃんが少ないと淋しいもの」
「そうよ、来年の春の赤ちゃん部屋を賑やかにしてちょうだいね。私たちに可愛い赤ちゃんを抱かせてちょうだいね。初めての赤ちゃんだって、何も心配いらないわ。お産の時も赤ちゃんも、私たちがよってたかって面倒を見てあげるから」

 そう言って、おばさんたちも姉さんたちも、まるでもう赤ちゃんを抱いてるみたいにうっとり笑う。

 私たちは、みんなの赤ちゃんをみんなで世話する。もちろん、赤ちゃんにお乳をあげたり、一番長く赤ちゃんを抱くのは、その子を産んだおかあさんだけれど。
 私だって、小さい頃から姉さんたちの赤ちゃんの世話を手伝ってるから、自分の赤ちゃんはまだ産んだことが無くても、赤ちゃんの世話には、もう慣れてる。
 でも、おばさんたちや姉さんたちが何でも助けてくれるのは、やっぱり心強いわ。
 私たちはみんなそうだけれど、私も、赤ちゃんが大好き。自分の赤ちゃんを抱くのが、本当に楽しみ。

 まかせて、おばさんたち、姉さんたち。私、きっと、元気な赤ちゃんをお腹にいれて連れて帰るわ。セレタの赤ちゃん部屋に、とびきり可愛い赤ちゃんをプレゼントするわ!

 はりきって応える私に、みんなが微笑む。
「さあ、行ってらっしゃい。初めての恋の季節は一生に一度。楽しんできてね」
 姉さんたちが、かわるがわる優しく頬に触れて、私を送り出してくれる。

 そう、初めての恋の季節は、一生のうちに何度か訪れる恋の季節の中でも、一番素敵な、たった一度の特別な季節。
 初めての恋の季節が来ると、昨日まで子供だった私たちはもう、セレタの中で大人の言う事をきいて過ごさなければならない子供ではなくなるけれど、でも、大人としてのいろんな役目は、まだ割り当てられていない。大人になったら担う責任を、まだ何も担ってない。だから、何もかも忘れて、ただ恋のことだけで頭をいっぱいにして、ひと夏じゅうでもセレタを離れて自由に森をさまよって、恋人との日々を過ごすことができる。
 それは、子供と大人の境目のほんのひとときの、特別な自由の日々。誰にでも一生に一度だけ森から与えられる、特別な贈り物。思いっきり楽しむことが、素敵な季節を贈ってくれた森への恩返し。


 母屋から駆け出したら、赤ちゃん部屋を覗いて、新しく生まれた赤ちゃんの身体を拭いてあげていたおかあさんにも挨拶していく。懐かしいエーレンカの香り水の匂いの中で、おかあさんは優しく微笑んで、走ってきたからちょっとめくれた私のベールをまっすぐに直しながら、頬に祝福のくちづけをくれた。私もお返しにおかあさんの頬にくちづけして、ふわふわの毛皮に覆われた小さな弟の頭のてっぺんにもくちづけして、でも、そのあいだも気もそぞろで、また外に走り出す。

 セレタを出たところで、朝の猟から帰ってきた兄さんたちやおじさんたちとすれ違った。
 みんな目を丸くして私の花嫁姿を誉めそやし、祝福の言葉を投げてくれる。

「やあ、見ろよ、俺たちの妹はなんて綺麗なんだ! 間違いなく森一番の美人だぞ! この子の恋人になれる運の良い男は、森一番の幸せものだ!」
 背高のっぽのレッキ兄さんが私の脇に手を入れて私を空高く持ち上げ、ぐるぐる回してみせたから、みんな大笑いして、私も大笑いして、まためくれてしまったベールを直して、髪に挿した花が取れかけたのも直してもらっていると、他の兄さんたちも我勝ちに近くの枝から花を取ってきて私の髪に挿したから、私の頭は隙間がないくらい花に覆われて、こぼれんばかり、まるで花ざかりの花木のよう!

 可愛いよ、綺麗だよ、俺たちの愛しいリリ、素敵な恋をしておいで――。

 口々に言いながら、よってたかって指の先で私のほっぺたをつついて、兄さんたちが笑う。

 兄さんたち、おじさんたちと手を振り交わして、みんなはセレタに戻り、私は森に入ってく。心がはやって、ひとときだって立ち止まってなんかいられない!
 足も止めずにご先祖様の木に挨拶の言葉を投げながら、ベールをなびかせて、踊るみたいに駆けてゆく。
 今日はどこまで駆けたって疲れっこないわ。



 一年で一番美しい、夏の初めの森。
 小鳥たちのさえずりに満ち、木の上も地面もどこもかしこも空から星が落ちてきたみたいな白や金色や薄紫の小さな花を散りばめて、草の葉や苔の上で木漏れ日に輝く朝露が、花嫁のベールに縫いとめられた水晶のかけらのよう。まるで森全体が、透き通る緑の中にいろんな色の光の斑点を閉じ込めた大きな大きな宝石のよう!
 でも、今は、どんなに美しい光景も、足を止めてゆっくり眺めてなんかいられない。
 この美しい森のどこかに、私の恋人がいるの。今、どこにいるのかしら。どちらが先に恋人の泉につくかしら。もしも同じ方角のセレタから今朝発ったのだとしたら、運が良ければ泉につくまえにばったり会えるかもしれないわ。ああ、早く会いたい! 会えばその瞬間、その人が自分の恋人だってわかるんだって。どうしてわかるのかしら。どんなふうにわかるのかしら。
 その瞬間を想うと、胸が高鳴って、頬が燃え立つ。

