閉じる


 毎年夏ともなると、歌舞伎町の路上には夜通したむろする若者たちの姿が目立ち始める。中にはギターを抱え、数年前に亡くなった「若者のカリスマ」ともてはやされた歌手のへたくそなコピーを熱唱するものもいて、浮かない顔でそれに聞き入る聴衆が車座を作っているのをよく見かけた。
 俺自身、学生時代には盗んだバイクで走り回ったりピンボールのハイスコアを競い合うこともあったが、どうにもこの歌手の唄を好きになることが出来ず、彼らにシンパシーを感じることもほとんどなかった。
「毎日毎日、飽きずによくやるよ」
 胸の内で悪態をつきながらギター青年を中心とした車座をよけて自分の店と"P"との往復を繰り返す。というのが日常だった。
 とある木曜日の夜、12時を過ぎて自分の店の閉店業務を終え、店長ら他のスタッフと連れだって店を出ようとするタイミングで2階にある事務所の電話が鳴り響いた。
 出来れば無視をしてそのまま帰ってしまいたかったが、俺の願いもむなしく店長が受話器を取ると、手招きで俺を呼び寄せる。
「壊れたから今から来てくれってさ、どうする?」
 受話器を手で塞いだ店長が俺に向かって囁く。悪い予感は的中し、電話は"P"からの修理依頼だった。あちらは翌朝7時まで営業しているので深夜だろうとお構いなしだ。
「壊れた機械が何かは言ってます?パーツがない奴なら今から行っても無駄なんで」
「ピンボールだって。2台とも逝っちゃったらしいよ」
 溜息を吐き出したあと「よりにもよって、こんな時間に厄介なのが壊れたものだ」と、天井を仰ぎながら考える。 
「準備してから向かうんで、30分後と伝えてもらえますか」
「お前はそれで良いの?」
「良かないですけど、ピンボールならどのみち俺が行くしかないんで、だったら今から行って店で寝た方が楽ですよ」
 電話の続きを店長に任せて、1階のカウンターまでツールボックスを取りに向かった。
 アメリカ生まれのピンボールをメンテナンス出来る人間は少なく、"S"社の新宿東地区では俺の他に2、3人ほどしかいなかった。そのうち一人は銀座の店舗も掛け持ちしていて、毎週金曜日はそこへ出向くことになっている。あとの人間は店舗付きで、俺のように他店のメンテナンスまで請け負っているわけではない。
 事務所に戻って店長から店の鍵を預かり、俺以外のスタッフが退店するのを見届けてシャッターを施錠すると、一端着替えた私服から再び制服に着替えるために屋上の更衣室へと向かった。
 更衣室へ上がる階段の途中で、不意に呼び出されたことで自分が不機嫌な顔をしていることに気がつき、"P"に向かう前に気持ちを落ち着かせるため一本付けることにして屋上から外へ出た。
 ここからの眺めは本当に素晴らしく、新宿を舞台にしたハードボイルド映画のロケにも使われたこともあるほどだ。
 時に俺をイラつかせることもあるコマ劇場前の雑多な人混みも、屋上の高見からでは全てが美しく見えるだけだ。隣のビルにあるテレフォンクラブの呼び込みを聞き流しながら、タバコを半分吸ったところで雨粒が落ちてきたのに気がつき、悪態と共にタバコをもみ消した。
「ついてないときってトコトンだよな」
 更衣室に戻って制服に着替え始める。「アルタ前で待ってるセーラー服のオンナノコ!それ行けー!」と、一日中鳴り響くテレクラのスピーカーをかき消すように、雨垂れの音が強くなり始めた。
 "P"へ向かう支度を終えて、ツールボックスと傘を手に店の入り口まで降りてゆくと、シャッター前にうずくまる人影が見えた。
 階段から繋がるこの入り口は地下にあるカラオケボックスと共有になっていて、俺の働くゲームセンターが閉店したあとでも踊り場に人が入り込むことができた。
 ここで酔客が寝ていることはよくあって、雨に降られたときなどはなおさら、逃げ込むようにここにたどり着いてしまうのだろう。これまでにも何度となくつぶれた酔客を追い出し、時には吐瀉物の後始末に泣かされたこともあった。
 座っていたのは長髪の女で、格子状のシャッターの内側からはその背中しか見えない。
