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立ち読みの帝王

 すごい男だと思った。
 1ページ、2ページと読み進むうちに、小学生だった僕は本の中に引き込まれていった。主人公に魅了され、ストーリーを夢中で追った。

  その頃はまだ、本屋さんでマンガの立ち読みができた。
 棚にはたくさんのコミックが並んでいたが、ビニールをかけられたものはなかった。
「立ち読みはご遠慮ください」と赤いマジックで注意書きされた模造紙の切れ端が、無造作に画鋲で貼り付けられた棚のその前で、子どもの僕は、お構いなしに本を抜き出しては読みふけっていた。
 僕だけではない。マンガコーナーは、子どもたちでいつも大にぎわいだった。

 黒縁のロイド眼鏡をかけた細身の男の店員さんが、立ち読みをしている僕の周りに何度か来た。店員さんは、カタカタと本を抜き差しして棚を整理する。右によけ、左にまわり、多少の罪悪感を感じながらも、僕は立ち読みをやめることができなかった。
 そしてついに店員さんの手が、僕が読んでいるタイトルにかかった。一冊一冊確かめながら、順序を整えて本を並べ直していく。
 そうなってしまうと、さすがに立ち読みを続けることは出来ず、未練をのこしながらも僕はマンガコーナーから立ち去るしかなかった。
 その日、何巻まで読んだだろうか、一緒に来た友だちの達也くんはとっくに帰ってしまったし、本屋の外に出るとあたりはすでにうす暗くなっていた。

 自転車で夜道を帰りながら僕は、自分がまるで違う自分に変わっていることがわかった。脚にはペダルをこぐ力がみなぎり、タイヤをこする発電機がヴゥーンとうなると、ライトがひときわ明るく輝いた。自分ばかりではない、友だちの達也くんも今までにまして勇気がある男に思えた。それに、なぜか二人の絆も前より太くなった気がした。
 強い心をもち、信頼しあう仲間に囲まれたマンガの主人公、戸川万吉に、僕はなりきっていたのだ。

 夢中で読んだタイトルは、本宮ひろ志先生の『男一匹ガキ大将』だった。僕は、翌日も、その次の日も本屋さんに通い、店員さんの目を盗んで立ち読みを続けた。全20巻もあり、親にねだるには高額だったし、何よりも早く先まで読みたくて仕方なかった。そしてそうやって全巻読み終えた僕を、友だちは敬意と揶揄をこめて「立ち読みの帝王」と呼んだ。
 たとえエンターテイメントの架空の世界の人物でも、人として、生き方として大きな影響を与えることはある。人間としてまだ経験の乏しい少年に対してはなおさらだ。
 もちろん、どんな作品でも夢中になれるはずはない。帝王と称されたとはいえ、後にも先にも立ち読みで一気に読み通したマンガはそれ以外にない。

 後日談。
 ブロードバンドが日本に普及する黎明期、ゲーム、音楽と並んでマンガがキラーコンテンツの一つとして注目された。インターネットが先行してブロードバンド化した韓国では、大手ポータルサイトがマンガに力をいれ、集客数を競っていた。
 僕はインターネットのWebサービスを作る仕事をしていた。当時、日本の大手出版社は富士ゼロックスと組んでマンガの配信を試みてはいたが、本格的とはいいがたかった。
 業界の重い扉を開くには、誰かが動く必要があった。過去の作品ではなく、無名の作品でもない。今、雑誌に連載されている人気作品を、ネットで配信する革新的な試みが必要だった。
 本宮先生は、真っ先に作品をネットで配信した作家の一人だった。

 僕は大手ポータルサイトのエンターテインメント企画担当者として、快諾いただいたマンガ特集に掲載するインタビューを収録するため、千葉の事務所に本宮先生を訪ねた。その時知ったのだが、本宮先生は原画を手元におかずに他人に分けてしまうということだった。
 何と外連味のない態度であろうか。だからこそ、因習にとらわれずに前へ前へと進むことができるのだ。
 写真撮影でカメラのレノンズに映る本宮先生の瞳は、戸川万吉のそれとまったく同じで澄みきっていた。

 これは余談。
 忍んで持ち込んだ文庫版の『男一匹ガキ大将』に、図々しくサインをねだると、先生は丁寧にキャラクターまで描いてくださった。このサイン本が僕の宝物の一つになったことは言うまでもない。

奥付



立ち読みの帝王


http://p.booklog.jp/book/47035
発行日 2012.3.23

著者 : 佐古俊夫
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/sako04/profile
(c) 2012 Toshio Sako

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