 けれど恋人に巡り会えないまま、私は恋人の泉にたどり着いた。
 私の恋人はまだ来ていなくて、よそのセレタの知らない女の子が一人、金色の釣鐘みたいな小花をびっしりつけた大きなマリリカの木の下に座って、恋人を待っていた。私より、たぶん少し年上の女の子。
 私たち女の子が自分たちのセレタを離れることは、滅多にない。だって、食べ物や粗朶はセレタの回りの森だけで十分に集まるから、それより遠くに行く必要なんてないもの。よそのセレタを訪ねることも、普通は一生、ない。だから、違うセレタの女の子に会うなんて、滅多にない、珍しいこと。普段の時だったら、お互い好奇心でいっぱいで相手のセレタの話を聞きたがったりしたかもしれないけど、今は私もその子も、もうすぐ会えるはずの恋人のことで頭がいっぱいで、短く挨拶を交わした後は、ほとんど話をすることもなく、ふたりでそわそわと泉のほとりに座っていた。
 マリリカの木に囲まれた泉のほとりには白や青や薄紅色の花がいくらでも咲いていて、私たちはそれぞれに花を摘んでは、恋人に贈る花輪を編んだ。
 ときどき、思い出したように、そんなに曲がってるわけでもない相手のベールや飾り結びを直しあったり、髪に飾った花を新しいのに取り替えたりして、「これでいいわ、あなた、とっても綺麗よ。あなたの恋人はきっとあなたを気に入るわ」「ありがとう、あなたもとっても綺麗よ!」なんてお互いに言いあって、おずおずと微笑みあっては、一緒に花を摘んで、またそれぞれに、次の花輪を編んで。

 日が高くなったから、私とその子は、それぞれセレタから持ってきた保存食をほんの少し取り出して、金色に輝くマリリカの花房の下でお昼ごはんを食べた。
 木の実の粉の焼き菓子を半分に割って取り替えっこしてみたら、もらったお菓子は自分のセレタのお菓子とは少し違う味がして、それぞれ美味しかったけど、二人とも胸がいっぱいでほとんど食べられなかった。

 そうしてずいぶん長い時間がたったような気がした頃、泉を囲む木立の向こうで、がさっと音がして、緊張していた私たちがふたりしてびくりと身をすくませるのと同時に、木々の間から見知らぬ男の人が現れた。私よりだいぶ年上の人みたい。
 たくましい立派な若者だったけれど、その人が私の恋人でないのは、一目見て、すぐわかった。その人の視線も、まるで私なんかいないみたいに私の上を素通りして、もう一人の女の子だけに、ひたと注がれた。
 女の子は膝の上から作りかけの花輪と材料の花が落ちるのも構わずに呆然と立ち上がり、次の瞬間、二人は互いに駆け寄って、堅く、堅く抱きあった。それから少し身体を離すと、互いの首に腕をからませたまま、ものも言わずに互いの目を見つめあい、それからもう一度、ひしと抱きあって。
 それから女の子が、男の人の首に自分が編んだ花輪を掛け、男の人は優しく微笑んで、二人は手を取りあって木立の奥に入っていった。泉を離れる時、女の子はちらっと私を振り返って、励ますような微笑みを投げかけていってくれた。

 私の恋人は、まだ来ないのかしら。
 一人になったら、だんだん不安になってきた。もう、お日様が傾いてしまうわ。
 私の恋人は、どこか遠くのセレタの人なのかしら。それとも、今日じゃなくて明日、恋の季節の朝を迎えるのかしら。

 恋の季節を共に過ごすべき恋人たちは、普通は同じ朝に時を迎えるけれど、ときどき、少し日がずれることがある。そういうときは、先に来たほうが泉のほとりで夜を越すことになる。夏だから寒くはないし、恋人の泉のほとりには森狼は決して近づかないから何も恐れることはないって、みんなが言う。恋の季節の恋人たちは、森が守ってくれるからって。
 でも、私は、明日ではなく今日、私の恋人に会いたいわ!
 お願い、早く来て。もう、あなたに贈る花輪もとっくに出来上がってる。早く来てくれなきゃ、花輪がいくつもいくつも出来すぎて、あなたの首に掛かりきれなくなってしまうわ。あなたの素敵な顔が、花の中に埋もれて見えなくなってしまうわよ!


 午後の陽が金色を帯びてきた頃、また、がさりと茂みが揺れて、見ると、ほっそりとした綺麗な若者が、そこに立っていた。
 たぶん私と同じ年くらいの男の子。きっと私と同じに、初めての恋の季節を今朝迎えたばかりの。
 この人が私の恋人だって、たちまちわかった。
 ああ、なんて素敵な人かしら! 夢見ていた通りの、ううん、夢見たこともないくらいに素敵な恋人!
 幸せで胸が詰まった。
 金色の午後の日射しの中で、その人はおずおずと微笑み、ゆっくりと腕を広げた。
 私は足元の花を蹴立てて恋人の胸に飛び込んだ。ぶつかるみたいに飛びついて、その首に腕をしっかりと巻きつけて全身を押し付ければ、恋人の腕が、私の身体を優しく抱きとめる。恋人の鼓動と私の鼓動が混じりあう。幸せすぎて心がふわふわする。まるで二人で雲の上にいるみたい!

 それから私は、手に持っていた花輪を、恋人の首に掛けた。いくつも重なったのを、全部一度に掛けた。
 私の恋人は、顎の下まで花に埋もれそうになりながら笑った。ずいぶんたくさん編んでくれたんだね、待たせてごめんねって、優しく耳元で囁いて。
 ううん、ううんって首を振りながら抱きつけば、頬と頬が触れあった。

 外の世界の大きい人たちは、男の人と女の人の背の高さや身体の大きさがずいぶん違うことが多いそうだけど、私たちは、男も女も、背の高さがあんまり変わらない。ときどきはレッキ兄さんみたいな背高のっぽの男の人もいるけれど、それはその人がたまたま大きいだけ。身体つきも、外の世界の人から見たら、男と女であまり違わないように見えるんだって。
 身体つきだけでなく顔も、男でも女でも同じように綺麗な顔にしか見えなくて、だから外の人たちは、私たちが男か女か、服装でしか区別がつかなかったりするんだって。
 私たちから見れば、男の人と女の人はちゃんと見かけが違うから、男か女かなんて、もし同じ服を着ててもすぐわかるんだけど。なのに、それがぜんぜん見分けられないなんて、外の人たちはずいぶんと目が悪いのね。

 でも、男の人と女の人でそんなに背の高さが違ったら、恋人同士になった時、お互いの顔がよく見えなくないかしら。くちづけする時に困らないのかしら。
 私たちは、背の高さが同じくらいだから、こうして、向かいあって立てば、まっすぐにお互いの目を見つめあうことが出来る。抱きあえば頬と頬をすり寄せることができるし、額と額をあわせることもできるし、こんなふうにちょうど良くくちづけを交わすことができる。