 シャッターに寄りかかっている女に「ここ、出入り口なんでどいてもらえます?」と声をかけた。力なく立ち上がった女の顔はまだ幼さを残していて、俺はそれを見てやれやれ、と溜息を吐く。
「家出かよ…」胸中で舌打ちし、注意するための険しい顔を作る。
「雨降ってるし、しばらくなら居ても良いけどさ。下のカラオケ屋はまだ営業してるから、そっちから通報される前に出てけよ」
 その女、少女はうなづくだけで返答は無かった。
 雨はまるで夜中の夕立のように激しくなり始め、その中を傘を片手に"P"の入り口まで来たところではたと気付いた。
「あの娘、傘を渡しとけば勝手に出てったかな」
 だが、今更戻ってやる気にまではなれず、そのまま"P"へと向かった。
1
最終更新日 : 2012-03-23 00:58:03

 "P"では副支配人が待ちかまえていて、俺の顔を見ると笑顔になり「いやー、来てくれて助かったよ。明日は金曜でしょう。稼ぎ時だからねえ」と、歓迎しているのか、プレッシャーをかけているのか判別しかねるようなことを言った。
 終夜営業をしている"P"の店内は、突然の雨を避けるように吸い寄せられた客で、深夜だということを忘れさせるほどの賑わいを見せていた。
「今日みたいに突然雨が降ると、客が増えて相当稼げるんじゃないですか?」
 フロアの客をかき分けながら、副支配人の後について故障したピンボールに向かう途中で聞いてみた。
 副支配人は右手を軽く振り、振り返らずに返事をする。
「ダメダメ。今居るのは雨宿りにで来てる冷やかしだから。ゲームやらないで座ってるのをどかす方が大変だよ」
「ははあ…」
「ゲーム遊ぼうと思ってるお客さんも、邪魔なのが多いと帰っちゃうしさ」
「それもそうですね」
「これが昼間だったら枯れ木も山の賑わいなんだけどさ、夜中はダメだよ。連中、電車動くまでここで時間つぶしたいだけだから」
 当時はまだ現在のように夜明かしの出来るマンガ喫茶やインターネットカフェが乱立していたわけでないので、それも無理からぬ話である。
「これがさ、お客さんが遊んでると突然右のフリッパーが動かなくなったんだよね。来てみたらなんだか焦げた臭いもするし、慌ててコンセント抜いたんだけど。もうダメかね?」
 そういいながら、副支配人が店の隅に置かれたピンボールを見せる。
「開けてみないとわからないですけど…、難しいかもしれないですねえ。焦げた臭いはどの辺からきました?」
「こっち、上の方」
 副支配人が示したのは、バックグラスと呼ばれる、ピンボールの上についてる看板部分だった。この中には、ピンボールの心臓部が納められている。
 バックグラスの鍵を開けて、ゲームタイトルが描かれたアクリル盤を取り外す。イルミネーションの豆電球が取り付けられている2重ドアを開けて奥を見ると、中に納められているプリント基盤の一角が焦げて黒くなっているのが見えた。
「焼けちゃってますね…」
「やっぱダメかね?」
「一応、やるだけやってみます」
 焦げていたのは、ピンボールに無数に取り付けられているソレノイド(電磁コイル)に流れる電流を制御するパワーサプライボードだった。ボードを外してよく見てみると、乗っているトランジスタの一つが溶けている。
「ダメなのはこいつだけかな…」
 ペンライトの明かりで基板を透かしてプリントされた配線を追ってみる。回路に過電流が流れると、配線が熱を持って千切れてしまうこともあるからだ。
 一通りチェックしてみたが、どうやら基板そのものにダメージはない。念のため、焼けたトランジスタが制御しているソレノイドまわりも確認してみたが、こちらもショートなどの不具合は発見されなかった。
「単にトランジスタが死んだだけか…」
 このピンボール台は少々くたびれていて、トランジスタが経年劣化していても不思議ではなかった。右側のフリッパー、つまりプレイヤーが操作する羽の部分は一番使用頻度が高く、それだけ負荷がかかるところでもある。