 泉のほとりで、私たちはくちづけを交わし、それから手を取りあって泉を後にした。
 私たちが愛しあうのにふさわしい、ひと夏を一緒に過ごすのにふさわしい、素敵な場所を見つけに。

 そうして私たちは、夏の間中、毎日お互いのことだけを見つめあい、四六時中抱きあって過ごした。
 私たちは二人とも木登りが得意で大好きだったから、大きな木の枝に蔦の蔓で編んだ素敵な寝床を吊るして、夜はそこで抱きあって眠った。頭上をびっしりと葉っぱが覆っているから、少しくらなら雨が降っても濡れないの。
 私は木の上が大好き。だって、木の上は安全だし、風が通って気持ちが良いし、赤ちゃんになってご先祖様たちの膝の上に抱かれているみたいで、なんだか安心するの。
 私だけじゃなく、セレタの子供や若者はたいていみんな木の上が好きで、夏には母屋の回りの木の上に自分専用の寝小屋を自分で作ってそこで寝起きするんだけど、中には木登りが苦手な人や、木の上があまり好きでない人もいる。たとえば、オッテ兄さんみたいなふとっちょの人とか、足が悪い人とか。そういう人は夏でも木の上に住まずに、年をとった人たちと一緒に母屋で寝起きするか、そうしたければ地面に自分用の寝小屋を建てる。
 でも、私は、木の上がいいわ!
 だから私の恋人が私と同じに木の上が好きな人で良かった。二人で木の上で暮らすのは、とても素敵。
 夏の森は夜でも暖かで空気は爽やかで芳しく、ずっと外で過ごしても、ぜんぜん困らない。
 もっとたくさん雨が降ったら、その木の根元の洞に入るの。洞のなかには乾いた苔や良い匂いがして虫除けにもなる干した香草や花びらを敷き詰めてあって、身体の向きも変えにくいほど狭いけど、二人でぴったり抱きあっていれば、ちょっと冷える雨の夜でも、ぬくぬくと温かい。

 恋人の名前は、アリン。沼の端のセレタの人。
 行ったことはないけれど、沼の端のセレタのことは、いろいろ知ってるわ。贈り物を持ってときどき訪ねてくるきょうだいたちのおとうさんの中には、沼の端の人が何人もいるから。
 誰かのおとうさんが訪ねてくるたびに、子供たちはみんなで取り囲んで、他所のセレタのいろんな話を聞かせてもらう。おとうさんたちにはいろんなセレタの人がいるけれど、沼の端のセレタとうちのセレタは、森の東と西に離れているのに、昔から、なんでか特に縁が深いの。きっと血筋の相性が良いのね。

 私とアリンの恋の季節が、ゆっくりと過ぎてゆく。
 花の咲き乱れる草地や、柔らかな苔に覆われた気持ちのよい窪地や、素敵な風が吹く木の上で、私たちは、夏の間中、気が向くままに戯れあい、抱きあい、愛しあった。大きな木の枝に並んで腰掛けてふざけあっているうちに、二人で抱きあったまま落ちそうになって、なんとか掴んだ蔓にぶら下がって揺れながら大笑いしたこともあったわ。
 ああ、なんて楽しいの、何もかもがなんて素敵なの!
 アリンが好き、アリンが好き、アリンが大好き、他のことは何も考えない、何もしない、ただ恋をすること、愛しあうことだけがお仕事の、最高に素敵な季節。

 食べ物だって、冬の蓄えのことを考えなくていいから、いつでもお腹が空いたときに自分たちがそのとき食べる分だけの果実でも摘んで食べればいいの。
 夏の森は食べ物でいっぱい。野いちごや夏葡萄はいくらでも熟れているし、甘くて良い香りのする花びらや柔らかな草の芽や葉っぱも食べられるし、地面をちょっと掘れば栄養たっぷりの球根も採れるし、まるまる太った美味しい幼虫もいる。たまには小鳥の卵を少しだけ分けてもらうこともある。
 ときどきは、アリンが、セレタから持ってきた弓矢で、少しだけ狩りをする。でも、それは、本当は肉が食べたいからじゃなくて、きっと私に自分が弓が上手いってことを見せてくれたり私に狩りの獲物をプレゼントしてくれたいからだと思う。
 恋の季節には、私たちは、あまりたくさんは物を食べないの。いつも恋人が恋しい気持ちで胸がいっぱいで、食べ物が入る場所がないから。特に肉は、あんまり欲しくならない。ほんの少しの果実や花の蜜だけで生きていられるの。

 だから、野いちごを摘みながらでもすぐにお腹がいっぱいになって、そうするとアリンとふざけあいたくなって、私はくすくす笑いながら野いちごを指でアリンの唇に押し込む。お返しにアリンも私の口に野いちごを押し付けてくるから、私はいじわるして、わざと口をぎゅっと結んでみる。唇の上で野いちごが潰れて、私の唇が赤く染まる。アリンの指先も赤く染まる。私は小さく口を開いて、潰れかけた野いちごを口の中に受け入れ、ついでに赤く染まったアリンの指先を咥えてみる。アリンは笑いながら指を引っ込めて、今度は野いちごを自分の唇に挟んで、そのまま私にくちづける。口移しに受け取った野いちごを飲み込んで、それから、甘酸っぱい果汁で染まった唇で、私たちは何度もくちづけを交わす。ああ、アリンの唇は甘い、甘い、甘いわ!
 唇を離して、くすくす笑いあいながら、私は指先でアリンの唇をなぞる。それから滑らかな頬に指を滑らせる。

 外の世界の人たちは、大人になると男の人にだけ顔に毛が生えるんだって。髭っていうんだって。でも、私たちには、男の人にも髭なんか無い。それが、外の人たちに私たちの男と女の見分けがつかない理由の一つらしいわ。
 私たちは全身を毛皮に覆われている赤ちゃんの頃でも顔にだけは毛が無いのに、外の人たちは、生まれた時から丸裸なのになぜか大人になると顔にだけ毛が生えてくるだなんて、しかも男の人にだけだなんて、なんて変なんだろう。なんておかしいんだろう。顔にもじゃもじゃと毛が生えていたりしたら、大好きな人の素敵な顔が、よく見えないじゃないの。唇が隠れてしまって、くちづけが出来ないじゃないの。
 私たちには髭がなくて良かった。おかげで、アリンの綺麗な顔が全部よく見える。柔らかな唇の素敵な形も、よく見える。頬と頬をぴったりあわせて頬ずりもできる。
 私はアリンの唇の形が大好き。滑らかなほっぺたも大好き。私のアリンは、どこもかしこも、とっても綺麗!