 これを交換すれば直るだろう、と見当をつけたものの、さすがにそんなパーツの手持ちはない。秋葉原の電気街まで行けば同じ物を見つけることは出来るのだが。
 思案したのち、マニュアルをひっくり返して配線図を確認する。同じメーカーのピンボールであればパワーサプライボードなどのアセンブリは共通化されていて、タイトルによってはまったく使用されていない経路があるからだ。
 目論見通り、このピンボールでは二つの経路が「殺されて」いた。使用されていないトランジスタの一つを取り外し、焼けたものと交換して電源を再投入すると、動かなかった右のフリッパーが復活した。
「もう直ったの?流石だねえ」
 動作テストであることをしばし忘れてプレイに熱中していた俺の横に副支配人が現れて笑顔を見せる。
「たぶん、これで大丈夫だと思いますよ。試してみましたけど、異常な熱を持ってるところも見あたらないですし」
 遊んでいるところを見つかって、愛想笑いで返答する。
「あともう一台、残ってるからね」
 言われて思い出したが、壊れていたのは1台だけではなかった。
 もう1台の方は完全に物理的な故障で、フリッパーとソレノイドの鉄芯を繋ぐリンクピンと呼ばれるベークライトのパーツが砕けてしまっていた。
 どちらかと言えばこちらの故障の方が厄介で、というのもトランジスタなどの電子部品は規格が合う物を秋葉原で見つけることが出来るが、ピンボール独自のパーツはメーカーのあるアメリカから取り寄せるしかないからだ。
 発注したパーツが船便でアメリカから届くまでには最短でも3週間以上かかってしまう。発注は"S"社の本部を介するのだが、時に発注書をどこかで書き間違えたのか、待ったあげくに違うパーツが届くことさえあった。
 こうした事が日本でピンボールが根付かなかった理由の一つでもあるのだが、聞いた話によれば、その昔ピンボールの国内輸入代理店がピンボール老舗メーカー"W"社が提案したリペアパーツサプライヤーの日本国内開設を渋ったのがそもそもの原因だということだ。
 日本のゲームセンター、アーケードゲームはインベーダーゲーム以降に爆発的に発展したが、アメリカではそれ以前から、ソレノイドとリレーで動くアーケードゲームの文化があった。それに、もともとDIY精神に富む国でもある。
 パーツを取り寄せ、自分達の手で直しながら使い続けることが前提のピンボールは「店に置いておくだけで金になる」ともてはやされたインベーダーを起点とする日本のゲームセンターとは全く異なる文脈の上にあった。
 だが、ここ歌舞伎町は「インベーダー以前」からのアーケード文化を受け継いでいる希有な土地だ。「メダルゲーム発祥」をうたう"C"社系列店のひとつでは、ピンボールの一種である年代物の「ICビンゴ」を数多く取りそろえていたし、コマ劇場裏手にあった"T"社運営店舗に置かれているピンボールなどはどれもメンテナンスが行き届いていた。
 そうした先達に囲まれている以上、安易にピンボールに「故障中」の札を掲げたくはなかった。馬鹿馬鹿しい話だが、俺は負けたくなかったのである。
 応急処置として、ベルトから下げていた鍵を束ねているリングの一つを折り曲げて整形し、ショートの原因にならぬようチューブで絶縁してリンクピンの代用品をでっちあげた。一応はこれで動かすことが出来る。
「これでどのくらい持つかね?」
 作業のぞきに来た副支配人がお手製のパーツを指して聞く。
「これは本当に仮の処置なんで、せいぜい二、三日って感じです。明日もう一度、別のしっかりしたものに交換しにきますよ」
 副支配人が試すようにフリッパーをカタカタと操作し、とりあえずは問題なく動いているのを確認して俺の肩を叩く。
「どうもお疲れさま。お宅はこれからどうするの?家に帰るの」
「電車無いですから、店に泊まりですよ」
「そりゃ大変だねえ」
 自分で呼びつけたことなどすっかり忘れているかのような副支配人の口調には苦笑いしてみせるしかなかった。
 作業中外していた腕時計を付けようとポケットから取り出すと、針は3時半を指していた。電車が動くまであと2時間だが、明日に残した作業もあるので店に戻って眠ることにした。