 私たちには男の人も髭が生えないけど、そのかわり、アリンには、首の後ろから背筋にかけて、森狼のたてがみみたいに強い毛が一筋つながって生えているの。こういうのを狼毛といって、狩りが上手い男の印だと言われているから、男の子たちはみんな、狼毛にあこがれている。これが生えてると男らしくてかっこいいんだって言って。アリンも、とても自慢みたい。
 私もアリンの狼毛は好きよ。抱きあっているときに、アリンの首筋の毛を撫で下ろすのが好き。逆撫でするとむずむずするって、身を捩って逃げようとするから面白くて、ときどきわざとふいに逆撫でして遊ぶの。アリンは笑いながら、怒るふりをするわ。そうして、仕返しに、私の尖った耳の先をかぷっと齧ったりする。私はくすぐったくて、耳をぱたぱたさせて笑ってしまう。
 アリンには背筋に毛皮が残ってるけど、私は、耳が柔らかな短い毛で覆われているの。こういう耳は寒さに強くて凍傷になりにくいから便利だと言って、みんな羨ましがるわ。それに見た目が可愛いし、アリンは手触りが良くて気持ちいいって。私のこの耳が大好きだって。
 私も、自分のこの耳が大好き。尻尾が取れたばかりの小さい頃は身体のどこかに毛皮の名残が残っていた子も、もっと大きくなるとそれも消えてしまうことがあるから、私は小さい頃からいつも、大きくなってもこの毛がずっと消えないでくれるといいと思ってた。その通りになって良かったわ。

 外の人たちには、私たちの男女の別だけじゃなく、年もよくわからないんだって。みんな同じように若く見えるって。
 確かに私たちは、外の人より育つのがゆっくりだし、髪が白くなったり顔が皺だらけになるほど年寄りになるまで生きる人はとても少ないから、外の人が私たちのすごく年取った姿を見ることは、あまり無いかもしれない。
 そう、私たちのほとんどは、何度かの恋の季節を過ごして何人かの赤ちゃんを産んだ後は、まだそんなに年を取らないうちに、たいした理由もなく自然に死んでしまうの。たいていは、特に前触れもないまま、ある朝気がつくと寝床の中で冷たくなっている。
 私たちは、森に生きる動物たちの中でも、特に弱い生き物なのかもしれない。動物たちは病気や怪我や他の動物に食べられて死ぬけど、私たちは、何も理由がなくても、すぐに自然に死ぬから。年寄りになるまで生きられる人は、本当に、ほんの少し。

 でも、それはしかたないでしょう?
 だって、私たちは森に特別に守られていて、他の獣に食べられて数が減るということが無いし、病気や怪我に効く薬草も持っているし、安全な家や暖かい服や森の贈り物でいっぱいの食料庫があって寒さや飢えで死ぬこともないのに、新しい赤ちゃんがどんどん生まれてくるんだもの。
 赤ちゃんが生まれるばっかりで先に生まれた大人が死ななければ、私たちは数が増えすぎて、すぐにセレタに入り切れなくなってしまうわ。森が養える私たちの数は、決まっているの。昔から、ずっと同じに。

 それに私たちは、死んでも、居なくならないもの。
 私たちは、死んだら木になって、私たちを育くんでくれた森の一部になって、自分のセレタを、ずっとずっと見守るの。セレタの仲間たちを愛し、見守って、葉っぱで雨風から守ったり果実で養ったりして、セレタの仲間たちから愛され敬われ感謝されて、毎日を一緒にすごすの。
 だから、死ぬことは、居なくなることではないの。ただ、姿が変わるだけよ。
 私たちのセレタでは毎年誰かが死んで木になるけれど、それはもちろん少し寂しいことではあるけれど、けっして悲しいことではないの。ただ、しかたがないことなの。

 そんなわけで、外の人たちに私たちがみんな若く見えるのには理由がないわけじゃないけど、でも、私たち同士の間では、まだ顔に皺が無くても、初めての恋の季節を迎えたばかりの年頃と、何人もの子供や孫がいる年の人は、もちろんまったく違って見える。
 私とアリンは、二人ともが初めての恋の季節で良かったわ。恋の季節が、長く続くから。
 二度目から先の恋の季節は、最初の短い間は恋に夢中になっても、そのうちに、他の女の人たちに面倒を見てもらっている自分の子供のことやセレタでの日々の仕事のことが気になってきて、そうするとなんだか気が散ってしまって、恋の季節が早く終わってしまうの。もし自分が初めての恋でも相手がそうでなければ、相手の心がそんなふうにときどきふと自分から逸れるのを心と身体が感じ取ってしまうから、自分の心も自然と早くに冷めてしまうんだって。
 だけど二人ともが初めての恋なら、恋の季節は、夏の間じゅう続く。それは、二人ともまだ身体が大人になりきっていなくて赤ちゃんができるのに時間がかかることが多いからという森の配慮だともいわれているの。

 それでもやがて、熱に浮かされたように過ごした夏も終わりに近づいて、夕方には木の上を渡る風が少し冷たくなりはじめているのにふと気づいた頃、私たちは、ふいに、自分のセレタが恋しくなりはじめる。アリンを好きな気持ちは変わらないけれど、アリンと抱きあってさえいれば他には何もいらなかった、お互いの他は何も目に入らなかった、そんな夢中な気持ちはゆっくりと遠のいて、長い夢から覚めたみたいに、セレタの自分の寝床や炊事の煙、小さな子供たちの騒ぐ声やおばさんたちの賑やかなおしゃべり、おかあさんのこと、エーレンカの香りのする小さなふわふわの弟のこと、普段はみんなまとめてきょうだいと呼んでいる大勢のいとこやまたいとこたちのこと、冬に向かうセレタの日々の仕事のあれこれのこと、いろんなことが、なんとなく思い出されてくる。
 それは、恋の季節が終わる兆し。
 そして、私のおなかの中にはもう、私とアリンの大事な赤ちゃんが入っている。きっと最高に可愛いはずの、愛しい愛しい赤ちゃんが。来年の春には、セレタの赤ちゃん部屋をお日様が昇ったみたいにぱっと明るく賑やかにしてくれるはずの、セレタの宝物が。