2
最終更新日 : 2012-03-23 00:55:34

 "P"を出ると雨は小振りになっていて、傘を差さずに歩いている人間を見かけることも出来る。
 自分の店の入り口まで戻ると、シャッターの前に座り込んだままの少女が居た。
「なんだよ、下のカラオケ屋に注意されなかったのか?」
 うなづいて返事を返すその娘に向かって「どけ」とジェスチャーを送る。
「そこに座ってると、鍵あけて入れないんだよ」
 立ち上がらせて鍵を開ける。娘の背丈は俺の鼻下ぐらいで、身に付けていたのは黒のタイトスカートにデコルテの開いたカットソーと白いパンプス。唇の端には赤いものが見え、はじめは血かと思ったが、よくみるとそれは残った口紅だった。
 顔は、沖縄や奄美諸島出身者によく見かける目鼻立ちのハッキリとした顔立ちをして、二重のまぶたから延びる長いまつげがフェイクなのか、地毛なのか一瞬戸惑うほど。肩からは浦安にあるテーマパーク土産のビニール巾着を下げていて、この組み合わせのちぐはぐさは、大人っぽさを演出しようと一生懸命背伸びをした結果だろう、と見当をつけた。
 持ち上げたシャッターを潜って、もう一度閉めようとしたとき、こちらを見つめる少女の不安げな目と目があった。
「お前も入るか?」
 思わず口からこぼれた言葉に、俺自身が少し驚いた。面倒な事にわざわざ首を突っ込んでどうする、とすかさず後悔が襲ってきた。
「いいの?」
 安堵したのか、少しだけ笑顔を見せた娘をいまさら追い返すほど冷徹漢ではなかったので、返答の代わりにシャッターを上に持ち上げる。
「入れてやるけど、店のもの壊すなよ」
 そうとだけ告げ、その娘を後ろに階段を上がった。
 2Fの事務所で残業分のタイムカードを修正したあとで娘に声をかける。
「メシ、食うか」
「うん」と返事した娘に財布から5千円札を渡し、再び二人で入り口まで戻った。
「この向かいが牛丼屋だから。俺のは大盛りと、味噌汁。あと自分の好きなの買ってきな」
 ガラガラとシャッターを開けて娘をお使いに出す。
「鍵は閉めとくから、戻ってきたらシャッター叩いて教えろよ」
「わかった」
 通りを挟んだ向こうにある牛丼屋に入ってゆく後ろ姿を見届けてから事務所へと戻った。キャビネットから日報と本部へのパーツ注文依頼書を取り出し、机に座ろうとしたところで、さすがに部外者を両替金の入った金庫のある事務所に入れるわけにはいかないと気付き、書類の作成は事務所の外で行うことにした。
 事務所前のカウンターでタバコを吸いながら日報を書き終えたところで、娘がまだ戻ってこないことを不審に思った。持ち帰りの牛丼なぞ注文すれば5分と待たずに出てくるはずだ。
「金持って逃げられたかな…」
 それならそれで、自分で拾ってしまった厄介事を背負わずに済んだという事で、だとすれば5千円ぐらい安いものだ。そう思ったときに入り口のシャッターを叩く音がした。
「遅かったから、金持ったままもう戻ってこないのかと思ったぜ」
 意地の悪い笑顔で出迎えると、娘はバツの悪そうな顔をして言った。
「ゴメン、どうやって注文するのかわかんなくて」
「どうやってって、食券買えば…。ああ、女は牛丼屋に入んないもんな」
 しょうがねえな、と笑いながら階段を3階まで上がる。
 俺の働いていた店は1、2階がゲームセンターで、3、4階がビリヤード場になっていた。その、ビリヤードフロアに置かれたテーブル型のゲーム機に、娘が買ってきた牛丼を広げて食事にする。
「ここって、何屋さん?」
 箸と発泡スチロールの丼を持ったまま、キョロキョロと店内を見渡して娘が聞く。
「ゲーセン」
「ビリヤードじゃないの?」
「ビリヤードもやってるゲーセンなの。後ろにあるのはカラオケ」
「ふうん、面白いね」
 一端会話をとぎって、二人無言で箸を進める。ほぼ同時に食べ終わって「ごちそうさま」をすると、娘はこちらから言われる前に後片づけを始めた。どうやら、まったくの礼儀知らずというわけではなさそうだ。