 でも、まだすぐにはアリンと離れがたくて、私たちは恋の季節の最後の数日を、たっぷりと名残りを惜しみあって過ごす。
 少し寂しく、でも満ち足りた幸せな気持ちで、肌寒くなってきた夜に木の洞で寄り添って互いの身体を温めあいながら、ふたりでお互いのセレタのことを語りあう。自分のセレタがどんなに素敵なところか、お互いに自慢しあううちに、二人とも、ますますセレタが恋しくなる。セレタの炉のぬくもりが恋しくなる。
 お腹の中に赤ちゃんを抱いて暖かくて安全な地面の下の冬の家でぬくぬくと過ごす穏やかな日々を、私はアリンの腕の中で心楽しく思い描く。
 長い冬ごもりの間は、男の人たちがときどき狩りに出たり、冬中に何度か、穏やかな天気の日を選んで気晴らしを兼ねた食料集めに行くほかは、みんなたっぷりと眠り、起きている時は暖炉の部屋に集まって、物語を語ったり聞いたり、おしゃべりをしながらいろんな細かい作業をしたりして、ゆっくりと過ごすの。
 お腹に赤ちゃんがいる女の人は、冬のセレタの女王様よ。年取ったおばあちゃんやおじいちゃんたちと一緒に暖炉のいちばん近くに座らせてもらって、みんなでよってたかって寒くないか気にかけてくれたり栄養のある食べ物を持ってきてくれたりと大事にしてくれる。初めての赤ちゃんならなおのこと、みんなが気にかけて、特別優しくしてくれる。
 ぬくぬくと安全な冬の家でお腹の中の赤ちゃんを大きく育てた私は、たぶん春が近づく頃に元気な赤ちゃんを産む。優しいおばさんたちや姉さんたちに世話されて、頼もしいおじさんたちや兄さんたちに守られて、何一つ心配せずに、きっところころと太った、ふわふわの毛皮に包まれた赤ちゃんを産む。
 私の産毛は金茶色だったけれど、アリンの狼毛は灰色がかった焦げ茶色だったから、赤ちゃんの産毛の色はどっちに似るのか楽しみね。
 赤ちゃんを産んだら、私はもう、子供じゃない。一人前のセレタの女よ。
 そうしてやがて雪が溶けて、赤ちゃんが私に抱かれて生まれて初めて光眩しい地上に出る頃には、ひと冬分大人になったアリンが、早咲きの花束とたくさんの贈り物を持って、赤ちゃんと私に会いに来てくれるの。

「俺、これから秋が終わるまでに、きっと、もっともっと狩りが上手くなって、春には君と俺たちの赤ちゃんに狩りの獲物をいっぱい届けられるようになるよ。君がセレタの姉妹たちに俺のことを思いっきり自慢できるくらいに。楽しみにしていてね、愛しいリリ。帰ったら、また、おじさんたちや兄さんたちと一緒に狩りをして、どんどんいろんなことを教わるんだ。それに、シリン兄さんが、帰ってきたらもう大人だからもっと立派な大人用の弓を作ってくれるって約束してくれてるんだよ。シリン兄さんの作った弓は素晴らしいんだ! あの弓が引けるようになれば、鹿だって射止められるさ!」
 私を胸に抱き寄せながらわくわくと狩りのことを語るアリンの心は、きっともう、半分はセレタに帰って、おじさんや兄さんたちと想像の中で狩りをしている。狩りの栄光を思い描いて、夢中になってる。
 アリンはきっと、立派な狩人になるわ。今だってもう弓が上手いし、身体がしなやかですばしこいし、こんなに狩りが好きならしいんだもの。
「立派な狩人になったあなたが訪ねてきてくれる日を楽しみに待ってるわ」
 そう言って私は、大好きなアリンの頬にくちづける。

 それから私たちは、何度も何度もくちづけを交わし、ひとたび恋の季節を共にしたもの同士の穏やかで確かな一生の絆を約束して、それぞれのセレタに帰る。優しい家族たちが待つ、懐かしい我が家に帰る。
 ああ、私の初めての恋の季節は、何もかもが素敵、最初から最後まで何一つ欠けることなく、なにからなにまで最高に素敵。
 姉さんたちがいつも私に言ってたわ、恋をするのは素敵なことよって。私も今はもう知ってる。恋をするのは素敵、素敵、素敵、世界でいちばん素敵よ!
 セレタに戻ったら、私も妹たちに話してあげよう。教えてあげよう。恋をするのがどんなに素敵なことかって。

『おとうさんが来る日』

 今日は、ぼくのおとうさんが、ぼくたちのセレタに来る。 
 昨日、おかあさんのところに言付け鳥が来たんだ。言付け鳥は葉っぱを一枚くわえていて、それは沼の回りにしか生えない草の葉っぱだった。だから、沼の端のセレタに住んでるぼくのおとうさんからの言付けだってわかった。
 葉っぱの端っこに二つ切れ目が入れてあって、それは、『明日行くよ』っていう印。
 おかあさんは小鳥にお礼の草の実を上げて、『待ってます』って印のお花を返事に持ってってもらったよ。

 それからはもう、ぼくもおかあさんも、嬉しくて嬉しくて大騒ぎさ。
 おかあさんは恋の季節の最初の朝の女の子みたいにそわそわして、おとうさんに食べさせるお菓子を焼き始めた。もちろん、おとうさんの分だけじゃなくセレタのみんなで一緒に食べる分も焼くから、おばさんたちや姉さんたちが大勢炊事場に集まって、みんなでわいわいおしゃべりしながら山のようにお菓子や料理を作ってる。
 でも、おとうさんにあげる分は、おかあさんが全部一人で形を作って、一番上手に出来たのを他の人たちのとは別に大事に取り分けてるんだよ。ぼく、見たんだ。
 おばさんたちが、そんなおかあさんをからかってたよ。