 片づいたテーブル型ゲーム機に書類を広げて、タバコに火をつける。
「何?家出してんの?」
 書類に向かったまま顔を上げずに聞いてみる。
「家出っていうか…、駆け落ち?」
「一人じゃ駆け落ちにならないじゃん。彼氏と一緒だったのかよ」
「最初は…そう。二人で東京に遊びに行こうって」
「そりゃ駆け落ちじゃなくてただの観光。で、彼氏はどうした?」
 俺と向かい合わせに頬杖をつくと、溜息混じりに娘が言った。
「渋谷で、チーマー?と喧嘩して…。アタシ置いて逃げちゃった…」
「なんだそりゃ、ひでえな」
 思わず苦笑してしまう。
「でっしょー。財布もアイツが持ってたしさあ。とりあえず渋谷は居られないと思って新宿まで来たんだ。バスで来たのが新宿だったし」
「地元どこよ?」
「静岡。バスで3…4時間ぐらいかな」
 娘は頬杖をはずし、胸元までの茶髪の毛先をいじりながら独り言のように語り始める。
「あのままさ、もうどうしたらいいのかわかんなくなっちゃって。お腹も空いちゃうし、寝れる場所もないし」
「わかるよ。俺も子供の頃、よく家出したから」
 だから、声をかけたのかもしれないなと思った。
「ねえ、お兄さんは何やってる人?」
「俺は、ゲーセンの機械を直す人」
 ピンボールのマニュアルをタバコを持った手で掲げてみせる。
「へえ、頭いいんじゃん」
「はあ?何だそれ」
「でもそれ、英語でしょ」
「ああ…、そう言う意味。でも俺、高校は工業だよ」
「マジで?アタシも!」
 腹も落ち着いて元気が出たのか、張り上げた娘の明るい声が閉店後の店内にこだまする。
「何科?」
「被服科。お兄さんは?」
「俺は機械科。じゃあアレか、逃げ出した彼氏ってのは土木科の先輩か?」
「うっそ、なんでわかるの」
「工業通ってるヤンキーなんてどこもそんなもんだろ」
「アタシ、ヤンキーじゃないよ」
 ふくれ顔になって否定する。
「お兄さんもヤンキーっぽく無いじゃん」
「まあでも、一緒だよ。他人から見れば」
 壊れたパーツと、これから壊れそうなパーツをリストにした発注書を書き終えて書類を片づけ始める。無駄だとは思うが、気休めに「A.S.A.P.」と発注書の隅に書き加えておいた。
「それ、なに?」
「アメリカから部品が早く届きますように、っておまじない」
「えー、何それ。マジ言ってんの?」
「ホントだよ。あんま効かないけど」
「効かないなら意味ないじゃん」
「だから、おまじないなんだよ」
「変なの」
 笑い出した娘に釣られて笑みがこぼれる。笑い声が収まるのを待って、立ち上がりざまに言った。
「俺はこれから着替えに行くけど…」
 ここで大人しく待ってろよ、と繋げようとするのを娘が遮った。
「えー、一緒に行ってもいい?」
 予想外の返答に戸惑ったが、店の物をあちこち触られるよりはマシだと考えて、屋上の更衣室まで連れてゆくことにした。
「ちょっと、向こうむいてろ」
 と手早く着替えを済ませると、娘が屋外に通じるドアに気づいたようだ。
「この外、屋上?」
「そうだよ。出て見るか?雨降ってたけど」
 ドアを開けると雨はもうほとんど止んでいて、濡れた路面がネオンを反射し、まるで歌舞伎そのものが輝いているように見えた。
「すっごい。こんな綺麗だったんだ、ここ」
 屋上の手すりから身を乗り出すようにして、感嘆の声を上げる。
「ここから見てるだけなら、ね」
 と、独り言ともつかぬ返事をする。
「ねえ、東京タワーも見える?」
「無理無理。ビルに隠れてるから」
「そっか」
 娘の後ろ姿越しにネオンを眺め、しばらく悩んで切り出した。
「いつもなら朝まで店で寝てんだけど、部外者を勝手に店に泊めるわけにはいかないからさ…」
 メシも食ったし、雨も止んでいるから出て行けと言うこともできた。
「寝れる場所、行くか」
 コマ劇場の奥にあるホテル街を横目に言ってみる。
「行く!」
 娘のあっけらかんとした返事に、少し面食らった。
3
最終更新日 : 2012-03-23 00:13:58

 二人で店を出て、コマ劇場裏手にあるホテル街へと向かった。"P"の店員や、知り合いに見つからないように細い路地を遠回りする。
 ホストクラブの立て看板の横を通り、途中で職安通り裏のスーパーに立ち寄った。隣にあるバッティングセンターもこのスーパーも24時間営業で、もう夜が明けようとしているのに辺りには金属バットの音が鳴り響いている。
「着替えとか、要るものがあったら言えよ。ここ、何でも売ってるから」
「ゴムとか?」
「バーカ」
 俺の入れた缶ビールと使い捨てのひげ剃りに、娘の換えの下着が入った買い物かごを精算してホテルを探す。選んだのはビジネスホテルのカウンターをラブホテル風に改装したところで、コインランドリーも設えてあるのが決め手となった。
「ずっと同じの着たままだから」
 恥ずかしそうに娘が言い、ああ、と事情を察して少し笑いながら、出てきた鍵を受け取って部屋に入った。元がビジネスホテルなだけに内装は素っ気ない。浴室もガラス張りなどになっているわけでなく、ごく普通の一人用ユニットバスだ。
 娘がシャワーを浴びている間、ひとつめの缶ビールを空ける。
「お兄さん、さっきのひげ剃り一個もらっていい?」
 風呂のドアから首だけ出した娘にひげ剃りを渡し、それが何に使われるのかを考えてから、オンナノコも大変だなとひとり吹き出した。
 身繕いを終えてバスローブ姿となった娘にコインランドリー用の小銭を渡し、入れ替わりでシャワーを浴びる。
 それにしても、とお湯を吹き出すシャワーヘッドを眺めながら思いにふける。"P"からの電話が随分おかしな事になったものだ。
「呼びつけられたときは不機嫌の固まりだったのにな」
 ホテルに連れ込んだ以上、下心がなかったわけでないとはいえ、俺にはまだ少し躊躇が残っていた。万が一バレたら大事だし、相手の弱みにつけ込んで手を出したと責められれば言い訳も出来ない。
「高校生って言ってたしなあ」
 自分に言い聞かせるように呟く。
 そのまま眠るだけにしておこうか、と悩みを引きずったまま風呂場を出た。
 部屋に戻ると、娘がベッドの上でTVを見ていた。そのまま放っておいて、窓際のテーブルに置き去りにしていた缶ビールの残りを空けにかかる。
 しばらくすると、TVに飽きたのか娘がこちらにやってきて、テーブルを挟んだ椅子に座る。
「ひょっとしてお兄さん、彼女居るの?」
 制止しようとするまもなく、娘が俺のタバコに手を伸ばす。諦めて、ライターを差し出しながら返事をした。
「居ないよ。何で?」
「だって…、やんないじゃん」
 うつむき加減で娘が吐き出した煙がこちらに漂ってくる。
「なんだよ、それ…」
 煙を振り払うように、底にたまった缶ビールの残りをあおった。
「俺、妹が居るんだよ。お前と同じぐらいの」
 これは出任せの言い訳ではなかった。
「ふうん、それで?」
「だから、お兄さんって言われるとその気になんないの」
「じゃあさ、名前、教えてよ」
「はあ?」
「アタシはユミ、お兄さんは?」
「タカミツ」
「タカミツ…、みっちょんでいい?」
「なんでもいいけど…、いいのかよ」
「じゃあ、オッケーね」
 娘、ユミは言うと同時に立ち上がり、俺の座っていた二人掛けのソファの空いてる隙間に入ってきた。
 足もとで初めて肌と肌が触れ、自分が緊張しているのがわかる。
「もっとひっついていい?」
 返事の代わりに右腕を上げて空間をあける。
「さっきお店でさあ、「よく家出した」って言ってたけど、あれホント?」
「ホントだよ。親父が厳しかったからさ、ウチ」
 まだ子供だった頃、家出してゲームセンターを転々と渡り歩いたことを話して聞かせる。腹を空かして泣きそうになったとき、仲良くなった大学生にフードコーナーのパック入り焼きそばをおごって貰ったこと。寝る場所を見つけられず夜通し歩いて、昼間の公園でようやく眠れたこと。
「なあんだ、アタシと一緒じゃん」
 もたれ掛かった身体を伸ばして、ユミがテーブルの灰皿にタバコをもみ消す。  
「ゲーセンっていえばさあ、ここで朝までやってる店みつけて、すみっこで寝てたらすっげー怒られたんだよね」
「眼鏡かけたおじいちゃんだろ」