 おかあさんたちが料理をしている間に、おじさんたち、兄さんたちは、はりきって狩りに行った。
「いっぱい獲物を取ってきてね」って見送りに出たおかあさんに、
「もちろんさ! 愛しい妹の大事な背の君が訪ねてくるのに狩りの獲物でもてなせないなんて言ったら俺たちの名折れだ!」って叫んで、背高のっぽのレッキおじさんがおかあさんの頭のてっぺんに口づけして、みんなで手を振りながら出かけていった。
 ぼくも早くおじさんたちと狩りに行けるようになりたいな。

 ぼくはセレタ中を走りまわって、きょうだいたちみんなに、明日ぼくのおとうさんが来るんだって言いふらして回った。
 きょうだいたちもみんな大喜びだ。
 だって、誰かのおとうさんが訪ねて来る日のセレタは、いつだって楽しいお祭り騒ぎだもの。
 おとうさんたちはみんな素敵なおみやげを持ってきてくれて、珍しい食べ物が分けてもらえることもあるし、セレタではおとうさんたちをごちそうでもてなすから、みんなも一緒にごちそうが食べられるし、よそのセレタの珍しい話も聞ける。みんなでご馳走を食べながら、おしゃべりしたり歌ったり踊ったり、それは楽しいんだ!

 だからぼくも、誰のおとうさんが来る日でも嬉しいけど、でも、やっぱり、ぼくのおとうさんが来る日は特別に嬉しい。
 ぼくのおとうさんは、強くて狩りが上手くて首筋に立派な狼毛があって、すごくカッコいいんだ!
 おとうさんが自分で狩った立派な獲物を持ってきてくれるのが、ぼくはすごく得意で、いつもみんなに自慢してる。

 でも、妹のリアの前では、ぼくはその自慢はしないようにしているんだ。
 リアは、ぼくとおかあさんが同じな妹なんだけど、リアのおとうさんは足が悪くて狩りが出来ないんだって。だから、おかあさんのところに訪ねてくる時も、自分で狩った獲物は持ってこられないんだ。
 でも、リアのおとうさんは手先が器用で、いろんな便利な道具やきれいな細工物を作れるし、優しくて親切で、女の人たちが炊事場で使う道具をいろいろ作ってあげたり、女の人たちの仕事を気軽に手伝ったりするから、自分のセレタの女の人たちにとても好かれていて、だからリアのおとうさんがうちのセレタを訪ねると言えば、女の人たちがみんなして、自分たちが作ったお菓子や織物をどんどん持たせてくれるんだって。だから、リアのおとうさんも、狩りは出来なくても、素敵な贈り物を山ほど持ってくることが出来る。うちのセレタの女の人たちはみんな、リアのおとうさんが来るのを、特別楽しみにしているんだ。だって、狩りの獲物は一緒に食べたらなくなってしまうけど、リアのおとうさんが作ってきてくれた便利な道具は、みんなでずっと使えるものね。
 ぼくもリアのおとうさんが好きだよ。優しいし、冗談が好きで話がおもしろいし、目の前で素敵な玩具を作ってくれたりするもの。
 おかあさんももちろん、リアのおとうさんが大好きだ。ぼくのおとうさんが来た時は一緒に飛び跳ね踊りを踊ったりするおかあさんも、リアのおとうさんが来たときは、静かにそばに座って、じっと手を握って微笑みあったりしてる。ぼくは笑いながら飛び跳ねて踊ってるおかあさんも好きだけど、たまには静かに座って優しく微笑んでいるおかあさんを見るのも好きだよ。

 だから、リアの前では、ぼくのおとうさんが狩りが上手いっていう自慢はしないけど、でも、ぼくはやっぱり、狩りが得意なぼくのおとうさんは男らしくて誰よりもカッコいいと思う。ぼくもいつか、おとうさんみたいになりたいんだ。

 おとうさんの姿をうっとりと思い描きながら、おかあさんたちがお料理しているところを見物してたら、おばさんに、ちょっと行ってオッテの木の実をもらってきてちょうだいって頼まれた。
 ぼくはセレタのはずれのオッテおじさんの木まで駆けて行って、よく熟した実を枝から分けてもらった。
 それから、オッテおじさんが人の姿だった頃にいつもしていたみたいに、オッテおじさんの木の幹に抱きついて、お礼を言った。
 ぼくたちはみんな、ふとっちょのオッテおじさんの、腕が回りきらないほど大きなぽよぽよのお腹に抱きつくのが大好きだったんだ。温かくて柔らかくて気持ちがいいんだもの。
 木になったオッテおじさんの幹は硬くて、人だった頃のおじさんのお腹みたいにぽよぽよじゃないけど、なんだか少し温かいみたいな気がした。頭の上から、大好きなおじさんの「いっぱいお食べ」っていう優しい声が聞こえたような気がした。

 人だった頃、オッテおじさんは食いしん坊で、ふとっちょだったから木登りや狩りは苦手だったけど、森からおいしい木の実や果物を探してくるのが、すごく 上手だった。森のどこかから、誰も見つけたことがないほど立派な果物や珍しい木の実を、どうやってだか、うまく見つけてくるんだ。みんな、誰にも真似の出 来ないオッテだけの才能ねって褒めていた。オッテはおいしいものの成る木たちに特別に愛されているのねって。
 そんなオッテおじさんは、去年の秋に死んだ後、今まで誰も見たことがない種類の、今まで一度も食べたことがないほどおいしい実がなる、不思議な果物の木になった。
 みんな、その、新しい種類の果物を、『オッテの実』と呼んでいる。うちのセレタにしかない、特別の果物。甘くて酸っぱくて、みずみずしい果汁がたっぷりで、ものすごく、ものすごくおいしいんだ!
 だから、セレタにお客さんが来た時には、必ず食べさせてあげるんだ。夕焼けが消えたすぐ後の空みたいな不思議な青紫色の、とても綺麗でずっしり重い大きな実なんだよ。