「そう。知り合い?」
「俺はそのじいさんに呼ばれて、夜中に修理に行ってたんだよ」
「じゃあ、同じ人なんだ。ひょっとして」
「それ以上言うの、やめ。笑っちゃうから」
 頭の中に天使の格好をした"P"副支配人の姿が浮かぶ。同じ想像に至ったのか、堪えきれなくなったユミと二人笑い転げた。
 ユミの頭がもたれ掛かった脇から滑り落ち、膝枕に頭を乗せて俺を見上げる。
「でも、良かったよ。みっちょん、初めて会った感じしないしさ」
「二人とも高校が工業だし…」
「同じヤンキーだし?」
 クスクスと悪戯っぽく笑って、俺の言ったことを繰り返してみせる。
「俺は、ヤンキーじゃ、ない!」
 それをかけ声がわりにユミを抱え上げ、お姫様だっこの体勢でベッドまで運ぶ。降ろすとき少し勢いが付いてしまい、ユミは小さな悲鳴を上げた。
「びっくりしたあ。お兄さん、案外力あんだね」
 多い被さるようにベッドに上がり、ユミの身体を見下ろす。はだけた襟元から、膨らみかけの胸が見えた。
「ゲーム機よりは軽いよ。それともう、お兄さんは、ナシ」
 バスローブからユミの腕を抜いて、再び身体を持ち上げて完全に脱がせてしまう。
「じゃあみっちょんもユミって呼んで」
 俺の首に腕を回し、顔を近づけながら言う。
「ユミ…」
 急に気恥ずかしさがこみ上げてきて、言葉に詰まってしまう。
「可愛いよ」
 まだ好きだとも、愛してるとも言えなかった。
 果たしてその言葉で正解だったのか、ユミは満足の笑みを浮かべると、首に回した腕を引き寄せて耳元で囁く。
「好き」
 首筋に触れたユミの唇が顔の正面へと移動してくる。俺の口元までくると、一端顔を離して、返事を待つように俺の顔を見つめた。
「俺も…」
 続く言葉を省略して、同じタバコの味がする唇を重ねる。
 残る不安がそうさせるのか、しがみつくように離れないユミに悪戦苦闘しながらのぎこちない行為を終えると眠りについた。
4
最終更新日 : 2012-03-23 00:13:58

 昼前に起き出して今度は二人でシャワーを浴び、そこでまた行ってぎりぎりの時間でチェックアウトする。
 "P"の向かいにあるファーストフードで遅い朝飯を済ませ、ユミを待たせたまま一旦店まで鍵を返しに行った。昨晩行った作業の報告をし、パーツの買い出しで戻るのは夕方になると断りを入れる。部外者を連れ込んだことは、どうやらバレずに済んでいたようだ。
 ファーストフードに戻り、ユミを連れて新宿西口のバスターミナルに向かい、ユミの地元までの高速バスチケットを購入する。週末前だからか、夕方の便にしか空きがなかった。
「これから店に戻るの?」
 チケットと当座の金として1万円を渡そうとしたところで、ユミが財布を持ってない事を思い出した。
「いや、パーツの材料買いに行かなきゃならないし…」
 砕けたリンクピンの代わりになるものを、塩ビかアクリルで削りだすことは昨日の作業中に決めていた。それに、焼けたトランジスタの予備も持っておきたい。
「どっか行くの?」
 いつもなら渋谷のDIY専門店に行くところだが、ユミが渋谷に近づきたがらないだろうと思い、今日のところは池袋の系列店に行くことにした。今では新宿南口にも同じDIY専門店があるが、当時はまだ再開発中で影も形もない。
「池袋のあと、秋葉原」
 切符を2枚買って、山手線で池袋に向かう。池袋に着くとユミのリクエストで、腕を組んでサンシャイン通りを歩く羽目になった。東京で、女の子と腕を組んで歩くのはこれが初めてだった。
 使えると見当を付けた塩ビ板とユミの新しい財布を購入し、せっかく池袋まで来たのだからとサンシャインの展望台へ観光に行く。
 強化ガラスとスモッグ越しにお目当ての東京タワーを見つけてはしゃぐ様はまるで子供のようだ、と思ったところで実際にまだ子供なのだと思い出した。
 再び山手線を回って、秋葉原まで到着する。駅前の実演販売を見たがるユミを引き剥がすようにして、パーツ街の軒先を巡ってお目当てのものを探す。
「すごいね、マジ迷路みたい。良く来るの、ここ」