 普通の木は、芽が出てから大きく育つまでにとても時間がかかるけど、人が死んだ後になった木は、芽を出した後、その人が人の姿で生きた年月の分までは、すぐにぐんぐん大きくなって、それから後は普通の木と同じようにゆっくり大きくなる。
 だから、オッテおじさんの木も、芽を出してからほんの数日で人の背丈より高く伸びたけど、その後、その年の秋のうちにもうたくさんの実を鈴なりつけたのには、みんな驚いた。
 オッテは食いしん坊だから何でもすぐに食べたがったわよねって、みんな笑った。お料理がまだ出来てないのに横から手を出そうとして叱られたりしてたわねって。だから、こんなに早く実を成らせたのねって。
 オッテおじさんは、ぼくたちに、なるべく早くおいしい実を食べさせてくれたかったんだね。
 おじさんは、食いしん坊だったけど、自分が見つけてきた特別おいしい果物を、一人で食べたりは絶対にしなかったよ。いつも、みんなにどんどん分けてくれ た。特に、ぼくたち子供には気前よく分けてくれた。自分がおいしいものを食べるのが好きなだけじゃなく、自分が見つけてきたおいしいものをみんなが喜んで 食べるのを見るのが好きだったんだ。見つけた果物が少なくて全員に分けられないと、とても残念がったっけ。
 きっと、だからオッテおじさんの木は、すごくいっぱい実が成るんだね。しかも夏から秋の間じゅう、取っても取っても次々と実るんだね。ちゃんとみんながいっぱい食べられるように。

 ぼくも、死んだ後は、オッテの実のなる木になりたいな。
 そして、みんなにおいしい実を、どんどん食べさせてあげるんだ。
 妹のリアや弟のリトや、きっとこれからも生まれてくる小さなセレタの弟たち妹たちみんなに。それから、その妹たちが大きくなって産む子供たちや、そのまた子供たちみんなにも。

 誰かが死んで木になる時は、たいてい、みんながよく知ってる、セレタの回りにいっぱい生えてるような種類の木になる。男の人ならゼガーとか、女の人ならエーレンカとかレッカとかになる人が多い。
 尻尾が取れる前の赤ちゃんだったら、必ず『赤ちゃんの木』になる。
 『赤ちゃんの木』は、育ちきってもよちよち歩きの子の背丈くらいまでしかならない小さな木で、顔を近づけてよくよく見ないと形が分からないほど小さな小 さなあぶくみたいな白い花と、まるで赤ちゃんの尻尾みたいな、細長くてもこもこした可愛い金茶色の穂を、春から秋までいつも両方つけている。一年目の若い 枝の先は柔らかな産毛の生えた薄皮で覆われていて、秋の終りに剥がれ落ちたその薄皮は、赤ちゃんの夜泣きによく効く薬になるんだ。
 小さいままで死んだ姉さんや兄さんたちが夢の中で妹たち弟たちをあやしてくれているんだって、一緒に遊んでくれているんだって、だから赤ちゃんたちが怖い夢を見て泣かなくなるんだって、おかあさんたちは言う。
 夜泣きをしない年になっても、セレタの小さい子たちは、『赤ちゃんの木』の樹皮を入れた小袋をお守りにして身につけるんだ。小さな姉さんたち、兄さんた ちが、妹たち弟たちを守ってくれるように。それから、走り回って遊ぶことがないまま木になってしまった赤ちゃんたちが、人の姿の妹や弟と一緒に、セレタの 中を走りまわって楽しく遊べるように。

 そんなふうに、死んだ人がどんな木になるかは、だいたいわかっているんだけど、でも、ときどきは、みんなが思っていたのとは違う木や、ちょっと珍しい種類の木になる人もいるし、オッテおじさんみたいに誰も見たことのない新しい種類の木になる人もいる。

 ぼくが生まれる前のことだけれど、オッテおじさんの前にも、ルシルおばさんという人が、誰も見たことのない木になったんだって。お料理が得意で大好きな 女の人で、特に、自分で新しいお菓子を考えて作るのが大好きだったんだって。その人は、誰も見たことのない、ほっそりとした綺麗な木になったんだけど、そ の木の樹皮はとても良い匂いがして、乾かした樹皮を細かく砕いてお菓子に入れてみると、甘い香りと少しぴりっとした風味がついて、すごくおいしかったん だ。
 こうして、うちのセレタにしかない新しいお菓子が生まれたんだよ。そのおばさんが生きていたら、きっと自分が作りたかったに違いないような、とびきりおいしいお菓子が。
 みんな、その木を『ルシルの木』、樹皮で香りをつけたお菓子を『ルシルおばさんのお菓子』って呼んでいる。うちのセレタの自慢のお菓子だ。
 それから後、お菓子を食べるのや作のが大好きな女の人たちが、何人もルシルの木になった。それまで、誰も知らない木だったのに。
 今ではルシルの樹皮がセレタの中だけじゃ使いきれないほどいっぱい取れるから、おとうさんたちがよそのセレタに行く時におみやげに持っていくこともできるし、〈平地の民〉との交易で、お菓子作りに使う穀物と取りかえっこもしてるんだ。ぼくたちは穀物を作らないからね。

 そんなわけで、一度誰かがなったことがある木は、その時には初めて見た木でも、後から別の人もなるようになる。
 だから、ぼくも、今まで誰も知らない木だったオッテの木に、なれるんじゃないかな。ずっとなりたいって思っていれば。

 今回、ぼくのおとうさんのためにも、もちろんルシルおばさんのお菓子を用意したよ。うちのセレタを訪ねてくれた人には、かならずこれを食べさせなくちゃ!
 ぼくたちは普段は木の実の粉や草の根の粉を食べていて、穀物はあまり食べないけど、特別なごちそうを作る時には、穀物を使うんだ。

 オッテの実を籠に盛って、ルシルおばさんのお菓子を焼いて、おじさんたちが仕留めてきた狩りの獲物も料理して、すっかり準備が出来た頃、おとうさんがやってきた。
 おかあさんは髪に花を飾って、おとうさんのところまで駆けていって飛びついたよ。おとうさんが母屋まで歩いてくるのが待ちきれなかったんだ。おとうさん は、いっぱい持ってきたおみやげはセレタの外れで行きあったおじさんたちにもう渡してあったけど、おかあさんにあげる花束だけはまだ手に持っていたから、 慌てて花束を投げ捨てておかあさんを受け止めた。傍にいたレッキおじさんが飛んできた花束を空中で受け止めて笑っていたよ。
 ぼくも待ちきれなくて、おとうさんに駆け寄った。おとうさんはおかあさんを抱きしめた後、笑いながらぼくを抱き上げて肩に載せてくれた。
 おとうさんからのおみやげを高々と掲げたおじさんたち、受け取り直した花束を抱えたおかあさんと一緒に、おとうさんの肩に乗って意気揚々と母屋に戻る。
 どうだ、ぼくのおとうさんはカッコいいだろう! それに、すごいだろう、素晴らしい贈り物をこんなにたくさん持ってきてくれたんだよ! ああ、ぼくのおとうさんは最高だ、森一番だ!

 それからみんなでおとうさんと一緒にごちそうを食べて、大人の人たちは木イチゴのお酒を飲んで、みんなで楽しく過ごしたんだ。おとうさんからもらった花 を溢れるほどたくさん髪に飾ったおかあさんは、ずっととびきり楽しそうに笑ってて、明るく輝く花ざかりのマリリカの木のようだった。ああ、ぼくのおかあさ んは、なんてきれいなんだろう。ぜったいに森一番の美人だぞ!

 いっしょにご飯を食べたりおしゃべりしてる間、おかあさんは、まるでよちよち歩きの赤ちゃんがおかあさんにまとわりつくみたいに、ずっとおとうさんにぴったりくっついて、幸せそうだった。
 ごちそうの後には、おとうさんとおかあさんが一緒に飛び跳ね踊りを踊った。息を切らして笑いながら、向い合って飛び跳ねたり、抱きあってはまた離れたり。
 みんな笑いながら、一緒に踊る。ぼくも妹のリアと向き合って一緒に踊ったよ。
 おとうさんがおかあさんを抱えあげてぐるぐる回れば、おかあさんの髪から花がこぼれる。おかあさんは踊りながら声を上げて笑う。笑い声が、髪からこぼれる花びらみたいに、周りじゅうにはじけ散る。
 ほっぺたを薔薇色に火照らせ、瞳をきらきら輝かせて踊るおかあさんがあんまりきれいだったから、戻ってきたおかあさんに、おばさんたちが言っていた。
「まあ、リリったら、まるで恋の季節の女の子のようだわ。もしかすると、もう一度、恋の季節が来るんじゃない?」
「そうよ、もう一度、アリンと恋の季節を迎えるんじゃない?」
「同じ人と二回恋の季節を迎えることは、そんなに珍しいことじゃないしね」
「そんなわけないわ!」と、おかあさんが笑う。「私はもう三度も恋の季節を迎えたし、子供たちは三人とも元気に育っているんだもの、私には恋の季節はもう来ないわよ!」
 おばさんたちはおかあさんの肩に肩をぶつけたり、おかあさんの腕を指でつついたりしながら、くすくす笑いあう。
「あら、わからないわよ。恋の季節を五回迎えた人だっているんだから。ねえ?」

 ほんとかな、おかあさんに、また恋の季節が来るのかな?
 そうなったら嬉しいな。だって、そうしたら、ぼくにまた弟か妹が生まれるんだもの!




 おとうさんの住む沼の背のセレタは遠いから、おとうさんはうちのセレタに一晩泊まっていくことになった。
 ぼくはおとうさんを、木の上の自分の寝小屋に泊めてあげた。
 自分で作った自分の小屋におとうさんを泊めてあげられて、ぼくはすごく得意だった。
 だって、去年の夏の小屋は、作るときに兄さんたちに少し手伝ってもらったけど、今年の小屋は全部自分一人で作ったんだもの。その小屋におとうさんを泊めてあげられるなんて、とっても嬉しい!
 おとうさんはぼくの小屋を、いっぱい褒めてくれたよ。
 そうしてぼくは、おとうさんの隣で寝たんだ。この部屋を作るのにどんなにがんばったかとか、もうすぐおじさんたちに狩りに連れて行ってもらえることと か、おとうさんみたいに狩りのうまい男になりたいと思ってるってこととか、もう弓矢の練習をしているってこととか、今日食べたお菓子のこととか、おかあさ んがどんなにきれいかってこととか、いっぱいいっぱいおしゃべりしながら。すごく楽しかった。

 それなのに、朝起きたら、おとうさんは隣にいなかった。
 沼の端のセレタは遠いから、早起きしてもう帰っちゃったのかな。ぼくも寝坊しないで、もっと早く起きればよかった。でも、ゆうべはおとうさんと一緒なのが嬉しくて嬉しくて、遅くまでおしゃべりしていて、なかなか寝られなかったんだもの。
 そんなふうに、ちょっと残念に思いながら縄を伝い降りて朝ごはんを食べに母屋に行ったら、おかあさんもいなくて、おばさんたちがぼくに笑って教えてくれたんだ。
「おかあさんはね、今朝早く、おとうさんと一緒に森へ行ったわ」
「おかあさんとおとうさんは、今朝、ふたり同時に恋の季節を迎えたの」
「こんなことは滅多にない、特別素敵なことなのよ。ふたり別々に自分のセレタを発って恋人の泉まで行くんじゃなくて、おなじセレタから手を取り合って恋人の泉に向かうなんて!」
「ほんとにねえ。なんて運がいいのかしら。なんて素敵な偶然かしら」

 びっくりしすぎて声も出ないぼくに、おばさんたちが優しく言った。
「そんなわけで、おかあさんはしばらくいないけど、あなたはもう大きいもの、さびしくないわよね」
「それに、おかあさんは、今回はたぶん早めに帰ってくるわよ。だって、リアやリトがまだ小さいもの」
「おかあさんが帰ってくる時には、あなたに弟か妹が増えているのよ。楽しみね」

 やったあ! ぼくに、おとうさんが同じ弟か妹ができるんだ!
 おとうさんが違う妹のリアや弟のリトも大好きだし、普段はいっしょくたに弟とか妹とか呼んでいる、おかあさんの違う小さい子たちもみんな可愛いけど、お とうさんとおかあさんが両方同じな弟や妹がいる子なんて滅多にいないから、なんだかすごく特別な感じ。そんな特別な弟か妹を持つなんて、想像しただけで得 意な気分になってくる。嬉しい気分になってくる。
 ぼくはその子を、うんと可愛がるよ。
 弟かな、妹かな。
 弟だったら、どんぐりの独楽を作ってあげよう。妹だったら、毎日髪に飾る花を摘んできてあげよう。そして毎日いっしょに遊んであげよう。おいしい木の実を見つけたら必ず分けてあげよう。ああ、新しい赤ちゃんが来る日が、とっても楽しみだ!


読者登録

冬木洋子さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について