「来ないと、俺は仕事にならないの」
 ユミは天井から無造作につり下げられている無数の電子機器を眺め、それが結構な値段をすることに驚きの声を上げた。
「げ、引っかけたら大変じゃん」
「壊すなよ」
 脅かすように笑ってみせる。
 3件目でようやく規格の合う物を見つけることが出来、ついでにピンボールに使うブリッジダイオードとスローブローヒューズも探して(これらも良く焼き切れてしまう、いわば消耗品だ)買い出しが終わったのはバスの出発まであと1時間というところだった。
「楽しかったね」
 新宿に戻る総武線の車内で俺に抱きついたユミが言う。まだラッシュの時間帯ではないが、それでも否応なしに他人とふれあう程度には混雑していた。
「アキバ?縁日みたいだろ、アレ」
 吊革を握る手に二人ぶんの揺れを感じながら答えると、腰に回した手で背中をつねられる。
「違うよ、デート」
「デート…」
「デートじゃん」
「そう、ね。楽しかった、いつもは独りだし…」
 腰に回された腕の力が強くなるのを感じ、それに応えるように、空いたほうの腕で揺れる身体を抱き寄せた。
 新宿に戻ると、バスはもうターミナルで乗車待ちを始めていて、店に戻る時間も近づいていたので、発車を見送らずに別れることにした。
「そういえばみっちょんさあ、ベル持ってないの」
「ポケベル?持ってないよ。あんなの持ってたらいつ呼び出されるか、わかんないじゃん」
「それって、店から?」
「そう。持ってたら、たぶん今日みたいなデートも出来ないし」
 デート、という言葉に反応して笑みを見せる。
「じゃあ、どうやって連絡取ればいい?」
 俺は店に3台あった公衆電話のひとつの番号を書き付け、池袋で買ってやった財布の中へに入れた。
「いつも、店の方にしか居ないから」
「えー、お家の方も教えてよ。みっちょんが休みの時にしかかけないし」
「一応、火曜が休みなんだけど…。最近休み取れないから、店の方にかけて」
「…わかった、そうする」
 疑うような、不服の表情に気付く。
「なんだよ、別に隠し事してるわけじゃないよ」
 渡した財布を取り上げ、中の紙に自宅の住所と電話番号を書き加える。
「ホント滅多に家にいないんだよ。今日だって、帰れてないし」
「ゴメン…」
 責められたと思ったのか、謝るユミの顔は今にも泣き出しそう。
「いや、そういう意味じゃないから。家に戻ったらちゃんと連絡しろよ、待ってるからさ」
 うつむいて涙をこぼし始めたユミに戸惑い、どうすればいいのか判らなくなくなる。どうして女の子はこう感情の起伏が激しいのか、それを言うなら、なぜ行きずりに出会った俺にこうもストレートな感情を露わに事が出来るのか。
 これなら、ピンボールでフィールド上を四方八方に飛び回る鉄球の行方を予測する方がまだ容易い。
「歌舞伎町にずっと居るから、また会えるよ」
 うつむいた顔をのぞき込むように中腰になって目線を下げようとするが、ユミが顔を上げる方が早かった。
「わかった、連絡する」
 まだこぼれる涙を拭いながら気丈に笑顔を作ってみせるのは、子供扱いされたくないという気持ちの表れだろうか。
「最後まで見送ってやれないけど、店で待ってる人が居るからさ」
「あのおじいちゃん?」
「そう。あそこの副支配人。怒られただろ、怖いんだよ」
 冗談に二人笑ったところで、これが別れるタイミングだと悟る。
「じゃ、またな。気をつけて帰れよ」
 最後に手を握って、一歩下がろうとするのを引き留められる。
「ホントに、また来てもいい?」
「家出じゃなけりゃね」
「うん、わかった」
 言うと自分からバスに乗り込み、指定された窓際の席まで駆け上がる。
 ガラス越しに手を振るユミに手を振って応えてやり、しばらくしてから、ピンボールが待つ歌舞伎町へと戻っていった。
5
最終更新日 : 2012-03-23 00:13:58

この本の内容は以上です。


読者登録

林田 貴光さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について